ゆるゆると意識が浮上した時、部屋の中はまだ真っ暗で、早朝ですらない事が分かった。
一瞬、見覚えの無い壁や本棚が周りにあって混乱したが、すぐに思い出す。そうだそうだ、俺はあの狸爺の突然の思い付きのせいで、火神大我の自宅に下宿させてもらっていたのだと。早二週間くらい経ったが、朝起きる度に未だに戸惑う。いやだってなあ……海外に出張中だっていう火神の父さんの部屋を使わせてもらってるけど、落ち着かねえ。
飾り程度に置いてある家具とかラックは何か豪華だし、壊しそうで怖い。このマンション来た時も思ったけど、あいつもしかしてお坊ちゃんか?
時計を見ると時刻は午前四時。
どうりでアラームも聞こえない訳だが、かといって今更二度寝する気にもなれない。完全に目が冴えた。顔でも洗いに行こうと思って部屋から出ると、誰もいないはずのリビングにでかい人影があったからすげービビった! いや……おい、ちょっと「うわっ」とか言いかけたぞ。
「……あれ、もう起きたんスか?」
「火神君……起きてるんなら電気くらい点けなよ、すごいびっくりしたから」
小さく抗議してやると、火神は「すんません」と素直に言って電気を点けた。視界が一瞬で鮮明に切り替わり、火神の赤毛が目に眩しい。
もう起きたんスか? じゃ、ねーよ! 心臓止まるかと思ったわ! そりゃ俺以外に、こいつしかいる訳ねーんだろうけど。
つーか、こんな朝っぱらから何してたんだ。
食事担当、掃除担当くらいにざっくりした家事の分担はしているが、基本的にお互いのスケジュールには干渉しないようにしている。それはもう、ここに下宿する事になった日から、何となく暗黙の了解で決まっていた。
まあ、そりゃ適当に話はするけど、世間話なんて言えないうっすいやり取りだ。
「何かニュースでも見てたの? ……DVD?」
「別に見てたって程じゃねえっスよ。うちのカントクから借りたんスけど、目が覚めちまったから暇つぶしに見てただけだ、です」
ローテーブルの上に空のDVDケースが転がっている。
そしてテレビの画面には、俺にとってはかなり見覚えのある映像が映っていた。
「……これって正邦の試合? 何でこんなの見てるの?」
「何って、次の対戦相手だからに決まってんだろ。……です」
「……あー」
火神が少し機嫌を損ねたように言い返してから、俺もやっと思い出した。
この前監督から準決勝の対戦校を聞いた時、反対ブロック側の試合がどうなっているかも聞いたんだった。正邦なのは予想通りだったけど、その対戦相手が誠凛っていう事に、スタメンどころか上級生全員が意外そうにしていた。大坪主将や他の三年にとっても、誠凛は高尾が前に言ってたように「去年トリプルスコアで降した対戦校」の認識でしかないから、驚きもでかいんだろう。
その誠凛のレギュラーと一つ屋根の下で話してるんだから、自分の立ち位置がよく分からなくなるけどな。
液晶からは、試合の音声と歓声がそれぞれ聞こえてくる。火神は選手の動き一つ一つと、点の流れを食い入るように見つめていた。……最初に会った時もそうだったけど、こいつはバスケが絡むと時々、獲物をぶら下げられた野生動物みたいな目になる。
俺の周りの一年共は、どいつもこいつも殺気立ってておっかない。殺し合いじゃねーんだから、もっと平和的に振る舞えないのかよ、せめて。
「まあ、試合も明後日なんだし程々にね。僕はもうちょっと寝直すから」
「そっちは随分余裕じゃねーっスか。言っとくけど、俺達は正邦にも、秀徳にも負ける気はサラサラ無えーよ、です。何なら緑間の野郎にも言っといて下さいよ」
「いや、言えないから。僕が火神君の伝言を知ってるなんておかしいでしょ……そういえばこの間、誠凛の11番の子と話したけど」
「は? 黒子と?」
火神の視線が液晶から俺に移る。さっきまで分かりやすくギラついていた目が、炎が鎮火したみたいに穏やかになった。
