海常高校との練習試合が決まった直後の時だった。
「海常と試合するのは初めてですねー……」
練習着から制服のシャツに着替えていたら、ぼんやり独り言がこぼれていた。するとそれを聞きつけたのか、後ろにいた宮地(兄)にいきなり頭を引っぱたかれた。
この人、後輩はとりあえず殴っとけばいいぐらいに思ってるよな。
「聞いた事あるような、じゃねーよ! 何、初めて聞いたみたいな顔してんだ。去年の
「……そういえばそうでした」
「分かってねーだろ、おい。
っとに、いつになったら他校の事に関心持つんだよお前は。鳥頭なのはテストだけにしとけ、焼くぞ」
「すいません、他校の事覚えるのは苦手で……」
薄い色素の目が疑わしそうに俺を睨めつける。只でさえ練習後の運動部がぞろぞろ集まってサウナじみて蒸し暑いのに勘弁してくれ。
空調の一つも入れてほしいくらいなのに、悲しいかな、費用の問題で未だに実現されていない。
「あ、雪野さーん。なら良いもんありますよ?」
助け船とも言わんばかりのタイミングで話しかけてきたのは高尾だった。
その手には1冊の雑誌を見開きにして示している。
「……? 良いもんて、それ?」
「反応薄っ!! 今月の月バスですって! ほら、海常とか全国の
俺より高尾の方が楽しそうに見ているのは気のせいか。
月バスの見開きのページには、確かに「全国強豪バスケ部・注目PG」と大きい見出し共に東京都から始まって各校の選手が細かく紹介されている。
そういえば去年も大会直前の時期には、こんな特集記事が出てたな。引退した三年生達がそろって眺めていたのを思い出す。
そして高尾が示したページには、試合中にチームメイトに指示を出している様子の、青いユニフォームを着たスポーツ刈りの選手が載っていた。
写真の顔を改めて見ると、色々と記憶が蘇ってきた。
IH予選の帰りの雨と、お好み焼き屋。そこで誠凛と一緒に、黄瀬涼太と居たPGの三年生。
「高尾君って、このカサマツさんのファンなの?」
「えーそりゃあ、レベル高い選手なら誰でも注目しないっスか? 俺とはポジション同じだし、参考に出来るとこ多いんですよねー」
「ふーん」
「……んだよ、この記事。PGの特集なのに秀徳は全然載ってねーじゃねーか、燃やすぞ」
「宮地さん、一応俺の私物なんで止めてください」
宮地の物騒な予告を高尾がやんわり止める。
海常高校の記事には、「神奈川随一の強豪校。主将の笠松君はドライブに長け、優れたキャプテンシーでチームをまとめている」と、よくある紹介文がつらつら書かれていた。
と、カサマツさんが真正面から相手を睨みつけたような写真があり、何だかその視線から逃げたくなって思わずページを閉じた。
****
そして今、俺はあの時の記事に載っていた人間と対峙している。
笠松さんとかいうPGで、海常の主将。
…何かさっきから見られているような気がするけど、気のせいか?太めの眉の効果もあって視線の圧力を感じる。
ジャンプボールは主将が制し、ボールは高尾に渡った。
バスケ部全体で見てもあいつは一番パス回しが上手い。先制のボールは高尾が持つ事が多い。
一瞬全体を見た後、すぐ高尾から宮地(兄)にボールは渡った。
高尾のマークについているのは笠松だ。
身長で言えば高尾とそう変わらないのに気迫の違いを感じるのは、流石4番って所だ。
宮地が張り付いているマークを振り切ってドリブルで突っ込む。
シュートした直後、海常の
「ッバーン!!」
……俺の近くにいた海常のPFが何か叫びながらジャンプした。
もうシュートしてんのに飛んでどうすんだよ。うるさいし。試合中じゃなかったら耳を塞ぎたい。
(秀徳)2対0(海常)。
とにかく、こちらが先制をもらって、周りに大勢いたギャラリーから失望したような声が聞こえた。
「何だ何だ、露骨に海常贔屓しやがって、焼くぞ」
「煽らないでください宮地さん……」
宮地が元ヤンもかくやという笑顔で呟いている。
気持ちは分からなくもないけど、発言がFギリギリだから焦る。
