黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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28.身体能力×技術力×精神力

 

 

 

 

 

「────雪野さんっ!」

 

 高尾からのパスを受ける。

 前でDF(ディフェンス)をするのは日向、左には宮地、右には緑間がいるがそれぞれマンツーマンでマーク。躊躇ったが、そのまま強引に左サイドの空間を狙って突っ切った。

 

 すぐさま木吉がカバーに入ってくる。

 隙が無いDF。これ以上向き合っていたら逆効果になる事を感じて、強引にシュートを放った。ボールは木吉のブロックからギリギリで掠めて、ゴールに入る。

 秀徳に2点追加。

 

 ──今日で四日目、合同合宿で誠凛とミニゲームを行うのも、軽く10試合目を超えた。

 俺達は宮地(弟)や時田、金城といった、他の一軍とメンバーを入れ替えながら試合を行っていたが、誠凛の方はほとんど面子を変えてないのによくついてこれるもんだ。

 ただし火神は不在だ。相変わらず、女カントクさんの命令でずっとコンビニまでパシリに行かされている。何を考えてるのか知らねーけど、あんな徹底して一人だけ隔離されてるとちょっと可哀そうになってきた。

 

 その女カントクさんと言えば、コートの外で腕を組みながら俺達の試合を見詰めている。

 見た目は細っこい女子なのに目線の鋭さは中谷監督に負けてない。

 

「……っと」

 

 木吉のスローインで再開し、ボールが土田に渡る。

 寸前で俺がスティールに成功し、そのまま傍にいた宮地に手渡した。

 

 が、その瞬間にボールが弾かれる。

 誠凛側のPG(ポイントガード)、伊月が宮地の死角をついてボールをカットしたのだ。伊月はノールックで左前方にパスを出し、そのパスが見えない加速器をつけたように途中で方向を変える。

 ────黒子だ。

 俺達の意識から外れていた黒子がパスの軌道を変え、ボールは誠凛側のシューターの手に渡る。日向の手から3Pシュートが決められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────試合終了!! 82対96で秀徳の勝ち!!」

 

 審判役の金城の掛け声と共に、両チームがコートの中央に集まり、礼をする。

 

 4試合ぶっ通しはさすがに疲れた。

 誠凛も同じだろう、ゲーム終了後はそれぞれ散って水分補給したりアイシングを始めたり、自然と休憩時間になった。

 …………って、冷っ!? 

 

「ほらほら、(あきら)君も皆さんも、ちゃんと冷やさなければいけませんよ」

「いや、何か言えって!?」

「さっきから呼んでましたのに、瑛君たらボ──ッとされてるんですもの。ああ、ほら皆さんも試合後のアイシングは念入りにしてくださいね。特に膝は大切にしなくちゃダメですよー?」

 

 監督の横でゲームを眺めていた爺ちゃんが、いきなり足にアイシングを貼り付けてきたから体が縮み上がった。爺ちゃんが軽く声をかけて、試合に参加していたスタメン陣もクールダウンに入る。

 

 ずっと試合を黙って見ていた監督が、腕を組みながら神妙に呟いたのが聞こえた。

 

「合宿中、練習試合を行って今の所全勝か……フム……」

「マー君のチームも良い育て方してるじゃないですか。見ていてとても楽しめましたよ」

「……大輔さんから見てどう思いましたか、今回の試合の結果を」

「そうですねえ、チーム全体のバランスで言えば秀徳さんの方が優れていますけど……。主将の君、リバウンドは頼もしくて何よりですけど攻め方が少し単調ですね。あと8番の君、ドリブルが得意でもこだわり過ぎは毒ですよ? 状況を見てパスも出してあげてくださいね」

 

 と、いきなりダメ出しされた大坪主将と宮地(兄)が面食らってるけど、思い当たる事だったのか、納得したように頷いている。

 

 その後、途中で交代した組だった木村や宮地(弟)、金城にもそれぞれアドバイスなんだかダメ出しなんだか分からない言葉を送っていった。

 ……爺ちゃんがマジでトレーナーみたいな事してやがる。

 気まぐれで人を置き去りにして渡米するような爺さんが、今この瞬間だけは、すげーまともな指導者に見えてきた。

 

