黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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27.夏の夜と過去

 

 

 

 

 

 

『俺は木吉鉄平。この~木何の木気になる木~の「木」に、大吉の「吉」、鉄アレイの「鉄」に平社員の「平」な』

『あ……ああ、うん……』

『? この~木何の木気になる木~の「木」に』

『いや、もうそれは分かったから。俺は雪野(あきら)

 …………蛍の光~窓の雪~の「雪」に、野原の「野」。……えーと、王国の「王」と英語の「英」を足して「(あきら)」って読ませて』

 

 頭をひねりながら俺が説明していた時、後ろから思い切り襟首を掴まれて引っ張られた。

 喉が詰まって変な声が出たけど、背後には不機嫌を顔に描いた花宮が立っている。

 

『おい、いつまで遊んでんだ。とっとと集合しろ』

『へいへい。……何怒ってんだ?』

『あ?』

 

 怒ってんだろ。

 普段は二重人格レベルで猫を被ってる癖に、機嫌悪い時と良い時の差が激しい奴だ。

 それにしても練習試合でこんなピリピリしてんのは珍しい。

 

『ちゃんと分かってんだろうな。指示通りに動けよ』

『分かってるって。……けど向こうの木吉って一年だろ? 4番って結構すげーんじゃねーの?』

『おい』

 

 4番って確か、主将(キャプテン)とかがもらう番号だって聞いた気がする。

 相手のチームの中で薄茶色の頭が一つだけ飛び出ている。木吉とか言った対戦相手は、試合前だってのに緊張した様子もなくヘラヘラ笑っていた。

 

『聞いた話じゃ一年でいきなりスタメン抜擢。照栄の期待のエースとかいう触れ込みだ。さぞ実力のある事なんだろーよ』

『……お前、あいつの事嫌いなの?』

『じゃあ、お前は?』

 

 質問に質問で返すな。

 でも、ガヤガヤと和やかに騒いでいる相手チームの集団を眺めて、俺から出た感想は一つだった。

 

『……まあ、好きにはなれねーな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………

 

 

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誠凛との合同練習初日。

 ミニゲームでは、最初のボールは誠凛から始まった。

 

 PG(ポイントガード)の伊月から、火神の代わりに加わったPF(パワーフォワード)にボールが渡る。

 土田とか呼ばれたPFはジャンプシュートを放ったが、リングに弾かれた。

 

 リバウンド。

 俺と大坪主将、そして木吉の三人が同時に跳び上がる。タッチの差で木吉がボールを獲得し、そのままゴールに捻じ込んだ。誠凛に2点が入る。

 

「………………」

「ん? どうかしたか? 雪野」

「…………いや」

 

 裏表無い笑顔で訊ねてくる木吉。

 何か調子が狂う。

 

 一年ぶりくらいの試合になるけど、こいつは衰えてはいないようだった。

 リバウンドへのタイミングも隙が無いし、大坪主将にも全く力負けしてない。……ゴール下の俺としてはやりにくくて仕方ない。

 

 続いてまた誠凛のボール。

 今度は伊月からのパスで黒子にボールが渡る。──―え? 黒子? 

 

 黒子のDF(ディフェンス)に緑間がついた。え?? 

 あいつってパス特化の選手なんじゃないのか? それを抜きにしても、緑間と黒子じゃ身長差があり過ぎてミスマッチもいいとこだ。と思っていたら、緑間にあっさりボールをカットされた。何がしたいんだ、あいつ。

 そして今度は緑間が3Pシュートを決める。

 1mmもぶれない弧を描いてゴールを射抜く。あの百発百中シュートもすっかり見慣れたもんになってたけど、誠凛の選手は少し見惚れたように固まっていた。うん、あの反応が普通なんだよな。

 

 お互いにボールが回り、秀徳のターンが来る。

 高尾からパスが渡され、俺の目の前には日向がDFについている。

 緑間、宮地(兄)にはそれぞれマークがついてるけどパスが回せない程じゃない。

 

 その時、ふと試したい事が心に浮かんだ。

 反動をつけて軽くジャンプする。日向がブロックを仕掛けてきたが──それを無視して、いや、本来のシュートフォームを丸っきり無視して、ゴールに向かってボールを投げた。

 

「……なっ!?」

 

 日向か、誰かが驚いたような声が聞こえた。

 

