勇者を匿う山奥の村が原作通りに焼かれないよう頑張る青年のお話です。

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 俺の夢は勇者になることだった。

 

 生まれて初めてプレイするゲームとしてリメイク版ながらドラゴンクエストに触れ、その主人公や仲間たちの旅路に俺は憧れた。

 その中でも勇者の在り方は、子供時代の俺にはとりわけ眩しく見えたものだ。

 

 剣と魔法を自在に操り、人に仇なす魔物を倒す。

 そうして感謝されたりなどすれば一石二鳥。さらに最後は魔王を倒して世界をまるごとハッピーエンドにするような、偉大な主人公。

 いつか俺もそんな生活を送ってみたいなんて、前世で普通の暮らしをしながら、そんなことばかり考えている日々を過ごしていたんだ。

 

 で。

 19歳を迎えて久しい猛暑の夏頃、通りすがりの知らない誰かに腹から背中にかけて刃物で突き刺されたことで死を迎えた俺は、先ほど語っていた夢を来世で概ね叶えることになったんだ。

 

 

 目が覚めた時には、母親が俺のために離乳食のようなものを作っているところだった。

 小さなもみじのような手で顔を触ると、子供らしいモチモチとした肌に触れた。

 

 なんとも不思議な感覚ではあったものの、ここまで来れば、いわゆるネット小説界隈における転生に値する状況に自分が置かれたのだろうことは多少の、否、かなりの数のネット小説を漁っていた俺には容易に想像がついていた。

 

 まさか自分が都合よくそうなるとは思っていなかったが、いざこうなってみると、困惑のほうが大きい。

 でも、したいことは次々浮かんでいた。

 この世界はどんな世界なのか。親はどんな人か。剣や魔法なんかはあるのか。それに、首を傾ければ窓から見えるこの牧歌的な村のことをもっと知りたいとか。

 

 まるで、ちょうど旅行に出る前の支度の気分と似ているよな、と俺は心の中でくすりと笑い、厨房から現れた恰幅のよい母親に抱きかかえられ、牛かヤギか、とにかく乳のよい香りのする温かいスープをゆっくりと味わった。

 

「おいしい?」

 

 母の問いかけに、こくりと頷く。

 

「静かな子ね。遊び人だった私から生まれたなんて想像もつかないくらいに」

 

 母はゆっくりと俺の頭を撫でると、額に口づけを落とした。

 

「お前の好きに生きていいんだよ。お前の人生は他の誰でもない、お前自身のものなんだから」

 

 ────その時の母の言葉は、たぶん、その後の俺の人生を決定づけたのかもしれないって、今になって思う。

 

 正直、この時の俺は参っていたんだ。

 知らない奴に殺されて、訳も分からないまま知らない場所で二度目の人生なんて、少なくとも俺には一日で受け入れられるものじゃなかった。

 だから、この世界で初めて出会った大人に「好きに生きても良い」って言われたことは俺の胸に刺さっていた棘を優しく溶かして、ゆっくりとこの世界に向き合う準備をさせてくれたんだ。

 

 そうして、転生したその日から季節は巡り、俺も赤ん坊から子供になった頃。

 

 俺はこの世界が『ドラゴンクエスト』だと知ることになる。

 

 

 最初の気付きは、通貨がゴールドであること。

 山奥の田舎村であるこの故郷ですら流通するこれは、前世の攻略本に載っていたビジュアルそのままだった。

 ある日に机へ置かれていた金貨袋の中身であったそれに思わず驚いてしまい固まっていたところ、まさか金貨そのものに驚いたとは思わなかった母には「私のがめつさが遺伝したか」とけらけら笑われたのを覚えている。

 

 そして、次の気付きは剣と魔法の存在。

 よたよた歩いたりたどたどしく喋ることができるだけの、まだギリギリ赤ん坊じゃないかという時にひのきのぼうを持たされた俺は、村の警備を行っていた青年に手ほどきを受けることになった。

 

「恨むなよ。お前には強くなってもらわなきゃならないんだ」

 

 そう言って、実践を想定した稽古は毎日続いた。

 この世界にはいわゆる基礎練みたいなものは存在せず、こういった組み手を繰り返す形で成長するらしかった。

 

