黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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29.大舞台

 

 

 

 

 

 合宿所にある体育館は練習が終われば施錠されるが、自主練習をしたい場合は鍵を自分で取りに行って使っていい事になっている。勿論、使用後の片付けはちゃんとしろって決まり付きだけど。

 

 早朝、俺はこっそり宿から出て体育館に向かっていた。

 見に行ったら鍵は無かった。となると、誰かが既に自主練で来てるって事だが。

 

「…………あ」

 

 だだっ広い体育館で、一人練習していたのは緑間だった。

 

 目が合い、でかい緑頭が会釈してくる。こういう礼儀だけはきっちりしてる奴だ。

 つーか早いな!? 今だって5時回ったばっかりだぞ!? 

 こいつ一体何時起きしてんだよ……そういえば起きた時に、あの個性的過ぎるナイトキャップがいないと思ったけどさ。(緑間はこの暑い中、何故かナイトキャップ持参で就寝していた。こいつのこだわりは理解不能な事ばっかりだ)

 

「早いね、緑間君……いつからやってたの」

「30分程前からです。大して早くはありません」

 

 いや大した違いだろ。

 この後輩は人の皮を被ったサイボーグか何かなんじゃねーか。

 

 他に誰もいない体育館で、しばらくの間、ボールのドリブル音とゴールネットをくぐった音だけが規則的に反響した。

 俺がレイアップを5回くらい決めた時に、ふと隣を見ると、緑間の手からいつものように寸分の狂いもない3Pシュートが打たれた。かごに溜まっているボールを一つ一つ取って、次々にシュートを打っていく。

 こいつのシュートが外れないのは、もう今更驚く事じゃないけど、よくあんな黙々と続けられるもんだと思った。外れないんだから、打ってる側からすれば飽きが来たっておかしくねーのに。緑間は顔色一つ変えず、ノルマをこなすみたいに打ち続けている。

 

 思わず口を出していた。

 

「努力家だよね、緑間君て」

「は?」

「そんなに練習しなくたって、緑間君の実力ならもう充分なんじゃないの?」

 

 ちょっと嫌味っぽい言い方になったか。

 すると緑間は、分かりにくい無表情を少しだけ顰めたように見えた。全然笑わない癖に、嫌な感情だけははっきり出してくる。

 

「何を言いたいのか分かりませんが、俺は俺がやるべき事をやっているだけです。充分かどうかは、自分で決めます」

 

 ピシャリと撥ねつけるように言葉を投げられた。

 正論で言い返してくるとは思ってたけど、口調がいつになく刺々しい。

 

「やるべき事ねえ……」

 

 チラリとゴール下を眺めると、壁際にもたれかかるようにして立ててあったのは大きめの白い傘だった。ああ、今日のラッキーアイテムか、とすぐ察してしまう自分が物悲しい。

 

 普段は上級生にも遠慮なく物を言うし空気は読まないし電波だし、ついていけねーこだわりの方が多いけど、同時に、緑間は驚く程ストイックだ。周りの奴等にも無茶を要求するけど、多分、自分に対して一番妥協していない。

 宮地(兄)が色々と叱ってはきても、本気でキレた事が無いのはそれも影響してるんだろう。

 この合宿でこいつの練習量を改めて見て、そう思った。

 

 緑間が俺に背を向けて、再び3Pシュートを打つ。決して外れる事がない軌道を描いて、ボールがゴールに命中した。またコロコロと床にボールがたまる。

 …………いや、いくらなんでも打ち過ぎじゃね? 

