学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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67:邂逅

 

 

 

 

 男は朝、久しぶりに工房をあける。

 

 施設管理部署による工房の封印もすでに解かれており、男はいつもの鍵で開けることができた。

 

「しばらくあけただけで、ひでぇな…」

 

 換気もなにもなかった工房内はあっというまに埃にまみれ、ひどい有様だった。

 

 男は戸と窓を開け放ち、箒を取り出してくると、まずは積もった埃を払うことから始めた。

 

 

 

 

 

「兄さん、今日から再開すると聞いたが…ゴフッ」

 

 早朝にもかかわらずシンボリルドルフが顔を出してくれた。 

 

 しかし掃除中の工房内の埃にさっそくやられてしまう。

 

「あぁ…すまん。大丈夫か?」

 

「大丈夫だ。こちらこそ急にすまない」

 

 シンボリルドルフにお茶を差し出しながら、工房の外へと誘った。

 

「悪いな、気を遣って顔出してくれたんだろう」

 

 男はルドルフをベンチに座らせ、自身は煙草に火を点けた。

 

「気になったから、というのもそうだが、もうひとつ話しておきたいことがあってね」

 

 ルドルフが茶で喉を潤しながら話してくれたところによると、今日、学園にURAから職員が来るらしい。それもいつも関わりのある部署の人間ではなく、聞いたことのない部署の部長クラスであるという。

 

「どうやらエアグルーヴが理事長経由で提出したレース中に救護できるウマ娘を走らせる案について、予算がついたようでね。その打ち合わせとのことだ」

 

 なるほどな、と男は納得する。

 

 URAという規模の大きい組織はいわゆる官僚組織である。

 合理的、合法的かつ権威を基礎に統率が行われる。

 

 その中で何かを成そうとするならばまずはその趣旨が認められ、そのための予算を勝ち取らねばならない。

 

 予算措置が取られるということで、ようやく実働できる。

 

 まどろっこしいと思われるかもしれないが、先人たちが苦心の末に国の外郭団体として成立させ、ウマ娘たちのレースとライブを興行として行っていくための知恵の結晶と言えた。

 

「まぁ動きが遅いのは仕方ない。レース自体、国家事業みたいなもんだからな。それにしちゃ今回の件は早い方だろ。今年度いっぱいは検討で、来年予算に盛り込むから待ってろ、なんて言われてもおかしくないからな」

 

 ルドルフも理解はしているようで、神妙に頷いている。

 

 そんなやりとりをしているうちに、今日の工房係のウマ娘が補修希望の蹄鉄を届けに来てくれる。

 

「さあて、じゃあできることからやりますかね」

 

 男は工房係から今日の分を受け取ると、ルドルフと別れて仕事に取り掛かることとした。

 

 

 

 男は腕をかばいながら作業場に蹄鉄を運び込み、選別作業を始める。

 

 現状の状態の男でも補修ができそうなものに関しては自ら作業をし、手に余るものは府中に送る。

 

 たづなさんから送られてきていたタイムスケジュールによれば、10時ごろには府中からの引き取り便が来るので、それまでに終えなければならない。

 

 なんとか時間までに選別を終え、取りに来た府中の職員に蹄鉄を託すと、男は自分の作業分にかかることにした。

 

 左手で槌を握り、歪みの修正作業を行っていく。

 

 過去にも怪我などの理由で左手で槌を握ることがあったが、その経験から言えば作業精度は右腕の半分以下、といったところだった。

 

 手数も時間もかかるが、男は今自分にできることに取り組む。

 

 それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

 そのうち、府中の装蹄所にも詫びがてらに挨拶に行こう。

 

 そう思いながら、男は手元に集中した。

 

 

 

 

 夕刻、男は作業をなんとか終えて、外のベンチに座り込む。

 

 久しぶりの作業ということもあるが、それにしても予想以上の疲労感を感じていた。

 

 全然、思うように仕事ができなかったのである。

 

「まいったねぇ…」

 

 煙草に火を点けて独り言ちる。

 

 全く仕方のないことではあった。

 

 左腕の精度が落ちることは覚悟の上であったし、右腕がこの先治ったとしても、前と同じように動くかわからない。

 

 それを考えれば、いつかは通る道であり、それが今日からであっただけなのだ。

 

 それに、と思う。

 

 少なくとも、出来不出来を理解する目と、指の感触は鈍っていない。

 

 それだけでも、今の男に残された要素としては十分以上に価値があるはずだ。

 

 そう自らを励ましつつも、落胆してしまう感情はどうしようもなかった。

 

 ため息を吐きながら地面を見つめていると、そこに人影が被さる。

 

 誰か来たのか、と男は顔を上げる。

 

 そこには隙なくスーツを着込んだすらりとした女性と、後ろには朝以来のシンボリルドルフ、そしてエアグルーヴが控えていた。

 

 男と視線を合わせ、表情に乏しい女性は言った。

 

「全く。連絡ひとつよこさないとはどういうことですか」

 