 前世で剣道の心得があったわけでもなく武器の扱いなんて知らない上に、子供と大人。

 されるがままにボコボコに殴られ倒れ込んだ俺に、青年が駆け寄る。

 

「ごめんなあ」

 

 謝るならここまでボコボコにしないでくれよ、と文句を垂れる気力もない。

 だが、申し訳なさそうに俺の打撲痕をさすっていた青年の手が淡く光った。

 

「ホイミ」

 

 特徴的な呪文の起動音が鳴り、俺は目を見開いた。

 

「びっくりさせたか。これはホイミと言ってな、お前のキズを治すことができるんだ」

 

 青年はやや微笑ましそうに返すが、俺の驚きは例によって青年の思うところとは別の部分。

 魔法を使ったところにじゃなくて、『ホイミ』を使ったところに驚いたんだ。

 

 俺は、ここで確信することになる。

 この世界は『ドラゴンクエスト』なのだと。

 

 

 ドラゴンクエスト、通称ドラクエ。

 簡単に言えば、それは勇者と魔王の物語だ。

 

 主人公は勇者として、それぞれの理由で旅に出る。

 そうしてさまざまな仲間と巡り会いながら続ける旅の果てに、勇者との因縁を持つ魔王と対峙する。

 

 概ねそのような形で進む王道のファンタジーRPG。

 一部例外はあるが、今回は例によって勇者が主人公の物語だと俺は確信していた。

 

 山に囲まれた村の地理と、その訓練の厳しさ。普段は朗らかな村らしからぬ、外の世界への異様な警戒。極め付けは最近生まれた3歳下の女の子シンシアと同時期に村へ連れてこられた赤ん坊の勇者、ソロ。

 これだけ揃えば間違うことはなかった。

 

 ここは『山奥の村』。

 勇者を隠れ住まわせるために名前すら隠した、『Ⅳ』の始まりの村で。

 この村は17年後、魔王デスピサロ率いる魔物の軍勢によって滅ぼされることになっている場所だった。

 

 

 俺は、その後の2年間ほどを死に物狂いで訓練を積んで過ごした。

 3歳にして鬼気迫る勢いで訓練に励み続ける俺を、大人たちは戸惑いながらも受け入れてくれた。なんだかんだ、この村は勇者を受け入れた時点で以前よりも危険に晒されており、未来の戦力はあるに越したことは無かったからだ。

 だが、俺が何のために備えているのかは黙っていた。いま村の人々に言っても、「襲撃なんていつか起こるに決まってる、だから訓練するんだ」と一蹴されるのは目に見えている。

 

 まさか俺が具体的にその襲撃の年月を知っているなんて、こんなに日々の訓練を俺と同じく怠らないあなた達が勇者を残して全滅するなんて、そんなものを誰が信じるだろうか。

 

 ────悲劇を覆したい。俺の胸には無謀な決意が宿っていた。

 

 ただ助かるだけなら、俺は14年後のソロの誕生日までに村からいなくなれば良い。

 だけど、この村には俺を受け入れてくれた母がいて、剣術の師で魔法もできる厳しくも優しい師匠がいて、あまり愛想の良くない俺を暖かく見守ってくれる村の人々がいて、今世では初めての同世代になる、弟や妹のような存在であるソロとシンシアがいる。

 

 それでもなお自分だけが可愛いかと自問すれば、俺の答えは否だった。

 

 好きに生きろと言われた俺の人生。

 その向こう14年間は、少なくともこの村に起こる悲劇を覆すために使うことにした。

 

 

 重苦しく悲壮な決意から5年。

 

「兄ちゃんが魔王ね!」

 

「おう! ……ソロ、シンシアよ。なにゆえもがき、生きるのか? 滅びこそ我が喜び。死にゆくものこそ美しい。さあ、我が腕の中で息絶えるがよい!」

 

「やっちゃえ、ソロー!」

 

 俺はこども勇者ソロと応援のシンシアに魔王として対峙していた。……要は、メチャクチャにソロとシンシアを可愛がるようになっていた。

 

 いかん、弟妹ペアが可愛すぎる。

 それもこれもこの子たちが可愛いからだな。うん、間違いない。

 

 ……実際、あのときの決意は変わっていない。

 村を救うことの難度も、村周辺の魔物退治に向かった時にスライムと接戦を演じた2年前の初戦で痛いほど理解している。

 

