とある幻想の夢想天生 作:大嶽丸
油断したつもりはなかった。
しかし、今こうして己が身を投じている状況は完全に予期せぬものであったと認めざるを得ないと、霊夢は荒く息を切らしながら悪態を吐く。
そこにいつもの余裕は無し。あの天衣無縫の巫女が絶望的なまでに追い詰められているその光景は、知る者が見れば目を剥くことだろう。
「ッ──」
鎌鼬のような、不可視の斬撃が身を襲う。四方八方から万物をすり抜け、ただ人体のみをバラバラに切り裂かんと迫り来るそれらを霊夢は悲鳴をあげる身体に鞭を打ち、持ち前の直感で潜り抜けていく。
──が、次の瞬間。頭上が明るくなり、身を焦がすような高熱がじりじりと肌に伝わる。
「!」
太陽が如き灼熱がそこにはあった。燃え盛る豪炎が広範囲に広がって降り注ぎ、霊夢を焼き尽くさんと呑み込んだ。
その身を焼く前に、霊夢は光弾により炎を遠ざけながら周囲に結界を展開。高く飛び上がって範囲外へと逃れようも試みる。
「チィッ……次は何っ!?」
そして、今度は耳元に響く唸り声と思わず顔をしかめてしまう悪臭、それから生温い吐息──気が付けば、霊夢は背後に存在していたナニカの大口の中に居た。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️────!!」
けたましい咆哮と共に、ばくんっとその大型トラックくらいな丸齧り出来そうな凶悪な大顎が閉じられる。
「きゃうっ!?」
──が、その大顎の主たる
「私を喰らおうっての? 良い度胸ね」
噛み付かれる寸前に瞬間移動することで回避した霊夢は怯んだそいつへと更なる光弾を叩き込んで行く。
すると左右から別の唸り声が聴こえる。視線を剥ければ今しがた自らを喰らわんとした獣とほぼ同じ貌をした獣の頭が二つ、霊夢へと襲い掛かる。よく見ればそれらの頭部は一つの身体と繋がっていた。
──三つ首の獣。
犬科動物の身体的特徴を多く持つその姿は、正しく言い伝えられる冥府の番犬と酷似しており、生者の魂を喰らわんと獰猛に暴れ狂う。
霊夢には見覚えがない。似たような奴を見たことがあるかもしれないが、だとしてもそれはきっと森かどこかで屍肉を食い漁る浅ましい野犬だろう。
「吠えるな、駄犬」
次の瞬間、三つの巨大な陰陽玉がそれぞれ獣の頭上へと落下する。
「きゃいんっ!?」
獣の頭がそのまま圧し潰されて絶命するのを一瞥もせずに霊夢は既にこちらへ降り注いでいる、豪勢な装飾が施された剣、鉾、戦輪、そして雷といった、神罰が如き破壊の豪雨へと視線を向ける。
それら全てが、そこらの魔術師が見れば度肝を抜く程の神器たる性能を誇っていた。
「つくづく、出鱈目ね」
満遍無く隙間を埋め尽くし、逃げ場を無くしたその攻撃から逃げることは不可能だと瞬時に理解した霊夢は大規模な結界を展開し、更に光弾を放って相殺して切り抜けんとする。
刹那、力と力がぶつかり合い、天変地異と錯覚する程の凄まじい衝撃が空間を揺らす。
「くっ……」
轟音が鳴り響く。どうにか攻撃を凌ぎ続ける霊夢だが、汗を滲ませ、明らかに疲弊困憊といった様子であった。
その隙を突くように、一本の“槍”が結界を貫いて彼女を穿つ為に飛来し──。
「ッ、そんな“偽物”なんかで……!」
舐めるな、と苛立ちと共に裏拳で弾き飛ばす。
在らぬ方角へと飛んでいく槍は、しかし弧を描いて再び霊夢の方へと戻って来ようとしていたが、その前に無数の光弾が炸裂し、跡形も無く粉砕される。
──そして、遂に霊夢はゆっくりと降下し、膝を突いてしまう。
「ハァ……ハァ……」
先程からこれの
殺意に満ちた、おぞましい“死”に纏わる攻撃の数々が絶え間無く続き、霊夢の体力を着実に削り取っていった。
これこそが、
斬撃はエジプト神話の冥府神オシリスに由来し、炎は日本神話の国生みの女神イザナミに由来し、三つ首の獣はギリシャ神話の冥王ハデスに由来し、鉾や戦輪といった武器の数々はインド神話の戦神ドゥルガーに由来し、槍は北欧神話の主神にして軍神オーディンに由来するもの。
いずれもが死、それが伴う戦争や殺戮、破壊に関連する神々であり、それらに纏わる逸話から紐解いて具現化した攻撃は、他ならぬ死の天使たる
ただ一人を、死に至らしめる為に。流石の霊夢もここまでの攻撃を絶え間無く続けられてしまえば、攻勢に回ることも出来ずに防戦一方に陥り、その肉体は既に限界に近い。
「ッ……涼しい顔して。心底ムカつくわね」
その有り様を、天使はただ見下ろす。
相変わらず人間味など欠片も無い無機質な貌。漸く開いたその朱い眼にも感情は感じられず、どこまでも凍てついていて空虚だった。
これに霊夢は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、如何にしてこの絶体絶命の状況を打開するかを逡巡する。
