ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

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生まれてから、ずっと勝ってきた。

勝って勝って、勝ち続けた。

だが予感がする。見える。

最後の最後で、俺はきっと勝てはしない。

それがわかった時、全てがくだらなくて無駄なものだと思えたんだ。



#032 クリスマス休暇

 

 イギリスのとある片田舎、そこから歩いて約二時間。

 人の手が入っていない山の中腹に、隠されるようにしてそれはあった。

 

 傾斜地を段状にした土地に建てられた灰褐色の建物の姿。

 崩れた壁、割れた窓硝子、半壊した門。

 十数年前の惨事の後、誰も手をつけなかったのだろう。

 荒廃しながらも時を止めた建物は、さながら墓標のようにも見える。

 

「ふん。愛着なんぞ欠片もなかったが、こうして見ると寂しいもんだな」

 

 グリムソンの隣に立っていた少女、メルム・グリンデルバルドがかつての古巣を眺めながらそんな事を呟く。

 

「私は薄情な女だ。いつか帰ろうとは思っていたが、結局あの日から今になるまで、1度もここに帰ってくる事はなかった」

 

「妹さんの墓参りには行ってるんでしょう?」

 

「そりゃあ妹の墓参りには行くさ。私に色々なものをくれたし、教えてくれたからな。家族愛を注いでくれたのは、妹だけだった。こうして、私が愛を返すのは当然だろう」

 

「ご両親は愛をくれなかったと?」

 

「ふふ、そうとも。この命以外、両親は私に何もくれなかった。大して欲しくないものを押しつけられ、そのくせ散々に振り回された。奴らの死後、私が気を遣う理由が何処にある?」

 

 そうバッサリと切り捨てて、メルムは昔住んでいた屋敷に背を向ける。

 

「おや、もう良いんですかな」

 

「いいよ。用事がある場所はもうちょい先だから。時間もないし」

 

 グリムソンは苦笑いする。

 

「思い出とかあるでしょう。色々と」

 

「思い出?」

 

 フクロウのようなカクッとした仕草で、歩きながらメルムが首をかしげる。

 

「うーん、ないかな。思い出は大丈夫。重要なのは後で写真にでも保存すれば良いし」

 

 それに、とメルムは空を見上げて呟く。

 

「純粋にどうでもいい」

 

 言葉通り、少女の歩みに未練はない。

 大きな屋敷を通り過ぎ、その奥にある林に向かっていく。

 何となく浮かない気分で、グリムソンはその後に続いた。

 林の入り口にある野ざらしの小屋。

 その傍らには林の先に進む小道のようなものがある。

 

「そういえば、お嬢の父君はどんな方だったのですかな?」

 

 沈黙に耐えられなくなったグリムソンは、先導する少女に話題を振ってみた。

 冷え切った笑みを浮かべて、少女がふり返る。

 

「おや、知らなかったか」

 

「えぇ。何せ、貴女のお爺様は秘密主義な方だったもので。ご子息がおられる事は、戦後随分と経った後に耳にしました」

 

 んーそうだなあ、と顎に手を当て、少女は少し考え込む。

 

「優秀な魔法使いではあったよ。未来視も私より遥かに使いこなしていたし。魔法の造詣も深かった……でもな、私の父はどこまでも平凡だった」

 

「平凡、ですか」

 

「あぁそうだ。口先だけで沢山の人間に勝った魔法使い。ビッグマウス。環境さえマトモだったなら、普通に生きて呆気なく死んでいただろう魔法使いだ」

 

 ビッグマウス。聞いた事がある。

 戦後、少なからず死と暴力を売り物として扱ってきた魔法界。

 その裏社会を渡り歩きながら、敵対相手に予言をして必ず破滅させたという魔法使いだ。

 掴みどころのない人物で、今では存在を疑う声すらあがっている。

 