ギャラリーにイラついたのか、続いて宮地の特攻でまた得点が入った。この先輩も結構熱くなるタイプだ。というか、緑間が抜けている分日頃の鬱憤を晴らしているのかもしれない。
海常ボールでリスタート。
海常は笠松から6番にボールを渡した。場所は3ポイントラインの僅かに外。
そのままシュートする。……フォームが、変だけど。
くるくる回転のかかったおかしな投げ方をされたボールは、それでもネットをくぐった。
最近は緑間のお手本通りのフォームをいっつも見てるから、こんな変化球バージョンの3Pは久しぶりに見た。つーかよく入るなあれで。
まっ、3点取られたなら3点取り返せば済む話だ。
俺にボールが回る。笠松さんがまたしてもディフェンスしてきたけど、バウンドパスで時田に渡した。時田が3ポイントシュートを決める。
時田は今や数少ない三年生の
点差は(秀徳)5対3(海常)。
「よしっ!! このまま行くぞ!」
ゴール下の大坪主将の号令で、攻撃のペースは決まった。
こっちの攻撃は宮地中心で進めていた。
高尾も緑間不在の試合運びは心得ているから、宮地の方にパスを回している。
このメンバーなら特攻に向いているのはドリブルが得意な宮地だし、高さもある。…あとはまあ、俺もあんまりゴール下から動いてないのもあるが。
エースがいないのは海常も同じ。自力はほとんど変わらない条件になると、ダラダラ試合を進める理由はない。最初から点の取り合いになった。
海常側が速攻でパスを回し、それを追いかける。
大坪主将がリバウンドで取って、カウンター。またコートを縦断する。
第1Qから相当ハイペースに点が重なり、時間が経つ。
宮地が続けざまにペネトレイトを仕掛けようとしたが、海常の眼鏡のSFに阻まれて止まる。
傍にいた時田にパスを出し、また3Pが打たれた。
しかし勢いをつけ過ぎたのか、シュートはリングに当たって弾かれる。
「リッ……バ──ン!!」
だからうるせぇ!!
真後ろで叫ばれて集中が狂った。空中を舞っていたボールは、海常のPFが両手でキャッチする。
──すぐ傍には大坪主将もいたのにリバウンドで競り勝った事にはちょっと驚いた。
「よし早川!!」
海常の
第1Qが終わった時、点数は(秀徳)16対14(海常)。
様子見で終わるかと思っていたが、予想以上に海常側も攻めてくるから最初からハイペースな展開になった。
向こうもエース不在だからもっと慎重に来るのかと思ったがとんでもない。遠慮なしに攻撃を仕掛けてきたから驚いた。
初っ端から息を荒げている俺達を見回して、監督が言った。
「うーん。思っていたより向こうの勢いに押されてるねえ。点数ではこちらが上回っているが、リードしているとは言えない状態だ」
主将達も神妙な面持ちで聞いている。
俺とは違って、上級生なんかは海常の事をよっぽど知っているから舐めてかかってる筈がない。誠凛の時は格下相手の油断があったかもしれないけど、今度は明らかに対等かそれ以上の相手だ。言い訳が出来ないような張り詰めた空気があった。
「高尾は引き続き笠松のマークに。大坪はリバウンドを取られるな。ゴール下の陣営についてはうちの方が有利だ。それから──」
「監督、次から俺を出して下さい」
遮るように言ったのは、今まで黙り込んでいた緑間だった。
「……おい、監督の話聞いてなかったのかよ。お前の出番は後半からだろ」
「このままでは後半までに点差を付けられかねません。黄瀬が来る前に、俺が入った方がいいです」
「んだと!?」
宮地が危うくキレかけたが、後ろにいた木村が押しとどめるように肩を抑えた。
……いつもの物騒な暴言が出てこない辺り、今のは本気でキレかけたのかもしれない。確かに緑間がこんな言い方したんじゃ、代わりに出てる時田の立場がない。
隣にいる時田は平然とそれを聞いてるけど俺が居たたまれないわ。
「なーに、真ちゃん。黄瀬が居ないのにやる気満々じゃん! もしかして笠松さん達見てて燃えてきちゃった?」
「関係無い。誰がいようと俺は人事を尽くすだけだ」
三年陣(主に宮地)の機嫌が全力で下降していってるのが見えねーのか。
「ダメだ。黄瀬が出ていない以上、こっちも切り札を見せる必要はないよ」
