マジで長いのでヒマでヒマでしょうがねーって時にでも読んでください。
ジョジョとウマ娘の融合した世界観の補足的な部分が多いです。
一週間の内で憂欝な日ってのは誰にでも訪れるものだと思う。
大抵の人間にとっては『日曜日』か『月曜日』だ。
待望の休日にハメを外しすぎて二日酔いに頭を抱える日曜日の夜。
うんざりするくらい遠い休日に向けて仕事を始める月曜日の朝。
僕の場合は――。
少し、僕の話をしよう。
僕……ジョニィこと……本名『ジョナサン・ジョースター』は、アメリカ・ケンタッキー州ダンビルに生まれた。
ジョースター家は、元はイギリスで海上貿易の仕事をしていた貴族だったが、時代の移り変わりと共に住んでいた土地もアメリカへと移っていった。
僕の父はそんな貴族の分家だったが裕福な牧場主であり、三冠レース七連覇を誇るウマ娘のトレーナーだった。
そんな父の仕事の関係で、僕はイギリス・イングランドで少年時代の数年を過ごしたことがある。
父は厳しい人だった。
貴族という家柄と他国から移り住んできたという立場から、自らの血統への『誇り』や『敬意』といったものを特に重んじていた。
テーブルマナーさえロクに守れない僕は、まったく出来の悪い息子だっただろう。
僕はいつも父に叱られて、泣いていた。
そんな僕には5歳年上の兄『ニコラス』がいた。
僕とは違って頭も要領も良く、トレーナーとしての才能も溢れていた。
父の仕事を受け継ぐのに何の心配もない長男だった。
僕はいつも兄さんに助けられてばかりいて、その輝かしい活躍に憧れていた。
『兄さんは何をやっても上手だな。ぼく、違う家の子なのかな? 全然似てない……』
そう愚痴る僕を抱きしめて、兄はいつも言ってくれた。
『あのなジョニィ……お前はまだ小さいだけなんだ。もう少ししたら、オレがちゃんと教えてやるよ。約束だ。そうしたら2人で助け合って、世界中色んな所で闘っていこう!』
その言葉は、幼く未熟な僕にとって見たこともない広い世界を感じさせてくれるものだった。
狭い屋敷の扉を開いて、何処までも続くターフを駆け出すような……。
その先に輝かしい
父も兄には殊更期待をかけていて、兄はその期待に何の憂いもなく応えていった。
兄が初めて担当したウマ娘が地方の新星として鮮烈なデビューを飾り、そんな彼女と兄が男女としての交際を始めた時も、周囲には祝福しかなかった。
気難しい父もあの時ばかりは口元を緩め、僕は兄が栄光と共に新しい家族を連れてくるのだと大喜びした。
夢のように輝かしい日々だった。
それがこの先ずっと続くのだと思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
永遠に続く『日曜日』なんて存在しない。
憂欝な日ってのは、誰にだって訪れるものなんだ。
――ある日、トレーニング中の事故で2人は死んだ。
何の変哲もない、毎日繰り返しているトレーニング中での出来事だった。
僕はいつものように、少し離れたコースを区切る柵の反対側から2人のトレーニングの様子を眺めていた。
ウマ娘特有の強靭な脚力が地面を蹴る美しい音に耳を傾けていた。
そのリズムが崩れたと思った次の瞬間、何かが倒れ込む音と激しい土煙。そして、柵の壊れる音が響き渡った。
僕は一瞬何が起きたのか分からなかった。
だけど、周囲はすぐに騒然となった。
同じトレーニング場にいたウマ娘やトレーナー達が、『兄と彼女』の名前を叫びながら『医者を呼べ』と何度も繰り返していた。
ゴール前の直線で仕掛けるラストスパートの時点で起こった不運。
ウマ娘は加速の最高点において時速60キロから70キロのスピードを発揮する。
そんな最高速の中、彼女は足を踏み外して転倒し、そのままゴール付近で指示を飛ばしていた兄へと突っ込んだ。
子供だった僕が現場を見せられることはなかった。
だが、まるで人身事故のような酷い有様だったらしい。
バラバラになった柵の破片と共に、彼女の身体が兄の身体にめり込んでいた、と……。
あの日は……何曜日だっただろう?
あれから、何をやっても2人の死が日々の中でちらつくようになった。
栄光ある未来が約束されていたはずの兄。
祝福を受けるはずだった新しい家族。
だけど、残されたのは望まれない子供である僕だけ。
喪った家族を引き摺り続ける父との関係はすれ違い、冷え込んでいった。
『おお……神よ。あなたは……連れていく子供を間違えた……』
『出ていけ……もうお前とは暮らせない……』
……いいよ。
そんな風に言うなら……いいとも、父さん。
もう僕は誰の世話も必要としない。
自分ひとりで立派にやってみせる。
兄が……ニコラスが何だって言うんだ? いつまでもニコラス……ニコラスって。
兄はもう死んだんだ。
トレーナーとしての優れた才能なら、僕だって持っている。
僕が鍛えれば、どんなウマ娘だろうとレースを勝ち、栄光を掴むことが出来るんだ。
そうさ、どんなウマ娘だろうとだ。
そいつに才能があろうがなかろうが、裕福だろうが貧しかろうが、レースに対してどんな夢や理想を持っていようが関係ない。
僕が勝たせてやる。
そうして僕は、周りに……世間に……僕自身の力と価値を認めさせていった。
手に入れた富と名声に酔いしれ、群がる奴らにそれをばら撒いてやった。
兄が手に入れるはずだったものを、全て代わりに手に入れたつもりだった。
だけど――。
ああ、だけど。
あの時の僕は、結局どんな『ウマ娘』にも心を開いてもらえなかったような気がする。
トレーナーとして何人ものウマ娘を勝利に導いてきたけど、彼女達はいつの間にか僕の下を去っていったし、僕もそんな彼女達を特に気に掛けることはなかった。
相手なんて誰でもよかった。
兄と彼女の間にあった特別な絆の存在を、僕は信じていなかったんだ。
僕が劇場の前で撃たれたあの日、はべらせていたのは人間の女だった。
何処かの富豪の娘だか何かだった。顔も名前も、もうよく思い出せない。
あの日は、何曜日だっただろう……?
あの日から、僕は何回目の『一週間』を迎えただろう……?
朝日が昇り、また新しい一日が始まる。
◆月曜日!――Lunedi
現アメリカ大統領『ファニー・ヴァレンタイン』は、歴代でも類を見ない国民からの支持率を誇る男である。
その人気の理由は、強い愛国心から来る国と民への献身的な行動にあった。
一週間の始まり。多くの国民が重い足取りで仕事場へ向かうこの日にも、彼は朝早くから執務室へ訪れていた。
「おはようございます、大統領」
そして、そんな彼よりも更に早く訪れ、執務室に迎え入れた一人の『ウマ娘』がいた。
「おはよう。今日も美しいな、私の愛バ――傍に来てくれ『ラブトレイン』」
ラブトレインと呼ばれたウマ娘は、まるでダンスの誘いのようにヴァレンタインの差し出した手を取った。
そのままエスコートするように彼をソファーへと誘う。
ウマ娘という種族は、その名称が表す通り全員が例外なく女性であり、また大半が美形である。
ラブトレインは、そのウマ娘全体で見ても特に際立って美しい外見をしていた。
一方のヴァレンタインもまた平均的なアメリカ男性として美形の部類に入るが、その体格はやや肥満気味である。
身長もラブトレインの方が高い。これは彼女が体格のいいアメリカのウマ娘の中でも更に長身であり、まるでウサギのように長い特徴的な耳がより強くそういった印象を与えている。
そんな2人が並び立つ光景は何処かアンバランスに見えて――しかし、確かに『男女の仲』を感じさせるものだった。
「朝食は済まされましたか?」
「ああ、家で済ませてきた。コーヒーだけ貰えるか」
「かしこまりました。それと、こちらは今日の朝刊です」
「ありがとう」
まるで夫婦のように気安く、2人はやりとりを交わした。
しかし、実際に2人は夫婦ではない。
ヴァレンタインには正式に結婚した立場の大統領夫人がいるし、ラブトレインは彼の仕事上のパートナーに過ぎなかった。
公式の役職である大統領補佐官とは、また違う。
ファニー・ヴァレンタインの個人的な秘書という立場だ。
ウマ娘としての優れた身体能力をもってシークレットサービスより身近で大統領を守り、その公務を補佐出来るだけの知識と経験も持つ。
ヴァレンタインから絶大な信頼を寄せられる唯一無二の存在だった。
美しく、強く、賢い――そんなウマ娘を側近として侍らせた権力者は、歴史にも多い。
2人の関係は周囲にも認められていた。
しかし、具体的にどういった関係なのか?
『愛人』か? ただ性別が違うだけの『友人』か? ヴァレンタインの『傍に立つもの』として彼女をどういう言葉で表現するべきか――?
それは当人達にしか分からないことだった。
「……今日も、我が国はレースの話題で沸いているな」
新聞を眺めていたヴァレンタインは面白そうに呟いた。
彼の愛読するアメリカの伝統的なニュース紙は、ここ数週間必ずといっていいほどウマ娘のレースに関する話題を一面に取り上げていた。
まだ記憶に新しい『SBR』の熱狂が再燃したかのように、アメリカ国内ではウマ娘のレースに多くの関心が集まっている。
理由は言うまでもない。
いずれ開催が予定される『URAファイナルズ』の舞台である日本で一足先に行われたレース。
シンボリルドルフとシルバーバレット、そしてゴールドシップの対決だ。
――日本の伝説と世界的スターウマ娘を無名のウマ娘が打ち破った。
――『SBR』の優勝者に準優勝者がリベンジした。
――完全な決着は来る未来のレースにて。
大番狂わせの起こったレース自体の人気もさることながら、未来のレースに向けての期待も高まっている。
元より『SBR』によって活性化していた世界中のレース業界が、今後の具体的なイベントに向けて大きく動き出している――そういった状況だった。
「あのレースは、私も後日テレビで観た。なかなか手に汗握るものがあったな。君はどうだ? 観たか?」
「はい、観ました」
「どうだった? ウマ娘としての視点からすれば、あのレースはやはり滾るものがあったのかな? 本能が刺激されたか? 興奮は?」
ヴァレンタインは薄い笑みを浮かべながら、ラブトレインに訊ねた。
それは男が女をベッドに誘う前に履いている下着を確認する前戯のような、何処かエロティックで下卑た楽しみを味わう口調だった。
「そうですね……」
ラブトレインはそんな質問にも嫌悪感を示すことなく、答えた。
「感じ入るものがなかったかと言えば、嘘になります。もしも、アナタが大統領ではなく私のトレーナーだったのなら、私はあのレースを走っていたでしょう」
「私が導き、君が走る……それはとても魅力的な世界だ」
「はい。あのレースのトロフィーも、『SBR』のトロフィーも、アナタに捧げてみせます」
優しくも力強い笑みでそう断言するラブトレインを見つめ、ヴァレンタインは束の間夢想した。
――自分が大統領ではなくトレーナーとして働き、最高のウマ娘だと信じる彼女がレースで走る姿を見守る。
そんな世界を想像したことは一度や二度ではない。
もしも自分達があの『SBR』に参加していたら、と他愛もなく考えたこともあった。
ラブトレインというウマ娘との付き合いは長い。
現在の大統領夫人とは15年前に出会って結婚したが、それよりもずっと昔の子供の頃から彼女は傍にいたのだ。
兵士であり愛国者であった父を戦争で亡くした時も、彼女は傍にいた。
亡き父の形見であるハンカチと遺志を受け継ぎ、祖国に尽くすことを決意した時も、ずっと――目の前の存在は自分の傍に寄り添い、行動を共にしてくれた。
ファニー・ヴァレンタインという人間の人生に付き添い続ける『傍に立つもの』だった。
友人よりも、伴侶よりも、同志よりもずっと固い絆で結ばれた半身。
そして、その固い絆が彼女を束縛してしまっているのではないかと一抹の罪悪感を抱いた時もあった。
この大地と空の下で自由に駆け回るウマ娘としての幸福と権利を奪ってしまっているのではないか、と。
もしも、自分がこの国の大統領ではなく、ただひとりのトレーナーとして生きていたのなら。
彼女は、やはり今と同じように自分の傍に立っていただろう。
ウマ娘という生物の本能を押し殺すこともなく、好きなように駆け回っていただろう。
そんな彼女と共に生きることは、間違いなく自分にとっても幸福な生き方であるはずだ。
一国の指導者としての責務ではなく、ただひとりの男としての人生――。
在り得たかもしれない未来をしばしの間脳裏に思い描き、ヴァレンタインは大きく息を吐いた。
幸せな夢想に耽る男の姿は、その瞬間消え失せていた。
「我が心と行動に一点の曇りなし……! 全てが『正義』だ」
ヴァレンタインの決意に満ちた言葉を聞き、ラブトレインは満足げに頷いた。
彼女もまた長年付き添った男の心を理解していた。
ウマ娘としての真っ当な『生』を捨てて、ひとりの人間に尽くす道を選んだことに一片の後悔も抱いていない。
「これは私が選んだ道……この国で、私が『最初にナプキンを取った人間』だ。均等に食器の置かれた円卓で、誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が『右』を取らざるを得ない。もし左なら全員が左側のナプキンだ。そうせざるを得ない。これが『社会』だ……私はこの国を愛している」
「はい。私も、この国を愛しています」
2人はじっと見つめ合った。
今更、ここまで歩んできた道を振り返る必要も意味もない。
これから先も共に歩んでいく――何の曇りもなく。
「君は『女神』だ、ラブトレイン。私の女神……共にこの国を愛してくれ」
「アナタを愛するように、この国を愛します」
ヴァレンタインはソファーに座ったまま腕を伸ばし、ラブトレインの腰を掴んだ。
自らの肉体の内で滾る衝動のまま、強く抱き寄せる。
「いけません……大統領。ここは執務室です」
ラブトレインは形ばかりの抵抗をしたが、自身の腕はヴァレンタインの肩に回されていた。
「そうだ。ここは
「アナタには大統領夫人が……ああッ、いけません……」
「君が情熱的な言葉を口にするからだ。何なんだ? すごくカワイイぞ、その表情……興奮してきたッ!」
