黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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26.再び巡り合う

 

 

 

 

 

 

「雪野さん、俺明後日から合宿行ってくるわ」

「え、そっちも?」

「え?」

 

 夕飯の最中、火神が思い出したように呟いた言葉に箸が止まる。

 

 誠凛も秀徳もほぼ同時期に夏休みに突入していたようで、その日の晩、俺達はそろって飯を食っていた。最近は火神も帰りが随分遅くなっていたから久々にまともに会話した気がする。

 ちなみに今日のメニューは素麺だ。今日は、っつーか今日も、だけど。

 ダイソンかって吸引力でざっと五人前は素麺を頬張りながら、年下の家主は続けた。

 

「この間カントクから説明されたんスよ。何か、夏休みには海と山で合宿するみたいで」

「二回やるんだ……すごいね……」

「そっちもあるんスね」

「毎年一軍が海で合宿するのが伝統みたいでね」

 

 去年の地獄の夏休みを思い出す。

 あのサビれた宿と鬼のような練習量。まして俺も下っ端の一年だったから扱きのレベルが半端じゃなかった。またあの鬼畜トレーニングを味わう事になると思うと、早くも食欲がなくなってくる。

 

「あれ、雪野さんもう食べないんスか?」

「ああ、何か食欲なくて……。…………ていうか、胃もたれして……」

「ふーん、じゃあもらうっスよ」

 

 俺のザルから麺を取って軽く一口、二口でモリモリと平らげていく。

 こいつの胃にはブラックホールでも内臓されてんのか……。見てるだけで胸焼けしてきた。

 

 まあ、食欲があるならいいけど。

 IH(インターハイ)決勝リーグで負けてからしばらくの間、ずっと自分の部屋に引きこもって出てこねーし、普段から人の三倍は食べる癖に晩飯も食ってる気配がねーから、死んでるんじゃねーかって不安になった。

 

 誠凛の方で何があったか知らねーけど、あの主将か女カントクさんか、それか黒子と話でもしたのか。どっちにせよ、立ち直ってくれたんなら良い事だ。

 

「………………」

「? ……どしたんスか」

「いや、別に」

 

 何枚平らげる気なんだ、こいつは。

 椀子そばの如く積み重なっていく素麺の皿を眺めていた時、携帯電話の着信音が聞こえてきた。俺のものにメールか何かが来たようなので、開いてみる。

 そして、絶句した。

 

「………………」

「?? 雪野さん? どうかしたんスか?」

「ううん、ちょっと目眩がね……」

「え、本当に大丈夫スか?」

 

 突然受けた知らせに現実逃避したくなったが、秀徳バスケ部も夏合宿までカウントダウンが始まっている。今からでも不参加に出来ねーかな……と叶わない願いを抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑い。

 

 今年の夏は例年に無い猛暑だとかニュースで言ってたけど、マジで暑い。洒落にならないレベルで暑い。

 世間一般じゃどいつもこいつも夏休みに羽を伸ばてる真っ最中だっていうのに、俺はといえば、炎天下の朝っぱらから荷物を抱えて秀徳バスケ部の連中とむさ苦しく集まっていた。

 夏休みだろうが冬休みだろうが練習が変わらない(むしろ普段より鬼になる)のはどの強豪でも変わりないが、秀徳も例に漏れない。夏の合宿は毎年決まった場所を利用しているが、今年もそこで特訓という名の地獄を過ごす事になる。

 

 ただ合宿に関しては、参加メンバーは一軍だけだから普段よりずっと少ない面子だ。いつものスタメンのメンバーに、三年では時田、二年では宮地(弟)や金城も来ていた。…それでも合わせて十人ちょいくらいか? 改めて見ると随分人数が減ったと思う。

 春にごっそり三年の退部騒動があったり、予選リーグの時に室田が辞めたりしたせいで、天下の秀徳も寂しくなったもんだ。一年なんか緑間と高尾くらいしかいないんじゃねーか? 