 そんな魔法使いの事を普通で平凡な人間だった、とメルムは評する。意味が分からない。

 グリムソンが困惑する様子を見て、メルムは可笑しそうに人差し指を立てる。

 

「昔聞いた話だ。若い頃のクソ親父の望みはな、普通の何処にでもいる魔法使いとして暮らす事だったらしい」

 

「それはそれは」

 

 予想外の言葉にグリムソンは目を見開く。

 そして、今はいない魔法使いの事を心底哀れんだ。

 

「”普通”から零れ落ちた人間が居場所を見つけて生き直す。まったく夢のような素敵な話だよな……あぁ、私も別に間違っているとは思わないよ。夢を追い求めるのも人生だ。ただ、それを私たちに流れる”血”が許してくれないと知っているだけで」

 

「……」

 

「大罪人の父親は牢獄行き、名も知らない母は行方不明。おまけに当時は大戦末期で、親の庇護がないガキなんて死んで当然の環境。そんな状況を生き抜くには、普通の手段じゃ無理だよな。だけど────あのクソ親父は勝ち続けた。本当に平凡な魔法使いだったら100回死んでいるような状況を100回ひっくり返した。そうしたらさ。いつの間にか、普通ってのがよく分からなくなっていたんだと」

 

 肩を震わせてメルムは笑う。

 否、嘲っているのだと少し遅れてグリムソンは気付く。

 

「今思えば、あのクソ親父なりの世界への復讐だったのかね。どっぷりと闇の魔法に浸かったのも、魔法界の裏社会と関わり続けたのも」

 

「お陰様でこっちの生活は最悪だった。子供に人権なんかなく、何でもありさ。ろくに食事も貰えない、虐待紛いな実験は受けさせられる。異様な館を訪れるのは、脛に傷のありそうな魔法使いばかり」

 

 メルムは歩きながら、誰ともなしに話し続ける。

 

「でもまあ……ここに来たくなかった1番の理由は、やはりあれだな。ここには妹と過ごした思い出が沢山残っている。怖かったんだ。妹と過ごした幸せだった時間を思い出すのが」

 

 分からなくもない話だ。

 時間が経てば経つほど、失ったものと向き合うのは勇気がいる。

 ゲラート・グリンデルバルドが倒れて半世紀経つが、グリムソンもヌルメンガードに会いに行ってはいない。

 

「しかし、何でまたこの忙しい時に。今まで先延ばしにしてたんです。今じゃなくても良かったのでは?」

 

「重い腰を上げたのは、スネイプ先生の言葉があったからだ。墓参りぐらいには行っておけとな。こんな言い方は好きじゃないが、運命だと思ったんだ」

 

「運命、ですか?」

 

「そう。私は今日、運命に導かれてここまで来た。したがってこの右目が先を照らすまでもなく、私は何かをここで得るんだろう」

 

 その言葉に、グリムソンは鼻白んだ。

 予言者の血を引いているからだろうか。

 こうして時折、メルムは歳に似合わぬ難解な言葉を吐く事があった。

 

 世迷言と切り捨てるのは簡単。

 だが、常人には見えない道を見つめているのが予言者だ。

 ゲラート・グリンデルバルドに仕えていたから分かる。

 彼は道を踏み外してしまったが、その力は絶大なものだった。

 よって彼らの吐く言葉を、グリムソンは軽視しない。

 

「着いたな」

 

 二人の目の前には、辛うじて墓標と呼べる二つの石があった。

 そこは丘陵のちょうど頂上のような場所で、草花が咲き乱れる美しい一画だった。

 それぞれの墓石には即席で掘られたらしき2つの名前が刻まれてある。

 メルムの目は、ずっと墓を見下ろしている。

 感情のこもらない目で、景色でも見るように。

 

「グリムソンには墓参りと言ったが、実の所そんな殊勝な気持ちでここに来たわけじゃない。今日は確かめに来たんだ。こいつらがちゃんと死んで、墓の下で大人しくしているのか」

