無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第十九章『勇者の光』

 

 

 “勇者”

 それは真我(アヴェスター)の天における双極の一。

 白の陣営の究極存在であり、みんなの祈りを一身に背負う“正義”の代表者だ。

 おお、我らが勇者よ。御身の剣で輝く勝利を与えたまえ、と。奉じる民草の声を聞き届け、義憤を燃やして剣を執る。

 まるでファンタジーで語られる勧善懲悪の物語。古今東西、そのノリは魂を奮い立たせる王道として映るだろう。

 

 そんな空想の中の英雄(ヒーロー)が、現実の存在として降臨していた。

 そこに備わるものは善の光。今の時代ではどうやっても成し得ないだろう純白の正義だ。

 奇跡のような姿で、神剣を携えたのは戦乙女(ヴァルキュリア)。破格の威風を纏わせた女騎士が、凶戦士の禍風に真っ向勝負を挑んでいた。

 

「ハアアアアッ!!」

 

 振り抜く剣圧、その一挙手一投足に伴われる紫電。

 どれもかつての比ではない。その実力は今や神威にも見劣りすまい。

 そして稲妻が証明するのは、言うまでもなくベアトリスが象徴とする異能の発露。

 本来ならば驚くことは何も無いだろう。しかし考えればこれはおかしい。今のベアトリスは得物が違う。

 黒円卓の魔人はその力を聖遺物に依存している。魂を融合させた器物がなければエイヴィヒカイトは発揮されない。

 本物の超人ならばその限りではあるまい。だがベアトリスはそうではない。意思一つで塗り替えられる宇宙だが、だからこそ強さという大原則には一切の妥協も許されない。

 これも勇者の力が織り成す奇跡だと、言い切って終わらせるのは理解の放棄だろう。そもそも勇者の力自体、道理を考えるならあり得ないことなのだから。

 

 神剣とは、真我(アヴェスター)の天に存在した勇者のための神造兵装。

 白の人々の祈りを束ね、奇跡に変える変換器。そのために備わっているのが人の思考への同調能力であり、最大限の真価を発揮した際には宇宙全土まで効果範囲を拡大できる。

 この水銀の天で、神剣(クイン)は同様のことを行っていた。この惑星(チキュウ)に住まう総ての人々の深層心理へと同調し、共鳴させてその想いを受け取っている。

 

 前述の通り、本来ならば不可能なことである。

 まず前提として、神剣とは白の陣営のための兵器であり、同調するのも同胞からの祈りに限られる。

 敵の想いまでも略奪し、我が物として行使するのは正義(ノリ)に反する。潔癖な善の民からすれば穢れと映るはずで、まともな使用法ではあり得ない。

 善悪二元において、敵対陣営とは一切を根切りとするべき害悪であり、交渉の余地がないのは天地が逆さに引っ繰り返らないレベルの常識だった。

 

 第一天での白の属性とは、全体主義の群体的な生態だと喩えられる。

 善く見れば互いを思い遣って利益の共栄共存が出来るものであり、悪しきを見れば全のための犠牲に一切の躊躇がない。

 悲しみ惜しむ気持ちはあれど、それらは即座に敵への義憤に変換される。全ては黒を滅ぼすために、そのように思考を統制された生態はこちらの人類とは別種だと言っていい。

 人類は、自然と社会を形成できる白であり、自己の利益を追求する黒でもある。どっちつかずの灰色と言うのが適切で、クインからすれば生理的に受け入れ難い。

 ガソリンが無いなら灯油で代用しようと、そんな話は通るまい。性質の僅かな違いでも機能不全に陥るのが燃料で、どの分野でもデリケートな問題だ。

 混濁した祈りに方向性を狂わされ、力に変えるどころか論理破綻を起こして自滅するのが関の山。“みんな”がいない神剣では出来ることは限られる。

 

 そうなっていないのは、ひとえにベアトリスのおかげだった。

 水生の生き物が陸に上がるには手足が要る。異なる宇宙の生態に適応するための法則(ルール)が求められた。

 先の戦いで致命の破損を負ったベアトリスの聖剣。もはや次の実戦には耐えられないだろう聖剣(それ)を、神剣(クイン)は自らを素材にして鍛え直した。

 二振りの剣を混ぜ合わせ、一本の剣として再誕させる。エイヴィヒカイトに必要なのは霊格を昇華させる歴史である。

 その論理で考えるなら、神剣の来歴はお誂え向きと言えるだろう。一つの宇宙の始まりから存在し、善悪闘争の中心で在り続けた剣。これに比肩し得る“格”は、こちらの宇宙ではラインハルトの神槍くらいなものだ。

 

 二つの宇宙の法則を融合させ、互いの長所を掛け合わせる。

 カイホスルーの手法と同じ。聖遺物を取り込んだ今の神剣は、真我と水銀のハイブリッド。創造位階を行使しながら、用いる燃料は魂ではなく人々からの祈りである。

 民の犠牲を容認しなかったベアトリスにとってはこれ以上ない仕上がりだろう。これもひとえにクインとベアトリスの好相性に因るものだった。

 

 黒円卓の他の誰がやったとしてもこうはならなかった。

 異なる法則(ルール)の掛け合わせを可能とするのは、何よりもお互いの相性の善さだ。

 誰もが狂気に陥る闇の中で、人としての正道へと引き戻す(ヒカリ)となりたい。自らがどう在りたいかを重視する求道にあって、同時にそれは他者へと向けた祈りである。

 その気質は神剣を携える勇者に限りなく合致していた。いやむしろベアトリスのような者こそが神剣を携える者の本道とさえ言えるだろう。

 普遍的な正義の象徴(シンボル)が、灰色である衆愚の思いをまとめ上げている。謂わばフィルターのようなもので、この世界の祈りをクインが受容可能なように濾過しているのだ。

 

 ベアトリスは戦う。人々からの声援を一身に受けながら。

 おお、清廉なる騎士よ。人間のあるべきを知る英雄よ。無力な我らに代わり、どうか勝利をもたらして。

 それは正義という名の委任状。個としては強大すぎる力を憚ることなく行使できる、唯一無二の大義名分。

 無限の勇気が沸いてくる。背中を押されて、負ける気がまるでしない。想いを一つに立ち向かう勧善懲悪の王道だ。

 承認を得ることは力になる。数は多ければ多いほどよく、まして人類総ての承認があるなら何をしたって“正義”だろう。

 正義とは心地よい。正しさへの確信は自信を育む。己が善の側にいるという自尊と自負。それは剣を執る手に大いなる力をもたらす。

 

 もはや疑いの余地はなく、今のベアトリスは黒円卓最強だ。

 一閃に込められる威力はラインハルトにも匹敵しよう。人類という総体を背負った彼女は、神の領域に半ばまで踏み入れている。

 まさしく今の彼女は“勇者”であった。一つの天の究極として、世界すらも超越した力を振るう。異次元の強さにまで駆け昇る戦乙女(ヴァルキュリア)を、誰であれ止められるわけはなく──

 

「偉くなったつもりか?そんな力で」

 

 そんな正義を背負った勇者の剣を、侮蔑と否定の念を叩きつけながらマグサリオンは受け止めた。

 剣閃の威力は突き抜けた衝撃だけで天地を震撼させるが、凶戦士だけは不動にして不変。

 人類の総体意思という正当性を前にしても、マグサリオンは揺らがない。疑わず、己だけの殺意(セイギ)を信じている。

 無慚無愧。殺戮の荒野を征く孤高の男は、ベアトリスの掲げる正義を何一つとして認めていないかった。

 

「理解はしているが度し難い。そんなものを誇らしげに見せびらかす貴様らの感性は。

 まさかと思うが、俺に人間は素晴らしいとでも言ってほしいのか?」

 

 理解はすれども、共感はない。

 誰よりも冷徹に俯瞰した視点で以て、マグサリオンはこの世のあらゆる事柄を見定めてきた。

 王道の大義。世のため人のため、護るために剣を執る。疑う余地がないと思える善の理由にも、拭えない醜悪さがあることを。

 

「真我の天が人形の群れならば、ここの連中は己の向きすら持たない阿呆共だ。

 そいつらのどれほどが、今の事態を正確に受けとめている?大半にとっては関わりすら持たない対岸の火事。当事者はごく僅か。

 思いを繋いだ?祈りを集めた?吹けば飛ぶような塵屑を拾い集めて、何がそんなに誇らしい?」

 

 人類の集合無意識に共鳴し、彼らの思いを聴き受けた神剣(クイン)

 だが、それは彼らが神座という舞台の真実を知ったことを意味しない。いくら何でも全てを公開したら、今頃世界中が恐慌状態だろう。

 あくまで共鳴という形で、潜在的な深層意識を聞き届けているだけだ。漠然とした危機感は覚えているかもしれないが、精神の平穏は保たれている。

 

「時勢が変われば向きも変わる。危機が過ぎれば英雄など無価値。相も変わらず、他人に心臓を握らせているようだな。

 俺という厄介物がある内は意思統一も出来るんだろう。善悪という構図の分かりやすさ、ああまったく吐き気がする」

 

 ベアトリスという正義を象徴とすることで灰色の想いを一つにまとめた。

 しかし、本来それでは不十分。正義を際ださせるなら対立する巨悪が要るのだ。

 人類抹殺を公言するマグサリオンは、知らない者からすれば悪以外の何者でもない。というより、第一天の状況が特殊だっただけで、真っ当な生命にとって冥府魔道は脅威としか成り得まい。