 

 そして今は合宿施設に向かうべくバス待ちの状態な訳だが、監督がなかなか来ねえ。

 何やってんだあのおっさんは。まさかこうして夏の空の下に立たせておく事がトレーニングとか言わねえよな。

 

「おい緑間、何だよその荷物」

「何がですか?」

「何がですか、じゃねーよ。合宿にどんだけ荷物持ってく気だよ、観光気分か」

 

 緑間の手前にあるキャリーケースを指さしながら、イライラを隠し切れずに宮地(兄)が言う。いや……うん、気持ちは分かる。

 だってすげーでかい。Lサイズって奴か?爺ちゃんが海外に出張行く時に使うような特大サイズのケースが緑間の足元に置かれている。しかも当の本人は別にショルダーバックを持っているし、一人だけ何泊する気なんだって装備だ。

 

「宮地さん怒んないで下さいって! これには真ちゃんのラッキーアイテムが入ってるんですから手放せないんですよ!」

「はぁ!? 合宿でこんなに必要になる訳ねーだろ!!何日泊まる気だよ!」

「ラッキーアイテムの候補も入っているから必要です。おは朝はその日にならないとアイテムが分からないので」

 

 このクソ暑い中でも緑間は元気に電波を受信している。

 宮地もこの熱気で余計にイライラしてるみたいなのに、緑間が油を注ぐような事ばっかりするから騒ぎが収まらない。

 

「しかも何だよそのカイロ!このクソ暑い日に!」

「これは今日の蟹座のラッキーアイテムです」

「全身にカイロ貼り付けて焼くぞ、マジで」

 

 この真夏日にカイロ指定って嫌がらせだろ!!今日確か最高気温30℃超えって言ってたぞ!?

 緑間、もうおは朝信じるの止めろよ…。

 

 やいやいと騒ぎ出した俺達の所に、中谷監督がのんびりと現れたのはその時だった。

 

「──よし、皆揃っているね」

「監督、一軍は全員集合していますが、連絡事項とは何ですか?」

 

 大坪主将が監督に訊ねる。

 俺は若干距離を取って、監督から隠れるような位置に佇んだ。

 

「ああ。急な話なんだが今年の合宿には、私の他にもう一人付き添いでトレーナーの方が加わる事になった。……ついこの前まで海外に出張されていて、日程が合うか分からなくてな。合宿前に皆に紹介しておきたくて時間を取ったんだ」

「トレーナー…ですか?」

「うちにはマネージャーもいないし、私以外の視点からの意見も聞く良い機会だからね。スポーツ医療の知識もある方だから信頼していいよ」

 

 聞き慣れない言葉に、大坪主将も、他のメンバーも少し困惑しているのが分かる。

 そりゃそうだろう。秀徳は人数が多い割には、今までマネージャーも無しに自分達の事は自分達で回してきて、責任者も中谷監督だけだったから、新しい参加者なんて珍しい。

 

 監督が促すと、ガラガラとキャリーケースを引くような音と小気味良い靴音が聞こえてきた。少しして現れたのは、監督よりも、どころか俺達よりも大分小柄でつばの広い帽子を被った人物だった。

 その人はサングラスを颯爽と外すと、俺達全員の顔を見回してにこやかに微笑んだ。プラチナブロンドの髪が日差しに煌めいて眩しい。水色のスラックスにワイシャツで涼し気だけど、色合いのせいで儚げにさえ見える。むさ苦しい男集団の中に、いきなり年齢不詳の人物が現れたもんだから、主将を始め周りの皆も、いつも騒がしい高尾まで啞然としていた。

 

 ……俺も別の意味で言葉にならない。

 

「秀徳バスケ部の皆、初めまして。臨時のトレーナーとして合宿に参加する事になりました、雪野大輔と言います。あ、(あきら)君! 久しぶり~何でそんな隅っこに居るんですか? いやあ、孫の瑛がいつもお世話になってます」

 

 その一言で、シン、としていた沈黙が弾けるように解けた。

 同時に俺は爺ちゃんの視線から逃げ出したけど。

 