 

「まさか……」

 

「そうだ」

 

 見開いた瞳が、グリムソンを捉える。

 本当に飲み込まれそうな錯覚、目を逸らす。

 

「墓を見るだけじゃダメだ。死体を確認しないと。どこかでまだ生きているんじゃないかと不安になる。あの日、私の両親はちゃんと死んだ。今日は、それを目に焼き付ける為に来たんだ」

 

「……言っている事は分かりますよ。墓を掘り返すのはどうかと思いますがね。しかし、それで何が得られると?」

 

「そんなもの知るか」

 

 メルムは杖を振って、小さなスコップをその場に作り出す。

 

「たとえ、得られたものが何の価値もない石ころであったとしても私は感覚に従うよ。己の勘を信じられなくなったら、ここよりも重要な局面で必ずヘマをするからな」

 

 言っている事は納得出来るものだが、それでも彼女の行動は不可解極まりない。

 とはいえ、グリムソンに拒否権はない。拒否する気もない。

 墓石を退けてスコップで掘り出すメルムに、グリムソンは声を掛ける。

 

「私が掘りますよ。こういうのは大人の方が早い」

 

「いらない、私の問題だ。ここまでの旅の話し相手になってくれただけでも充分。最近は酷使し過ぎたし、休んでおけ」

 

「お嬢の我儘には慣れてます。普段は合理的な癖に、時々不可解な事をなさるもんで」

 

 そう言って、グリムソンは最近癒えたばかりの己の腕を叩く。

 

「はは、腕の事は悪かったな」

 

「気にせんでください、片腕になった訳でもないので。ま、それなりに長い間こき使われた理由くらいは知りたいもんですがね」

 

「やっぱり気になるか」

 

「そりゃあね。今さら敵討ちなんてガラでもないでしょう。どちらかというと、そういう記憶は蓋をしてさっさと忘れるタイプだ。傷口を広げるにはそれなりの理由がいる。違いますか?」

 

 掘り起こす手を止めることなく、メルムは頷いた。

 

「理由、ね。単純な話なんだがな。知りたいんだよ。あの日、私に……私たち家族に、何があったのかを」

 

「拷問してまで聞き出したかったのは、それですか」

 

「そうだ。所々、虫食いのように抜けているんだ。当時の記憶がね。あぁ、この歳でボケた訳じゃないぞ。ストレスによる記憶の喪失でもない。魔法だよ。強力な魔法で1部の記憶が封印されている。解こうとしても解けない」

 

 ゆっくりと墓土を掘り続けるメルムの目が、ようやく地面から離れてグリムソンを向く。

 青黒く輝く瞳が、表現のしようもないほどの怒りと憎しみに彩られている。

 

「私は自分の人生を辿りたいんだ。私のものなのに、それが手元にない。私が私じゃあないみたいだ。それは不快だ。狂おしいほど苛立つ。私は、私を丸ごと自分のものにしたい。そうでなければならない」

 

「……なるほど」

 

 色々と合点がいった。

 本来のメルム・グリンデルバルドは、苛烈で冷笑的で激昂家だ。

 しかし普段、この少女は殆ど素の自分を出すことはない。

 ぼんやりとした様子で、温厚な気分屋の性格に擬態している。

 

 あれは死んだ妹の真似をしているのだと言っていた。

 

 その話を聞いた時、子供のくせに面妖な事をするものだと思ったものだ。

 しかし、少しでも昔の記憶を繋ぎ止める為の悪足掻きだと思えば、納得もいく。

 

(まぁ余りにも健全とは言い難いやり方だが)

 

 記憶が曖昧だからと言って、トラウマとも呼ぶべき妹のものをトレースするなど正気の沙汰ではない。

 ただでさえ、幼い頃に抱いた未練や怨みなど消えにくいものなのだ。

 そんな事をすれば、それらは薄まるどころか記憶は固定化され強くなっていく。

 グリムソンに言わせれば、魔法なんかよりもよほどタチの悪い呪いだった。

 

