車窓から何かを見ているのではなく、流れていく景色をただ眺めていた。
私が声を掛けるとゆっくりとこちらを振り向いた。
その表情はとても穏やかなものだった。
私の来訪やその理由さえも見透かしているかのようなまっすぐな眼で
しっかりと私を見つめていた
それは全く持って身に覚えのない内容の手紙だった。
何とも座り心地が良さそうな黒革のロッキングチェアに腰掛けながら、神田はパソコンに届いた
一通のメールに目を通していた。
『
この度、今週末に高級寝台列車でのミステリーオフ企画にご参加頂きたくご連絡致しました。
内容に関しては「犯人当てゲーム」とだけしかお教え出来ないのですが、宜しければ
ご参加頂ければ幸いです。』
普段あまりこういう企画には参加しないようにしていて、今回も断ろうかと考えていたのだが、
神田にとってどうしても素通りできない文字。それが最後に刻まれていた企画者の名前だった。
『
そこに書かれていたのは、
これは悪質な悪ふざけなのだろうか?
それとも今回の「犯人当てゲーム」の一環なのだろうか?
どういう理由だったとしても、この企画を無視することができなくなってしまったようだ。
神田はパソコンの傍に置いてあった手帳を開き、今週末の予定の確認を始めた。
寝台特急『
シェリンの目の前には「走るホテル」の異名を持つ立派な十両編成の列車が優雅に停車していた。
名前ぐらいはシェリンも聞いたことがあったのだが、まさか自分がこの列車に乗れる日が来るとは
夢にも思っていなかった。
シェリン・バーガンディ。
彼は何時になく心を弾ませていた。
それは彼が何故駅に立っているのか。ということに大きく関わっていた。
彼が駅に立っている訳は旅行に行くわけでもなければ、誰かの見送りに来たわけでもない。
その理由は仕事だった。
今回彼はこの豪華寝台列車内で行われる「ミステリーゲーム」の探偵役に指名されたのだ。
夢にまで見た探偵としての仕事。しかも、こんな理想的なシチュエーション。
興奮するなという方が無理なのであった。
「やっぱりネットの画像と本物じゃ迫力が違うなー。」
「そりゃそうや。」
シェリンが華麗な列車に見惚れて独り言を呟いていると聞き慣れた声が突然と
背後から襲ってきた。
「うわっ!? 」
驚きの余り勢い良く振り返ったシェリンの背後に立っていたのは同期の
「なんだー...らんねぇちゃんか。驚かさないでくださいよ。」
「なんやねん。可愛らしい同期が話しかけただけやないか。」
早瀬は少し頬を膨らましながら、不満気な表情でシェリンを見つめていた。
「それはそうなんですがね。でも、いきなり...。」
「おー! これか。うちらが乗れるっちゅう寝台特急ってのは! 」
シェリンの言葉は最後まで聞くことなく、早瀬は目を輝かせながら列車へと近付いていった。
自分自身もついさっきまで見惚れていたシェリンには無邪気な同期を咎める術はなかった。
「せや! シェリンは今回の「ミステリーゲーム」ちゅうやつで何か役割もらってるん? 」
早瀬はシェリンの存在を思い出したように、くるりとシェリンの方へと振り返った。
「ええ...私は勿論『探偵』役ですよ。」
シェリンは得意げな顔で愛用のモノクルをくいっと人差し指で押し上げて見せた。
「ほんまか! それならやり易くて助かるわー。」
「『
「実はな。私の役割は『探偵の助手』なんよ。せやから一緒に頑張ろうな!
そう言うと早瀬はシェリンに向かって、ウィンクを送った。
これは何とも力強い味方が出来たものだ。
正直に言ってしまえば、慣れない探偵役というポジションに緊張していたのだが、
気心知れた同期が傍に居てくれるとなれば何故か自信が湧いてくるのだから不思議なものだ。
というのも今回の「ミステリーゲーム」では『何らかの犯人当てゲーム』が行われることと
『舞台が寝台特急千歳』であること、そして『自分の役割』以外は全てが謎に包まれていた。
誰が主催なのか、自分以外に誰が現れるのか、ゲームの進行方法や最終目標。
全てがわからないままなのだった。
「あー! そこに居る二人は...。」
二人が声のした方向へと同時に顔を向けると、改札からホームへと続いている階段を
降りきったところに仲良く並んで立っているリゼアンの二人組と目が合った。
「やっぱりシェリンさんと早瀬さんだ。」
ニッコリと微笑みながらリゼが二人に向かって手を振っていた。
「お二人も今回の企画に参加されるんですね。」
「そうなんですよー。ちょっと怖かったんですけど、リゼに相談したら同じものが
リゼにも届いてて一緒に行こーってなったんですよ。」
シェリンの問いに身振り手振りを交えながらアンジュが足早に答えた。
「やっぱ同じなんやなー。他に誰が来るんやろ? 怖いような楽しみなような...。」
早瀬はブルブルと大袈裟に体を震わせていた。
怖いなんて内心思ってもいないよね。と口から出かかった言葉をシェリンは慌てて飲み込んだ。
「本当ですね。ところで、シェリンさんたちは主催とか企画者の方にはもう会いました? 」
「いいえ。らんねぇちゃんとお二人としか会ってませんね。」
「せやな。私もそうや。っていうか誰が主催かも知らんしな。
リゼの問いかけにシェリンと早瀬は顔を見合わせ、お互いに相槌を返しながら答えていた。
「えっ? 」
短く、そして小さく呟いたのはリゼだった。
「それじゃあ...二人は
アンジュが何かを口にしようとしたところで、慌ててリゼがアンジュの服の袖を引っ張った。
「『二人は』って? 」
「あ...え...その...。」
シェリンの素朴な疑問に対してアンジュは何故か必要以上に狼狽していた。
その理由はシェリンにも早瀬にも全く見当がつかなかった。
慌ただしい駅の喧騒の中で奇妙な静寂が四人を包み込んでいった。
シェリンはこの静寂の示す意味をこの時はまだ知る由もなかった。