 ほとんどゴールのバックボードに叩きつけるように投げつけたボールは、リングに当たったのが奇跡的だった。

 リングに当たり、一瞬空中に浮かんだが、やがてバランスを崩してゴール側では無い空間に落下していく。

 

 ──―それを強引にリバウンドで入れ込んだのは大坪主将だった。

 秀徳側に2点追加。

 危ない所で失点にならずに済んで、俺も思わずホッとする。

 

「おーい、雪野。ふざけてんのか?」

「えっ? 宮地さ……って痛い痛い痛いです!」

「試合中に何がしてーんだコラ。次真面目にやんなかったら砂浜に埋めんぞ」

 

 それは本当に死ぬので勘弁してほしい。

 宮地(兄)にグリグリ押されたこめかみをさする。まあ、今のはふざけてるように思われたよな。俺も半分くらい遊ぶ気持ちがあったし。

 

 この前の試合で見た青峰のフォームレスシュート。

 見様見真似ならやれんじゃねーかと思ったけど、そう単純な話でも無いらしい。あいつのシュートは客席からだと、ただ投げつけてるようにしか見えなかった。でも同じようにやった所で、得点につながる訳じゃないみたいだ。

 

 その時、背後から視線を感じて振り返ると、黒子と目が合った。

 最初から試合に出ているせいなのか、黒子の姿がはっきりと見える。全体の雰囲気が幽霊みたいにぼんやりして感じるのは、こいつが元々持ってる素質なのか。

 

 透明な瞳の奥から、まるで観察されているような視線を感じて、俺は目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

「だっは──―疲れた~~」

「高尾、うるさいぞ」

 

 大坪主将が軽く注意したが、高尾はテーブルに突っ伏して今にも眠り込みそうな体勢だ。

 つーかマジで寝てないよな? 

 すると隣に座っていた緑間が高尾の横腹に肘を入れて叩き起こした。もうちょっと容赦してやれよ。

 

 初日の練習メニューを終えて夕飯の時間になり、俺達は食堂のテーブルについていた。安っぽい蛍光灯が俺達の頭上でチカチカと点灯している。皆適当に座っている中で、俺も席に着くと、目の前には高尾と緑間の一年コンビが居た。高尾は流石にバテているけど、緑間はロボットのように平然としたままだ。こいつって疲れる事とかあるのか?

 

 ……とりあえず、疲れた。

 いや、もういきなり体力と気力を根こそぎ絞られたから、こうして座ってるだけでも天国みたいだ。主将も注意はしているけど、ここにいる全員が高尾と同じ事思ってんだろ。

 

 誠凛とのミニゲームを通しで3試合やって、その後にパス練ドリブル練シュート練、砂浜での外周……我ながらよく倒れもせずにやり切ったと思う。絶対去年の3倍くらい量盛ってるだろ、あの監督。

 別のテーブルで爺ちゃんと談笑している中谷監督を恨めしく見る。

 おい、あのクソ爺も特別トレーナーとか言って来たんなら何か働けよ。何かされても困るけど、ああやって遊ばれてても腹立つ! 

 

「もう早く風呂に入って寝たい~ていうか、俺ここで寝れるかも……」

「高尾君がんばって。ほら、夕飯食べなきゃダメだよ」

 

 俺だって出来るなら今すぐ爆睡してーんだよ! 

 今日は爺ちゃんが来るわ誠凛と合同合宿になるわ木吉に会うわで、ストレスは溜まるし、ミニゲームの事で結局宮地(兄)にはまた怒られるし、良い事が無かったんだから。

 腹も減ったし、さっさと飯を食いたい。

 

「って、え……夕飯ってトンカツ?」

「え? 雪野さん、トンカツ嫌いなんスか?」

 

 この民宿は素泊まりか食事付きを選ぶ事が出来るので、合宿の時は専ら食事有りを選んでいる。何しろマネージャーが居ないもんだから、鬼の練習と並行して自炊までするのは俺達のキャパを超える。そもそもこのメンバーで料理が出来るかは疑問だ。

 

 宿はボロくても飯は意外と美味いんだけど、この日の夕飯はあんまり喜べなかった。

 

