猫を吸う、そんな体験がしたいだけの人生だった。
今日は、はじめてのお休み。だけど、いつもとそう変わらない時間に起きる。とてもねむい。
しかし、いつもは毎日みんなを見送っているのに、休みになったとたんにぐーすか寝こけて見送りもしない、というのは体裁が悪い。それに、やっぱりみんなの顔を見ておきたい。
それで、ウルは休みなのに早起きをした。ねむい。
ザクウにちょいちょいもらっているナッツをひとつまみして、ぼりぼりと噛んだ後、もう着替えてしまうことにする。前世では友人がいないのも手伝って、一日中寝間着で
黒地に白糸が目立つ大きなパーカー、襟ぐりのやたら開いたたまご色のシャツ、そしてパリッとしたスカート。よくわからないけど、ヨシ! の精神で選んで、着る。相変わらずファッションはちんぷんかんぷん。
大きなパーカーの中二病っぽい格好良さにくるくる回っていると、ふと尿意を感じた。男のときと違って、女の子の身体では能動的に我慢しないと、ほんとうに『緩む』のをスラムでさんざんに経験したので、さっさとトイレに行くことにする。
排尿のあと、手をばしゃばしゃ洗い、顔もついでに洗って、そして鏡を見る。いつもの疲れ切った顔はともかく、服は、これは、どうなんだろう? よくわからないから、自信がない。
トイレから出ると、ちょうどザクウが洗濯をしているところだった。リーダーなんていちばん偉いのに、休みの日のかわりをするなんてどうなの、とは聞いたけど、「雑用リーダーだからね!」という謎の返事を返されてしまった。
「あ、ウルちゃん。おはよう」
ザクウはこちらを見て、にっこりとあいさつすると、「きょうは私服だね。かわいいね」
服装を褒められる、という、あまりにも意外な出来事に、シュユのおかげだということも忘れ、「そ、そうか……? き、ひひ」と照れ笑い。
ほんとうは、自信がないから、褒められることなんてないんじゃないかと思ってたけど。
「この格好で、変じゃない、んだよな?」
「うん! とっても似合ってる! かわいいよ!」
冷静なら、云わせてるとか思うのだろうが、その時はただうれしくて、服をつまんでにやけていた。
――そのすぐあと、それをうっかりしゃべったら、「そ、そんな、っス! ウルちゃんの私服褒め一番は私がやりたかったっス!」と悔しがるリコリスがいたのだけれど。
「ラチナー」
「はーい?」
ある日の昼下がり。子供に呼ばれて、ラチナはてちてちと歩いていく。
「どーしたの?」
「となりの芝生で、この前のぶどうのねーちゃんが寝てる。すっげーだらしなかった」
「ウルが?」
どしたんだろー? と表に出てみれば、たしかにウルが転がっていた。オーバーサイズのパーカーをはだけ、強調された
「ウルー?」
呼びかけると、「うぅ……ん」とうめいて、寝返りをうつ。今度は腰が丸見えだし、パンツだって見えそうになってる。
「ちょ、ちょっとぉ、ウル?」
「うー?」
あわててぶんぶかゆさぶる。おかげでさすがに起きたものの、両手をついて上半身だけもぞもぞ起こし、寝ぼけまなこでラチナをぼんやり。
「わーい。やったぜ」
そう云うと、ウルはラチナのしっぽに抱きついてきた。あまりにも堂々と、大胆な行いに、困惑しながらも受け止める。ラチナの胡乱な視線も気にせず、ウルは「すぅぅぅうう。はぁぁぁああ」と音を立てて、しっぽを抱きしめ深呼吸。なまあたたかい吐息がラチナのしっぽに立ち込める。
すー、はー。と何度も繰り返したあと、ウルは突如ぴたっと止まり、ゆっくりと離れた。
「これ、夢じゃない可能性とか」
「現実、だよ?」
とりあえずばっさり切り捨てながらほほえむと、ウルはおもむろに地面に手をついて、頭を下げ、土下座した。
「ご、ごめん! 前から吸いたいなって思ってたから、つい夢に出たんだと……」
「うーん? いーんだよ。顔上げて」
持ち上げられたウルの不安そうな顔に、しっぽをふんわり叩きつける。
「そんなにラチナのこと吸う? したいんだったら、云ってよ~」といたずらっぽく笑う。
「え、い、いいのか?」
「うん。もちろんだよ」
ウルはおっかなびっくり、やがてすこしずつ遠慮をなくし、ラチナのしっぽを
「ああ~太陽のにおい~」
ラチナの、かつて血にまみれた全身で、こんなにも安心してくれるなんて。なんでそんなになのかはわからないけど、とってもほんわか。
「あ、あの。もしかして、おなかに顔埋めたいって云ったら、おこる?」