「え、ええっ!? 雪野さんの、お爺……さん!?」

「マ……マジか? え……お父さんとか叔父さんの間違いじゃねーよな……?」

「いや、さっき確かに孫って言ったぞ。孫って」

 

 今ものすごく穴があったら入りたい……。

 何を光り輝く笑顔で手を振ってんだよ、あのクソ爺は。何でいきなり帰ってきて、しかもうちの合宿に加わってんだよ。

 

 爺ちゃんの発言でバスケ部全体がものすごいざわついているが、注目されたくなくて俺は緑間の背後に隠れるように移動していた。……おい、いいだろ別に。緑間が不審そうに見てきたけど、こいつ無駄にでかいんだからバリケード代わりになれよ。

 

「も~瑛君ったら、ちょっと見ない間にますますシャイになってしまって……。ああ、君が主将の大坪君ですか? どうも、祖父の大輔です。瑛君がお世話になっています」

「あ、ああ。これはどうも、ご丁寧に……」

「このバスケ部の子達は皆大きいんですね~。向こうでも通用しそうですよ」

 

 おい、主将と雑談始めるな。

 今の今までアメリカに出張していた祖父との二ヶ月ぶりの再会は、やっぱり普通にはならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達はガタゴトと乗り心地が微妙なバスに揺られながら合宿所に向かっている。

 席順は元々考えていなかった事もあって、何故か俺が爺ちゃんの隣に座らされてしまった。

 

 火神が誠凛の夏合宿に出発する前、俺の携帯に届いていた爺ちゃんからのメールを思い出す。

 

『瑛君、私も瑛君と一緒に合宿行きますからね~』

 

 その一文だけだ。

 まさか、いやまさかとは思った。突然の思い付きと行動力の化身みたいな爺ちゃんではあるが、いくら何でもアメリカに出張していて、いきなり秀徳の合宿に参加出来る訳ねーよな。

 

 何て甘く見ていたら、文字通りの結果になった訳だ。

 窓の外には町やら森やら、綺麗な風景が流れているけど俺は何も感動出来ずに眺めていた。

 

「もう嫌だ……合宿に爺ちゃんが来るとか何の拷問だよ……」

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか。私はトレーナーとして様子を見に来ているだけですよ?」

「仕事はどうしたんだよ、仕事は。それに! 帰って来てたんなら先に家の方を何とかしとけ! ずっと居座ってるよく分かんねー連中を追い出せよ!」

 

 監督や他のメンバーの手前、堂々と怒鳴れないのが苛立たしい。

 ひそひそと小声で話すと、祖父は相変わらず年老いて見えない顔をきょとんとさせていた。

 

 俺と爺ちゃんの元々の自宅はと言えば、約二ヶ月くらい前に、爺ちゃんが勝手に呼びつけた友人だか知人だかを泊まらせてしまって、住人の俺が追い出されるってバカバカしい事態になっていた。

 そのせいで火神の家に下宿する事になっているんだ。原因のクソ爺は海外なんかに行ってるし。合宿なんかに遊びに来てるより、それを早く解決してもらわなきゃ困る。

 

「えー……でも、私もしばらく出張が続きますから瑛君を一人にしておくのはちょっと不安なんですよね。別に、大我君の所にいればいいじゃないですか」

「そういう問題じゃねーだろ」

「折角友達が出来るようにしてあげたのに……何でそう一人になりたがるんですか、瑛君は。そうだ、今度辰也君とサーシャも呼ぼうかと思ってるんですよ。皆でパーティーとかやりません?」

「だから話を聞けって……いや、もういい」

 

 ダメだ、話が通じねえ。

 ちょっと日本を離れてたせいで日本語を忘れちまってんのかもしれない。この爺は自分が楽しければ本当に何でもいいんだった。どんどん暗くなっていく俺の心情とは真逆に空は快晴で景色は美しい。何か泣けてきた。

 

 俺は声を潜めて、隣のクソ爺に言った。

 