「ま、それもまた愛ですな」

 

「愛ね。誰もが知っている物だが、それを深く追求すれば忽ち事の本質から遠ざかっていく。複雑怪奇だ」

 

「はは、まるでナンパされた女のようですな」

 

「確かにな……と、あったぞ」

 

 メルムのスコップが、土の中の木箱に突き当たる。

 それから彼女は一心不乱にスコップを動かし、ちょうど人間が入れるくらいの棺桶の上面を掘り出した。

 

「これが……」

 

 この棺の中で、シェーン・グリンデルバルドが眠っている。

 あの戦争の生き残り、その誰もが把握出来なかったゲラート・グリンデルバルドの息子が。

 沈黙を守る棺桶に、メルムが躊躇なく杖を向ける。

 

開けよ(アロホモラ)!」

 

 棺に向けて炸裂する解錠の魔法。錠前がついてようがお構いなし。

 物理的な扉や窓などの防衛手段であれば、問答無用で突破する。

 そういう魔法で、そうなる筈だった。

 

「ん?」

 

 バチン! と。

 派手な音と共に、解錠魔法が棺に直撃する1歩手前で弾かれる。

 キラキラと光の破片が散らばり、輝く壁が半円状に出現する。防御魔法だ。しかも、そこそこ強力な。

 

「くだらん」

 

 足を踏み鳴らしながら、メルムが棺へと近づいていく。

 握り締められた拳からは、薄らと青黒い炎が立ち昇っている。

 苛立ったように殴りつけられる壁。

 

 ────一撃だった。

 

 頑丈そうな見かけと異なり、綺麗な障壁は呆気なく少女の拳に貫通される。

 穴の周囲はバターのように溶け、そこを中心に幾つもの光の亀裂が走る。

 無論、ここでやめるわけもない。

 そのままメルムは、手首までしか入らなかった腕を一気に肘までぶち込む。

 障壁は硝子細工のように砕け散った。

 そして、

 

「……なんと」

 

「やはり、止めませんかね。嫌な予感しかしない」

 

 光の壁を強引に打ち破ってようやく見えた光景。

 それは、無数の光の鎖に巻きつかれた棺の姿だった。

 遺体が入っているだけの棺に、ここまで厳重に魔法をかけるだろうか。

 幾度の戦場を越えて培ってきた勘が、微かに警告音を鳴らしている。

 

「焦らすねぇ」

 

 そんなグリムソンを他所に、隣の少女はにんまりと口角を吊り上げている。

 鎖を掴む手に、一切の躊躇はない。

 虹色に輝く鎖、何かしらの呪いを発動しようとしているのは明らかだ。

 

「ははは」

 

 呼応するように、ぼぉうっと手から出た炎が鎖に纏わりつく。

 眩い光がたちまち呪いの炎に呑まれ、高音で熱された硝子のように鎖がボロボロと溶けていく。

 相変わらず、凄まじい闇の魔法である。

 

 そこからは一息だった。

 待ちきれないプレゼントの包みを破く子供のように、メルムは鎖を引きちぎっていく。

 少しの時間を置いて、今度こそ剥き出しの棺が二人の前に姿を現した。

 

「よし、開けるぞ。良いよな?」

 

「止めたって開けるでしょうに」

 

 殺気立った様子で確認を取ってくるメルムに、グリムソンは肩を竦めて答える。

 呆れたような感じで振舞ってはいるが、グリムソンも内心何処かで高揚していた。

 何が入っているか分からないびっくり箱を開けるような気分。

 

 とはいえ感じていられた胸の高まりも、棺を開けた瞬間に吹き飛んだのだが。

 

「おいおい……」

 

