黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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3.黄瀬涼太

 

 

 

 

 

 ある休日、爺ちゃんがこんな事を言い出したのが始まりだった。

 

 

「ねぇ(あきら)君。お使い頼まれてくれませんか?」

「は? 急に何」

「ほら、今日海常にキセリョが来てるでしょ? サインもらいに行って下さいよ」

「?? キセ、リョ? 何それ」

 

 起き抜けに意味不明の単語を言われて固まったが、爺ちゃんは鼻で笑って、俺の疑問符を吹き飛ばした。明らかに今、小馬鹿にしただろ。

 

 色気もそっけもない俺の白髪頭と違って、染めた爺ちゃんのプラチナブロンドはお手本のようにいつもキラキラ煌めている。年はとっくに50代も半ばの筈なのに、元々童顔で、小柄な体格であるせいか、いつ見ても年齢不詳の外見だ。

 俺も爺ちゃんと暮らし始めてやっと二年と少しになるけれど、見た目どころか未だにその実態は謎に包まれていた。分かっている事と言えば、ひたすら自由な人、って事くらい。

 

「瑛君……いくらテレビ見ないからって、キセリョも知らないなんてダメですよ? 

 世間の流れっていうのは毎日毎日、進んでいるものなんですから」

「いや……別に俺だけ知らないなんて事はねーだろ」

「瑛君達の世代じゃ常識の人ですよ。いい機会なんですし、会いに行ってみればいいじゃないですか」

 

 今日は二年に進級してからずっと続いていたバスケ部の練習が、久しぶりに休みになった貴重な安息日だ。一日中だらだらして過ごすと決めていた俺にとっては、非常に面倒な申し出だった。

 

「そんなに言うなら爺ちゃんが行けばいいだろ」

「だって私はこれからサーシャを迎えに行かないといけませんし」

「またいい歳して、どこの女引っ掛けてるんだよ……」

「人聞きが悪いですねー皆、私の大切な友人でありガールフレンドなんですから。

 そういう瑛君こそ、彼女の一人や二人いないんですか? 高校に入ってから、友達とだって遊ばれてないじゃないですか」

 

 余計なお世話だ。別に普段バスケ部が忙しいだけで、友人を作る暇が無いだけだっての。それに彼女は二人も何人も作るもんじゃない。交友関係が異常に広い爺ちゃんの基準と一緒にしないでもらいたい。

 

「外に出ないから何も出会いが生まれないんですよ。ほら、キセリョはモデルですよ? とっても綺麗な子だって聞くし……お近づきになりたいとか、思いません?」

「お近づきねえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 という経緯で、俺は折角の休日であるのに愛車を走らせ、「キセリョ」を拝みに目的地に向かっていた。日曜の午前中なんて寝るかゲームする以外に何もしていたくない。まあ小遣いはもらえたし、もっと言えば爺ちゃんが言ってた「キセリョ」の情報にちょっとだけ釣られた。

 仕方がないだろう。俺だって健全な男子高校生、しかもこの頃毎日放課後は、暑苦しい先輩方と面倒な後輩に挟まれての部活部活の日々だ。モデルでも何でもいいけれど、可愛い女子でも眺めて目の保養にしたい気分も少しはあった。

 

 日曜の午前中でも、そこそこ空いている道路を問題無く通過していた時だった。

 俺の視界に、最近とても見覚えのある緑色がちらついた。

 

 

「…………え、緑間、君……?」

「はい?」

 

 

 歩道をてくてくと、一人でマイペースに歩いていた大男が反応した。

 予想通り、我が秀徳バスケ部の一年坊主。入部初日から全上級生の反感を買いまくった問題児、緑間真太郎である。

 完全に私服である俺とは対照的に、緑間は休日なのに制服を着て、襟のボタンまでしっかり留めている。何かの式典の帰りか、とでも言うような隙の無い姿には少し威圧された。こいつと話すのは未だに慣れない。話す度にこっちの目を真正面から見てくるもんだから調子が狂う。

 

 このまま気付かない振りをすればよかったのに、と思ったが、こうなれば会話を続けるしかない。何せ俺はバスケ部では「温厚で優しい先輩」として通っているのだ。

 

「どうしたの? こんな所に一人で」

「…………雪野さんこそ。……それは一体?」

 

