黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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第1章 因縁の幕開け
1.東の王者


 

 

 

 

 

 

 

 今年の四月、俺は高校生になった。

 

 

 推薦も使ってないし、受験勉強に追い込みをかけたのは冬からだったから合格は奇跡みたいなもの……つーか本当に奇跡だった。もしダメでも一年遅れるくらい構わないからと、好きなようにさせてくれた爺ちゃんには頭が上がらない。

 この受験で一生分の頭脳労働をした自信があるから、入って授業についてけるかは分からない。けど受かりさえすればこっちのものだ。後はどうにでもなるだろう。

 

 入学式は昨日終わったが、今日も年間予定の説明や部活動紹介なんかを延々と聞かされる退屈な授業ばっかりで他に予定は無い。爺ちゃんは当分の間帰宅が遅くなると言っていたし、俺も放課後の時間は部活に充てようと思っていた。

 

 俺はそのまま真っ直ぐに体育館に向かっていた。

 さすがに伝統校らしく、体育館はでかくて分かりやすい。しかし校舎を見た時も思ったが歴史を感じるというか、もっと言えば古臭い建物だった。中を覗けばバスケ部がオールコートで練習を行っていた。三年のレギュラーらしき人が、ディフェンスを交わしてシュートを決めている様子が遠目に見える。熱気と掛け声で、館内はかなり蒸し暑かった。成程、建物はボロくても部活はまともらしい。

 仮入部希望者は俺以外にも大勢居て、上級生同士の激しい練習を眺めながら、いちいち感動したような声を上げている。出遅れて到着した俺に、何人かが視線を向け、目を見張ったが、気まずそうに逸らしていった。まあ、その反応が普通だろうな。

 婆ちゃんか曾婆ちゃんがロシア人の血を引いていたらしく、その遺伝で俺の髪は生まれつき色が薄い。薄いを通り越して、白い。見ようによっては銀髪にも見える。

 たまに道端でチンピラみたいな連中が紫とかオレンジとかもっとすごい色に染めてたりするから、今じゃありふれた色かもしれない。こういうちゃんとした学校じゃ悪目立ちが凄いけど。

 

 俺も一年生の中にちゃっかり混ざって練習を眺めていると、上級生の一人が俺達に更衣室の場所を教え、さっさと練習着に着替えるよう命じた。

 いつまでも群れていて邪魔だったのだろう。

 

「おらおら、一年共うるせーぞ!! ボサッとしてねーで一列に並んで名前と希望ポジションだけ言いやがれ! ちんたらしてっと轢くぞ!!」

 

 制服から手早く着替え、体育館から戻った矢先に、上級生の一人が怒鳴った。あんまり迫力のある一喝だったので、俺の左隣にいた一年が震えた様子が見える。

 おいおい、今の高校バスケ部ってこういう感じの熱血なのかよ。

 上下関係があるのは分かっているが、先輩風を吹かして怒鳴り散らしてるような連中がいるんだったらうんざりした。レギュラーに混ざってない所を見ると、二年生か? 茶髪の二年は一年生を横に整列させると、端から順番に名前を聞き取り、手にしたクリップボードに手際よく書き取っていった。改めて並ぶと新入生の数は多く、優に三十人は超えている。これが何人残るのかと、どこか他人事のように考えた。

 

「一年の川崎、SG(シューティングガード)希望、と。おら、次! って……裕也?」

「よう兄貴、朝ぶりだな。自己紹介するまでもねえけど、一年の宮地。希望はSF(スモールフォワード)だ」

「ははは、ここでは俺が先輩だぞコラ。敬わねーと撲殺するからな」

 

 俺の右隣にいた茶髪の新入生は、どうやらこの二年と兄弟らしい。ぼんやりと思っていたら、名前を呼ばれたのに反応が遅れた。茶髪の二年がいつの間にか目の前に居て、俺よりもやや高い位置から見下ろしている。

 あんなに口汚い癖に、近くで見た顔が幼くてちょっと戸惑った。俺の異質な髪色を見ても怯んだ様子は無い。

 

「よし、お前。名前とポジション」

「一年の雪野 瑛(ゆきの あきら)です。ポジションは別に……」

 

 特に希望は無かった。昔は固定したポジションについていたが、どこに割り振られてもこなせる自信はある。

 その瞬間、目の前に星が舞った。

 

「っ痛い!?」

「んだ、そのやる気のねー態度は!! おい、他の奴らも聞いとけ! 一年だろーが何だろーが、ここでは容赦は一切しねー! 舐めた態度取ってる奴から締め上げるからな!!」

