日々を大切に生きよう

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「みなさーん。いいですかー?」
 亜耶は広場の上から呼びかけた。
 「亜耶さん! 十時の方向、十時の方向ですわ!」
 「欲張りは痛い目を見るって、弥勒さん知らないの?」
 「お黙りなさい雀さん! これは、弥勒家存亡の危機なのです!」
 「あ、電話だ。誰からだろう? もしもしー、って春信さん。どうしたの? ふむふむ、なるほど、了解なんよ!」
 「園子、なにしてるの?」
 「ディフェンス」
 「何から何を守ってるのよ」
 「ブーケからにぼっしーを。春信さんの命で」
 「わけわっかんないわよ!」
 広場中央は随分と盛り上がっている。
 けれど、その輪に入らず外れで佇む女性が一人。
 風は未来のヒロイン達を遠目に眺めていた。
 「お姉ちゃんはいいの?」
 樹が心配そうに訪ねる。
 「ん~、アタシには取れない気がするしいいかなって」
 「……そっか」
 風は神樹の世界から一つだけ記憶を持ち帰ることが出来た。それはある少女との約束だった。
 「みなさーん、いっきまーす!」
 だから、ブーケを受け取るのはまだ早い。
 しかし亜耶の放ったブーケは風に乗ってぐんぐん伸び、放物線の頂点を過ぎる頃には広場の中央を越え、外れにいた風まで届いた。
 偶然かと思った。けどこの花がそれを否定した。
 舞い降りた花の名はギンバイカ。
 どこか潮の香りのするその花は風に運命を感じさせるのだった。



ずっとずっと、見守っているよ

 カツン、カツン、とヒールでアスファルトを叩く音が、深夜の住宅街に溶けてゆく。

 はーっと吐く息が白いモヤとなって、それもまた暗闇の中に霧散する。

 風は満月に照らされ闇夜に映えるギンバイカのブーケを忘れ形見のように眺めていた。

 あれからもう十年。海好きの彼女、古波蔵棗にとっては三〇〇年以上もの月日が経った。

 しかしまだ、あの約束は果たされない。

 きっと棗は、どこかの海をぷかぷか浮いているのだろうと風は思った。もしかしたら、流されに流されて香川を通り越してしまったのかもしれない。念のため船幽霊の目撃情報を集めておくべきだろうか。

 初めからすぐに果たされる約束だとは思っていなかった。けれど、そろそろ出会えてもいいのではないかという考えが風の脳裏にちらつき始めた。まだ十年とも捉えられればもう十年とも捉えられる、絶妙な期間。

 あれこれ考えていると北風がぴゅぅっと風の頬を切った。カラカラと枯れ葉も巻き込んで冬の訪れをより一層早めるつもりらしい。

 「寒いな」

 不意にポツリと口から言葉が漏れた。

 あぁそうだ、寒いのだ。身体がぬくもりを求めてやまないのだ。

 抱きしめてくれた棗は未だ風の元にたどり着かない。もう会えないのかもしれない。

 一度下り坂にかかった思考は嫌な想像を囁き続ける。

 もしかしたら棗は幽霊になれなかったのではないか。

 もしかしたら棗は美森のように記憶を一部失っているのではないか。

 もしかしたら…………。

 普段ならもっと楽観的に構えていられるはずなのに、結婚式の後から胸のざわめきが鬱陶しかった。これもギンバイカの呪いなのだろうか。

 「……いや、違っ」

 風は一瞬でも呪いだと思ってしまった己を恥じた。こんなにも弱くなっていたことが衝撃だった。

 咄嗟に否定しても、残ったのは深い罪悪感とどうしようもない自己嫌悪だけ。

 殺虫剤のようなギンバイカの香りに鼻腔を刺激され、頬に一筋の川が引かれる。

 上を見上げたくても、その気力はほとんど残っていない。だからギンバイカの香りでいくつもの川が出来る。

 昔なら、勇者部のみんなを心配させない為にと気丈に振る舞えた。それが出来ないときは風が上を向くまで棗が背中合わせで寄り添ってくれた。

 行き所のない叫びから逃げそうになったそのとき、額に優しさがのしかかるのを感じた。名前を呼ばれた気がした。

雲の隙間から刺した光に照らされる感覚。

 それは、風の中の大切な思い出を掘り起こす道しるべとなった。

 

 「あ……あん、ああああああああああっ!?」

 「球子ッ! 杏ッ!」

 「うあぁ、ああぁぁあああ!」

 「貴様らああああ!」

 「降りよ、酒呑童子ッ」

 

 「勇者は役立たず」

 「村の恥」

 「ふざけるな」

 「ゴミ一家消えろ」

 「勇者なんて無価値」

 「それは……お前達のことだ……ッ」

 