「雪野さんのお爺さん、すげーっスね。あんな俺達の事よく見てて」

「……それは当然だ。あの人は現役時代には日本人でNBA選手の候補に上がった事もある。私達の世代では伝説の人だからな」

「えっ!?」

「……え?」

「…………。雪野、まさかお前知らなかったのか?」

 

 いや、そんな事今まで聞いた事もねーよ。監督の説明に、俺と高尾で二人そろって仰天する。

 爺ちゃんが現役時代にバスケ選手で、しかもNBA? すぐ傍で宮地(弟)にドリブルについてアドバイスしている祖父を見る。身長が170㎝ちょいくらいしかねーこの人が、どんなに想像力逞しくしてもバスケのプロ選手に見えないんだが。

 すると爺ちゃんがいきなり振り返ったからビビったけど、俺じゃなく、今度は高尾の方にのんびりと歩み寄って来た。

 

「君がPGですよね。司令塔なんだからもっと自信もってパスしていいんですよ? 折角いい目をお持ちなんですし」

「……ハイ!」

「まあまあ、皆元気で。瑛君も見習ってほしいものです」

 

 俺にまで飛び火させんな。

 これで終わりかと思いきや、祖父の視線がゆっくりと、ずっと沈黙していたエース様に動いた。ゲーム終了時からずっと黙っていた緑間と、爺ちゃんの視線が静かにかち合う。

 

「……えっ、爺ちゃ……お爺さん。緑間君にまで何かあるの?」

「う~ん……。少しね……」

 

 マジかよ。

 普段から緑間は(態度はともかくとして)実力に関しちゃ先輩どころか、監督だって文句のつけようがないんだ。一体何を指摘されるのかと、俺だけじゃなく、高尾や主将達までどこか興味津々とした目で見守っていると。

 

 ────爺ちゃんはツカツカと緑間のすぐ真正面にまで近寄って、その無表情な頬を思い切り引っ張った。

 

「ちょっとお顔がね、固すぎる気がするんですよね~」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

「折角のゲームなんですから、もっとほら、笑って笑って」

「おい、爺ちゃん」

 

 何してんだこのクソ爺は……。

 慌てて爺ちゃんを緑間から引っぺがす。高尾も爆笑してないで助けてやれよ。

 ……と思ったら、宮地や他の奴等までちょっと笑いを堪えていた。おい。

 

「けどマー君、結構面白い子達が揃ってるのに夏の大会は負けちゃったって聞きましたよ?」

「ええ、予選では誠凛にやられましたね」

「でも今日の試合があれなら、予選の時もマグレ的な感じじゃないスか?」

 

 ちょっと世間話に混ざります、みたいなノリで高尾が口を挟む。

 お前、怖いものは無いのか。

 

「負けた理由をマグレで片づけるのは感心せんなー。高尾走ってこい、外10周くらい」

「ぎゃすっ!?」

 

 監督も冗談で言ってるんだろうが、このタイミングで言われると笑えない。いや冗談……冗談だよな? 

 隣の緑間が無表情ながら、少し鼻で笑ったように見えた。何、さっきの仕返しか? 

 

「それに、やったお前らが一番分かっているはずだ。

 誠凛に負けた予選の時より、勝った今回の試合の方が手強かった」

 

 監督の口調はいつもと同じように淡々としていたが、その事実は静かに俺達に響いていた。

 

 結果こそ全試合全勝していたけど、誠凛は、あいつらは確かに強くなっていた。

 予選の時は全員がガムシャラって感じで、勢いはあっても所々に隙があったり不安定な攻め方をしていた。それが合宿中に試合していた時には、全員が自力を底上げしてきたような、そんな手応えを感じるようになった。

 この短期間の合宿で、よくまあ急成長させる事なんて出来たもんだ。うちも相当激しい練習をしていると思ってたけど、あの女カントクさんはどんな指導をしてるんだ。

 

 しかも結局、全てのゲームに火神は不参加、木吉も後半からは別のC(センター)と交代して見学に徹していた。それであの点差だ。

 手放しで喜んでいい状況じゃないのは明らかだろう。

 

「確かに誠凛さんの方が勢いや爆発力があって私は好きですねー。大我君が試合に参加しなくて残念でしたけど、他にもなかなか面白い子達がいるみたいですし。そうだ瑛君、誠凛の11番って名前は何て言うんですか? ああいう選手、初めて見るタイプですよ」

