黒と銀の巡る道   作:茉莉亜

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30.終わりと始まり

 

 

 

 

 

 

 海常対桐皇。

 黄瀬と青峰、二人の天才のプレイは多少知っているつもりだった。純粋な身体能力で言えば青峰の方が上だけど、黄瀬の模倣(コピー)技はその差すら埋めてしまいそうな可能性がある。この前の練習試合で緑間のシュートをコピーしかけたのがいい例だ。

 

 だから今回の試合も、桐皇を海常が追うような形の展開になるんじゃないかと思いながら見ていたが────試合は予想外の方向に流れつつあった。

 

「うおおっ! すっげー! 海常の反撃!」

「第1Qは完全に海常だ!!」

 

 第1Q終了のブザーと共に、観客から歓声が上がる。

 点差は(海常)18対13(桐皇)。予想に反して、リードしていたのは海常だった。

 エース同士の1対1(ワンオンワン)でも黄瀬は青峰と充分渡り合っていた。あの型の無いシュート(フォームレスシュート)が止められたのは驚きだ。

 それに何より、海常は笠松を始めとして他のスタメンの勢いがある。失敗も恐れずにエースの黄瀬にとことん託している姿勢には感心する。ある意味、あの主将って今吉さんと方針は似ているのかもしれない。

 

「海常がリードか。少し驚いたな」

「相手があの桐皇だから余計にな」

 

 俺の一段下の客席に座る大坪主将と宮地(兄)の呟きが聞こえる。この前の予選決勝リーグでの桐皇の印象が強過ぎた分、その感想には同感だ。

 二つ左隣に座っている後輩は黙りっぱなしだったので、こっちから水を向けた。

 

「…………緑間君はどう思ってるの? 今の展開」

「どう、とは」

 

 愛想が無いにも程がある返しに、吹き出したのは真ん中の高尾だった。

 

「ぶはっ! 真ちゃん反応薄っ! ほら折角雪野さんが話振ってくれてんだから」

「うるさいぞ高尾。……強いて言うなら、青峰は試合では尻上がりに調子を上げていく傾向にあります。恐らく、奴は次で仕掛けてくるでしょう」

 

 それだけ言い捨てると、緑間はおもむろに立ち上がった。

 いきなり起立した後輩に大坪主将達の目線も一瞬つられたが、緑間は完全に無視して席から離れて行ってしまう。

 

「おい緑間! 勝手にどこ行ってんだ」

「外の空気を少し吸いにいくだけです」

 

 宮地の怒鳴り声を背に受けながら、さっさと会場から離れてしまう緑間。おい、頼むから空気の一欠けらくらい読んでくれ。宮地の笑顔に殺意が浮かび始めている。

 

「あーきっとこれっスよ、ほら」

「え?」

 

 上級生陣とは逆に、呑気な声で高尾が俺に自分のショルダーバッグを開けて見せた。その中から、小ぶりな白猫の頭がにょきっと顔を出す。

 爺ちゃんが合宿終わりに置き土産のように押し付けていった野良猫だ。試しにその真っ白な頭に向けて手を伸ばすと、また「にゃあ!」と威嚇するように叫ばれた。

 だから何っっで俺にだけこんな懐かねーの!? 

 

「この子が怖くて逃げちゃったんスよ、真ちゃん。ほら、合宿でもすげービビってたし」

「そんなに猫嫌いなんだ……」

「相当苦手みたいっスよ? 部で飼うって決まった時も、めちゃくちゃ青くなってたし」

 

 だとしても、あの無愛想な緑間に懐いて俺に懐かねーって事実は納得いかないんだが。

 

「はいはーい、試合終わるまで大人しくしててなーエリちゃん」

「エリちゃん……?」

「この猫っスよ。エリザヴェータって呼びにくいでしょ」

 

 言っとくけどあの爺の趣味だからな、その名前。

 高尾が小さな白い頭を撫でていると、猫は満足したようにそっとバッグの中に身を丸めた。こいつの社交力は動物にまで及ぶのか……。

 

 俺達がそんな無駄話をしている間に休憩(インターバル)は終わり、第2Qが始まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2Q。

 先制点は桐皇が2点を入れてスタートした。今吉さんからゴール下のC(センター)にパスを出されてシュート。至って堅実なやり方だ。リードされてるのは桐皇なのに、中の選手に焦りは見られない。

 