 

「……緑間君、あの、それ何本目なの? あんまり朝からやり過ぎても体壊すよ」

「これで101本目です。今日のラッキーナンバーは「2」ですから、222本まで打たなければ終われません」

「ああ、そう……」

 

 高尾、頼むから来てくれ。

 この場に居ない後輩の有難みを実感しながら、俺はちょっと遠い目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終日は朝食を取ったら午前中の内に宿を引き上げる予定になっている。

 このボロ宿とも、ここ四日間で食わされ続けた特盛献立からも解放されると思うと、重石を取ったみたいに体が軽くなってきた。本当色々あり過ぎたからな、今年の合宿は……。

 

「……緑間君、それ何」

「白玉小豆です」

「いや、それは分かるけどさ」

 

 何っで朝からそんなもん食ってんだよ。

 正面の席では、後輩が真面目そのものの顔でプラスチックの器に入った白玉を食べていた。

 そしてもうお決まりのように、隣にいる高尾が補足をする。

 

「お汁粉がなかったもんだから、仕方なく白玉買ってきてんですよー。わざわざコンビニまで行って」

「よく朝から食べられるよね……」

「真ちゃんは小豆食べないと死んじゃう体質なんですよ!」

「死なないのだよ!」

 

 本人はそう言うけど、言われてみれば緑間は合宿中でも隙あらばお汁粉を飲んでいた。2本くらい平気で。少しはセーブしとかないと将来的に本当に死ぬぞ。

 

「あれ、誠凛の女カントク来てんじゃん」

「監督に用でもあるんだろ」

 

 と、宮地(兄)と木村の会話から聞こえた単語に、咄嗟に後ろを振り返った。

 

 食堂の入り口近くの場所に、確かに誠凛のカントクさんの小柄な姿が見える。その後ろには木吉がでかい図体で付き添っているもんだから余計に小さく見える。中谷監督と何か話しているみたいだけど、合同練習の礼でも言っているのか。

 俺達と同じく誠凛も今日が合宿の最終日らしいが、奴等は一足先にもう宿を出ていた。

 今朝、誠凛の一年生らしき面子が大慌てで荷造りをして廊下を走っていた光景を思い出す。

 

 何も考えずに両監督のやり取りを眺めていたが、すると、うちの監督は何故か木吉に話しかけ始めた。カントクさんとの挨拶は終わったらしく、今度は監督と木吉で、場所を変えてどこかに行ってしまう。

 

「雪野さん? どうしたんスか? ボーッとして」

「いや……。……ちょっとごめん、顔洗ってくる」

 

 まだ三分の一くらいしか食ってない朝飯を置いて、俺は席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かとてつもなく胸騒ぎがする。

 食堂をそっと出た俺は、木吉と監督の後をこっそり着けた。幸い、すぐに宿の玄関前から二人の声が聞こえてきたので、更に抜き足忍び足で近付いていく。

 

「────やはり、もう一度聞きたい」

 

 監督の声に耳を澄ます。

 思ったより深刻そうな雰囲気だけど、木吉に一体何の用なんだ。

 

 

 

秀徳(うち)に来ないかね?」

「えっ!?」

 

 

 

 予想を遥かに超える内容に、体が勝手に動いていた。

 突然出てきた俺の姿に、木吉と監督の驚いたような目が揃って俺を見る。いや驚いたのはこっちの方だぞ!? 

 

「何だ雪野、そこに居たのか」

「いや居たのか、じゃないですよ! ……何言ってんですか、監督」

 

 俺の言いたい事は察しているだろうに、監督は特に動揺した気配も無い。

 ……食えない性格したおっさんだと思ってたけど、俺の昔の事知ってる癖に、木吉をスカウトするって正気か!? 本当に何考えてんだ。

 

「無茶なのは承知だよ……。だが彼はお前と同様、帝光の無敵時代に「キセキの世代」と渡り合った数少ない選手の一人だ。そういう意味では、「キセキの世代」以上に評価している面すらある」

「そんな事言われても……」

 

 それに俺は「キセキの世代」と渡り合った覚えはねーよ。

 木吉を評価するのはいいけど、俺の精神衛生的な面も考慮してくれませんかね。

 

「…………いいお話ですが」

 

 と、当事者の木吉が、言葉を選ぶようにして口を開く。

 

「雪野との事なら私も分かっている。それでも考えられないか?」

「いや、そうじゃないんです。雪野と同じチームになるのは面白そうだと思いますけど」

 

 木吉の色素の薄い瞳が、申し訳なさそうな視線を俺に向けた。

 俺も監督以上の緊張で木吉の言葉を待つ。

 