 俺の名前を覚えている事にちょっと感動したが、緑間の顔には分かりやすく不審感が浮かんでいた。まあ、今の俺を見たら誰でもそう思うか。

 

「僕、バイクの免許取ってるんだよ。遠出する時には結構乗るんだ」

「…………秀徳では校則違反なのでは?」

「許可をもらえれば一応大丈夫だよ。まあ、先生達も薦めてはいないから、皆もほとんど乗ってないけどね」

 

 嘘は言ってない。秀徳ではやむを得ない事情がある場合に限り、バイクに乗る事も許可されている。けどそれは事情がある時の例外的なもので、通学時は禁止だし、休日に乗り回してるのを見つかったらぶっちゃけ退学に関わる問題だ。

 俺だって自分からそんな危ない橋に首を突っ込んだりはしない。今日わざわざ乗ってきたのも、ここが秀徳の通学圏内から離れているから使っただけだ。まあ後は、電車とかよりこっちの方が、単純に気分が良いってのもあるけど。

 

 その説明では、緑間はあっさり納得しないようだった。

 いかにも優等生な見た目だし、ルールにうるさいタイプなのかもしれない。こいつが持ち込んでくるおかしなアイテムの方がよっぽどルール違反だと言いたいけどな。

 

「緑間君もどっかに用事?」

「この先でやっている、海常と誠凛の練習試合を見に行く所です」

「えっ?」

「え?」

 

 そこは俺の目的地だった。

 

「……すごい偶然だね。僕もそこに行く途中なんだ」

「……そうですか」

「よかったら、乗ってく?」

 

 いっつも取り澄ましてる緑間の顔が、その時ポカンと間抜け面になったのは面白かった。こういうのを鳩が豆鉄砲を食ったような顔と言うんだろうな。

 

「……いえ、結構です。自分で歩いて行きます」

「でも、もうとっくに始まってる時間でしょ。今から歩いていったら試合もほとんど終わっちゃうんじゃないの? これで行った方が早いよ」

「……ですが」

「校則が気になる? でもそんな事気にして用事に間に合わなかったら後悔するのは自分なんじゃない? 緊急事態なんだし、もしバレても大丈夫だよ」

 

 かなり強引な理屈だったが、手渡した予備のヘルメットを緑間は受け取った。

 試合に間に合わないかも、という点がこいつの背を押したらしい。俺も心の中で安堵する。

 本心から気遣った訳じゃない。これで緑間も共犯にしておけば、こいつの口からバイクの事が告げ口される心配は無いという、半分は打算だ。

 

「じゃあそれ被って、ここ乗って。僕に捕まっててね。運転中は絶対に動かず、体を離さないように。…………ていうか、それは何?」

「今日のかに座のラッキーアイテム、カエルのおもちゃです」

「ああ、そう……」

 

 緑間の左手に乗せられているカエルのおもちゃの円らな瞳と目が合う。目眩がしそうだったが、気をしっかり持った。

 ここ数週間の部活で、もうこいつのゲン担ぎへの異常なこだわりは分かっていた。それはもう嫌になるくらいに。

 名前はケロ助です、と緑間の律儀な解説に、俺は生返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 緑間を後ろに乗せ、ややスピードを上げながら目的地に向かう。道は混雑していなかったので、数分後には海常高校の門扉が見えてきた。駐輪場にバイクを停めると、緑間に降りるように促して、俺も愛車から降りる。

 緑間は俺の言葉に従って長身を大人しく丸めてしがみついていたので、乗せて走る事は苦じゃなかった。

 

「……ありがとうございました」

「どういたしまして」

 

 ヘルメットを返しながら緑間が言った。言葉の割に表情は固いが、こういう所は律儀な奴だ。

 だが到着するなり、さっさとどこかへ向けて歩き出してしまった。あまりにも足取りに迷いが無いから道順を知っているのかと思ったが、何となく気になって、その後ろ姿に声をかけた。

 

「ねえ、緑間君。えーと、試合の会場は分かるの?」

「ここの第一体育館だと聞いています」

「いや、そうじゃなくて。行き道とか、さ」

「問題ありません」

 

 それだけですか? と緑間は無言で問うと、俺が何も言ってこない事を見て取って、さっさと行ってしまった。いきなり友好的になるとは思ってないが、ものの数秒で分厚いシャッターを下ろされてしまった。大坪主将や、宮地兄があいつに対して協調性やチームワークの事を懇々と諭していた意味が少しだけ分かった気がした。