 だけど、この世界に生きる自分として変わったことがあった。

 

 この世界の人々が受け入れてくれたように、俺はこの世界とそこに生きる人々を受け入れ、真に愛することができるようになったことだ。

 

 『山奥の村の悲劇』を救いたいんじゃなくて、『俺の故郷の未来』を救いたい。そんなふうに思えた時、過去の俺の決意は念じずとも腑に落ちる強固なものへと変わり、未来を知っているから努力するわけではなく、彼らをいつでも、どんな奴からも護り救うために努力を重ねるようになったんだ。

 

 この違いは大きく、俺は訓練もかなり前向きに取り組むことができた。ゲームの作品世界ではない、この世界に生きるひとりの人間なのだと自分の在り方を受け入れた時、俺はようやく『俺』になったんだと思う。

 

 周囲にもそれは伝わるようで、「眉間のシワが取れた」「雰囲気が柔らかくなった」「シンシアに惚れたか」などと揶揄われるようになり、そんな村の人々を守るための力を付けたいと願うたび、俺はメキメキと力を伸ばしていったんだ。

 

「いくぞ勇者ソロよ、マヒャドだ!」

 

「うわ、マヒャドだ! 逃げろ〜!」

 

「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない……!」

 

 勇者ごっこはいつの間にか3人での鬼ごっこに変わる。

 いま笑って遊んでいる2人が11年後には死に別れるなんてこと、俺には到底許せない。

 

 母から受け継いだ遊び人の血が騒ぐんだ。

 

 世界を救ったって、お前が笑えてなきゃ意味がないだろう?

 なあ、勇者ソロ。

 

 

 さらに3年が経ち、運命の日まであと6年。

 

 ソロの10歳の誕生日。俺はソロに、変わった誕生日プレゼントをねだられていた。

 それも、少し前に誕生日を迎えた時は俺に「今年はいらない」と言っていたシンシアと一緒に、真剣な表情で。

 

「オレたちを鍛えてくれ」

 

「わたしたち、お兄ちゃんみたいになりたいの!」

 

 13歳となり、師匠から『賢者』として免許皆伝の太鼓判を押された俺は、鬼気迫る勢いの弟妹たちの話に耳を傾けた。

 

 シンシア曰く、俺に憧れているから。

 うん、弟妹たちを溺愛する俺に対するジャブとしては悪くない。むしろクリティカル(かいしんのいちげき)だ。

 だが、シンシアは小さく頷くと、ソロの背中にチョンチョンと触れる。ソロはさらに姿勢を正し、俺をまっすぐ見据えて話し始めた。

 

 俺や村の助けになりたいのだと、ソロは語った。

 魔物退治や村の警備などにソロは駆り出されず、俺やシンシアが揃って村の外にいる時も、ソロはこの村で過ごしていた。実はそれは隠すべき勇者の存在を露見させないための方策なのだが、ソロ自身にそれを言うことは禁止されている。

 

 だからこそ生まれた、村とソロの間の溝。その向こう側で、ソロは悩んでいたらしい。

 優しいはずのみんなの輪から自分だけがのけ者にされているようで、とても辛かったそうだ。

 

「気付いてやれなくてごめんな」

 

 言葉で表せない感情が溢れ、嗚咽を漏らすソロの背中をさする。

 

 本当は気付いていた。

 たぶん俺だけじゃなくて、みんなが。

 『勇者』を大事に育てる中で、『ソロ』のことを見てやれている人がいないことを。

 

 そのことが、祝われるべき誕生日に悩みを打ち明けることをプレゼントの代わりとさせてしまうほどに彼を追い詰めてしまっていたのだと、改めて自覚させられる。

 

 でも、彼の悩みは隣人の助けになりたいから剣を取りたいんだという、あまりにも勇者として理想的なもので。

 悲劇のように勇者として相応しい彼の在り方によって、俺は『ソロ』の心を救うために、『勇者』の師となることを選ぶのだった。

 

 

 それから3年。

 

 16歳となった俺はこの村においては大人として扱われるようになり、村の中で最も勇者に親しいことから勇者相談役兼占い師という全く職務がないに等しい閑職に就かせてもらってソロの側につく運びとなり、ソロとシンシアに修行をつけながら賢者として、実態としては魔法戦士のように剣と魔法の鍛錬を積んでいった。

