男のスマホが鳴動したのは、今日の業務を切り上げ、工房の片付けにかかっていた夕刻のことだった。
取り上げてみるとショートメッセージが届いている。発信者はトレーナーの沖野だ。
中身は今夜久しぶりにおハナさんと三人で飲まないか、というものだった。
特段用事のない男は了解の返事を送り、片付けを加速させた。
「よぉ。遅かったじゃないか」
指定された店、といっても沖野とおハナさんが行きつけのいつものバーだったが、男がたどり着いた頃には2人はすでに飲み始めていた。
「あら、最近いい仕事をしたと評判の鍛冶屋じゃない」
「初っ端から手厳しい。まぁ、周りの協力をいただいてなんとかね…」
男は席につきながらジンジャーエールを注文し、煙草に火をつける。
「まぁまぁ、今をときめく話題の装蹄師様のご登場だ。まずは乾杯といこうじゃないか」
三人でグラスを合わせ、一口飲む。
「…そんなに大それたことかね?」
男は普段工房にこもっているため、世情に疎いところがある。
今回の研究成果についても、対外発表の記者会見には一応立ち合ったが、その後のことはあまり気にしていなかった。
「…控えめにいって、私たちトレーナーにとってはひとつの革命ね」
おハナさんの言葉に、沖野も頷く。
「どんなに気をつけたって怪我は起こる。そんな時に頼れるものはいくらあっても困らない」
「…まぁ役に立つと思ってもらえるなら本望だよ。あぁ、お前んとこのゴールドシップのおかげで完成したんだぜ、アレ」
「はぁ?ゴルシが?」
驚愕の沖野をよそに、男はかくかくしかじかと説明する。
「あきれた…とも言えないわね。伊達にルービックキューブこね回してるわけじゃないのね、ゴールドシップ」
「…何考えてるかわからないやつだが頭は切れるし、なにより優しいとこあるからな、あいつ」
おハナさんも沖野も、普段の奇行はともかくゴールドシップには一目置いているようだ。
「それに生徒会の面々も大活躍ですよ。シンボリルドルフもエアグルーヴも。やはりおハナさんのエリート教育の賜物かね?」
男は自分だけ持ち上げられるのがくすぐったく、おハナさんを持ち上げてみせる。
「…あの子たちは自分達で大きくなったのよ…私がああだこうだ言う前にね…」
そういうおハナさんは少し寂し気だ。
「まぁ、勝手にたくましくなってくもんだよな。あいつらは、さ」
沖野も遠い目をして言う。
トレーナーの親のような視点からすると、彼女たちの成長はとても早いのだろう。
「そういやサイレンススズカの件も、このバーのこの席で学園屈指の名トレーナーであるお二人が雌雄を決したんだろう?俺を道化に使って」
男はかねてから抱いていた疑問を放り込んだ。
ふたりは気まずそうに目を伏せた…と思ったらおハナさんはふふっと不敵に笑った。
「…スズカを傷つけずに新しい環境に送り出す絵を描いたのは私よ。あなた、私が思ってたよりも上手にピエロになってくれたじゃない」
妖艶な表情で微笑むおハナさん。
言い方がやや黒いが、性癖によってはこういうの興奮する人もいるんじゃないかなぁ、とか男は思ってしまう。
「俺はその話に乗ったんだ。スズカに目を付けていたところだったしな。ゴルシの援護がなければ乗り損ねるとこだったが…」
対する沖野も正直に吐露する。こういうところで嘘がつけないのがこの男のいいところだ。
「…まぁ別にかまわないんだけどさ。事前に言ってくれれば俺の心理的負担も少ないんだけどねぇ…」
深く吸い込んだ煙をため息のように吐きだしながら男は呟く。
「あら。モテモテの装蹄師さんが心理的負担?誰かに妬かれて困ってるの?」
悪戯っぽく笑いながらおハナさんがからかい調子で男に振る。
男は眉間に皺を寄せて「何いってんだコイツ」という表情だ。
「あぁ?モテモテの装蹄師って誰だよ」
沖野が反応する。
「学園の装蹄師といえば一人しかいないでしょうよ」
笑いながらおハナさんが沖野をあしらう。
「どういうことよ、おハナさん…」
男は降参という風体で両手をあげた。
おハナさんは冷たく鋭い視線で男を射抜いてくる。
「あなた…ほんとに身に覚え、ないの?」
手を上げたまま首を振る。
「呆れた…。これじゃ彼女たちも浮かばれないわ…」
沖野もおハナさんの後ろで何かに気づいたような顔をしている。
「そういやうちのチームでも…お前の話が出てたのを聞いたことがあるぞ…」
「スピカでも?どういうことよそれ」
おハナさんが顔色を変える。
「スズカとスペが話してて…お前、スペにアイス食わしただろ。それをスズカがものすごく羨ましがってな…普段食い物に執着しないあのスズカだから、印象に残ってる」
沖野はなにかを確かめるようにゆっくりと話した。
なるほど。ゴールドシップはそれを聞いていて工房に来襲したのだろう。
おハナさんは眉間に手を当ててため息を吐く。
「うちではシンボリルドルフとエアグルーヴよ。いつもは師弟のような関係だけど、最近二人で並走させているととんでもない張り合い方をするときがあるわ…あなた…思い当たる節、あるんじゃない?」
サイレンススズカとスペシャルウィークの話はまだ平和な気がする。スペシャルウィークには確かにアイスを食べさせた。
しかしシンボリルドルフとエアグルーヴに関しては身に覚えがあるものの、さりとて男がなにか因果となるようなことをしたかといえば、そうではない。
男はわけがわからない、という風に首をひねった。
「ワケワカンナイヨー」
お道化てみせても二人からの疑わし気な視線は収まらない。
「いや…ホントに…シンボリルドルフとは子供のころから知ってる仲だし、エアグルーヴには説教かましたことはあるけど…そのあと詫びにサルビアの鉢植えもってきたくらいだよ…」
おハナさんは驚いた顔で男を二度見する。
そして何でもない顔をしている男を見て、再び深いため息をつく。
「アンタね…鈍いにもほどがあるわよ…」
「俺なんか娘たちからなんかもらったことすらねーぞ。たかられるばっかりだ」
沖野が茶々を入れるが、それはスピカだからではないだろうか。
「まさかあんな見目麗しく高名な方々が、俺みたいなふつーのおっさんにどうこうはないだろうよ。気の回し過ぎだよ」
男はおハナさんが言うようなことなど、夢にも思ったことはない。
それゆえに、おハナさんに言われたことはどこか別の世界の出来事のように感じていた。
「まぁ、そう思いたいならそれでもいいわ。でも、彼女たちを傷つけるような真似だけはしないで頂戴ね。その時は私、許さないから」
そう言い切ったおハナさんの表情は本気で、なまじ美人であるだけに迫力が違った。
男と沖野は悪いことをしてないのに背中に嫌な汗をかくことになった。
「お前…刺されるようなことするなよ」
沖野の一言が、すでに不穏だった。
読んでくださる皆様のおかげで、初投稿から1ヶ月、なんとか書き続けることができました。
本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。