まあ俺も、今さっき思い出したんだけどな。本当あの11番、話してる時はそこそこ自己主張してくる癖に、いなくなった途端印象に残らなくなるんだもんな。幽霊みたいっていう比喩がシャレにならねえ。
「そうそう、その黒子君? 僕が火神君の家に下宿してる事知ってたから驚いたよ。面倒な事になるから言わないようにって言ったのに……」
「あ、いや、その……スンマセン。 俺もわざわざ話す気はなかった、ですけど、黒子の奴って何つーか……妙なとこで気がつく奴で、何かいつの間にかバレてて……」
それは黒子が鋭いんじゃなくて、お前が分かりやすいだけなんじゃねーのか。
言ってやりたくなったが、頭を掻いて殊勝にしている様子を見ていると、何だか毒気が抜けた。俺がサーシャと(こいつはアレックスって呼んでたか)知り合いだって分かったせいなのか、日常生活では本当に警戒されなくなったなと思う。
素直だし、ある意味高尾と同じで、上級生から可愛がられそうなタイプだ。
「まあいいけどさ……あんまり広めるような事は止めてね。
うちの部の人達の耳には入れたくないから」
「……別にバレたって何か問題あるんスか?」
「あるに決まってるでしょう?」
つい大きな声が出た。でも素を出さなかったんだから、自分を褒めてやりたい。
「そりゃあ火神君の所は新設だし、人数も少ないから仲良く出来てるんだろうけど。
こっちは上級生とか同期とかでも、色々グループとか派閥みたいなものがあるっていうか……あんまり刺激したくないんだって」
「……??」
「あー、えーっと。まあ気にしないで」
相変わらず個性がある眉を思いっきり顰めているから、多分分かってない。
帰国子女である弊害か、普段の会話でもたまにコミュニケーションが取れない時があった。言語の壁ってのは大きいもんだ。
まあ分かってもらわない方がよかったかもしれない。他校のこいつに、わざわざ秀徳の部内事情なんて言う必要もないだろう。
「よく分かんねーけど、何かめんどくせーな、です」
「うん。本当、そうなんだよね」
よく分からない割には痛い所をついてくれる同居人だ。
俺は苦笑しながら、とりあえず通学の時間まで、もうちょっと惰眠を貪る事にした。
****
大会っていうのはどうしてこう、本選までの期間がムダに長いのか。予選が始まってから最近、ずっと部内の空気が重苦しいというか、妙に殺伐としていて参る。まあ、原因の七割は大会に向けての緊張とか気合だろうけど、残り三割は天才一年の緑間への妬み嫉みとか、大分私怨が入ってくると思う。いや、やっぱり六:四くらいか……?
いよいよ明後日は予選Aブロックの準決勝だった。当日の内に決勝もやるっていう鬼スケジュールを組まされてるから実質一日で全ての試合は終わる。終わった後は絶対骨も残ってねーぞ俺。
大坪主将を始めとして三年は全員日ごとに暑苦しいくらい気合が入ってる。去年のIHはベスト16で終わってたから、確かにリベンジしたい気持ちが強いんだろう。あの時の宮地兄なんかは、控えだった癖にすげー大泣きしてたし。試合に出てたのに涙一つ出てこない俺がすげー薄情みたいで落ち着かなかった。盛り上がってる中で自分一人だけ浮いてるって流石に感じたもんだ。
まあ、どこかの誰かさんに比べたら去年の俺なんてマシなもんだって思えるけどな。
天才一年坊主、緑間真太郎は入部から二ヶ月経った今でも話題に事欠かず、主将や三年から白い目で見られても何のその、やりたい放題やっていた。
まあ、やりたい放題っていうとちょっと誤解があるかもしれないが。意味不明なアイテムは持ち込むし、ワガママ3回ルールなんてもんが出来て明らかに特別扱いはされている。でもきっちり練習には来てるし、(おは朝占いって奴の結果が悪い時は別)、上級生には一応従ってるし(説教された時に不満がすげー滲み出てるけど)。