そうして2人は絡み合いながら、ソファーのクッションに身を沈めていった――。
いつものように執務室の前までやって来た大統領補佐官は、朝の静けさを乱さぬ程度のノックをしてドアを開いた。
「おはようございます、大統領。本日のご予定ですが――」
「ああ……いいぞッ! スゴクいいッ! その調子だ、私の愛バ!」
「いけませんッ! これ以上強くなんて……!」
長年、ファニー・ヴァレンタイン大統領に仕えてきた補佐官は冷静沈着だった。
自身の視界に激しく乱れる2人の痴態が飛び込んできても、精神的動揺を表さなかった。
「顔の上だッ! 私の! 君の魅力的な尻とクッションで私を挟み込むんだッ! うぉおおおおっ!? 早く! 早く押し潰すんだッ!」
ソファーに寝転がったヴァレンタインの顔の上から、ラブトレインの尻が圧し掛かっていた。
性行為の比喩表現ではない。ただ、そう表現するままの光景が室内に広がっていた。
お互いに服を着たまま、ヴァレンタインの顔面にラブトレインが騎乗した状態になっている。
ただそれだけで、2人は大いに昂っていた。
2人だけの世界に没入して、周囲のことなど何も眼に入っていないかのように互いの情熱を高め合っていた。
「圧迫だッ! 呼吸が止まるくらいッ! 興奮してきたぞッ! 早く! 『圧迫祭り』だッ!」
「いけません! こんなこと……いけませんッ! ああッ、私のファニー!」
「もっと乗ってくれラブトレインッ! 強くッ、もっと! もっと! うぉおおッ! 乗っか――」
補佐官は無言のまま数歩、後ろに下がった。
「――これより一時間、予定を空けておきます。ごゆるりと」
そう告げて、彼は2人だけの世界に続く扉を閉ざした。
普段よりも一時間遅い時刻を過ぎて、今日もアメリカという国の一週間が始まろうとしていた。
◆火曜日!―― Martedi
つい1年ほど前にアメリカを舞台にして始まった『SBR』という大レースが起こした熱狂と衝撃。
それと同じ『大きな力のうねり』のようなものが、今度は舞台を日本に移して、世界を動かしている。
その『うねり』の中心――シルバーバレットと対決したシンボリルドルフが生徒会長を務め、ゴールドシップが一生徒に収まっているトレセン学園でも、あのレースの影響は現れていた。
とはいえ、それは社会の様々な界隈に与える影響に比べれば、酷くささやかなものだったが。
「えー!? 今週号にも『シルバーバレット』載ってないじゃん!」
それは例えば、トーセンジョーダンの愛読する人気ファッション誌に表れているようなちょっとした影響である。
しかし、流行に敏感なうら若きウマ娘の少女にとっては、人目も多いカフェテリア内で思わず声を上げてしまうような、決して軽視できない影響だった。
「マジテンション下がるぅ~、これで三週連続じゃんかぁ……」
「何? 海外のファッション誌?」
同じ『今時のギャル』繋がりで友人の一人であるゴールドシチーが、背後から覗き込んで言った。
「そっ、ウマ娘専用のヤツ。あたし、毎週通販で買ってんだ~」
「アンタ、海外のファッションに興味あったの?」
「いいモンに日本も外国もカンケーないっしょ! 一年前の『SBR』レースが始まった辺りからさ、ウマッターでも外国のファッションとかネイルとかトレンドに結構上がってっし」
「知ってる。アタシの仕事にも、その辺の影響出てるし」
「シチーはモデルやってるもんね。でさ、ファッションもなんだけど、この雑誌に出てるモデルのシルバーバレットがマジでイケてるわけよ!」
シルバーバレット――既に世界的に有名だったそのウマ娘が、日本国内に与えた衝撃は記憶に新しい。
裏表のない尊敬と感動をあらわにするトーセンジョーダンとは違い、ゴールドシチーは僅かに表情を引き締めた。
「ジョーダンって、シルバーバレットのファンなの?」
「ファンっつーかリスペクトって感じ? いや、違いよく分からんけど。でも憧れはあるよね~。この本もファッション誌ってより、写真集って感じで読んでっから」
「まあ、確かにあの人ひとりで他のモデルの存在感食っちゃってるところあるけど」
「顔いいし、脚も長いし……何よりスゲーのがあの『ポージング』よ! SNSでもリスペクトした写真とか動画山ほど上がってっけど、やっぱオリジナルには誰も勝てんわ~。何食ったらあんなポーズ取れんの? って感じ」
そう言って、トーセンジョーダン自身もまたポーズを取ってみせた。
立ち上がった状態で顔を半ば隠すように開いた左手を持ってくる。
構図としては単純なものながら、残った右手の位置と僅か下がった左肩の角度などが絶妙に噛み合って独特なセンスの立ち姿となっていた。
「これ知ってる!?」
「ポージングの『レベル1』だっけ。これまで雑誌に載ったシルバーバレットのポーズで、真似るのが難しい順に難易度をレベル分けしてんでしょ?」
「あたし、これ一番好き! 真似しやすいし、たまにウマッターで上げっと軽くバズるんだよね」
「知ってる。アタシも、仕事でそれやらされたから」
「そういえば、シチーってシルバーバレットとレースでガチった後でモデルの仕事まで一緒にやったんだっけ?」
「……うん」
シルバーバレットとディエゴ・ブランドーが日本で行った『十連覇宣言』のレース。
最後の1つはゴールドシップによって阻止されたが、そこに至るまでの9回のレースの中でゴールドシチーは他のウマ娘達と同様にシルバーバレットと争い、そして敗北していた。
シルバーバレットが1着、ゴールドシチーが2着のレースだった。
当時の世間は、それを『惜敗』と表現した。
既にデビュー済みのウマ娘として確かな実力を誇り、実績も上げていて――それ以上にモデルとして高い人気と知名度を持っていたゴールドシチーを『圧倒的な実力差で敗れた無惨な敗北者』として扱うことを、多くの人間が望まなかったのだ。
それは勝利者であるシルバーバレットでさえ同じだった。
国内で人気のあるゴールドシチーに大差勝ちすることで生まれる反感を避けた。
トレーナーであるディエゴの指示だった。
ゴール前のギリギリで差し切って勝つ――そんなエンターテインメントを演出して、勝ってみせたのだ。
あのレースを走っていたゴールドシチー当人も含めて、参加した全ての選手が皆一様に理解していた。
あのレースの真の勝者は、シルバーバレットただ1人だ。
何もかも彼女の手のひらの上でコントロールされていたレースだ、と。
『世界を制した』と言われたウマ娘の圧倒的な実力と経験の前に完敗した。
あるいはその後の展開さえ計算されていたのだろう、とゴールドシチーは察していた。
シルバーバレットとのモデルの仕事は、ディエゴの方から持ち掛けられたのだ。
あの仕事は大成功だった。
2人が組むことによって、シルバーバレットは日本に、ゴールドシチーは世界に名を広めた。
激闘を繰り広げた競争者2人がレースの外では遺恨を持ち込まず、互いを認め合うように並び立つ美しい一枚絵は多くの人々を魅了した。
その事実に対して、ゴールドシチー自身は酷く複雑な気持ちだった。
本当に、一言では言い表せない。
未だに飲み込むことさえ難しい感情だ。
――敗北したことが悔しい。
――モデルとレースを両立する姿を尊敬する。
――自分よりも遥かに多くの勝手な期待や価値観を押し付けられながら、それすら完璧に利用する生き方に畏怖を抱く。
――己の道を迷いなく突き進む背中を遥か遠くに在るように感じる。
「凄いウマ娘だよ、あの人は」
あの人のようになりたい。
あの人のようにはなれない。
あの人のようにはなりたくない。
「……敵わないって思った」
様々な思いを胸に仕舞って、ゴールドシチーはそれだけを口にした。
「でもさ、その凄いウマ娘にあのバカってば勝っちゃったんだよね~。今でも信じられんわ」
「あのバカって……」
「ゴルシっつーかゴールドシップのこと」
トーセンジョーダンは呆れたように笑いながら、その名前を口にした。
「普段からワケの分かんないことばっかりやってるバカのくせにさ、前評判とか全部ひっくり返して勝ってやんの。マジありえんし」
「……随分気安いじゃん。ジョーダンって、ゴールドシップと知り合いだったっけ?」
「知り合いっつーか、一方的に絡まれてるっつーか……」
ゴールドシップもメイクデビューから一年も経っていない新人だが、トーセンジョーダンは怪我からの延期を繰り返してデビュー戦も未経験である。
レースでも学園生活でも接点があるとは思えなかった。
「学校のさ、種目別競技大会で偶然同じレース走ることになってさぁ。そん時に眼ぇつけられたのか、やたらと絡まれんのよ」
「ああ、そういえばあの時ってメイクデビュー前の話じゃん。確かに、いい勝負だったね」
「あの後アイツがトレーナー見つけて、併走練習の時とかムリヤリ拉致られたりして、ホント無茶苦茶で――」
トーセンジョーダンは心底嫌そうに語っていたが、不意に表情を和らげた。
「でも、アイツもアイツなりに結構ヘコむことあるみたいなんだよね。シルバーバレットとのレースが近づくと、なんかすごいナーバスになっててさ」
「そりゃあ……なるでしょ。しかも、あの生徒会長まで相手になるっていうんだから」
「でもさ、それでいざ結果が出ればアレでしょ。ビビるって、マジで!」
「……確かに。ビビる」
あのレース以来、ゴールドシップの存在は学園内でも注目を集めていた。
普段の変人奇人ぶりが広く知れ渡っている為、話題に挙がることはあっても尊敬や憧れの対象になることはほとんどない。
しかし、この時。
2人の言葉には確かにゴールドシップへの敬意が含まれていた。
自分達と同じようなスタート地点から走り出しながら、遥か遠くにある存在の背中に追いつき、追い抜いてみせた競争者としての姿に尊敬の念を抱いていた。
「アイツがバカなのは間違いないけどさ、あれだけ突き抜けられると……あのバカさ加減、見習いたくなっちゃうじゃん」
そう呟いて笑うトーセンジョーダンに釣られるように、ゴールドシチーも口元を緩めた。
シルバーバレットの十連覇宣言の最後を飾ったあのレースは伝統や格式のあるものではない。
しかし、あのレースの中で繰り広げられた激闘とその結末が与えた影響は、世間にも、この学園にも大きく残った。
シルバーバレットの力に敗北して打ちのめされた――『もう二度と勝てない』と思い知らされたウマ娘達が、ゴールドシップの走りを見て再び奮い立った。
自分やトーセンジョーダンだけではないはずだ。
トレセン学園の生徒達の多くが、あのレースで心に火を点けられた。
「そうだね」
――レースがしたい。
「アタシも見習ってみよっかな」
――次こそは、勝ちたい。
いずれ来る『URAファイナルズ』に向けて、再び何かが自身の内から燃え上がってくるのをゴールドシチーは感じていた。
「……ところで、最初の話題に戻るけどさ」
「最初の?」
「シルバーバレットが雑誌に出てないって話」
「あ、そうそう! それ!」
「しばらくはモデルの仕事もレースもやらないで休養に充てるって言ってたよ」
「えっ、ウソ!? いつ言ってたん!? 本人に聞いたの!?」
「いや、ニュースとか。有名人なんだからネットとかで幾らでも出てるし。雑誌のメインモデルなら、その前のバックナンバーで告知とかしてるんじゃないの?」
「書いてたかもしれんけど、あたしが英語とか読めると思う?」
「英語分かんないのに海外の雑誌を定期購読してたの、アンタ……」
ゴールドシチーは、呆れたようにため息を吐いた。
◆水曜日!――Mercoledi
トレセン学園のエントランスホール――そこは多くの生徒達が行き交い、備え付けられたテーブルで親交ある者達が会話に花を咲かせている。
そして今日も、エントランスの一角にてマチカネフクキタルを筆頭に、メイショウドトウ、サイレンススズカの3人によって有益なディスカッションが行われていた。
「救いは……」
メイショウドトウはこの世の絶望を全て味わったかのような声で呟いた。
「救いはないんですかぁ~!?」
「救いは、ありまぁす!!」
そんな彼女をマチカネフクキタルが力強く救った。
「ハイ! というワケでですね、掴みもバッチリという感じで今からドトウさんを私が救おうと思います! マチカネフクキタルです!」
「メイショウドトウですぅ~」
「……え、何これ? 私、また何かに巻き込まれてる?」
自分が何故この場にいるのか分からないサイレンススズカは、ひとり呟いた。
それでも一度囲んだテーブルを立たないのは、彼女の人の好さである。
「実はですね、私ついに究極の幸運グッズを手に入れてしまったのです!」
そう言って、マチカネフクキタルは小さな箱を取り出した。
英語の表記しかない、海外の輸送用段ボールだ。
「苦節数か月……慣れない英語に悪戦苦闘しながら、本場アメリカから通販で取り寄せた逸品です!」
「本場って、何の本場なのかしら?」
サイレンススズカの静かなツッコミをスルーして、全員が注目する中箱から物品を取り出す。
「レースで偉大なウマ娘は数あれど、幸運という点において最も偉大なウマ娘はただ1人! 我らが『幸運の星』ヘイ・ヤー先生の幸運を宿した人形ですっ!!」
ヘイ・ヤー――大陸横断レース『SBR』で第3位の成績を残したウマ娘である。
優れた実力や経験ではなく、並外れた幸運によってレースを走り抜けた彼女は世間からの注目度も高く、普段は世情に疎いサイレンススズカでさえ知っているウマ娘だった。
マチカネフクキタルが見せる人形は、言われてみれば確かにヘイ・ヤーの人形だと分かる『面影』を持っている。
しかし、じっと見ていると不安になってくる絶妙にサイズのバランスが取れていない頭身と、虚ろな表情のデザインは人形にも関わらず何処か生々しい。
呪いの儀式に使う人形か、誰かの魂を抜いてそれを植え付けた人形なのではないか――そんな唐突なイメージがサイレンススズカの脳内に浮かび上がった。
ハッキリ言うと不気味だった。
「いやぁ、本当に手に入れるのに苦労しましたよ。かなりのレア物らしく、あまり数が出回っていないようでしたからね!」
――それって正規品じゃなくて偽物だからなのでは?
