所謂日常的な物語 作:亀はん
1幕
001
蟹、蝸牛、猿、蛇、猫、亀の怪異により引き起こされた事件が解決し、高校で開催された文化祭が何事もなく終わって始まった夏休み。
ぼくこと長壁貉は目の前の彼女を見て大粒の汗を流していた。
「ねぇ、長壁くん。これってどう言う事?」
彼女は笑顔で、しかして僅かに圧を込めながらぼくに問いかける。彼女の手には可愛らしいピンクの便箋に、ハートマークのシールが貼られた如何にもな手紙だった。中身は……そう、端的に表すとこんな感じだった。
『かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
──
プライバシーの為、名前は仮名とさせて頂いたが、要するにラブを伝える為のレターだったわけだ。勿論、この子には悪いと思ったが断るつもりだった。ぼくにはこうして彼女がいるし、何よりこの子の事を何も知らなかったから。始めるにしてもお友達から、と言うつもりだった。
今、ぼくは自分の家で勉強を教わっていた。ある程度の知識はぼくに憑いていた怪異──亀姫を通して学んでいたが、勉強はするに越したことはない、と彼女──羽川翼がそう言った為、こうして定期的に彼女が家に来て家庭教師的なものをやってくれていた。
彼女の教え方はとても分かりやすく、ぼくでも理解できるように言葉を選んで教えてくれている。時には優しく、時には厳しく。赤ペン先生ならぬ羽ペン先生とでも言うべきだろうか。本人にそんな渾名で呼ぶと怒られそうだけど。
「じゃあ、今日もやろっか」
彼女の言葉と共にぼくは頷き、鞄から教科書を取り出そうとした。……ここまでは良かった。だが、そのあとが良くなかった。
教科書を取り出すと、私も忘れないでとそれに引っ付くように件の手紙が出てきたのだ。しかも、ちょうど彼女の目の前に落ちてしまった。落ちるまでの時間、ぼくには世界が止まって見えた。
目の前に落ちた手紙を彼女は不思議そうに手に取ったあと、封が開かれた中身を取り出してしまった。というか、落ちた時に6割がた外に出てしまっていたので彼女が中身を見てしまっても不思議ではないわけだ。
……そうして、冒頭のシーンに戻る。
「それは……下駄箱に入っていたんだ。顔も知らない人って訳じゃあないし……勿論、断るつもりだったよ?」
「ふーん……」
声のトーンが下がっていた。あぁ、これは機嫌が悪いんだなと一回で分かってしまうくらいには下がっていた。
「……怒ってる?」
恐る恐るそう聞く。
「うーん。長壁くんにはどう見える?」
質問を質問で返された。羽川さんは頬杖を突きながら相変わらず笑顔のままだ。とても怖い。
「……怒ってる様に見える、かな?」
ぼくの問いに羽川さんは大きなため息を吐いた。
「長壁くん。私が怒っているのはこの手紙をくれた子の気持ちを貴方が軽く見ちゃっている事についてなんだよ?」
「軽く?」
「だって長壁くん、早く返事しなきゃとかもう考えていないでしょ」
羽川さんの指摘にハッとする。確かに、ぼくは明日にでも、今度にでも、と既に出ている答えを先延ばしにしようとしていた。
「……ごめん。羽川さんの言う通りだ。ぼくは、軽く見てたよ、この子の事……」
「うんうん、気付けて偉いね」
まるで小さな子供がおつかいを成功させた時のような声色で羽川さんは頷いていた。
「でもまぁ……
羽川さんは悩ましげにそう呟き、ため息を一つ。
「だって……その、私たちって、世間一般で言う恋人らしい事ってあんまりしていないじゃない?」
詰まるところ周りへのアピールが無い。羽川さんはそう言いたいようだ。世間一般で言うところの恋人らしい事とは、スキンシップ らしい。
ハグをする
手をつなぐ
キスをする
添い寝をする・一緒に眠る
くっついて座る
体を寄せあって戯れる
