「まぁ、こんなことを考えてましてね」
折よく在宅していた研究員の男を連れ出し、装蹄師の男と3人パーティとすることができた後輩の男は、建物の裏にあらかじめ呼び寄せていた車に二人を押し込むと、近場で押さえていた落ち着いたバーに連行し、ボックス席で二人と向かい合った。
そこで開陳したのは先頃エアグルーヴに見せた企画書であった。
「はぁ…最近倉庫を整理するとかなんとか言ってたのはコレか…」
装蹄師の男は煙草に火をつけると一服し、ひとしきり咽た。
「あぁ、気にせず吸いな」
後輩の男は研究員の男にも煙草を薦める。
「ったく、俺だけならまだしもこの若いモンまで攫うように連れ出して…お前の話をする前に、まずは紹介すんのがスジだろ。まぁ、大方誰なのかは予想がついちゃいるが」
あ、と後輩の男はしまったと表情で表現し、居住まいを正す。そして研究員の男に向き直ると、少し言葉を選ぶように逡巡し、そしてあきらめたようにあっさりと言い放った。
「んー、まぁ、あれだよ。隣にいるのが、おまえさんがずっと追っていた装蹄師だよ」
初めて会って以降、数度折に触れて接触していたが、これまでもったいぶっていた人物を、自分の都合でこうもあっさり引き合わせることに後輩の男はやや後ろめたさを感じないでもなかった。
しかしそうはいっても、今日明日ではないにしても、残された時間はそう多くはないのではないか、という感覚的なものに従って、今日を用意した。
それを解説するほど後輩の男は無神経ではなかったが、受け取る方はいかばかりか、と研究員の男を心配した。
「…ありがとうございます。突然で驚きましたが、この機会はいつかお願いしてつくっていただこうと思っていたので…」
研究員の男の殊勝な言葉を聞いて、後輩の男は内心ほっとした。
「先輩のほうは…もう今の紹介でおわかりっスよね」
装蹄師の男は苦笑で意思を伝えてきた。
「で、この企画をやるにあたって、お前さんの協力、では済まないな、お前さんが主体で、この企画展をくみ上げてほしいと思っているわけだ」
後輩の男はそう言い放つと、研究員の男に自らの煙草を薦める。
研究員の男は難しそうに眉間に皺を寄せつつ、後輩の男の煙草を受け取った。
「…そう難しく考えなくてもいい。今、自由研究でやってることが正式な仕事になって、くらいのもんだ。時期も別に必ずここでやらなければいけないってもんでもない。だからホラ、研究材料もこうやって連れてきた」
冗談めかしながら後輩の男は研究員の男に告げる。
「というわけなんで先輩、協力してもらうっスよ」
後輩の男は返す刀で装蹄師の男も抑えにかかる。その表情はこれまで散々見てきた、仕事を断らせない、謎の活力と魅力に満ちたビジネスパートナーとしての表情でもあった。
「まぁ俺はかまわねえが…ただ表に出せること出せないことの線引きは任せるぞ。やってきたことは話せても、公にしていいかの部分は俺は曖昧にしかわかってねえからな。ただ…」
装蹄師の男はちらりと研究員の男を見やった。
緊張しているのか、身を小さくして一点を見つめながら、それでもこちらのやりとりを気にしているようだった。
「うまく言えねえが、俺はともかくこの若いのにプレッシャーかけるのはやめてやれ。お前のことだから外堀はすでに埋めにかかってるんだろう?それじゃこいつの逃げ場がねえじゃねえか」
バレたか、とでもいうように後輩の男は苦笑する。
「それもそうですね。ただ、できると思うんスよね、どんな形でも。こいつはすでにここまでの調べをしてるんだから、きっと頭の中にはこの企画のイメージが誰よりもありありとできあがってるんじゃないかと」
そう後輩の男は述べると、研究員の男と視線を合わせる。
研究員の男はまだ難しい顔をしていた。
企画の話を聞いていくうちに、研究員の男の頭の中ではその展示イメージがありありと浮かび、どのような展示物でどのようなパネルを置き、どのような解説を添えるべきか、無意識のうちに渾々とアイデアが湧いていた。
一方で、それをどのような手段で実現すべきか、そこに不安を感じていたのだ。
「…どの程度、ご支援いただけるのでしょうか?」
研究員の男はここで気持ちよく「やります」と言えない自分の小胆さを呪いつつ、絞り出すように疑問を口にした。
後輩の男は一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。
が、生来の察しの良さで、研究員の男の不安を理解した。
「…すまん。説明不足だった。受けてくれるなら、支援はいかようにでも。不自由はさせない」
後輩の男は自信たっぷりにそう言った。
研究員の男は、隣に座る装蹄師の男に視線を向ける。
装蹄師の男は困ったように苦笑しながら、こくりと頷いた。
「…カネやリソースの問題なら、信頼していい。今までこの手の話で、こいつがやると言ってできなかったことはないぜ」
装蹄師の男の言葉を聞いて、研究員の男の脳裏にはトリニンゲンカーニバルの記事や、先日のサーキットを走るフォーミュラカーの姿が浮かぶ。
一息入れて考えを整理し、研究員の男は姿勢を改め、口を開いた。
「…微力を尽くさせていただきます…」
後輩の男は安堵したように、息を吐いた。
◆
後輩の男は、手元のグラスを空にすると「ちょっと電話してくる」と、いかにもな口実を残して席を立った 。
ボックス席には、使い込まれた灰皿を挟んで、装蹄師の男と、彼を追い続けてきた若き研究員の二人だけが取り残される。
装蹄師の男は、二本目の煙草に火をつけた。
立ち上る煙の向こうで、研究員の男は緊張に肩を強張らせ、ノートを開くべきか迷っているようだった。
「…で…何が聞きたい?」
装蹄師が短く問いかけると、研究員は弾かれたように顔を上げた。
「あ、いえ……その……」
装蹄師の無表情な問いかけに、研究員の男は考えていたことが吹き飛びそうな緊張を憶えながら、なんとか二の句を継いだ。
「…なぜ、あなたはこれほどまでの功績を残しながら、記録から自分を消そうとしたのですか?」
研究員の問いは、真っ直ぐだった。
アグネスタキオンが所長を務める研究所の設立、エアグルーヴ理事長の就任、そして数多のウマ娘たちが成し遂げた偉業の影には、常にこの男の影があった。
しかし、公的な記録には一切出てこない。
「消そうとしたわけじゃない。俺はただ、自分の仕事をしていただけだ」
装蹄師の男は自分の大きな、節くれだった手を見つめた。
「主役はあいつらだからな。俺らはさしずめ、舞台の小道具屋に過ぎない。ま、いろいろ経緯があったのも確かだが…」
男は自嘲気味に笑い、煙を吐き出した。
「しかし熱心だな。エアグルーヴなんかから、変わり者がいるとは聞いていたが」
装蹄師の苦笑いに、研究員の男もつられるように表情を緩める。
「あまり褒められたきっかけではないんですがね…ただ、当代の伝説的ウマ娘の皆さんのプライベートを、思わぬ形で見てしまったというか…」
「えぇ…?いったいどういう…」
装蹄師は少しだけ驚きを隠さず、二の句を継ごうとして思い直した。
「……あんまり聞かないほうが良さそうな話だなぁ……」
やんわりと話をうやむやにすると、装蹄師の男は煙草を灰皿に押し付けた。
「…そうだな…とりあえずは…しばらく、俺の仕事場に来るか?言葉で聞くより、目で見た方が早いこともある」
それが、企画展の背骨になっていく第一歩だった。