「あんたはどっちを応援しに来たんだよ……。11番は黒子テツヤ。俺もよく知らないから、あんまり聞くなよ。あともうちょっと黙れ」

 

 と、ミーハーなバスケファンみたいな調子で騒ぎ出した爺ちゃんに、小声で釘を刺す。

 今の真面目な空気をちょっとくらい読み取ってくれ、頼むから。

 すると爺ちゃんは何かに合点がいったような表情になって、一人で頷き始めた。

 

「黒子テツヤ……あ~~成程。じゃあ、あれが耕造君が言ってた『幻の六人目(シックスマン)』。へ~~あんな小さい子がね……」

「……何、知ってるの?」

「いーえ、全然。耕造君から面白い選手が入って来たって前に聞いた事があっただけですよ。瑛君と少しプレイスタイルが似ていますし、お話してこないんですか?」

「どこが似てんだよ」

 

 誠凛の集団の中に居るはずなんだが、黒子の姿はもう見失ってどっかに行ってしまった。忍者か何かか、あいつは。

 

「うーん、私が教えるのは簡単ですけど……こういうのは自分で気が付いた方がいいって言いますしね。合宿の課題と思って考えてみて下さいな」

 

 にこやかに微笑みながら、励ますように俺の肩を叩く爺ちゃん。

 ……課題って言われても、他の課題が俺には山積みになってる気がしてならないんだが。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 合宿も四日目になると、皆夜には死んだように布団に転がっている。

 俺も疲れ切った脚を引きずって何とか廊下を歩いていた。監督も容赦ねーけど、誠凛のカントクさんも普通に鬼だ。合同練習にかこつけて、ここぞとばかりに俺達に試合をさせてきた。

 確かに実りはあったんだろうが、何か色々と搾り取られた気分だ……。

 

 ゲームそのものでは誠凛に全勝してるけど、それで他の奴等が気を緩めてるような雰囲気は無い。緊張感で言えば合宿初日の時より増しているように感じる。

 大坪主将も宮地も木村も、高尾も緑間も、それぞれ課題をはっきりさせたような目をして練習していた。

 

 爺ちゃんから言われた言葉が、まだ頭に残っている。

 

 黒子のプレイスタイルと似ている、なんて言われてもピンと来ねーし、どうせアドバイスするならもっと分かりやすい事言ってほしい。何で俺だけこんなアバウトなんだよ。

 

「────あら、雪野君?」

「えっ?」

 

 床板の軋みがなかなか怖い廊下を歩いていたら、横の階段から下りてきたのは誠凛の女カントクさんだった。

 ノースリーブにミニスカートのラフな格好で、これから外に行くような様子である。

 一瞬気まずい沈黙が下りたけど、カントクさんの方から明るく切り出してくれた。

 

「こんな時間から自主練? 熱心ね」

「ああ……まあ」

 

 昼の練習中だと監督以外にも爺ちゃんが見てるから、思うように動けないんだよな。はっきり言って気が散る。飯の後に練習なんてくたびれるだけだけど、そうでもしとかないと、何か一日動き損なってる気がするし。

 

 カントクさんは俺の隣に並ぶと、自然と二人で並んで歩く形になった。

 …………え、これどーすんだ。

 みちる以外の女子と話す機会が久しぶり過ぎて、距離感が分かんねーんだけど。

 

「それにしてもびっくりしたわよ、大輔さんと雪野君が家族だったなんて」

「は? あ、あーそれね……僕もびっくりしたけどね、突然合宿に参加してたから。……カントクさんはお爺さんとは知り合いなの?」

「うーん、私がっていうよりは私のパパの知り合いなのよ。私が小さい時に、うちに何度か遊びに来てた事があって、まあよく覚えてないんだけどね。ああ、私の所スポーツジムをやってるのよ」

「へー……」

 

 聞いてねーぞ、爺ちゃん。いや、俺も興味持った事無かったけどさ。

 この合宿が始まってからどんどん未知の情報が更新されてって、俺もちょっと頭がついていけない。

 

 のほほんと呑気にミニゲームを眺めていた爺の顔を思い出して、頭の中でツッコミを入れてやりたくなった。

 と、隣からの視線を感じてチラッと見ると、カントクさんが何故か俺の事を真顔で見詰めていた。え、俺何かした? 