 

 修行の日々の中でソロは勇者として、シンシアは賢者としてそれぞれ頭角を表していった。

 

 ソロのみはあいかわらず魔物退治には行けないが、ソロの悩みの本質は俺たち村人との間に感じていた見えない溝だったから、それが解決した今は普段の笑顔も増え、厳しい修行にブー垂れつつもしっかりと続けるような、まっすぐな少年に成長していた。

 

 そして、今はモシャスによって近隣の魔物に化けた俺に対する実践訓練の最中だ。

 

 ソロが放ったメラからすばやく身をかわしたメタルスライムこと俺は、ソロに向かってお返しのメラを放つ。

 

 どうのつるぎでメラを切り裂いて避けたソロは、その勢いを味方につけて俺に一足飛びで迫り、振りかぶった剣で俺を一刀の下に斬り伏せた。

 

 ひしゃげていくメタルボディが如実に伝える。

 今のはまさに、会心の一撃だった。

 

「やった! 倒したぞ!」

 

「残心を忘れないように、倒した後もまだ敵がいるかもしれないから気をつけるようにな。……何回言ったらわかるんだろうな〜、ソロく〜ん?」

 

「いだだだ! ごめん兄さん、嬉しくて!」

 

「あはは……お兄ちゃん、ソロも反省してるみたいだからその辺にしてあげてね」

 

 笑顔でソロの側頭部をぐりぐりとしていた俺は、シンシアの鶴の一声で地面から浮いていたソロを降ろす。

 まだ痛むのか恨めしそうに見上げるソロを微笑ましく思い、笑みが溢れる。すると、ソロとシンシアもつられて笑い合った。

 

 修行中も、小さな幸せを噛み締めながら準備を重ねる。

 すべては3年後の悲劇を覆すために。

 

 

 それから3年。ついに、運命の日がその前日にまで迫っていた。

 

 占い師としての役職を使って村長の家でソロを除いた村人たち全員を集めた俺は、この村に起こる未来を語って聞かせていた。

 

 『勇者の17歳の誕生日に、村へ詩人がやってくる。その詩人は勇者を探す魔族で、村に災いを運んでくる。決して村に近寄らせるな』、と。

 

 村の人々の反応はいまいちだった。俺の占い師の肩書きが単なる方便に過ぎないことを知っているから、当然信じる者はいない。

 しかし、それが本当なら勇者を守らねば、と全員の気持ちを引き締めることだけはできたのだった。

 

 その夜。

 俺はひとり、村の防衛のための仕込みを続けた。

 森には魔法の罠を張り、空を飛ぶ魔物に対して都合よく落石が起こるよう地形に細工を重ね、完全に寝ていた村門警備役の師匠を鞘に収めたはがねのつるぎで叩き起こした。

 

 そうして夜も更け切ったころ、俺は最大限のパフォーマンスを出すため寝床に入り、明かりを消す。

 仕込みにかまけてMP切れじゃ笑えないが、今日だけはいやに頭が冴えて、眠るに眠れないでいた。

 

 思い出すのは、この村で過ごした日々。訓練ばかりの奇妙な子供を受け入れる懐の深い村。思い返してみれば、俺はこの村で過ごしていたのに未来と戦いのことばかりで、村の作物を育てたり、家畜と戯れたりすることはついぞ無かった。

 

 だから、これが終わったら向かいの老夫妻に畑のコツでも教えてもらおうと思う。あの人たちが俺の知る中で最高の畑職人だ。

 そうだ、鍛治で身を立てるのだって悪くない。

 素材さえあれば、俺の頭の中には無数の他のドラクエ作品のレシピたちが入っている。うろ覚えだが、これらを再現することでソロたちの戦いのサポートを全く新しい形で出来るかもしれない。

 

 そして……やっぱり、魔王を倒した時、勇者の故郷がなきゃあ悲しいと思う。ソロとシンシアは、お互いに尊敬しあっている幼馴染で、最近はかなり良い感じの仲だ。

 

 それが死んでお別れだなんて、あまりに寂しいじゃないか。

 