 晴天の下に暴かれた遺体を見て、グリムソンは思わず絶句する。

 今の今まで、魔法界の暗がりで生きてきた。

 もはや死体を見るくらいでは眉一つ動かさない自信があった。

 だが、これだけは違う。

 

「念の為に聞いておきます。父君が亡くなったのは何年前でしたかな」

 

「私が6歳の頃だから、少なくとも7年は前だ」

 

「ふむ……」

 

 土葬された死体は、通常それだけの年月が経てば確実に白骨化する。

 死体が傷んで腐敗するのもそうだが、小さな虫やバクテリアにより分解されるのだ。

 七年も経てば、骨格標本のような白骨死体の出来上がり。

 

 だというのに、その常識を覆す光景が目の前に広がっている。

 

 時が止まったかのようだった。

 まず視界に入ったのは、白衣の男。歳は四十代くらいだろうか。白骨化もせず、五体満足のまま原型を保っている。

 

 白衣を纏った黒髪の男が、眠るように目を閉じて棺に横たわっている。

 

 遺体は腐敗している様子もなく、湿り気すら帯びている。

 とても七年の月日が経ったとは思えない。

 ついさっき死んだような遺体がそこにはあった。

 

「呪物化していますな」

 

 一体、どんな強力な呪いを受ければこんな風になるのだろうか。この歳まで闇に浸かっていても、尚、底が見えない魔法の深淵。

 それをまざまざと見せつけられたような気がして、グリムソンの臓腑がキリキリと痛む。

 遺体の異様な状態にグリムソンが怖気を感じている横で、メルムもまた何かをじっと見つめている。

 

「おや、手に何か持っているな」

 

 その言葉に、グリムソンはハッとする。

 死体の状態に気を取られていて気づかなかった。組んだ状態の遺体の手に包み込まれるようにして、何かがある。

 ごくり、と……静かな丘に生唾を飲む音が響く。

 

「大事そうに棺桶の中にまで持ち込みやがって。そんな風にされると気になるじゃないか。ん?」

 

 メルムが牙を剥き出すようにして笑った。遺体に躊躇なく手を伸ばす。

 嫌な予感がして、咄嗟にグリムソンはその手を掴んだ。

 

「少しお待ちください。やはり止めませんかね?」

 

 何かは分からないが、それに触れたらマズい。獣の勘が悲鳴を上げている。客観的に見ても罠としか思えない。

 だが、そんなグリムソンの制止を、細い手が凄まじい力で引き剥がす。

 

「言ったろ。何かを得る為、私はここに来たって。手ぶらで帰るつもりはないよ。こればっかりはお前の頼みでも聞けないね」

 

「お嬢!」

 

 こうなるともはや処置なし。

 呆れたグリムソンは、肩を竦めて後方へと移動する。

 巻き込まれたくはないが、それでも少女の危機には即座に動ける位置につく。

 

 メルムもまた、老人が律儀な男であると信用しているのだろう。グリムソンの方を振り返ることなく、むんずと遺体の手を掴んでいた。組まれた指先を初めはそっと、次第に力強く揺する。

 

「む、ビクともしない。かなり硬いな」

 

 遺体の手は硬く組まれているらしく、遠目から見ても引き剥がす作業が難航しているのが分かった。

 杖を振って軟化の呪いを掛ける等、色々格闘しているが一向に作業が進まない。

 そして、メルムはそこまで我慢強い方ではなかった。

 

「クソッタレが。恨むなよ、クソ親父」

 

 力むような声と共に、棺桶の方から絶対に聞こえてはいけない音がし始めた。

 ぱきぱき。べきべきべきべき、と。

 死後硬直しているであろう指の一つ一つを、ゆっくりと強引にへし折りながら引き剥がしている音だ。

 歴戦の猛者である老人ですら、思わず背筋が寒くなる異音。

 やがて、

 

 ────バベキャッ! 