そんな疑念を言葉にしない配慮が、普段は天然ボケと言われるサイレンススズカにも存在した。
「ドトウさん! この人形が手に入った以上、アナタは救われたも同然です。ヘイ・ヤー先生のラッキーパワーがあれば、運勢最悪の日だって安心安息安全地帯ってなモンです! 1週間がハッピーウィーク! 毎日がエブリディ!」
「はぁあああっ! ありがたやありがたや~」
そして、2人が純粋に喜んでいる空気に水を差す勇気もなかった。
「フ、フクキタルは最近ヘイ・ヤーさんのグッズを集めてるわよね。ひょっとしてファンになったのかしら?」
見れば見るほど不安になる人形から視線と話題を逸らす為に、サイレンススズカは訊ねた。
少々強引な話の切り替え方かと思ったが、この話題にマチカネフクキタルは眼を爛々と輝かせた。
「もちろんです! ラッキーパワーをレースに最大限活かすあの走りは私の理想像ですからねっ!!」
「あれを真似しようと思うのは、ちょっとどうかと思うけど……」
サイレンススズカは世情に疎い方だったが、そんな彼女でも当時話題の頂点にあった『SBR』レースについては何度かテレビやニュースで目にしていた。
そのレースの中でも異端の走りを見せるヘイ・ヤーは、シルバーバレットなどの実力者達とはまた別の方向性で注目を集めていた。
スタートダッシュを盛大に寝過ごして始まった彼女の走りは、様々な場面で不自然なほど運を味方につけた。
時刻通りスタートした3000人以上の選手達が踏み均した結果、なめらかになった地面で脚に負担を掛けることなく加速し、あっという間に最後尾集団に追いつくという展開など序の口だ。
追いついた後も『他の選手の脱落』『ショートカットに便乗して成功』など、単なる偶然とは思えない展開を経て先頭集団まで追従した。
何よりも恐ろしいのは、これらの出来事が本当に『単なる偶然』に過ぎなかったことだった。
何の反則も技術も本人の意図すらない、降って湧いた『幸運』を味方につけた走りだった。
あんな走り方は、どんなウマ娘にも真似出来ないだろう。
「いやぁ、さすがにあの幸運は真似したくても出来ませんよ。それに私、ヘイ・ヤー先生のファンであって、あのラッキーパワーのファンではありませんから!」
そんな彼女の走りには、人気も集まったが批判も多かった。
アメリカ大陸を横断するという誰もが極限状態で競うレースの中、幸運を味方につけたヘイ・ヤーの走りは『楽をしている』『ズルをしている』などと捉えられることも多かった。
勝負は時の運とはいえ、自らの意思や技術の介在出来ない要因を理不尽に思うことは誰であろうと同じである。
結果、ヘイ・ヤーは人気こそあったものの、真剣なレースからは無意識に除外された見世物の一種のように捉えられていた。
ヘイ・ヤーのファンだと面白半分で口にする者は多い。
しかし、ヘイ・ヤーのファンだと真剣に断言する者は少ない。
「あの過酷なレースを、途中で挫けずに最後まで走り抜くなんて『幸運』とは全く関係のない偉業ですからねっ!」
マチカネフクキタルは、そんな数少ない本物のファンの1人だった。
その返答に、サイレンススズカとメイショウドトウも思わず笑顔を浮かべた。
「そうね。そういう所は、フクキタルにも通じる部分があると思うわ」
「実際に『SBR』ってレースというよりサバイバルみたいでしたからねぇ。私があんなのに参加したら、きっと途中で野垂れ死んじゃいますぅ~」
メイショウドトウのストレートな表現に、サイレンススズカは口元を引き攣らせた。
しかし、決して大袈裟な仮定ではない。
実際に死傷者の出たレースなのだ。
「本当に、あのレースに参加した人達はそれだけで偉大ね。テレビで観ているだけでもハラハラしてたもの」
「やっぱり、さすがのスズカさんでもあのレースには参加したいとは思いませんか?」
「え……フクキタル、『さすがの』って何? 私ってああいうレースに参加したがると思われてるの? 死んじゃうかもしれないのよ?」
「スズカさんって走ることに関しては結構怖いもの知らずな上に考えなしなところありますからねぇ」
「いえ、さすがにそれは……」
「広いアメリカ大陸を端から端まで100日以上かけて走り抜けるレースを想像してみてください。どう感じますか?」
「……気持ちよさそう」
「ひぇえええ……」
恍惚とした表情で呟くサイレンススズカを見て、メイショウドトウは小さく悲鳴を漏らした。
総距離約6000kmのコースを想像して、この感想が出てくる精神性は同じウマ娘であっても畏怖しかない。
それは話を振ったマチカネフクキタルも同じだった。
「うーん、自分で言っておいて何ですがスズカさんが『SBR』で走ってる姿はあんまり違和感ないですね。絶対、途中で脱落すると思いますけど」
「そ、そうかしら? 確かに長距離を走れるスタミナはないけど……」
「いえ、そうではなく。スズカさんは走ること以外は無頓着な方ですから、日常生活も真っ当に送れるかたまに心配になりますからね。あんな長期間の過酷な旅には耐えられません。きっと砂漠コースの時点で水を補給出来ずに干からびてしまうでしょう」
「それ以前に一週間生き延びられるでしょうか~? 食料や寝床の確保が出来ずに倒れちゃいそうですぅ……うううっ、かわいそうなスズカさん……」
「ウソでしょ……」
2人からの辛辣な評価に、サイレンススズカは絶望した。
「とはいえ、私達が普段走っているレースとは全く違う別世界の話ですからね。私だって『SBR』のレースを完走する自信なんてありません。だからこそ、ヘイ・ヤー先生を称えたくなるんですが」
「で、でもぉ……ヘイ・ヤーさんも1人じゃきっと無理だったと思いますぅ。レースの間ずっと付き添ってくれたトレーナーさんがいたからこそだと思いますねぇ~」
「ヘイ・ヤーさんのトレーナーっていうと、ポコロコさんだったかしら?」
「はいぃ~、私はどちらかというとポコロコさんの方のファンなんですぅ~。あんな人がトレーナーさんだったら、凄く心強いなってぇ~」
メイショウドトウの意外な発言に、2人は眼を丸くした。
ポコロコが『SBR』の参加者として便宜上『トレーナー』と世間から扱われているだけで、実際にはその技術も資格も持たない農夫にしか過ぎないことは広く知られている。
ウマ娘であるヘイ・ヤーはともかく、ただの一般人であるポコロコにトレーナーとして評価できる要素はないのだ
しかし、そんな世間の評価など知らないかのように、メイショウドトウは普段のオドオドとした態度からは珍しい、明るい笑顔で言葉を続けた。
「テレビで観るヘイ・ヤーさんは、いっつも笑顔で元気いっぱいで……あんなに大変なレースなのに辛かったり不安になったりしないのかなって思ってたんですけど~、傍にはいつもポコロコさんがいてヘイ・ヤーさんを励ましていたんですよねぇ~」
「確かに、インタビューの映像では2人のそういうやりとりが多かったわね」
「私ってドジで勝手に落ち込んじゃう性格なので、ああいう風にいつも傍にいて励ましてくれるトレーナーさんだったら頑張れそうだなって。お2人の様子を見て羨ましいなぁって思っちゃいました~」
「なるほど。自分ひとりだけの専属トレーナーというのは、やっぱり憧れちゃいますね」
マチカネフクキタルは納得するように頷いた。
本格化を迎えていないメイショウドトウにはまだトレーナーが付いていないが、マチカネフクキタルとサイレンススズカは既にデビューを済ませている。
しかし、2人共専属のトレーナーがいるわけではなく、1人のトレーナーが結成した複数人のウマ娘によるチームに所属して、指導を受ける形だった。
この形式はトレセン学園では珍しいことではない。
学園に就職したばかりの新人トレーナーはまずベテランの下でサブトレーナーとして下積みをすることが多く、ベテランになれば1人でも多くの生徒があぶれないようにチームを作って複数人を指導することが求められる。
もちろん強制ではないが、ベテラントレーナーを専属として1人の生徒が独占してしまうことは学園からしても非効率的で歓迎すべき形ではないのだ。
そして、将来有望な生徒というものは、より質の高いトレーニングを求めてベテランのチームに所属する流れが普通である。
必然的に専属トレーナーというものは、駆け出しの新人や主立った実績のない中堅トレーナーのスカウトに応じたウマ娘だけが得るものであり、期間も一時的なものだった。
そのウマ娘が成果を出せば、実績を示したトレーナーはチームを持つことを推奨されるからだ。
1人のウマ娘と1人のトレーナーが二人三脚で苦楽を共にし、栄光を掴む為に最後まで走り続けるガッツストーリーは現実ではドラマのような希少な話だ。
だからこそ、ヘイ・ヤーとポコロコの関係にメイショウドトウは憧れるのかもしれない。
あるいは、思春期のウマ娘達は皆少なからず同じような気持ちを抱いていたのではないか。
夢とロマンを求めるその気持ちには、マチカネフクキタルとサイレンススズカも共感出来た。
「レースの後のお話も大好きなんですぅ~。『SBR』を走り切ったら一緒に地元に帰って、賞金で牧場を大きくして一緒に暮らすって……本当に素敵なお話だと思いますぅ~」
どんなウマ娘でも、レースを引退した後のことは考えなければならない。
3人は偉大な記録を残してレースを去ったヘイ・ヤーとポコロコのその後の生活を想い、それを自分自身にも置きかえながらしばしの間思い思いに自身の将来を夢想した。
「……ああ、いいですねぇ。共に生涯の目標を達成したトレーナーさんと、今度は人生のパートナーとして一緒に暮らす。老後も穏やかに過ごせれば言う事なしです!」
「確かにそうだけど、フクキタルは表現がストレートね」
サイレンススズカは頬を僅かに赤くしながら、苦笑した。
「今からでも専属のトレーナーさん、探しましょうかねぇ? ヘイ・ヤー先生の人形を手に入れて運気は確実に向いているはずなので、運命の人を導いてくれるかもしれません!」
「あああぁ~、私もあやからせてくださいぃ~!」
「導いてくれるかどうかは分からないけど、フクキタルはトレーナーさんが変わっても大丈夫なの?」
「今のチームに不満があるわけではありませんが、やっぱり一対一で指導していただくというのはトレーニングの密度という点でも違いますからね。最近ちょっと伸び悩んでますし、縁があれば是非モノにしたいですね。ああっ、何処かにいないでしょうか私の運命の人!」
「フクキタルのそういう積極的な所、本当に尊敬するわ。私はどうしても受け身になっちゃって……」
「スズカさんの才能なら引く手数多ですよぉ~。不安なのは私の方ですぅ。私みたいなダメなウマ娘をスカウトしてくれる人なんているかどうか……ううっ」
「何を言っているんですか、ドトウさん! 今のあなたこそフリー! 未来は真っ白です! きっと素敵なトレーナーさんとのご縁がありますよ!」
「そ、そうでしょうかぁ~?」
「もちろんです! 何せ、今一番熱いトレーナーさんがこの学園にはいるじゃないですか!」
「それって……」
「そう、ジョニィ・ジョースターさんです!」
マチカネフクキタルの口から飛び出した意外な名前に、2人は眼を丸くした。
「元々実績のあるベテラントレーナーさんでしたが、ゴールドシップさんの活躍で更に有名になりましたからね。近々チームを作る予定だという話を小耳に挟みました。どうです、ドトウさん? この機会にジョニィさんへ売り込んでみては!?」
「え、えぇ~!? むむむ無理ですぅ~、私なんかがゴールドシップさんみたいになるなんてぇ~!」
「ゴールドシップみたいになるのは誰でも無理だと思うけど……」
静かにツッコミを入れながらも、サイレンススズカはジョニィ・ジョースターという人物について思い出していた。
ジョニィは初めて学園を訪れた時から密かに注目されていた。
どういった経緯か理由かは分からないが、海外で実績を残した名トレーナーが突然トレセン学園にやって来たのだ。
しかも、単なる客人としてではなく、正式なトレーナーとして迎えられたのである。
有能なトレーナーから指導を受けられるかもしれないという点において、多くの生徒達が関心を抱いた。
だが同時に、彼に近寄り難い空気も出来上がっていた。
その多くはジョニィの負の経歴によるものである。
トレーナーとして指導したウマ娘に多くの栄光を掴ませた実績を持ちながら、テレビではそれを傲慢にひけらかし、女性とのスキャンダルも多かった。
そうして良い意味でも悪い意味でも有名になった果てに、有名な金持ちの娘と遊んでいる最中に劇場の入場待ちの列に割り込もうとして逆上した客に撃たれた――と、そんな他愛もない惨めな没落を迎えた。
その後『SBR』で再び返り咲くものの、歳若い少女達の多くにとっては無意識に忌避の念を抱く男である印象が強かったのだ。
「スズカさんはジョニィさんと話したことありますか?」
「いえ、話したことはないわ。でも、偶然だけど初めてこのトレセン学園に来た時に姿を見たことがあるの」
サイレンススズカもジョニィの一般的な経歴は知っていた。
だが、そんな経歴よりもまず何より、初めて彼を見た時の印象が強く残っていた。
ただ何の目的もなく、独りでそこにいた。
誰よりも彼自身が、何故このトレセン学園にいるのか分かっていなかったような気がする。
車椅子に乗って、自分が注目されていることを知りながら周囲に関心を向けずに去っていく姿を見た時、思ったのだ。
「ああ、この人は寂しいんだろうな……って」
ジョニィが多くのウマ娘を導き、何人もの女性と関係を持ったことは知っている。
しかし、彼女達の中で本当に彼の傍に寄り添っていた人はいたのだろうか。
彼の傍に立とうとした者は――。
あるいは、そういう人物を彼は失ってしまったのかもしれない。
自ら離れてしまったのかもしれない。
あの時のジョニィの傍には誰もいなかった。
あの日、ゴールドシップというウマ娘と出会うまでは。
◆木曜日!――Giovedi
「――メロンパフェ」
ポツリ、と。
そう呟いたメジロマックイーンの顔には『スゴ味』があった。
心に決めた行動を必ず遂行するという鋼の意思があった。
「メロンパフェもお忘れなくッ!」
「う……うん、分かってるよ。ちゃんと注文したからね」
その鬼気迫る物言いに、テーブルを挟んで向かい合ったメジロライアンは若干引き気味になりながらも頷いた。