宮地兄なんかはしょっちゅう緑間にキレているけど、あいつに空気読んだり気を遣ったりとか、期待するのは間違ってますよと言いたくなる。
秀徳バスケ部はそこそこ歴史がある分、多分他の学校より年功序列にうるさい。俺も去年は、その洗礼をよーく味わった。だから緑間みたいな出る杭が打たれるのは当たり前っちゃ当たり前だ。あいつの場合は自分から棘を撒き散らしてるって気がするが。
「──―銀望はインサイドの守備に力を入れているが、普段通りの力で挑めば問題は無いだろう。スタメンは変わらずにいく。明後日に備えて、各自体を休めておくように」
中谷監督の、間延びしたような独特な語り口が耳に入って、俺は我に返った。
言っとくが居眠りしてた訳じゃない。ちょっと気が抜けてただけだ。
「……あの、監督。緑間の奴がいないんスけど?」
「ああ、連絡は来ているよ。緑間は今日休みだ」
監督の答えに、宮地兄のこめかみにビシッと青筋が浮かぶ。
触らぬ宮地に祟り無しだ。俺は黙って距離を取った。
明後日にいよいよ準決勝・決勝の二試合があるって事で、今日の練習は普段よりずっと軽い。一通り練習が終わった後に監督が号令をかけ、俺達は軽いミーティングを行っていたのだった。
ちなみにスタメンの一人であり、ポイントゲッターである所の緑間君は何と欠席である。
部活を休んだとかじゃなく、学校自体来てないっつーんだから、俺も一瞬何事かと思ったが。
「あー宮地さん。仕方なかったんですよ、怒らないで下さいって」
「ああ゛っ? どうせまた、占いがどーとか言ってワガママぬかしたんだろーが! 試合前だってのに、分かってんのかよあのバカ!」
「いや、ギリギリまでラッキーアイテム探してたみたいなんですけど、どうしても手に入らなかったみたいで」
「今日は何のラッキーアイテムだったんだ?」
「それが『カラフルなステンドグラス』で」
「見つかる訳ねーだろそんなの!!」
苦笑いしながら説明している高尾に、宮地兄と木村がツッコミを入れて俄かに騒がしくなる。俺も宮地兄の意見に思い切り同意したい。どんな占いを見てんだ、あの後輩は。
「順位も最下位だったみたいで、学校行かないのかって聞いたら『こういう日は無理に行っても禄な事が無い。明後日に備えて休んでおくのだよ』って言ってました」
「無駄に上手く声真似してんじゃねーよコラ、潰すぞ、キュッと」
「痛っ! いたたたたっ! 宮地さん、痛いっス! 本当に潰れます! 縮んじゃいますからっ!」
宮地兄に両側のこめかみを拳で押し潰されて高尾は悲鳴を上げるが、俺は巻き添えになりたくないので見捨て……いや、そっと見守る事にした。
宮地兄が代表してキレているから分からないけれど、他の上級生や二軍のメンバーも白けた顔をしている。そりゃそうだろう。試合も迫ってるのにふざけた理由でスタメン、それも一年が休んでいるんだから、これを許せる先輩がいたらよっぽどの菩薩かお人好しかだ。
つーか緑間も、試合の事を考えてんならもっと上手い言い訳にしとけよ…。
何でこう、わざわざ波風を立てるんだ。
元々そこまで伝達事項が無かったせいか、ミーティングはすぐ終わって解散になった。
後は各自、練習メニューをこなし、なるべく自主練はせずに切り上げろというお達しだ。この頃は対正邦戦に向けて扱かれまくって、もう汗一滴も出ねえって状態だったから、俺はもう帰宅時間になるとスキップして上がっていった。
いつもなら宮地兄あたりから小言をもらいそうだけど、今日は緑間の一件もあるし、試合も控えてるから特に文句は無い。
つくづく、何でこんな思いまでしてバスケ続けてんだろうなあ、俺は。
「……緑間の奴さ、マジふざけてるよな……」
「ムカつく……試合出るんじゃねーよ……」
「あの高尾もさ、何で一年の癖に……」
と、部室のドアを開きかけた時だった。
俺は毎度毎度、まずいタイミングに出くわす才能にでも恵まれてんのか?