 焦らず1本ずつ決めてこう! ……なんて真面目な方法、あの人がやる訳ねーよな。眼下に見えるコートの中で、笠松と対峙している昔の先輩の姿を見る。

 今吉さんも見かけに寄らず負けず嫌いな所あるし、絶対何か仕掛けてくる。そんな確信があった。

 

 コート内では、笠松から黄瀬にボールが渡る。

 海常は清々しいくらいに、黄瀬で行く気だ。そして────その正面に青峰が対峙する。

 

 こうして外野から見ていると、まるで野生動物が人間を目の前にして舌なめずりしているような光景にさえ見える。それぐらいの威圧感を放って、次の瞬間には青峰は黄瀬からボールを奪っていた。

 走り抜ける青峰にすぐ黄瀬も追いすがったが、切り返して黄瀬のDF(ディフェンス)を躱してしまう。

 駆け引きではほとんど互角に思えたが、青峰の反応速度が僅かに黄瀬を上回っていた。

 

 エースの黄瀬さえ抜いてしまえば、海常に青峰を止められる戦力は居ない。

 瞬きの間にゴール下まで辿り着いた青峰は、海常のCからバスケットカウントなんておまけまで頂いて華麗にシュートを決めてみせた。

 

 どれだけ青峰が超人じみたプレイをしても、海常がとことん黄瀬でいく方針は変わらない。

 でも黄瀬がどんな模倣技を繰り出そうと、徹底的に青峰に叩き潰されてしまう。

 点差は18対18で同点だったが、少しずつ嫌な気配がコートに漂っているような気がしてきた。IH(インターハイ)予選決勝の時の、誠凛と桐皇戦の時のような不穏な空気。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局第2Qは黄瀬が青峰に圧倒されたまま、桐皇にリードされる形で終わってしまった。

 点差は(海常)34対43(桐皇)。差はギリギリで10点差以内に抑えてるけど、コートから引き上げる時の海常陣営は客席からでもお通夜みたいな暗いムードが漂っていた。

 そりゃそうだ。頼みの綱のエースは青峰に歯が立たず、しかも第2Qの終わりは相手からのブザービーター。ちなみに決めたのは今吉さんだ。

 笠松達が悔し気に睨みつけているのも、楽しそうに流してコートから去ってしまう。喧嘩売るにしても、そこまでやるか。

 

「改めて見るとムカつくやり方してくんなー桐皇の主将は」

「まあ戦略としては間違ってないがな……。あそこまで露骨なのは中々無いだろうが」

「でも、完全に桐皇の流れっスねー。黄瀬君じゃあ勝てないんスかね」

 

 前半の展開に対して、宮地や大坪主将、高尾が思い思いに感想を零している。

 確かに、このままじゃ黄瀬に勝ち目はない。以前海常と練習試合をやった時も、黄瀬の模倣技には驚かされたが、その多彩な技の全てが青峰相手には通じていなかった。

 

 青峰の獣じみた身体能力は少しは知っているつもりだけど、「キセキの世代」同士でここまで歯が立たないもんなのかよ。

 

「雪野さんはどう思います? 後半から」

「さあね……。ただ」

「ただ?」

「黄瀬君も笠松さん達も、あれは勝負を投げたような動きには見えなかったよ。もしかして何か策があるんじゃないかな」

 

 後半も黄瀬でいくのは間違いないだろうが、それじゃ結果が繰り返しになる事は目に見えてる。第2Qでの黄瀬と海常の奴等の動き方は、勝算の無い行動をしているようには思えなかった。

 けど、作戦を立てるとしたら何をする気だってんだ。

 相手の青峰には、敵や味方のどんな技を模倣したって通用しないのに。

 

「…………え、何? 高尾君」

「いや、雪野さんは海常を応援してるんだなって……それに、よく見てるんスね!」

「は?」

 

 高尾は何でもないように笑って言ったが、戸惑ったのはこっちだ。

 同中の奴が居る訳でも何でも無いんだから、海常を応援する義理なんて無い。むしろ応援するなら桐皇の方だろう。

 何でこんな海常贔屓な事言ってんだ、俺は。

 

「……おい高尾、そういえばエリは大丈夫か? 何か静かだけど」

「え? …………ああっ! 居ないっ! 何でっ!?」

「カバンの中が熱くなって逃げちまったんじゃねーか?」

 