「とにかく、快復おめでとう。もう左脚の方は大丈夫なんでしょ?」
「ええ、ようやく主治医からもお墨付きを貰えましたわ」
メジロマックイーンはシルバーバレットとの勝負以降、彼女に指摘された左脚の炎症の治療に努めていた。
深刻な症状ではなかったが、競技者であるウマ娘にとって脚は消耗品である。
人間よりも何倍ものスピードで何倍もの距離を走る彼女達の肉体は、やはり何倍もの負荷を受けているのだ。
軽い怪我や病気だと甘く見て無理を重ね、自らの選手生命を縮めてしまった例は枚挙にいとまがない。
メジロマックイーンは今日まで、レースへの参加はもちろんトレーニングも自重して、じっと回復までの時間を耐えていたのだ。
「これで、ようやくトレーニングが再開出来ますわ」
メジロマックイーンは晴れ晴れとした表情を見て、メジロライアンも自分事のように嬉しそうに笑った。
「今週いっぱいは軽いものに留めて、来週から本格的にトレーニングに入るんだっけ?」
「ええ、『新しいトレーナーさんのチーム』では初めてのトレーニングになりますわ。ですが、その前にまずはパフェ! スイーツの節制も今日で解禁ですわ!」
「すごい勢い……そんなに楽しみだったの?」
「快復したら絶対に『東方フルーツパーラー』の『メロンパフェ』を食べる――最初に掲げたこの目標があったからこそ、私は今日この日まで耐え忍べたのですわ」
「マックイーンは本当にここのパフェが好きだねぇ」
「グラスの『形』が良いのです。上から食べていくとパフェのクリームやシャーベットの層が絶妙なバランスで混ざり合うようになっていて、味がどんどん変わっていくんですの。パフェ1個分のカロリーで色んな味が楽しめるのが良いですわ!」
「へえ、面白そう。あたしも今度食べてみようかな」
「よろしければ、私が注文した物を一口食べてみますか?」
「いやあ、それは悪いよ。折角我慢したんだから、今日はマックイーンが全部食べて」
そうして談笑する2人がいるのは、件の『東方フルーツパーラー』だった。
トレセン学園から程近い駅前で、一流ファッションブランドのブティックが建ち並ぶ先にその店はあった。
一階で高級メロンを目玉とした果物を売り、二階ではその果物を利用したスイーツを提供するカフェを経営している。
高級品を扱うだけあって一般人には少々立ち寄りにくいが、トレセン学園の生徒達――エリート育成機関に通えるだけの比較的裕福な家庭が多い――は、放課後や休日に足を運ぶ者も多かった。
そして、スイーツに眼がないお嬢様であるメジロマックイーンは、常連にして上客である。
放課後、トレーニングの予定がなかったメジロライアンと連れ立って、こうしてやって来たのだ。
「ところでさ、マックイーン。さっきの『新しいチーム』の話なんだけど……」
注文の品が届くまでの待ち時間に、メジロライアンは気になっていたことを訊ねた。
「ジョニィ・ジョースターさんのチームに移籍するって、もう相手から了承はもらってるの?」
その質問にメジロマックイーンは頷いた。
「ええ。まだ正式に書面での契約は行っていませんが、来週からのトレーニングはジョースターさんの指導の下で行う予定ですわ」
メジロマックイーンは、既に専属のトレーナーを持つウマ娘である。
しかし、2人の関係は少し特殊だった。
彼女に最初に付いたトレーナーは、メジロ家から派遣されてトレセン学園に就任していたトレーナーだったのだ。
メジロ家のウマ娘を数多く指導してきた老練な教官であり、実際にメジロマックイーン自身もその人物の指導の下で目標のレースを勝ち取っている。
選抜レースでスカウトを待つ他の一般生徒とは違う、名門であるが故に恵まれたスタート。
それを無駄にせぬよう、この体制で自分はずっと戦っていくのだと考えていた。
しかし、メジロマックイーンは脚の療養中に現在の環境から離れる決断をした。
突然の移籍の申し出には『担当するウマ娘の脚の不具合を見抜けなかったトレーナーへの不信』などと周囲から邪推する声もあったが、そんな負の理由から来るものでは断じてない。
もっと前向きな決意から来るものだった。
あの日、レースでゴールドシップの勇姿を眼に焼き付けた時に抱いた決意だった。
「今のままでもわたくしは強くなれるでしょう。メジロ家に恥じぬ成績を残せると思います。その意思も自信もあります」
「でも、それじゃ満足出来なくなっちゃったんだ?」
メジロライアンは悪戯っぽく訊ねた。
しかし、彼女自身も共感出来る気持ちだった。
「凄かったもんね、あのレースは」
「ええ」
2人は束の間、当時の興奮に浸った。
場所は違えど同じレースを見ていたのだ。
絶対的強者が2人も存在するコースの上で、致命的な出遅れから遥か高みにある領域に駆け上がり、勝利までもぎ取ってみせた奇跡の大逆転。
レースには信じられない出来事が転がっている。
繰り返される定石と常道の中で忘れていく選手や観客達に、それが紛れもない事実であることを鮮烈に思い出させた。
歴史には時折そんな伝説を残すウマ娘が現れる。
あの時のゴールドシップは、まさにそういう存在だった。
あんな場所を自分も走ってみたい。
あの瞬間に自分も立ち会いたい。
そして、出来れば自分自身がそういう存在になりたい――多くのウマ娘がそう奮い立ったに違いなかった。
「わたくしはデビュー前からメジロ家のウマ娘として目指すべき目標を掲げ、そしてそれを達成しました。心の何処かで『ひとまずの挑戦は終わった』と区切りをつけてしまっていたのかもしれません」
「燃え尽き症候群ってヤツかな?」
「そこまで無気力になっていたとは思いませんが……勝利に『飢えて』はいなかったのかもしれません」
「何の為に勝ちたいかにもよると思うよ」
「ええ。まさに、その為の新しい目標が見つかりましたわ」
「ゴールドシップに勝ちたいの? それとも、シルバーバレット?」
「さて、それはどうでしょうね」
メジロマックイーンは曖昧に笑って誤魔化した。
あのレースで『見たもの』を話してもよかったし、それを信じてもらえなくてもよかった。
だが、何となく口を噤んだ。
ゴールドシップが見せた『黄金の走り』――彼女の走る姿が放つ『光』が眼の錯覚ではなかったことを、メジロマックイーンは信じていた。
「いずれにせよ……わたくしは、より高みを目指すことを決めましたわ。これはメジロ家とは関係ありません。わたくし自身の挑戦です」
そう宣言するメジロマックイーンはやはり、そして自分の知るこれまでの彼女の中で一番誇り高い姿だとメジロライアンは思った。
「……やっぱり凄いな、マックイーンは。それであのジョースターさんまでトレーナーにしちゃうんだもん」
「それに関しては、これまでに色々と御縁があった為運良く了承をいただけましたわ。あの方は本来はゴールドシップさんの専属ですから、初対面の部外者が売り込むことは難しかったでしょう」
「でも、チームを作ることになったんでしょ?」
「組織的な話ではなく、心情的な部分ですわね。わたくしも含めてチーム全体の指導に手を抜くような方ではありませんが、本当の意味であの方は『ゴールドシップさんだけのトレーナー』なのだと感じますわ」
「えっ!? それってぇ……」
「何でそこで顔を赤くしますの?」
少女漫画を読んだ時のように頬を赤らめるメジロライアンはに対して、呆れたようにため息を吐く。
実際に、あの2人がそういった恋愛感情を挟んだ関係だとは思えなかった。
しかし、それ以上に強い絆があるようには感じられた。
ゴールドシップの言動が破天荒すぎて彼女からジョニィへ向けられる感情が具体的にどんなものなのかはよく分からないが、ジョニィからゴールドシップに向けられる感情が酷く重いことは明らかだった。
シルバーバレットとの対決に至るまでに見せた、勝負を成立させる為にはどんな手段も使うという『漆黒の意思』が未だに眼に焼き付いている。
目的の為ならばあらゆるものを――それこそ人間性さえ――捨てる覚悟を抱けるほどの危うさを秘めているような気がした。
現在、彼がそれほどの覚悟を抱くのはゴールドシップの為に行動する時だけだ。
「仕事に私情を持ち込む方ではありませんわ。でも一方で、自分の中の優先順位を明確に決めている方でもあると思いますわね」
彼のトレーナーとしての技術や経験は疑いようもないし、チームに所属する者達には真剣に向き合ってもくれるだろう。
しかし、その先のレースや未来を本気で案じている相手は1人だけなのだ。
そういった意味でジョニィは『ゴールドシップのトレーナー』という立場を崩すことはない――と、メジロマックイーンは冷静に分析していた。
「そして、わたくしはその関係で構いませんわ。というより、それが健全なトレーナーとの関係です。ライアン、あなた少女漫画の読み過ぎでは?」
「そ、そうかなぁ? 専属のトレーナーさんに特別に想われるって、ちょっと憧れちゃうけど……」
「トレセンは婚活会場ではありませんわ。とにかく、わたくしは自らを高める為にジョースターさんの指導を受けるのです。ゴールドシップさんからも見習う部分があるのだと思いましたしね」
「うん、それに関してはメジロ家の方も肯定的だと思う。海外の新しいノウハウを取り入れることは歓迎すると思うよ。特にレース業界の『ジョースター家』って言ったら有名だもん」
「結果的にジョースターさんがそうであっただけで、家柄で選んだわけではないのですが……確かに多くのダービーウマ娘を輩出してきたジョースター家の名声は聞き及んでおりますわ」
「そういえば知ってる? デビュー前の生徒会長さんを指導していたトレーナーもジョースター家なんだって」
「シンボリルドルフ会長が? それは初耳ですわ」
「しかも、一度は契約を切ったそのトレーナーさんと最近また連絡を取り始めたって噂が――」
2人の歓談はそこで一時中断になった。
注文の品がテーブルに届いたのだ。
目の前に待ちに待ったメロンパフェが置かれると、メジロマックイーンの意識はもうそれだけに奪われてしまった。
来週から始まる新たな環境への意気込みや決意もこの甘美なる時間の前には棚上げだ。
苦笑するメジロライアンを尻目に、メジロマックイーンは嬉々としてスプーンを手に取った。
「――失礼。相席はいいかな?」
不意に、不可解な問い掛けを受けたメジロライアンは、いつの間にかテーブルの傍に立つ2人の客を見上げた。
「えっ、席は他にも空いて……」
メジロライアンは絶句した。
見上げた先には見覚えのある顔が2つ並んでいた。
知り合いではないのに嫌という程眼にしたことがある有名な顔だ。
主に、最近の新聞やテレビで。
「君はメジロライアンだな? はじめまして、私はシルバーバレット。知っていると思うが、こちらは我がトレーナーのディエゴだ」
そう言うと、シルバーバレットはスプーンを持ったまま固まっているメジロマックイーンの隣に腰を降ろした。
ディエゴの方も許可など得る必要はないとばかりに、いつの間にかメジロライアンの隣に座っている。
しかし、彼の視線はすぐ傍のメジロライアンにではなく、向かいに座るメジロマックイーンにだけ注がれていた。
「単刀直入にいこう。メジロマックイーン、オレはお前と交渉をしに来た」
「な……っ、な……?」
「急かし過ぎだ、我がトレーナー。ここは順序良くいこうじゃないか。まず何故我々がここに居合わせたかというと、それは狙っていたからだ。君の分析は既に終了している。怪我の経過や好物のスイーツもな」
混乱するメジロマックイーンの髪を弄りながら、シルバーバレットは耳元で囁いた。
「あ……アナタ達は、しばらくは活動を止めて休養に入ると……」
「その通りだ、そう公表したな。だが帰国したとは言っていない。この国でまだやることがあるんだ」
「それは……一体何ですの?」
「我々をこの国に留める理由は一つしかない。ゴールドシップとジョニィ・ジョースターを打ち倒すことだ。その為には君が必要なんだ」
メジロマックイーンは思わずシルバーバレットとディエゴを交互に睨みつけた。
レースに勝者と敗者が存在するからといって、レースの外でまで相手を味方と敵に区別して考えたことはない。
例え敗北した相手であっても、その実力に敬意を表して接するのがメジロ家としての流儀だった。
しかし、2人はジョニィを公然と侮辱し、ゴールドシップを精神的に追い詰めた相手だ。
これまでの言動が、知らずメジロマックイーンを身構えさせていた。
ゴールドシップ達に勝つ為に自分が必要だとは、一体どういう意味なのか?
何か弱みを握れるとでも思って接触したのか?
「……それで? 具体的に、わたくしに何を要求するつもりですの?」
メジロマックイーンは正面のディエゴを鋭く睨みながら、真意を問い質した。
「優秀な『ステイヤー』がひとり欲しい。このDioが作るチームの『チームメイト』としてだ」
ディエゴの明解な返答に、一瞬言葉を失った。
「繰り返すぞ、『チームメイト』だ。チームでジョニィ達を打ち倒す」
「な……なんですって!?」
「お前の分析は既に終了したと言ったぞ、メジロマックイーン。お前は海外を含めても有数の完成されたステイヤーだ。チームの戦力としても、シルバーバレットの併走相手としても不足はない」
「チームって……わたくしにペースメーカーにでもなれと仰いますの? だとしたら、ふざけないで下さい。お断りですわ!」
「そうじゃあない。これは公開前の情報だが『URAファイナルズ』の前段階として『チーム戦』が企画されている。ジョニィ・ジョースターがチームを作ろうとしているのも、これが理由の1つだ。奴らが参加するのなら、オレ達も参加する」
「相手の戦力を減らして、こちらの戦力を充実させる。チーム戦での『引き抜き』は有効な戦略だろう? 君個人にも興味があったしな。また一緒に走ってくれると嬉しい」
同性相手でも眩暈のするような色気を発しながらシルバーバレットは微笑んだ。
想像もしていなかった話の展開を受けて、メジロマックイーンは完全に言葉に詰まった。
シルバーバレットとディエゴ・ブランドーは初対面こそ悪印象だったが、個人では敵対するような関係ではない。
しかし、ゴールドシップとジョニィ・ジョースターにとっては敵も同然であり、嫌い合う相手だ。
だから――どうしよう?