「本日のワガママ3回分を行使します」
「うーん……そうだねえ」
監督が考える素振りを見せる。俺達も思わず注目した。
「でもダメだ」
「何故ですか!?」
緑間に割と甘い監督がここまで突っぱねるのも珍しい。やっぱり練習試合にエースをわざわざ出す気はないのか。
緑間の顔には分かりやすく納得出来ないって書いてあるけどな。
「少し落ち着きなよ、緑間君。負けるって決まった訳じゃないんだし、それにこれは練習試合なんだから」
「………………」
「緑間君?」
練習試合くらい先輩を立ててやれよって含みで言ったら、緑間にものすごい目線で睨まれた。いや睨んだ……っていうより、呆れたような素振りをされた気がした。
でも謎を解決する間もなく、試合は始まる訳だが。
第2Q開始早々に、仕掛けてきたのは海常の方だった。
笠松が自分からドライブで突っ込み、特攻してきた。
マークについていた高尾をあっさりと抜いて、一気にゴール下にまで持ち込んでいく。
俺が正面からディフェンスに向かうと、笠松は不意に足を止めた。
ボールはSGの6番にパスされる。
まさかPGが直接来るとは思ってなかったから一瞬反応が遅れた。
森山とかいったSGが、またおかしなフォームでシュートを決める。
(秀徳)16対17(海常)。
宮地(兄)がスコアボードを見て小さく舌打ちした。沸点の低い人だ。
そしてポジションにすぐさま戻ろうとした時、すれ違った笠松と視線が交錯した。
「──―黄瀬がいないからって楽に抜かせられると思うなよ」
「別に舐めてませんけど……意地悪してるのはそっちじゃないですか?」
「やられたら倍返しは基本だろ」
カマかけ半分で言ったら、笠松が少し笑ったように見えた。
第1Qでは欠片もそんな気見せなかった癖に、第2Qになっていきなり陣形変えといてよく言うぜ。
笠松がマンツーマンで他はゾーンディフェンス。しかもマンツーの相手は高尾だ。
狙い撃ちにしてんのが見え見えだ。確かにスタメンで一番高さが劣るのは高尾だし、
……だとしても練習試合でここまで露骨な事するか? 狙ってやってんならあの4番見かけによらず性格悪いぞ。今吉さんじゃあるまいし。
今度は高尾がボールを手にしたが、パスする直前に笠松がマークにつき、続いて眼鏡の
それでも鷹の目で死角を見抜いたのか、高尾が時田にノールックでパスを出した。
──成程、そういう事か。
時田がパスを受け取りシュートモーションに入る瞬間、既にマークについていた森山にカットされた。森山が逆サイドに進み、今度は敵のSGがシュートモーションに入る。
──―動きが停止したその隙に、今度は俺が森山からボールをカットした。
後方にいた宮地(兄)にワンバウンドしてからパスを送り、今度こそシュートにつながる。
ゴール下は俺、大坪主将、海常のPF、Cの争いになる。勢いはほとんど拮抗しているけど、海常はパスの起点になる高尾を潰す戦略できている。
高尾のパスコースを限定させて、ボールを拾いやすくする作戦らしい。
「雪野、ナイス」
時田が控えめに声をかけてきたので、軽く頷く。
「ちょっと押されてきたな、ここから返してこうぜ」
「はい」
そうは言っても、この展開はちょっと俺も不安だった。
海常側がゴールした事で、ギャラリーからまた歓声が聞こえる。
****
第2Qが瞬く間に終わり、お互いに10分間のインターバルに入った。
正規の試合では無いから、海常も秀徳もベンチ周りで簡単に休息を取っている。そして俺達は、監督が口を開くまで全員が沈黙していた。
点数は(秀徳)32対40(海常)。海常にリードされ始めていた。
「ふむ、さすが神奈川の強豪なだけあって手強いね」
こんな時でも監督は随分呑気な声である。この人もこの人で、焦るって事がないのか。
まあ、練習試合だから監督にとっても「強豪との調整」か「緑間抜きでの試合運び練習」くらいにしか捉えてないかもしれない。
ふと見ると、右隣の宮地が苛立ちを抑え込んだようなすごい顔で水分を取っていた。
笑ってるのか怒ってるのか分からないけど器用なもんだ。