 

 一際大きい破砕音と共に、少女の身体が仰け反った。

 ゆっくりと引き抜かれたメルムの手には、筒のような物が握られている。

 

「はは、取れた」

 

「……他にも色々とくっついているようですが?」

 

 思いっきり力任せに引っこ抜いた弊害だろう。銀色の太い筒は、赤黒い肉の繊維が張り付いて真っ赤に汚れていた。

 幼い主に忠実であるグリムソンも、この時ばかりは苦い表情を隠しきれなかった。

 少し得意げな顔をしていたメルムも、バツの悪そうな顔へと表情をシフトチェンジする。

 

「ちょっと雑だったかもな」

 

 照れ隠しのように笑うと、メルムは血だらけの容器をそそくさと懐にしまう。まるで、散らかった部屋を隠そうとしている子供のような反応だ。

 この状況にあまりにもそぐわないその反応を見て、グリムソンは何も言えなくなる。

 

 その時だった────大気が絡みつくようなねっとりとした嫌な感覚がしたのは。

 

 呼吸が早くなり、体中に不快感を覚える。大量の汗で全身が湿り、ひどい悪寒が背筋を駆け上がってくる。怖気で、汗に濡れたうぶ気がそそけ立つ。

 

「な、なんだ……?」

 

 鉄臭く、それでいて生臭い嫌な臭気が周りに漂った。

 やはり、嫌な予感が的中したか。グリムソンは匂いの元に視線を向ける。案の定、棺桶の方に異変が起きていた。

 棺桶の中で静かに眠っていた男の遺体が、まるで水を吸ったスポンジのように肥大化し始めている。

 

 白衣がボロボロとこぼれ落ち、その身体の周りを黒い霧が包み込む。土気色だった肌に赤みが差し、鼻、口、耳が乾いてカサカサになっていく。目は落ちくぼみ、瞼は溶け、暗い眼窩が現れる。そして生えていた黒髪が、それらをフードのように包んでいった。

 

「ば、馬鹿な、信じられん……」

 

 凄まじい悪寒に襲われながら、グリムソンは驚愕する。

 比喩でも何でもなく、気温が不自然に下がっていた。

 今やその全身を覆った黒い霧は、ボロボロのドス黒い外套となり、遺体を黒く塗りつぶしている。

 ただの遺体が、地上を歩く生物の中で最も忌まわしいモノとして疎まれた姿へと変貌していく。

 

「吸魂鬼……?」

 

 不自然なまでに痩せ細った背の高いその生き物は、じっと少女の方を見つめているように見えた。

 メルムは、上から下へとその生き物に目を走らせる。

 そして、肩をすくめて言った。

 

「違う、吸魂鬼じゃない。成りかけではあるんだろうがな」

 

「成りかけ……?」

 

「絶望と腐敗が不足している。魂を吸ってないからかな。手順がまだ済んでない」

 

 ソレはガラガラと音を立てながら、ゆっくり長く息を吸い込んだ。

 まるで、その周囲から空気以外の何かを吸い込もうとしているかのようだった。

 ゾッとするような冷気がグリムソンを襲う。

 

「はっはっは」

 

 成りかけとはいえ吸魂鬼だ。

 連中は人の幸福の感情を吸い、糧にする。

 その影響力はすさまじく、周囲にいるだけで周りの人間の活力を奪い、大幅に衰弱させてしまう。

 だというのに、少女は平然と怪物に向き合って、あまつさえ笑い声を上げていた。

 

「いくら探しても無駄だ。お前の欲しいもんなんて、もう私の中に残っちゃいねぇよ。全部、他の連中に持ってかれたんだからよ」

 

 切迫した状況での笑み。

 虚勢で笑っているのではない。

 無駄な事をして馬鹿な奴だ、と愉快そうに笑っていた。

 

「……?」

 

 そして、事実そうだったのだろう。

 吸魂鬼紛いのそれは何度も首を傾げている。

 しかし、血縁者相手だからか。

 よほどグリムソンの主を気に入ったらしく、諦めていない。

 