 と、隣の席でまた騒がしくなる。

 どうやらあの白猫がバッグの中から居なくなってるらしい。もうそのまま放っておいていいじゃねーか?猫は猫だし、俺達で強引に飼わなくてもこれで野生に帰ってしぶとく生きるだろ。

 ぶっちゃけ、爺ちゃんの思いつきにこれ以上巻き込まれたくない。

 

「猫が居なくなったのかい?」

「そうみたいですよ、監督」

 

 レギュラーがガヤガヤと騒がしくしている様子に、俺達の一段上の客席に座っていた中谷監督が口を挟んだ。

 

「それはいかんね。雪野、客席の辺りを探してきなさい。多分まだこの辺にいるだろうから」

「は!? 何で俺……僕が!?」

「お前のお爺さんが元々預けていった猫だろう」

 

 だからって俺に責任を被せんな。

 脳内であはははと笑っては消える爺さんの幻影が浮かんだような気がして、俺は軽い目眩に襲われた。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 そして猫探しなんて雑用を押し付けられた俺は、インターバルの合間に会場周りを歩き回る派目になった。大体、こういう事は一年の仕事だろ! ちゃっかり逃げてる高尾に腹が立ってきた。緑間は緑間でどこに行ったのかも分かんねーし! 

 

 客席の近くに白い毛玉の姿は見かけなかったから、もしかして、という気持ちで俺は会場から一度出て外のバルコニーまで足を伸ばしていた。ここは会場から出ると、通路がバルコニーに直結しているので外の景色がすぐ一望出来る。まさかこんな所にまで潜り込んでいってるとは思わねーけど……。

 

「…………って、居たよ」

 

 思ったよりも早く、探し物はみつかった。

 バルコニー側に設置された自動販売機の隅に白い毛玉が丸まっている。しばらく見つめていると、人の気も知らず、青っぽい目が俺を見詰め返してきた。

 

「こんな所で何がしてーんだお前は……ほら、行くぞ」

「んにゃっ!」

 

 痛っ!! 

 だから何で俺ばっかり引っ掻く!? 

 

「こんのドラ猫……いいから来いっての!」

 

 白猫を引っ張り上げようとするが、こいつは縫い付けられたみたいに動こうとしない。

 あーもう! 何っっでこんな野良猫相手に苦労させられなきゃならねーんだよ! 何か重いし! 

 

「こいつ……! いい加減にしねーと置いてくぞ!」

「……雪野さん?」

 

 と、後ろから聞こえた声に振り返る。

 けど声が聞こえたはずなのに誰も居ない。空耳か? 

 

「ここです」

「うわぁっ!? 黒子!」

 

 いきなり背後に現れたのは、数時間前に別れたと思ったばかりの他校の下級生だった。

 

 何度も会ってる筈なのに未だに見失うって、こいつの存在感どーなってんの!? 

 ただでさえ透けるような薄水色の髪の毛が、晴天の下だと背景に溶け込んでしまっている。

 

「びっっくりした……黒子君何してんのさ、こんな所で……」

「誠凛の皆と試合観戦に来ていたんです」

「ああ、そっちもなんだ……」

 

 って事は何か、合宿所で別れた後で、結局俺達は誠凛と同じ目的地に来てたって事かよ。

 まあIH予選で敗退したもの同士だから、本選を見に来るのも当たり前なんだろうが。

 

「雪野さん達も観戦ですか?」

「まあね……。……ていうか、その犬何?」

 

 と、黒子が両腕で丁寧に抱えている生物を指差す。

 舌を半端に垂らしながら、暑苦しい息遣いで俺を見つめてくる生物。

 

「彼は2号です」

「……はい??」

「テツヤ2号。この犬の名前です」

 

 テツヤ2号。

 そう言って黒子が両手で抱え上げたのは、黒い毛並みの耳とつぶらな両目が特徴的な子犬だった。よく見ればその丸い目元は誰かに──―黒子に似ている。

 

「何でどこもかしこもペット連れなんだよ……」

「……その猫はもしかして、雪野さんの飼い猫ですか?」

「違う!! …………ああごめん、違うから。ちょっと色々あって僕のお爺さんが拾ってきたんだけど、バスケ部で飼う事になったんだよ」

 

 溜息を吐きながら説明してやると、床に糊付けされたみたいに動かなかった白猫が、いつの間にか俺の脇を通り抜けて黒子の足元にすり寄っていた。

 こいつ、俺相手にはピクリとも動かなかった癖に……! 