ドア越しに漏れ聞こえてきたのは、多分二軍の奴らの──普段、俺もあんまり話さない奴らの──声だった。きっかけは知らないが、扉の向こうで盛大な愚痴大会か悪口合戦が始まってるのは明らかだ。
まあ沸点の低い宮地弟の方じゃなくて俺でよかったのか? あいつだったら、今頃部室に怒鳴り込んでもっとややこしい事態になってそうだ。
すると後ろから、ジャージが引っ張られるような感覚があった。
振り向くと、いつの間にいたのか、高尾が背後からニコッーと人好きのする笑顔を見せていた。咄嗟に名前を呼びそうになったが、口に人差し指を当てたジェスチャーをされて慌てて黙る。
「いや~よかった、間に合って。しばらく時間潰さねーと、部室入れないっスかねー」
部室棟から離れて体育館にまた舞い戻ると、高尾は一息吐いて、殊更明るく言ったように見えた。今日は上級生も早めに上がっているから、居残りしている人間はほとんどいない。静かな放課後ってのも久しぶりだった。
「……高尾君、大丈夫?」
「へ? いきなりどうしたんスか、雪野さん? そりゃあ相変わらず練習じゃボロボロになってますけど、この通り元気ですって!」
「いや、そうじゃなくてさ」
言っていいもんなのか、これは。
俺が脳内で一人葛藤していると、高尾の方から切り出してきた。
「あー気遣ってもらわなくても大丈夫っすよ、本当。俺、気にしてねーっスから」
「……何かごめんね。室田君も金城君も、悪い奴じゃないんだけど、ちょっと今はピリピリしてるみたいで。だから高尾君達に当たっちゃうんだと思う」
「まあIHも近いですからねー。それに緑間はああだし!」
自分で言って、緑間の奇行を思い出したのか高尾は思い切り噴き出した。笑いのツボが分かんねー奴だ。
さっき部室から聞こえていた陰口は、俺の同学年の連中もいたから、何だか非常に心苦しい。
こういう身内同士の足の引っ張り合いとか、レギュラー争いの泥沼にはうんざりする。室田達の言い分も理解は出来るけど、共感は出来ない。緑間みたいな才能の塊に好き勝手やられるのは屈辱だろうけど、裏でコソコソ言うのは何か違うだろう。
「高尾君も、よく緑間君とそこまで仲良く出来るよね。大変じゃないの?」
「ぶはっ! ちょ、何で木村さんも雪野さんも同じ事聞いてくるんすか!? 俺、そんなにコキ使われてるよーに見えます?」
「あのリヤカー引いてて気にしないのは難しいでしょ……」
登校途中でたまに見かけるけど、こいつらはあの自転車にひっつけたリヤカーで学校に来ているらしい。しかもほとんど高尾が漕いでるし。うん、意味が分からん。
「ああ、あのリヤカーっすか? 俺、まだ一回も緑間に勝ててねーんですよ。あいつジャンケンまでデタラメに強くって」
「へえ……」
「でもそろそろ勝てそうな気がするんですよねー。そしたら雪野さんも一緒に乗ります?」
「いや、遠慮しとく」
色々と余計な心配だったみたいだ。
高尾も一年レギュラーって事で、二軍の連中がよく陰口の対象にしてるのを聞くけど、それは緑間とニコイチみたいにやってるとばっちりな所が大きい。「キセキに媚売ってる」だの「腰巾着」だの、何でそういう語彙ばっかポンポン生み出すんだろーな。
けど本人が全く気負ってないようなら、少し安心した。まあ、こいつは周りの言葉や視線で潰れるような柔な神経はしていないんだろう。
その後に少し喋って時間を潰して、部室にいる連中が引き上げた頃を見計らって俺達も体育館を後にした。
この時に高尾から、緑間がおは朝で最下位の時にいかに不幸体質になるかという事を体験談混じりに力説されたが、どうにもピンと来なかった。だって所詮占いだろ?
