僕のおしごと   作:駒木

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33 お泊まり

 それからの僕と天衣ちゃんの距離はすごく変わった。今までも結構近かったり、平然と手を繋いでいたりしたけど、それ以上に近くなったと言ってもいい。

 なにせ、晶さんの視線しかないとはいえ僕の家で僕の膝の上で寝ているんだから。

 将棋を指して疲れてしまったのか、そのまま僕の膝の上に頭を預けてスヤスヤと眠ってしまった。明日は予定がないらしいし、休日だからこのままでもいいけど。

 

「……先生、良ければこのままお嬢様を泊めてもらうのは可能でしょうか?」

「あ、はい。というか今までも泊めてたので何も問題ないですが……。あ、もしかして天衣ちゃんから聞きました?」

「聞いたというか、旦那様が乗り気というか。それは後日碓氷家に正式に通達されるでしょう。実は私、明日どうしても外せない用事がありまして。そちらに注力しなければならず」

「あー、天衣ちゃんだけ残していくってことですか。大丈夫ですよ」

 

 晶さんは申し訳なさそうに帰っていった。天衣ちゃんが起きたら歯磨きをさせてもう一度寝かせればいいとして、それまで僕は小説を読むことにする。

 もうすぐ名人との棋帝戦がある。早指しの棋戦だけど、僕としては今まで通りに指すだけだ。

 時代小説と呼ばれる新撰組の小説を読んで夜も更けてきた頃、天衣ちゃんがモゾモゾと動きながら頭を少しだけ浮かせた。

 

「んぅ……?」

「おはよう、天衣ちゃん。と言ってもまだ夜だけど」

「お兄ちゃん……?」

「うん。対局が終わった途端電池が切れちゃったんだよ。寝るなら歯磨きして寝よっか」

「うん……」

 

 まだ眠気眼な天衣ちゃんの手を取って歯磨きをさせる。こんな状態でお風呂に入ったら危ないからお風呂は明日の朝で良いかな。

 僕も歯磨きをする。ご飯も食べてないけど一食抜いたくらいで人は死なないだろう。明日が休みで本当に良かった。

 僕ももうすぐタイトル戦があるし、天衣ちゃんも女王戦のアレコレが終わって忙しさからは脱却できていた。僕は細々とした対局はあるものの毎日対局や仕事があるわけでもなく、天衣ちゃんはもう女流の棋戦に出ないと決めたので奨励会だけに集中できている。

 歯磨きが終わった頃には天衣ちゃんもある程度脳が復活したようだ。

 

「お兄ちゃん、一緒に寝て良い?」

「もちろん。別に遠慮しなくて良いのに」

 

 恋人なんだから気にしなくて良いのに。寝巻きに着替えてロフトの上に上がる。こうして一緒に寝るのはいつぞや天衣ちゃんが潜り込んできた時以来。

 それ以外だと天衣ちゃんは僕の家だとソファ兼ベッドで寝るし、神戸に行く時は僕は客室に案内されるから並んで寝たことはない。

 そう思うとドキドキする。天衣ちゃんがすぐそばで僕を見つめながら目の前にいるんだから。

 

「……狭くて近いわね」

「一人用のベッドだからね。二人用なんて想定してなかったよ」

「それはそうだけど。……暁人さん、キスしたい」

「急だなぁ。実は寝ぼけてない?」

「そんなことないわよ。そもそも初めてじゃないし」

「ん?」

「わたし、いつぞやベッドに潜り込んだ時に暁人さんにキスしちゃってるもの」

 

 それは聞いてないなあ。気付きもしなかった。

 そっか、僕のファーストキスは天衣ちゃんに奪われていたのか。その記憶がないのはかなり不幸じゃないだろうか。

 というか、天衣ちゃんってもしかして結構肉食系?そういうのはゆっくりと進んでいけば良いと思ってた僕としては想定外ではある。

 けど天衣ちゃんがしたくて、僕だってしたくないと言えば嘘になる。

 だから天衣ちゃんの頭の後ろに手を伸ばして。

 