「俺は誠凛(あいつら)と頂点を目指すって約束してるんです。だから……すいません」

「……そうか」

 

 その答えを聞いて監督は残念そうだけど、俺は心から安心した。

 だよな! いくら頭のネジが緩そうなこいつでも、秀徳に来るなんて事は無いだろう。誠凛の奴等との約束が理由っていうのが、木吉らしいって思うけど。

 

 監督もダメ元の勧誘だったのか、それ以上しつこくせず挨拶だけして、先に食堂の方へ戻っていった。爺ちゃんを呼んで来た事といい、あんまり俺の心臓に悪い事をしないでほしい。

 

「…………雪野、俺も行くな。日向達が待ってるし」

「あ? ああ……じゃあな」

 

 出来ればもう二度と会いたくない。

 けど誠凛にいるなら、これから試合でいやでも会うんだろうなあという諦めに似た気持ちが出てきた。

 

「そういえば背中の怪我はもう大丈夫なのか? 結構大きい痣だったし」

「平気だよ、あれくらい。ほとんど治った」

「そっか、よかったな! ……次の試合じゃ、お互い頑張ろうぜ」

「………………」

「どうした? 雪野」

 

 しみじみ呆れてるんだよ、色んな意味で。

 木吉のこの能天気オーラを浴びてると、合宿中にあれこれ考え込んでた俺がバカみたいに思えてくる。 こっちは地獄の練習で体がボコボコにされて、その上精神的にもボコボコにされてた気分だったのに。何だよこいつのこの笑顔。何でこんな純度100%の爽やかスマイルを向けられるんだよ。

 

「お前っていい性格してるよな……」

「ははっ、よく言われる」

 

 よく言われんの? 

 

「……頑張ろうとか気楽に言ってるけど、いいのか? 試合になったら、どっちかが負ける事になるのに」

「そりゃそうだな」

「…………随分自信あるんだな。俺とまた試合しても、不安とかねえの?」

「不安なんて無いよ。だって雪野はもう、昔とは違うんだろ?」

 

 木吉の表情は相変わらず、凪いだ海みたいに穏やかそのものの笑顔だった。

 その優しい言い方がむず痒くて、視線を逸らす。

 

「……さっさと行けよ。他の奴等に置いてかれるぞ」

「あっ! そうだな、ありがとう。じゃあな! 雪野」

 

 二年ぶりに会った無冠の五将“鉄心”は、最後までマイペースなままで去っていった。

 次に会う時はWC(ウィンターカップ)を懸けた試合の時になる事は、俺達だけじゃなく、チームの全員が分かっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戻ってみると、食堂が何だか騒がしくなっていた。

 大坪主将に宮地(兄)に木村、他のメンバーも何故か椅子から立ち上がって、何かを取り囲むように輪を作っている。

 

「あ! (あきら)君~丁度よかった。私もそろそろ行きますから、後は皆さんと仲良くしてくださいね」

「はあ……っていうか、これ何の騒ぎ?」

 

 輪の中から目立つプラチナブロンドが出たかと思えば、居たのは爺ちゃんだった。

 俺達のほとんどが練習着のシャツを着てる中で、黒のスーツにグレーのネクタイまで締めてガチガチのビジネススタイルにしている服装は浮いてるなんてレベルじゃない。場違い過ぎる。

 足元にはキャリーケースが転がってるし、今度はどこに行く気なんだ。

 

「瑛君、この子の事をよろしくお願いしますね」

「この子?」

「ほら、この子ですよ」

 

 と、爺ちゃんに続いて主将達の輪の中から現れたのは────白い毛玉だった。

 

 は? 毛玉? 

 いや、でも動いてるし目も耳もあるし、よく見れば髭も生えてるし、何かニャーって鳴いてるし……と、そこまで見てやっと俺の頭も覚醒し始め、それが子猫だって認識した。

 

「え!? ……何で猫?」

「雪野さん、この猫、雪野さんのお爺さんがさっき連れてきてたんスよ」

「さっき宿の前で、大我君にお別れを言ってた時に見つけましてね~捨てられてたんですよ。そういう事だから、瑛君達で面倒見てあげてくださいな」

「はあ!?」

 

 待て、前後の文章が全くつながってねーよ!? 