 決意を新たに目を閉じると、蒸し暑い夏の山中のじっとりとした夜闇と虫のさざめきだけが俺を包む。

 

 踏ん張れよ、賢者(遊び人)

 どれだけの人々が笑顔でいられるかは、明日、俺がどれだけ足掻けるかにかかっているのだから。

 

 

 実際、ソロの誕生日に詩人に化けたデスピサロが来るかどうかなんて、詳しく覚えていたわけじゃない。

 だけど、『ドラゴンクエスト』の多くは、主人公の誕生日に物語が始まる。

 

 そして、今日は俺が19歳を迎えて久しい猛暑の夏頃。

 本能に近い胸騒ぎが、俺に警鐘を鳴らしていて。

 運良くまたは運悪く、その勘は見事に的中していたようだった。

 

「わたしは旅の魔法使いです。昨晩森に迷い込んだところを村のご婦人方に助けられたので、お礼に伺わせてもらいました。この村には感謝しております、わたしのようなヨソ者にまで良くして頂いて……」

 

 それは早朝のことだった。

 ノックされた扉を開けた時、俺は小さく歯噛みした。

 魔法の法衣で身を固めた、魔法使い然とした出立ちの銀髪の青年。その冷たく鋭い瞳が俺を見定めようとする中、俺にはこいつの正体が一目瞭然だった。

 一体いつ詩人から魔法使いに鞍替えしたんだ、デスピサロ。

 

「おや、旅の方とは珍しいな。実は俺は客人をもてなすのが好きでね。ほら、魔法使いのよしみで俺の研究と君の研究について、有益な情報の交換でもしようじゃないか」

 

「いえ、賢者と呼ばれるお方だ、本日もお忙しい限りでしょう。また日を改めて、ご都合のよい日にもう一度伺いますとも」

 

 ピサロの目がおべっかを添えて細められる。

 ち、敵前で相手のホームグラウンドには入らないか。

 

「そうか、残念だ。……では、我らの村でゆっくり過ごされると良い。僻地ではあるが、みな穏やかでよい村だからな」

 

「ええ、もちろん」

 

 ピサロは一礼して扉を閉める。

 母が寝室から起き上がり、玄関に立っていた俺に何かあったかと聞く。

 

 俺は、冷静に答えることなんてできなかった。

 

「逃げてくれ、母さん」

 

「え?」

 

「いますぐ」

 

「え? ……ちょ、ちょっと、剣なんか持ってどこ行くんだい!」

 

「村が危ないんだ」

 

 そう言うが早いか、玄関から飛び出した俺は呪文を唱える。

 

 空に浮かんでいたピサロを見上げれば、彼は既に法衣を脱ぎ去り、俺を見下ろして獰猛な笑みを見せていた。

 

 もう遅い。

 

 そう呟くピサロの声と、村中に危険を伝えるべく張り上げた俺の咆哮は、村に殺到する魔物の軍勢によってすぐに掻き消されていった。

 

 

 朝焼けを魔物のカーテンが隠して夜のようにさえ見える村の中で、俺は防衛のために村中を駆けずり回っていた。

 ベギラマ、イオラ、バギクロス。

 長期戦に向けた節約や地形変化の考慮を鑑みつつ、魔物ごとに過不足ない魔力を込めた魔法で蹴散らし続け、近寄ってくる者や村人の体勢が崩れた危険なタイミングで襲撃を仕掛けてくる者たちには、剣を使ってなぎ払う。

 どうやら仕込んだ罠は機能したものの、下位の魔物を探知機がわりに捨て駒にして突破した指揮系統の魔物たちへの被害はなかったらしく、効果は薄い。

 罠にかけられても尚うじゃうじゃと湧いて一向に減らない下位の魔物たちの数に任せて、激しい攻撃が続いていた。

 

 ホイミ系統による回復も忘れない。

 村の人々は子供から老人に至るまで軒並み強いが、この激戦で傷つかないほどではなかった。

 

 さすがに補助魔法をかけて回る暇はない。死者が出てないだけでも奇跡的で、とてもそんなことをしている余裕はないのが現状だった。

 

 それでも、まだ持ち堪えられる。

 

 そう思った時。

 

「お兄ちゃん!」

 

「兄さん、大丈夫!?」

 