「あ……うん……トンカツって言うか、こういう油っぽい奴はちょっと。……あれ、緑間君もどうしたの?」

「……何故なのだよ。何故ラッキーアイテムで補正した筈なのに、こんなものが食卓に出てくるのだよ」

「ぶはっ!! 真ちゃん、すげー顔になってる! どしたの!? もしかして納豆ダメとか?」

 

 親の仇でも見るような目で小鉢に入った納豆を睨みつけている緑間。

 その時、ピコーンと俺の頭に閃きが走った。

 

「緑間君、その納豆食べてあげるから、代わりに僕のトンカツもらってくれない?」

「……有難いですが、雪野さん。俺もそんなに食べられないのだよ」

「そんじゃあさ、雪野さんのトンカツを俺がもらって、真ちゃんの納豆は雪野さんに。真ちゃんは俺のシラス干しもらってくんね? 苦手なんだよね、これ」

「それだ! 高尾」

「高尾君、君天才だよ」

「いいから自分の分は自分で食えやてめーら!! まとめて埋めんぞ!!」

 

 俺なりに知恵と工夫を働かせただけなのに、頭の上でまた星が舞ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 各自で風呂に入ると、その後は就寝時間になる。

 部屋に行ってみたら、そこでは文字通りに死屍累々って感じで宮地(弟)や金城が布団の上で転がっていた。緑間と高尾は風呂に行ってるらしくて姿は無い。

 

「よー雪野、お前すげーな」

「え? 何が」

「だってミニゲームでもぶっ通しで入ってたのにピンピンしてんじゃねーか。体力あんだな」

 

 宮地(弟)が柔軟をしながら感心したように言ってきた。

 いやいや、全然元気じゃないから。むしろ精神的にはマイナスなくらいになってるから。

 

「宮地君だって元気じゃん」

「俺だってへばってるよ。誠凛の奴等も、一・二年しか居ねーってのによくあれだけついてくるよな」

「つーか向こうに木吉居なかったか? 俺ちょっとびびったぜ」

「木吉? 木吉ってあの背のでかい奴?」

「知らねーのかよ。“鉄心”の木吉だぜ」

 

 金城が木吉の名前を出した事で、話題がそっちに移っていった。何だかんだ言って、ぶっ通しの練習後なのに元気なのは皆もそうだ。いや、練習が終わった解放感のせいか?合宿効果で妙なテンションになってるのかもしれない。

 この話に巻き込まれても嫌なので、俺はそっと部屋を出る。

 

 風呂に行ってもよかったけど、外の空気を吸いたい気分になって宿を出た。

 確か駐車場の辺りに、自由に使えるゴールが一個二個置いてあったはずだ。

 部屋の隅に置いてあったバスケットボールを持って外に出ると、夜風が冷たく感じた。シャツは汗でベトベトになってるし、昼間に比べたら寒いくらいだ。

 

 しばらく歩いていくと、駐車場の近くに忘れられたように置いてあるゴールを発見した。

 泊まっている学生用に置いてあるのか知らねーけど、体育館といい、ゴールといい、こういう設備は他所の合宿所よりちゃんとしている宿だと思う。

 何でその気配りが宿全体の外観にも振り分けられないのかは謎だ。

 

「………………」

 

 適当にドリブルして、ゴールに向かって投げる。

 今度は普通のシュートフォームで打ったから、問題無くゴールには入った。ネットをくぐってボールが落ちた。

 

「…………あ? ……あれ?」

「え?」

 

 人の気配を感じて振り返ると、そこには誠凛の主将こと日向がポカンとした顔で立っていた。

 場が凍る、ってのはこういう状況を言うんだろうか。

 

「…………よ、よう。お前も自主練?」

「いや、まあ……暇だし」

「暇つぶしかよ!!」

 

 すごい勢いで噛みつかれて、一瞬びっくりした。

 このメガネ君、見た目は穏やかそうなのに意外と言うよな。ボールを持っている所を見るに、自主練習に来たんだろう。誠凛だって相当ハードな練習していたのに大したもんだ。そこに俺が邪魔しちゃったんなら、悪い事したと思った。

 

「お邪魔しちゃってごめんね。僕はもう戻るから、ゴール使っていいよ。それじゃあ」

「……いや、おい! ちょっと待てって!!」

「ん?」

「…………どうせ暇って言うなら、ちょっと練習に付き合ってけよ」

 

 はい? 