など、確かに……花火大会に行った時以外にこう言った事はあまりしていないと思う。何と言うか、二人でいる事だけに満足していた。
「確かに、そうかも知れないね」
ぼくがそういうと羽川さんはうーんと唸る。
「そうだ! 阿良々木くんと戦場ヶ原さんたちと一緒に出掛けるって言うのはどうかな? Wデートってやつ?」
「Wデート」
腕を組み、その様を想像してみた。
──遊園地。
『見て、羽川さん。このぬいぐるみ可愛いわ。買いましょう。ほら、阿良々木くん。持って頂戴』
『何個目だよ! 確かに夢の国ではしゃぐ気持ちは十分に理解できるが、モノを買う前に後ろを振り返れ! お前の彼氏が両腕に紐が食い込むほどの荷物持っているんだぞ!』
『あら、ごめんなさい。気が付かなかったわ。じゃあ長壁くん、はい』
『じゃあじゃなくて……キミの荷物だろう? キミも少しは持った方が良いと思うけど……』
『聞いた? 羽川さん。貴女の彼氏は女は荷物持ちでもしていろと宣言したわよ、か弱い女性に向かって。冷たいとは思わない?』
『そこまでは言ってないよ!』
『あはは……』
…………戦場ヶ原ひたぎと言う人物が嫌いと言うわけではない。むしろ友人として想っている、が。彼女の性格というか、ツンドラな生き方だとこういう展開になる事が何となく想像できてしまった。
「流石に戦場ヶ原さんでもそこまではしないんじゃないかな?」
いつの間にか声に出していたのだろうか? 羽川さんは苦笑いをしていた。
「ううん。何となくそんな事を考えているんじゃないかなって思っただけ」
「凄いね。それじゃあぼくはしゃべる必要すらないじゃないか」
「彼女だもん。貴方の考えがある程度予測できても不思議じゃないよ?」
「……そうなの?」
……確かに、戦場ヶ原も暦の考えているような事当てる時あるもんな。そう言うものかも知れない。
「でもさ、ぼくは羽川さんの考えを予測出来たりしないよ?」
「それはキミの修行不足じゃ。なんてね」
「そっか。なら頑張って修行しなきゃなぁ……」
以心伝心とか、なんかカッコいいし。
それから、羽川さんがこれから予定があるとの事で本日の勉強会はお開きとなった。
002
次の日の朝──ぼくの家には暦が遊びに来ていた。
「酷い目に遭った。本当に」
並々に注がれた炭酸ジュースを見つめながら暦は酷く疲れた様な顔をしながらそう呟いた。
「何かやらかしたの?」
「なんで僕がやらかす前提なんだよ。こう言う時はさ、まずは心配からだろ」
「いやぁ……」
日頃の行いとかじゃない? ぼくは口にさえしなかったがそう思っていた。
「顔に出てるぞ。日頃の行いが悪いからとか思ってんだろ」
「やばっ」
暦も羽川さんのようにぼくの心情を読んできた。
「あのな……僕は曲がりなりにもお前と長年共に歩んできた人間だぞ? なんかこう……分かるんだよ」
暦は少し恥ずかしがりながらそう言うと、炭酸ジュースで口に含んだ。ぼくにはそれが照れ隠しにしか見えなかった。
「羽川さんも似たような事出来たよ」
「羽川は色々と別だろ。僕はあいつが実は超能力者でした〜! って言ってきても秒で信じる自信があるぞ」
「確かに……」
笑顔で手を使わずにスプーンなどを曲げる彼女の姿を容易に想像できてしまった。
「というか、お前は何してたんだ? 今日は用事があるとか言ってたろ?」
当初、暦から遊びにでも行こうぜ。と誘われていたのだが羽川さんから勉強をしようと言われ速攻で前者を蹴ったのだ。
「あー……羽川さんと勉強会かな?」
ぼくがそう言うと、暦は分かりやすく顔を顰めた。
「お前、なんだかんだ真面目だよな」
「そうかな?」
ぼくは人よりも数歩遅れた人生を歩んでいる。それを取り戻そうと色々と頑張っているだけだ。勉強然り、人間関係然り。
……そう言うところが真面目、というのだろうか?