「部活覗くなら、もうこれで最後にしろよ。監督に何吹き込んだのか知らねーけど、大会前なのに爺ちゃんの面倒まで見切れねーんだからな」

「分かってますよ。皆さんの迷惑にはならないって説明してマー君にも了解してもらいましたし、高校生の子達の試合なんて久しぶりに見ますからね~何だか若返った気分ですよ」

 

 あんたは普段から若作りしてんだろーが。

 あとマー君って誰だよ。

 

「マー君はマー君ですよ。ほら、瑛君達の監督の」

「は? 監督?」

「自分達の監督の名前も知らないんですか? 中谷仁亮(まさあき)、だからマー君。ねー、マー君」

 

 前の席の監督に向けて呼びかけたが、「その呼び方止めてくれませんか」とかなり冷めた言葉が帰ってきた。隣の爺ちゃんは全く懲りずにヘラヘラしているけれど。

 

「つーか、いつの間に監督と繋がってたのかよ」

「いつの間にも何も、マー君が現役の時からの付き合いですよ。本当、昔トラ君とあんなにやんちゃしていたマー君が、今じゃこんなにたくさんの子供達の面倒を見るようになってるなんてね~」

「大輔さん、言っておきますが暴れていたのはいつもトラの奴だけです」

「そうでしたっけ? 二人供いつも仲良しだったように思えるんですが……」

 

 監督が座席からやや身を乗り出して爺ちゃんの発言を訂正する。よっぽど聞き逃せない事だったのか、目が試合の時より真剣だった。

 

 爺ちゃんのとんでもないネットワークを舐めていた。還暦に片足突っ込んでる癖にいつまでも青春してるテンションでいるこの人は、、あらゆる所で人脈を張ってるんだった。

 だとしても監督と知り合いって勘弁してくれよ……。この先部活で何か起きたら、情報が全部爺ちゃんに筒抜けになるって事じゃねーか。

 

「瑛君、どうしたんですか。暗い顔して。これから合宿なんですからもっと楽しそうにしていかなきゃダメじゃないですか」

「いいんだよ、頼むからちょっと静かにしてくれ……」

 

 何で行く前から精神的に疲れてんだろうか。

 もう3分の1くらいメンタルのライフが削られた気がしたけど、隣でうるさく構ってくる爺を無視して、俺は到着まで仮眠を取る事にした。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 バスに揺られて数時間、約1名余計な部外者も加えて、俺達は今季の合宿施設に到着した。

 

 去年と同じ海沿いの民宿。遠目に見えるのは真っ青に波打つ海と白い砂浜。風に乗ってくる磯の匂い。いかにも夏の観光地って感じの場所だけど、この民宿は運動部の合宿施設としては、色んな高校に使われているらしく、少し離れた所には専用の体育館もちゃんとあったりする。

 夏らしい海岸近くで合宿、しかも料金は格安。大所帯で泊まるには言う事無しなんだが。

 

 この宿、ボロい。すげーボロい。

 

 大きさはよくある普通の民宿って感じなんだが、ちょっと近付いてみると壁には若干ヒビが入っているし屋根の塗装はハゲてるし、何か全体的に寂れている。

 つーか去年よりオンボロになってねえ? 

 料金格安の理由が察される外観だけど、色々と大丈夫かこの宿。

 

「げえっ、ボッロー」

「高尾、うるさいぞ」

 

 いや、その感想は正しいと思うぞ。

 バスから降りるなり、素直に呟いた高尾に共感する。けど隣の緑間は、意外にも何も感じてないように無表情のままだった。たまにすげー値段の張る小物を持ち歩いてるし、坊ちゃん育ちなのかと思ってたけど、そんなに嫌がってはないのか。

 

 全員が荷物を抱えながら歩き出すと、爺ちゃんも子供みたいに周りを見回し始めた。

 民宿なんて珍しくもない場所だろうに、何が楽しいんだか。

 

「へえ、風情のある所ですね」

「はっきりボロいって言えよ」

「分かってないですねえ、瑛君。一流ホテルが必ず最高だとでも思ってるんですか?」

「あんなはっきりオンボロな場所は誰でも嫌だろ……」

 