 そのままとても小さな口に、僕の唇を合わせた。

 歯磨きをしたばかりだからか、ミントの味がする。何秒くっつけていたのかわからないけど、唇を離して天衣ちゃんの顔を見ると瞳が潤んでいた。ちょっと惚けているのが可愛いと思ってしまった。

 どちらからともなく、もう一度と思って顔を近付ける。触れるだけのキスを何度も繰り返していく内にお互いのことを抱きしめていた。天衣ちゃんの小さくて柔らかくて暖かい体が、とても安心する。

 もう一度、と思ってると僕の唇の中に天衣ちゃんの小さな舌が入り込んできた。知識としてはあるものの、そんなことを天衣ちゃんがしてくるとは思わなくて驚いちゃったけど、歯を舐めてきたり唇を舐めてきたりして、その慣れていないような不器用さが堪らず愛おしくて。

 

 僕からも舌を絡ませたら暗いながらも天衣ちゃんの顔が真っ赤になるのがわかった。

 映画とか、それこそ外を歩いている時とかにカップルが街中でキスをしているのを見てそんなに良いものなんだろうかと思っていたけど、これはヤバイ。

 癖になっちゃうかも。

 お互いに貪った後、唇を離すと天衣ちゃんは息を荒くしながらコテンと僕の腕に頭を乗せる。

 

「ハァ……。眠いの、どっか行っちゃった」

「僕も。でも今から将棋はできないでしょ?」

「それは無理。スイッチが入らないわ」

「じゃあ、眠くなるまでゴロゴロしようか」

 

 こうやってゆっくり過ごすのが久しぶりだったからか、天衣ちゃんの進級した後のクラスの様子や僕が学校に行かなくなって自由になった時間に何をしているのかを話し合った。

 天衣ちゃんは女王になったことで学校でかなり有名になったらしい。それと他校生に告白されたけど速攻断ったとも。

 僕は生石さんとの研究の時間が増えたり、大槌門下に顔を出したり、将棋会館でやらなくちゃいけない仕事をしたり、家ではゆったりと貯めていた映画を見たりしていることを伝えた。

 天衣ちゃんが先に寝ちゃってお開きになり、朝にお風呂に入ることにしたんだけどここでも天衣ちゃんは積極性を見せてきて一緒にお風呂に入ろうとしてきた。

 流石にその一線だけは死守した。ここだけは守らないといけないと僕が歳上としての本能が訴えていた。

 

「キスもしたんだから、その先だって大差ないじゃない……」

「いやいや、大きすぎる壁があるからね?そこだけは絶対にダメだから」

 

 これ、僕の方が手綱を締めなくちゃダメだ。天衣ちゃんの好きにさせたら僕が社会的に死にかねない。

 小学生を彼女にしてる時点でアウトと言われるだろうに、僕は更にここから弟子に手を出した師匠というのと、本当に手を出しているという事実まである。

 自分の身は自分で守らないと。

 

 

 今日の対局は玉将戦の予選だった。危なげなく勝って今後の予定を確認していたところに九頭竜さんが通りかかる。

 

「あ、碓氷。お疲れ。こんな時間ってことは対局終わりか?」

「お疲れ様です、九頭竜さん。はい、対局終わりです」

「俺も終わったからこれからご飯行かないか?あいには遅くなるって言ってあるし」

「僕も今日なら大丈夫ですよ」

 

 天衣ちゃんは今日来ない予定だ。だから外食をしても問題ないと思う。

 あと、いまだに九頭竜さんの弟子があいと呼ばれるのは慣れない。本名だからしょうがないんだけど、九頭竜さんが天衣ちゃんを呼んでいるようで、しかも呼び捨てにしているようで僕としてはちょっとビックリしちゃう。

 九頭竜さんは天衣ちゃんのことを夜叉神ちゃんって呼ぶから天衣ちゃんのことを呼んでるわけじゃないってわかるんだけど。

 

 僕ってこんなに独占欲が強かったのか。彼女になったからかもしれない。

 九頭竜さんにお好み焼き屋に連れて行かれた。僕も九頭竜さんも大阪の人じゃないけど、大阪の味も好きになってきた。ことあるごとに大阪で外食をしていたら大阪の味にも慣れてしまった。