 「戦いなさい」

「背後に迫る死と踊ってみなさい」

「私たちがいなきゃ生きられない豚、無価値な寄生虫は……」

「私が殺すッ」

 「やめるんだ千景!」

 「うるさい黙れッ」

 「お前は今、冷静じゃないんだ」

 「違う違う違う」

 「悪いのはこいつら、私は悪くない」

 「落ち着け千景!」

 「私の邪魔をするな!」

 

 「どうして私、戦っているんだろう」

 「痛いよ、苦しいよ、コワイよ」

 「死んだら、ぐんちゃんに会えるのかな」

 「もう、どうでもいいや」

 「こんな思いしてまで戦う理由なんて……」

 

 「ゲホッ……終わった……のか……」

 「早く……須美、園子のところ……」

 「うぐっ、がはっ……ハァ、ハァ……」

 「腕が……。痛く、ない……つめたい」

 「すみ……その、こ……」

 「ぜった、い、かえる……いきて、か、え……」

 

 「ねぇ、ミノさん」

 「本当に、仕方ないことだったのかな」

 「わっしーは今頃どうしてるのかな」

 「あそこが赤で、ここは青。そっちは紫……」

 「ありゃりゃ、またやり直しだ~」

 

 「私は勇者だから」

 「誰かの為になることをしないとダメなんだ」

 「怖く……ない。辛く……ない」

 「あはは……。幸せ、だなぁ」

 「幸せなんだッ」

 「幸せなんだよ!」

 「ぁぐぅ……。幸せ……、なんだよぉ……」

 

 「古波蔵さ……」

 「みんなみんな死んで」

 「終わりだ」

 「嫌だ……死にたくない」

 「あははっははっ」

 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」

 「っ……みんな、早く建物の中に」

 「なっち」

 「助け……」

 

 「っ! …………」

 カメラのシャッターを切るように視界が変わった。風は無くしたものを探すように辺りを見渡す。

 見知った天井、見知った照明、そして見慣れた困り顔。

 夢の世界からはかけ離れた、心臓を握られるような場所から帰ってきた身体を風は妙に重く感じた。

 「ええっと……おはよう」

 眉を八の字に曲げた棗の顔が懐かしくて、心が落ち着いて。

 「ふ、風?!」

 気付けば棗に飛びついていた。

 脳裏にはさっきまでの夢の光景がこびりついて離れない。拭っても、拭っても、鮮明なまま風の心を蝕み続ける。

 あれはきっとそれぞれの未来。この世界で試練を乗り越えた先に待ち構える本来の歴史。

 夢は夢だと、割り切ることは出来た。現実味がないと一蹴すればいいだけだ。けれど想像さえつかない領域だからこそ、否定する明確な根拠がどこにもなかった。

だからこの夢は風を火刑のように燻り続けるのだろう。何年も何年もその身焼け落ちるまで永遠に。

 「どこにも行かないで」

 風は自分のしていることが怖くなった。

果たして意味があるのだろうかと。たとえこの世界の記憶を持ち帰ることが出来ても、かえって勇者部のみんなを絶望させるのではないかと。

 「私の前からいなくならないで」

 風の中には常に責任があった。

勇者部のみんなが笑える未来に導く義務があると。それから逃げ出すことは絶対に許されないんだと。

だけど今だけは、ほんの一時だけでいいから、目をそらしていたい。

 「私を一人にしないで」

 風はそんな弱気な自分が嫌になった。

 本来なら一人で立ち上がらなくてはいけないのだが、こうして棗を頼っている。

全て背負うと覚悟していた。勇者部の盾になると決めていた。

しかしそれはたかが悲惨な夢を見たくらいで揺らいでしまう信念だった。

自分が信じられないから何も信じられない。何を信じていいか分からない。信じたいもの全てが泡沫となって消えてしまう。

「アタシはどうしたらいいの」

消え入るように呟かれた声が部屋を反響して霧となり消えた。

棗は何か言うわけでもなく、風の下敷きになっている状態をどうにかするのでもなく、ただ風の背中をさすり続けた。

部屋には風の鼻を啜る音だけがしんみりと響いている。時計の短針が一秒一秒を正確に刻んでいく。ときどき、車の通った音がしても、二人は特に気に留める様子もなかった。

風が夢から覚めてどれほど経っただろうか。棗のTシャツはとっくにいろんなものでぐしゃぐしゃで、風は赤く腫れた目元を隠すように未だ俯いたまま。時計の針の主張がさっきより強くなっている気がした。