 まあ、俺も人の事をあれこれ言えた義理じゃねーか。自分に対して苦笑して、俺は緑間の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 歓声は外にまで響き渡っていた。

 海常なんて俺も来るのは初めてだったが、第一体育館の場所はすぐに分かった。バスケットボールの音とバッシュのスキール音、何よりも女子の黄色い声援が外にまで漏れているから何事かと思う程だ。

 試合もとっくに始まっている時間だろうし、扉も締め切られているんじゃないかと思っていたが、正面の硝子通しの玄関は解放されたままだった。俺達と同じように試合を観戦しに来ている学生が、一人、また一人と体育館に飛び込んでいる。ほぼ女子だけど。

 

「緑間君、そんなにこの試合が気になるの?」

「……いえ、別に。昔のチームメイトが出ているから見に来ただけです」

 

 気になるって事じゃねーか。

 俺としては、目的は「キセリョ」とかいうモデルを探す事だから、この練習試合に興味は全く無い。こんな事言ったら宮地兄あたりに、レギュラーの自覚がねーぞ、とか怒鳴られそうだ。普段から部活で扱き上げられてるってのに、たまの休みくらいバスケを忘れてたって罰は当たらないだろう。

 

「……なら、もうちょっと中に入って観れば?」

「ここで充分です」

 

 下足場でお行儀良く靴を脱いでスリッパに履き替えていた緑間は、体育館の中が見えるか見えないかというギリギリの位置で佇んだ。

 まあ、それ以上進もうと思ったら、正面扉の前でたむろして試合観戦している女子の群れをかき分けなければいけないから、こいつにとってはこれが英断なのかもしれない。

 つーか本当、何なんだよこの女子の集団。どっちかのチームの応援に来てるのか知らねーけど、女子の割合多すぎねえ? 

 俺も緑間のやや後ろくらいに位置取り、試合のスコアが見えないか中を伺った。

 すると、緑間が訝しむように俺を見やった。

 

「雪野さんは、他に用があったのでは?」

「いや、そんな急ぎの用じゃないからいいよ。ちょっとだけ見て行こうかと思って」

 

 というか、こいつと会話が成立している事に驚いた。

 練習じゃほとんど一匹狼だし、自分以外興味ねーぜ、みたいな顔してるんだもんな、この緑頭。

 

 成り行きで試合を見る事になってしまったが、コートの中は練習試合とは思えないくらいに白熱していた。

 青いユニフォームと白いユニフォームはどちらも譲らずにボールを奪い合い、鍔迫り合いのようにゴールを往復する。いつまで経っても他校のチームと名前を覚えるのは苦手だったから、俺はどちらの高校が格上なのか知らない。けど予備知識無しで見ても、二つの高校はほとんど互角に思えた。

 ふと、頭の片隅で何か引っかかるようなものを感じる。

 青いユニが海常高校だろう。そして相手校の白いユニのチーム。どこかであの柄を見たような気がしたけど……気のせいか? 

 

 そんな事をちょっと思っている間に、試合はいつの間にかダンクの打ち合いになった。

 海常の7番がダンクを決める度に、女子から黄色い歓声がきゃーきゃー上がる。あの金髪目当てで皆来てるのか。俺は一気に白ユニのチームを応援したくなった。

 にしても、何の意地だっていうくらいに、両チームはダンクを打って打って打ちまくっている。いや、ちゃんと点数になってるからいいんだろうけど、何でそんなダンクにこだわる必要があるんだよ? ちらっと横を見ると、緑間も面白く無さそうな表情で……元々こいつはつまんなそうな顔か、うん。

 

 3P決めるとかフェイント仕掛けるとか、他の方法だってあるだろうに。

 どうも俺は突き放した目線で見てしまうから、周りの観客から盛り上がった声援が出ていても、テンションは低いままだった。そうこうしている間に試合の残り時間も2分を切った。二つのチームは追い抜き、追い付きを繰り返している。点差はほとんど無いように見えたが、海常の方が少し優勢か? 白ユニのチームもよく食らい付いてるもんだ。

 あんなに形振り構わずやれるのは感心する。中学の時なら俺もそうだったかもしれないけれど、試合であんな風に必死になった事がいつだったか、もう忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 直前まで点数の変動は続いたが、最後は白ユニチーム側の10番がブザービーターを決めた事が決定的となり、その試合は白ユニのチーム──誠凛高校と言うらしい──の勝利で終わった。練習試合とはいえ、海常側が負けた事がよっぽど衝撃だったのか、さっきまで騒いでいた女子達にも別の意味でざわめきが生まれている。