 流石にこのメチャクチャな申し出には、大坪主将からも否の声が出た。

 

「あの大輔さん……流石に生き物はちょっと。学校側に許可を取らなくてはいけませんし、バスケ部全体で面倒を見る事にも無理がありますから。大輔さんが引き取る訳にはいきませんか?」

「私はこれからスイスに行かなきゃならないから無理ですよ。だいじょーぶ、マー君には言い含めてありますから何とかしてくれますって。それにほ~ら、この子こんなに人懐っこいし可愛いし、ここってマネージャーもいませんし、華やかになるじゃないですか」

 

 木村が恐る恐る白猫の頭を撫でてみると、猫はじゃれるようにその手に頭をすり寄せてきた。その様子を見ていた宮地(兄)まで、今度は猫の喉を撫でる。すると嬉しそうに喉を鳴らした。

 ……おい、いつもの迫力はどこいった。まずい、部員が早くもメロメロにされてる空気が漂っている。

 

「あれ? 宮地さん意外と猫好きっスか?」

「別に普通だよ普通。こいつが人懐っこいだけだろ」

「確かに人に慣れてるよなー。宮地くらいでかい奴が近付いても逃げないし」

「お前らもほとんど似たような身長だろうが潰すぞ」

「……何かこの猫、雪野さんに似てますよねー」

 

 高尾の静かな呟きに、場の和やかな空気が一瞬止まる。

 そして上級生陣+高尾の視線が俺に向き、猫に向き、そしてまた俺を見た。

 

「確かに似てる! この白い毛並みとか」

「いやこのやる気のなさそーな顔つきもそっくりだぜ、人間だったら轢きたくなるな」

「世の中には似た人が三人居るって聞くが、猫にも通用するんだな……」

「ぶっふぉ!! 雪野さんって猫だとこんな感じ……!」

 

 いや、白いって事だけだろ!! 

 酷い言いがかりをつけられた。

 

「良かった良かった、皆さんすっかり打ち解けてしまったみたいで。これで安心して任せていけますね」

「何も安心出来ねーよ……」

 

 監督にまで話通してるなら、もう絶対引き受けるしかねーだろ。この爺は一度言い出したら何が何でも実行させるんだよ、もう分かってるんだよ。まあ確かに、人懐っこい猫みたいだし、猫嫌いな奴も居ないみたいだし、唯一それが良かったのか……? 

 そう言えばさっきから緑間の姿が見えない。あいつの事だから、我関せずって感じで飯でも食ってるかもしれないけど。

 

「……緑間君はいいの? 混ざらなくて」

「あんなむさ苦しい中に入りたくないのだよ」

 

 一理無くもない。

 

 予想通り、緑間は一人だけテーブルに座ったままで黙々と朝飯を食っていた。

 他の連中は、爺ちゃんが連れてきた意外な客に夢中になってるのに反応も冷めたもんだ。大坪主将を始めとして、ごつい体格ぞろいのバスケ部の面子が猫と戯れている光景は確かにむさ苦しい。

 女子成分が無いとここまで癒しに飢えるもんなのか……。ここ数日は朝から晩まで軍隊じみたノリと勢いで練習地獄をくぐってきたから、小動物一匹にも凄まじく和むのかもしれない。

 

「んな事言ってー真ちゃんもほら、触ってみ? 大人しいから」

「近寄るな」

 

 と、高尾が猫を抱きかかえて緑間に近付いたその瞬間、緑間は恐るべき反射速度で後ずさった。……え? 何、今の反応。

 思わず俺と高尾で顔を見合わせ、お互いの頭に浮かんだ疑問が共有される。

 

「……緑間君、ひょっとして猫が怖いの?」

「違います。好きでは無いだけです」

「つまり嫌いなんだね」

「え? え? マジ? こんなに可愛いのに……」

「近付くな!!」

 