風が落ち着いていることを確認してから、棗は優しく抱き支えながら語り出す。

「風。未来の話をしないか」

「……ヤダ」

「そう言わないで。楽しい話だから」

風は黙ったまま棗のシャツを握っている。

「約束、憶えているか? この世界から元の世界に帰って、そこでもう一度会う約束」

「…………」

無言で額を棗の胸に擦りつける風。

「私は未来で風に会えるのがとても楽しみなんだ」

棗は星座を指さす少年のように見えている景色を言葉にする。

「どんな服を着て、どんな髪型で、どんな美人になっているのか。きっと大人になった風は今と変わらず、たくさんの人を率いるリーダーなのだろうな」

棗はどこか誇らしそうだった。

「信頼される、良いリーダーだろうな」

そしてどこか嬉しそうにも見えた。

「その姿がかっこよくて惚れ直してしまうんだ」

「…………」

「風は家庭的だから、家に後輩や部下を呼んだりもするだろう。それを見て、私みたいに恋に落ちる者がいてもおかしくない。そう考えると、うかうか幽霊になって放浪なんてしていられないな」

風はクレヨンで描いたような棗の未来をどう受け取って良いか分からなかった。

楽しいような気はした。でもそう感じることが正しいのか戸惑ってしまう。

「風がどうして泣いているのか、どのくらい辛いのか、私には分からない。言葉にしても全て伝わらないから、もどかしいな」

 

「大丈夫、風は強いから。必ずまた立ち上がれるから」

そのハスキーな声音は大海原の中に佇むような心地よさを感じさせた。

「大丈夫、大丈夫」

そう言って棗は風の髪を撫で続けた。

「風はそのままで良いんだ」

「……ぇ?」

「今まで、勇者部の道は風が作ってきた。そして私たちはその道を歩いてきた」

風が一から作った勇者部。優しい嘘で覆われていた活動が気付けば優しい本当に変わっていた。

「良いと思ったから選んだのとは少し違う。作ったのが風だからみんな選んだんだ」

風は身体の奥のもっと奥から湧き上がる熱を感じた。爆発的に増えていくそれを外に出したくてもうまく出力できない。

「風は振り向かなくて良い。どんな速度で、どんなに険しい道のりでもかまわない。みんな必ず風の背中を追っているから。気の向くまま、生きたいように歩んで欲しい」

弾けそうになるほど溜まった熱が身体の中を駆け巡る。

「もし立ち止まってしまったら、後ろには私たちがいる」

「なつめぇ……」

少しだけ漏れた。

「風、いつもありがとう」

「なつめ、なつめ、なつめぇ!」

出口を見つけた熱が決壊し溢れ出すのに風は身を任せた。大丈夫、棗の大海のように深く広大な懐が全て受け止めてくれるから。

「アタシ、いいんだ。このままでいいんだ」

「ああ」

「アタシを信じていいんだ」

「ああ」

「恵まれてるなぁ、アタシは」

「ああ、そうだな」

「…………」

「ねぇ、棗……」

風は擦りつけていた顔を上げた。

目元だけでなく頬まで赤く染まった風はぎこちなく心の内を告げる。

「……お腹……空いたぁ!」

「「…………」」

「お腹……。ははっ、そうだな。まだ夕ご飯食べてなかったな」

緊張の糸が切れた二人はソファーに腰掛ける。いつもと少し違うと感じるのは二人の距離が近いせいかな。

 

 「棗!」

 反射的に見上げた先には、まんまるのお月様が座っているだけでほかには何もない。名前の主を探し右へ左へ視線を動かしても一向に見当たらない。

 さっきまでそこに棗がいた。間違えるはずがない、たしかにあの温もりは棗だった。この世界に一人しかいない、風の待ち焦がれた棗がいたはずなんだ。

 「どこ、棗。どこにいるの。返事を……うわっ!」

 突然、何かが風の顔面に覆い被さった。

 「え、なになになに!?」

 覆い被さってきた何かを掴んでみると、さらさらとした毛並みと風が家で使っているシャンプーの香り。

「って、なんだ。犬神じゃない」

そこにはもう十年以上の付き合いになる家族がいた。樹が上京して家を出て行った現在、風は犬神と二人で暮らしている。

「てことは……さっきのもアンタの仕業ね?」

 いつものことながら犬神の表情が変わる気配はない。

 「で、どうかしたの? お腹でも空いた?」

 犬神は二回、三回と旋回してから風の頭の上に乗る。ここが犬神のお気に入りなのだ。

 「ほかの精霊達は神樹様の元に帰っていったっていうのに、アンタはちゃっかり帰ってきてさ」

 風が犬神をツンツンと突く。

 「どんだけアタシのことが好きなのよ、全く」

 犬神は澄ました顔でそれをなんとも思っていない様子。

 「綺麗な満月ね」

 「…………」

 「満月……丸……温玉……」

 「…………」

 「よし犬神、今夜は釜玉うどんよ!」

 犬神がポンポンと風の頭を叩く。喜んでいるのか、それとも不満があるのか。どちらにせよ夕ご飯の舵は風が握っているのだからたいした問題ではない。

 「犬神さ、古波蔵棗って子、知ってる? キリっとした顔でアタシより背が高くて、肌の焼けた子なんだけど」

 「…………」

 「ま、知らないわよね!」

 また、棗の声が聞こえた気がした。

 


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