目を覚ましたとき、目に映ったのはまたおなじ天井だった。
ウルはベッドからむくりと起き上がると、ぼりぼりと頭を掻いた。ゆっくりと頭が回転を始め、寝る前の出来事を思い出す。
――たしか、起きて逃げようとしたんだったな。んで、見つかって、話して、抱きしめられて、あったかくて……寝ちまった、のか。
そこまで思い出すと、急激に羞恥が湧いてくる。うああ、と声が漏れ、身体が熱く火照る。なにかを搔きむしりたくなる衝動に任せて、腕に爪を立てて思い切り掻く。
いくら今世で初めての人肌だからって、あれはないだろう! 前世ではもういい年のおっさんが! あんな!
がりがり腕を搔きむしる。噛み切ってぎざぎざの爪が痛い。繰り返し掻いて、鋭く走る痛みのおかげで落ち着いてきた。
腕をほどくと、荒くなった息をととのえ、おおきくひとつ深呼吸。
「よし、知らん顔しよう」
声に出しグッと両手を握ってそう決めた。
気を取り直しベッドを降りようとすると、ちょうど足をおろす場所にサンダルがあった。スリッパにも似た、子供用のちいさいサンダル。履けということだろう。
サンダルを履いて立ち上がる。
ここまで来たら、認めるしかないのだろう。
アイスフリル傭兵団とかいうやつらは、本当に善意でスラムのガキを拾うような集団なのだと。
他人事のように感想を持つと、ウルは服を脱いで部屋を出た。
部屋のドアを開けてすぐ、にぎやかな声と肉の焼けるいい匂い。階段の下からだ。
宴会のような楽し気な雰囲気のところに近づくのは気が引ける。昨夜除外した窓からの逃走の選択肢がよみがえる。だが、善人集団だとわかった以上、あいさつせずに出ていくのも別の恐怖を感じる。ごくり。つばを飲み込むと、ウルは一歩踏み出した。
階段を一歩一歩、踏みしめるように降りる。大広間のざわざわと楽しそうに話していた声が、ウルのほうを見る視線と反比例するように静まっていく。だから嫌だったんだ。ウルの顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。降り切ったころには、もう空気がしんと静まり返っていた。身がねじ切れるようなその空間を、きしむ手足を意識的に動かして、平静を装いながら歩く。
「あー、ザクウ、さん」
唯一声を交わした相手にたどり着き、声を絞り出す。彼の顔もまた固まっていて、感情が読み取れない。昨日はあんなにもかわいらしく笑いかけてくれたのに。
昨日の痴態を思い出しそうになり、記憶を押さえつけながらあわてて考えておいたセリフを云う。
「泊めていただいて、ありがとうございました」
噛まないように。つかえないように。意識する。「生まれて初めて屋根のあるところで寝られて、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました」
頭を下げる。たっぷり待ってから、彼のなにやらかすれた声が降ってきた。
「……あの、ウルちゃん?」
「は、はい」
「なんで裸なの?」
なぜ、と云われても。キャミソールとパンツだけのウルは、平然と――いや、予想外の質問に焦り倒しながら答えた。
「い、いや、さすがにお借りした服ですし、返さなきゃって。あ、下着もですよね。そうですよね。あはは。は」
「わー!?」
なんの躊躇もなくすっぽんぽんになろうとするウルの腕を、ザクウはあわてて掴んだ。
「逆、逆! 服着よ!」
「え。でも……」
「お願い。着て」
服を返そうとしただけなのに、その服を着るように懇願されてしまった。どうしてだ?