 凶戦士を放任すれば、それ即ち滅亡の危機。これほど分かり易い大義もそうはない。利害が通用しない点も追い風だ。それを阻むための強さとは、ある意味でマグサリオンがいるからこそ成り立つもの。

 

 そして無論、災厄が取り除かれれば、そんな強さに用は無い。

 魔王を打倒する強さとは、魔王に匹敵する脅威の可能性と同義である。

 自由にしておくのは危険すぎる。恩知らずの恥晒しと誹りを受けても、可能ならば除いておきたいのが為政者側の本音だろう。

 やはり人の心とは灰色なのだ。時勢が変われば黒としての身勝手さが顔を出す。常に白のままではいられはしない。

 

「そいつらの思考の本質を教えてやる。“他力本願”だ。

 英雄とは、不都合を遠ざける猟犬の名だ。それが証拠に、貴様のような塵屑にも構わず役目を押し付ける」

 

 ここまでベアトリスは正義の象徴として相応しいように語ってきた。

 しかし、たとえ祈りや気質そのものは善性でも、彼女の歩んだ道は潔白には程遠い。

 軍人として、戦争という所業に従事してきた。無抵抗な者に刃を振り下ろしたことも一度や二度ではない。そして魔人となった後にあるのは誉れとは程遠い蹂躙ばかり。

 本来の清廉さ以上に、女騎士の両手は血で塗れている。果たして世の“正義”を担う象徴として相応しいと言えるかどうか。

 

「この世界を揺り篭だと信じている。いいや、思い込んで事実を見ようともしない。

 そこに理屈はない。ただそうでなければ困るから。都合の悪いものなど見たくもないから。あえて白痴の面を被り気づこうとしないだけ。

 だから、その信仰を脅かす不都合を排斥する。無知を免罪符に、愚者の道から外れる異端を許さない。平穏のためにな」

 

 世界は、自分たちを祝福している。

 口には出さずとも、これは万人の誰しもが少なからず共有している思いだろう。

 たとえ不遇に見舞われ世界を憎んでいる者がいたとしても、まさか宇宙の構造そのものが人類に対する悪意に満ち充ちているとは思うまい。

 常人にとって、それは成す術のない絶望だ。マグサリオンの言う理屈は、むしろ自己防衛の手段として適切とさえ言えるはず。

 

 だが、マグサリオンは認めない。

 つまらん輩ならば斬ると決めている。他力本願など好みじゃない。

 結果として総てが滅ぶとしても、剣たる己を曲げはしない。凡百相手にも容赦はなく、凶剣としての裁定を下すのだ。

 

「託すほどの意志もなく、ただそうなっていればいいと半端な期待だけを掛けている。見れる価値など何処にも無い。

 何か言ってみせろよ“人類代表”。首輪をつけられた走狗には、考える頭すら持ち合わせんか?」

 

「そんなこと──」

 

 マグサリオンの口撃は斬れ味鋭い。

 理解によって本質を解体し、その陥穽を抉り出す。

 無慙の問いに、何も返せない木偶ならば。凶剣の露として散るのみだ。

 

「ただの穿ったものの見方だ!」

 

 回避不可能の隙を捻じ込んだ凶の剣閃が、捉えたはずのベアトリスを透り抜けた。

 稲妻と化したベアトリスは物体ではない。非物体であるが故の透過能力は雷化の強みでもある。しかし、そんな道理で阻めるほど凶剣は甘くない。

 物理法則を無視するくらい魔人たちでも当たり前にやってのけるのだ。要となるのは小賢しい現実を粉砕する意志力であり、その点では凶戦士こそ極まっている。

 因果さえ捻じ曲げる男が、たかが無形である程度で標的を仕留め損なうわけも無し。ならばこの結果は、ベアトリスの闘志が未だ凶眼の型に嵌まっていないことの証左だった。

 

「銃後の市井の盾となり、剣となって戦うのは軍人たる本分です。

 悪いところばかり見て、正義を恥じる必要なんて何処にも無い!」

 

 元より、ベアトリス・キルヒアイゼンの戦いとはそういうもの。

 祖国に勝利を。大切な人たちに救いの手を。水銀の薫陶を受けて、人外の領域へと潜行していきながら、人としての何たるかを捨てないように。

 たとえ人の歴史が虚構に過ぎないとしても。人が人として育んできた営みが好ましく、そういう風にしか生きられないと知っているから。

 

「あなたが言った通り、私の手は血まみれです。本当なら勇者なんて烏滸がましいと分かっています。

 だから、私を都合のいい偶像と見てるなら、私にとっても好都合なんですよ。その期待に相乗りして、体よく利用させてもらっている。ええ、否定はしません」

 

 人々が祈りを捧げるのは、ベアトリス・キルヒアイゼンという等身大の人物ではない。

 勇者という偶像へと向けられた英雄幻想。人は完璧になれないと分かっていても、やはり心の何処かで都合の良い理想を求めてしまう。

 矛盾しているようだが、それもまた人の灰色の部分だろう。詳細すぎる人物像などむしろ邪魔で、下手な経歴はイメージを損なうことになりかねない。

 幻想とは綺麗であるべきだ。実態は重要ではなく、不特定多数の眼に映る偶像(ヒーロー)には一点の汚点だって許されない。

 

 自らは穢れた女であると、ベアトリスは自覚している。

 マグサリオンが奉じるような不変には程遠い。懊悩し、道を違えてしまったことも一度や二度じゃない。

 超越者などでは断じてない。ただ常人を超えた力を持った人間に過ぎないと、今となってはこの事実こそ誇らしい。

 

「あなたも、クインさんも、私たちからすれば極端すぎる。清濁併せ吞むって、それでいいじゃないですか。

 目の前の現実に、地に足を付けて生きる。たとえ明日に世界が終わるとしても、誰もが生きることを蔑ろにしたら何も残らないでしょう!」

 

 とても勇者らしく勇者をしているベアトリスだが、同時にやはり彼女は勇者ではない。

 真我の天における勇者とは、己を持てない空の呪いだ。与えられた役割(キャラクター)に従って動く無我である。

 最期の勇者であるワルフラーン。かの人物は勇者の中の勇者であると皆々から讃えられた。

 しかしそれも、英雄幻想(ヒーロー)という脚本に従ったまでのこと。あえて言うなら誰よりも演じるのが巧みだった結果であり、実態は歴代の誰よりも正道を外れた異形。

 そんな様を指して、かつてマグサリオンは他人に心臓を握らせていると表現した。実際はそんな表現では追い付かない異端だったが、同時にそれは勇者という存在を的確に表した言葉とも言える。

 

 勇者の運命に選ばれた者には自分が無い。

 自我は漂白されて無我となり、名ばかりの正義と共に善悪闘争を廻す神の走狗だ。

 個の価値よりも全の意思こそ至上とする白の究極。力の有無も他人に依存し、その意思までも真我(ダレカ)の手に委ねている。

 不完全な人間を、完全な偶像へと仕立てる処置でもあるだろう。アイドルはうんちをしない、理想という名の与太話すら実行に移すようなもの。

 

 しかしベアトリスはそうではない。

 知っての通り、彼女の来歴は清廉には程遠い。また同じくこの天地に住まう民のまた、潔白とは言えないものだ。

 灰色だから、灰色の判定でも許される。他に委ねるのではなく、互いが都合の良いところで利用し合っていると表現できる。

 紛れもなく不純だが、上手く回っている内には問題など起きないものだ。清濁併せ吞むとはそういうことで、それが出来るくらいにはベアトリスも“大人”だった。

 

偶像(アイドル)だってウンチくらいするんですよ!

 みんなの勇者になることと、私が私でいることは、決して相容れない矛盾じゃない!」

 

 迸る稲妻がマグサリオンを打つ。

 受け取る祈りを渇望の輝きに変えて、繰り出されるその威力こそ人形ではない証明だ。

 ベアトリス・キルヒアイゼンは“英雄”だった。多少の汚濁など呑み干して、醜くも美しい人間を護るために駆け抜ける。

 

「ハイドリヒ卿のヴァルハラも、あなたが言う冥府魔道だって、私は認めない。

 どんなに弱くてままならない道だとしても、私は人としての道を進む!」

 

 もしかしたら、正しさは向こうにあるのかもしれない。

 ラインハルトの修羅道にしたところで、世界にはそれ以上の最悪があると知ってしまった。

 何が正しくて間違いなのか。人間の視点で断言することは不可能で、最善を尽くしていると胸を張ることは出来ない。

 

 だから、理屈ではないのだ。

 自分は人間で、人間としてしか生きられない。

 故に、人の道に沿って戦うと決めている。真理も未来も見えずとも、ただ懸命に抗うだけ。

 愚かだとしても、そんな愚かさと折り合いを付けながら進んできたのが人だから。

 それさえ諦めてしまうのなら、あまりにも生きている甲斐が無さすぎる。嘆くだけの運命なんてベアトリスは認めない。

 

「威勢だけは褒めてやる」

 

 しかしマグサリオンとは、そんな倫理や感傷を超えた凄絶の極みに立つ男。

 どれだけ清廉な正義を掲げようと、その凶眼は揺れない。決意も覚悟も余さず呑み込み、過たず殺すために。

 