「あ~~~くそっ! チマッチマしたやり方しやがってよー! 轢こう、もう轢いていいよな? 木村ぁ、後で軽トラ貸せ」
「法に触れない範囲で使ってくれよ……」
「まあ相手の隙をつくのは戦略として常道だからね。向こうの4番はその辺りを分かっているよ」
監督が感心したような様子で呟く。
俺もそれは同感だった。海常側が予想外の戦略を立ててきたから俺も主将達も戸惑っていた。
強豪って言うからには力押しでガンガン攻めるだけかと思っていたし、第1Qは攻撃中心だった。
それが第2Qでいきなり攻め方を変えられたから混乱する。緑間が出ていない間に3Pを多用してくるのもその一つだろう。そりゃ緑間とSG対決するくらいなら他の三年と張り合った方が勝率はあるだろうけど。
体育館周りのギャラリーも海常贔屓の奴等が多いし、普段よりやりにくかった。
左隣にいた高尾はというと、さっきから汗を拭きながら無言だった。
いつも勝手にベラベラ喋ってる分、ちょっと黙ってるだけで変な感じだ。
「……高尾君、大丈夫?」
「……へっ? 何がっスか?」
「いや落ち込んでるのかと思って……」
「え? ええ? まっさか! そりゃ、ちょっとやられたなーって思いましたけど、もう俺も抜かれねーっスよ。いやあ流石笠松さんって感じっすねー」
思ったより元気そうなので、少し安心した。
集中してマークされたりダブルチームされたり、さっきは散々だったからなこいつ…。
「あ──―っ! 緑間っち! 良かったー! 間に合ったー!」
場違いに明るい声が体育館に響いたのはその時だった。
その瞬間、体育館中のギャラリーが一気に湧いた。主に女子生徒の黄色い声で。
体育館の入り口から女子の視線を独占しながら現れたのは、海常側のエース、「キセキの世代」の黄瀬涼太だった。
金髪が青いジャージに映えて目にチカチカするように見えた。
遅れてきた登場なのに、まるで出番を待っていた主役みたいに様になっていた。
実際、海常側からすれば待ちに待った人間の到着だから、似たようなもんだろうか。
「よかったー試合間に合って! あ、今休憩中っスよね? 俺も着いたばっかなんですぐに準備するから──」
「黄瀬ぇ!! てめえ遅刻しといて何油売ってんだ!!」
海常側のベンチから笠松が一喝すると、ほぼ同時に黄瀬に跳び蹴りを入れていた。……跳び蹴り?
けど海常の他のスタメンは、慣れたように何も言わずそれを見ている。
「キセキの世代」でエースなんだよな?こういう扱いされていいのか……?
ふと桐皇の青峰が思い浮かんだけど、いや、本当なら後輩相手にはこんな感じの対応が普通なのか。
「モデルとは聞いていたが……何というか流石だな」
「妙にチャラチャラしてんな。轢きたくなるぜ」
「宮地に言われたくないと思うけど…あ、いや深い意味はねーって。怒るなよ。
一年はあんなのばっかりだろ。うちだって高尾とか泉も似たような感じだし」
「ちょっ、俺も同列ですか!?」
黄瀬涼太は現れるなり、体育館にいたギャラリーの声援(ほぼ女子)をさらって爽やかに海常側のベンチに戻っていった。ついでに秀徳の負のパラメーターも上げていった。宮地の笑顔までますます黒くなっている。
「緑間君、何か話さなくていいの? 呼ばれてたけど」
「別に話す事などありません」
こいつらが友達なのか、同中の縁があるだけなのか分かんねーけど、あんな親しげに呼び掛けてくれた相手をガン無視ってのはどうかと思うぞ。
緑間は黙ってバッシュの紐の結び具合を確認していた。…ああ、話すのは試合の中でって事。ベンチにずっと置いていた金魚鉢の位置が気に入らないのか調整している。
ラッキーアイテムだか知らないけど、こいつの奇行にもかなり慣れてきた自分に何とも言えなくなった。
とにかくこれで、後半から向こうも黄瀬を出す事は確実だろう。
そうなるとこっちもエースとして緑間を出すしかない。戦力は互角になる。
監督の眠たげな目が、緑間をちらりと見た。
そうだよな、キセキ同士、ここは緑間に──―
「────よし、後半からは緑間も出ろ。時田と交代だ。
黄瀬のマークには雪野、お前がつけ」
って、え?