 

「……あのー? …………何か?」

「………………」

「カントクさん?」

「ちょっと服脱いで」

「は?」

 

 頭から爪先まで食い入るように見詰めてきたかと思ったら、いきなり意味不明な事を言われた。しかも呆気に取られている内に、カントクさんの手が俺のシャツを今にも捲り上げようとしている! ちょっと待て! 本当に何!? 

 

「いやいやいや!! ちょっと待とう!? いきなり何!?」

「いいから脱いで! その方がよく見えるから……」

「あれ? 二人とも何やってんだ?」

 

 俺とカントクさんが廊下のど真ん中で揉めている中に、割って入ってきたのはこれまた聞きたくない声だった。

 風呂上りらしく肩にバスタオルをかけながら、のっそりと木吉が歩いてきた。

 よりによってこんな面倒臭いタイミングで登場してくんじゃねーよ!空気読め!

 

「ちょうど良かった。鉄平、手伝って! 彼の事抑えてて」

「は!?」

「え? あ、うーん。こうか?」

「えっ!? ちょ、待った待った!! ストッ──プ!」

 

 木吉、やっぱりお前は好きにはなれない。心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで良し。余計なお世話かもしれないけど、スタメンなら自分の身体はちゃんと管理しておかないとダメよ」

「はあ……」

 

 やや強めに背中に湿布を貼られながら、俺は生返事をした。

 

 俺の背中辺りに打ち身の痣が出来ていたらしく(練習中にボールか何かにぶつけたんだろうが)、カントクさんと木吉に担ぎ込まれて二階の部屋で簡単に手当てしてもらっていた。

 木吉がニコニコ見守ってる事に居心地悪さを感じながら、俺はやっとシャツを着直した。

 

 こんな事がよく分かったな。しかも背中なのに。

 何でもカントクさんは、選手の身体の状態が分かる特殊な目を持ってるらしく、怪我なんてしたら一発で見抜かれるらしい。だとしても、廊下のど真ん中で服を脱がす事はねーだろ…。

 

「あ、じゃあ私は火神君探さなくちゃならないから、ちょっと外出てくわね。鉄平、後よろしく」

「おう、気をつけてな」

 

 は? 

 

 用が済んだとばかりに、身軽に腰を上げて部屋を出て行ってしまうカントクさん。

 ちょっと待て! 行くならこいつも回収していけ! 

 

「どうしたんだよ雪野、変な顔して。背中の痣、そんなに痛むのか? 大丈夫か?」

「…………そうじゃないよ。ていうか、僕ももう行くから」

「まあまあ。ほら、宿のおばちゃんに今日はみかんもらったんだよ。美味いぞー」

 

 こいつ人の話全っっ然聞いてねえな。

 朗らかに笑いながら、木吉は部屋の窓近くの丸机に置いてあったみかんを2個持ってきた。まあ、みかんを選ぶ辺り、俺が甘いもの嫌いって言ったのを考えてんのか? 

 

 と、どこから持ってきたのか湯飲みと茶まで出してきて、俺にも茶を淹れる。

 え、何でこんなくつろぐ雰囲気になってんだ。

 仕方ないから一杯茶を飲むと、部屋に妙にまったりした空気が流れ出した。

 

「……で? 何の話だよ」

「話?」

「わざわざ引き留めたんだから、俺に何か言いたい事があんだろ。さっさと言えよ」

「……やっぱり雪野、リコ達の前では猫被ってたんだな」

「放っとけよ!!」

 

 一人で納得しているこいつの頭を引っ叩きたい。

 

「別に大した話なんてないよ。中学の時に試合して以来だし、雪野があれからどうしたのかって思ってたから、ちょっと話したくなってさ」

「本当に人が良いよな、お前も……。俺の事恨んでねーのかよ」

「え? そりゃあまあ、秀徳にいるって知った時は、まだバスケやってたのかって思ったけどさ」

 

 木吉が気軽に言った一言が思い切り刺さってきた。

 こ、こいつ……能天気そうな顔して傷口に塩塗り込むみたいな事を……。

 

「けど、続けてたんなら嬉しいよ。雪野もやっぱりバスケが好きなんだな!」

「……別に好きとかじゃねーけどさ」

 

 好きとか嫌いとかはあんまり考えた事はなかった。

 俺は勉強はダメだし、せいぜいスポーツがちょっと出来るくらいしか取柄が無かったけど、一番向いてたのがバスケだったって話だ。

 こいつは本当にバスケが好きでやってるって感じだけどな。

 

