死神は一本の蝋燭を指しながらそう言った。
「え? 」
「お前の寿命だよ。」
「だ、だってこれ、今にも消えそうじゃないか。」
その蝋燭は随分と短くなっており、今すぐにでも消えてしまいそうだった。
「消えそうだな。消えた途端に命はない。もうじき死ぬよ。」
「お、脅そうたってダメだよ。だってお前さん初めて会った時にお前には
まだ寿命があるって、そう言ったじゃないか。」
「俺は嘘はつかねぇ。」
「だってほら、い、今にも消えそうだよ。」
頼りない蝋燭の灯は二人の会話の吐息ですら消えてしまいそうに、
ゆらりゆらりと男を弄ぶように揺らめいていた。
「お前の本来の寿命はこっちにある。この半分より長く威勢良く燃えているのが
お前の寿命だ。それなのに、お前は金に目が眩んで寿命を取っ替えたんだ。」
そう言いながら死神が目を細める。
「フフフ。可哀想に。お前もうじき死ぬよ。」
「そ、そんな事知らなかったんだよ。なぁ、金は全部お前さんに上げるからさ、
寿命を元に戻しとくれよ。」
死神は楽しそうに笑っている。
「もうダメだ。」
「そんな事言わねえでさ、なぁ頼むよ死神さん。死神様。しーさん。」
「何がしーさんだ。いっぺん取り替えちまったものは二度と元には戻せねえ。死にな。」
-古典落語『死神』より-
それぞれの証言をまとめてみたり、情報の再整理をしていたシェリンが深い眠りに
つけるはずもなく、彼が目が覚ましたのは朝五時過ぎのことだった。
ベッドに入り目を瞑ってから、まだ三時間程しか経っていなかった。
大きな車窓を覆うロールカーテンを上げてみると、そこには何とも爽やかな景色が広がっていた。
列車は山間を通過している途中のようで、朝の光に照らされた山々の緑たちがシェリンの目を
悪戯に刺激していた。
朝食の予定時刻は八時だったはずだ。まだ三時間ぐらいは間があったのだが、もう一度眠ろうにも
直ぐに寝付ける自信も無かったシェリンは、気分をリセットするために顔を洗うことにした。
幾分か気分も思考もスッキリしたシェリンは何の気なしに部屋を出てみた。
廊下に出てみると、そこにはある人物が車窓からぼんやりと外を眺めるようにして佇んでいた。
それはリゼだった。
リゼはシェリンが部屋から出てきた事には、まだ気付いていないようだ。
「おはようございます。随分と早起きなんですね。」
シェリンは優しく声を駆けたつもりだったのだが、それで彼女は驚いたようで肩がビクンと大きく
跳ねたのが分かった。
「うわっ! ってシェリンさんか...ビックリしたー。」
「す、すいません。驚かすつもりは無かったんです。」
狼狽えるシェリンの姿にリゼの驚きの表情は、忽ち笑顔へと変わっていった。
「私こそすいません。まさか起きてる人が居るなんて思わなくて。」
「僕もですよ。昨日はゆっくり休めました? 体調を崩されてたらしいですね。」
「ええ。少し頭痛が酷くて...。昨日の夜は何だか外が騒がしくて中々眠れなくて
大変でしたよー。話し声が聞こえてきたり、瓶の割れるような音だったり...。」
昨晩の喧騒思い出してなのか、それとも神田の事を思い出してなのかは分からなかったが、
リゼば目頭を指で押さえながら短くため息をついていた。
「それで三枝さんに水を頼んだんですね。」
「知ってたんですね。個人的にはあんまり薬には頼りたくなかったんだけど、痛みに耐えかねて
薬を飲もうとしたら水を切らしちゃってることに気が付いて...。自分で取りに行こうととも
思ったんですけど、結局辛くて最後は三枝さんに甘えちゃいました。」
「三枝さんから伺ってました。覚えてたらでいいんですけど、三枝さんに水の件を頼んだのって
何時くらいのことだったか覚えてますか? 」
リゼは目を瞑り首を傾げながら昨日の事を思い出していた。
「うーん。正直正確な時間は覚えてないんですけど、二十三時過ぎだったかな。うん。
それぐらいだったはず。ミネラルウォーターが届いた直後に神田さんが見つかったから。
そう言えば...三枝さんが部屋に来る直前に
聞こえてきた気がします。」
「えっ? それは本当ですか! 会話の内容とか相手って分ったりしますか。」
突然思っても見ないところから重要な証言が飛び込んできた。
リゼの部屋に三枝がミネラルウォーターを届けたのが二十三時三十分頃のことだったはずだ。