──まだ手が無い訳ではない。霊夢の切り札……“夢想天生”を用いればこの攻撃を無視し、サリエルの元へと辿り着くことが可能。
然れど、たとえサリエルに迫り、攻撃を当てたとして果たしてそれが決定打となるのか。あの死に纏わる術式は今のところ攻撃面でしか使用していないが、もしも防御面にも割り振ることが可能だとすれば、ただでさえ人外たる強靭な肉体に死の象徴を遠ざける絶対的な盾まで加わり、いよいよ霊夢では攻撃力が足りないことになってしまう。
それに、“夢想天生”はまだ
(……目には目を。奴が神の力を使うってんのなら、こちらも同じもので対抗するのがセオリー)
その手段を、霊夢は知っている。しかし、それが到底不可能な手段であるということも知っている。
この
(! ……いや、もしかしたら)
そこで霊夢は思い至る。
目の前で悠然と佇む超常存在を見据えながら、不可能と断じたその手段を実行出来る可能性が存在することに。
だが、本当に可能などうかは不明。単なる希望的観測に過ぎず、その場の思い付きで実行するにはあまりにも──。
「──もう終わりか。博麗霊夢」
するとサリエルが囁く。
底冷えするような声で、つまらなそうに、どうでもよさそうに、しかし慈悲深く、憐憫を込めて。
「であれば、眠れ。神の名の下に」
大鎌に呪いが込められる。万物の魂を狩り、命を奪い、永遠の眠りを与えし、透き通った殺意のみが内包する呪いが。
どこまでも殺戮と絶滅に特化した力。それは術式により精錬され、正真正銘の死の力に遜色無く“本物”を知る霊夢から見ても限り無く近付いていた。
「……四の五の言ってられないわね」
一か八か、やってみるしかあるまい。霊夢は顔をしかめ、静かに眼を閉ざした。
それを諦めと判断したのか、サリエルはその絶死なる刃を振り下ろし──。
ガブリエルは、天使である。
十字教における“神”の御使い。高次生命の一種で、高純度かつ膨大な“テレズマ”の塊。
神が自らの意思を伝える端末として創造した被造物であり、それ故に人格や自我を持たず、与えられた命令や目的を達成するためだけに行動する。謂わば書かれたプログラムの通りに動くだけのロボットに等しい存在だった。
暴走して命令を受け付けなくなった場合は堕天し、悪魔へと変異するが、それもまた混線等の不具合により発生したバグのようなものに過ぎず、自我を獲得する訳ではない。
それは、この世界において至極当然の理。十字教の唯一神が定めた絶対的なルールにしてシステムであり、かの者の被造物である限りこれを逸脱することは決して無い。
──その、はずった。
「yq混線nr──ッ!?」
ガブリエルは驚愕し、戸惑う。
自らの身に起きた出来事、それから今より感じる総ての事象に対して。
初めは、単なる“呼びかけ”だった。
祈り、或いは願いのような言の葉。どこからともなく自らを呼ぶその声は確かにガブリエルの耳へと届き、その瞬間から瞳に映る世界は目まぐるしく
──否、世界は何も変わっておらず、変わったのはガブリエル自身。
視界が変わる。
感覚が変わる。
肉体が変わる。
魂が、変わる。
違う、違う、違う──。何もかもが、つい先刻までの己とは違い過ぎた。
この驚くべき変容を前に己も
当然だろう。
それは堕天ではなく、昇華。決してバグなどではなく、アップグレード。
たとえ神の如き者であろうと、たとえ神の力であろうと……十字教において天使とは現世を容易に滅ぼせる絶大なる力を有しながらも御使いに過ぎず、被造物に過ぎず、決して“神”ではない。
信徒にとっても、大多数の魔術師にとっても至極当たり前の常識と言えよう。
だが、とある巫女は違った。
彼女にとって天使とは、神霊のようなもの。相応の力を有しているならばそれは神と然して変わらぬだろうと判断し、
自らの肉体へと
八百万の神々。日本古来の神道において自然現象や動植物、あらゆる森羅万象、更には身近な道具に至るまで
となると、神道においては被造物に過ぎないガブリエルもまた“神”と判定する条件を十分満たしており、だからこそ博麗霊夢にそう求められたことで彼、或いは彼女は認められたのだ。
天使から、神へと。それは決して創造主たる唯一神と同格へと至るという意味ではなく、あくまでも神道において無数に存在する有象無象の神々の中の一柱に過ぎない……のだが──。
「qh──何だ、この“力”は?」
ノイズ混じりの声が変化する。肉体から漲る
──神とは、“信仰”を糧にする存在である。
人々から集められた信仰が多ければ多いほど力が増し、逆に信仰が絶えれば存在を維持することすら危うくなる。強大な力を有しながらも人間に依存した存在だと言えよう。
であれば、ガブリエルはどうだろうか?