 

「え、えー? 僕?」

「他に誰が居るんだよ。別に減るもんじゃねえし、いいだろ。1対1(ワンオンワン)で五本先取とかどうだよ」

「……いやそれじゃ勝負にならないし、そっちは一本でいいよ」

「ほー?」

 

 あ、まずい。

 今のは完全に失言だったけど、もう取り消せない。日向の目が笑ってるのに笑ってねーもん。

 

 ………やるしかないか。

 

 1対1って言っても、この場にゴールは一つしか無い。だから自然と、どちらが先に点を入れるかの勝負になるし、動きも少なくなる。

 

 ──―まずは日向からのボールで始めた。

 こいつはSG(シューティングガード)。ボールを取るなり、いきなりフェイント無しで3Pのフォームに入った。この距離だし、そうしない方がおかしいか。

 確かに反応は速いけど、十分にブロック出来るレベルだ。最近、緑間の高弾道3Pばかり見てきたから、こういう普通の3Pシュートを久々に見た気がする。

 

 ボールを叩き落として俺がもらう。すぐにジャンプシュートしてゴールに入った。

 日向から軽く舌打ちするような音が聞こえた。いや舌打ちって。

 

 今度は俺からのボールで始める。日向は当然DFにかかるけど、少しジャンプしてシュートを入れたらブロックされても問題にならない。俺の2点目。

 

 誠凛のチームっていうのは、主将含めて皆こういう感じなのか。

 冷静に見て、こいつ相手に何本やっても負ける気はしなかった。日向だってその事はよく分かっている筈。けど、DFする時もシュートを決めようとする時も、必死になって食らいついてきた。決勝リーグで桐皇とやっていた時を思わせるように。

 何でそんなに、何度も挑戦出来るんだ。

 

 ……気が付いたら五本どころか、何本打ったか分からないくらいに勝負を繰り返していた。

 鬼の練習メニューをやっと終わったってのに、俺もよくこんなに動けたよな。

 監督に見つかったら「ふむ、そんなに動けるんならメニュー追加だな」とか言われそうで笑えない。

 

「……あ? おい、何笑ってんだよ」

「え? あ、ああごめん。折角練習終わったばっかりなのに、僕もよくやるなーと思って」

「何だそりゃ……」

 

 日向が呆れたように溜息を吐いて、小休止になった。というか、お互いにやっと体力が尽きたっていう事が大きい。

 風呂も入ってねーのに、また余計な汗をかいてしまった。同じく日向も息を切らしている。誠凛は新設校で三年がいないって話だし、こいつも二年生で主将なんてよくやれてるよな。

 

「……すごいね、日向君」

「何だよそれ、嫌味か?」

「違う違う、そういうんじゃなくて。……誠凛って三年居ないのに、二年からよく主将なんてやれるなって事」

「あー……そっちか。俺だって自分から主将やるって言った訳じゃねーよ。木吉に押し付けられたみたいなもんだしな」

 

 頭の中に、あのヘラヘラした顔が浮かんで消える。

 木吉も主将に向いてるような気がするけど、そのポジションは避けたのか。良い人そうな雰囲気しといて、読めない奴だ。

 

「それに、すごいってんならお前の方だろ。何でそんなに卑屈になってんのか、俺には分かんねーけどな」

「……あの、日向君。前も聞いたかもしれないけど、僕、何かしたっけ?」

「は?」

「いや、僕の気のせいならいいんだけどね? ……何か妙に突っかかってくるというか、確かに他校だけど、敵意を感じるというか……」

 

 予想外の合同練習になって微妙な顔をしていたのは誠凛のメンバー全員同じだったけど、日向からは妙に敵対心というか、それ以上の視線を感じる時があった。

 去年の予選リーグで誠凛と対戦した事はあるけど、そんな前の試合の事なんて詳しく覚えていないし。そこまで行儀の悪いプレーしてたか? 少なくとも秀徳に入ってからは、ルールとマナーを守ってやってきた筈なんだが。

 

 すると日向は、拍子抜けしたような、気が抜けたような表情になって大きく溜息を吐いた。

 え、何その顔。

 

「……お前、マジで覚えてねーんだな」

 

 がっかりした、というような言い方じゃなかった。半分予想していたみたいな口振りだ。

 

「去年のIH(インターハイ)予選の決勝リーグで、うちと秀徳が対戦しただろ」

「あ、ああ。そうだね」

「……で、その時、俺のマークについてたのがお前だったんだよ。雪野」

 

 ……マジ? 