「だが、貴様のことは既に“視ている”。

 貴様は凡愚だ。どう足掻いたところで不変にはなれん。

 大層な口をきいているが、所詮は渇望の芯からは遠い。綺麗事に過ぎないんだよ」

 

 ベアトリスが口にした啖呵は、決して嘘ではないだろう。

 人の道を尊び、その価値を見失わなかった彼女は、人々の祈りを背負うに値する。

 だが、それは願いの原点ではない。見ず知らずの誰かのためではなく、彼女が剣を執ったのは唯一人の“特別”のためだ。

 

「そいつらの祈りと、貴様自身の願い。摺り合わせ、総取りこそ狙いなのだろうが。

 理想だ大義だので装飾し、芯を外れた戯れ言で誤魔化そうとするのは人類(キサマラ)の悪癖だ。

 形にしてみせろよ、その我執(ネガイ)。恥だの悔いだのに囚われた程度なら、以前と何も変わらんぞ」

 

 挑発じみた詰問は、しかし避けて通ることは許されない。

 異常な洞察を発揮するマグサリオンの眼力に誤魔化しは通じない。問われた時点でその答えはベアトリスの裡にある。

 見抜かれた祈りに半端があれば、その間隙を射貫かれて斬滅される。決意と覚悟が偽りならベアトリスの敗北だ。

 

「流石。本質を見誤まらぬ鋭い問いだ」

 

 剣と言葉で鍔迫り合う両者の間に、紅蓮の火線が差し挟まれた。

 巻き込むことも厭わずに、いいや実際、諸共に滅却する腹積もりではあったのだろう。

 黄金への不忠を口にした以上、赤騎士(ルベド)の敵として断定される。主へ捧げる不変の忠義こそ、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグの本懐だ。

 

「対して貴様は、相も変わらず甘い。大層な力を得て、少しは変わったかと思ったが。

 そういうものは居直り根性というのだよ。元より理屈が先行する性質(タチ)でもあるまいに、気付きが半世紀ほど遅い。

 ハイドリヒ卿を認めない、だと?貴様、今さら高尚な悟りでも開いたつもりか?」

 

「ッ!?少佐こそ、変わりませんね!」

 

 次いで降り注ぐ弾幕を、絶妙のタイミングで回避してのけるベアトリス。

 本当に、そのタイミングは神懸かり的に絶妙だった。眼前の敵を火中に残し、己だけが離脱するという妙技。

 その刹那以外にはあり得ない好機であり、連携として見れば改心の出来だろう。他の誰であってもこう上手くはいかなかった。

 ベアトリスとエレオノーレ。言葉も交わさず合図を送ることもなく、互いを知り尽くす彼女たちだからこそ出来た技だ。

 

「融通が効かない。状況を見ましょうよ。三つ巴なんてしている場合ですか?」

 

「抜かせよ。あらゆる闘争を是としてこそ修羅道だ。

 緩めるな、キルヒアイゼン。この上ハイドリヒ卿を失望させる真似は許さん。

 叛意を口にしたなら、相応しき英雄となって興じさせるのがあの御方へと奉公と知れ」

 

「ああ、もう!」

 

 言葉でのやり取りもそこそこに、戦闘を再開させる両雄。

 降り注ぐのは無限と見紛う銃砲火線の豪雨。更にはその間隙を疾駆する稲妻の刃。

 赤騎士(ルベド)の殺意は本物だ。期待という名の容赦の無さは、少しでも外れれば瞬く間に殲滅される苛烈さを意味している。

 そんな期待に応え続けるのがベアトリスだ。無茶ぶり、我儘なんのその、どれもこれも今さらすぎて、むしろ懐かしさと親愛すら感じる始末。

 実際、文句を言っているようで、ベアトリスは笑っていた。彼女との今のやり取りが嬉しくて堪らないと、そんな気持ちに嘘はつけない。

 

 傲慢な理想主義者で、己の水準を当たり前のように強制する。

 怒鳴られ、しごかれ、叩き起こされて。結局残ったのは私だけで、けれどそれを誇りにも思っていて。

 そんな貴女だから、私は追いかけたのだと。初恋に焦がれた乙女のように、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグこそベアトリス・キルヒアイゼンの青春。

 他のあらゆる願いは、ベアトリスにとって“ついで”に過ぎない。彼女の瞳に映るものは、今も昔も唯一人の憧れの背中だけだ。

 

 だからいくらだって駆け抜けられる。あなたの無理に、私だけは応えてみせよう。

 倦怠の中で過ごした半世紀でも、瞳の奥にはいつだって貴女の姿が映っていた。色褪せない理想を追って鍛錬に励んできた。

 いつか貴女を、呪われたヴァルハラから取り戻す。私の元に連れ戻すのだと、その誓いだけは断固として譲れない。

 

「貴様を見ていると常々思う。人物の器とは、立場によって形成されるものだと。

 虫も殺せん腰抜けが本来の貴様だ。そんな生来の性を超越して、こうして英雄の道を駆け昇っている。見事と言う他あるまい。

 民の祈りを背負う勇者か。貴様なんぞがと思う反面、納得もしている。確かに貴様なら、そういう役割を振ればやり遂げてみせるだろうとな」

 

「なんですか、それ。褒めてるんですか、貶してるんですか?」

 

「無論、褒めているよ。貴様から見て、私は大層な嗜虐家とも映っているか知らんが。

 評価に値すれば賛辞は惜しまん。採点が辛いのは認めるが、ならばこそ誇れ。私の目に適うのは数少なく、故に得難い価値があると」

 

「ああ、はい。ホント、ナチュラルに俺様ですよね、少佐は。そんなだから私とリザさんくらいしか友達いないんですよ」

 

 場違いな言い合いを続けながらも、そんな緩みが弱体化に繋がることはない。

 緊張に縛られていては結果など出せない。怒りも熱量が過ぎれば眼を曇らせる。

 適度な緩み。それは動きから澱みを失くし、心身に十全の活力をもたらすものだ。交錯の度に冴えを増す連携は、凶戦士すら翻弄し得る武器となる。

 

 真に肩を並べての共闘ではない。

 ベアトリスとエレオノーレ。この舞台での彼女たちは和解などしない。

 どうあっても信念を譲れず、必ずや道を分かつ結果となる。和解が成り立つとすれば、互いの意義が遠く過ぎたものになった未来でだけ。

 故に、今の彼女たちも本質的には敵同士。それでも絆は存在している。戦友として、昔日の郷愁にも通じる想いを懐いている。

 殺意を向けながらも成り立ってしまう連携が如実にそれを示している。奇妙と感じるが、決して悪い気もしていないのは共通項だった。

 

「ああ、ならばこそ一つ、私にも解せんことがある。そもそも貴様、どうして黒円卓に席を置いていた?

 反旗を翻すだけなら機会はいくらでもあった。あえて黄金錬成の期を待ち、半世紀の雌伏を過ごすというのは私が知る貴様と乖離している」

 

 この際、勝算云々は横に置く。

 述べてきたように、ベアトリスとは理屈よりも感情の女である。

 決めたのなら一直線。半端な立ち位置でうだうだと、らしくもない謀略などとエレオノーレの知る姿と一致していない。

 そして案の定、失敗している。今ここでこうしているのは舞台上の都合に過ぎず、偶さかの幸運を拾っただけに他ならない。

 

 エレオノーレにとって、それは現世に残してきた長年の疑問だった。

 家族の蘇生や故国の復興。考えられる理由は幾つかあったが、どれもしっくりこない。

 果たしてベアトリス・キルヒアイゼンという女は、そのような女々しき理由で剣を執る女であったか。

 彼女は戦士だ。口ではこき下ろそうと、誰よりもエレオノーレこそ認めている。戦いを生業とする以上、厳守すべきは鋼の掟。

 即ち、屍は越えていけだ。戦場では脚を止めずに進める者だけが生き残れる。喚こうとも変えられない不文律を、しかと遵守し鉄心に出来る者が真の戦士。

 尋ねればよかったのだろうが、気付けば問い質す機会を逸してしまった。あえて上げるのならそれこそがエレオノーレの慚愧。些細な疑問に過ぎないとはいえ、五十年来ともなれば答えを出さなければ座りが悪いだろう。

 

 事の詳細が解れば、叶えてやってもよいと思っている。

 そんな風に思うこと自体、彼女たちの間にある絆の深さを示している。そしてだからこそ、エレオノーレは未だに明確な答えへ至っていない。

 朧気に予感くらいはしているだろう。だが人とは我が事ほど、そして敵意よりも好意の方こそ、より鈍くなることがままあるのだ。

 

「……私か?」

 

 端から見れば明白でも、己の口から言い出すのは気恥ずかしい。

 得難い繋がりだと思うからこそ、安易に言葉としてしまうのは陳腐に感じる。

 それでも何処か、ここではない戦場で、そんな話をしたような。寝言に等しく根拠も薄い、しかしどうにもしっくり来てしまうのも認めざるを得ないことだったから。

 

「ハイドリヒ卿への忠義を否定し、私を修羅道より救い出すなどという戯れ言を、未だにのたまうつもりか?