四大天使の一角。
水の象徴にして青を司る者。
月の守護者にして後方を加護する者。
常に神の左手に侍る者。
神の言葉を伝える者。つまりはメッセンジャーとしての役割を担うことが多く、特に有名なもので言えば、聖母マリアへ“神の子”の誕生を告げた受胎告知だろう。これは十字教美術の中で最も多く描かれた主題の一つだ。
またそういったメッセンジャーの象徴として通信や郵便の守護天使とされ、その立ち位置は十字教以外のアブラハムに由来する宗教の大半において重要なものであるという稀有な存在でもある。
このように人へ神の言葉を伝える役割だということは、ある意味では神よりも人と関わっている存在とも言え、信徒にとって最も身近な天使であるとも言えよう。
故に、多くの信徒から祈りを捧げられていた。最高位の天使として崇拝されていた。
それは正しく“信仰”であり、世界の約三人に一人とされる程の規模を占める十字教徒の大多数、またそれ以外の宗教においても信仰を集めるその総量、それにより獲得した神力は。
──唯一神を、遥かに上回る。
「問……ッ! 博麗霊夢、貴方がこれを──!?」
ガブリエルは何も知らず、しかし今の自分の力が創造主を凌駕していることは把握し、そしてその原因があの異教の巫女であることに気付く。
こちらへ干渉し、このような与えられたシステムから著しく外れさせるバグを発生させたことへ怒りが湧き、しかしすぐに霧散する。その理由は強大な力を獲たからでも創造主の支配から脱却したからでもなく──。
「……貴方は、私を“神”と、呼ぶのか」
呪縛を解かれ、意思が芽生え、魂へと刻まれ、漸く生まれ落ちたのだ。
感情とは、こうも刺激的なものだったのか。天使としては本来有り得ない“自我”を獲得したガブリエルは、己が如何に矮小な存在であったか、如何に神という視点は高次元なものなのかを認識する。
唯一神への叛意は無い。たとえ主を超越し、システムから脱却しようとも与えられた、神と人を繋ぐ
思っている、が……。
「
嗚呼。
世界とは、こんなにも美しかったのか。
指先一つで位相ごと破壊出来てしまうような力を獲て、然れど天使はかつては人が住まう箱庭としか認識していなかったその地の広大さを識る。
今はただ、この世のありとあらゆる全てを視て、感じ、識りたい──。
「……神の力、貴方の身に一体何が」
その変貌に神裂は瞠目し、しかし不思議と恐怖は無く、それどころか安らぎを覚える。
ふと、思い出す。思えば、無垢であった頃。その恐ろしさを知る前は、天使とはそのような存在であったと──。
「──マジか」
一方、跡形も無くなった上条宅の成れの果てにて。魔女はその力の発生源へと釘付けになったままぽつりとそう言葉を漏らす。
「えっと……なんか知らんが、ヤバいことになってます?」
傍らでは土御門が絶句し、上条は状況が分かっていないが、それでも何かとんでもない力が向こうにあることを感じ取り、冷や汗を掻く。
「ハ、ハハハ! こりゃ傑作だ霊夢! やっぱりお前って奴は最高だなぁオイ!」
すると魔女は興奮した様子で、さぞ愉快だと言わんばかりに笑う。
これをやってのけたのが誰かを理解し、このイレギュラーを前に黒幕気取りの連中がどのような反応をしているのかを想像しながら──。
「…………」
「これは、どう修正するつもりかね? アレイスター」
「……分からん。流石に予想外過ぎる」
窓のないビルでは。いつもと変わらずビーカー槽の中でプカプカと浮かぶ彼は頭を抱えたくなる。
十字教の裏をかく“黄金”の魔術師であり、尚且つ最高峰の実力を有する彼にとって十字教の天使とは取るに足らぬ存在のはずであったが、最高位の存在があろうことかその枠組みから外れ、昇華してしまった。
もはや天使ではなく、四大元素の歪みの影響下からも脱却されている。まだ十字教に属する存在なのかどうかすらも定かではなく、ただ分かるのはその力は正しく神格で脅威的であるということ。