 本当なら、木吉が言うように中学の時に辞めてたっておかしくなかったのに、それが高校に入って今もしぶとく続けてんだから、分からないもんだと思う。

 

「それにしても合同練習は色々と刺激になったよ。うちは部員が少ないから、秀徳みたいな強い所と試合出来るといい経験になる」

「誠凛だって強いだろ。公式戦じゃこっちが負けてるし、厄介な一年もいるし」

「黒子と火神の事か?」

「「キセキの世代」だって驚いてんのに、あんなでたらめに成長する奴もいて、俺達の下の代は一体どうなってんだか」

 

 半分は愚痴に近かったけど、木吉はちょっと苦笑いして茶を飲んだように見えた。

 

「そういえば火神は練習中ほとんど居なかったな」

「ああ、リコから言われて砂浜をずっと走ってたみたいだぞ」

「砂浜……」

 

 それは単純な筋力の底上げの為か、あのカントクさんの事だから狙いは別だろうけど。

 

「多分、火神の跳躍(ジャンプ)力の制御の為に走らしているんだろうけどな」

「……確かにな、あいつも本当の利き足で跳んだら負荷がいつもの比じゃねーだろうし」

「! 雪野、知ってたのか? 火神の利き足の事」

「そりゃ試合したんだから分かるだろ。ここ一番の時には右足で跳んでるよな、あいつは。けど跳べばいいって思ってるみてーだし、その後の自分の負荷をちゃんと考えるように言っておけよ」

 

 IH(インターハイ)予選で試合した時も、後先考えずにポンポン跳んでたから、あいつは自分の足にかかる負担なんか全く考えちゃいないんだろう。

 きっちり足腰鍛えておかねーと、決勝リーグで脱落した時の二の舞になりかねない。

 

 ……と、目の前の木吉の能天気な顔がいつにも増して緩んでいた。

 その微笑ましいようなものを見る目はなんだよ。

 

「何だよ、その顔」

「え? いやーだって、火神の事気遣ってくれてんだろ? 雪野って優しいな、大分雰囲気も変わったし。昔はもっと冷たい感じだったのに」

 

 危なく飲んでいた茶を吹き出しかけた。

 ゲホゴホと咽る俺に、「大丈夫か?」と木吉が呑気な声をかける。

 

 ……よく、俺にそんな事言えるもんだと思う。

 結局、俺の優しさなんて毎日を平和に過ごしたい為の上っ面だし、それを言うなら木吉の方がよっぽど優しい。というか、心が広過ぎてちょっと怖い。流石“鉄心”って言うべきなんだろうか。

 

「……じゃあ、俺はもう行くから」

「おう。引き留めて悪かったな。あ、これも持ってけって」

 

 立ち上がった俺に、土産のつもりなのか、みかんを3・4個くらい押し付けてきた。この辺が、ちょっと親戚のおっさんぽいよな、こいつ。

 

 みかんを手に抱えながら部屋を出て、俺は二階の階段を降りて行った。

 すると、今度は逆に、目の前から階段を昇ってくる人影が見える。

 

「あれ? 雪野か? ……何だよ、そのみかん」

「日向君か……いや、木吉君にちょっともらって」

「何してんだあのバカは……」

 

 今日は誠凛の面子によく鉢合わせる日だ。

 日向は木吉の天然ぶりを思い浮かべたのか、がっくり溜息を吐いた。

 

「木吉に何か用でもあったのか?」

「いや別に……世間話だよ。じゃあね」

 

 すれ違いざまに、日向にもみかんを1個押し付けてそのまま階段を降りた。

 大した事無い世間話だったけど、合宿の初日より足取りは軽くなったように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 予定外の事で時間を取ってしまった。

 今からじゃせいぜい砂浜を走ってくるくらいしか出来ねーか……と思っていたら、玄関から人が帰ってきたような音が聞こえた。

 

「あ~疲れた~……」

「やっぱり練習後はきついな……早く風呂に入ろうぜ」

 

 玄関に行ってみれば、シャツを汗だくにして立っていたのは木村と時田の上級生二人組だった。今まさにランニングから帰って来たらしい雰囲気だ。

 木村はいつも宮地(兄)の方と一緒にいる事が多かったから、この二人組は珍しい。

 