俺の内心を察したのか、高尾が珍しく真顔で「一緒にいればマジで実感します。最下位の時は面白いけどヤバいんですって」というもんだから、その迫力にはちょっと気圧されたけど。
*****
『柔軟材がきれてました。悪いけど買っておいて下さい』
火神からのメールに気付いたのは、高尾と別れて帰宅の途に着いた時だった。
おい、「剤」の字が違うぞ。俺でも分かる。最初の頃はこのやり取りに、主婦か! とツッコみを入れてたが、もう慣れた。一人暮らし歴が長い分、あいつはあんないかにも不良な見た目で家事スキルが高い。そんなギャップはいらねえとしみじみ思う。
だがまあ居候の身だ。了解の旨を返信で伝える。
……明後日の試合、行きたくないなあと心から思った。
何やかんやで共同生活を送ってしまったし、火神には一宿一飯どころじゃない恩がある。明後日、誠凛が負けた後で顔を合わせる事の気まずさを思うと、ものすごく憂鬱だった。
考えたくはないが、最悪のパターンが誠凛が正邦に勝って、決勝で対決する事だ。そこで俺達が勝ったら、その後どの面下げて火神の家に戻れっつーんだよ。気まずすぎる。けどこの真夏に路上生活は嫌だ……。ああくそ、それもこれも爺ちゃんがおかしな事を言い出してアメリカなんかに逃げたせいだ。
あのクソ爺への呪詛を呟きながら、駅前のドラッグストアに立ち寄ろうと足を向けた時だった。
「あれ? 雪野やん」
「え?」
反射的に振り返ったのが間違いだった。
ものすごく聞き覚えのある声の主が、満面の笑みでそこに立っていた。
そもそもこんな喋り方する知り合いは、俺の狭い交友関係の中で一人しかいない。
「なーんや偶然やな。自分、この近くに住んどったっけ?
髪白くなっとるから、一瞬誰か分からんかったわ」
「……ていうか、そっちの方こそ何でこんな所にいるんですか」
「そら、偵察帰りに決まっとるやろ」
主将は忙しいんやでー、と全く疲れてないように見えるのに肩を竦めてみせる。
只でさえ胡散臭いのに非常にわざとらしい。
「自分今、何か失礼な事考えたやろ。あかんで、先輩にはちゃんと礼儀守らんと」
「あんたみたいな先輩はそうそういないから大丈夫です」
「ぶふっ!」
すると何故かいきなり噴き出した。
どこの高尾だよ。
「…い、いや…すまんな…。雪野、随分大人しゅうなったなあ。何や高校デビューか?」
「放っといて下さい!!」
だから昔の知り合いには会いたくなかったんだ。
笑いを噛み殺してる風なのがまた腹立つ。爆笑されたらされたで倍ムカつくけど。
「あーすまんすまん、そう拗ねんで。なあ、どうせ暇やろ? 折角会うたんやからどっかで落ち着いて話そうや。そんな、さっさと帰れとか思わんで」
「分かってんならさっさと帰らせてくれません!?」
今日の占い最下位は緑間じゃなくて俺だったんじゃねーのか。
かつての先輩に連行されながら、いるか分からない神に祈りたくなった。
中学時代の一つ上の先輩──別名心を読むサトリ──今吉翔一に連行されて、俺は駅前のマジバに来る羽目になっていた。
何でこの人がこんな所にいるんだよ……確か都内でも別の地区に進学してた筈だろ。
絶望している俺の内心なんてお見通しなのか、真正面の今吉さんはニコニコ笑っている。いや、擬音をつけるならニヤニヤ、か? 相変わらず胡散臭い。元々大人びてる人だったから、制服着ててもどっかのインテリヤクザじみて見てる。
「何や、食べへんの? ワシの奢りやのに」
「食欲出る訳ねーだろ……ていうか、俺マジバはそんな好きじゃねーし」
「お、やっと猫被るの止めたんやな。ま、そっちの方が雪野らしいで」
そりゃ、あんたの前で猫何匹被ってても意味ねーからな。疲れるだけだし。
今吉さんは腹が減っていたのか、チーズバーガーを齧りながら訊ねてきた。
「で? どうなん、そっちは」
「……は? どうって、何が」
「せやから、高校で。ちゃんとやれとるんか?
卒業してからずっ──と音沙汰無かったから、これでも心配しとったんやでー」
「あんたは俺の何なんだよ」
ポテトを摘みながら俺も答える。うん、これならまあ食える。
ハンバーガーの類は脂っこくて嫌いだ。
「そら、昔の先輩として気になるやろ?