 

「あれ? この猫、雪野さんにちょっと似て……」

「似てないから!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白猫は何が気に入ったのか黒子からなかなか離れなかったので、仕方なく俺と黒子はそのまま連れ立ってバルコニーを歩いていた。足元に纏わりついている白猫を、嫌がる素振りも見せず黒子は時々頭を撫でたりしながら歩いている。面倒見のいい奴だ。

 まだ真夏に入る前だからか、風が程よく吹き込んで気持ちいい陽気だった。そして自然と、話題は今の試合の事に移っていた。

 

「そういえば、黒子君は海常を応援してるの?」

「いえ、別に」

「あっ、そうなんだ……」

 

 薄々思ってたけど、こいつ意外とはっきり言うな。

 

 こいつら誠凛が、決勝リーグで桐皇にズタボロに負かされたのはまだ記憶に新しい。

 それを踏まえると、感情的には海常を応援したくなるようなもんだけど。

 

「……青峰君と黄瀬君と、どちらが勝つのかは分かりません。どちらが勝っても、おかしくないと思ってます」

「………………」

 

 黒子は相変わらず静かで感情が読めない目をしていたが、その声は何かを信じるような強さがあった。昔の仲間同士で、分かる何かがあるんだろうか。

 

「……あ、黄瀬君」

「え?」

 

 と、黒子の呟きに釣られて正面を見る。

 すると数m先で、バルコニーの手すりにもたれ掛かって青空をぼんやりと眺めている長身の人影があった。金色がかった髪が日の光でキラキラと輝いて、本人は怠そうにしてるのに、いかにも女子が歓声を上げそうな絵面になってるのが妙にムカつく。

 

 現在試合中の海常高校エース、黄瀬涼太がそこに居たのだった。

 

 俺達の気配に気が付いたのか、黄瀬は不意にこっちへ視線を向けると、モデルらしい整った顔が一瞬で驚きに崩れた。

 

「黒子っち!!? それに……雪野さん!? え!? 何で二人がここに!?」

「二号を探していたらはぐれました」

「まあ、僕も似たような感じ……」

 

 何故か自信満々に言い切る黒子と、俺はちょっと投げやりに付け加えた。

「二号って誰っスか!」「この子です。こっちはエリザヴェータさん。秀徳の子です」「猫まで!?」という漫才が続いた後、黄瀬はしみじみと言った。

 

「まさか見に来てるとは思わなかったっス。雪野さんが居るって事は、緑間っちも来てるんスか?」

「まあ、一応ね」

 

 観戦中にどっかに消えたって事は流石に言わないでおいた。

 

「僕達も誠凛も、昨日まで近くで合宿してたから」

「ちぇー、うちの応援しに来てくれたんじゃないんスか?」

「違いますよ」

「ヒドッ!!」

 

 黒子、お前も少しは歯に衣着せろ。

 だが冷たく言われた割には黄瀬は堪えた風もなく、こんな事を聞いてきた。

 

「……じゃあ、ちなみに。青峰っちと俺、勝つとしたら、どっちだと思うんスか?」

 

 一瞬、辺りが更に静かになったような錯覚を感じた。

 多分、これは俺達にというより黒子に対して答えを聞きたい事なんだろう。俺が黙っていると、黒子は静かに言った。

 

「分かりません」

「え──―……」

「ただ勝負は諦めなければ何が起こるか分からないし、二人とも諦める事は無いと思います。……だから、どちらが勝ってもおかしくないと思います」

 

 試合直前の相手なのに、半端に励ましたりしないで本音を言うのがバカ正直な奴だ。

 黄瀬も激励される事を期待してはいなかったのか、どこか笑みを浮かべて黒子の意見を聞いている。

 

「ふ──―ん……。……雪野さんもそう思うっスか?」

「え……」

 

 何で俺? 

 

 黄瀬の挑発するような言い方がちょっと引っかかったけど、とりあえず答えてやった。

 

「……まあ、黒子君の言う通りじゃない?」

「へえ」

「諦めてるようには見えないよ。黄瀬君も、笠松さん達も」

 

 すると黄瀬が少し笑ったように見えた。

 確かに海常が劣勢な事に間違いないはないが、それでもコートから引き上げる様子に諦めの雰囲気は見えなかった。

 俺達の答えに満足したかどうかは知らないが、黄瀬はクルッと踵を返すと、会場の方へ歩き出した。そろそろ戻らないと短い休息時間も終わる。

 

「…………」

「……黒子っち? なんスか?」

「いえ、てっきり……「絶対勝つっス」とかいうと思ってました」

「なんスかそれ!?」

 

 もうちょっとだけ優しい言い方してやれよ、とも思うが、黒子は平然としたままだ。

 試合前の選手に対してドライにも程があるだろ。それとも同中だから遠慮が無いだけなのか? 