 頭をフル回転させて去年の記憶まで探ってみたけど、やっぱり細かく思い出せなかった。

 去年は去年で、久しぶりに始めたバスケと、秀徳の環境に馴染むのに必死で夏冬の大会もあっという間に過ぎて行った感覚しかない。

 

 日向は遠くを見るような顔をして、真上の夜空を眺めていた。

 

「あの時は試合に負けたのも悔しかったけど、それ以上に、お前相手に歯が立たなかった事が悔しかったんだよ。同じ一年なのに、こんなに実力に開きがある奴がいるのかって実感したからな」

「………………」

「三大王者にボコボコにされて、またバスケやるのが嫌になりかけた。……けど、負けっぱなしで終わりたくなかった。それに、お前には絶対もう一度リベンジしてやるって決めてたんだよ」

「…………何か、ごめん」

「いや何で謝んだよ!!」

 

 そんな真っ直ぐな気持ちで挑んでたんだったら、悪い事したのかと思った。

 俺も去年は自分の事で精一杯だったし、対戦相手の事にまで気を回せなかった。それに中学の頃から、そういう事は別の奴が担当していたし。

 

「……去年は僕も余裕が無くて、誠凛との試合の事も、正直よく覚えてないんだよ」

 

 まあ、それを抜きにしても、俺は人の顔と名前覚えるのは苦手なんだが。

 

「……別に昔の話だし、俺だってもう何とも思ってねーよ。そんな事より、冬の試合だろ。言っておくけど負ける気なんてねーからな」

「………………」

 

 日向の力強い視線が俺を真っ直ぐに見る。

 こういう時に変に迫力があるのは、どこの学校の主将も変わらない。

 

 この夏が終われば、冬。WC(ウィンターカップ)

 IHを勝ち抜いた強豪校がぶつかり合う最後の大会。

 順調に勝ち進めば秀徳も──―誠凛と対戦する機会は必ず来る。そう遠くない内に。

 

「…………こっちだって、負ける気は無いよ」

 

 負けた後がどれだけ悲惨になるか。

 あの暗くて、息苦しくて、絶望的な空気を味わうのはもうごめんだ。

 

「次は秀徳がリベンジする番だから」

「……ハッ、それなら楽しみにしてるぜ」

「あれ? 日向に……雪野? 二人共こんな所で何してるんだ? 何か遊んでるのか?」

 

 肌に刺さるような夜風の中に、気が抜けるような呑気な声が混ざったのは空耳じゃないだろう。

 

 薄暗闇からひょっこりと姿を見せたのは、ビニール袋を手に持った木吉だった。

 でかい図体でうろうろしていると、高校生なのに、まるで徘徊中の爺さんみたいに見える。

 するといち早く、日向が木吉の頭を引っぱたいた。

 

「ダァホ! 遊んでる訳ねえだろ、練習だ練習。お前こそ何やってんだこんな時間に。それと何だよその袋」

「あーこれか? 何か甘いもんが欲しくなってさ、そしたら宿のおばちゃんにどら焼きもらったんだ。日向も食べるか? うまいぞー」

「要るか!! 何でそう呑気なんだよお前は!」

 

 誠凛のコンビが漫才を繰り広げている所で、俺はそっとその場を離れようとしていた。

 木吉が居ると何を言われるか分からねーし、とりあえずこいつとは出来る限り距離を取っておきたい。

 

「雪野―、お前も食べないか?」

「……いや、いいよ。甘い物嫌いだし」

「どら焼きがダメなら、羊羹もあるぞ」

「ねえ人の話聞いてた?」

「諦めろ雪野、こいつはこんな奴だ」

 

 疲れたように言う日向。

 木吉ってこんなにとぼけた奴だったっけ? ……ああ、こんな感じだったか。うん。

 

「つーか、お前らって知り合いだったのか?」

「おう、中学の時に何度か試合してるからな。なっ、雪野」

「……うん、まあね」

 

 そんな爽やかに同意求めんじゃねーよ。

 話がそっちに流れる前に、今度こそ俺はその場から退散した。ほとんど逃げ出した、って言ってもいい速さになったけど、これ以上ここには居たくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるように走り出して、夜道を適当に進んでいったらよく分からない道に出た。

 あれ? まさか迷った? 

