「寝台特急『千歳』の運営会社で間違いないですか? 」
電話の向こうの人物の声は機械で変えられているような不気味な声だった。
「はい。左様で御座います。」
電話を取った事務員の女性は臆することなく冷静に対応していた。
「では、列車運行の責任者に変わって下さい。とても重要な伝言があります。」
「申し訳御座いません。責任者の方が席を外しておりまして、代わりにわたくしが
お伺いいたします。」
と言ったものの責任者はデスクで仕事をしているのだが、電話対応の社内ルールに則り、
事務員は対応を続けていた。
「...貴女は人命に対する責任が取れますか? 」
「はい? 」
「貴女は列車の乗客の命の責任を取れますか? もし、取れるというならお話します。」
予想外の言葉に流石の事務員も次の言葉が出て来なかった。
機械で変えられた声に突拍子もない会話。
これ以上は自分の範疇では無いと判断し、彼女は電話を保留にすると上長へと相談した。
そして、彼女は最後まで自分の仕事を全うしたところで舞台から姿を消した。
三枝とシェリンは神田の安否を確認するべく急いで駆け寄った。
「どないしたん? 二人とも。」
まだ神田の現状を把握できない位置に立っていたひまわりが不思議そうな顔で
ソファへと近付いて来た。
「ダメだ! ひまちゃん! 」
異様な空気に包まれた二号室内に三枝の叫びにも似た声が響いた。
その突然の声に女性陣のみならず、剣持も驚いたような顔で三枝を見つめていた。
「な、何かあったんですか...三枝さん。」
リゼのか細い腕をしっかりと握りしめながら、リゼに身を寄せているアンジュの声は
少し震えていた。
「断言はできませんが...神田さんが亡くなっています。」
「嘘...でしょ...。」
思ってもみなかったシェリンの言葉にリゼはそう返すのがやっとだった。
「急に大きな声出しちゃって申し訳なかったけど、女性陣は見ない方が良いと思う。
だから、剣持さん以外は一旦部屋の外に出てもらって、列車の関係者の方と二号車のメンバーを
呼んできてもらえると助かります。」
「わかった。行こ。」そう一言呟くように答えたのはひまわりだった。
ひまわりはリゼとアンジュ、それにちひろを残して先に部屋を出て行った。
その後を追随するようにちひろも何も言わずに部屋の外へと向かって歩き出した。
少し遅れてリゼも部屋を出ようとアンジュに小声で呼びかけていたのだが、
アンジュはソファ付近のどこか一点を見つめたまま固まっており、
リゼの言葉も彼女の耳には届いていないようだった。
「アンジュ? 」
少し声のボリュームを上げつつ、リゼはアンジュの服の袖を引っ張っていた。
「えっ。あっ。ごめん...行こっか。」
心配そうに顔を覗き込んでいるリゼの存在に気が付いたようで、アンジュは扉に向かって一歩を
踏み出そうとした。
しかし、急に動き出したからなのか、歩き出してすぐにふらりとよろめくと崩れるようにして
床に座り込んでしまった。
「大丈夫!? 」
一番近くで見ていたリゼが手を貸そうと近付いたのだが、アンジュはすぐに自力で立ち上がった。
「ごめんごめん。ちょっとくらっと来ただけだから平気平気。」
突然仲間を失ったのだから、人一倍優しさを持ち合わせていた彼女がショックを受けるのも
無理はないだろう。
心配そうに見つめる四人の方を振り返ると彼女はニッコリと微笑んで見せた。
彼女の微笑みは誰に向けられたものだったのかは分からなかったが、シェリンには微笑んでいる
彼女の表情が、なぜだか悲しんでいるかのようにも見えていた。
四人が完全に部屋を出たのを確認してから、シェリンと三枝は神田の呼吸の有無や手や首で
脈を確認してみたが、やはりと言うべきか神田は既に死んでいた。
「二人とも...それ。」
ソファから少し離れた場所で二人の様子を見ていた剣持が何かを見つけたようで、
神田の体を調べていたシェリンと三枝に声を掛けた。
「どうしました? 」
「ソファの前にあるテーブルの上...。」
剣持が指差したのはソファの前に置かれているローテーブルだった。
そのテーブルに上には飲みかけの何かが入ったグラスと一枚の紙が置いてあった。
テーブルの上にある物には触れないようにしながら、三人は上からそれを覗き込んでみた。
『手を叩こうとも、呪文を唱えようとも、私は消せぬ。列車より先に彷徨える魂と真実を
終点まで導け。 草賀ティアリス』
A4の真っ白な紙には横書きの赤い文字でハッキリとそう書かれていた。
必要上のものは触らぬようにして、三人は部屋を出た。
神田の生死を確認出来れば、素人である自分たちが現場を荒らすわけにはいかなかった。
勿論テーブルの上にあった例の紙もそのまま置きっぱなしにしてあった。
ただ、剣持からの助言もあってシェリンのスマホで文面などは撮影済みだった。
外に出てみると二号車に居たであろう残りのメンバーと制服を着た男が部屋の前に立っていた。
「あ。お三方。お疲れ様です。神田さんの件は...。」
最初に部屋から出てきた三人に話しかけてきたのはグウェルだった。
「ええ。残念ながら亡くなっています。」
「ほ、本当で御座いますか? 」
後ろで待機していたメンバーよりも早く、そして大きな声を上げたのは制服の男だった。
「あ。こちらはこの列車の運行責任者の方です。」
グウェルが紹介すると、男は被っていた制服の帽子を取ると三人に向かって一礼をした。
「これは失礼しました。わたくし責任者の
中尾名乗ったその人物は四十代程の男性だった。
身長は185センチあるグウェルと並んでも変わらない程の大柄で顔も角ばっており、
一見すると堅気ではないにではと思ってしまいそうな迫力の持ち主であった。
「こんなことになってしまい大変申し訳ないのですが、二号室の中で我々の仲間の一人が
亡くなっています。断定は出来ませんが殺人の可能性もありますので、列車を最寄りの駅で
止めて警察を呼んで頂けないでしょうか。」
シェリンがスマホで撮影した写真を数枚見せながら中尾へと状況の説明をし始めた。
すぐ近くに立っていたグウェルもスマホを覗き込むようにして写真をさり気なく確認していた。
「かしこまりました。ですが、わたくしの一存では決めることはできませんので、
一度本部に確認を取ってまいります。こちらで少々お待ち下さい。」
中尾は再び一礼すると、足早に先頭車両の方へと姿を消した。
中尾が姿を消してから五分ほどが経っただろうか。
何を話し出していいのか分からずにただただ沈黙の時間が流れていたのだが、
一人の男が沈黙を打ち破った。それはグウェルであった。
「シェリンさん。神田さんが殺されたとして、わたくしたちと関係があるんでしょうか?