「……で、勉強会以外には何かやってたのか?」
ジュースを飲み干した暦はカラン、と氷を鳴らしながら少しニヤついていた。
「勉強以外?」
「ほら、こう、お前と羽川って付き合ってるだろ? だから
──あるにはあった。恋文をもらっていた事が発覚して笑顔で問い詰められるという事件が。
その事を暦に話すと、何処か残念がりながらも羨ましいと口にした。
「そんな羨むようなこと?」
「いやいや! ラブレターって言えば、全男子の夢だろ?」
グッと拳を握りしめて暦はキメ顔でそう言った。
「ふーん。じゃあさ、戦場ヶ原にもらえば? 頼めば書いてくれるんじゃない?」
「戦場ヶ原がそんな乙女な事してくれるかよ。昨日だって僕は……」
暦はそこまで言って口が止まった。
「そう言えばさ、酷い目にあったって言ってたけど……」
何となく嫌な予感を感じながらもぼくは恐る恐る問いかけた。すると暦はアホ毛をへなへなと萎ませながら語り始める。
「あれは、お前に誘いを断られてすぐの事だった──」
ぼくに誘いを断られ、時間が空いた暦は月火ちゃんの友人である千石撫子に「遊んでほしい」と誘われた。彼女は過去に蛇切縄という怪異に取り憑かれ、それを暦や神原が助けたという。
彼女は、自分に変わりはないが、あの呪いは流行っていると口にしたらしい。
そして、その呪いを解決しようとファイヤーシスターズの二人が奔走していると。
そこまで聞いたところで彼女の母親が帰宅したので家を後にした。
「ここまでは別に酷い事とは無縁だけれど?」
「まだ話の導入だ」
またもや時間を持て余した暦は、次に神原の家にお呼ばれしたらしい。掃除が苦手な彼女の手伝いをしているとの事。
彼女もまた、猿の腕という怪異に取り憑かれた過去をもつ。
神原の家に向かう道中、暦は上の妹こと阿良々木火憐と遭遇した。火憐ちゃんとたわいの無い話をしていると、暦は仙石に聞いた話を思い出し、「正義の味方ごっこはやめておけ」と注意をしたが、それは逆に火憐ちゃんのやる気を引き出してしまったようで……火憐ちゃんは今日中に解決してやらぁ! できらぁ! と去っていった。
「大丈夫なの? 怪異絡みだし、火憐ちゃんでも心配だよ」
「……まぁ、今のところは、って感じだな」
そうして火憐ちゃんと別れた後、神原の部屋を掃除し終え、神原家を出た暦は、喪服のような黒づくめの服装をした不吉な男と巡り会う。警戒する暦に、男は
暦も自己紹介をしたが、どうやら貝木と名乗る男は暦のことを知っているようだった。立ち去る貝木を追おうとする暦だが、直感的に危険を感じて関わらない方がいいと判断し、家に帰ることにした。暦はその途中で戦場ヶ原と会う。出会い頭に相変わらず冷たく対応する戦場ヶ原に、暦は今日あったことを話した。
そうして、神原家を出た際に貝木と出会った話をしたところで暦の記憶は飛んでいた。気がつけば忍野メメが住み着いていた学習塾跡で監禁されていたのだ。監禁したのは戦場ヶ原だった。
(……貝木?)
暦が出会った、と言う怪しげな男の名を聞いたぼくは何処か既視感を覚えていた。
(何処かで、出会ったのかな?)
「どうかしたのか?」
「……ううん、なんでもないよ」
喉に小魚の骨が刺さったかのような小さな違和感。まぁ、覚えていないならそこまで重要な事では無いのかもしれない。ぼくはそう思いながら暦の話の続きを聞くことにした。
恋野実里(仮)──長壁貉とは別クラスの女子高生。髪色は桃色で、ショートボブ。身長は平均より低く、顔は可愛い系。八方美人だった頃から長壁くんの事が好きだった。だが、ある時を境に長壁くんの様子が変わり、羽川翼と付き合っているという噂まで流れ出して焦りを覚えた彼女は勇気を振り絞ってラブレターを書き綴った。今後登場予定はない。