 

 脳天を貫いた痛みに、思わずうずくまりかけた。茶髪の二年が、持っていたクリープボードで思い切り頭を引っぱたいたのだ。しかも角を使ったぞ、こいつ。めちゃくちゃ痛い。

 

「おいおい宮地、相手は一年なんだ。その辺にしとけよ」

「ああ? 甘い事言ってんじゃねーよ。こういう事は最初が肝心なんだ」

 

 もう一人やってきた坊主頭の二年が、茶髪の二年をなだめている。

 

「お前大丈夫かよ。もうあんな態度取るんじゃねーぞ、兄貴はやる気ねー奴には手加減しねーからな」

 

 と、隣の茶髪の同級生が呆れたように言った。

 忠告だとしたら、もう二分くらい前に頂きたかったものだ。運動部の縦社会の洗礼は、ブランクから復帰した身には刺激が強すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広々した体育館には、暫くの間上級生の掛け声とドリブルの音、バッシュのスキール音が反響した。ウォーミングアップを終えた俺達は休憩もそこそこに、フットワークに移っている。アップの時点で体力切れを起こした新入生が、入り口の辺りで涼んでいたがすぐどやされた。出る杭にはなりたくないので、俺はさっさと次のメニューに加わっている。

 

「おら一年! 声出てねーぞ!! ほら、そこ! 床に足ついてねーぞ! ちゃんと走れ!!」

 

 先程、俺達の名前を聞いていた茶髪の先輩──宮地清志というらしい──の掛け声が一番大きかった。ほとんど怒鳴り声に近いものだったので、一年は萎縮してしまっている。

 

「っ痛!?」

「休むんなら水分取れ! ここでぶっ倒れんじゃねーぞ」

 

 また視界に星が舞った。

 おいコラ、指示を出すなら口で言えよ口で。

 

 十回目のシャトルランを終えた所で、気を抜いて立ち止まってしまった時だった。宮地兄は口より先に手も足も出る奴らしく、俺は初日から目を付けられていた。ここまで好き勝手に殴られると軽めに殺意が芽生えるが、相手は先輩。俺は忍耐を総動員して殊勝に振る舞っていた。

 

 隣で走っていた、同じ一年部員が気の毒そうにこちらを見ている。おい、止めろ。その哀れみの眼差しは。

 バスケの強豪校というだけあって、入部希望者は全員が経験者であり、練習メニューの運びにも慣れていた。情報に疎い俺は他の入部者までは流石に分からなかったが、入部早々、先輩に怒鳴りつけられて、不満そうな顔をしている奴らが居る事は分かった。

この様子では明日にも、人数は半数くらいに減っているかもしれない。体は疲労が溜まっているのに頭は冷めていて、そんな予想をしていた。

 

 その後ステップのフットワークを数種類やり終え、10分間の休憩に入った。一年生の過半数はぐったりしていて、汗を拭いたり、水分を補給しながら疲れた手足を投げ出している。茶髪の同級生、宮地弟が膝を落としながら息を整えているのが見えたので、飲み物を渡してやった。

 

「大丈夫? 飲んだ方がいいよ」

「お、おう。サンキュー」

 

 俺の髪色を見て一瞬戸惑ったようだが、飲み物は受け取った。すると宮地弟は、感心したように言ってきた。

 

「お前、すげーな。あんなに走ったのにへばってねーのかよ」

「え? あ、いや僕は顔に出ないだけだよ。ついてくのがやっとだって」

 

 中学の時に蓄えた体力が残っていただけなので、謙遜でも無い。

 新入部員のほとんどは体育館の冷たい床に体を投げ出して、熱と疲れを回復させようとしていた。立っているのは片手で数えるくらいだけだったが、俺はそんなに平気な顔をしているように見えたらしい。

 

「宮地君だっけ? あの先輩がお兄さんなの?」

「は? 何で知ってんだよ」

「いや、さっき自己紹介の時に隣で言ってるのが聞こえて」

「え、あー! あれか……」

 

 この同級生は目つきがキツい癖に、話してみれば気さくな奴だった。

 一学年上の兄がバスケ部に入っていて、その繋がりで自分もバスケ部入部を決めていたことや、「東の王者」と言われる強豪校である以上、練習の厳しさも覚悟の上である事を、ポツポツと話していった。

 

「雪野も中学じゃバスケやってたのか?」

「あー、うん。早めに引退したから、結構ブランクあるけどね」

 