仲間や友人が嫌っているからといって、よく知りもせずそれに同調するような真似は自身の矜持が許さない。
そして、混乱するメジロマックイーンには2人が本当はどういう人物なのか、ますます分からなくなっていた。
初めて出会った時と比べると、何だか雰囲気も違う気がする。
少なくとも目の前の2人は自分に対して敵意や悪意などないどころか、素直な称賛をもって実力を評価してくれていた。
だが、だからといって彼らの誘いを受けるというのはあまりにも――。
「きゅ、急にそのようなことを仰られても……」
「断言してもいい。ジョニィ・ジョースターがお前をゴールドシップのように導くことはない。奴が持つ『技術』がお前に教え与えられることはないだろう」
「それは……!」
「平等だとか不平等だとかの話をしてるんじゃない。ただ事実を言っているんだ。お前が奴のチームに入ったとしても『真の成長』は得られない」
「く……っ」
「その点、オレは違う。お前に世界にも通じる技術と経験を与えてやろう。そして、お前が練習で高め合う相手は世界を制する実力を持った最高のウマ娘だ。これ以上の条件はない。それともお前は仲良しクラブでダラダラと馴れ合うことが望みなのか?」
相も変わらずディエゴの態度は不遜と傲慢が滲み出ており、言い方も何処か挑発的だ。
しかし、言葉の端々には厳しくも納得の出来る理屈が通っている。
あのシルバーバレットとそのトレーナーのスカウトなのだ。
事実だけを見れば、より高みを目指す為の手段としてこの上ないチャンスなのだろう。
だが。
しかし――。
返答に窮したメジロマックイーンは視線で逃げ場を探した。
(ラ、ライアン……助けて!)
その助けを求められた側は、茹でダコのように全身を上気させて縮こまっていた。
異性との接触に免疫のない彼女は、すぐ傍に座るディエゴを意識するあまり思考が吹き飛んでいたのだ。
特に、ディエゴは下手な俳優よりも美形で有名人でちょっと強引なオレ様系という少女漫画でも王道な男性像だった。
メジロライアンの乙女心はそういうのに弱かったのだ。
(落ち着くのよ……スイーツを食べて落ち着くのよ……)
メジロマックイーンは震える手でスプーンを持ち上げた。
その情けない手を内心で叱責する。
うろたえるな。
メジロ家はうろたえない――!
「ちなみに、メジロ家の方にも話は通したし、そのことをマスコミにリーク済だ。オレとジョニィ、どちらを選ぼうが世間はメジロ家御令嬢のスカウト合戦を大々的に取り上げてニュースにするだろう。対談したお前のお婆様とやらは『お前自身後悔のない選択をしろ』と言っていたぜ」
メジロマックイーンは口に含んだクリームを噴き出した
◆金曜日!――Venerdi
「おい、頼まれてた件だが――」
ナリタブライアンが生徒会室に入ると、シンボリルドルフは丁度通話中だった。
出鼻を挫かれたことに小さくため息を吐き、それでも邪魔をしないように黙ってソファーに腰を降ろす。
その様子を一瞥すると、シンボリルドルフは視線で謝罪しながら気づかれない程度に笑みを浮かべた。
行動や言葉遣いは粗野だが、ナリタブライアンはこういう配慮の出来る善良なウマ娘なのだ。
『なんだ、来客か? やっぱ休日に連絡すりゃあよかったかな』
「いや、同じ生徒会の役員だ。気にしないでくれ」
ナリタブライアンは、通話から聞こえてきた声が若い男のものであることに少々驚いた。
入口の扉と正面から向かい合うように配置された生徒会長用の立派な机にはシンボリルドルフが座り、その傍らにはエアグルーヴも控えている。
立てかけたタブレットでモニターしながら、2人で相手と通話をしているようだ。
この2人と気安く話し合える若い男がいるという事実がまず意外だった。
どんな相手なのか少しばかり興味を惹かれたが、ナリタブライアンの座る位置ではタブレットが背を向けていて画面の方は見れない。
無遠慮に覗き込むほどの気にもなれなかった。
『まっ、伝えるべきことは伝えたからな。仕事の邪魔にならねぇように、ここいらで切り上げとくか』
「私としては君との他愛ない会話を久しぶりに楽しみたかったがね」
『そいつはオレが日本に着くまで楽しみに待っておきな。新しく仕入れたイギリス流の最新ジョークを披露してやっからよォ~』
「フフッ、それは本当に楽しみだ。その調子でトレーニングの方もよろしく頼むよ」
『そっちの方もしっかり準備してあるから安心しなって! ヒヨッコだったあの頃とは違って、もうすっかり一流トレーナーの風格よ。やっぱ天才だもんね、ボクちゃんってば!』
「フンッ! それだけリサリサ先生に扱かれたということだろうが。技術は鍛えられても、その軽口は変わらんな」
『トホホ……エアグルーヴの方も相変わらずキツいこって』
「それで、先生の方もお前と同じ期日に学園へ来られるというのは間違いないんだろうな?」
『ああ。っつっても、オレと違って短期間の就任になるけどな。チームや担当は持たずに、全体の教導に務める形になると思うぜ』
「そうか。それでも、あの方の指導をもう一度受けられるというのは光栄の極みだ」
『リサリサ先生のことはオレも尊敬してるけどよォ~、あのキツいシゴキを受けてそう思えるのはマジで頭のネジどっか飛んでるんと違う? シーザーを思い出すね』
「母と同じくらい尊敬している方だ。かつて受けた指導に恥じない、成長した姿をお見せするつもりだと伝えておいてくれ。再会を楽しみにしています、とも」
『オーケー、オーケー。オレとの再会も楽しみにしてくれると嬉しいね。それじゃあルドルフ、そろそろ切るぜ』
「ああ。再会を楽しみにしているよ、トレーナー君」
『そうそう! そういう一言があるとボクちゃん、ハッピー、うれピー!』
別れ際の言葉に苦笑を浮かべると、シンボリルドルフは通話を終了した。
「すまない、ブライアン。待たせたな」
「いや……頼まれてた書類だ」
「ありがとう」
ナリタブライアンは持っていた書類の束を手渡した。
何気なく机の上のタブレットに視線を向けたが、当然先ほどまで繋がっていた通信は既に切られている。
この画面にどんな顔が映っていたのか、少し気になった。
「……珍しいな」
「何がだい?」
「さっきの会話が、だ。アンタ達でもあんな軽口を交わせる相手がいるんだな」
その言葉にシンボリルドルフは微笑し、エアグルーヴは不満そうに顔を顰めた。
聡いナリタブライアンはそれだけで2人がそれぞれ通話相手をどう思っているのか、何となく理解した。
「軽薄で不真面目なだけだ。奴との会話は疲れる」
「私は彼との会話は楽しいし、肩肘を張らなくていいから好きだな」
「アンタのトレーナーだった男か?」
「その通りだ。私がクラシック三冠を取る以前に担当してもらっていた、海外のトレーナーだ。興味があるのかな?」
「話の流れを聞く限り、近い内にこの学園にトレーナーとして再び来るんだろう? だとしたら、私にも関係あるかもしれないしな」
ナリタブライアンは担当のトレーナーがまだおらず、デビューもしてないウマ娘だった。
しかし、数々の模擬レースや大会の圧倒的な戦績を経て、恐るべき実力と才能を備えていることは誰もが知るものとなっていた。
秘めた素質は申し分ない。後はそれを磨き上げるトレーナーとの巡り合わせだけが、彼女のデビューに必要なものだった。
そこで躓いていた。
宝石のように輝かしい素質に眼の眩んだトレーナー達が我先にとスカウトに群がり、ナリタブライアンはそんな有象無象を一蹴してしまった。
彼女のレースに向ける荒々しいまでの意欲と本能に応えることの出来る器を持った相手はいなかったのだ。
そうして燻っていた彼女がとりあえず腰を落ち着ける場所として、シンボリルドルフは自分の懐である生徒会へと誘ったのだった。
既にシンボリルドルフの併走相手が出来るほどの実力を身に着けたナリタブライアンは、トレーナーを必要としていながら、もはや凡百の相手では指導は務まらない。
――であるならば、必要なのは凡百ではないトレーナーだ。
「アンタを『皇帝』に押し上げたトレーナーには興味がある」
「ほう?」
シンボリルドルフの視線が僅かに鋭くなった。
それはつまり『指導を受けるに値するトレーナーかどうか興味がある』という意味だった。
「アンタのトレーナーは、アンタだけの専属なのか?」
「いや、チームを作って私を含む何人かのウマ娘を担当してもらう予定だ。企画されている『チーム戦』に参加するつもりではあるし、彼には1人でも多くの生徒達を指導してもらいたいからね」
「なら、場合によってはそのチームに入るつもりだ。いい加減、私もデビューしたいからな」
「それは来る『URAファイナルズ』に向けてのことかな?」
「ああ。それと……シルバーバレットだ」
その名前を口にしたナリタブライアンの声色には、滾るような熱量が秘められていた。
日本で半年間、10回ものレースを行い、数多くの有力な選手達を打ち破ってきた恐るべきウマ娘シルバーバレット。
強敵とぶつかり合うレースを熱望するナリタブライアンにとっては、求めて止まない対戦相手だった。
しかし、結局ナリタブライアンがシルバーバレットと競うことはなかった。
デビューしていなかったからだ。
たったそれだけのことで、彼女は生涯最大の敵になるであろう相手と同じコースに立つことすら出来なかったのだ。
最後のレースを制したゴールドシップの大逆転劇を見た時、ナリタブライアンは胸を掻き毟りたくなるような焦燥と後悔に駆られていた。
――何故、あそこに自分はいないのか!?
自分もあんなレースがしたかった。
あの時、解き放つことの出来なかった昂りが、未だにナリタブライアンの胸の中で燻り続けているのだった。
「シルバーバレットが強いことは分かっている。アンタも、あのゴールドシップだって強い。だから早く走りたい。アンタ達をまとめて抜き去ってやりたい」
溢れ出る激情を隠そうともせず口にするナリタブライアンには、若さゆえの向こう見ずさがあった。
それを見て、シンボリルドルフは口元を吊り上げた。
「若いな……というほど、私も達観はしていないつもりだ。だからこそ、かつてのトレーナーを学園に呼び戻したのだからね」
「アンタもシルバーバレットに勝ちたいのか?」
「あのレースでの敗北は私に1人のウマ娘としての渇望を思い出させてくれた。『飢えなきゃ勝てない』もっともっと『気高く飢え』なければ――」
「フンッ……いいな。お高くとまった会長様かと思ったが、そういう顔が出来るアンタは結構好きだ」
「おっと、いけないいけない」
シンボリルドルフはおどけるように頬を両手で揉み解した。
「とにかく、君がチームに入ってくれるというのなら歓迎だ。エアグルーヴも、既に担当のトレーナーはいるが『チーム戦』におけるメンバーとして参加予定なのでね」
「ええ。それに私のトレーナーにとってもチームでの教導は良い経験になるでしょう。リサリサ先生が来て下さるのならば尚更です。トレーナーとして学んで欲しい部分も多い」
「会話の断片ではよく分からんが、そのリサリサというのはアンタのトレーナーの更に師匠ということでいいのか?」
「うん、そう思ってくれて構わない。この辺りは少し複雑でね。私の教導をしていた時、トレーナー君はリサリサ先生のサブトレーナーという立場だったんだ」
「サブトレーナーがアンタの担当になったのか?」
「その通りだ。こう言っては何だけれど当時はお互い未熟者同士で……でも、だからこそお互いに衝突や失敗を繰り返しながら二人三脚でやっていけたと思うよ」
当時を懐かしむように浮かべる笑みを見て、ナリタブライアンは意外な思いだった。
彼女の知るシンボリルドルフというウマ娘は、何事もそつなくこなすイメージが強かった。
物事に悪戦苦闘しながら取り組む泥臭い姿は想像も出来ない。
「私のトレーナー君は少し立場が特殊でね。ジョースター家という名は聞いたことがあるかな?」
「ジョースター? ゴールドシップのトレーナーと関係があるのか?」
「歴史のある一族で、元々はイギリスの貴族だった血筋だ。ジョニィ・ジョースターはその一族の分家出身だからアメリカ生まれになるんだが、私のトレーナー君は本家の人間でね。イギリス生まれの正真正銘イギリス貴族の末裔というわけさ」
「……そんな奴が、なんで日本でトレーナーなんてやってたんだ?」
「文化の違いというヤツだ」
エアグルーヴが生徒に対して講義するように補足した。
「イギリスにおける『トレーナー』とは仕事の役柄だけを指すのではない。ウマ娘の指導に携わり、パートナーとなって共に切磋琢磨することは健全な心身を養うとして上流階級の教育に古くから組み込まれている。トレーナーの資格は一種のステータスでもあるのだ」
「……分からんな。貴族の趣味でトレーナーをやっているということか?」
「言っただろう、文化の違いだ。ウマ娘の立場と関係には、その国の歴史も関係している。そういう国もある、とだけ覚えておけ」
「とにかく、私のトレーナー君は君の言う『趣味でトレーナーをやる』為にトレセン学園に留学のような形でやって来た、とイメージしてくれて構わないよ。少なくとも、当時の私はそのように捉えていた」
「それは……」
さすがのナリタブライアンも言葉を濁した。
シンボリルドルフが壮大な理想を掲げていることは知っているし、その理想の為に幼少の頃から努力していたことも知っている。
そんな彼女が理想の第一歩としてデビューを控える前に、全く価値観の違う海外からやって来た道楽のトレーナー――反りなど合うはずがない。
この2人がどうやって今の関係を築けたのか、想像も出来なかった。
「言っただろう? お互い未熟だった、とね。色々あったよ。本当に色々ね」
シンボリルドルフはあえて詳細を語らず、意味深げに微笑むだけに留めた。
「イメージの一助となるように、彼が嫌いな言葉を教えてあげよう。一番が『努力』で、二番目が『ガンバル』だ」
ますます混乱するナリタブライアンの反応を楽しむように、シンボリルドルフは声をあげて笑った。
「色々と、大丈夫なのか? そいつは……」
「大丈夫ではない。アイツは正真正銘のたわけだ。リサリサ先生がいなければ、どんな人間になっていたか」
「どんな形であろうと、きっと大物になっていただろうな。彼は恥ずかしがり屋だから軽口に誤魔化されるが、性根だって善良な人間だよ」
「会長は奴に甘すぎます」
「だが、私に無敗の三冠を取らせた手腕は事実だ。あれは私だけではなく、トレーナー君の力と知恵が合わさった2人の成果なのだと自負しているよ」
誇らしげに語るシンボリルドルフの様子からして、自身のトレーナーとの深い信頼関係が伺える。
エアグルーヴの不服そうな態度は、そんな関係を認めざるを得ない現実の裏返しなのだ。
だからこそ、ナリタブライアンは新たな疑問を口にした。
「それほどの関係を築けたのに、何故アンタ達は契約を一度解消したんだ?」
デビュー以来連戦連勝の末に無敗の三冠を達成して、伝説を築いた『皇帝』シンボリルドルフ。
更に四冠、五冠と彼女の伝説は更に積み上げられるだろうと世間は信じていた。
しかし、その時点で彼女の走りは一時止まることになる。
引退をしたわけではないが、まだまだ成長し続けるはずの若き皇帝はしばらくの間レースから姿を消した。
シルバーバレットとの対決が大いに盛り上がったのは、そんな彼女が久方ぶりにターフへ舞い戻ったことも影響しているのだ。
この空白期の理由を『後進の為に生徒会長として学園の業務に注力していた』とするのが世間一般の見解だが、彼女のトレーナーの事情を聞く限り、それが事実だとしても発端は違うのだろう。
元トレーナーが再び日本にやって来るということは、かつて一度日本を離れたということなのだ。
何らかの事情があって2人は契約を解除せざるを得なくなり、それが原因となってレースには出なくなった。
生徒会長の業務に勤しむことは彼女の理想を叶える行動と矛盾しないが、それも結果に過ぎない。
シンボリルドルフ自身だけでなく世間からも望まれていた『皇帝』の邁進を止めた理由とは、一体どれほどのものなのか――?