 黄瀬は慣れているのか気にした風もない。

 

「……そりゃもちろんそのつもりなんスけど……正直、自分でも分かんないス。中学の

 時は勝つ試合が当たり前だったけど──―勝てるかどうか分からない今の方が、気持ちイイんス」

 

 前半の試合で散々追い詰められていたとも思えないくらいに、穏やかで綺麗な笑みを浮かべて、黄瀬は言った。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 後半開始のブザーが会場に響き渡る。

 黒子は誠凛の奴等がいる観客席に戻って行ったが、俺は何となく元の席に戻りにくくて、客席の最後尾で突っ立って試合を眺めていた。

 ちなみに白猫はやっぱり俺相手だと大人しくしなかったので、持ってきたショルダーバッグに強引に押し込んでいる。

 

 第3Qが始まり、試合は14点差と12点差を繰り返しながら両チームが綱を引き合う形で進んでいた。

 とはいえ、追われる側が桐皇で追う側が海常っていう図式は変わらない。

 青峰と黄瀬、二人のエースの力関係もだ。

 

 そして第3Q開始から6分強が経過した、その時。

 何度目になるか分からない青峰と黄瀬が対峙した瞬間、均衡は崩れた。

 

「なっ……ついに黄瀬が、エースの青峰を抜いたあっ!!」

 

 客席のどこからか歓声が聞こえる。

 

 黄瀬が1対1で青峰を抜いた。

 しかもあの動き、まるで青峰みたいな──―いや、青峰そのものって言える動き方。

 

 硬直したように見えた青峰が、瞬時に反応して黄瀬を追う。

 次の瞬間にはゴール下で立ち並ぶエースの二人。

 黄瀬は既に跳躍してシュートを決めにかかろうとしていたが、青峰の方が僅かに速い。あのままじゃ、またブロックされて失敗に終わる。

 

 だが、次にコートで放心した顔をさらしたのは、黄瀬じゃなく青峰だった。

 

 コート中に響く審判の笛と警告。

 それが青峰に対するものだと理解された時、会場中が別の興奮に沸いた。

 

「青峰ファウル4つ目──―!?」

「桐皇エースまさかのファウルトラブルだ──!!」

 

 桐皇の控え席では、マネージャーの桃井さんも血相を変えて立ち上がっている。

 ファウルは5つで退場。4つ目は事実上の戦力外扱いも同然だ。

 

 コートの中で、今吉さんと笠松が何か話している。

 ……ただ攻撃するだけの熱血主将じゃないとは思ってたけど、海常が密かに仕組んできた戦略に寒気を感じた。

 

 つまり黄瀬がやった事は、今までみたいに味方や敵の技術の模倣(コピー)じゃなく、青峰のバスケスタイルそのものの模倣(コピー)だ。

 

 確かに小手先の技じゃ青峰には通じない。

 けどだからって、プレイそのものを丸ごと真似るなんて出来るもんなのか。

 俺の目がおかしくなってなけりゃ、さっきの黄瀬のシュートは青峰のそれに似てるなんて次元の話じゃなく、青峰そのものだった。

 しかも黄瀬に模倣させるだけじゃなく、青峰にファウル取らせて戦力削らせるおまけ付きだ。前半に笠松が青峰からファウル取ったのは、この為の布石だったって訳か。いたずらに青峰に黄瀬をぶつけてるだけかと思ったらとんでもない。あの海常の主将、腹黒さじゃ今吉さんといい勝負出来るぞ。

 

 会場の大歓声の中、バスケットカウントで獲得したフリースローを黄瀬が決める。

 これで点差は(海常)51対60(桐皇)。9点差。

 第4Qを残した状況でこの差なら、十分過ぎるくらい逆転可能の範囲だ。

 客席の盛り上がりとは真逆に緊張が張り詰めてるだろうコートの中では、今吉さんがボールを回す。相手は青峰だが──それは取られなかった。

 

「うわああ! 海常カウンター!」

「青峰がファンブルしたぞ!」

 

 ……嘘だろ? 