 

「……そうだ」

「どうかしたのですか?」

 

 俺の呟きを、意外にも緑間が拾った。

 

「いや、大した事じゃないんだけどね……キセリョのサインもらって来てって言われてたんだった」

 

 試合の展開に思いがけず見入っていて、綺麗さっぱり忘れてた。というか、そのモデルが海常のどこに居るかも聞いてないのに、どうやって探そう。早くも面倒臭さが生まれてきた。

 

「…………黄瀬のサインが欲しいのですか?」

「キセ? あ、あーキセリョね……僕は別に興味ないけど、ちょっと家族に頼まれて。……ここで撮影とかしてる筈なんだけど、どこに居るのか緑間君は知ってる?」

「居るじゃないですか」

「は?」

「ですから、あそこに」

 

 こいつの端的に話す癖は何とか改善出来ないのか。

 そう思いながら、緑間が指し示す方向に目を向ける。体育館の中で、練習試合を終えた誠凛と海常のチームがそれぞれ集まり、労い合っている光景が見える。

 その中で、海常から一人、金髪の7番が脱け出して外に歩いて行く姿があった。

 と、周りで歓声を上げていた女子達の声が、今になってはっきり情報として耳に聞こえてくる。

 

「黄瀬君かわいそう~途中まで勝ってたのに~」

「ていうか、絶対何かの間違いだって! 最後もう試合終わってたじゃん!」

「今度また差し入れ持って行こうよ! 黄瀬君、きっと落ち込んでるよ~」

 

 俺は思わず、呟いた。

 

「え……キセリョって、男…………?」

 

 隣の緑間が、呆れ返った顔で眼鏡の位置を直していた。

 

 

 

 

 

 

 体育館裏にあった水道場に一人、キセリョこと黄瀬涼太は居た。蛇口から水をシャワーのようにぶちまけて、頭から冷水を被っている。頭を冷やしてるつもりなのか、あれは。

 そして緑間はそのでかい図体を全く隠そうともせず、堂々と黄瀬に近づいていった。おい、最初から会うつもりだったんなら、こそこそしなくてよかったじゃねーか、と言葉が出かかる。

 人の気配に気付いたのか、黄瀬が顔を上げた。

 金髪に長い睫毛。間近で見ると、あの女の子達が騒ぐのも納得するぐらいの整った顔立ちのイケメンだった。今の状態は文字通りに水も滴る何とやら、って奴だろう。本当に男だ……という落胆も感じたが、こいつと緑間が並んでいる空間だけまるで別世界のような雰囲気があった。事実、こいつらの視界に俺は入っていないらしい。

 

「見に来てたんすね、緑間っち」

「……まあ、どちらが勝っても不快な試合だったがな。

 猿でも出来るダンクの応酬。運命に選ばれるはずもない」

「中学以来っすねー。お久しぶりっス」

 

 察するに、この二人は同中のようだ。緑間の口調が気安いのもそのせいか。

 ダンクでも何でも入ればいいじゃん、という事を黄瀬が口を尖らせて抗議している。その意見は俺も同感だった。

 

「近くからは入れて当然。シュートは遠くから決めてこそ価値があるのだ。人事を尽くして天命を待つ、という言葉を習わなかったのか? 

 まず最善の努力。そこから初めて、運命に選ばれる資格を得るのだよ」

 

 言って、用意のいい事に黄瀬にタオルを放ってやる。

 

「俺は人事を尽くしている。そしておは朝占いのラッキーアイテムは必ず身に付けている。

 ちなみに今日はカエルのおもちゃだ。だから俺のシュートは落ちん」

 

 おい、この緑間すげー喋るぞ。

「シュート練がしたいです」か「占いの順位が悪い」くらいしか主張せず、それ以外は部活中でも失礼なくらい沈黙している緑間がベラベラ喋っているのはちょっと不気味だった。

 それとも、こっちがこの後輩の素顔なのか。

 何にしても、変人ぶりは振り切れている。黄瀬も形の良い眉をはの字にして、「意味分かんない」って顔してる。俺も理解不能だし。

 

「俺より、黒子っちに会っていかなくていいんスか」

「必要ない。B型の俺とA型のあいつは、相性が最悪なのだよ」

 

 どこの女子だよ! 