「! お前たち、こんな所で何して……!」

 

 シンシアとソロの2人が、俺の目の前に現れた。

 

「ほう、勇者ソロ……」

 

「!」

 

 そして、よりによってソイツにその会話を聞かれてしまう。

 正体を現した魔王、魔剣士ピサロに。

 

 

「この子たちに手出しはさせない、そう格好つけたわりには味気ないな」

 

 ピサロの剣が、俺の腹から背中にかけて突き出される。

 ソロとシンシアが駆け寄ってべホイミを掛けてくれた為にかろうじて立ち上がることができたが、今の打ち合いひとつで、俺とピサロの隔絶した実力差が理解できた。

 

 なにせ俺が剣を構えた時には既に、至近距離で腹を刺されていたのだから。

 

「魔法戦士でも目指しているのか? なら諦めることだな。光るものがまるでない、ただ研鑽を積んだだけの剣を振ったとて魔族には勝てん」

 

 剣を隙なく構えるピサロの佇まいは確かに俺よりもずっと整っていて、俺が付け入る隙などひとつもなかった。

 

「剣の修練は才を持つ者が積んでこそ血肉になるものだ。……無駄なお遊びを続けて、与えられた賢者の才に背を向けてまで何がしたかった」

 

 ピサロは続けてこちらに踏み込む。

 俺が息を整えるのを待つことなどなく、今度は確実にとどめを刺すべく心臓に向けて冷酷な刺突を放ちながら。

 

「兄さんっ!」

 

「お兄ちゃんっ!」

 

「わたしはおまえを、軽蔑する」

 

 その細身の魔剣は俺の心臓を過たず穿つ。俺を庇おうと前に出ようとした2人を全力で抑えたことで彼らに剣が迫ることが無かったのは、不幸中の幸いだった。

 

 意識が混濁し、魔剣に沿って夥しい量の血が伝わり落ちる。そろそろ血液が逆流して、じきに喋れなくなるだろう。

 その間に、言いたいことだけでも言っておこうかと、俺は口を開いた。

 

「ごちゃごちゃ、うるせぇよ……」

 

「……! おまえ、何をっ!」

 

「もう遅いぜ、魔剣士ピサロ」

 

 俺の両手からは光が漏れる。ひとつは心臓を刺したピサロの腕を掴んで離さず。

 もうひとつは、かけがえのない2人の弟妹を振り払うために。

 

「魔物は純粋で、お前の瘴気に当てられているだけ。お前さえ死ねば、魔物はすべて散り散りだ。……そうだろ?」

 

「おまえ……まさか、まさか!」

 

「……! お兄ちゃん! どうして? ねえ、呪文をかけても、血が止まらないの……」

 

「待ってよ兄さん! オレ、まだ何も教えてもらってない! 免許皆伝だってまだだろ! ……オレ、まだ戦士にも魔法使いにもなってない、半端者なんだ! だから……!」

 

 縋り付く2人の様子に申し訳なく思いながら、俺は彼らに向かって微笑んだ。

 

「勇者だ」

 

「へ?」

 

「ソロ、お前は勇者だ。天空人の母ときこりの父を持つ当代の天空の勇者……そして、誰よりも勇気のある、俺の大事な弟だ」

 

「……兄さん……イヤだよ……オレ、こんな事なら、勇者になんてなりたくなかった」

 

「……そうか。……俺も、賢者なんてなりたくなかったよ。お前みたいに、剣が強くて魔法も使える、カッコいいヤツでありたかった」

 

 ソロの表情は伺えない。どうやら目が見えなくなってきたようだ。

 次に、シンシアがいるであろう方向を向く。その間もピサロの腕はしっかりと掴んで、喚く声は耳に入らない。

 そんな些細なことよりも、愛すべき妹の方が俺にとってよっぽど重要だった。

 

「シンシア、お前は賢者だ。お前の魔法の腕はいずれソロの助けになる。……そして、この先もアイツを支えてやるんだ。俺のことは忘れて、2人で助け合って生きなさい」

 

「お兄ちゃん……わたし……」

 

 シンシアの声は震えていた。ソロの嗚咽も聞こえて来る。

 その先の言葉は聞くことができない。聞けば、張り詰めた糸が緩んで、針の穴を通すような勝算がこぼれ落ちてしまうから。

 