 高尾の腕から猫がストンと軽やかに飛び降り、緑間に近付いていく。つぶらな瞳で緑間を見上げる白猫が一歩進む度に、猫に比べれば巨人って言ってもいい緑間が後ずさりしていく。

 なかなかシュールな光景だった。

 

「ぶっふぉ!! ぎゃはははっ!! マジでビビってる! あの真ちゃんが! やべーあの猫すげー!!」

「緑間にこんな弱点があったとはな」

「ぶはっ! いい気味! よーし猫、そのままやっちまえ!」

「やってる事が小学生だぞ宮地……」

 

 朝から一段と騒がしくなり始めた食堂を眺めながら、隣の爺ちゃんがニコニコと呟くのが聞こえた。

 

「うんうん、楽しそうで何よりです。これで安心ですね」

「いや、全く安心出来ねーよ……」

 

 あと、約1名は絶対楽しそうじゃないと思うぞ。

 

「それじゃ私は行きますね。瑛君、エリザヴェータの事はお願いしますよ」

「エリ……?」

「あの猫の名前です」

 

 何でそんなゴテゴテの名前にしたんだよ、とか言いたい事は他にも色々あったけど、もう朝からこれ以上叫ぶ気力が無い。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうあって、俺達は四泊五日を過ごした民宿を後にした。

 帰るってなると、あんなボロ民宿でも名残惜しく感じる──事は無かった。体育館の設備は立派だけど、次回来る時にはもうちょっとだけ宿も立派にしてもらいたい。特に、寝る時に蚊があちこちからたかってくるのは参った。

 

「何か合宿も終わっちゃうとあっという間っスよねー」

「ほー高尾、そんな事言う元気があるんだったら、お前だけもう一周特訓メニューやっとくか?」

「宮地さん、それマジで死んじゃうメニューです!!」

 

 帰りのバスの中でも、高尾はやかましく軽口を叩いては宮地に怒鳴られてるし、他の奴等も仮眠していたり談笑していたり様々だ。夏の合宿って山場を越えて、張り詰めていた緊張が程々に抜けた感じが丁度いい。

 

 俺も本当なら眠りたい気分だった。────隣の席で座り込んでいる、猫の存在がなければ。

 

 結局、爺ちゃんから押し付けられた白猫はバスケ部全体で飼う事になり、監督もしぶしぶって形で了解してしまった。(どんだけ無茶振りしたんだ、あの爺は)

 猫嫌いらしい緑間が、珍しく絶望的な表情をしていたのを思い出す。何でも、昔引っかかれた事があるから嫌いらしい。この猫には懐かれているような感じだったけど。

 押し付けた本人の爺ちゃんは荷物をまとめて、一人だけまたどっかに旅立ってしまったし。

 

「…………」

 

 エリザヴェータとかいう派手な名前を付けられた白猫は、女王様みたいにふてぶてしく席で眠っている。人の気も知らないでこいつは……。俺に似ているとか言ってたけど、俺はこんな小憎らしい顔つきはしてないと思うぞ。

 

 何となく、眠っているその猫の頭に手を伸ばして撫でてみた。

 

「にゃあっ!」

「痛っ!?」

 

 が、その瞬間、猫が目覚めたかと思うと威嚇するように俺の手を引っ搔いてきた。

 何っっで、俺にだけこんな態度悪いんだよこのドラ猫は! 

 他の連中には、口が悪い宮地や鉄仮面の緑間にでさえ愛想振りまいてたのに、何で俺相手にはこんなだよ。爪立ててきたぞ。

 

「お前達、あんまり気を緩め過ぎるなよ。あと30分程で会場に着くから、そのつもりでいるように」

 

 と、俺の前の席に座っていた監督が穏やかに注意してきたが、会場、という言葉に引っかかった。

 え、このまま学校に帰っているルートじゃねーの? 