「あれ、雪野。…………どうした、そのみかん」

「ああ、いえ……ちょっともらって。よかったらどうぞ」

「お、おう」

 

 木村が抵抗なく受け取ってくれたので、ついでに時田にも押し付ける。

 よかった、これで全部処理出来た……。みかんは好きだけど、一度に3個も4個も食べらんねーよ。

 

「……二人共、走って来てたんですか?」

「ああ、そうだぜ。宮地も一緒だったんだけど、もう一周してくるって言ってな」

「宮地さんも?」

「宮地も色々必死なんだよ。緑間がやっとチームに協力してくれそうだしね」

 

 ちょっと微笑んで言ったのは時田だ。

 その言葉に、ついこの間の海常との練習試合が頭によぎった。

 

「……この前の練習試合で、緑間君がパスを出した事言ってるんですか?」

「そうそう。俺もびっくりしたけどな、SG(シューティングガード)って言ってもほとんど緑間の控えみたいなもんだから、試合で出番なんて来ないと思ってたし」

「………………」

 

 何て言えば正解なのか分からなくて、俺は沈黙してしまった。

 そういう話で言えば、俺はPF(パワーフォワード)のポジションを三年の木村から奪ってしまった形になる。一年の時にスタメン起用された時は、本当なら木村がなる筈だったのにとかいう噂をちらちら聞いた。

 

 木村は持っていたタオルで汗を拭きながら時田に言った。

 

「あの緑間も流石にチームプレーを考え始めたって事じゃないか? 誠凛に負けたしな」

「そうだったら嬉しいけどねー。冬は今度こそ勝ちたいし、緑間の力は俺達にも必要だよ」

「だな。雪野、お前もよろしく頼むぞ」

「え?」

 

 いきなり話が振られた。

 

「え? じゃねーだろ。大丈夫か? 雪野だってうちのエースの一人なんだし、火神の跳躍力に張り合えたのはお前だけだったじゃねーか。頼りにしてんだぜ、一応」

「…………」

 

 咄嗟の事でぼんやりしてしまったけど、何とか「はい」くらいは返事が出来た。

 木村も時田も言いたい事はそれで終わったのか、宿に上がって奥の方に歩いていった。多分風呂にでも行くんだろう。

 俺はしばらく玄関先に佇んでいたけど、すぐにまた、外への引き戸を開ける事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の季節は夜も薄暗闇がかっているだけで外は明るく感じる。

 俺は一人、砂浜を走っていた。

 ボールをいじる気分にはなれなかったし、とにかく体を動かしていたかった。昼間の疲れを忘れてしまったように足が動いて、今はがむしゃらに砂浜を駆けていた。

 

 合宿も四日目、つまり明日が最終日だ。

 この数日で普段の三倍、いや五倍はみっちり練習させられたって断言出来る。あの監督、俺達を殺す気かって途中で思ったからな……高尾なんか一、二度は吐いてたし。

 

 基礎的な面は確かに向上した。

 予想外に誠凛と合同練習なんかする事になって、スタメンの連中も予選の時の事思い出したみたいにギラギラしてるし。宮地(兄)の雷が毎回俺か緑間に落ちて大変だったけど。

 

 無心で砂浜をひたすら走っていた、その時だった。

 

 ドガッ、と見えない何かにぶつかって、その弾みでバランスを崩しかける。

 

「わっ!? ……っと」

「すいません、雪野さん」

「え? …………って、うわっ!? 黒子!?」

「はい」

 

 すぐ隣で黒子が砂の上に尻もちをついていた。

 

 毎回毎回、心臓に悪い登場すんなよ……。この薄暗い中で黒子を発見すんのは、ちょっとしたホラーだぞ。肝試しやってんじゃないんだから。

 多分俺が突き飛ばしてしまったらしい黒子に手を貸すと、黒子は素直に手を取って立ち上がった。

 

「あー……ごめんね、気付かなくて」

「いえ、構いません。いつもの事ですから」

「ああ、そう……」

 

 こいつの役割からすればそれでいいんだろうが、そこまで割り切っていいのか? とも思う。

 

「黒子君もランニング?」

「はい、それと火神君を追っていたんですけど、速すぎて追いていかれちゃいました」

 

 まあ、火神と黒子じゃ歩幅も何もかも違い過ぎるだろうしな……。

 目の前の、男子としちゃ平均的だろうけど、バスケ部員としては小柄過ぎる体格の一年を見る。

 