 乏しい表情、感情の出ない語り口の中にも、男は彼女の心情を見出すことができる。

 

 そしてその心情は、怒りだと理解できた。

 

「理子。なんでここに?」

 

 男はその怒りに怯むことなく、平常心で応じる。

 

「どうしてと言われても。私もURAの職員ですから。学園に来ることもありますよ」

 

 そうかぁ。と男は敢えてのんきな声で返した。

 

「貴方、私に話すこと、ありますよね?」

 

 彼女の視線は男の肘に刺しこまれている。 

 

 男は曖昧に、あるような、ないような…と呟きながら煙草を吹かした。

 

「折角です。貴方の工房で話しましょう。ゆっくりと」

 

 そういうと、URA総合企画室室長、樫本理子はシンボリルドルフとエアグルーヴを従えて工房内に入っていった。

 

 

 

 煙草を吸い終わって工房内に入ると、既に三人は応接セットに座っていた。

 

 シンボリルドルフとエアグルーヴの視線がやや厳しい気がするのは気のせいだろうか。きっと気のせいだろう。

 

 男は冷蔵庫から缶入りの茶を取り出すと、三人にそれを差し出し、席に着く。

 

 妙な緊張感に包まれた安普請の応接セット。

 

 誰一人口を開こうとはしない。

 

 まるでお互いの間合いを探り合っているかのようだ。

 

「…昨日まで、後輩が見学に来てたんだ」

 

 その妙な緊張感に耐え切れずに口を開いたのは装蹄師の男であった。

 

「…そう。最近は元気にしてるって話は聞いていたけれど」

 

 冷静な語り口とは裏腹に、樫本理子は缶のプルトップを引ききれずに手元がせわしなく動いていた。

 

「かわんねぇなぁ…ほら」

 

 男が缶を奪い取り、開けてやる。

 

「…ありがとう」

 

 そのやりとりを眺めていたシンボリルドルフが、たまらず口を開いた。

 

「兄さん、水を差すようで悪いんだが」

 

 エアグルーヴがその声にびくりと耳を反応させる。

 

「…樫本さんと兄さんは、どういう関係なんだろうか」

 

 あー…と男が間の抜けた声を出す。

 

 樫本理子は動じる様子はない。

 

「大学時代の後輩で…そうだな…まぁ、恩人ってところか」

 

 男はちらりと理子を見るが、彼女は目を伏せたままだ。

 

 そこに少し、悲し気な影があることに気づいたのは、エアグルーヴだった。

 

「…生活をしていました。一緒に。半年ほど」

 

 静かに、しかしきっぱりとした口調で、樫本理子は言った。

 

「まぁ…装蹄師の修行に入る前の話…だな。随分と時間が経ったもんだ」

 

 男も茶を口に含み、ほんの一瞬、懐かしい気持ちになる。

 

 その様子を、二人のウマ娘はじっとりとした視線で観察していた。

 

「で、今日はなんでまた」

 

 男が理子に話を振る。

 

「予算が付いたのです。エアグルーヴさんが提案した件で」

 

 男はあぁ、とすべてを理解した。

 

「そうか。理子のとこの仕事なのか。じゃあついにレースでも?」

 

「ええ。まずはオープン競走から順に、今のところはGⅡまで。GⅠでの採用はその運用実績を見てから、ということで。見栄えもありますから」

 

 男はうんうん、と頷いた。

 

「なるほど。妥当な線だろうな。お前の仕事ならまぁまず、間違いは起こらないだろ」

 

 はぁ、と理子はため息をつく。

 

「貴方、それ以外にもいろいろやってるみたいですね」

 

「やってるってほどじゃないが、まぁ私的なお勉強程度だよ」

 

「貴方らしい。でも、くれぐれも無理はしないでくださいよ。貴方の身体は見てくれほど強くないことは、私も良く知っていますので」

 

「わーってるよ」

 

「それに、あのコたちにもきちんと連絡を」

 

「それはそうなんだが…まぁ、あんまり心配かけたくねえんだが…」

 

 

 

 

 夫婦のような会話が続いている。

 

 エアグルーヴはそこで紡がれる会話のひとつひとつが衝撃となって積み重なっている。

 

(子…子ってなんだ。子って…)

 

 あまりにも家庭的な単語に、眩暈がしてきそうなほどに脳のリソースが食われていく。

 

 そしてその様子をただ無表情に眺めているのはシンボリルドルフだ。

 

 しかし纏う雰囲気は先日のタイムレースもかくや、という濃色の赤黒さをもったオーラを隠し切れずにいる。

 

(まぁ…いい…あとでゆっくり話を聞こうじゃないか…)

 

 ルドルフの耳は、男と樫本理子の会話を一言も聞き漏らすまいと屹立していた。

 

 

 

 

 

 




三次創作の設定を積極的に奪っていく二次創作↑

ネタ元はこちら↓ 
https://syosetu.org/novel/270326/15.html
zenraさんの寛大なご許可と情報提供をいただいております。
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