後輩はたくさんおったけど、雪野が一番危なっかしかったからなあ。
あーほら、ちゃんと友達とか出来たか?」
「だからあんたは何様だよ! つーか、友達くらい出来たから!」
「ほんまか? お前の事やから、喧嘩を止めようとしていつの間にか巻き込まれてたり、知らん所で恨み勝ってたり、まーたそんな事があったりするんやないの?」
「……ねーよ」
最近の秀徳バスケ部のゴタゴタを振り返ると、思い当たる所が無い訳じゃないが、否定したかった。ていうか、この人は何で見てきたみたいに言うんだ、千里眼でもマジで持ってるのか。
眼鏡の奥にある今吉さんの目は閉じたように細められたままで、何を考えてるのかさっぱり分からない。
「まさかそんな事聞く為にわざわざ呼び止めた訳じゃねーだろ? 何の目的だよ」
「えー、ワシそんな信用無いん? たまには後輩とお喋りしたくなるもんやん」
「違和感があって気持ち悪い」
確かにこの人は面倒見がいい人だったけど、それも全てはチームの為、勝つ為に必要だからやってただけだ。徹底的に合理主義。だからこの人の行動には何か裏がないとすげー違和感がある。
丁度今吉さんもチーズバーガーを食べ終えた所だった。微かに笑っているが、昔、試合前に見せていたような悪そうな顔に似ていた。前置きはこれで終わり、という事か。
「雪野、その制服って事は自分、秀徳高校なんやろ?」
「そうだけど」
「まだバスケやっとるんか?」
一瞬、答えに迷った。
「やってる。一応」
「へえ、そりゃ良かったわ。ならそっちにも入ってきたやろ? 「キセキの世代」」
それ絡みか。
ん? 今、そっちも、って言わなかったか?
「……今吉さんの所にも来たのかよ」
「せやで。どーにか口説き落としてな、青峰が入部したで」
「青峰……」
聞いた事のある名前だ。
ああ、そうだ。前にクラスメートから借りた月バスで見た名前だった。何だったか、キセキの世代のエースだの、最強の点取り屋だの、やたら盛ったキャッチコピーで溢れてた気がする。
「月バスでも書いてあったけど、青峰ってそんなに強えーの?」
「ああ、強いで。才能がある分ちょっと複雑な奴やけどな、まあ、その辺も自分に比べたら可愛いもんやでー」
「おい」
俺ばっかりが面倒な奴みたいに言うんじゃねーよ。
にしても、この人がはっきり強いって評価する事には驚いた。人を煙に巻く事も多いが、バスケに関する評価だけは公平でシビアだった。
「……なあ今吉さん。その青峰は、他の部員とか先輩とかとちゃんと仲良くやってんのか?」
「ん? そんな訳ないやん。練習は来んし、たまに試合出ても適当にするだけやから若松……ああ、うちの二年な、とかは毎回キレとるし。他の部員も怯えててあんま近寄らんしなあ」
「ってダメじゃねーか!! 何であんたそれをほったらかしにしてんだよ! 主将だろ!」
「雪野……お前がまさか部の上下関係とか考えられるようになったなんてなあ。感慨深過ぎて泣けてしまうわ」
「俺の事はどうでもいいんだよ!」
泣き真似なんかすんな、何か腹立つ!
大体、練習にすら来てないって何だよ。緑間のワガママ3回だってぶっ飛んだルールだと思ったけど上には上がいた。俺様何様キセキ様ってか。もし宮地兄が知ったら轢くどころじゃすまねーぞ。
「まあまあ、元々青峰は練習には出ないけど試合には出るって条件で勧誘したしな」
「ええ……そんな特別扱い許していいのかよ」
「別にええんちゃう? 実際、試合にあいつが出たら確実に勝てる。それなら青峰の人間性なんてどうでもええしな」
「………………」
そうだった、この人はこういう人だった……。
まあ、そうじゃなかったら俺も中学でバスケはやれなかっただろうけど。
「こっちもそれぐらい割り切った方が上手くいくって事か……?」
「確か秀徳には緑間君が行ったんやろ。そんなに大変なん?」
「いや、大変っつーか、ちょっと二軍との間でゴタゴタしてるだけ」
それだけでこのサトリ先輩は色々察してくれたらしい。心を読んでくるのは心臓に悪いけど、最小限の言葉で通じる時もあるから便利っちゃ便利だ。
「放っておけばええんやない? 試合に勝ちさえすれば誰も文句なんて言わへんやろ」
「それはちょっと極端過ぎじゃねーか……?」