 世界の真実を知り、貴様の奉じるものなど砂上の楼閣に過ぎんと知りながら、それでも考えを譲るつもりはないと?」

 

「……ええ。その通りですよ」

 

 既に状況は違っていて、以前までの理屈は通用しない。しかしそれでも、ベアトリスは赤騎士(ルベド)の生き様を否定する。

 貴女は憧れで、目指す目標だったから。追いかけるその背中が、今のままではどうしても我慢ならなかった。

 

「ラインハルト・ハイドリヒは破綻しています」

 

 それは所業の善悪といった、そういう話ですらなく。

 もっと根本的に、黄金の獣の在り方には未来(さき)がない。道理が成り立っておらず、未来には破滅しかないと断言できる。

 

「確かにいろいろ知りましたよ。お陰で分かったことがあります。

 完全無欠だと思えたハイドリヒ卿も、本当は全然そうじゃなかった。あの人こそ在り方を縛られた誰よりも自由の無い人だ。

 壊して、喰らって、その先は?覇道のままに進軍しても、果てには何も残らない。総てを巻き込んで自滅するのがあの人の役割だから」

 

 あるいは、それが彼にとっての幸福なのかもしれないが。

 唯一無二の相手と相討ち、共に終わることを本懐だというならそうかもしれない。

 問題が個人で終始するなら、それも有りな答えだろう。それで満足なら勝手にしてくれと、黄金への忠心が無いベアトリスにとってはそれが本音だ。

 

 だが、エレオノーレは違う。彼女の忠義が真実ならば、そんな運命は断じて許容できないものだろう。

 

「殿方を想う気持ち、結構なことですよ。私でも、今なら少しは分かりますから。

 本当は、そういう貴女の目を覚まさせたいと思っていました。ですけどそんな一途に貫かれたら、なんだかこっちが折れかかってます。悔しいけど仕方ないって。

 でも、だからこそ不満でしょうがないんですよ。そんなに一途な想いがあるのに、貴女は何をしてるんですか!?」

 

 稲妻と業火が交錯する。

 未だ交わらない互いの心、その複雑怪奇な綾模様を表すように。擦れ違う信念が雷火となり踊っていた。

 

「こんなことは馬鹿娘の私にだって分かることです。なのに、どうしてずっと傍にいた聡明な貴女が、この事だけは気付けない。

 恋は盲目。情けないですよ。貴女はただ、見初めた理想が崩れてしまうことを怖がっている。だから目を逸らしているんでしょう。

 外面、いいですもんね。あの人は特別だからって、いつまで乙女の逃げ口上を使ってるんですか?」

 

「貴様ァ、黙っておれば調子に乗りおってぇ!」

 

 ベアトリスの発言に、当然ながらエレオノーレも黙っていない。

 彼女にとっては万死にも値する侮辱。踏み抜かれた逆鱗に、赤騎士(ルベド)は嚇怒の炎を燃え上がらせる。

 

「だったら!」

 

 だが、それを追いかける閃光の女騎士も黙ってはいなかった。

 燃え上がった気炎の熱にも怯まず、尚も意気を込めて言葉を放った。

 

「ただ付き従うだけじゃない。()()()()()()()()()()くらいはしてみせてくださいよ!」

 

 自滅の因果を善しとせず、その運命を覆す。

 誰よりも破滅の凶気を匂わせる人を、それでも止めようとする女性たちを、ベアトリスは既に知っているから。

 

「貴女ならそれが出来る。私が憧れたエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは、どんな運命にだって屈しない、私の“英雄”だから。

 そんな貴女こそを、私は追いかけていたいんです。私を英雄だと言いましたが、そういう道を歩かせたのは貴女なんですよ、ヴィッテンブルグ少佐」

 

 今回のことで、改めて思い知らされた。

 ベアトリス・キルヒアイゼンは凡庸だ。孤高を貫き揺るがぬ意思を備えた鋼の英雄にはなれない。

 

 省みれば、ここに至るまでの半世紀が、既にその証明。

 半世紀。言葉だけならたったの一言、しかしその中に含まれる人の半生、あるいは一生分とも成り得る時間は、一言きりで済ませられるはずがない。

 少なくとも、怠惰なばかりで過ごすには長すぎる時間だろう。たとえ非才の身でも、それだけの時間を費やせば一角にはなれるはず。

 だというのに、ベアトリスはその時間で築き上げたものがない。いつか反旗を翻すため準備をするわけでもなく、私生活の面でもロクな変化がなかった。

 

 家事は身に付かず人任せ。趣味を初めても長続きせず。

 剣の鍛練こそ続けていたが、努力というより習慣だ。長年で染みついた作業(ルーチン)で、新しい何かを目指していたとは言い難い。

 誰が聞いても思うはず。もう少し、何か出来たはずだろうと。平凡と評するのも憚られる有り様で、英雄の名に相応しくないのは間違いない。

 

 しかし、それもまた、ベアトリスの本質なのだ。

 櫻井の兄妹がいて、エレオノーレがいた。彼女が剣を執る時とは、いつだって他人が理由にあった。

 エレオノーレが評した通り、本当なら虫だって殺せない。もしも誰かと出逢わなければ、ベアトリスは凡庸な少女として終わっていたはず。

 独りでは本気になれない。己だけの決断ではなく、誰かの背中を追い掛けることで本領を発揮するのが、ベアトリス・キルヒアイゼンという人物なのだと思い知る。

 

「私のお尻を容赦なく蹴りあげてくれる人がいたから、私はここまで来れたんです。

 だから、困るんですよ。今みたいに、殿方に都合の良い女で満足してる貴女では、私が追いかける“憧れ”とは成り得ない。

 男の我儘なんかに振り回されないで。貴女がエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグなら、ハイドリヒ卿を正しい向きへ更生するぐらいはしてください!」

 

 勢い任せの言葉。だが、それは確かに、ベアトリスが提示した新しい可能性だ。

 修羅道は認められない。その道に殉じようとするエレオノーレの姿は受け入れられない。

 だから、エレオノーレの心変わりを望めないなら、彼女が従うラインハルト・ハイドリヒを変えればいい。

 元の願いから輪をかけてあり得ないと思える内容。以前なら発想自体が浮かばなかったに違いない。

 けれど今のベアトリスは、その可能性を信じられる。神座で最も破滅的な男にすら、向き合おうとする強い(ヒト)がいる。ならば諦める道理はなく、やってやれないことはないと女の意地を通すべきだ。

 

「まあ、口で言っても納得しないですよね。仕方ありません。今度は私がカッコイイ背中をお見せします。

 どうか見惚れて、悔い改めてから、せいぜい後を付いて来てください。先に行ってお待ちしています」

 

 迷いを振り切り、現状に甘んじることを良しとしない。

 そんな姿を導きの標にして、私に倣えとベアトリスは告げる。

 何もおかしなことはない。むしろ渇望に沿った道だと言える。踏み外した道を正す光となること、そのために剣を執ったのだから。

 

 覚者や救世主にはなれない。

 この手はとっくに血塗られている。戦うことでしか道を示せない女。

 自覚している。言われた通り、己は戦士。戦いが終わればお払い箱になるだけの英雄で十分だ。

 

「ほら、悔しいでしょう?私だけが先へ先へと進んでいたら、貴女のような負けず嫌いが無視できるわけがない」

 

「……馬鹿娘が。本当に好き放題言いおって」

 

 エレオノーレからすれば、何とも反応に困る。

 あまりにも滅茶苦茶で、素直に怒りを懐く気にもなれない。ましてや一瞬が命運を分ける死闘の最中に、いったい何を言い出しているのかこの馬鹿娘は。

 

「私は彼の“(ローゲ)”だ。彼の傍で侍るのなら、意志の脆弱など許されん。

 破滅に向かう道程だと?ああ、あるいはそうかもしれん。彼が標榜する破壊の愛の行き着く先がそれだと言うなら従おう」

 

 盲信と言われようが意に介するつもりなど無い。

 変えるだのと虫の良い、結局は己に都合よく解釈しているに過ぎないではないか。

 黄金を至高と信ずる。狂っていると承知して、その輝きに永劫焼かれ続けることを渇望した。

 逃げる気も、引き返す気もない。何処までも追い続け、何時までも焼かれていたいと望んだ。この熱情(キモチ)は一片たりとて変わらない。

 

 故に、この身が為すべきは諫言などではない。紅蓮の激情と共に、敬愛する主のための“剣”で在りたい。

 

「だが、貴様如きの浅い尺度でハイドリヒ卿を測った気になるな。その結末が不本意ならば、彼はいくらでも超越する。

 望まぬ既知に囚われていた彼は、誰よりも“勝利”を渇望している。不都合な事実など破壊して、断崖をその意志一つで飛翔するのが真の英雄なのだから」

 

 ジークフリートに恋をしたブリュンヒルデ。

 眠れる戦乙女の伴侶となれるのは、炎の壁をも超えていける英雄のみ。

 あるいは狭量とも見做される様は、それ故に世界すら焼き尽くすほどの激熱を燃え上がらせる。永久にこの炎で焼かれることを望むなら、恋する戦乙女のままで構わない。

 

 結局、彼女たちの心は未だに平行線を辿っている。

 那由多と繰り返された回帰の頃と変わらない。それは水銀の因果に囚われているとも見えたが。

 

「ああ、本当に貴女は、普段は聡明なのに時々信じられないくらい馬鹿になる。

 リザさんの相手をしている時とか筋金入りでしたよね。端から見ていて笑いそうになりましたよ。

 生まれ変わっても変わらない頑固さです。むしろ簡単に心変わりされたら拍子抜けですよ。私も覚悟を決めます」

 

 全てが同じなわけではない。回帰の輪の中では存在しなかった可能性も生まれている。

 今ならば、今だからこそ、より善き処にも向かえると信じる。彼女たちは追い掛ける者同士。向かう先が違っていても、駆けた果てに重なり合える未来もあるはずだから。

 

「お付き合いしますよ。たとえ宇宙の彼方でも。

 いつか絶対、改心させてみせますので。貴女は私のジークフリートだから」

 

「戯けたことを。吐いた言葉は取り消せんぞ、馬鹿娘(ブリュンヒルデ)

 元より逃がすつもりもない。貴様の方こそ、私の背中を見上げながら引き摺られてくるがいい」

 

 それは戦場に咲かせる百合の花。

 焔に惹かれた乙女たち。己が見初めた熱の在り処に永劫灼かれていたいと望んでいる。

 当人たちは否定するだろうが、彼女たちは似た者同士だ。優先されるのは理性ではなく、魂を悦ばせる熱情である。

 矛盾など些末なこと。非合理の塊である女の情動。鉄心を取り繕おうと一皮剥けば、噴き出すのは理想と意地、そして愛を綯い交ぜに描き出された綾模様。

 

 複雑怪奇な雷火の応酬。一筋縄ではいかぬ女たちの我執が、凶戦士の眼には映し出されていた。

 

 

 

 

 “――――見えていますか?聞こえていますか?マグサリオン――――”

 

 

 あなたの眼に、彼女たちはどう映っていますか?