 一瞬焦りが出たけど、この距離だし、民宿は視界に見えてんだからそっちに向かって歩いていけば辿り着くだろう。どんだけパニクってんだ俺は。

 

 本当、何で木吉がここに来てんだよ。

 

 今日だけで何十回繰り返したか分からない疑問を思う。

 ……そもそも俺の自業自得の話だってのは分かっている。だとしても、あいつがこれから誠凛に加わって、試合する度に顔を合わせるのかと考えたら、色々な意味で気が重かった。

 

「……雪野さん? どうしたんスか?」

「…………高尾君」

 

 と、後ろからかかった明るい呼び声は、後輩コンビの片割れだった。

 コンビニ帰りらしいビニール袋を手に持ちながら、小走りで俺の所に寄ってくる。いつもセットでいる緑頭の姿は傍に無かった。

 

「そっちこそ何してるの」

「俺はちょっとコンビニ行ってて」

「……ああ、緑間君のお使いか何か?」

「いやいや! 何で緑間のパシリしてる前提なんスか!」

「だって高尾君の用事って大体そんな感じじゃない?」

「否定できねえ!」

 

 さっきまで寝落ちしかけてたのに回復が早い奴だ。

 まあ、こいつらも別行動する時くらいあるか。この一年コンビはセットでいるのが当たり前の光景になってたから、別々だと変な感じがするな。

 

「それで雪野さんはどうしたんスか? 買い物とか?」

「いや僕は……ちょっと練習してて」

「え、すごいっスね! 俺なんかもう横になったらすぐ寝る自信あるのに。初日からこんだけ厳しいって、監督も鬼っスよね~」

 

 そのまま自然と二人並んで道を歩く。

 丁度いい、高尾が道を分かってんなら一緒にいけば宿には辿り着くだろう。鷹の目(ホークアイ)の性能なのか、こいつが道に迷った所は見た事が無い。

 

「にしても誠凛と合宿先が被るとかビビりましたよね~。火神と鉢合わせした時の真ちゃんの顔とかすごかったっスよ? ちょー不機嫌で」

「緑間君はいつも不機嫌でしょ……」

「ぶはっ! それは確かに!」

 

 試合のいざこざを除いても、緑間は火神じゃ相性悪そうだしな。

 あの後輩と相性が良い人間なんているんだろうか、とも思うけど。

 

「それに雪野さんのお爺さんが来たのもびっくりしましたよー。つーか、すっごい若い? っスよね。監督と知り合いみたいっスけど、昔選手だったとか?」

「さあね。僕もその辺りは知らないから」

 

 爺ちゃんがバスケ関係で昔色々やってたのは知ってるけど、その辺を詳しく聞いた事は無かった。興味も無かったし。

 

「そういや雪野さん」

「何?」

「月バスで前に見たんスけど、『無冠の六人目(シックスマン)』って本当なんスか?」

 

 いつもの雑談と全く変わらない調子で聞かれたもんだから、俺も一瞬、何の事か分からなかった。

 

 さっきまでの賑やかさが消し飛んだみたいな沈黙。

 隣の高尾に視線を動かす。意外にも気まずそうな顔をしていたから、こいつもただ聞いてみただけなのかもしれない。

 

「……いきなりどうしたの?」

「いや、ただの興味っスよ。……雪野さんってすげー上手いのに、中学でやってたとかも聞いた事無いし。そしたら昔の月バスに載ってたの見たんで」

「………………」

「あーすいません、突然変な事聞いちゃって。ってか、明日の合宿もこんな感じになるんスかね。もー俺なんか初日でへばりそうなのに」

 

 そんなあからさまに話逸らされると、かえって気まずい。

 けどまあ、高尾が空気の読める後輩だった事に感謝しておいた。

 

 部室に何冊か昔の月バスが残ってたけど、やっぱり内緒で処分しておくべきだったか。

 まさか数年前のものが今更見られるなんて思わなかったし。

 けど海常の笠松といい、何でどいつもこいつも、そんな大昔の事を掘り返してくるんだよ。あんな記事を残した月バスの記者も腹立たしいけど、それを発見する奴等にもイライラする。

 