 百歩譲ってラッキーアイテムはいいとして、血液型ってこだわる意味は絶対無いだろ。

 

「確かにあいつのスタイルは認めているし、むしろ尊敬すらしている。

 だが誠凛などという無名の新設校に行ったのはいただけない。地区予選で当たるから来てみたが、正直話にならないな」

 

 この後輩に「尊敬」なんて感情があった事が俺は驚きだ。

 いや、この天才様に対しては、もういちいち疑問を持つ事を諦めたいいのかもしれない。

 

「……つーか、誰っスか? その人」

「バスケ部の先輩なのだよ。お前のサインが欲しいというから一緒に来た」

 

 と、緑間の背に隠れるようにして佇んでいた俺に、黄瀬が視線を向けた。

 今やっと気づいたみたいな顔してるけど、最初から居たからな俺は。

 一年後輩とはいえ初対面の相手なので、俺は精一杯にこやかに微笑んで見せた。

 

「急にごめんね、初めまして。秀徳二年の雪野です」

「はあ、どうも。で? サインとかなら書くっスけど」

「ああ……うん。ちょっと家族に頼まれてて、これにお願いしてもいい?」

 

 爺ちゃんに持たされた手帳とペンを黄瀬に渡すと、10秒とかからずにサインを書いて俺に返してくれた。いかにも芸能人らしいちょっと崩れた筆跡のサインが紙に踊っている。書き慣れているんだろう。

 あっさり書いてくれたのは助かるが、何か鼻について感じるのは、俺の心が狭いからなのか。

 

「フン、相変わらず訳の分からん字を書くのだよ」

「ちょっ、訳分かんないって酷くないっスか!? 

 これでも事務所の方に書き方色々ダメ出しされて、それで決ま、って……──」

 

 ふと、黄瀬の言葉が途切れ、睫毛に縁取られた瞳が緑間や俺の更に後ろを見つめた。

 俺達も自然と、その目線の先を振り返る。

 

 その方向には、海常の体育館からぞろぞろと列をなして出て行く、白いユニフォームの一団がいた。

 誠凛高校だ。

 黄瀬と競ってダンクを決めていた長身の10番の姿もある。先頭にいる女子はマネージャーか何かか。

 

 

「……あ」

 

 

 先頭をいく、眼鏡をかけた男の横顔が見えた時、俺の記憶の蓋が唐突に開いた。

 

「……雪野さん?」

「ああ、いや、別に」

 

 そうだ、そうだった。今やっと思い出した。

 去年のIHの予選決勝リーグ。あの高校と戦った試合が、秀徳での俺の初の公式試合だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緑間ぁ! 勝手に行くんじゃねーよ! 渋滞に捕まって、こっちはすげー恥ずかしかったんだからな!」

 

 黄瀬と別れた直後、校門から聞こえた叫びに、俺はまた驚かされた。

 秀徳の制服を着た黒髪の男が自転車を漕いで──―いや、何故か自転車にリヤカーをくっつけてやって来た。

 

「って、あれ? 雪野さん? こんちわーっス! うわーすっげー偶然っスね! この試合見に来てたんですか? 俺も緑間が見に行きたいのだよ~って頼んでくるから連れてきてやったのに、こいつ途中で人の事置き去りにしちゃうんですよー!」

「頼んでないのだよ」

 

 この四月、緑間と同時に入部してきた、一年の高尾だ。

 上級生も監督も持て余している緑間に初日から絡んでいき、今じゃすっかり緑間とセット扱いの後輩だった。この扱いにくい奴と一緒にいて、ずっとテンションを維持できる所は俺も尊敬する。

 

「うん、高尾君もすごい偶然だね。……あの、そのリヤカーはどうしたの? 何かの罰ゲーム?」

「へ? 罰ゲーム? ぶっ……あははははっ!! 