 俺がはっきりしない答えを言った時、休憩終了の声が響いた。

 あまり追及されたくない話に進みかけていたので、正直ほっとした。

 休憩明けにはボール練になった。とはいえ、新入部員の人数の都合上、全員が一斉にという訳にはいかない。レギュラーと上級生があくまでも優先であるし、交代でドリブルとパス練習を行っていく。

 ボール捌きには澱みが無いものの、ほぼ初対面同士のパス練習になると拙さはあった。俺はそれよりも中三以来のバスケットボールの感覚が懐かしくなった。あれだけ時間を置いても体が無意識に覚えているから、慣れとは恐ろしい。

 

「調子はどうかな」

「うわあっ!?」

 

 ふと、いきなり人の気配が現れた。

 やや間延びした喋り方。熱気のこもった体育館には不似合いのスーツを着た男性。

 秀徳バスケ部の監督だった。

 

「……驚かせないで下さい。誰かと思いました」

「やあ、すまないね。様子を見に来たかったものだから」

 

 くたびれたような印象がある癖に、どこか掴めなくて、前に会った時も苦手だった。

 本当にただ新入部員の様子を見に来ただけらしく、俺だけでなく、他の一年の様子も眺めていた。

 

「ようこそ、と言いたいけどうちは厳しいからね。これから頑張りなさい」

 

 分かったから早く行ってくれ。

 俺の願いが通じた訳じゃないだろうが、監督は肩だけ軽く叩いてレギュラー陣の方に歩いていった。練習中である事を気遣ってくれたのだろうが、あまり注目されたくもないから、わざわざ声をかけないでほしい。宮地弟が、そのやり取りを怪訝そうに見ているのが分かったが、俺は気付かない振りをした。

 

 頑張れ、と言われたものの、心の中で肩を竦めた。

 ここで俺は、下っ端の下っ端、底辺からのスタートなのだ。いや、中学の部活の規模を比べれば寧ろマイナスだろう。部員の絶対数が段違いだし、ここから5つしかないスタメンの奪い合いなんて気が遠くなる。普通に、平和にバスケしていられたら、今は何も望む事なんて無い。

 

 そう、思っていた筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◇◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通学路で、毎日蝉の鳴き声をやかましく聞くようになってきた時期だった。

 

 夏、秀徳はインターハイ予選を順調に勝ち進んでいた。

 順調過ぎて、些か面白味に欠けるくらいだ。元々、激戦区である東京は出場校数が多いが、上位は常に三大王者が独占してしまっているらしい。

 大会には一年も応援として勿論集まったが、今回は数名がベンチ入りする事になった。メンバーには下級生では一番背の高い室田、体格のいい金城、……そして何故か俺も呼ばれていた。本当に訳分からん。

 現状は、レギュラーの三年と二年で初戦からほとんどダブルスコアで対戦校を下している。特にこっちでセンターを務めている二年の大坪の働きが大きかった。ベンチから見ても、ゴール下であの先輩に競り勝てる奴は居ないだろう。俺もあんなゴリゴリの筋肉に当たれって言われたら、頼まれたって拒否したいな。

 室田は好戦的な性格なので出場を期待していたようだが、この様子じゃ俺達に出番は無いだろう。そもそも一年なのだ。俺は試合を終えた先輩方へ氷嚢やタオルを渡したり、裏方作業に黙々と励んでいた。強豪校である癖にマネージャーがいないので、こんな時は地味に不便だ。

 

 異変が起きたのは、予選決勝リーグでの第一戦目の出来事だった。

 決勝リーグには秀徳も含めて東京三大王者と言われる高校が出揃っており、正にそうそうたる面子でのリーグ戦が始まろうとしていた。秀徳の一戦目は、その三大王者の名前の列に霞むようにして存在していた無名の高校との対戦だった。

 

「つーか、あそこってどこの学校だよ? お前、知ってる?」

「去年出来た新設校だよ。ほら、ミーティングで監督が話してたでしょ」

 

 ふーん、と室田が興味なさそうに言った。

 監督が言うには対戦校は去年出来たばかりの新設校で、選手も全員一年生だけだ。こっちからすればレギュラーの調整に使ってやっても釣りが出るくらいの格差だろう。

 そんな奴らがよく決勝リーグまで残れたもんだなと思うけど、本当に強いのか、只のマグレ勝ちか。

 

「監督は、あの学校の事知ってるんですか?」

「ああ、うん。ちょっと気になる選手が向こうのチームにいてね。確かセンターをやってる筈なんだが……」

 