 やはり、嫌悪?誰に対してもそうだったように、愚かしくて疎ましいと拒絶を返すだけなのか。

 世界の景色はあなたにとって耐え難いほど醜悪で、万事に殺意を懐かなければならないという戒律も、あなたからしたら単なる常態に過ぎないのかもしれない。

 あなたを苛む数多の呪い。斯くあるべく産まれた鬼子は、殺戮の魔道を走るべく創られた。同胞と結ぶ絆の価値なんて、きっとあなたからしたら笑い話にもならないのだろう。

 

 それでも、どうかあなたに知ってほしい。彼女たちは変えようとしている。不変を奉じるあなたとは正反対で、けれど同質だとも言える願いだ。

 

 善も悪も流転して、終わらない闘争を廻し続ける善悪二元。

 その凄惨な世界の在り様を、あなたは憎んだ。果てに成し遂げた善悪滅尽の冥府魔道。白にも黒にも染まらない無慙無愧は、不変であると同時に現状に対する変革でもある。

 その所業の是非について、今さら問う意味はない。既に終わったことなのだし、あなたの中で確かな道義があっての行いだと知っている。

 後の時代にとって、その結末を反面教師とするくらいの意味でしかない。あなたはそんな世界の破壊者であり救世主。それだけが真実だ。

 

 凶剣の鞘として、(クイン)は思う。無慚無愧を完遂したあなたは、この先に如何なる勝利を見据えるのか。

 

 マグサリオンの戦いは終わっていない。

 あなたは“今”も神座の極奥に座し、来る“零”との決戦を待っている。

 でも、それは本当にあなたの望みなのか。見事打倒を成し遂げたとして、それであなたは何を得られるのか。

 理屈の上では筋が通っていても、肝心要の動機の部分が不透明。彼の道を追ってきた者として言える事はあるけれど、答えを一つとしてはっきり表すことが出来ない。

 世界への憎悪。生来の呪い。兄への反発等々。だけどそれらは既に区切りがついた問題でもある。半端なままでは納得しないあなただと知っているけど、携えられる剣として願いの芯を理解したい。

 

 最大の謎とは、マグサリオン自身のことだ。

 こんなに近くで見てきた私でさえ、あなたの内情は見えてこない。黒騎士の謎もまた不変のまま留まっている。

 孤高のあなたは理解者さえ不要と断ずる。あなたを理解しているのはあなただけ。だから私から言えるのは、知り得る所から来る推察だけだ。

 

 私は知っている。ずっと傍で見ていたから。

 悪を喰らう悪の巣窟。旺盛と退廃を繰り返した堕天奈落。

 無慙(あなた)の原罪を継いだ子たちの楽園で、その末期でのあなたの前に現れた“彼”のこと。

 

 ネロス・サタナイル。

 私見だけど、彼はあなたにそっくりだと思った。一見すれば合理性の権化めいたお父様(クワルナフ)のようでもあったけど。

 あなたの手に在った剣としての“記録”には、そんな印象が残っている。世界を滅ぼして恥も悔いも懐かない傲慢は、あなたの無慙無愧の継嗣の証明。

 きっと、こんなことを私が知り得ているのは、今という特殊な状況がためだろう。終われば消える虚構だからこそ、少々の矛盾も誤魔化せる。

 とはいえこれは当事者の視点ではない。例えるなら本に記述された一節を読み上げるようなもので、その瞬間の詳細な情感までは掴めていなかった。

 

『まさか卑怯とは言うまいな、父上?』

 

 あの時、あなたは笑っていましたね。

 とても満ち足りたように。真我(アヴェスター)の時代では見たこともない、この時を待っていたとばかりに。

 勿論、厳密にはマグサリオンでないことは理解している。覇道の素質が無かったあなたが流出に至るための外装人格。その行いをマグサリオンのものと同列に扱うのは違うのだろう。

 けれど、あそこは世界の最も深い座標にある神の座だ。あの場でのあなたは“無貌”の総体から剥き出した本来の“貌”に限りなく近いものであったはず。

 

 あの安堵こそ、あなたの本音なのではないですか?

 マグサリオン。あなたにとっての殺戮は、渇望ではなく義務感が近い。

 是非もないから仕方なし、なんて消極性とは無縁だけど。終わらせられるものなら終わらせたい。納得がいく形で事態を畳むことが出来たなら、それに越したことはないのが本当では?

 この世界に嫌悪しか沸かない。破滅と憤怒の呪歌に彩られたあなたにとって、解放こそが救い。総ての悪を根絶し、最期に残った己という悪を消し去ることで冥府魔道の完遂とする。

 あなたの道は自分自身すら殺す。禍々しい凶戦士の行く末とはそんなものだと、あなたを知る同胞たちの誰もが思っていたことだから。

 

 あなたは覚えていますか?

 怒りの権化であるあなたが、そんな狂人の論理を否定して、凡庸な人間を選択したことを。

 殺意偏重主義では先がなく、他の神格にしたところで何らかのカタチで破綻は訪れる。

 だからこそ凡百な人に、凡百故の立ち回りで制してみせろと、あなたは勝負を仕掛けた。剣としての在り方を譲らないまま、あなたなりに人の可能性へ譲歩した。

 もしかしたら無貌という総体に呑まれて、その記憶は失われているかもしれない。そんな茶番に覚えは無いと侮蔑しながら否定するのかもしれません。

 でも構わない。だって記憶を失ったくらいで、あなたがあなたを見失うわけがない。あなたは危険で、そして誰よりも合理的。自分自身の迷走なんて許すわけがないのだから。

 

 ねえ、マグサリオン。

 彼女たちは、あなたとは違う。

 信じる道を持ちながらままならない、凡庸な人間としてここにいる。

 徹底しているあなたと比べて、彼女たちは弱いのだろう。でも、そんな不変ならざる姿こそ、あなたが可能性を見出したものではないですか?

 そんな弱さと、そして強さは、あなたの眼にはどう映っていますか?そこから導き出せる答えが、殺戮の荒野に独りきりの在り方に変化をもたらせるならと、私は────

 

「黙れ」

 

 鍔迫り合いの中、神剣より伝わってくる思念に対して、冷然たる拒絶を返すマグサリオン。

 

 元より、神剣(クイン)の本来の担い手とはマグサリオン。

 ベアトリスに使われている今の状態こそ異常。ともすれば反逆行為だと受け取ることも出来るが。

 しかしそうではない。元より無双無尽の鋭さを持つマグサリオンにとって、剣の威力にさしたる拘りは無い。

 凶戦士にとっての、この現状こそ最大の益に繋がると確信している。神剣(クイン)の主は今も変わらずマグサリオンのままだった。

 

 殺意でしか他者と触れ合えないマグサリオン。

 自らを鞘だと称した通り、神剣(クイン)の役割とは納める術を持たない凶念の納め先となること。

 母として、息子が世界と繋がるための架け橋になろうとしている。その手段が殺し合いしか無いのなら、敵に回るのもその一環と考えて差し支えない。

 

「何度も言わせるな。俺は死なん。貴様の世話など必要ない」

 

 だが、マグサリオンの排斥ぶりは変わらない。

 己に味方などいない。いるのは敵と、敵の敵だけ。抜き身の凶剣としての在り方は不変である。

 彼自身が、その凶念を納める術を求めたことなど一度もない。恥じず、悔いず、孤高に貫く無慙無愧。理解は己の中にだけあればいい。

 

「――ッ、あなたこそ!」

 

 故に、そんな拒絶ばかりの分からずやに、ベアトリスは憤りを込めた剣閃を叩きつけた。

 

「あなたこそ何だ!?いったい何のために戦っている!」

 

 そう、マグサリオンは分からない。

 動機と行動が明らかとなっても、他人から見たそれらの繋がりが不明瞭すぎる。

 嫌悪している。なのに理解する。総てを根絶したい。しかしある種の救いをもたらすつもりでもある。

 殺しが好きなわけでもないのに、徹底して遊びが無い。生きている喜びなんて存在しないのに、己は死なないと誓いを立てた。

 これほどに凄絶で、そして分かりづらい男は他に類を見ないだろう。所業が自身の渇望に根差す神座の演者たちに比べ、マグサリオンの異端とはそこにあった。

 