 思わず、試合の展開が呑み込めなかった。

 

 青峰がファンブルしたボールを黄瀬がさらい、海常がカウンターを仕掛ける。

 前半のキレがまるで失せたみたいに、青峰の動きが鈍い。──まさか4ファウルもらって、いくら天才でも怖気づいたのか? 

 

 逆に黄瀬の動きは、コートにもう一人の青峰が現れたように鋭く速い。

 特攻する黄瀬の目の前に、桐皇の9番が立ち塞がったが、黄瀬は不意に動きを止めたかと思うと次の瞬間には超加速で9番をあっさり抜いていった。

 速さまで青峰と全く同じ────いや、少しだけ違うのか。

 青峰の速さの要は、誠凛戦でも見せた敏捷性(アジリティ)。青峰は加速と減速の緩急の差を自由自在に出来るからこそ、敵をあんなに翻弄している。その速さを模倣するなら──そう、たとえ黄瀬の最高速が青峰より遅くたって、最低速を青峰より下げてしまえば同じ速度差は再現出来る。

 

 そりゃ確かに仕組みとしては出来るが──この短時間で、それを実践出来るもんなのか。

 

 ゴール下で、海常の「キセキの世代」がシュートを決めるべく跳躍する。

 選手と観客からの歓声。声援。

 

 けど予想外の事が起きたのは、更にここからだった。

 

 

 ゴールと黄瀬の狭間にいきなり現れた青峰が、力任せにボールを叩き飛ばしたのだ。

 ほとんど殴られるように投げ飛ばされたボールが、客席にまで飛んでいく。

 

 

 ……あいつ、4ファウルもらってるんだよな? 

 

 ついさっきまでの試合経過を頭の中でなぞってしまった。

 黄瀬ごとボールを殴り飛ばしかねない乱暴な動作に、コート内の選手も熱が引いたように全員固まっていた。

 

 と、コートに膝をついた黄瀬に青峰が何か言っている。

 ここからじゃ何言ってるか分かんねーけど……黄瀬に対して、怒っているように見えた。

 

 勝負は何が起きるか分からない、って黒子は言っていたけど、あの言葉は的中した。

 黄瀬も青峰も、二つのチームはどっちも譲る気なんて無い。

 会場に観客の歓声と熱気が渦巻く中で、第3Q終了のブザーが鳴る。

 駆け引き無しの最後の対決が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

「────98対110で、桐皇学園高校の勝ち!!」

 

 

 最終Qの濃密な10分間の果てに、遂に決着はついた。

 白と黒、両チームが中央に揃って礼をする。

 

 どっちにも傾きかけた勝利の天秤を、最後にものにしたのは桐皇だった。

 接戦だった事は間違いない。

 コートから引き上げていくチームに対して、客席からは静かに拍手が贈られ始めていた。負けた側の海常に対してのものだろう。

 

 黄瀬は笠松に肩を借りながら、どうにか歩いてコートを後にしていた。試合が終わった瞬間、おかしな転び方をしていたけど足は大丈夫なのか? もしかして青峰の模倣は、黄瀬にとってはオーバーワークの動きだったんじゃないだろうか。

 

 一方、勝者側である筈の桐皇も、盛り上がる事もなく静かな退場をしていった。

 ついさっきまで黄瀬と、文字通りの激闘を繰り広げていた青峰も、試合が終わった途端に突き放したように黄瀬から目を背けてしまっている。

 まあ、元チームメイト同士の話だろうから俺がどうこう言える事じゃないが。

 

 主将の今吉さんを筆頭にして引き上げていく桐皇のチーム。

 俺からすれば、かつての先輩の勝利を喜んでおくべきなんだろうけど、黄瀬のさっきまでの必死な様子を見ていると、手放しに祝福出来ない自分がいて驚いた。

 

 ────とにかく、IHの注目カードはこれで決着した。

 

 あっ、そーいえばいい加減に席に戻らないとやばいな。

 今更ながら、自分が秀徳バスケ部の中から抜けてきた状態だった事を思い出した。

 まずい、これじゃ宮地(兄)の雷が落ちるぞ。もうこうなったら黙ってこっそり戻ればバレねーんじゃないかな……? 

 

 なんて、打算しながら会場外の通路をウロウロしていたら、視界の隅に緑色の影がちらついた。──ちょっと待て見逃さねーぞ、その頭は! 

