早瀬の後ろ姿を見送ったシェリンは証言確認の続きを始めることにした。
取り敢えず一号車内で残っていたのは三号室のリゼと七号室の剣持だった。
シェリンにはどうしても気になっている事があり、先に剣持の元へと向かうことに決めた。
七号室のドアをノックすると「はい」と短い返事と共に中から剣持が出てきた。
「誰かと思えばシェリンさんじゃないですか。どうしましたか? 」
「実は少しお伺いしたいことがありまして。」
それ以上のことは何も聞かずに剣持はシェリンを室内へと招き入れたのだった。
他のメンバーの時と同じ様に窓際のソファへと二人は座っていた。
今までと違ったことと言えば、シェリンの隣に座っていた
ソファが幾分広く感じるということだけだった。
「それで睡眠時間を割いてまで聞きたい事ってのは何でしょう? 」
「実は二点ほどありまして、まずは私と食堂車で別れた後の事をお聞きしたいんですよ。」
少し皮肉の効いた剣持の言葉を受け流したシェリンは笑顔で尋ねた。
「もしかしてアリバイってやつですか? ちょっとワクワクしちゃいますね。
僕はそうだな...シェリンさんと食堂車で別れた後はそのまま部屋に戻りましたよ。
三枝くんが見ていたと思うけどね。部屋に戻ってからは、ずっと部屋の中で
本を読んでいたかな? 」
「ずっとですか? 一度も部屋を出ずに? 」
「ああ。ずっとだね。23:30ぐらいだったかな。飲み物を買いに行こうと思って部屋を出た時に
三枝くんとまた目が合った直後に手を叩くような大きな音が二回聞こえて来たって感じかな? 」
「部屋で本を読んでいる間に何か変わった声や物音とか聞こえてきませんでしたか? 」
シェリンの質問に剣持は真上の天井を見上げながら記憶を振り返っているようだった。
「んー...静かな夜だったと思うよ。読書中に聞こえてきた音を強いてあげるなら、
ようやく耳に馴染んできた列車の走行音ぐらいかなー。」
「なるほど。ではもう一つ。剣持さんには聞いておかなければならないことがあります。」
剣持は何も言わずにシェリンの次の一言をじっと待っていた。
「草賀ティアリスについてです。」
シェリンの口から出てきた言葉を聞いても剣持は動揺したり、驚いたりということはなかった。
どうやら剣持にはシェリンが自分を訪ねてきた時点で、ある程度の予測が出来ていたようだ。
「神田さんの事件が起こる前に貴方は僕を呼び出してまで、その名前を教えてくれた。
そして、本当に事件に関係性があった。何故、僕に事前に教えてくれたのか。
草賀ティアリスとは何者なのか。僕はそれが知りたいんです。」
剣持がシェリンから視線を外し、車窓へと目を向けた。
相も変わらず真っ暗な車窓には室内の様子が反射しており、二人が向かい合って座っている姿が
映っていた。
剣持はそのまま無言だったが徐に立ち上がり、化粧台の上に放置されていた一枚の封筒を
手に取った。
それは紛れもなくグウェルからメンバーに配られた封筒だった。
剣持はソファへと戻ってくると、封筒の中から一枚の紙を取り出し二人の間にあった
ローテーブルの上に置いた。
『21:00になったらシェリンと食堂車に行き、「草賀ティアリス」が事件に関係していると
彼に伝えること。出来れば二人っきりの状態で伝えるように』
「と言う訳です。僕も
シェリンさんに伝えたと言うまでのことですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。」
シェリンはテーブルに置かれた紙を手に取った。
確かに自分が貰ったものと紙質だったり、パソコンで印刷されたであろう文字の字体や
サイズだったりを比較すると同じものであることは間違いなさそうだった。
「僕は存じ上げない方なんですが、皆さんこの名前を聞くと揃って口を噤んでしまいます。
一体この人物は何者なんですか? 」
再び剣持は列車の外へと目を向けていた。
やはり、今回も今まで同様に草賀についての新たな情報は得られないのだろうか。
シェリンが半ば諦めかけた時だった。
剣持はテーブルの上に置いてあったスマホを手に取ると、何度かフリック操作をした後で
再びテーブルの上に置いた。
剣持のスマホに映し出されていたのは笑顔を浮かべる少女の写真だった。
薄く細い眉毛の下には背景に広がる空のように青い大きな瞳が印象的だ。
十代前半ぐらいだろうか。真っ白いワンピースからは洋服に負けない程に白い肌が露出していた。
風に靡くプラチナブロンドのロングヘアーが太陽の日差しを反射してキラキラと輝いている。
とても愛くるしく、写真からでも人を惹き付ける不思議な雰囲気のある少女だったが、
シェリンには全く見覚えのない人物なのだった。
「彼女が『草賀ティアリス』です。僕たちにとって
赤いロングコートは二人の人物によって目撃されていた。
まず一人目の人物は二号車に常駐していた黒髪で眼鏡をかけた二十代後半ほどの男性乗務員だ。
彼も二号車の食堂車側の廊下の端の椅子に常駐して、二号車の利用客からの仕事を受けていた。
この寝台特急『千歳』では、一号車と二号車でのみサービスとして特別に配置されていた。
その二号車を担当していた乗務員の証言よれば、23:20過ぎぐらいに一号車側から姿を現した
その人物は途中で立ち止まることなく一直線に食堂車へと消えて行ったという。
乗務員もインパクトのある恰好だったために印象に強く残っていたのだが、
顔までは確認できなかったということだ。
二人目は食堂車で配膳を担当していたポニーテールの二十代前半ほどの女性乗務員だ。
彼女がは同じく23:25ぐらいに二号車側から現れた人物を目撃していた。
二号車の時と同様に食堂車を利用することなく、テーブルの間を突っ切って三号車へと
姿を消したという。
普通、食堂車に現れる客というと自分がやって来た側に戻ることがほとんどだった。
つまり、二号車から来た客は食事を済ませると二号車へと帰る。
殆どの客がその流れだったので、食堂車を利用せずに突っ切る客というとのが
珍しく彼女も覚えていたようだった。
しかし、それより先の三号車では常駐している乗務員も居らず、ぱったりと目撃証言は
ここで途絶えていた。
早瀬の要望を聞いた中尾が乗務員から情報を集めてくれた結果だったのだが、
赤いロングコートの正体や行方は掴めなかった。
先頭車両の乗務員室で話を聞いていた早瀬が少し肩を落としながら一号車へ戻っている途中、
一号車の廊下をこちらに向かって歩いて来るグウェルと出会った。
「お? グウェルやん。こんなとこで何してるん? 」
「これはこれは早瀬殿じゃないですか。お恥ずかしながら寝れなくなってしまい、
散歩がてらに車内の見学をしてまして。」
「と言いながら、実はグウェルが犯人だったりして。」
それを聞いたグウェルは両手を広げながらニッコリと微笑んだ。
「残念ながら、わたくしは神田殿が発見される直前に三枝殿に頼まれてミネラルウォーターを
食堂車から運んでますから、神殿の部屋に入る事なんて出来ませんよ。
しかも、三枝殿に頼み事をされたのも
出来ませんよ。」
確かにグウェルの言う通りだった。リゼがミネラルウォーターを頼んだことも、
その依頼をグウェルに投げたことも偶然そうなっただけのことだった。
「それもそうやな。アッキーナもグウェルが瓶を落として大変だったって言ってたわ。」
「それは...是非とも内密にお願いします。」
犯人と疑われても全く動じなかったグウェルだったが、己の密かな失態を言及されて狼狽える姿に
早瀬は込み上げて来る笑いを堪える事が出来なかった。