もしかしたら、通り魔的な犯行かもしれないじゃないですか。」
「そうだと良いんだけどな...。」
剣持の言葉に首を傾げるグウェルにシェリンが中尾には伏せていた写真を見せた。
それはあの紙の写真だった。
写真を見たグウェルは何も言わずにサングラスのブリッジ部分を指で持ち上げながら、
短い溜息を漏らした。
「なるほどですね...これは疑いの余地ナシというやつですかね。」
「はい...残念ながら。ですよね。剣持さん。」
シェリンはいつかの食堂車での剣持の言葉を思い出していた。
真面目な顔で問いかけるシェリンに剣持は何も言わずにただ笑顔を返すだけなのだった。
「あのー...。」
申し訳なさそうに言葉をかけてきたのは中尾であった。
体の大きさの割には存在感が薄いのか、戻って来ていたことに気付かなかった。
「あ...お疲れ様です。警察はどれくらいで到着しそうですか? 」
グウェルの何でもない質問に対して、なぜだが中尾は頗る困惑していた。
「あのですね...警察は...来ません。」
「は? 」
予想外の答えに三枝から素の声が漏れ出した。
「列車も停車致しません。」
「ど、どういう事なんですか? 」
比較的いつも冷静なグウェルの顔色からも焦燥の色が滲み出ているようだった。
「先ほど本部に連絡を取りましたら、どうやら本部宛に脅迫電話があったようでして...
それが原因でお客様の安全を考慮して列車を止めてはならないと指示が出ております。
その脅迫の件もあって終点の福岡駅には警察が待機してくれているそうなのですが...。」
「それでは...あと約十時間は列車に誰かが入ることも、出ることも出来ないと。」
シェリンの言葉を聞いた中尾はハンカチで額の汗を拭ってから話を続けた。
「仰る通りです。停車出来ない理由はお客様の安全と混乱を防止するために言えないのですが、
『千歳』はこのまま福岡までノンストップで運行致します。ですので、二号室は福岡まで
立入禁止にして、皆様に於きましてもご利用中の客室内で待機して頂くことになります。」
中尾のその言葉に否が応でもメンバーの緊張と不安は高まっていった。
ガタンゴトンという列車の走行音だけは動じること無く一定のリズムを刻み続けていた。
どうやら知らず知らずの内に全員が死神が周到に準備していた寄席の中に
囚われてしまっていたようだ。
「お待たせしまして申し訳御座いません。お電話変わりました。」
「貴方が責任者の方ですか。」
「左様で御座います。お話をお伺いしたのですが、『千歳』の乗客の人命に関わる
ことだとかで...。」
上司の男も相手の声に違和感を抱いたのだが、相手を余計に刺激しないように
冷静に対応していた。
「先ほど東京を出発した福岡行きの列車。18:05発で9:58着の便です。
その列車内に爆弾を仕掛けました。万が一、途中の駅や線路上などで停車した場合は
爆弾を起爆させます。それを防ぎたければ終点の福岡までノンストップで走り続けて下さい。
そうすれば爆破はしません。乗客の人命を守りたければ、何があっても列車を終点まで
止めないで下さい。」
そこで電話は切れてしまった。
責任者の男はどうせ性質の悪い悪戯だろうと思い、何もせずに仕事に戻ろうとした時だった。
大きな爆発音がオフィスに響いた。
オフィス内に悲鳴と騒めきが充満して行く中で、再び電話が鳴り始めた。
責任者の男は慌てて受話器を取った。
「今のはデモンストレーションです。御社の近くで小型の同じ形態の爆弾を起爆させました。
列車に仕掛けたものは今の数倍大きなものですのでお忘れなく。」
「お前...本気なのか? 何が目的なんだ。」
「もう一度だけ言います。乗客と会社を守りたければ『千歳』を終点まで絶対に
止めないで下さい。」