 自分で焼くスタイルじゃなくてお店の人が焼いた物を運んできてくれるスタイルらしい。鉄板焼きのお店と呼ぶべきかも。お好み焼きを一つ頼んで、後は牛肉の鉄板焼きを頼んだ。

 

「夜叉神ちゃんが女王かぁ。当分姉弟子が女王に居座り続けるって思ってたんだが」

「確かに空さんは強いですけど、無敵の人なんていませんよ。それに天衣ちゃんだって十分強いですから」

「そのことでさぁ、姉弟子が不気味なんだよ。せっかく持ってたタイトルなのに重荷がなくなったとか言っててさ。奨励会に集中できるとか言ってるんだよ」

「最近調子良いですよね、三段リーグ」

 

 僕もこのリーグは気になってるから調べているけど、今の所空さんは負けなしだ。初の女性棋士、小学生棋士、編入からの返り咲きなど見所が多い上半期。

 天衣ちゃんが女王になったから調子を崩していないだろうかと心配で見守っていたけど、物凄く好調だ。お好み焼きを突きながら二人の関係者として空さんの話題になる。

 

「最近VSやってるんだけどさ。日に日に強くなってるんだよ。なんかあったのかなあ」

「僕たちは成長期なんですから。強くもなりますよ」

 

 女王戦で刺激をもらったことと、後は名人研の影響だろうか。環境が変わると良い変化も起きやすいとかなんとか。

 弱くなったわけじゃないんだから良いんじゃないかな。

 

「そうだ。今度夜叉神ちゃんと記念対局やるんだって?師弟で記念対局って珍しいよな」

「それだけの快挙ですから。小学生女王は」

「あいも夜叉神ちゃんに負けてられないってやる気になってるよ。今度の小学生名人に出るんだ。最近は友達との将棋が楽しいって言っててさ。楽しいってわかったら上達してきたみたいで最近は中盤が良くなったんだよ」

「後は定跡をしっかり学んだらもっと強くなりそうじゃないですか。将棋を始めて一年だとしたらそんなものですよ」

 

 むしろ一年しか学んでいないのなら凄く強いんだよね。ただ将棋ってどうしても経験値というか学習量が思いっきり影響するボードゲームだ。基礎を固めていけば中学生くらいになったら十分強くなってると思う。

 小学生で研修会に入れるってことは別に将棋に出会うのが遅かったわけでもないんだし。

 

「お前も最近調子良いよな。それに笑顔なこと多いし。良いことでもあったか?」

「良いことづくめですよ。勝率も良くてタイトル戦も決まっていて。弟子も順調に強くなっていますし」

「俺も良いことないかなぁ。いや、順位戦も昇段したり良いことは確実にあるんだけど」

「それ以外に良いことってなんです?」

「そこはほら、彼女ができるとか?俺、この歳になっても彼女がいないんだよ。何かの間違いで桂香さんから告白されないかなー」

 

 この人、ダメだ。

 何でそこで逃げちゃうのかなって感じ。これって多分、関係性を壊したくないから清滝さんに逃げてるだけだよね?

 九頭竜さんが動いて壊れる関係性なんて九頭竜さんが懸念しているその人以外なのに。祭神さんや他の女流の方々、それに弟子の雛鶴さんだけだろう。

 ちょっと突いてみようかな。

 

「九頭竜さんって本当に清滝さんのことが好きなんですか?」

「ばっか、お前。あの包容力に満ちたお姉さんを好きにならない男がいるかよ」

「僕はそういう意味で好きではないので。……それこそ、清滝さんのことはお姉さんとして、家族として好きなんじゃないかなって思うんですけど」

「……何が言いたいんだ?」

「九頭竜さんって巷では鈍感って言われていますけど、本当に色恋に鈍いんですか?あからさまに好意を向けてくる人もいるじゃないですか。その人達の気持ちに気付いていないとは思えなくて。──本当は好きな人がいて、その人が素っ気ない態度をするから隠しているだけなんじゃ?」

 

 僕がそう言うと、九頭竜さんは黙ってしまう。楽しみにしていた牛肉の鉄板焼きが届いても箸を伸ばそうとしない。

 焦げないようにだけ見守りながら話を続ける。

 

「照れ隠しで素っ気ないフリをしたり、思ってもないことを言ってしまうことはあると思いますよ。そうですね。二人の関係性が変わったのは彼女が小学生名人になった時。確かあの時から九頭竜さんは彼女のことを『姉弟子』と呼び始めました。

 ──何故?

