③
生徒会室には、紙をめくる音とキーボードの打鍵音だけが静かに響いていた。夕方の光が窓から差し込み、机の上の書類を淡く照らす。
隆誠と五十里啓は、いつものように並んで生徒会業務をこなしていた。
互いに名前で呼び合うようになったのは、ここ最近のことだ。仕事の相性が良いのか、自然と距離が縮まり、周囲からも『仲が良い』と言われるほどになっていた。
後に知った五十里の許婚、千代田花音はその事実を聞いて少々面白くなさそうにしていた。それは今はまだ、二人の知らない話だ。
「そうだ啓先輩、前々から訊きたかったんですが」
書類をまとめながら、隆誠がふと声を掛けた。
「何だい?」
五十里は手を止め、穏やかな笑みを向ける。後輩からの質問に応じる姿は、いつもの柔らかい先輩そのものだった。
「普段から千代田委員長とは殆どベッタリですけど、いくら許婚だからって疲れませんか?」
隆誠は率直に疑問をぶつけた。
千代田花音は、何かあれば五十里にくっ付こうとする。許婚という立場を理由にしているが、隆誠からすれば少々度が過ぎているように見えていた。
「あはは……な、慣れればどうってこと無いよ」
五十里は苦笑しながら肩を竦める。その表情には、諦めと愛情が半分ずつ混ざっているようにも見えた。
「リューセー君も三高の四十九院さんとそういう関係になれば分かるから」
「何故そこで彼女の名前が出てくるんですか? 俺と沓子は単なる友人関係に過ぎないんですが」
心外と言わんばかりに隆誠が言い返す。だが五十里は、どこか含みのある笑みを浮かべていた。
「僕から見て、とても友人とは思えないほど親密だと思うけどね。特に彼女が君に抱きついてくるところとか」
五十里の言葉は冗談めいているが、観察は鋭い。彼からすれば、隆誠と四十九院沓子は恋人同士と言われても不思議ではないほど親密に見えていた。
「まぁそうかもしれませんが、少なくとも俺は沓子に恋愛感情は抱いてませんから」
隆誠は淡々と否定する。その声音には嘘がなく、五十里もそれを感じ取った。
「四十九院さんが聞いたらショックを受けそうだね。リューセー君は気になる女性はいないのかい?」
五十里は軽く探るように問いかける。だが隆誠は即座に首を横に振った。
「いませんよ。それに今の俺は、友人の恋が一刻も早く成就するようにサポートしてる最中ですし」
「チョッと待って。僕もそれ気になるんだけど、そこのところ詳しく」
五十里は椅子を引き寄せる勢いで身を乗り出した。恋のキューピッド役をしている後輩――その事実が気になって仕方ない。
その瞬間、生徒会室の扉が開いた。
「あれ? 啓と兵藤君……何か随分仲良さそうに話してるわね」
千代田花音が入室した。いつものように許婚へ飛びつこうとしていたが、五十里が後輩と楽しそうに話している光景を見た途端、動きが止まる。
その瞳に、ほんの僅かだが不満と警戒が混じった色が宿った。
④
放課後の生徒会室は、いつも通り静かな作業音だけが響いていた。書類の紙が擦れる音、キーボードの軽い打鍵、窓から差し込む夕陽が机の上を橙色に染める。
だが今日はその空気に、ほんの少しだけ違う色が混じっていた。
「ねぇリューセー君、チョッと此処なんだけど――」
「はい? あ、すいません。すぐに直しますね」
五十里が差し出した書類にミスを見つけた隆誠は、素直に謝りながら訂正に取り掛かる。その姿は真面目で、丁寧で、そしてどこか親しげだった。
「大丈夫だよ。そこまで急いでいないから」
五十里は柔らかく笑い、急がなくていいと促す。その口調は、まるで長年の友人に向けるような自然さだった。
「そうですか。でしたら、この後に準備棟で作業がありますので、手伝ってくれませんか?」
「ああ、良いよ」
軽い返事だった。そのやり取りは、以前よりもずっと距離が縮まったように見える。
その光景を、たまたま用事で生徒会室に来ていた千代田花音が怪訝そうに見つめていた。許婚である五十里が、後輩と親しげに話しているだけで胸の奥がざわつく。
「……ねぇ中条さん、何か最近の啓が兵藤君といつもより仲良くなってる気がするんだけど」
隆誠と五十里が一緒に生徒会室を出るのを見送った千代田は、椅子に座っている生徒会長の中条に声を掛けた。その声音には、明らかに不機嫌さが滲んでいる。
最近、五十里が自分に構ってくれないことに不満が溜まっているのだ。その苛立ちは、日を追うごとに強くなっていた。
「私には普段の光景にしか見えませんが、何かあったんですか?」
中条は首を傾げるも、千代田は納得していない。
「だって、啓がこのところ何度も兵藤君と昼食を取ってるのよ。いつもは私が一緒の筈なのに……!」
千代田は唇を尖らせ、まるで拗ねた子供のように言う。中条は内心で『大袈裟では?』と思いながらも、表情には出さない。
「い、五十里君も偶には同じ男性と食事をするのは別に普通かと」
中条は慎重に言葉を選ぶ。普段から男子と接する機会が少ない五十里が、後輩と親しくするのはむしろ良いことだと感じていた。
だが、千代田にとっては違う。
「そうかもしれないけど、許婚の私が一緒に食事しようって言っても、先約があるって言って断られるのよ。いつもなら快く受け入れてくれるのに、何かあるとしか思えないわ」
「それはチョッと考え過ぎでは?」
中条は苦笑しながら言うが、千代田の表情は晴れない。寧ろ、ますます曇っていく。
千代田は最近、五十里が隆誠に積極的に話しかけている光景を何度も見ていた。その度に胸がチクリと痛み、面白くなさそうな表情を浮かべてしまう。
(啓……どうして兵藤君ばかり……)
千代田の胸の奥で、静かだが確かな不安が芽生えていた。
次回はもう一人の人物も小ネタとして出します。
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