「これもまたトレーナー君の特殊な立場ゆえの問題でね。ジョースター家は長い歴史の中で徐々に衰退していた。そして、彼の父親は早くに亡くなり、彼は若くして一族の命運を背負わなくてはいけなくなったんだ」
貴族という立場から何となく想像していた通り、個人の意思では抗えない流れがあったのだとナリタブライアンは察した。
「私としては、彼とシニア期の最後まで一緒に走り抜けたかった。三冠だけじゃない、もっと多くの勝利を共に掴みたかった。しかし、彼は急遽帰国することになってしまったんだ……」
シンボリルドルフの話を聞きながら、ナリタブライアンは気まずさを隠すように顔を逸らし、内心で舌打ちした。
こんな辛気臭い話は聞きたくもないし、言わせたくもなかった。
余計な質問をしすぎたのかもしれない。
「そして、彼はアメリカで大成功して不動産王になった」
「……は?」
間の抜けた声を漏らして顔を上げたナリタブライアンを、シンボリルドルフが悪戯に成功したように笑って見つめていた。
「ブライアン、君はテレビやニュースを見ないのか? 『ジョースター』といえば、今や世間一般ではアメリカの『ジョースター不動産』のことを指すんだ。レース業界でも有名だがね」
「……いや、知らんな」
「そうか。まあ、とにかく彼は一族の衰退を止めるどころか過去以上の繁栄を一代でもたらしたというわけさ。かつて高校生だった彼が、今では急成長を遂げた大企業の社長だ」
「ちょっと待て。そんな立場の人間を一介のトレーナーとして呼びつけるのは、逆の意味でマズくないか?」
「彼は問題ないと言ってくれた」
「個人の許可でいけるのか、それは……?」
「会社が安定してきたから刺激が足りない、とも言っていた。私からの誘いは渡りに船だ、と」
「おい」
額から一筋の汗を流すナリタブライアンは、意外と常識的なウマ娘だった。
傍らではエアグルーヴが、今後学園やその背後で起こるだろう様々なゴタゴタを諦めて受け入れるようにため息を吐いていた。
「飢えなきゃ勝てない――私もなりふり構わず見習うことにしたよ。かつて進むことを止めたもう一つの道を、今度こそ最後まで走り切る。そして、全てに勝つのは私だ」
そうして笑うシンボリルドルフの顔は、玉座に君臨する皇帝ではなく獰猛な挑戦者のそれだった。
◆土曜日!――Sabato
スペシャルウィークは自他共に認める田舎者である。
この度、トレセン学園に転入する為に生まれ育った北海道から遥々やって来た田舎のウマ娘である。
単身上京した彼女は早速都会のビル群に圧倒され、人混みに揉まれて流された。
学園から送られた案内書を失くし、自分が何処にいるのか、どの道を行けばいいのかも分からなくなった。
それでも彼女は挫けなかった。
道が分からなければ、誰かに聞けばいいのだ。
田舎で純朴に育った彼女は、他人の善意を信じていたのである。
そして――。
「君、かわいいね。田舎からやって来たの?」
「いいよ、いいよぉ。道でも何でも聞いてよ、俺達何でも教えちゃうからさ」
チャラいナンパ男2人に捕まった。
(お母ちゃん。都会は……都会はやっぱり怖い所だべぇ~~~!)
同じウマ娘すら周囲にいない環境で育ったスペシャルウィークは、もちろんナンパされた経験などない。
初めて出会う都会の若い異性には、興味よりも恐怖の方が強かった。
田舎では見たこともない奇抜な恰好と髪型をしていて、強い香水の匂いはウマ娘としての嗅覚を不快なほど刺激した。
これが都会の流行なのかもしれない、と。何とか好意的に解釈しようとするスペシャルウィークの健気さを、脈があると都合よく受け取った2人の男は気を良くして近づいた。
「あ、あの……私、トレセン学園までの道を知りたくて……」
「あのエリート校の学生さんなんだ? 俺、初めて会ったよ」
「転校してきたの?」
「は、はい」
「へぇ~、歳いくつ?」
道を訊ねているだけなのに、質問ばかりしてくる2人にスペシャルウィークは戸惑うことしか出来なかった。
失礼なことだと分かっているが、何故か答えたくない。
無遠慮な異性に対して生理的な嫌悪感を抱くことは何もおかしなことではなかったが、善良な性格の彼女は友好的な態度の裏に隠された悪意や欲望といったものを疑うことが出来なかったのである。
「とりあえずさぁ、何処か店に入らない? 奢っちゃうよ」
「いえ、ですから私は道だけ知りたくて……」
「うんうん、だから何でも教えてあげるって。だからさ、ゆっくりお話し出来るトコいこうよ」
人間とウマ娘では身体能力に明確な差がある。
例え男だろうと、ウマ娘相手に強引な実力行使は出来ない。
だからこそ、スペシャルウィークのような無知で流されやすい相手は格好の獲物だった。
なし崩しに主導権を握ることが出来る。
男達はほとんど密着するようにスペシャルウィークの左右を挟み、そしてさりげなく肩と腕に手を伸ばした。
「――やっぱどんな国でもさァ~、共通するもんだよねぇ。いなかっぺ特有の香りっつーの? オノボリさんが纏う空気みたいなヤツ」
背後から聞こえた嘲笑混じりの声に、3人は思わず振り返った。
そこには小柄なウマ娘が立っていた。
スペシャルウィークにとっては男2人のファッションも見慣れないものだったが、そのウマ娘の格好もまた奇抜だった。
着飾ったファッションというよりは何処か旅にでも出るようなアウトドアの服装だ。
スカートではなく丈夫そうなジーンズとブーツを履いている。
年季の入った大きな男物のトラベラーズハットが華奢な体格と比べてアンバランスだった。
整っているだろう顔にも大きな防塵ゴーグルを付けていて、本当に異国の旅人めいている。
しかし、北海道の大自然の中で育ったスペシャルウィークにとっては、まだ親しみを感じる格好だった。
自分と変わらないくらいの歳に見えるのに堂々としている。同じウマ娘であることも手伝って、酷く安心感を覚えてしまった。
「ちょっと、いきなりシツレーなこと言うんじゃないわよ。こういう異文化交流ってファーストコンタクトが大切なんだから」
更に別のウマ娘が、もう1人やって来た。
今度は見上げるような大柄なウマ娘だった。
小柄な方のウマ娘と並んで立っているから、余計に大きく感じるのかもしれない。
少なくともスペシャルウィークや男2人よりも更に身長が高い。
特に、こちらはタイトスカートの女性的なスーツに身を包みながら、その両肩が何かの詰め物でもしているかのように異様に広いことがより大柄な印象を与えていた。
長い金色のクセっ毛に、こちらもサングラスで目元を隠している。
(背が高い……金髪……が、外人さん!?)
スペシャルウィークは自身の置かれた状況も忘れるほどの衝撃と感動を味わっていた。
都会で初めて出会った自分以外のウマ娘。
しかも、外国のウマ娘だ。
田舎者の彼女にとって、テレビの中にしかいないと思っていた存在だった。
「そこのいなかっぺ、呆けてないでこっち来なよ。トレセン学園に行きたいんでしょ? アタシ達も行き先同じだからさ」
混乱するスペシャルウィークを、小柄なウマ娘の方が手招きした。
スペシャルウィークは戸惑いながら、左右を挟む男達を見回した。
しかし、2人の男はそのやりとりに口を挟むこともなく、何故か大量の脂汗を流しながら固まっていた。
伸ばした手は、スペシャルウィークの身体に触れる寸前で止まったまま動かない。
「これって……『鉄球』?」
その手の甲に拳程度の大きさの球体が高速で回転しながらくっついているのを、スペシャルウィークは見た。
「お嬢さん、早くそこから離れなさい。それとも、そこの服の趣味が悪い男どもに脈ありだったりする?」
「あ、いえ! その……ごめんなさい!」
スペシャルウィークは動かない男2人に頭を下げると、声を掛けてくれた大柄なウマ娘の方に慌てて駆け寄った。
近くで改めて見ると、やはり自分よりも大きな外国のウマ娘というのは初対面であることも加わって緊張する。
しかし、あの男2人とは違って不快感は一切なかった。
むしろ母親を思い出させるような安心感があった。
香水や体臭とは違う、故郷で嗅ぎ慣れた木々や土の香りがするような気がした。
まるで子供の頃の自分と同じように、大自然の中をずっと駆け回っていたかのような。
「お、おい! お前ら、俺達に何したんだよ!?」
「身体が全然動かねぇよ! て、手が……手が捻じれていくゥゥゥ~~!」
ナンパしようとしていたスペシャルウィークのことなど既に意識になく、男2人は自身の肉体に起こっている異変に半泣きになっていた。
手の甲にくっついた鉄球の回転に巻き込まれるように皮膚が捻じれ、それに引っ張られる力が指先から腕、全身の筋肉までも拘束しているかのようだった。
少なくとも、スペシャルウィークにはそういう現象に見えた。
「ナンパ自体にいちいちケチつけたりはしないけどさァ~~~、やるならもっとスマートにやりなよ。不細工な男の不細工なナンパって、傍から見ててイライラっすからさァ~~~!」
嘲るように吐き捨てると、小柄なウマ娘は両の手のひらを広げて左右に掲げた。
それが合図か命令であったかのように、男達の肉体を支配していた2つの鉄球がひとりでに離れて、手の中に納まっていた。
その途端、男達は自分で自分の鼻の穴に2本の指を突っ込んだ。
どれだけ動かそうとしても自分の意思では動かなかった腕が、今度は勝手に動いたのだ。
「五分ほどマヌケ面晒すくらいで勘弁してやるよ。脳みそ貫くまで突っ込まれたくなきゃさっさと消えな、ざぁこ♡」
自身を襲う不可解な現象に翻弄されきった男2人は、くぐもった悲鳴を上げながら這う這うの体で逃げ出した。
一連の流れを見ていた通行人達の中には首を捻る者もいたが、それ以上に深く関わろうとはしなかった。
傍から見れば、不快なナンパの現場にウマ娘が介入し、警察を呼ぶまでもなく男2人が勝手に退散したという流れだ。
その中にあった不可解な現象は、一瞬の出来事だった為ほとんどが認識出来ず、僅かに視認出来た断片的な情報に頭を悩ませ続ける者はいない。
皆、日常生活の一コマの中を通り過ぎる通行人に過ぎないのだ。
街中のちょっとしたトラブルは解決した。
周囲の人々はその事実に満足して、その場を歩き去っていった。
「あ、あの……ありがとうございます!」
スペシャルウィークは、2人のウマ娘に深く頭を下げた。
小柄な方のウマ娘が、どうやって男2人を拘束し、追い払ったのかは分からない。
しかし、彼女達が困っている自分を助けてくれたのは間違いないと分かっていた。
「……お礼を言うってことは、助けられたって思ってるってことでしょ?」
「えっ? は、はい! 助けていただいて、ありがとうございます」
「助かったって自覚してんなら、ナンパされて迷惑だってこともしっかり態度と言葉に表しなよ。アンタ、なんも抵抗しないから、てっきりナンパされていい気分になってんのかと思ったよ」
「そ、そうですね……曖昧な態度を取って、相手の方にも迷惑でした……」
意地の悪い指摘を受けて意気消沈するスペシャルウィークの素直さに、小柄なウマ娘は思わず吹き出した。
「冗談、冗談だって! あんなナンパ、クソうぜーくらいの感想でいいのよ。ニョホホ」
特徴的な笑い声を上げて、そのウマ娘はニヤリと笑った。
開いた唇から見える歯には『GO!GO!ZEPELLI』という英語が刻まれていた。
(都会ではおへそや舌にまで穴を空けてピアスとか付けるファッションがあるって聞いてたけど……歯に彫り物!? こ、これが海外のトレンド!?)
