飼殺の檻・九と一つの呪いの話   作:アークフィア

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四日目

 ──その日は特にいつもと変わりなく始まった。

 いつものように鶏が朝を告げ、いつものように大人達が寝床から起きてきて、いつものように朝の準備を行い、いつものように畑や小屋へと向かったのだ。

 

 だから、それは『いつも』という日常を変化させる明らかな異常であった。

 とある牛小屋の裏手、その小屋の管理をしている男が、いつものように牛達の様子を見ようとして──、向かいの草原に、見慣れないものを見つけた。

 遠目に赤く写るそれは、まだ朝方であるがゆえに確りとその全貌を視認できず、ゆえに男はそれに無防備に近付いた。

 

 そして、後悔する。

 ──鼻が折れ曲がりそうになるような腐臭。思わず喉元に込み上げてくる胃酸。

 そう、そこにあったのは。

 真っ赤な血溜まりに浮かぶ、人一人分の腐食した肉塊であったのだ。

 

 ──男の情けない叫び声が、鶏の声の代わりに町中へと響き渡った。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

「……おはよ」

 

 

 いつもよりも堅い笑みを浮かべたサラが、こちらに挨拶をしてくる。

 対する少年も小さく挨拶を返すが、そこからいつものように話が続くことはない。

 昨日の別れ方は流石に不味いと思ったのか、はたまた単にあんな態度を彼に見せてしまったことを悔いているのか、───それとも、そのどちらでもないのか。

 少年にサラがどう感じているのか判別はつかないが、それでも居心地が悪いということだけは確かだった。

 

 小屋の中にサラを招き入れる。最初は中に入るのを躊躇していた彼女は、しばらくしてなにかを決心したような目をし、小屋の中に入るとそのままテーブル前の椅子を引いてそこに腰を下ろした。……話をする、という気になったらしい。

 それが昨日のことなのか、はたまたそれ以外かは分からないが、とにかく長くなりそうだということだけは確かだったので、手始めに茶を淹れることにした少年。しばし台所に立ち、湯が沸くのを待つ。

 

 ──火のはぜる音だけが小屋に響く。

 なんとも言えない空気の中で、なんとも言い出せずに湯の様子を見る少年。

 なんとも言わないサラは、ただその背を見つめ続けている。

 そして、一瞬逡巡するように視線を惑わせたあと、意を決したように声を出そうとして、

 

 

「うわあぁああぁあぁっ!!?」

 

 

 ──町中に響き渡る男の叫び声に動きを止めた。

 何事かと視線を交わす二人だが、小屋の中からでは何が起こったのかわかるはずもない。

 そう判断して、二人は揃って小屋を飛び出していく。

 そうして、沸騰する湯の音だけが家の中に取り残されるのだった。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

 たどり着いた先では、大人達が一ヶ所に集まってなにやら騒いでいた。

 その騒ぎ方は昨日の楽しげでどこか緩やかなそれとは違い、切羽詰まったというか慌てふためいているというか、とにかく尋常ではないものだった。

 

 顔を見合わせた二人はとにかく何があったのかを確かめるため、集った町民達に声を掛け必死に落ち着かせようとしている神父の元へと駆け寄る。

 

 

「ジェームズ神父、これは?」

「ああサラ君、どうか君も彼らに言葉を掛けてあげてくれないか!私だけでは少し対応しきれないと思っていた所なんだ!」

 

 

 一切の理由を述べず、町民達の混乱を抑えることを優先するように言う神父。

 対するサラは表情を一瞬硬化させたあと、少年に「ごめん、ちょっとお願い」と声を掛け、神父の手を引きそのまま近くの小屋の影へと止める間もなく突き進んで行ってしまった。

 

 思わず呆気に取られる少年だったが、すぐに気を取り直して大人達を宥めるためにその渦中へと歩を進めるのだった。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

「……ジェームズ神父。あの場で子細を話すのは躊躇われるというのは伝わりました。ですので、こうして町民達から離れた場所へ誘導したのです。───話して、頂けますね?」

 

 

 まるで詰問するような態度のサラに思わずため息を溢しそうになった神父は、すんでのところでそれを堪えた。

 話が更に拗れかねないし、実際町民達の前で話をするのは躊躇われると思ったのも確かな話だったからだ。

 ──第一発見者の男以外に、直接あれを目にしたものはいない。

 それは発見場所が比較的教会に近かったこともあるが、それを衆目に晒すのは宜しくないと神父が真っ先にそれに布を被せて隠したからでもある。

 そして混乱していた男も真っ先に教会に保護したため、子細がどこからか漏れることも恐らくないだろう。

 ゆえに、今はまだ不安に苛まれているだけの町民達に余計な負担を掛けまいと詳しく説明するのを避けていた、というのが先ほどまでの神父の状況だった。

 だが、その結果として混乱した町民達に群がられているのでは意味がないというのがサラの主張だろう。

 だから、彼女は一度神父と町民達を引き離した。──自身がこの場で取るべき最善を模索するために、だ。

 