 吸魂鬼は首を機械的に傾げつつ、両手を上げフードを脱いだ。

 目があるはずの部位には、虚ろな眼窩とのっぺりと灰色の薄いかさぶた状の皮膚があるだけだった。

 しかし、口はあった。

 がっぽりと開いた歪な穴が、死に際の息のようにざあざあと息を吸い込んでいる。

 

「お嬢!!」

 

 マズい、一目見て分かった。

 あれは吸魂鬼のキスだ。

 幸福な感情を吸い取る連中の最大の特徴、”吸魂鬼”と恐れられる所以。

 その接吻は、人間の魂を吸い取ることができ、吸い取られた人間を抜け殻にする。

 

「欲張りな野郎だな。私の命まで欲しいってか」

 

 揶揄うような口調とは裏腹に、吸魂鬼に成り果てた親を映した蒼の瞳からは、一切の感情が欠落していた。

 無機質なその横顔を見たグリムソンは、大型の肉食昆虫を連想した。

 底冷えするほど無感情な表情。

 

「……グリムソン。少し離れた方がいい。アレをやる」

 

 そう言うやいなや、ジワリとメルムの足元から墨汁のような黒い粒子が滲み出る。

 やがて全身からも滲み出た粒子は、蒼黒い炎へと形状を変えて吹き出し始めた。

 

 ごぉごぉごぉぉっっ……

 

 あっという間に、少女の全身が蒼黒い焔に包まれていく。

 それを見たグリムソンは、思わず悲鳴を上げて飛び退いた。

 

「おっ、お嬢! いきなり過ぎだ、巻き込まれる!!」

 

 やはりグリムソンの主は狂人だ。

 こういう時、嫌というほど実感する。

 しがらみに捕らわれず、合理的で、一片の憐みも慈悲もない。

 元は親だったモノを殺すという、誰もが忌避する行動に一切の躊躇いがない。

 

「だから離れてろって言ったろう?」

 

 至近距離で吸魂鬼を直視しながら、メルムが嘲笑った。

 理性など残っていない筈の吸魂鬼が震えている。

 怯えているようにも見えたが、不思議と歓喜の喜びに震えているようにも見えた。

 

「目障りだ。その汚ぇツラをどけろ」

 

 口の端から漏れ出る魔炎。

 ごうっと、炎が吸魂鬼の身体を包み込んでいく。

 静かに火に包まれた怪物は、熱で口が開き、手足を折れ曲げさせて声に鳴らない悲鳴を上げた。

 皮膚のような外套が焼け落ち、黒い何かを垂らしながら身体をくねらせる。

 

「なんという……」

 

 常人が直視すれば胃液が込み上げるような光景だが、グリムソンはむしろ視線が外せなくなっていた。

 言葉に尽くしがたい、冒涜めいた何かを感じつつ、老人は蒼白な顔で立ち尽くす。

 

 吸魂鬼のような何かが燃え尽きるまで、凡そ十数分の時が掛かった。

 

 最終的に、人の形をした灰は音もなく崩れ、風に流れ、消えて行く。塵は塵に、灰は灰に、死者は死者に還るのだ。

 それを粛々と見届けたメルムは、ゆっくりと丘の方に足を向ける。

 丘の下、夕暮れの廃墟からの風に目を細め、少女は誰に向けるでもなく言った。

 

「なぁクソ親父。これもあんたの”台本通り”なのか?」

 

 その呟きに対して、グリムソンは返事をする事が出来なかった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「まったく、クリスマス休暇は大変でしたよ」

 

 憂鬱な墓参りから足早に戻ってきたボクの顔を見るなり、ギルデロイ・ロックハートはそんな事を言った。

 ボクが来る前に、既に何杯か飲んでいたらしい。

 少し酔っているようにも見える。とことん舐めた野郎だ。

 