 

「……あの、監督。会場って……?」

「ミーティングの時に何聞いてたんだよお前は。最終日はこのまま、IH(インターハイ)の準々決勝見に行くって事になってただろうが」

 

 通路を挟んだ隣の席に座っていた宮地が、呆れ半分怒り半分で説明してきた。その言葉で、俺も昨日のミーティングで監督から言われた事を思い出す。

 

『――合宿の最終日は、宿を引き上げた後にそのままIHの準々決勝を観戦に行く。会場もそれほど遠くないし、今年の対戦カードは注目すべきものだ。冬に備えて、よく見ておくように』

 

 バスは澱みないスピードで会場に近付いていく。

 隣の白猫は日光にまどろみながら、にゃあ、と呑気な鳴き声を出していた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 全国大会。

 去年も秀徳バスケ部として出場した経験はあるけど、結果は頂点を掴めず、ベスト16で終わった。当時の主将からは、リベンジしてくれと散々言われて、今年はこうして観戦する立場になってしまってんのは皮肉な話だ。

 

 でも観客だろうと選手の立場だろうと、この独特の熱気は変わらないなと思った。

 

 会場に到着すると、そこは既に観客で埋まっていた。

 予選とは比較にならない規模の熱気と歓声が、中央の試合が進む度に渦巻いている。丁度、準々決勝の第1試合が終わった所らしく、幕間のインターバルに入っていた。

 

「すっげー! 流石は全国大会。迫力ありますなー」

 

 高尾が素直に感想を述べる。

 到着が遅れたから席はほとんど埋まっていたけど、後方あたりに空席があったらしく、監督も含めた全員でぞろぞろとそこに腰を落ち着けた。

 ちなみに白猫はバスに置いていこうとしたんだが、降りた時に着いてきてしまったので、今は高尾のショルダーバッグに押し込んでいる。

 

「そういや雪野さん、桐皇の主将(キャプテン)ってどんな感じなんスか?」

「は?」

「だって同中なんでしょ? やっぱ強いんスか?」

 

 ここでその話題を出すんじゃねーよ。

 こいつに妙な事を吹き込んだみちるが恨めしい。

 

 それに、そういう話をするなら今は俺よりも適任がいるだろう。

 

「僕の話なんかより、緑間君の方が参考になるよ」

 

 高尾の左隣に座っている緑間に話を振る。

 

 何しろ、今年の準々決勝の対戦カードは海常高校と桐皇学園高校。

 つまり、黄瀬涼太対青峰大輝────「キセキの世代」有する学校の対決だ。

 海常とは俺達も試合した事はあるけど、所詮は練習試合。公式戦のこれとは注目度が違う。

 

 その両校のエースを二人共知っている筈の秀徳のエースは、会場に来てから無言のままだったが、やがて重い口を開いた。

 

「……勝敗がどうなるかは分かりません。中学の時は、「キセキの世代」のスタメン同士が戦う事は禁じられていましたから」

 

 何だよそのルール。

 こいつらの中学って、毎日殺し合いでもしてたの?

 

「ただ、経験値(キャリア)で言えば黄瀬は俺達の中でも短いです。あいつがバスケを始めたのは中二の時でした」

「は?中二で初めてあれなの……?」

「マジで「キセキの世代」って化物っスよねー」

「黄瀬は青峰のプレイを見て憧れてバスケを始めました。よく1対1(ワンオンワン)の勝負を青峰に挑んでいる姿を見たものです。ただ──黄瀬が勝てた事は、一度もありません」

 

 緑間の視線の先には、コートの中央に二つのチームが集まっているのが見える。

 

 一つは海常の白地に青のユニフォーム。

 もう一つは桐皇学園の黒いユニフォーム。白と黒のコントラストが、そのままチームの特色を表しているようだ。

 

 予選リーグの時とは違い、今度は青峰も最初から姿があった。同じ「キセキの世代」相手だったら、舐めてかからないって事なんだろうか。

 その青峰が、遠目にもキラキラした金髪──黄瀬と話している様子が見える。

 そして他のメンバーも挨拶を交わしていた。海常側では、主将の笠松が今吉さんと握手をしている。

 

 試合開始前の、緊張を孕んだ静けさ。

 観客も自然と息を呑んだように両チームの整列を見守っていると、その時、会場にアナウンスが響き渡った。

 

 

 

 

 

『それでは準々決勝第二試合、海常高校 対 桐皇学園高校の試合を始めます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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