『──―そういうのは、やられた方はいつまでだって覚えてるもんなんやで』

 

 ふと、元主将から言われた言葉が浮かんできた。

 ──―結局、あんたが言った事が正しいって事かよ、今吉さん。

 自分でやってきた事が自分の首を絞めてるんだとしたら、誰のせいでもなく俺のせいだ。それで今でも、危なさを感じる度に逃げ回ってるんだから、何も変わってねーよな、俺も。

 

「…………ねえ、高尾君」

「はい?」

「…………例えばね、いや、例えばの話で聞いてね? もしもだよ、友達が……そう、緑間君が昔悪い事してたとか聞かされたら、高尾君ならどうする?」

「は?」

 

 こいつの真顔ってのも珍しいな、と思った。

 猫みたいな釣り目をパチパチと瞬かせた後、俺の言ってる事が分かったのか、高尾はいきなり吹き出した。……何で笑う。

 

「えっ!? え? 何スか、その質問? 真ちゃん、また何かやらかしちゃったんスか? つーか、今でも真ちゃん完全に良い子ではねーでしょ! ワガママ3回とか入れちゃってるエース様っスよ?」

「だから例え話だってば! あと緑間君が良い後輩だとは僕も思ってない」

「ふぁっ──―! 雪野さんからもお墨付き!」

 

 聞き方が悪かったか。

 ツボにはまり出した高尾とは会話にならない。腹を抑えてうずくまりかけている高尾を眺めながら、笑いが収まるのを待つ。どんだけ爆笑してんだ、こいつ。

 やがて落ち着き始めたのか、目元を拭いながら起き上がった。

 

「えーでも雪野さん、それ例え話になりませんって」

「何で?」

「いやだって、俺の中の緑間ってそんな感じでしたもん。あ、俺、中学の時にあいつと対戦してボロ負けしてるんスけどね、その時なんかはマジであいつが悪役に見えたし」

 

 サラリと語られた話に、俺はさっきとは別の意味で驚かされた。

 

「え? ……え!? 緑間君と試合した事あるの? ……しかも負けて!?」

「あー、はい。そりゃもうあの3Pシュート決められまくってボコボコにされて。本人は全然覚えてねーみたいですけど」

「ええっ!?」

 

 再び驚くが──―いや、緑間の事をとやかく言えねえ……。

 対戦相手の事、しかも負かした相手をいちいち覚えてないのは同じ事だ。緑間の中学は超強豪だって聞くし、何十校と対戦してるだろうから記憶だって薄まる。

 

 つーか、そんな出来事があって何でこいつはバスケ続けて…いや、緑間の隣で平然としてられるんだよ。

 俺が気が付いた時、春先にはもうすっかりこいつら仲良く行動してた覚えがあるんだけど!? 

 

「それでよく緑間君と仲良くなれたね……」

「そりゃー最初はめっちゃ驚きましたよ? 打倒緑間! くらいの気持ちで秀徳に入ったのに、本人が居るんですもん。でもまあ、同じチームになったなら仕方ないし、だったらあいつに俺の事認めさせてやるかーって感じで」

「…………強いね、高尾君は」

 

 よくまあ、そこまで大きな切り替えが出来たもんだ。この後輩に対して、改めて感心した。

 ……俺なんてずっと引きずってばかりだってのに。

 

「ええ? そうっスか? ……でもほら、雪野さん」

「ん?」

「真ちゃんってめちゃくちゃ面白いじゃないっスか! ラッキーアイテムとか、こだわり方とか、あれ見てると、何か色々どうでもよくなってくるって言うか」

「ああ、あれね……」

 

 まあ、見ていて面白いタイプの人間ではある。あんまりその中心に巻き込んでほしくはないけど。

 

「俺、人生は楽しんだもん勝ちだって思うんスよね。だから今が面白ければいいって思いますし、真ちゃんが昔どうでも、もう気にはなんねーっスかね」

「…………そっか」

 

 高尾が屈託なく笑ってみせたので、俺も少しつられて笑った。

 

 

 民宿が間近にまで見えてきた。

 その後、俺はまだ風呂に入ってなかった事を思い出して、大慌てで大浴場に駆け込む派目になる。更にそこで火神と出くわして、ひと騒動あったのは別の話だ。

 

 

 空は雲一つ無く、満天の星が煌めている夏の夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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