 

「いつもそうなら私としても有難いんですけどねぇ……」

「ジェームズ神父。私に対しての小言はあとでいくらでも伺います。ですので先の悲鳴の子細、お聞かせ下さいまし」

 

 

 なぜこの子は私に対してこんなに慇懃無礼なのだろうかとちょっとへこむ神父だったが、自身の心の安定よりは町民達の安寧を取る方が利口か、と思い直してことの子細を話し始めるのだった。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

「……死体が、見付かった?」

「形的にというか、量的にというか。恐らくは人間のものとおぼしきものが、ね」

 

 

 告げられた子細に閉口するサラと、一つ息を吐いて瞑目する神父。

 見付かったのはただの肉塊と化した、人間らしきものの死骸。人間らしき、というのは皮膚が腐り落ちて内部の肉が見えているせいで、実際には四肢のようなものがあるピンク色の肉の塊にしか見えないからなのだが。

 とはいえこの辺りに大型の猿などはおらず、また熊とは明らかに大きさというか手足の比率というかが違うように思えたため、消去法的に人の死体なのだろうという予測が立った、という面も無くはないのだが。

 そういったことを付け加えれば、伝えられた側の彼女はしばし沈黙したあと、

 

 

「……わかりました。であればジェームズ神父、祭儀の用意をお願いします」

「ん?……ああなるほど。確かに、今の騒ぎを抑えるにはそうした方がいいでしょうね」

 

 

 神父に対し、町民達へ祭儀を行うことを提案する。

 大勢の人間の混乱を一度に治めようとするのであれば、それに向いた行事を行うのが確実だ。

 幸いにしてそれを行うのに必須となる神職の人間は──、そっち方面の信頼の乏しいサラでは無理があれど、町民の信頼篤い神父がこうして戻ってきているし、開催場所となる礼拝堂の補修も都合よく昨日のうちに終わらせている。

 ある意味、機会を失っていた祭儀を再開するのにちょうどよい状態であると言えた。

 

 

「では、ジェームズ神父は先に教会へ。私は町民達をある程度落ち着かせたあと、彼等を連れてそちらに向かいますので」

 

 

 そこまで決めたのち、こちらに一礼を返してサラは足早に小屋の影から表に出ていった。……あまりに早いその退去に思わず小さくため息を溢す神父。とはいえ、神父としては別の気掛かりがあるのだが。

 

 

「……都合よく、ね。サラ君、君は何を知っているんだい……?」

 

 

 今のこの流れが『あまりにも都合が良すぎるのではないか』という神父の言葉は、誰にも届かずに宙に消えるのだった。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

 久方ぶりに人を招き入れた礼拝堂は、いつかの祭儀の時のように厳かで、何者にも侵しがたい神秘的な空気を纏っているように思えた。

 ……思えば久しくこの空気を忘れていたな、と少年は黙考する。

 

 本来の正式な儀礼であればもっと凄いのだ、と神父はいつも悔しそうにしていたものだが。のちのちサラに聞いたところによれば、現在では進行上必要不可欠な部分が複数失伝しているらしく、完全な形で祭儀を行うことは事実上不可能だとのことだった。

 それを聞いた時、少年は思わず神父に憐れみの念を抱いてしまったものだが──。

 

 さて、完全な形を知っているらしい彼女が、初めてまともに手伝ったとも言えるこの祭儀は、果たして彼女の言う完璧な儀礼となっているのだろうか?……なんて、益体もないことを思わず考えてしまうのは、彼女が澄まし顔でピアノの前に座って厳かな曲を奏で続けているからだろうか?

 歌が上手いことは彼女の歌をよく聞く関係上知っていたが、まさか楽器の演奏まで上手だとは思わなかった、と少年は内心感嘆していた。

 ……反対に神父の方は楽器の演奏が壊滅的であったため、自身の代わりに楽器ができる者を探すのに腐心していた時期があるとかないとか聞いたこともある少年としては、見つかったのがよりにもよってサラだというのは彼にとって不運なのか幸運なのか、と遠い目をしそうにもなったが。

 まぁ、いつもより五割増しくらいに張り切っている神父の姿を見るに、嫌われているとかどうとかの前にちゃんとした祭儀ができる、ということの方が彼にとって重要そうだというのは確実だろう。

 そうして、祭儀開始の挨拶やらお決まりの文句やらを彼が満足いくまで(というと語弊があるが)こなしたあと、

いよいよ今回の本題である朝の出来事へと話題が及んだ。

 

 

「今朝、我が教会の付近にて、痛ましい事件が起きました。詳しい身元は分かりませんが、恐らくは近日行方が分からなくなった者の内の一人でしょう。彼がこういう形で私達の前に現れたことを、私は哀しく思います」

 

 

 その言葉に、町民の一部がざわつく。

 恐らく最近身内が行方不明になったことがある者達なのだろう、見るからに狼狽え、哀しみに涙している。それを、

 

 