 い……いや、これは……あ~まあある意味そうかもしれないっスね~」

 

 何故か大爆笑した高尾は、よっぽどツボに入ったのか涙まで拭っている。

 緑間は知らん顔でそっぽを向いていた。おい、絶対にお前も関係ある事だろう。

 

「試合の日に、じゃんけんで負けた方がリヤカーで引っ張って連れて行く、って決めてたんスよ。それで俺が真ちゃんに負けて、途中までこれで連れてきたって訳です」

「ああ、そう……」

 

 どういう反応を返せってんだ。

 じゃあ俺がたまたま拾うまで、この鉄仮面がリヤカーに乗って道路を縦断するなんてアホみたいな事やってたのか。

 

「そーだ、雪野さん! 折角だから雪野さんも一緒にじゃんけんやりましょうよ!」

「え?」

「いやあ、真ちゃんには全然勝てなかったんですけど、雪野さんも入れたらもしかしたら勝てるかなーなんて?」

 

 本当にこの一年は緑間の十倍は喋る奴だ。けど上級生にも同級にも分け隔てなく、もっと言えば遠慮なしに接しているから、こいつは入部してからもすぐに部で打ち解けているんだろうな。一年以上経つのに、交友関係で進歩が遅い俺には耳が痛い事だ。

 

「あーごめん。僕も自分の奴で来てたから、それで帰らせてもらうよ」

「へーじゃあここまでチャリで来たんですか?」

「ああ、うーん、まあそんな感じかな」

 

 曖昧に言った俺に何か察したのか、高尾はそれ以上聞いて来なかった。

 一方で緑間がじっとりした視線を向けてきたが、咄嗟に微笑を返して黙らせる。お前だって一緒に乗ってきたんだから、非難される筋合いなんて無い。

 

 そのままにこやかな表情を崩さずに後輩コンビと別れ、俺もまた帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道は行きと違って渋滞していて、愛車をかっ飛ばしても家に帰り着いた時には夕方になっていた。玄関に座り込んで一息吐く。ただモデルのサインをもらいに行っただけだってのに、あの一年に出会ったおかげか異様な疲労感に襲われた。

 何より「良い先輩」らしく振る舞っているのは非常に疲れる。

 

「お~帰ったのか?」

「ああ、やっと帰れた……って、え?」

 

 と、聞き覚えの無い声に、振り返る。

 すると居間からひょっこり現れたのは、金髪に青い目を持った外国人らしき風貌の女だった。黄瀬よりも更に鮮やかな色合いの金髪が目に眩しい。その謎の女は陽気な笑顔を見せながら俺に近付いてきた。────パンツ一枚で。

 

「お前がアキラか~! 会いたかったぞ、聞いてた通りかわいい奴じゃないか~」

「い、いやいやいや待った待った!! あんた誰!?」

「ん~?」

 

 謎の女はほとんど全裸の恰好のまま、恥じらいもなく体を寄せてきた。いや、絡みついてきた。つーかこの人、酒臭い。よく見れば頬も少し赤らんでいるし、もしかして酔ってる? だとしてもこんな刺激の塊の前で、俺は何を試されているんだ。

 その時、救いの手とも呼べる人間がやっと登場した。

 

「あらら、瑛君。お帰りなさい」

「爺ちゃん!! おい、この人誰だよ! まさか連れ込んだんじゃねーだろうな!? つーか見てねーで何とかしろ!!」

「そんなに慌てないで下さいよ。あ、キセリョのサインもらえましたか?」

「ああ、それはもらった。……ってそんな事より! この人を早く何とかしろって言ってんだよ!!」

「だからちょっと落ち着いて下さいってば。サインだって友人に頼まれてるんですから、もらえませんでした~じゃダメなんですよ。それに、ちょっと飲み会してただけですってば」

 

 この狸爺はグラス片手に、同じく酒臭い息を撒き散らしながら登場した。

 謎の女は既に酔いつぶれて寝てしまっていて、体重が伸し掛かってきて重い。

 

「……おいっ!どうしたんだよ!この人は!」

「どうもこうも、私のガールフレンドですよ。今は日本に遊びに来てるんです」

「はあ!?」

「サーシャが家に来るって、言ったでしょう」

 

 それだけで分かるか。まるで俺の理解力が不足してるみたいに失笑している爺ちゃんに腹が立つ。緑間といいこの爺といい、俺の周りの人間はこんなのばっかりだ。

 

「アレクサンドラ=ガルシアさん。だからサーシャ。

 元WNBAの選手ですよ~すごいじゃないですか、瑛君も色々指導してもらえるチャンスですよ~」

「そんな事より、さっさとどかせ―――っ!!!」

 

 後輩のお守りから解放されたのも束の間、半裸の女と、酔っ払いの爺を前にして、俺は心から叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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