それを見たスペシャルウィークの中で外国への誤解が1つ生まれていた。
「それで、あの……お2人はトレセン学園に行かれる予定なんですか?」
スペシャルウィークは、改めて2人のウマ娘を交互に見回した。
雰囲気からして学生のようには見えない。
特に、大柄なウマ娘の方は明らかに年上だ。
学園に関係があるとすれば、生徒というよりも教員の方がしっくり来るだろう。
しかし、すぐに勝手な思い込みを反省した。
自分よりも体格が良くて大人っぽいからといって、学生の年齢ではないと決めつけるのは女性に対して失礼な話ではないか。
「ひょっとして、私と同じ入学するご予定……とか?」
「あらァ~? そう見えちゃう? あたしって学生に見えちゃうゥゥ~~~? キャーーー♡」
スペシャルウィークの窺うような言葉に、大柄なウマ娘は酷く気を良くしたようだった。
腰をくねらせながら満面の笑みを浮かべている。
そのやりとりを見ていた小柄なウマ娘の方が、思わず吹き出した。
「ニョホホホ! 日本の田舎ってそんなに過疎化がヤベーの? こんなババアが学生やれる学校なんて少子化深刻じゃなァ~い?」
「誰が年増だ、テメェェーーーッ! この娘の眼には、それだけあたしが若々しく映ったってことでしょうが! このファッションが若い感性に通じるという証明よッ!」
「そもそもソレが疑わしいっつーの。何、その肩パット? イタリアでもそんなファッション見たことないわよ。そんなモン肩に入れてんのサイヤ人くらいじゃねーのォー?」
「これが日本では最先端のファッションなのよ! 間違いないわ! ウマッターで会った日本のフレンドが絶賛してくれたもの!」
「それが騙されてるんじゃあなきゃ、アンタと同じ感性のヤベー奴が日本にもいるってことじゃん。憂鬱だわ。やっぱ日本なんて来なきゃよかった」
「え……えっと」
スペシャルウィークは戸惑いながら、2人の騒々しいやりとりを眺めていた。
喧嘩のようにもじゃれ合いのようにも見える。
険悪な雰囲気ではないが、軽口の応酬にしてもかなり遠慮がない。
同じウマ娘の友達を持った経験のないスペシャルウィークには、2人の関係を上手く推し量ることが出来なかった。
「ごめんなさい! 私、何かマズイ質問しちゃいましたか? 田舎に住んでたから、自分以外のウマ娘とは会ったことも話したこともなくて……特に外国の方は」
「いえ、いいのよ。このメスガキはいつも年齢のことであたしをからかうの。学生と思われて、年甲斐もなく浮かれたあたしも悪かったわ」
申し訳なさそうに縮こまるスペシャルウィークの肩に優しく手を置いて、大柄なウマ娘はサングラスを外した。
あらわになったアメリカのウマ娘特有の碧眼は、その口元に浮かんだ微笑みと同じでとても優し気だった。
ハッキリと分かるようになった顔つきは、確かに学生というほど若くは見えない。
しかし、故郷にいる母親や近所の大人達に感じるものと同じ大きな包容力と安心感があるような気がした。
大人っぽいのに鼻や頬についたそばかすが愛嬌を醸し出していて親しみのある顔つきだった。年増だなんてとてもからかえない。
スペシャルウィークは初対面であるはずの目の前のウマ娘がすぐに好きになった。
「改めて、はじめまして。あたしの名前は『スローダンサー』よ。トレセン学園で講師をやる為にアメリカからやって来たの」
「はい、はじめまして! スローダンサーさん! ……『スローダンサー』?」
何処かで聞いたことがある名前を反芻して、スペシャルウィークは首を傾げた。
初対面のウマ娘であることは間違いない。
しかし、その名前も、更に言うならば顔まで何処か覚えのあるものだった。
実際に会ったことはないが、誰かから聞いたり、何かで見たことがあるような――。
「……ああああっ!? ひょ、ひょっとして『SBR』で準優勝された、スローダンサーさんですか!?」
「あらァ~、やっぱりあたしってばここでも有名? 島国の田舎まで名前が知れ渡ってるとは思わなかったわ」
「テレビ! テレビで観ました! 新聞でも!」
田舎暮らしのスペシャルウィークにとって、外人に対するイメージは『映画に出てる人』程度しかなかった。
そして、そんなイメージの通り、初めて出会った外国のウマ娘は映画に出ている俳優と同じくらい有名人だった。
娯楽の少ない田舎において、海外の大規模レース『SBR』が放送される日は母親と一緒にテレビの前に齧りついて観ていたものだ。
未だ会ったことのない自分以外のウマ娘が、何千人も集まって広大なアメリカ大陸を横断する壮大なレースは、狭い世界しか知らないスペシャルウィークの心を感動と興奮で大いに揺さぶった。
優勝者のシルバーバレットが日本のウマ娘と激しい勝負を何度も繰り広げたことは記憶に新しく、そんなシルバーバレットと世界で競り合った猛者がスローダンサーなのだ。
その憧れの選手が、自分が初めて出会うウマ娘として目の前に立っている。
スペシャルウィークは喜びと感動をあらわにするよりも、まず混乱した。
「スローダンサーさんが……私がこれから通う学園で講師をやる……!? あわわわ……!」
「アナタにとっては災難だったかもしれないけど、トラブルを切っ掛けにこうして会えたというのも何かの縁かもしれないわね。講師といっても学業よりレースの教練を担当する予定よ。まだトレーナーのいないアナタにも教えることが多いと思うから、その時はよろしくね?」
「は、は、はいっ! こちらこそ、よろしくお願いします! 光栄です!」
スペシャルウィークは何度も頭を下げながら、ふと思い至った。
顔を上げて、小柄なウマ娘の方を思わず見つめる。
2人の内一方は世界的に有名なウマ娘だった。
ならば、もう1人の方は?
スペシャルウィークの知る限り、テレビで観た『SBR』では彼女のようなウマ娘は映っていなかった。
レースに参加していなかったのか、あるいは目立った成績は残さなかったのだろうか。
しかし、スローダンサーとは気心の知れた仲のようであるし、体格や歳の差があるにも関わらず対等の関係に見える。
――彼女は一体何者なのだろう?
そんな疑問をスペシャルウィークの視線と表情から察したスローダンサーは、あえて何も答えない友人に代わって説明する為に口を開いた。
「こっちのクソ生意気なメスガキの名前は『ヴァルキリー』よ。彼女もあたしと同じく『SBR』に参加していたわ。出身はイタリア。公式のレースに出場した経験はなし。脚質は根っからの『逃げ』で左回りのコースを得意としている。走る際には8回呼吸するごとに1度身体を左にぶらす悪癖があるから、もしもレースで競う場合はそこを突くといいわ」
「オイオイオイオイオイオイオイオイオイ、あのさァ~~~。紹介するにしても説明しすぎなんじゃねぇーのォ? そいつとレースなんてするわけないしさ」
ヴァルキリーと呼ばれたウマ娘は呆れたようにスローダンサーとスペシャルウィークを睨んだ。
「何、不愛想にしてんのよ。折角日本で会った同年代の子なんだから……同年代よね? そういえば、あたしアンタの年齢知らないわ。教えなさいよ」
「どォォォ~でもいいィィ~~わァァ~~~。ああ、メンドくさ……」
面倒くさいというよりも、いっそ人付き合いそのものを嫌っているのではないかと思う程ヴァルキリーはスペシャルウィークから距離を置こうとしていた。
スペシャルウィーク自身も、どう対応すればいいのか分からなかった。
スローダンサーとは違い、ヴァルキリーという名前をテレビや新聞で見た覚えはない。
新聞の記事はもちろん、テレビで観た『SBR』の番組は生放送ではなく一般放送向けに編集された内容だった。
何千人といる全ての参加者にスポットライトが当たるわけもなく、注目度の高い選手やテレビ映えする場面などが優先的にピックアップされる。
それゆえに、スペシャルウィークを含む多くの一般人がヴァルキリーのことを知らなかった。
レース開始当初に優勝候補とされるほどの走りを見せた彼女を、今や多くの人々は忘れていた。
インターネットなどでリアルタイムに発信された無編集のレース放送ならばともかく、世間一般の視聴者の眼に触れやすい特集番組などではまず間違いなくカットされるからだ。
公共の放送になど映せるわけがない――多数の死傷者を出した『SBR』レース中最悪の事故の当事者など。
「あの、ヴァルキリーさんの方は私と同じ学生としてトレセン学園に行くんですか?」
「違うわよ。日本へはこいつに強引に連れてこられたの。学園に行って何をするかなんて、アタシだって知らないわよ」
自分がいる状況を改めて認識し、ヴァルキリーは不機嫌そうに吐き捨てた。
「元々、ジョニィから誘いを受けたのはスローダンサーだけでしょ。アンタ1人だけで行けばよかったじゃん」
「彼からの手紙にはアナタを心配していることも書いてあったのよ。ジョニィは立ち直ったわ。だから、今度はアナタにも立ち直ってもらいたいのよ」
「ハァァァ~~~ッ、うっざ! いらないから、そういう同情」
「同情じゃない。あたしはまたアナタと走りたいわ」
「アタシはもう一生分のレースを走ったのよ。アタシはトレセン学園とかってぇ所の生徒にはならないし、もう2度と誰かと一緒に走ったりもしない。ジョニィの顔見たらさっさと帰るわ」
蚊帳の外にいるスペシャルウィークには、2人の会話の意味や、その背景にある過去の出来事については何も分からなかった。
しかし、スローダンサーと、苛立たし気な態度に隠しているがヴァルキリーも、何処か苦しそうで悲しそうにも見えた。
何よりも、スペシャルウィーク自身が悲しかった。
一体どんな経験をすれば『もう2度と走らない』とまで考えてしまうのだろう。
テレビの特集でしか知らない『SBR』レースの中で、自分では想像も出来ないような辛い体験をしたのかもしれない。
ただ、ウマ娘でありながら誰かと共に走ることを拒絶し、何の目的もなくただここにいる彼女を見て思った。
(ああ、この人はきっと寂しいんだろうな……)
スペシャルウィークには、それだけはハッキリと分かった。
「……あの、すみません。トレセン学園までの道なんですけど」
「ああ、ごめんなさい。つい話し込んじゃったわ。そうね、ここから5キロほどの所にあるらしいから、タクシーでも――」
「走って行きませんか?」
「……は?」
突然の提案に、スローダンサーは眼を丸くし、ヴァルキリーは呆けた声を上げた。
「ですから、学園まで走って行きませんか!?」
スペシャルウィークは特にヴァルキリーに向けて、更に強く言い募った。
「ナァナァナァナァナァナァナァナァナァ、話聞いてた? こっから5キロもあるんだから、タクシーで行くんだって」
「私、走るの大好きですから! 5キロくらい全然平気です!」
「アンタの都合は聞いてねェーのよ。走るのが好きならアンタだけタクシー乗らなくていいから、走ってついてくればいいじゃん」
「一緒に走りましょう!」
「嫌よ」
「走りましょうよ! 天気もいいですし、きっと気持ちいいですよ!」
「嫌だって言ってんのが聞こえねェ~かなァ~~? 頭脳がマヌケか、アンタは!」
ヴァルキリーはスペシャルウィークを睨みつけた。
この突拍子もない提案が、先ほどの会話から何かを察した彼女の優しさであることはヴァルキリーにも分かっていた。
分かっているからこそ、余計に苛立った。
自分とスペシャルウィークのやりとりを黙って様子を見守るスローダンサーの視線も気に入らなかった。
優しさや気遣いといったものは、もううんざりするほど受け取った。
自分を庇って死んだ彼の遺体を祖国に持ち帰った後、出迎えてくれた育ての親達の暖かさに救われると共に少しずつ息苦しさを感じていた。
走ることをやめて一歩も進まずにいる自分自身に言いようのない焦りと後ろめたさを抱き始め、耐えられなくなっていった。
優しくして欲しくなかった。
誰も自分の傍に寄り添って欲しくなかった。
だって、また走りたくなってしまうから。
もう彼は――ジャイロはいないのに。
「私はヴァルキリーさん達と一緒に走りたいです!」
ヴァルキリーの拒絶の視線を、スペシャルウィークは真っすぐに見つめ返していた。
澄んだ瞳だった。
この世の残酷なものを知らない田舎娘の無垢な瞳だった。
「私には『日本一のウマ娘になる』という夢があります。その為にトレセン学園に行きます」
だが、純粋な瞳だった。
この大地と空の下で自由に走り回れることを感謝する、純粋なウマ娘としての喜びを宿した心があった。
「だから、ヴァルキリーさん達と一緒に走りたいんです。日本どころか世界を走ったお2人が見た光景は、今の私は想像も出来ません。でも一緒に走れば、同じコースの中にいれば、何かが分かりそうな気がするんです。だから――」
スペシャルウィークはニッコリと笑って、呆気に取られるヴァルキリーの前に手を差し出した。
「私と一緒に走りませんか?」
力強い言葉と笑顔だった。
ナンパに翻弄されてオドオドとしていた顔、有名人と対面してアタフタとしていた顔、2人の会話に気まずげにしていた顔――これまで見た百面相に隠された、このウマ娘の本当の顔をヴァルキリーとスローダンサーは見たような気がした。
この国で一番のウマ娘に――などと大それた夢を躊躇も恥じらいもなく語ることが出来る器が、確かにあるような気がした。
「……アンタってさ、バカか大物のどっちかよね」
ヴァルキリーは無意識に強張らせていた身体から力を抜き、小さくため息を吐いた。
ここまでずっと顔を隠すように付けていた防塵ゴーグルを外す。
ブラウン色の勝気な瞳が、真っすぐにスペシャルウィークの瞳を見つめ返した。
「いいよ、走ろうか」
言った。
思わず口にしていた。
その一言で、ヴァルキリーの胸の奥で鬱屈として積み重なっていたものが1つ軽くなったような気がした。