 やれやれ、みたいな顔をして首を振る爺ちゃんに妙にイラついた。

 観光に来てんじゃなくて、俺達は合宿に来てるんだよ。

 これから丸4日間、練習と試合で地獄のハードスケジュールになるんだから、寝る場所くらいは良い所がいい。

 

 監督の指示で、部屋に荷物を置いたら裏手の専用体育館に集合って事になった。

 初日からいきなり練習かよ……とも思うけど、もうここまで来たら仕方ない。各自が荷物をそれぞれ担いで民宿に向かう。緑間もラッキーアイテムを詰め込んだキャリーケースを引いて歩いていった。意地でも持っていくんだな、それ。

 

 民宿の中に入ると、外の直射日光が遮られて少し涼しく感じた。

 でもクーラーなんて気の利いたものがある訳無いらしく、たまに窓から風が通り抜けていくぐらいだ。去年と変わらない小ぢんまりした宿。

 挨拶に出てきてくれた仲居さんに監督が代表で挨拶してから、俺達もゾロゾロと宿に入った。

 

「そういえば部屋ってどうなってるんです? 私も瑛君の所で寝かせてもらいましょうかねえ」

「ぜってー嫌だからどっか行っててくれ」

 

 呑気に呟いてくる爺ちゃんを追い返す。

 この爺を主将達と一緒にしといたら余計な事を言いそうで怖い。

 

 幸い、すぐ引き下がってくれた爺ちゃんは今度は監督と何か話し込み始めた。大人は大人で固まって話しててくれ、と思う。

 

「宮地君、僕達の部屋ってどこだっけ?」

「ほら、一番奥だってよ」

 

 宮地(弟)に訊ねると、廊下の向かい側を指差して歩いていった。俺も慌てて後を追う。

 部屋割りって言っても、今回参加したメンバーを三年・二年で学年別に分けただけのものだ。ちなみに緑間・高尾の一年コンビは俺達二年と同室。

 宮地(兄)が嫌がったから押し付けられただけとも言えるけど。

 

「は~マジでボロい所だったんだなー。兄貴達が大袈裟に言ってるのかと思ってたぜ」

「うん、まあね……」

 

 二年になってから一軍になった宮地(弟)は今年初めての合宿参加だ。その素直な言い方にちょっと笑う。

 

 と、部屋に行く道すがら、流し場で誰かが顔を洗っているのが見えた。他の宿泊客か? 

 まあ普通の観光客が泊まっててもおかしくはない事だ。随分大柄な奴だったけど、特に気にせずその背後を通り過ぎる。

 

 

 

「────―あれ、雪野?」

 

 

 

 後ろから呼ばれて、反射的に振り返った。

 ──―けど、その瞬間に後悔した。

 

 手に持っていた荷物が廊下に落ちる。宮地(弟)が隣にいるのに、その場から動けなくなった。

 頭の中から、遠い過去の記憶が唐突に蘇る。

 

『どーも、雪野です。今日はまあ、よろしく』

『こっちこそよろしく。ああ、俺の名前は──―』

 

 のんびりとタオルで顔を拭いている目の前の男が、昔と全く変わらず穏やかに笑ってるもんだから、俺も間抜けな声が出た。

 

「…………………な、何で、お前が居るんだよ。木吉……」

「何でって、合宿に来てるからに決まってるだろ? それより久しぶりだなー。元気にしてたか? こんな所で会えるなんてすごい偶然だな!」

 

 あはは、とおかしそうに笑う木吉。

 同時に、どこかから緑間の叫び声が聞こえてきた。

 

「何故ここにいるのだよっっ!?」

「こっちのセリフだよ!!」

「秀徳は昔からここで一軍の調整合宿するのが伝統なんだとー」

「それがお前らはバカンスとは良い身分なのだよ……!!」

「バカンスじゃねーよっ!!」

 