 例えば、歴代でも最悪で最強の邪神がいた。

 第六天波旬。その強さの根本は、その単純明快すぎる渇望にあるだろう。

 己こそは唯一無二。他者と何かを比べる意義を見出せず、真実己だけがあればいい。

 故に、他人なんてものは無謬の平穏を脅かす害悪に他ならず、我が身に触れる忌々しい塵めらを滅ぼさん。

 その理を滅尽滅相。他にどんな解釈も入り込む余地がなく、マグサリオンでなくても一目瞭然で理解してしまえるだろう。

 想いとは、不純が無いからこそ熱を帯びる。波旬の異常とはその熱量。他者の一切を必要としない祈りは始点の段階で完成して不変。

 本来なら他人を害するという発想すらあり得なかったはず。しかし、とある因果により、彼は完全な独りになれなかった。

 その不快さは常軌を逸した域にあり、解消されない苛立ちは内界へと堆積され、次元違いの神威(いかり)を開得するに至ったのだ。

 

 あるいはその指先に凶剣の刃が届いたのも、理解が容易すぎる波旬の性質にあるのかもしれない。

 ともあれ、マグサリオンの性質はそれとは真逆。滅尽滅相と無慙無愧、通じるところも多い二つの理は、しかし理解性の一点でかけ離れていた。

 様々な付加要素が凶戦士の内面を複雑怪奇にしている。それは戦術上の問題でもあるのだろう。不変の身体などという荒唐無稽は、在り方を暴かれれば張り子も同然。

 これまで多くの敵を型に嵌めて斬滅してきたが、当のマグサリオン自身を当て嵌める型が無い。故にその護りは難攻不落。神座の正道とは別のところにある強さであり、その型に嵌まっている限り凶戦士に殺せないものなど無い。

 

「俺の眼に、貴様らは変わらず屑に見える」

 

 無尽の殺意は止まらない。

 善悪二元を殺し尽くして、冥府魔道に一区切りがついたのは間違いないだろう。

 だが、やはり彼は剣なのだ。そう在るのだと決めた以上、既に後戻りの道は無い。

 抜けば斬る。それは自動機械めいていて、徹底して不変。歯車じみた在り方は人間としてあまりにも異形だった。

 

「筋書き通りに踊り続ける蒙昧ども。芯となる不変も持たず、そんな様で何が出来る?

 つまらん輩なら斬ると決めている。真我の木偶からさしたる進歩も見えんのなら、ここで俺に殺されるのにどんな不都合があるという」

 

 ここは第四の天を基礎に置いた舞台。

 だがマグサリオンという特級の異物を入れ込んだ時点で法則は破綻。強制力は失われている。

 縛られているのなら、それは魂に根差した業に他ならない。その意味でなら、むしろマグサリオンこそ誰よりも自由が無いだろう。

 不変であるが故に変われない。凶戦士は何度でも冥府魔道を巡り続けるのだ。

 

「無慙無愧をやり直す。貴様らの納得など必要ない」

 

 マグサリオンは不変、故に無敵だ。

 絶えず血を流し、己よりも強大な力に捩じ伏せられても、その凶念は終わりすら拒絶する。

 無謬の剣は折れず曲がらず、人の情など一切捨て去った黒鉄の刃。力の強弱でしか道理を語れない奴輩とは一線を画した異形、それはこの永劫回帰の舞台でも変わらない。

 

「なるほど。まさしく彼は、あらゆる法則に対してのカウンターだな」

 

 死闘の渦中、俯瞰的な目を向けてエレオノーレが呟きを漏らす。

 狂信的ながらも聡明であり、ある意味で“まとも”だと言えるのが赤騎士(かのじょ)だ。狂気と道理の境に立ち、客観的な戦略眼を発揮できる。

 

 染められない反発。根源となる渇望も見えず、故に“座”を塗り替える色彩ともならない。

 零れた点から広がるのは何も残らない“無”だけ。新たに塗り潰すことも出来ないシミは法則を内から崩壊させる陥穽となる。

 凶戦士の在り方は人のそれとはとても言えない。だが神ならざる道を行く彼は、百貌にて体現した人の存在を武器に戦っている。

 神格は神威でもって既存の法を一新出来るが、法そのものに亀裂を刻むことは人でなければ出来ない。その凄絶な徹底ぶりは、法を壊す者として相応しい。

 

「道理に跪いたのでは勝てんか。道理に頷かん馬鹿者の方が勝算がある。

 無論、力だけの信奉者ならば絡め獲られる典型だろうが、貴様はそうではあるまい。馬鹿は馬鹿でも種類が違う。

 どうやら決定打は貴様にあるようだぞ、キルヒアイゼン」

 

 斬り結びの中で、ベアトリスは考える。

 どうすればこの剣を攻略できるか。いったいどのような思想と共に磨かれてきた技なのかと。

 相手は正道を介さない邪道の剣。殺戮のみを求めた剣には敬意がなく、共感なんて懐けない。

 それでも、こうして対峙して行うのは理解に向けた行程だ。如何に相手を捌き、その技を制するのか。術理の研鑽とは相手の存在を意識しなければ始まらない。

 目と目を合わせ、その断末魔まで聞こえてくる距離で。否定だけの間柄でも無視は出来ない。剣という殺意を通じて、相手のことを理解しなければならないのだ。

 

 ただ華々しい、異法同士の殺し合いなら、こんなことは望めなかった。

 心象に描いた理想の具現化。謂わば幻想の押し付けであり、己だけに都合がいい妄想を誇示する行為。

 相手からすれば訳も分からない出鱈目だろう。奇襲、不意打ちの類いと同じで、尋常な勝負とは程遠い理不尽な蹂躙にしかならない。

 相手の理解を放棄する外道の力だ。ベアトリスはそれが嫌で堪らなかった。超人などと聞こえがよい自己陶酔で、そんな黒円卓の流儀に染まってしまうことをずっと拒んできた。

 

 ここにいるのは、そんな堕落者たちの天敵だ。

 狂っているからこそ変えられない不文律。そこに確かな答えを示して特攻性能を創出するのが凶剣の真髄だと聞いている。

 魔人たちが勝てなかったのも道理だろう。渇望に囚われた狂人たちは、彼からすれば殺し慣れた手合いに過ぎないのだから。

 ベアトリスとて、その一人には違いない。前回の戦いでは自らの不純を突き付けられて成す術なくやられてしまった。

 この再戦で、自分にどれだけの変化があるのか。それはベアトリス自身にも分からない。力を増しただけでは駄目なのは重々承知だ。

 

 悩んでいたベアトリスに、神剣(クイン)は言った。

 思うがままにしてほしい。そんな貴女の選択を信じると。

 狂人の強さが絶対性なら、人間の弱さとは可能性と言い換えられる。

 迷わない者は確かに強いが同時に危うい。もしもその強さが通用しなければ何も出来なくなってしまう。

 揺れ動く“あやふや”な錨のまま、取れる選択肢を拡げていく。不変ではなく、可能性を育めること。それこそが人間の真価だと。

 

 ああ、本当に、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そもそもベアトリスがこんな力を受け入れたのは、そんな可能性を信じられなくなったからだ。

 人として在るべき道といくら理想を唱えても、現実は非情。厳然と存在する超越者の力を前に、人のままでは抗うことさえ出来ない。

 出来ることと言えば、虚しい自己満足だけ。それでは誰も救えない。弱肉強食は自然の摂理であり、ならばこそ手を伸ばすしか道はなかった。

 ここに至っても、あの時の選択を快くは思わずとも、間違いだったとは思っていない。あそこで人間に拘っていたとしても、到底何かを成し遂げられたとは思わなかった。

 正気にては大業ならずと、ああ、まったくもってその通り。水銀の影法師の言葉は忌々しくも的を得ており、夢物語を今さらどうやって信じられるという。

 

「クインさん────」

 

 伝えられた担い手の意図に、神剣(クイン)は思わず問い返していた。

 本気なのかと。事の是非は問題ではなく、質したいのは覚悟の有無。

 危険すぎる。下手を打たずとも自滅に等しい。仮に上手くいったとしても、それで事態が好転するとも限らない。

 まともに考えれば問題外の選択だ。正常な判断とは思えず、あるいは自棄になってしまったのではと疑いを持つのも致し方ない。

 

 ベアトリス自身、確信があるわけではないのだ。

 一度は信じられずに捨てた道だ。迷いはいつだってある。何とも頼りないと思えるが、そもそも当然の話だろう。

 決意を胸に断固揺るがずと、決めてもなかなかうまくいかないのが人間だ。不変ならざる心はいつも何処かで別の選択肢を探してしまう。

 定まらない“あやふや”なまま、それでも勇気と覚悟を以て未踏の一歩を踏まなければならない。それこそが人間として生きるということだろう。

 

「────お願いします」

 

 刹那。

 

 護ってくれ死にたくない奉じる素晴らしい余計なお世話だどうでもいい穢してやりたい金金金愛してください愛させて戦いたい殺り合いたいああ嫌だ面倒臭い知ったことかよそれよりも助けて欲しい救ってほしいいや要らない殺されてみたい壊してやりたい出し抜け犯り捨て恥を晒すな聖者のように悪魔の如く幸せになって論理のまま食食食静かにしてくれああ満足だ美しいどうか休ませて────