その時間に神田が生きていたとなると、あの手を叩くような音がしたタイミングで
神田は亡くなっている事になる。
しかも、リゼが誰かと話しているような声を聞いているとなれば、部屋の中には
居たということになる。
「ごめんなさい。その時はあんまり気にしてもいなかったし、無理に内容を聞こうとも
思っていたなかったから相手や内容までは...。」
リゼの言っていることも当然である。この数分後に相手が亡くなることが分かってでも
いなければ隣人の会話に態々聞き耳を立てようとは思わないだろう。
「ですよね。病み上がりなのに長々とすいませんでした。大変参考になりました。」
「もう元気になったんで大丈夫ですよ。じゃあ。また朝食の時に。」
窓から差し込む光の中でニッコリと微笑んで会釈をすると、彼女は三号室の中へと戻って行った。
「あー。シェリンさーん。おはよー。」
まるで、どこかで待機していたかのようにタイミング良く現れたのは星川だった。
星川は笑顔で二号車側からシェリンの元へと向かって来ていた。
「おや、星川さんじゃないですか。勝手なイメージですが、夜型のタイプだと思っていました。」
「いつもは夜型なんだけど、流石に眠れなくてさー。」
そういう所も意外だな。とも思ったのだが、シェリンは慌ててその言葉を飲み込んだ。
ともあれ、この遭遇はシェリンにとっては喜ばしい出来事だった。
昨日リゼ以外に話を聞けていなかった星川にも話を聞いておきたいと思っていたところだった。
「いきなりこんな事を聞いて申し訳ないんですが、昨日の事を少し聞かせて頂きたいんです。」
「昨日? 」
「ええ。僕と二号車で出会った時に星川さんは一号車からやって来たと思うんですけど、
どこに行っていたのかなと思いまして。」
「ああ。あの時のことですか? あれは本間先輩の部屋に遊びに行ってたんですよ。
一号車のロイヤルルームも見てみたかったんですよー。」
星川は何かを隠すような素振りの見せずに少し照れくさそうに笑っていた。
「なるほど。それからはずっと部屋の中に? その間に何か聞いたり見たりしました? 」
「うん。部屋の中でスマホいじったりしてたかな。聞いたり見たりって言われたら、
なんか途中で瓶が割れるような音が聞こえたかな。部屋から出れなかったから顔だけ廊下に
出して見たら、急いで食堂車の方に走って行くグウェルっぽい人は見たよ。」
星川のその証言は三枝などが先に証言していた内容とも合致していて、
実際に部屋からグウェルの姿を見たというのは間違いなさそうだった。
「じゃあ。私は自販機に行くから。また後でねー。」
そう言うと星川は笑顔で手を振りながら去って行った。
シェリンも「ええ。また。」と彼女の背中に返事をした。
彼女が見えなくなってから、部屋に戻ったシェリンは大の字になって大きなベッドに飛び込んだ。
これで一応は全員の証言を得ることが出来た。
昨晩も考えてみたのだが、全員の証言がしっかり噛み合っていて隙がなかった。
だが、リゼの証言で一つ分かったことがあった。
それは赤いロングコートなる謎の人物が草賀ティアリスの亡霊でもなければ、死神でもなく
犯人が用意したであろう
リゼが『神田と誰かが話す声』を聞いたのは赤いロングコートが神田の部屋から出てきたのを
目撃された後のことだった。
つまり、赤いロングコートが部屋を出た時には『
そうなれば赤いロングコートが舞台に現れた理由で考えられることは多くはなかった。
『目撃されたかった』或いは『草賀ティアリスかもしれないと思って欲しかった』と
言ったところだろうか。
だから車内でコートを羽織り、しかも赤と言う目立つ色を選んだのだろう。
草賀ティアリスという人物
事件前の神田の不可解な言動
赤いロングコートを偽装出来た人物
それぞれの証言内容
全てを踏まえると、ある一つの可能性がシェリンの頭の中に浮かんで来ていた。
「まさか...そんな事ってあり得るのだろうか...。」
それを確認するためにもシェリンは、もう一度神田の部屋である二号室に入る必要があった。
シェリンが時計を確認すると時刻は間もなく六時になろうかと言うところだった。
まだ朝食の時間までは余裕があった。
シェリンは意を決してベッドから飛ぶ起きると中尾へ会うべく部屋を飛び出した。