 やっぱり帰りたい。

 宿に到着して3分で、心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 民宿の裏手には体育館がある。

 宿のボロさに比べると、この体育館は驚くくらいまともな造りと広さをしているから不思議だ。

 そして今、その体育館には俺達秀徳バスケ部と──―誠凛バスケ部が顔を突き合わせて集合していた。何でだ。

 

「……ああ、火神君。久しぶり」

「……いや、本当久しぶりっスね」

 

 ついこの間見送った筈の同居人と半日ぶりの再会をしたが、お互い顔が引きつっていた。

 

 同じ民宿に、誠凛高校バスケ部も合宿に来ている事が分かって、一時はお互いに大騒ぎになった。(特に緑間と火神達が、あの後謎の叫び声を上げたから大混乱になりかけた。)

 

 本当、偶然ってあるもんだなー。

 ……って、他校のバスケ部で、しかも予選で試合した高校で合宿場所が被るとか、そんな事普通あり得るか!? 都内にはもっと良い施設なんて山ほどあるんだから、何もこんなボロ民宿を選ばなくてもさあ…。その気持ちは誠凛側も同じらしく、向こうのメンバーも複雑そうな顔をしていた。

 それに酷い偶然は、これだけで終わってなかった。

 

「あれ? 雪野と火神って知り合いだったのか? 世の中狭いなあ」

「…………木吉君、ちょっと来て」

「ん?」

 

 二つのバスケ部がぎこちない雰囲気を出している中で、一人だけのほほんと話しかけてきた長身を引き寄せる。

 木吉は何の疑いも無い様子で俺に近付いてきた。……つーか、中学の時と髪の色も違うのに、何でこいつ全く迷い無く俺だって分かんの? 今吉さんでさえ一瞬戸惑ってたんだぞ? 本当何なのこいつ。

 

「…………木吉君、いつから誠凛になんて入ってたの」

「え? 最初からだぞ?」

「は? ……だって去年の決勝リーグで……あ、そうか誠凛の7番って……」

 

 あの時はほとんど聞き流していたけど、前に高尾が大坪主将に聞いていた誠凛の7番の事が、頭に浮かんだ。「去年は出ていなかったけど、もし居たら秀徳が負けていたかもしれない」。主将がそう評価した相手。―――そうだ、今頃になってやっと線が一本に繋がった。

 

 …………自分の鈍さが死ぬ程恨めしい。

 何で誠凛と同じ合宿地になってしまったんだ。木吉が誠凛に居るって事にもっと早く気付いてたら、何て言われようと絶対合宿なんて来なかったのに。

 見えない悪意が俺に働きかけているような気さえしてきた。

 

「どうしたんだ、雪野。顔色悪いぞ? 黒飴なら持ってるけど、食べるか?」

「…………元気そうだね、木吉君は」

「おお、久しぶりのバスケだからな。楽しみで仕方ないさ」

 

 純粋無垢そのものみたいな顔で笑う木吉。

 何て言ったらいいか分からなくて、思わず目を逸らした。

 

「ほらほら! そこの二人、練習始めるんだからお喋りは後でね!」

 

 と、誠凛の女カントクさんの一声で、俺は木吉から離れて秀徳の中に戻った。

 誠凛はやっぱり合宿でもあのカントクさんが仕切ってるらしく、大人の監督さながらの迫力で全員に指示を出していく。

 

「今日から体育館練習は予定変更で、秀徳高校と合同練習よ! まずはチーム戦を交互にやっていくから、指名した人から順に試合ね!」

「えええ!? マジで!?」

 

 って、誠凛の連中にも説明してなかったのかよ。あと俺も初耳なんですけど!! 