「──ですが!神は祈る者を決して見捨てないでしょう。失われた命を、流した涙を!我らが神は、決して見逃さぬのです!苦難の中で、神の心を求めるのなら、神は必ずや、我らをお導き下さるでしょう!──さぁ、祈るのです。失われた者に、安寧を、安息を。天に、祈るのです」

 

 

 神父は熱の籠った言葉で慰める。

 一人、また一人と、目を閉じ頭を垂れ、祈りを捧げ始める町民達。

 神父はそれを見て目を細めたあと、振り返って礼拝堂の奥にある十字架に祈りを捧げ始めた。

 ……それは、「神が居なくなった」とされる今の世界で唯一とも言える、切なる祈りの姿であった。

 

 そうして、しばしみなが瞑目したのち。

 神父の儀礼の閉幕の言葉と共に、町民は一人、また一人と、盛んに言葉を交わしながら町へと帰っていく。

 そこに先程までの暗さは見受けられず、神父の言葉が彼らの不安を拭い去ったのだということが如実に感じられた。……だからこそ、とある一人だけが彼らと違う表情をしているのが殊更に目立ってしまうわけなのだが。

 

 そのとある一人はといえば、弾き終えたピアノに布を被せたあと、神父の元へと静かに歩み寄っていく。

 

 

「ああサラ君、助かったよ。君のお陰で町民達を安心させることができた、感謝しよう」

 

 

 気の抜けた笑みを浮かべる神父の前に立った彼女は、少年が一度も見たことがないような怒りを抑えた表情で。

 

 

 ──軽い音。

 

 

 それは、サラが神父の頬を右手で叩いた音だった。

 信じられない、とサラと神父を交互に見る少年と、何が起きたのか理解できていないように目蓋をぱちぱちと何度も開閉させる神父。

 そのどちらもを無視して、サラは吼えるように言う。

 

 

「──私は貴方を軽蔑します、ジェームズ神父」

 

 

 そう言い捨てて、彼女は礼拝堂の外へと足早に歩き去ってしまうのだった。

 

 

 

†  †  †

 

 

 

「ああ、うん。私のことよりも、サラ君のことをお願いできるかな?」

 

 

 そんな神父の言葉を受けた少年は、サラを探して一人森の中を走っていた。

 あまりにも彼女らしくない行動だったものだからおろおろと慌てていた少年を、見兼ねた神父がこうして送り出してくれなければ、自分はいまだに礼拝堂で立ち止まっていたかもしれない。

 それくらい、先のサラの行動は少年に驚きと、少しばかりの恐怖を産み出していた。

 

 やがて、いつも二人が休みを取る小川の付近にたどり着く。

 はたして、彼女はそこに──いつもの岩の上で、縮こまるようにして膝を抱え、視線を明後日の方向に飛ばしていた。

 落ち込んでいるのか、はたまた悲しんでいるのか。

 そのどちらでもないのかも分からないまま、少年はサラに近付いていく。

 

 

「……私は、あの人を許せそうもないや」

 

 

 こちらが近付いてくるのを察知していたのか、彼女はポツリと呟くと目蓋を閉じ、苦笑いと共に開きながらこちらに振り向いた。……まるで泣いているかのようなその表情に、思わず立ち止まる少年。

 それに構わず、彼女は言葉を続ける。

 

 

「神の不在は、もはや隠しようもないもの。──光すでに亡き我らの世界において、それでも確かに、神の愛はあった。……あったんだよ、神の愛は」

 

 

 膝を抱え直し、視線を正面に戻しながらサラは言う。

 

 例え今は失われたものであっても、神の愛はあった。

 失われるその時まで、確かに神は人を愛し、人を想い消えたのだと。

 ……ゆえに、今は亡き神の愛を騙り、それを説く神父のあのやり方は、自分には絶対に許せるものではないのだと。

 そこまで語って、ちょっと照れ臭そうに、

 

 

「まぁ、私よりちゃんとした、もっとすっごいシスターからの受け売りなんだけどね」

 

 

 と微笑んでみせた。

 それから、町民を安心させるためにはああするしかなかったと一定の理解も示した。

 示した上で、やっぱり相容れないのだと彼女は苦笑する。

 

 

「あーあ、こうなるって分かってたからエセらしく振る舞ってたのに。……やっちゃったなぁ」

「……やっぱり、わざとだったのか?」

 

 

 あ、バレてた?と舌を出すサラに、ようやくいつも通りに戻ってきたと少年は苦笑する。

 

 

「知ってる?同じものを信じていても、喧嘩にはなるんだよ。解釈の違いとか、言葉の受け取り方次第で、ね」

「なるほど、今のサラと神父様はまさにってわけか」

「あ、やぶ蛇だった……」

 

 

 そうして、なんでもない話をして、なんでもないように二人は町へと帰る。

 ただ一つ、少年が問い損ねたことだけを置き去りにして。

 

 

 ───「神の不在」について、どうしてそこまで確定事項のように話すのかという、その問いを。

 

 

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