 入門が早かったから?小学生名人で記録を打ち出したから?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?僕は幼少期からあなた方を知っているだけなので推論も多分に含まれているでしょう。でも二人が変わったのは絶対にそこです。

 あなたが彼女を一人の女の子ではなく、『姉弟子』という立場に組み込んだんです。そして関係が変わってしまった彼女はあなたに素っ気ない態度を取り始めた。順序が間違っているかもしれませんし、どちらに責任があるとか言うつもりもありません。

 ただ……。あなたが本心を伝えても、彼女は拒絶しませんよ。第三者目線だからこそ言えます。彼女はまたあなたと昔のようになりたいと思っていますよ。もしくはそれ以上の関係に。そういう話は彼女とよくするので」

 

 流石に焦げそうだと思って鉄板からお肉を均等に取り皿に分ける。

 竜王戦のように最後に頼る人が誰かなんて本人もわかっていて、一番気にかけている相手だっていうのに何を躊躇っているんだか。僕みたいに年齢の壁があるわけでもないのに。

 病気のこととか、今三段リーグで大変だからとか、理由はあるのかもしれないけど。だからって清滝さんを言い訳にして自分の気持ちから目を背けているのはどうなんだろうか。

 

「小学生名人だとか女王だとか、竜王だとか。今はそんなことを気にしなくて良いただの八段と三段でしょう?竜王戦の大変な時に支えてもらったでしょう?このままなら彼女は初の女性棋士になります。そうじゃなくても三段リーグなんて大変なんですから、支えてあげてください。彼女の同年代かつあなたと同期の立場からのお節介です」

「……銀子ちゃん、本当に怒らないかな?」

「あの人のあなたへの罵倒は、全部好きって意味ですよ」

「そんなのわかるか。死ねとか言われるんだぞ?」

「それは言われるでしょう。女子小学生を同棲させて内弟子にして、その内弟子の友達の女の子の写真を嬉々として撮ってるんですから。それで好きな人は清滝さんって公言してたら恋する乙女としてはそれくらいの罵倒はして当然かと」

 

 いつぞやの包丁はやり過ぎかとも思うけど。それだけ九頭竜さんって問題行動も多いんだよね。

 お肉を口に含んだ九頭竜さんはそのまま伝票を持って立ち上がった。

 

「ちょっと銀子ちゃんに会いに行ってくる」

「半分は払いますよ」

「いや、竜王戦の頃のあれこれの分だ。払わせてくれ。……まさかお前に恋愛で説教されるなんてなあ。女っ気全くないくせに」

「失礼な。僕にだって彼女はいますよ」

「──は?」

「あ、誰かは秘密です。ちなみに彼女も空さんのことは気付いてましたよ。『何よ、あの両片想いは。見ててイライラする』って言ってました」

 

 僕がちょっと自慢をすると九頭竜さんの口があんぐりと開いていた。そんなに意外だったかな。彼女ができたっていうのは。

 確かに僕の周りに女の子はいないから想像もできないのかもしれない。

 

「上手くいくのはわかってるので祈ったりしません。たとえ殴られても愛情の裏返しですからね?」

「まあ、殴られるようなこともあるかぁ。包丁が出てこなければよしとするか」

 

 そんな情けないことを言いながら九頭竜さんは空さんが一人暮らしをしているマンションに向かった。そのままお泊まりコースなんじゃないかな。

 小学生を一人で家に置いておくのはどうなんだろうとも思いつつ、焚きつけちゃったものはしょうがないと思うことにした。

 後日、空さんから「ありがとう」というメールが来た。それだけで色々と察したのでこれ以上は口を挟まないつもりだ。

 お幸せに。

 

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