 でも、俺に彼女の言葉を止める余力は、もうなかった。

 

「わたし……あなたの事を忘れられない。きっと、この世界の誰よりも強く憶えてしまっているから」

 

「……俺も、最後までお前のお兄ちゃんでありたかったよ、シンシア」

 

 あえて避けていたシンシアからの想いは、師事をされる前から分かっていた。ソロに向けられるはずだった想いは、少し年上の名もない男に向けられていいものじゃなかったはずだから。

 

「オレだって、あなたと一緒にいたかった! 兄さんでも賢者でもなく、あなた自身と対等になりたかったんだっ!」

 

 ソロの声が聞こえる。

 分かってた、分かってたんだ、本当は全部。

 

 お前たちが、この先も俺と一緒にいてくれようとしたことも。

 

 いつも迫ってくる未来に追われていた俺のことを、事情を知らずとも支えになってくれようとしていたことだって、全部。

 

 でもな。

 

「この先の物語は、お前たちのものなんだよ。俺はただの、後からやってきただけの、遊び人なんだ」

 

 ついに、魔法が完成する。

 賢者ならできると、同時に展開した合体魔法。

 

 ひとつは、バシルーラ。魔物を遠くまで飛ばす魔法。

 

 そしてもうひとつは、メガンテ。

 

 術者の命を代償に、敵もろとも大爆発を起こす魔法だ。

 

「バシルガンテ……なんてな」

 

 ピサロと俺は魔物たちを押しのけて宙に舞う。

 両腕の光は、煌めきを増してゆく。

 

「……この手を、離せっ! 人間ごときが……っ!」

 

 ピサロは俺の心臓に刺さる魔剣を引き抜き、数瞬後に右腕が肩から切り落とされる。

 視界は、心臓の傷によって迎えていた限界をさらに超えた痛みにより、一瞬だけ戻っていた。

 

 ピサロは羽虫にしてやられたような心底煩わしそうな表情をした後、体ごと地上に落ちてゆく俺に背中を向け、去っていこうとする。

 

 ────その油断を、俺は見逃さなかった。

 

 トス、とピサロの背中から音がする。

 

「残心って知ってるか? もう倒れた敵にも警戒して、気を緩めるなって心得らしい」

 

「……な……!」

 

 音の正体は背中から腹にかけて突き出た、はがねのつるぎ。

 左腕で支えているそれは、ピサロをガッチリと捉えて離さない。

 

「なぜだ……わたしの鎧が貫けるはずが……」

 

「合体魔法だよ、馬鹿野郎。……俺は切り札として合体魔法を使ってたんじゃない。……お前と出会った時からずっと、使ってたんだ」

 

「ルカニとボミエ、そして俺にはピオラにバイキルトってな……おかげでお前の初撃を受けたのは良くないが、その甲斐あってお前の鎧はもうボロボロ、俺の剣は見た目以上の切れ味でお前に刺さってるってわけだ」

 

 ガラじゃないが、ニヤリと口を歪めて言う。

 

「これでも俺の剣は無駄か、魔剣士?」

 

「おまえの、何が、そこまでの執念を生んだ……っ!」

 

 口から血液が溢れて止まらない。

 ついに限界が来たようだ。

 

 好きに生きて良いと言われた俺の人生はいま、大好きな人たちを救うために全うされようとしている。

 

 母には教えを歪めてしまってごめんと、一言謝りたいと思う。あなたの言葉はたぶん、こういうことじゃなかったんだと思うから。

 

 だけど。

 

「────俺は遊び人だ────無駄な事こそ本気でやって、大好きな人達の笑顔を見るために人生全部使ってきたんだよっ!」

 

 ピサロの姿はもう見えないし、体の感覚だってとっくにない。

 バシルガンテの時間が迫る。

 

 残った左腕から放てる魔法は、おそらく人生で最後の魔法。

 

 俺の精一杯じゃ世界を救うなんて大層なことはできなくて。

 結局俺は勇者になれなかったけど。

 

 それでも、俺には救いたい人たちがいた。

 

 たとえその時、俺がそばにいなくとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ド、ラ、ゴ、ラ、ム────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後の世に語られるのは天空の勇者の英雄譚、その第一幕のこと。