 

 神剣が受信する人類の祈り。

 その膨大な数が放流となって、狂った勢いのまま流れ込んできた。

 

 善性で統一された思想ばかりではない。

 真逆の悪性、怠惰や無関心まで含め、それらの想いには一切の憚りがなかった。

 まるで入り乱れる百面相。誰も彼もが取り繕いをかなぐり捨てた剥き出しの欲望だ。

 綺麗なものでは断じて無い。それは身勝手で、秩序を持たない混沌で織り成される綾模様。されど同時に、これこそが人間の真実だとも呼べるもの。

 

 神剣(クイン)は、善のフィルターを外していた。

 それは効率的な出力変換のために必要だったはずの措置。前述した通り、この世界は本来の規格とは合わないのだ。

 適応しない燃料を注ぎ込まれて、器は軋みをあげている。自らの状態を鑑みて、繰り出せるのは一撃が限度というところ。

 これだけのリスクを背負っておきながら、一撃が強くなったわけではない。むしろ単純な比較では出力効率が落ちて弱体化しているだろう。

 捨て身というには対価が割に合わない。あるいは、祈りを厳選するのは不誠実だったかもしれないが、それしきの狡さも持ち合わせないで人間はやってられまい。

 

 大義を持たずして人々がまとまれないのは古今東西の歴史が証明している。

 たとえ国難だからと、真摯に国を憂える者が全員ではなく、中にはそんな状況を歓迎する者さえいるだろう。

 特段おかしなことでもない。優遇される者がいれば冷遇される者もいる。現在の体制下で不遇の身上である者にとって、崩壊は再起への足掛かりとも成り得る。

 そうでなくとも、人の心が自由であるなら理由なく破滅を望むこともあり得るのだ。始まりから和を外れた殺人鬼(かいぶつ)に道理を説いても通用しない。

 善悪の隔たりなく想いを受け入れるなら、そうした例外的な趣向まで許容する必要がある。詰まるところ、正論だからと罷り通るほど人間とは単純に出来ていない。

 あの波旬にさえ賛同者がいて、慈愛の黄昏にすら反発する者が現れるなら、万人の熱情(たましい)を納得させるなど土台不可能。

 

 人間ほど単色に不向きな種族は存在しないとは、ある閻魔の言葉。

 筋の通った理があっても譲れない想いがために染まることを拒絶する。自由にやらせては統治なんてままならない。

 神が己の理で民心を染めるのも、統治をしやすいように施すフィルターのようなものなのだろう。それでも盤石には程遠い。いずれはまた別の、人を外れた単色(ことわり)によって塗り替えられる。 

 

 ふと、得心がいった。

 どうして例外が存在するのか。人々が住まうこの世界に、明らかに規格を外れた怪物が生まれるのは何故なのか。

 きっと、最初からそうだったのだ。例外に染まった世界で、新しい例外を生むために。多種多様な他の色は圧倒されると決まっている。

 個の熱量を重視するあまり、熱を持たない大多数の想いへの配慮が致命的に欠けている。何者にもなれない雑色など無価値だと、主演たちを彩る背景がお似合いだと言い捨てて。

 民主制ではなく独裁制。白か黒かは選出された支配者の心得次第。民はそれに従う以外は許されない。

 

 この宇宙は、最初からそのように出来ている。ベアトリスにもそれが理解出来た。

 

「ねえ、みんな」

 

 呼び掛けた声に、呼応してくる祈りは先程までより少ない。

 導きの閃光(ヒカリ)たらんとするベアトリスの想いは普遍的なものだが、万人に通じるものとは言い難い。

 悪性の輩には鼻で嗤われるだろうし、怠惰な者に正論で諭したところで大した成果は見込めまい。

 正義の光は物語の王道だ。巨悪に対して想いを一つに立ち向かう。その構図は美しいが、現実にはそう都合良くはいくまい。

 何時にだって空気を読まない者はいる。たとえ火急の事態でも己の都合で話すのが人だから。綺麗に揃って右倣えとはいかないのだ。

 

「あなたたちはこのままでいいの?」

 

 分かっている。所詮、この身は聖者を気取るなんて烏滸がましい。

 導きなんて偉そうなことは言わない。だから、上からではなく当事者の視点で呼び掛けてみる。

 屑だの木偶だの、ひどい言われ様。私たちは見縊られて、餌も同然の有象無象な扱いばかり。

 これでいいの?絶対的な力を前に心折れてしまうのは仕方ない。だけど、こんな扱いに本心から納得している者なんているものか。

 何も出来ないから、何を言われても仕方ないと?そんなふざけた理屈に一発かましてやりたい気持ちは誰の胸にだってあるはずだ。

 

「あなたたちだって、生きているんだから!」

 

 収束していく。

 まとまりを持たず各々の方向を向いていた祈りたちが、一つの方向で合致した。

 固い結束とまではいかない。やはり個々の想いは多様に分かれており、身勝手で悪辣なものも少なくない。

 それでも、善悪の区別なく、集まる想いは一人の相手を向いている。大きな括りで見るのなら、それらは敵愾心と呼ぶべきもの。

 

 正道ばかりで動ける者など、そもそも稀。

 人が本当の意味で熱情を発揮するのは、己という個に根差した執着だ。

 他でもないベアトリス自身がそれを証明している。ならばこの敵愾心も不思議なことでは決してない。

 見縊られ、無視されて、歯牙にもかけられずに扱われ、それで反発を懐かないなど善でも悪でもあり得ないから。

 

 大義は要らない。

 ただ、こちらを路傍の石とも思わない驕った支配者に目にものを見せてやりたい。

 そんな単純すぎる反骨こそ万人の心に響く。多種多様な個我を持った人として、己で在りたいとは根源的な願いだから。

 

「──ああ、そうか。だからこそ、貴方は……」

 

 いったい何が、彼をそうまでさせるのか。

 きっと総てを理解できたわけではない。こちらの価値観で照らし合わせることが出来る範囲での話だけど。

 それでも、凄惨に映るばかりでどうやっても共感できなかった在り方に、ほんの一端だけでも頷くことが出来た。

 

 そんな心情の変化を、しかし口に出すことはなく胸にしまう。

 やっているのは殺し合いだ。手に在る力は不安定で、一応の合致を得られたとはいえ、またいつ乱れだすかも分からない。

 呑気に話をしている暇など無い。繰り出すべきは乾坤一擲。一条の閃光となりて駆け抜けるべし。

 殺意以外でこの相手とは触れ得ないと承知している。故に余分に割いた思考は持たず、ベアトリス・キルヒアイゼンは一迅の稲妻と化す。

 

 更に突貫する雷閃に合わせて、紅蓮の焦熱が世界を覆った。

 それは砲門の内側にある異界。そもそも逃げ場が存在しないという必中概念の究極。エレオノーレの秘中の秘たる創造がマグサリオンとベアトリスを捕捉する。

 その苛烈さは相も変わらず、少しでも惰弱が見えれば諸共に灼き尽くす赤騎士(ルベド)らしい気概に満ちている。だが、ベアトリスという光はそれすらも凌駕する。

 結果、炎獄に巻かれたのはマグサリオンのみ。全土を包んでいた熱量の総てが暗黒の鎧姿を磔にする。

 

 既に一度の崩壊を経た創造は、元の状態と比較して大きな揺らぎを見せている。

 それでも過不足なく行使してみせるのがエレオノーレの面目躍如だが、やはり無理は祟っている。存在の所々にヒビが入り鋼の統率を誇った魂群にも綻びが見えていた。

 彼女は彼女で、限界が近いということ。謂わばこれは最期の残弾投入であり、故にその一撃もまた決死の覚悟で放たれている。

 

 されどそれでも、凶戦士は止まらない。

 エレオノーレの炎はたとえ闘神でも無視できない。並の魂ならばその死後までも発狂させる地獄の業火だ。

 だが無慚無愧の凶念を前には地獄といえども生温い。彼を知る者にとってはもはや周知の事実だ。

 灼かれながら、振り挙げられた剣。存在しない隙を捩じ込み、道理すら覆す無理の刃。強さも速さも冥府魔道の前では無意味と化す。

 

 しかし閃光となって突き出された神剣が、凶剣の先を制してマグサリオンを貫いた。

 

 稲妻となったベアトリスは、今や光すら遥か超越した速度に達している。

 もはや雷化という能力名は相応しくない。適切な言葉を持たないそれは、条理の内から外れた理外の理。

 極まって限りなく神の域に近づいた戦乙女(ヴァルキュリア)。だがそれ以上に、ベアトリスの手に握られたワカラナイモノ。多種多様な色彩の混沌模様が凶剣の真髄を鈍らせ、捻じ込まれる隙に先んじて神剣を届かせていた。

 

 貫いた刃を中心に、鎧の全身へと亀裂が走る。

 崩壊はみるみる加速し、凶戦士の象徴とも言える孔雀王(マラク・タウス)がここに潰える。

 これでカタチとなるものをマグサリオンは失った。この舞台で入れ込まれた藤井蓮(やくわり)も剝がされて久しい。

 あらゆる無駄を削ぎ落し、果てにマグサリオンは無貌となった。砕けた鎧より現れ出でるのは、無形の闇の焔としか言い様がないナニカ。

 