「んーん。……ここじゃ恥ずかしいから、中で、ね?」
「や、やったぁ……ありがとう。ほんとうに、ありがとう」
「で。どーしてあんなところで寝てたの?」
吸う、を思うぞんぶんに
「いや、今日、初めてお休みもらったんよ」「うんうん」
「それで、普段はわりと早起きしてるから、そのぶんのんびり昼寝でも、と思って」「うんうん」
「でも、ほかのみんなはわりと休みもみんな出かけてて」「うんうん」
「だから、アジトで寝てるより、出かけて日向ぼっこしてました、のほうがカッコつくかなーって?」「うんうん。……それで?」
ここでようやく、質問されているのでなく、
「い、いや、ほら、部屋で寝てました、だと、ぐーたらって感じじゃない。でも、芝生で日向ぼっこしてました、だと、ぜーたくな時間だなって、ならない、かな」
「うんうん。わかるよー」
これ以上深堀りしても意味がない、と察したラチナは、ウルの両ほほをつまんでひっぱる。痛くないようにはするけど、遠慮せずむにむにやわらかほっぺを手伸ばしする。
ウルと初めて会ったときは、手土産とか持ってきてずいぶん
「ウル。ウルは、自分が女の子だって自覚、持とっか?」
「え。いや、知ってるよ、さすがに。ちんちんついてないし」
「そーいうのを口に出さないの!」
両ほほを今度は押し込んで、むにむに潰す。歯まで伝わるほど思いっきり潰しながら、
「肉球が気持ちよかった」
終わってから、そんなことをつぶやかれた。反省してほしいんだけどなぁ。
ラチナは真剣な顔でウルに向かい合う。
「あのね。この街だって、特別治安がいいわけじゃないの。だから、むぼーびに寝てて、あられもないかっこさらしてちゃ、怖い人に
こんこん。こんこん。
しばらく。
――ウルも、もーすこし
「はい! わかりました!」
ぜったい分かってない返事をして、ウルはなぜかにこにこ顔。心配してるのに、わかってるのかなぁ。わかってないのかなぁ。
ふー。しかたないかぁ。
「ねむいときは、勝手にはいってきて、ここで寝ちゃってていーから。だから、外では寝ないで」
「え。いや、神聖なとこでねこけるのって、いいのかなって」
「それは、ダメに決まってるけど。でも! それでウルが襲われでもしたらもっとやだ。だから、だいじょうぶだよ」
「あ、うん。ありがとう……?」
いまいち事の重大さがわかってないみたいだけど、とりあえず急場はしのげた、かなぁ。性教育を教えるのはゆっくりになりそうだけど、危ないのはなんとかできた。
「じゃあ毛布持ってくるから。おやすみ」
「あ、ありがとな。おやすみ」
礼拝堂から居住スペースに行き、ごそごそ押し入れを探っていると、礼拝堂のほうから声がするのを、獣人としての並外れた聴力が聞き取った。
『ねーちゃん、ごめん! まさかあんなに叱られるとは思わなくて』
『あー? いいんだよ。うれしかったし』
ガミガミ叱ったあとだから、もしかしたら嫌われたかも、と思ってたところだったのに。まさかの言葉に、耳をそばだててしまう。
『叱られてうれしいって、なに? ヘンタイ?』
『いや、真剣なラチナもかわいかったけど、そうじゃなくて』
『じゃなくて』
『あんなにまっすぐ叱られるのって、ほんっとに貴重なんよ。大人になると、妙なことしてても避けられるだけだし、叱られても、それは心配とかじゃなくて、自分の思う通りに踊れって打算だったりするし。だから、まっすぐ真剣に叱ってくれたことが、うれしくて、ありがたくて。しかもまだ会って2回目なのに! ラチナは高潔な、すごい人だよ』
『そういうもん、なのか?』
『なのだよ』
会話が終わり、子供のほうの気配が去っていく。すこし置いて礼拝堂に戻れば、もうウルは長イスに転がって寝息を立てていた。
そっと毛布を掛けてあげると、ラチナはそのむぼーびな寝顔をながめ、「ほんとーに、不思議で、魅力的な子、だね」とささやいた。
危うくて、でもしっかりしたところもあって、大事にされてるのに気づかず家出なんか企んじゃうのに、叱られたらうれしがって。傭兵団のみんながかまうのもわかる。惹かれてしまう。目が離せない。
「えへへ。まいったなぁ」
仲良くしてあげてほしい、という頼みで軽く友達になったけど、今はラチナ自身の望みとして、心に湧いてくる。
「ラチナとウルは、ともだち。よろしくね」
まただらしなくよだれを垂らしはじめたウルに、ラチナはあらためて