二人はアンジュが利用している四号室に向かっていた。
「なんでひまちゃんは止まってないって言ったんやろう...。」
小さな声でそう言った早瀬は握り締めた愛用の手帳を見つめていた。
「うーん...もしかしたら三枝さんが嘘をついているという可能性もまだ残されてます。
兎に角、今はみんなの話を聞いてみましょう。」
ひまわりの部屋の二つ隣の四号室には直ぐに辿り着いた。
先ほどと同様に部屋のドアをノックすると、返事はなかったがドアは間もなく開けられた。
開いたドアの隙間からアンジュが不安そうに顔を覗かせた。
「あ...お二人共。何かあったんですか? 」
「夜分遅くに申し訳ありません。」
もはや決まり文句となった台詞で会話を始めた。
神田の事件を調べていることを伝えると、不安そうな表情を見せたものの
自分にも協力できることがあればと言い、二人を部屋の中へと入れてくれた。
ソファに座った二人の前にミネラルウォーターの入ったコップが置かれた。
「水しか無いんですけど良かったら。」
「ありがとうーアンジュちゃん。」
早瀬は満面の笑みをアンジュに向けると、早速コップに手を伸ばし喉を潤した。
シェリンも一口飲んだ後でスマホをアンジュへと見せた。
例の文を見たアンジュの顔は見る見る内に真っ青になっていくのが分かった。
「...
確かにアンジュはそう呟いた。
それは本当に小さい声だった。目の前にいる二人に向けた言葉ではないように思えた。
「『
早瀬は微かに聞こえてきたアンジュの言葉に首を傾げていた。
「あっ! 何でもないんです。気にしないで下さい。」
アンジュは顔の前で手をバタつかせながら、その場を何とか取り繕うとしていた。
「そ、そう言えば22:40ぐらいだったかな。部屋を出た時に三枝さんと会いましたよ。」
「あ。それアッキーナも言ってたわ。なんや慌てて出てきたって。」
早瀬が自分の話題に乗ってくれて安心したのかアンジュの声は少し大きくなった気がした。
「そーなんですよ。直前まで食堂車で一人でデザートプレートを食べてたんですけど、
席にスマホを置き忘れちゃって慌てて戻ったんですよ。」
「そう言うことだったんですか。ちなみに廊下に飛び出して三枝さんと会った時に
神田さんの姿は見ましたか? 」
シェリンの質問にアンジュは、しばし考え込むように左上の虚空を眺めていた。
「いやー...見てないかな? 私も慌ててたから、ちゃんとは見てないんですけど
神田さんは見てませんね。」
「スマホは無事やったん? 」
「はい。自分が座ってた席に置いてありました。部屋に戻ったのは十分後ぐらいだったかな?
部屋に入る前に三枝さんと少し話したのは覚えてる。」
「自分が座っていた席にスマホを取りに行っただけにしては時間がかかりましたね。」
「それは二号車の廊下の車窓から景色が綺麗だったからぼーっと眺めてたからかな。」
慌てたり胡麻化すような素振りも見せず、アンジュはただ照れくさそうに笑っていた。
アンジュにお礼を述べてから部屋を出た二人は廊下で次の行き先について話し合っていた。
「次はどないしよっか。」
「そうですね。気になることと言えば『赤いロングコート』ですよね。」
「ああ。シェリンも見たんやろ? 」
そう。あれは23:20ぐらいのことだった。
一号車と先頭車両の間にある自動販売機にお菓子などを買いに行った帰りのことだった。
丁度自分の部屋の前辺りで三枝が廊下の先を見つめながら固まっていた。
その三枝の視線の先にいたのが問題の人物『赤いロングコート』だ。
シェリンが目撃した時にはその人物の傍にはちひろの姿も確認出来た。
ロングコートは何事も無かったかのように二号車の方へと姿を消した。
「ええ。ですが本当に見たってだけなんですよね。フードを被っていましたし、
男か女なのかも分からなかったですね。」
そんな話をしていると近くの部屋のドアが開き、中からちひろが出てきた。
「うお。何してんの二人とも。」
ちひろは驚いた顔で二人を見上げていた。
「あら。ちひろさんナイスタイミングですね。」
「ん? なにがー? お菓子補充しに行きたいから手短にねー。」
どうやらお菓子の『
シェリンは『草賀』の事も聞いてみたかったのだが、今までの人の反応を考慮すると
何か新しい情報が得られるという可能性が低いことは明白だった。
あまり長く話を聞けるような雰囲気でもなさそうだったので、今回は敢えて話題を
一本に絞ることにしてみた。
「実は聞きたいことがあるんです。23:20ぐたいだったと思うんですが、
その時間に部屋の前で赤いロングコートを着た人間を見ませんでしたか? 」
「あー。見た見た。あのあからさまに怪しいヤカラね。確かガンディとアッキーナも
居なかったっけ? 」
「そうです。私も居たんですけど私たち側からだと、そいつの背中しか見えなくて...。
もしかしたら真横に立ってたちひろさんなら顔が見えたんじゃないかって思いましてね。」
ちひろは「うーん」と唸りながら顎に手を当て、やや右上の廊下の天井を見上げていた
「フードを被ってたし、廊下も暗かったからちひろも見えなかったかな。立ち止まらずに
すたすた歩いて行っちゃったしさ。えっ? もしかして、あの赤い奴が犯人なのー!? 」
最初は自信無さ気な小さな声で話していたちひろだったが、最後の「犯人なのー」の辺りでは
興奮からなのか結構なボリュームの声量になっていた。
「いやいや。まだわかりません。三枝さんの話が本当なら赤いロングコートが神田さんと
最後に会った人物の可能性が高いというだけですよ。」
「それってもう超絶怪しい容疑者じゃんか。」
「それな。」
ちひろに同調した早瀬の言葉を聞き、二人は何故だか楽しそうに笑い合っていた。
「まぁ。程々に頑張ってよ。ちひろは一旦お菓子を買いに行って参りますので。」
そう言うと、ちひろは二人に向かいペコリとお辞儀をすると自動販売機の方へと向かっていった。
「あの紙が無ければ赤いロングコートが犯人で決まりなんやろうけどなー。」
そう。早瀬の言う通りだ。
三枝の証言と状況から考えれば、犯人確定とまでは行かないまでも赤いロングコートは
第一容疑者であることは間違いなかった。
だが、メンバーしか知らないであろう名前の書かれた例の紙の存在が状況を複雑にしているのは
間違いなかった。
「まぁ...でもよく考えたら赤いロングコートの行方も重要だもんな。中尾さんに言って
列車関係者の人で見た人が居ないか確認してもらうか...。」
「そやね。それがええと思う。それなら私が中尾さんとこ行ってくるわ。
シェリンはこのまま続けといて! 」
早瀬は満面の笑みでシェリンに手を振ると、シェリンの返事を待つこと無く
そのまま先頭車両の方へと走って行ってしまった。