 監督が相手チームのメンバーを確認した時、僅かに訝しんだような顔になった。

 俺も人の事を言えないが、あまり表情を変えない監督の様子が少々気にかかる。だが、目の前で始まった試合にいやでも意識は集中する事になった。

 

 試合はやはり、こちらがリードする形で進んでいた。

 が、敵も雑魚って事は無かった。点を取られても取り返し、逆転、は無理でも善戦しているように見える。最初に思ったみたいなワンサイドゲームにはならなかったのが意外だった。

 こっちのメンバーは二、三年ばかりで地力の差が明らかなのは敵も分かっている筈なのに、しぶとく食らいついてる。

 けど、試合らしい試合になっていたのも中盤までだった。第2Qも半分を切った所で、こちらとの点差はじわじわと開き始めた。敵チームにはまともなスコアラーがいないのか? 後半から3Pなんてろくに入ってない。ベンチでは勝利確定の緩い雰囲気が流れているせいで、俺も呑気に敵チームの観察を始めていた。

 

 コート内で異変が起きたのは、その時だった。

 突然響いた鈍い悲鳴が、スキール音とドリブルの音を掻き消した。

 ゴール下に秀徳側のPFが足首を抑えながらうずくまっている姿と、突然の出来事に固まっている敵チームの姿が見える。

 監督がレフェリータイムを取り、異変を訴えたレギュラーが急いで回収されていく。

 担架で人が運ばれていく光景に、一瞬嫌な出来事を思い出して、俺は息を止めていた。監督の説明が耳に届いて、はたと我に返る。

 話によれば、PFである三年の先輩は足首の筋を痛めているらしく、一旦試合から下げるとの事だった。元々オーバーワーク気味であったそうだが、ゴール下に残っていた汗で着地に失敗した事も重なったらしい。

 降って湧いたアクシデントだがベンチのレギュラー陣にそれ程慌てた様子は無いのは流石だと思った。タオルを手渡しながら感心する。ほとんど消化試合に近い内容なのだ、万全のメンバーで無くても勝つ自信はあるのだろう。

 三年の主将が汗を拭いながら、冷静に訊ねた。

 

「しかし監督、牧村の代わりとなると誰にしますか? 体格で言えばやはり太田を入れますか」

「うむ、そうだねえ……」

 

 顎に手を添えながら、監督は何か思案するように黙った。

 不意に、その視線がベンチの隅でぼさっと成り行きを眺めている俺を捉えた。背筋を冷たいものが這うような感覚を感じる。

 

「雪野、お前が出ろ。マークはそのままだ」

「は!?」

 

 声が裏返った。

 レギュラー陣の先輩方は更に驚いたようで、主将が監督に問い直している。

 当たり前だ。いきなりの人選に、ベンチには疑問と困惑が広がっていたが、しばらくして主将は納得してしまった。最初から格下相手の試合であるし、一年を一人くらい投入しても構わない──と判断したのだ。

 いやいやいや、もう少し熟考してほしかった所だ。しかし丁度その時、無情にもタイムアウト終了のブザーが鳴り響いた。

 

「いきなりだが、落ち着いていけ。4番マーク頼んだぞ」

「……はい」

 

 俺を気遣うように、主将が軽く背を叩いた。この状況で俺の意志なんて無いも同然である。出るしかない。緊張なんてしないが、こんな形で出場したくはなかった。

 敵チームの4番マークにつくと、相手からの怪訝そうな視線を感じた。俺もこの状況は予想外そのものなので、密かに失笑が漏れた。

 

「……おい、お前もしかして一年か?」

「そうだけど」

「……ハッ、格下相手には本気出すまでもねえって事かよ」

 

 その4番は、眼鏡をかけた穏和そうな人だったが、随分荒っぽい言葉を使うので驚いた。確かに相手からすれば、馬鹿にされていると思うか。

 

「そんなつもりはないよ。まあ、お手柔らかにね」

「……っなめやがって……!」

 

 今のは余計な一言だっただろうか、と思ったが試合に集中する事にした。

 後半開始のブザーが鳴った。次はこちらが攻撃する番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インターハイ決勝リーグ、秀徳高校対誠凛高校の試合は161対45の結果で幕を終えた。

 秀徳の予選試合中では、これが最高記録のスコアであったらしい。

 

 俺にとっては、この日の試合が高校で初めての公式試合となった。

 そして近い内に、代理ではなく正式なレギュラーとしてコートに立つ日が来る事を、この時はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 


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