 

 村を襲った魔王の軍勢。

 賢者と呼ばれた勇者の師の遺言。

 

 空へと翔び立つ師へ向けられた、若き勇者と賢者の慟哭。

 

 そして巻き起こる閃光と爆発、轟音と爆風。

 

 空を覆う魔物の軍勢を掻き分けて現れた輝く竜は左の隻腕につるぎを持ち、その剣先には魔王デスピサロの姿があったと言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────モシャス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、魔王デスピサロは世界に恐怖を振り撒き君臨するより前に深手を負い、魔界に身を隠した。

 

 そして、勇者は山間の路上でひっそりと、爆発に巻き込まれたようなボロボロの風体で、隕石の如き巨大なクレーターの中心で折れたはがねのつるぎと共に死亡が確認された。

 

 しかし、道半ばで倒れたピサロの復活を目論む魔王軍幹部らは勇者の死を好機と見てそれぞれ暗躍を続けたことで、これを阻まんとして、導かれし者たちはやはり集結する事となった。

 あの日に死んだはずの勇者を筆頭に、シンシアという予言にない賢者の少女を加えて。

 

 そして、長き戦いの末に魔族の残党を退治し、復活した魔王デスピサロを討伐した導かれし者たちは、ひとり、またひとりと故郷に帰っていった。

 そして、最後に勇者と賢者、ソロとシンシアのみが残された時。

 

 

 ────2人もまた、復興を始めていた故郷へと戻っていったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからいくつもの季節が巡る。

 春、夏、秋、冬と移ろい進んでいく季節の中で、勇者でも賢者でもない2人、山奥の村人夫妻であるソロとシンシアはもうけた子供の兄妹を連れて、とある墓標を訪れていた。

 毎年訪れているその墓標は今も変わらず、まばゆく輝く鋼の光沢を失っていなかった。

 

「これ、だれの?」

 

「そういえば知らないや。お父さんとお母さんの知ってる人?」

 

 5歳ほどの少年と少女が不思議そうにたずねると、ソロとシンシアは顔を見合わせて微笑みあった。

 

「ブレイブ、ドラゴン。その人はね、キミたちの名前の由来になった人なんだよ」

 

「オレのドラゴンって名前!? カッコいいから好きだよ!」

 

「ブレイブって女の子っぽくないからやだ〜!」

 

「あはは……」

 

 ソロとシンシアはブレイブのしかめっ面に困ったように笑いながら、子供たちの頭を撫でた。

 

「本当の勇者はあの人だったって、オレは今でも思ってるんだ。憧れだったよ、いつも……ずっと一緒で」

 

「こらソロ、子供の前で泣かないの。昔っから泣き虫なんだから」

 

 潤んできた目頭をシンシアからもらったハンカチで拭いたソロは、遠く兄のいた空を見ながら話を続ける。

 

「オレはいつでもあの人の背中を追ってたんだ。いつかあの人みたいになりたくて、がむしゃらだった。あと、オレよりもシンシアと仲良くしてるのが子供の頃のオレにはちょっと癪でさ……」

 

「わたしは2人とも好きだったわよ? カッコいいなって思う人は周りに何人いたって良いものよ、ねーブレイブ」

 

「ねー」

 

「ごめん、嫉妬とかじゃないんだ。ただ、あの人は……兄さんはある日、オレを勇者だと言って、空へ飛んで行っちゃったんだ。追いかけることさえできなくて……オレが見上げた時にはもう、太陽が眩しくて見えなくなってた。さっきまで魔物で見えなかったはずの太陽が、その時にはもう差し込んでたんだ」

 

「じゃあ、あの太陽がその人って事なの?」

 

 ドラゴンが太陽を見上げ、その眩しさに目を細める。

 ソロは、笑顔で頷いた。

 

「ああ……いつでも誰かのために何ができるかを考えていて、どんなことも絶対に諦めないような……とても眩しくて、太陽みたいな人だった」

 

 その時、彼らに向けて夏の山風が吹き込み。

 風に揺られて差し込む木漏れ日が、墓標に描かれた碑文を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『世界最高の遊び人』

 

『世に比類なき賢者にして最も勇気ある者』

 

『太陽の勇者 ここに眠る』

 

 

 

 

 


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