 あちこちから驚きの声が上がっている中で、こっちでも監督が俺達に事の経緯を説明し始めた。

 

「まあ、という訳だ。合宿の日程もほぼ重なっている事だし、あちらの提案を呑んで、これから合同で練習を行っていくからそのつもりでいるように」

「けど、いいんですか? 監督」

「むしろ有難い話だ。お互いの手の内を晒す事になるが、こちらのメリットの方が大きい。

 情報の価値が違う。王者と呼ばれる秀徳は昔から周りに研究されている。……が、誠凛は新設で情報が圧倒的に少ない。どんな思惑があるかは知らんが、冬にリベンジすべき相手の方からわざわざ晒してくれるんだ。──―遠慮なく、乗らせてもらおう」

 

 確かにその通りではある。

 俺も本格的に試合に出始めたのは今年からだけど、大坪主将なんかは有名だから隠しても意味が無いし、緑間は言わずもがなだし。

 

 でも合同って……今日からずっと、あの連中と一緒に練習するって事か?

 誠凛の集団の中で、火神と並んで頭一つ飛び出している長身を見詰める。

 ……目眩どころか胃が痛くなるように感じてきて、腹の辺りをさすった。

 

 すると隣で爺ちゃんがニヤニヤしながら誠凛のメンバーを眺めているもんだから、ちょっと呆れて見えないように背中を叩いた。少し八つ当たりも入っている。

 

「……おい、頼むから大人しくしててくれよ?」

「心配性ですねえ、瑛君は。皆の事はちゃんと見てますって。それにしてもトラ君の娘さんまで監督をやってるなんて驚きましたよ、ミコちゃんにそっくりで可愛い子です」

「は? 誠凛のカントクの事? ……爺ちゃん、女子高生はいくら何でも犯罪だろ」

「ちょっと、私を何だと思ってるんですか。友人の娘さんだから、私にとっても子供みたいに思えるだけですよ」

 

 その理屈で言うと世界中にあんたの子供や孫がいる事になるんだが。

 

「……けど、合同合宿だなんて、誠凛さんも思い切った事をしますね。瑛君、分かりますか? 賭けですよ、これは」

「賭け?」

「さっきマー君が言ったように、これは、瑛君達にとっては有難い話であっても誠凛さんにとっては大したメリットは無い練習なんですよ。それでも大会前にあえてそんな事を持ちかける理由。きっとあちらも選手の育成に煮詰まっていて、それを壊すキッカケに使おうとしているんでしょうね。なかなか思い切った良い提案だと思いますよ」

「ふーん……」

 

 成程、あの女カントクさんはやっぱり考えがあったのか。

 そう思う反面、意外にも爺ちゃんが色々と観察していた事の方にびっくりした。仕事にかこつけていつも遊び歩いてるだけの爺かと思っていたのに。

 

「よし、じゃあ始めるぞ! まずスタメンから全員コートに集合!」

 

 大坪主将の号令で、宮地(兄)を始めとしていつものスタメンが集合する。

 誠凛も同じようにメンバーが集まっていたが、火神だけが女カントクさんに呼ばれて──―何故か体育館から追い出されていた。……何で? 

 

 理由はよく分からないけど、何かの買い出しでもさせられたんだろうか。

 他の一年生にでも行かせればいいのに。この炎天下に気の毒な事だ。うちの監督と爺ちゃん、誠凛のカントクさんはコート外に出て、試合をよく眺められるような位置に佇む。

 両チームがそれぞれコートの中央に集まり出した時に、青いビブスを付けた木吉が目の前に颯爽と現れた。

 

「よっ、そう言えばこうして試合するのは中学以来だな」

「はは……そうだね」

「まあ、楽しんでいこーぜ」

 

 俺はちっとも楽しくない。

 その気持ちを込めて苦笑いしたけど、全然伝わってないらしい。木吉の笑顔は仏のように変わらない。

 

 

 

 審判役の木村がボールを投げる。

 

 あらゆる意味で地獄になりそうな予感と共に、こうして俺の二度目の夏は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C 198㎝

 宮地清志(三年) SF191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 誠凛高校スターティングメンバー

 

 木吉鉄平(二年) C 193㎝

 黒子テツヤ(一年) ?? 168㎝

 土田聡史 (二年) PF 176㎝

 日向順平(二年)SG 178㎝

 伊月俊 (二年)PG 174㎝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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