「飲み過ぎだよ。一体、何杯呑んだのさ」

 

「ははは、面目無い」

 

 ボクが呆れて肩を竦めると、ギルデロイは自嘲的に口元を歪めた。

 珍しい事もあるもんだ。

 ギルデロイは随分と酔っぱらっているように見えた。

 

「休暇明けに備えて、授業の準備をしろって言ったじゃんか。部屋に引き篭って宅飲みとか何考えてるんだよ」

 

 ボクがそう言って睨むと、ギルデロイはばつが悪そうに頭を掻く。

 

「こういう緊張感が高まっている時こそ息抜きが必要です。そうは思いませんか?」

 

 ほう。面白い事を言うもんだ。

 ボクは首を傾げ、馬鹿のこめかみを杖でグリグリする。

 

「確かに息抜きは必要だよ。でも働かない無能に限ってそういう言葉を使いたがるんだよね。どうして?」

 

「辛辣……いや、ね。怖い事がありまして。それを早く忘れたくて」

 

「怖い事? 何さ。秘密の部屋の怪物にでも出くわしたのかい」

 

 それならまだ良かったんですけど。

 そう言って、ギルデロイがチラチラとボクの方を見る。

 

「何だよ、気持ち悪いな」

 

「いえいえ……ちょっと気になる事がありまして────メルムがホグワーツから休暇を貰ったのって、いつでしたっけ?」

 

「一昨日だね」

 

「お墓参りに行ったのは?」

 

「…………昨日の昼間だけど」

 

 ギルデロイの目に微かな怯えが宿る。

 何だこいつは。

 人の事を化け物でも見るような目で見やがって。

 

「もう1つ質問いいですか。昨日の夜、貴女はどこで何をしてました?」

 

「ロンドンの漏れ鍋で飲み会だけど……っておいどうした! なんで隠れるんだよ?」

 

 ボクの返答を聞いた途端、どういうわけかギルデロイは机の裏へと逃げ込んだ。

 そして恐る恐る眼だけ出して、ボクの動向を窺っている。

 いい加減にうざったい。

 さして太くもないボクの堪忍袋の緒がプチッと切れた。

 

「出ろオラ!」

 

 机から蹴り出されたギルデロイは、怒り心頭のボクを見てヘラっと笑った。

 

「聞いても怒りませんか?」

 

「既に怒ってるの見て分からない?」

 

 白状させること、約五分。

 奴の吐いた内容は、実に信じ難いものだった。

 なんと昨夜、ボクがゴイルとクラッブを引き連れて校内を歩いていたのだとか。

 馬鹿な、ありえない。

 天地がひっくり返ったって、そのメンツと連むのはゴメンだ。

 

「ええ、だから私も驚きましたよ。彼らと一緒に楽しそうに話している姿なんて、どうにも信じがたくて」

 

「ボクが?」

 

 ボクは眉をひそめ、ギルデロイをじっと見つめた。

 ギルデロイはその視線を避けるように、手元のグラスをじっと見つめながら、しばらくの間黙りこくっていた。

 

「ええ。あの場にいたのは、どう見ても貴女そのものでした。だからつい、挨拶しようと思って『メルム君、何をしているのかな?』と声をかけてしまったんです」

 

「……それで、なんて返ってきたんだよ?」

 

 ギルデロイはひと息ついてから、少し戸惑い気味に続けた。

 

「『何って、見ればわかるでしょ? ロックハート先生も混ざりたいの?』って、挑発するように微笑んで……クラッブとゴイルが笑いながらあなたに寄り添ってました。まるで特別な関係みたいに……」

 

「どう考えても偽物だろうが!」

 

 怒りのままに、ボクは手刀を彼の空っぽな頭にめり込ませる。

 結構長い付き合いなのに、そんな見え見えの偽装に騙されやがって。

 クソッタレが、滅茶苦茶傷ついたぞ。

 

 

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