忌々しき“魔神”共と比べても遜色無く、否、それどころか──。
『おお! 何という神気! このような神が顕現するとは■■殿の言う通り随分と良い“土壌”になっておるようじゃの!』
「ふふ、これはこれは……和洋折衷ということなのかしら? もし付喪神だとしたら傑作ね」
「ちっ……おい、どうするつもりだ?」
「さあ? 早急に退散してくれないと色々と困りますが……ふふっ、このまま世が再び神代へと回帰するのもまた面白そうでございません?」
対して、とあるバーで傍観する者達は、相変わらず酒を酌み交わしながら野次馬の如く事態を見物する。
その他にも十字教、各地の魔術結社、その他諸々、etc、etc……多くの勢力が
──もはや御使堕しどころではない、世界全体を震撼させる大異変である。
「いざ、往かん──」
そして、ここでガブリエルは神へと至って初めての行動を開始する。
目的は、ただ一つ。
──事の始まりである“呼びかけ”へと応える為に。
堕ちたる神殿が、揺れる。
震動は伝搬し、空間が、魔界そのものが悲鳴をあげているかのようだった。
「────」
サリエルの動きが止まる。
振り下ろした鎌が、絶死なる刃が砕け散った。その衝撃で上体が仰け反り、後退りしてしまう。
今まで人間味など微塵も感じなかった死神の顔が変化する。彼、或いは彼女は目の前で起きた事象に対して確かに瞠目していた。
「──成功ね」
対して、霊夢は微笑む。
“神降ろし”。神憑りとも云う、神仏をその身へと憑依させる儀式。八百万の代弁者たる霊夢が有する業の一つであり、またそれはただ声を聞いたりするだけでなく、その力を行使することも出来るため切り札の一つでもあった。
少なくともこの地においては試したこともなく、出来るとも思っていなかったが、土壇場でやってのけた。
呼び寄せたのは──。
「あら……分霊じゃなくて、直接来てくれたの?」
虚空へと、正確にはその身に宿す神性へと問いかける。
神道の神は、他の御神体に分け与えた神力は本体と同じ強さを持つし、本体の力は弱まらないという性質があり、そのためこういった“降霊”に際しては基本的に分け身である分霊を送られることが多い、というかまず間違いなくそうであるため 本体が直接降霊してくるのは意外だった。
「ああ、知らなかったのね。次からは分霊で大丈夫よ、強さは特に変わらないし……にしても、こんなに沢山の信仰を持っていたのね、あなた」
大天使としての信仰。それが純粋な力へと変換されて肌身へと伝わってくる。
今ならば、あの月の姉妹相手にも勝てそうだ。
「──ありがとう。応えてくれて」
感謝を述べる。駄目元の試みであり、在るべき場所へ帰りたいだけの存在に対して自分の都合で呼びかけ、その力を借りようとしたことについて霊夢は申し訳無く思っていた。
対して、返されるのは同じく感謝。これに霊夢は首を傾げるも進んで力になってくれるのは万々歳なので機嫌を損ねておらずホッと胸を撫で下ろす。
こうして、力を貸してくれている以上、巫女としても敬意を表しなければならない。
「──おまえは、なんだ?」
サリエルが問う。
何かが、変わった。眼前でこちらを見据えるのは、博麗霊夢ではない。
少なくともサリエルの視点ではそうであり、けれども同時に此処に存在しているのは紛れも無く博麗霊夢であると言わざるを得ない。
最初の問いかけと同じであり、しかしそれとは違って明らかな困惑が込められたそれに霊夢は思わず笑ってしまう。
漸く、化けの皮が剥がれたと。
「言ったでしょ? ただの人間の巫女よ。妖怪だって天使だって退治してやる、ね──」
そう言い、力を解き放つ。
左右に陰陽玉を展開。そして、背に鋭利な水晶の如き双翼を生やす。
「──さあ、反撃開始よ」
ガブちゃん、神になる
☆「は?」
四文字「あいつワシより強くねー?」