 

「緑間君ちょっと待ったあっ!!!」

 

 逃がすものかって勢いでそいつを呼び留めたら、思った通り、会場に来た時からいつの間にか姿を消していた後輩だった。

 秀徳の「キセキの世代」は何かうんざりしたような顔で振り返ると、かけていたサングラスを少し上げる。……何でサングラス? 

 

「雪野さん、何の用ですか」

「何の用ですか、じゃないよ。どこに行ってたのさ」

「ですから外の空気を吸いに行ってました」

「ふうん。それで、そのまま帰るように見えるけど見間違いかな?」

「………………」

 

 図星かよ。

 けどまあ丁度いい。こいつも一緒に連れて帰れば宮地の怒りの矛先も分散されるだろうから、俺一人にどうこう言われる事も無いだろう。むしろこいつに押し付けたい。

 

 引き上げる観客と選手達のせいで通路の辺りも大分ざわつき始めてきた。

 桐皇と海常っていう注目試合を目当てにしてた客も多かったんだろう。通り道の中央に突っ立って話している俺と緑間を、通り過ぎていく奴等がたまにチラチラ見ていく。こんな大男が立ち止まってたら通行の邪魔だよな、うん……。

 

「ほら、さっさと戻ろう。早くしないと宮地さんの雷が落ちるよ」

「俺はいいです。今は一人で帰りたいので」

「…………何? またおは朝?」

「いえ、ただの気分です」

 

 気分かよ!! 

 バッグの中で眠っている白猫を押し付けて、このポーカーフェイスを崩してやろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「──もう、あんたは~一体どこ放っつき歩いてたのよ、試合が始まるわよ?」

「ごめんって玲央姉! でもどうせ雑魚ばっかりなんだし、そんな真面目に見る必要あんの?」

「バカね、あんたはそうでも一年にも少しは勉強させとかなきゃダメでしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………雪野さん? どうかしたのですか?」

「い、いや…………」

 

 咄嗟に通路の脇道に身を隠した俺に、緑間が思い切り不審そうな視線を向けるのが分かった。つい緑間の腕も引いて一緒に引きずり込んだから、余計に困惑している。

 

 真正面から歩いてきた二人組の話し声と足音が完全に遠ざかった頃を見計らって、俺は恐る恐る通路に出た。恐れていた人影はもう居ない。思わずホッと息を吐いた。

 もう花宮や木吉と鉢合わせた時みたいなパターンを繰り返してたまるものか。

 

「誰か知り合いでも居たのですか?」

「まあ、少しね……」

 

 確か風の噂じゃ、あいつらは京都の高校に行ったとか聞いた。

 それが何でこんな場所に────と思って、「全国」大会なんだからこんな最悪な偶然は有り得る事なんだと思い立った。最悪だ……。

 

「雪野さん?」

「……緑間君はさあ、怖くないの?」

「は?」

「「キセキの世代」って昔、色々あったんでしょ。これから大会で試合する事になったらまたお互い顔は合わせるだろうし、面倒な事になるかもしれないし」

 

 ポツポツ、と半分愚痴めいた事を緑間に投げる。

 

 本音を言えば、緑間の事よりも俺自身の事だ。

 冬の大会が始まれば、試合をやり続ければいつか誤魔化せない場面は必ず来る。その時になって、俺は逃げずにいられるのか。

 要領を得ない俺の言葉に、それでも緑間は何か察してくれたのか、少し黙ってから口を開いた。

 

「勝ち進めば、いずれあいつらとも戦う事は当然です。何も恐れてなどいません」

「あっさりしてるよね……。さっきの試合だって、青峰君も黄瀬君もあんな化物じみてたのに」

「化物ならあなたの目の前にも居ますよ」

 

 と、顔を上げれば、そこにはどこか誇らしげに言い切る後輩がいた。

 いや、何なんだよそのドヤ顔は。

 

「ああ、うん……もういいや。あとそのサングラスいい加減取って、恥ずかしいから」

「なっ!? 恥ずかしいとは何ですか!」

「そのまんまだよ!!」

 

 

 中座していた俺達を探しに来た高尾と宮地(兄)に見つかって、ほとんど引きずられるように連れ戻されるのはこの数分後の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてこの日────IH準々決勝8試合が消化され、桐皇も含めたベスト4が残った。

 

 けど夏の大会で取りこぼされたチームは、ほとんどが冬に標準を定める事になる。

 WC(ウィンターカップ)開幕まで、あと5ヶ月。

 

 次の戦争が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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