何かが楽になったような気がした。
ただ学園までの道を誰かと一緒に走ることを決めただけなのに。
口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「学園まで一緒に走ってあげるよ」
「本当ですか!?」
「アンタがあたしについて来れるならね。言われた通りアタシは生粋の『逃げ』だからさァ~、後ろなんて気にしないでぶっちぎってやっから。振り返ってアンタがいなくても知らないよ?」
「はい、私も負けません! ゴール前で差し切ります!」
「上等。オバハン、アンタも来る? 歳で足腰弱ってんならアンタだけタクシー使ってもいいよ」
「誰が年増だ、テメェェェーーーッ! いい加減、そのネタ擦んのしつけーんだよッ! 2度と減らず口叩けないようにしてやるわ!」
文字通り逃げるようにヴァルキリーが駆け出し、すぐさまスペシャルウィークがそれに続く。怒りの形相でスローダンサーが追った。
都会の街並みを、3人のウマ娘が駆ける。
それは何でもない光景だった。
競い合い、笑い合う――この地上でありふれた、祝福された光景だった。
「そういえばさァ」
「はい、何でしょう?」
本気ではないとはいえ、しっかりと自分の走りに追従するスペシャルウィークをヴァルキリーは肩越しに振り返った。
「アンタの名前、まだ聞いてないわ」
「……ああっ! そうだった、すっかり忘れてた! ご、ごめんなさい」
「謝んなくていいからさ、教えてよ。知りたいな、アンタの名前」
「はい! スペシャルウィークです! これからよろしくお願いします!」
「へえ? いい名前じゃん。よろしくするかどうかは分かんないけどね」
「そんなこと言わずに、学園でも一緒に走りましょうよ!」
「だから、アタシはトレセン学園の生徒になるつもりはないんだって。まあ、何したいかなんて自分でもまだ分かんないけど――」
これから向かう学園で何が待っているかなんて、さっきまで興味もなかった。
しかし、今は少し違う。
今日、明日と休日が過ぎて来週には学校が始まる。
どんな生徒達が学園に通いにくるのか知らないが、少なくともこの世間知らずなウマ娘が日本一という大それた夢を目指す為の一歩を踏み出すのだ。
それを見るのは、なんだかちょっぴり楽しみな気分だった。
「ニョホホ、来週は何か面白いことが起きそうじゃん」
――『
◆日曜日!――Domenica
どの学校でもそうであるように、日曜日は休みの日だ。
窮屈な授業から解放された学生達が思い思いのやり方で、一週間の一番楽しみな一日を満喫しようと学園から外に繰り出していく。
それはこのトレセン学園でも例外ではない。
多くのウマ娘達が街に出てショッピングを楽しんだり、友達の部屋に集まってゲームで遊んだりしている。
しかし、ストイックな者達はこの貴重な青春の一日を、学園のトレーニング施設やグランドで自己鍛錬に費やしていた。
ここ最近は、そんな学生達が少し増えたような気がする。
広大なコースを走るウマ娘達の姿を眺めながら、ジョニィはそんなことを考えていた。
「『イメージ』はあるんだよ……『回転』のイメージはな」
そのジョニィの背後では、芝生に座り込んだゴールドシップが手元を弄りながらブツブツと呟いていた。
「風の中の木の葉がバレエダンサーのようにくるくる『舞うイメージ』っていうか……」
ゴールドシップが持っているのは、手のひらに収まる程度の小さなゴム製のボールだった。
それを指で弾いたり、もう片方の手を使ったりせず、手のひらの筋肉の動きだけで回そうと試行錯誤している。
「全身で回すってのは、もう分かってんだけどよ~……おっ!!」
突然、手の中でボールが高速で回転を始めた。
クリア出来ないゲームでコントローラーを無茶苦茶に操作してみた時のように、様々な動作を試していたゴールドシップには何が切っ掛けでその力が生まれたのか分からなかったが、とにかくボールは回った。
「おおおおおっ!? ま、回っ……ジョニィッ!」
しかし、その回転は全く安定しないものだった。
不安定な遠心力で暴れ回るボールは、手の中を飛び出して腕を伝い、そのまま肩に弾かれて地面に飛んで行ってしまった。
ゴールドシップは背中を向けたままのジョニィを睨んで、憤慨した。
「なんだ、ジョニィ! 見てなかったのかよォ~~~! 今の見ててくんなかったのか!? なんで見てねーんだよ!? すごかったんだ! 絶対に回ったぜッ! ボールがッ!」
その騒々しさに、ジョニィはようやく振り返って呆れたようにゴールドシップを見つめた。
「なんで僕が四六時中君を見てなきゃいけないんだ? で? そーなのか? もう一回僕の目の前でやってみせろよ」
「オメーはこのゴルシちゃんから一日中眼を離しちゃいけないんだよ! 1秒後に何が起こるかわかんねーんだからな! クソッ、ボールどっかいっちまったよ!」
「本当に何が起こるか分からないから困るんだよなァ」
ジョニィはため息を吐きながら、自身の持つ鉄球を足元に落とした。
正確な回転を加えられた鉄球は地面に触れた途端、振動波を起こして水面の波紋のように芝を波打たせる。
ソナーのように広がった衝撃の波が円状に広がり、地面に落ちたボールの位置を明らかにした。
「おっ、あったあった! やっぱ、回転の技術って便利だよな~。面白そーだしよ! なんとか使えるようになんねーかなぁ」
「こんなの覚えたってレースには使えないぞ。走るフォームに回転の動きを反映させることと、ボールを回転させることは違う。君には早く『黄金の回転』のフォームを自在に使いこなせるようになってもらいたいんだけどね」
「んなコト言ったってよォ~、あの時は無我夢中で走ってたから正確な身体の動かし方なんて再現出来ねーよ。『黄金長方形』はちゃんと見えてるつもりなんだけどよォ~」
「分かっている。あのレースの時ほどの集中力を意図的に発揮することは、今の君には難しいだろう。大舞台で走る極限の緊張感と興奮、シルバーバレットやシンボリルドルフが相手だったからこそ引き出せた潜在能力だ」
「偶然で勝てたなんて思いたくねーけどよ、実力で勝てたとも言えねーよなぁ」
「間違いなく君自身の力があってこそだ。だけど、確かに運も良かった」
ゴールドシップはその言葉に反発することもなく、立ち上がってジョニィの傍に歩み寄った。
「あのレースでDioとシルバーバレットは完全に君からマークを外していた。シンボリルドルフに向けられていた意識の外から不意を打てたからこそ、最後の最後で差し切ることが出来たんだ」
「実際に走ったアタシが良く分かってるよ。まっ、二度目はねぇだろうな」
「奴らとは再び決着をつける日が来る。その時には、もう君は徹底的に分析されていると思っていいだろう。Dio達だけじゃない。勝者である君は、他のあらゆるウマ娘から挑まれる立場になる」
「かーっ! モテる女はつれーなぁ、オイ! あのシルバーバレットの野郎にスタートからマークされるとか、ゴルシちゃんゾクゾクしちゃう!」
ゴールドシップはおどけたように笑いながら舌を出した。
かつてシルバーバレットと対決する前に余裕ぶって叩いた軽口は、全て内心の不安を隠す為の虚勢だった。
しかし、今は違う。
本来の走り方を取り戻したゴールドシップに、あの時のような精神的な弱さはない。
ヘラヘラと笑う顔の裏側で、シルバーバレットからもぎ取った勝利が単なる偶然ではないことを証明してやろうという決意が燃えていた。
それを察して、ジョニィは満足そうに笑った。
「だったら、トレーニングも真面目にやれよ。レースだってそうだ。君、公式ではまだ2勝した実績しかないんだぜ」
「しょーがねーだろ、やる気が出ねー時は出ねーんだから。ゴルシちゃんの気まぐれなオトメゴコロに対する理解度を高めて、なんかおもしれートレーニング考えとけよ」
「来週からマックイーンが併走相手として一緒に練習してくれる予定だから、それでいいだろ?」
「ジョニィっていつもそうですよね! マックちゃん与えとけばアタシが大人しくなると思ってるんですか!?」
「思うね。君の精神は好きな相手にちょっかいかけたがる小学生レベルだ」
「誰が小学生だコラァ! このナイスボディが去年までランドセル背負ってたように見えんのか!?」
「マックイーンだけじゃない、これからは僕もチーム単位で指導をすることになる。他のメンバーと喧嘩とかするなよ」
「他のメンバーっつったってよぉ、未だにマックイーン以外チームメイトの候補いねーんだろ? 誰か目ぇつけてる奴とかいねーの?」
「気になる娘は何人かいるけど、こっちから勧誘しようとまでは思わないかな」
「んだよ、オメー! ゴルシちゃん1人にゾッコンすぎじゃね!? しょうがねーから、アタシから推薦してやるよ! トーセンジョーダンっていう面白そうな奴がいんだよ!」
「それ、君が何度か併走相手に拉致してきた娘か?」
「そうそう! アイツ、足の爪が弱いらしくてよぉ。その怪我のせいで満足にトレーニングも出来ねーし、デビューも遅れてんだ」
「『爪』か……確かに、ウマ娘にとって爪の脆弱性は重い問題だな」
「なんとかしてくれよ、なぁ~? アタシはアイツと限界バリバリのレースをしてみてーんだよ!」
「じゃあ、とりあえず今度連れてきてくれよ。僕のチームに入れるかは分からないけど、スローダンサーが来週から学園で講師として働くから、彼女を紹介してもいい」
「おっ、オメーの元相棒がようやく来んのか! なんだよ、来週は面白そうなイベント目白押しじゃん! オッシャア! なんか猛烈にやる気出てきたー! 何してんだ、ジョニィ! このパッションが燃え尽きねぇ内にさっさとトレーニングすっぞ!!」
先程まで夢中だったボールを放り出して、グランドに駆け出そうとするゴールドシップをジョニィは苦笑しながら追った。
飛んできたボールを片手で掴み取り、鉄球と一緒にポーチに入れる。
両脚の太ももを軽く揉んで調子を確かめると、一歩ずつ踏み出した。
もう車椅子も、杖さえ使っていない。
――立って遠くを眺める。
――誰かを追う為に歩く。
たったそれだけの当たり前のことに感動する日々にも少しずつ慣れていった。
「歩けるか? ジョニィ」
とっくに先へ行ってしまったと思っていたゴールドシップが、静かに微笑みながらジョニィが来るのを待っていた。
「少しずつ……だけ。もっと劇的なことなのかと、ずっと想像していたけれど……月が満月になっていくように……この事それ自体は何気ないものだった」
ジョニィもまた穏やかに笑い返して合流する。
肩を並べた2人は、ゆっくりと足並みを揃えながらグランドへと歩いていった。
「……ところで、ジョニィ。今いちパクリっぽいんではあるんだがよォ~~~。1コ『新曲』思いついた。次、レース勝ったらライブで歌うからなコレ」
歩きながら、何の前触れもなくゴールドシップが言った。
先程までの落ち着いた雰囲気からは一変して、普段の珍妙な言動に戻ってしまっている。
しかし、2人にとっては日常的なやりとりだった。
ジョニィは小さく頷いて先を促した。
「タイトル……『これがアタシの一週間』!」
ゴールドシップが『月曜日』から『日曜日』までのトレーニングをモチーフにしたという珍妙な歌を口ずさんでいく。
ジョニィはそれを歩きながら聞き流していた。
ウマ娘とトレーナーがトレーニングの為にグランドへ一緒に歩いていく。
この学園では当たり前の、何気ない日常。
1つのレースに勝つ為にこの当たり前を繰り返し、学園の日々は過ぎていく。
勝っても負けても、また新しいレースが始まる。
その度に、ウマ娘とトレーナーはまたグランドまで一緒に歩いていくのだ。
「――っつー歌よ。どよ?」
「……いいーーーねェーーー。すごくいいよ! 超イケてる! 幸せそーな一週間なんだっていう……時間の概念がない所がとてもいい!」
「だろッ! 歌詞をメモし終えたか? 次のウイニングライブが楽しみだぜ!」
また、新しい一週間が始まる。
『GOLD SHIP RUN』 完
本編で書きたい部分は書いたと言いましたが、最後を『7日で1週間』のネタで締めるというのは実は一番最初から考えていた終わり方でした。
元々この作品を書く切っ掛けになったのがpixivのとあるジョジョ×ウマ娘の漫画で、そこでこのシーンが見事に漫画化されてたのをリスペクトしたくて書き始めました。
URLはったりして直接作品を紹介してもいいのか分からないので、興味のある方は是非自身でキーワード検索でもして探してみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたなら幸いです。
SBR版ウマ娘『ラブトレイン(D4C)』
ファニー・ヴァレンタイン大統領の側近として常に傍に控えているウマ娘。
シルバーバレットに匹敵する才能を秘めているが、レースに出たことは一度もない。
幼少の頃からヴァレンタインを守り、支えてきた。
レースを走りたいというウマ娘としての本能がないわけではないが、彼への忠誠心と愛が完全にそれを凌駕している。
ヴァレンタインもまたこの世で最も彼女のことを信頼している。
ヴァレンタインとは大統領夫人を差し置いてほとんど正妻のような関係だが、夫人が同性愛者なので実は彼女の方が狙われている。
ヴァレンタインを『挟む』ことが好きで、そういう特殊なプレイを当人同士ノリノリでたまにやっている。
『D4C』がウマ娘としての名前なのはさすがにアレだと思ったので『ラブトレイン』になった。
ルーシーの力を得たD4Cと同じで、ヴァレンタインにとっての『女神』がウマ娘として最初から傍に居たら、という存在。
彼女が傍にいる限り『聖なる遺体』も必要ないので、この世界ではヴァレンタインは普通に善き愛国者としてアメリカに尽くしてます。