疑問に思いながら、ウルは服を着始める。これまでの服は
肌擦れしないふわふわの服にあらためて感動していると、なんだか周りの雰囲気がすこし緩んだ気がする。
「でもすぐ出てくんだし、別にわざわざ着なおさなくても、っと、着なおさなくてもいいんじゃないですか?」
危ない。きのう
「……昨日決めておいてよかった」
「?」
小声でつぶやかれてしまい、聞き取れなかった。悪口だろうか。
「ウルちゃん! あのね。ここで働く気はない?」
「正気か?」
ぽろっとこぼれた。取り繕おうとすると「別に云い直さなくていいよ。自然に話して」と苦笑される。ザクウには一度乱暴に話したから、あれが素なのがすでに分かっていたのだろう。
ふう、とこれ見よがしに力を抜く。そのまま手を身体の前でぐーぱーぐーぱーと開いたり閉じたり。
「じゃあ云うけど、何やらせるにしてもわざわざスラムのクソガキを引き入れる必要なんてないだろ? もっとやる気にあふれたまじめなやつとか、能力もある経験者とか。そういうののほうがいいに決まってんだろ。スレたガキでもできることなんて、それこそ囮か肉壁か肉べ」「あら。おませさん」
んき、と云う前に口をふさがれた。なんだか憶えのある展開。
ふごふごともがいて、絡んできた腕をタップするとすぐに手が離れた。
振り返ると、ストロベリーブロンドの髪をしたちいさい女の子がにこにことほほえんでいる。
「おませなウルちゃん。ご期待には沿えませんが、リーダーさんはあなたを大事に扱いたいそうですよ」
「……はぁ」
ちいさい女の子は頬に指をあてるわざとらしい困り顔をしながら、
「実は私はあなたのことを放り出す気でいましたの。ですが、リーダーさんはあなたをここに住まわせてあげたいと、それはもう情熱的に説得なさいまして」
うさんくさい文句にちらりとザクウのほうを見ると、彼は顔を紅くして目を見開いた状態で固まって、ザ☆図星と全力で表現している。
はぁ。
「ザクウさん。あんたリーダーなんだろ? なら、もっと疑ったり選んだりして身内を守ることを考えたほうがいいと思うぞ? スラム育ちのガキんちょなんか、生き残るのに悪事をしまくってるに決まってるんだから」
「ウルちゃんはしてないよね?」
あまりにさらりと反論された。いや、反論ですらない曇りない信頼。
「ウルちゃんは悪いことしてる子じゃないと思うんだ」
えへへ、と無邪気に笑った顔を見せてくる。
ここで、露悪的に、オレはスリにひったくりに強盗やりまくりだ――とか云えば話は早いのだろうが、さすがにやってもいない罪を自慢するのは気が引ける。
「……なんでそう思うんだよ」と問うても、「そう思ったから!」とますますの笑顔で返されてしまった。
むむむと黙っていると、さっきの女の子が上品に口に手をあてくすくすと笑っている。
「残念ですが、これでリーダーさんは頑固なところがありまして。特にいい子だと認めた子なんかは」
「別にオレはいい子とかじゃないですけど」
「そういうことを云う子はいい子ですよ。ふふ」
「なんですかそれ……」
脱力。
そうしてふと見れば、周りにいる人が手を止めてこちらを見ていることに気が付いた。食事の手を止め、ひそひそと話をしている。
『あの子元気でよかったな』『リーダーがいい子だって云うなら安心スね』『妹ができたみたい』
やたらと好意的でびっくりする。聞いているとその根拠が『リーダーが信頼しているから』らしく、人の信頼が背中にのしかかり恐ろしい。
期待されている。手を止めさせている。時間を奪っている。
恐怖のあまり脳が停まる。
「あ、あー。これから、よ、よろしく、お願い……します」
恐怖に追い立てられ、肯定の言葉を吐いてしまった。云った瞬間ふっと楽になったものの、取り消したい後悔が代わりにやってくる。それもまたザクウの喜びの表情や周りの期待を、落胆や失望に変える未来がよぎって踏み出せない。
「これからよろしくね! ウルちゃん!」
にこにことザクウが手を握ってきてぶんぶんと振る。
働く、という言葉にいい思い出はないんだが。
まあ。流されてしまおう。
諦めて、全力で上下に揺れる腕をぼんやりと見つめた。
「みんな! あらためて、今度から仲間になるウルちゃん! アジトのハウスキーピングをしてもらうよ!」
落ち着いたザクウが周りの人達に宣言すると、背中をぽんと押してくる。
ぽんと視線のただなかに押し出され、一瞬ぎゅんと目の筋肉が収縮し、めまいに襲われた。
「じゃあ、自己紹介おねがい」
早速また後悔した。
目線をあげれば、緊張でバチバチとスパークする視界の中、二十人くらいの顔がこちらを向いている。視線を
「ウ、ウル、です! スラム育ちです! よろしくおねがいします!」
コミュ障特有の簡素に過ぎる自己紹介、と自分でも思うくらいだ。やはり納得されないのか、目線が次の言葉に興味深々と訴えてくる。なにか。なにかしゃべることは。
「そ、そう! 実は自分は生まれは別のスラムなんですよ! そこで生まれてすぐ人買いに連れてかれて。その時に親が唯一云ったのが『こいつ、売る』だったんです。なので自分
名前の自虐ネタはウケなかった。笑いどころで少し待っても誰も笑わない。
「と、とにかく! よろしくおねがいします!」
待った時間を打ち消すように強引に締める。
自分語りなんて嫌いだ。
(公開してからこっそり一文追加しても……ばれへんか)