「極端でもそれが事実や。勝てば官軍、負ければ賊軍って言うやろ。官軍になればええんよ」
確かに緑間が試合で点取って、それで勝っていけば、その内部の不満なんて消えるかもしれない。俺もその方が楽だ。室田も二軍の奴らも、結果を出してるなら何も言えないだろう。
「まっ、IHではお互いがんばろや」
じゃあそろそろ行くわ、と言ってひらひら手を振りながら今吉さんは席を立った。
IHではって……全国出場は確定かよ。どんだけ自信があるんだ。
嫌味なのかエールを送られたのか分かんねーけど、全国行ったとしてもあの人のチームとは当たりたくねーと思う。
コーラで再び喉を潤そうとした時、俺はハッと柔軟剤を買い忘れていた事に気が付いた。
◇◆◆◆◆◇◆◆◆◆◇
そして、ごくごく普通にIH予選の最終日はやって来た。
直前に台風が直撃して会場がなくなる事もなく、雨が降る訳でも槍が降る訳でもなく、カラッと気持ちいいくらいに晴れて試合当日を迎える事になった。
前の錦佳戦と違って、観客も収容出来る総合体育館が今回の会場だ。
予想通りにギャラリーもしっかり揃っていて、これからの試合に全ての目線が注目している。でも多過ぎだろ……たかが高校生の大会予選だぞ? もっと減ってくれよ、頼むから。
俺も観念した気分で、試合前のウォームアップに励んでいた。二日ぶりに姿を見せた緑間も、黙々とアップに打ち込んでいる。宮地兄には初っ端から怒鳴られていたけど。
ふと、今吉さんが言っていた言葉を思い出す。
俺がグルグル考えている部の中の揉め事とか問題も、勝ちさえすれば全部解決するんだろうか。
「あっれー? あんたも選手?」
と、振り返ると、目をやたらキラキラさせた坊主頭が指を差していた。
隣のコートでアップをしていた選手──つまり正邦の選手だった。DVDで見た映像と目の前の人間の顔が一致する。
「うわっ、髪白っ! どっかの監督の爺さんなのかと思った」
「は?」
こんな清々しく喧嘩を売られたのは始めてだ。
折角作っていた「温厚な先輩」キャラが崩れかけたが、その直後、誰かがその坊主頭を殴りつけた。
「すまん、こいつは空気が読めん奴でな。俺からちゃんと言っておく」
「いえ……気にしてないんで……」
先輩らしき大柄な選手が坊主頭の襟首を掴むと、そのまま引きずるように去っていった。
俺とそこまで身長差がないのに、随分ゴツい奴だった。
正邦の対面のコートでは、誠凛のスタメンがアップをしているのが見える。その中には、今朝ぶりに出会う火神もいた。赤髪にあの身長なだけあって目立つ奴だ。他の連中の中から頭が飛び抜けてる。
何でこっち見てんだ?と思ったら、その視線は隣のコートにいる緑間に強く向いていた。見る、っていうより睨んでる。もっと本音隠せよ…敵意が分かりやす過ぎてうるさい。
そんな事思ってたら、誠凛の先輩らしき奴が後ろから火神の顔の方向を無理やりずらした。……何か首が曲がっちゃいけない方向に曲がっている気がしたが、見なかった事にした。
「おい、お前達! 集合だ!」
と、こっちでも大坪主将の声がかかった。
ウォームアップの時間が終わり、会場に集まった4つのチームが各自ばらけていく。
俺も俺で、色々気にしてても仕方ない。
試合の事、決勝の事、俺は下宿先を失わずにいられるのかとか、まさか野宿生活なんて事にはならねーだろうなとか、半分くらいは試合に関係無い心配ばっかり浮かんできたが。
とりあえず、頭の中を強引に切り替えた。
準決勝の対戦相手、銀望高校。
試合開始を知らせるアナウンスが、やけに明るく会場に響き渡った。
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秀徳高校スターティングメンバー
大坪泰介(三年) C 198㎝
宮地清志(三年) SF191㎝
雪野瑛 (二年) PF 183㎝
緑間真太郎(一年)SG 195㎝
高尾和成 (一年)PG 176㎝
銀望高校スターティングメンバー
榊圭一 (三年) C 190㎝
石川康大(三年) SF 188㎝
小野雄平 (二年) PF 185㎝
土屋俊介(二年) SG 183㎝
斎藤直哉 (三年) PG 179㎝