「……でも、会えてよかったです。僕から雪野さんにお礼を言いたかったんです」

「礼? 何で僕に?」

「IHの決勝リーグの後の時の事です。……悩んでいた僕に、声をかけてくれました。リーグ戦では負けてしまいましたが、火神君とはきちんと話す事が出来たんです」

 

 そういえば、決勝リーグの後にストバスのコートで偶然こいつと会ったな。

 その時は、黒子の落ち込みっぷりがあんまりにも酷かったから、他校生なのに随分お節介な事を言ったと思う。

 

「いや、そんなお礼言われる程の事言ってないよ?」

「いえ、雪野さんに話を聞いてもらったおかげです。……青峰君や、他の「キセキの世代」を倒す為には、僕も変わらなきゃいけないって気付いたんです。だから火神君とも、ちゃんとこれからの事を話し合えました。……ありがとうございます」

 

 と、黒子は丁寧に頭まで下げてきた。律儀な奴だな。

 けど、それで決勝リーグの後で火神が急に元気になった理由が分かった。黒子と腹を割って話す事が出来たんだろう。それで桐皇との惨敗も吹っ切れたって事か。

 

 そうやってチームメイトと信頼関係を築けていけてるんだから、黒子も火神も恵まれてる。

 

「それなら良かったよ。まあ、次はWC(ウィンターカップ)で会う事になるだろうけどね」

「はい。僕達も負ける気はありません。それまでに、新しい技を習得するつもりです」

「新しい技?」

「はい」

 

 流石にそれ以上は言うつもりは無いらしい。

 新しい技っていうと、またあの弾丸パスみたいな、とんでもないパス回しをしてくる気か。

 透き通るような黒子の目には、はっきりした決意を感じる。……体は俺よりずっと小さいのに、意志の強さはずっと上だ。

 

「……雪野さん?」

 

 黙り込んでしまった俺に、黒子が心配そうに声をかけた。

 

「……ああ、ごめん。大丈夫。ちょっとね、僕も考えちゃって」

 

 IH予選での敗戦から、この合宿で、皆がそれぞれ変わろうとしている。

 大坪主将を始めとして一軍のメンバーも、宮地も木村も高尾も、緑間だってそうだ。

 火神もこれからの試合の為に、きっと跳躍力の課題を見つける筈だ。

 

 それなら、俺は? 

 

 俺は今まで、何か出来たんだろうか。

 結局昔も今も悩んでばかりで、何一つ変われてないんじゃないかと思うと、砂浜でも走らずにはいられなかった。

 

「……何か悩みでもあるんですか?」

「大した事じゃないよ。ただ、皆は前に進んでいるけど、僕だけ何も変わってないなと思ってさ」

 

 海からは涼しい風に混ざって潮の匂いが流れてきた。

 沈黙が落ちて、代わりに波音が聞こえてくる。

 

 ……まずい。何で愚痴なんか言ってんだ、俺は。しかも他所の学校の一年相手に。

 

「ああ、ごめんごめん。聞き流しておいて、それより走ろうか」

「変われますよ」

「え?」

 

 静かだけれど、波音に混ざってもよく聞こえる声で、黒子は言った。

 

「……雪野さんが何に悩んでいるのか、僕は知りません。だから無責任な事を言うかもしれませんが、変われない人なんか居ないと思います」

 

 その言葉が俺に対してよりも、黒子自身が普段から言い聞かせてる事みたいに思えた。

 確かこいつは、チームメイトの青峰にまた昔みたいにバスケをしてほしい、そう願って試合をしていた筈だ。

 

 だから信じ続けているのか、変われるって事を。

 

 

「火神君も、誠凛に来たばっかりの時は自分勝手でこう見ずで、チームプレイなんか一切考えられないそれは酷い有様だったんですよ。それが今じゃ、先輩にも何とか敬語を使って話すようになりましたから、人の変化はすごいものだと思いました」

「いやそこまで言うのは可哀想じゃない!?」

 

 

 それからまた、黒子とランニングを再開し、しばらくして火神に追いついた。

 そして火神の口から、緑間が遠回しに火神にアドバイスをしてきたって話を聞いて、あの後輩の変化に更に驚かされる事になる。

 

 

 海からの潮風が俺達の熱気を包み込むように、穏やかに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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