 それは悍ましい姿であり、だからこそ嘆かわしくある。

 自分というものを擲ち、救いの無い道を進み続けて、得られるものは何も無い。

 何処を見ても救いなんて見えない。なのに同情などとは最も程遠い地点に彼はいる。

 こうして互いの殺意を鍔迫り合わせて、だからこそ見えてきたものがあった。いつかは解決しなければならない。無慙無愧の冥府魔道という、危険すぎる螺旋の終着を。

 

 マグサリオンは殺し尽くすのだろう。

 誰よりも殺しに長けて磨かれた凶剣として。さながら天の座に連なる総ての者たちに発症する癌細胞の如く。

 攻撃性の観点において、彼の右に出る者は恐らくいない。“零”の討伐、神座の解体を考えるのなら凶戦士の力は不可欠だ。

 だがそれだけではいけない。反骨に任せた混沌では破壊は出来ても、その後に代わるものを創り出せない。

 だから要るのだ。凶剣を制し、次代へ繋げる何かが。それは単色の狂信ではなく、誰もが持てて拡がっていけるような、凡庸であっても尊い何か。

 

 それが何なのかまでは、私では答えを持ち合わせていないけど。

 それでも足掻き続けよう。黄金に、水銀に、そして無慙無愧に。何度も失敗し後悔しても、青くて素敵な理想を追い求める馬鹿娘として。

 

 その意志こそが、ベアトリス・キルヒアイゼンの在るべき答え。これからに繋げる決意の表明だった。

 

どう見えた?

 

 音として響かない無音の声で、マグサリオンが問いを投げた。

 不変なる無。不滅を謳う無敵さの正体とは、刹那の先すらおぼつかない不定形だ。

 自らを納め、この世界に繋ぐカタチが無い。妄言にも等しい荒唐無稽はいつ散体してもおかしくない。

 僅かでも自らの存在を疑ってしまえばただの無となり消えるだろう。快感と呼べるものはなく、己の空虚さに苛まれながら、絶やすことなく燃やし続ける不変の意志とは如何なるものか。

 やはりマグサリオンとは極めつけの狂人だ。神座の演者としてこの上なく相応しい。人の視点ではどうあっても理解が及ばず、故にその神話は未だ破られず。

 

貴様たちの眼に、俺はどう映った?

 

 ベアトリスの眼が映すのは、無形であって尚、爛々たる光を滾らせた凶の眼光。

 たとえ何を失おうともその眼だけは変わらない。無慙無愧の原点。この世の総てに向けられた底無しの殺意。

 それは世界を破滅させるために仕組まれたもの。されどそんな絡繰とは無関係に、既にマグサリオンを構成する事柄として切っても切れないものとなっている。

 余人の思惑だ、恥知らずだと、それがどうした?的を外した憐憫など考慮にも値しない。この殺意の向きを定めているのは紛れもない己の意思なのだから。

 

 黒い剣閃。

 凄絶に湧き立つ凶念と共に、その無形より滲み出した殺意の刃。

 それは呪詛であり、また同時に愛でもある。ひたすらに強烈な感情の結晶であり、それが引き起こすのは一切を“無”へと塗り潰す究極の破壊。

 もはや物理的な体裁すら失っていたが、それは確かに剣だった。そして形を失おうと、その凶刃の鋭さには些かの衰えも無い。

 

 炎獄を断ち割り、稲妻を引き裂いて、宇宙を抹殺する黒閃が総てを薙ぎ払っていた。

 

 

 

 

「今にして思えば、貴様は私が考えていたよりも遥かに面倒な馬鹿娘だったな」

 

 何処に遠くにあるものを語るように、エレオノーレは言った。

 

「なんですか、いきなり。早速人を扱き下ろすのは、まあいつもの少佐ですけど」

 

「腰を折るな。常々から思っていたことを口にしたに過ぎん。

 あの櫻井の三代目、たしか名はカイといったか。流儀こそ合わんが、気骨の程は悪くない。

 私の眼から見ても評価できる男だったと記憶しているのだがな」

 

 呆れの感情はあっても敵意はない。その遠慮のなさ、気安さは親愛の表れだとも言い表せる。

 聞いているベアトリスには懐かしさすらあった。こんな会話はお互いに真っ当な人間だった頃以来、業にまみれてしまう前の青春時代を思い出す。

 

「互いに好意もあろうに、貴様と奴との噛み合わなさは流石にどうなのだ?

 輪廻で巡った百生で一度としてそういう関係に至らないなど、もはや失敗の一言で片付く話ではあるまい」

 

 もっとも話題として上がった事には、あまり微笑ましい顔もしていられなかったが。

 

 櫻井戒。ベアトリス・キルヒアイゼン。

 黒円卓の悲恋を代表する二人。だからこそ互いを愛し合う気持ちに嘘偽りはあり得ない。

 慈愛の女神に抱擁されて、当然報われるべき二人だろう。しかし奇妙なことに、輪廻転生の百生において二人が終生を添い遂げることはなかったという。

 決して縁を持てなかったわけではなく、中途で恋仲となって結ばれたことは何度もあった。だというのに最終的には自然消滅のような形で終わってしまう。

 

 魂の絆で結ばれた二人なのに。

 いいやこの場合は、魂魄に刻まれる因果が深すぎるためなのかもしれない。

 

「貴様の本性など熟知している。よく取り繕ってはいたようだがな。

 尻を叩いてやらねば碌に走らん駄犬こそ貴様だ。無論、しごいてやればそれなりになるのは理解しているが。

 あの男、どうやら躾は上手くないらしい。アレの元で甘やかされては駄犬のまま変われまい」

 

「いやいや、そんなナチュラルに甲斐性なしみたいな扱いにしないでくださいよ。

 そりゃ戒は歳のわりに成熟してて、生意気ですけどカッコイイんですが。とにかく私にだって年上の意地というものがあります。

 少佐だって覚えているでしょう?彼の妹の、螢。あの子にとっては憧れのお姉さんだったんですから、私」

 

「記憶が美化されただけだろう。夢見がちの甘ったれにはありがちなことではないか。

 大体、なにが姉だ。年嵩で言えば貴様、姉ではなく婆だろう。年長者役など何の冗談だと未だに思うよ。

 そして温室暮らしでは満足できんのが貴様だ。張り合い無い生活に刺激を求めて家庭を出る。一つ所に安住できるほど行儀よくもない。

 ――そもそもの話、相性が悪いだろう貴様ら」

 

 身も蓋もなくばっさりと、上官は部下の面倒臭さを指摘した。

 

「挙げ句、飽きもせず追い掛けるのは女の尻とは。純粋に気持ち悪いぞ、お前」

 

「あーそれ、よりにもよって貴女が言いますか?何度生まれ変わっても操を護って処女だった人に言われたくありません。

 ホント、何なんですか?魂に貞操帯でも付けてるんですか?夢女っぷりも大概にしてくださいよ。そっちの方がドン引きです」

 

「そんな戯れ言も聞き飽きた。つくづく女というのは同じことしか話さん。

 一緒にするなよ。私は弁えているだけだ」

 

 お互いに面倒な女として、遠慮なしに言い合うエレオノーレとベアトリス。

 ああ、本当に面倒臭い。あまり健全とも言えない。しかし彼女たちが彼女たちである限りはどうしたってそうなるのだろう。

 清く正しくなくともよい。言われて捨てられるくらいなら苦労はない。たとえ悪因になろうとも、これが私だと言うしかないのだ。

 

「黄昏の慈愛も最善ではない。たとえ善き祈りにしろ、時には毒に裏返る。

 成長を促すと言えば聞こえはいい。それが間違いとは思わんが、人とは善くも悪くも激した想いに縛られる。たとえ法が許そうと、己自身で自由を選ばん。

 やはり、黄昏という神は優しすぎた。病魔も知らねば耐性もつくまいに」

 

「私は彼女を非難するつもりはありません。それに、だからといってハイドリヒ卿を受け入れるなんて話にはなりませんよ」

 

「然もありなんだ。剣も交えて語り尽くした以上、今さら貴様を諭そうとは思わん。

 私の勝利は高みにて尊く輝くもの。届かない光だからこそ愛しい。善し悪しなど知らん、私を染めるのは黄金の色彩以外にあり得ない。

 如何に貴様が人の理を説いたところでな、変わらんよ私は。永遠に追い付けないこの背中を、貴様もまた追い求めてみせるがいい」

 

「……やっぱり、付いてるんじゃないですか?貞操帯」

 

 直接に辿った軌跡ではない。しかし魂は覚えている。

 彼女たちにとって最も鮮烈な一幕を。修羅として、騎士として、譲れない信念がために二人は戦った。

 想い合いながらも殺し合う。それは悲劇だったが、怒りの日を生きた彼女たちにとっては何よりも熱く激しい愛の応酬だったと言える。

 あの時ほど自らを曝け出してぶつかり合ったことはなかった。上下の関係も超えて、真に対等になれたのはあの時以外になかったと言っていい。

 

 魂を燃やして、燃やして、燃やし尽くして。

 決して及ばなかった格上(アコガレ)に。幸運にも救われながらベアトリスは勝利した。

 その結果を翻そうとはエレオノーレとて思っていない。そして勝負には敗退しても信念においては断じて譲らないとも。

 どちらにとっても、魂魄に刻まれた不変の刹那。たとえ縛られているとしても棄てることなどどうして出来よう。

 

「黄金が御座す処、何時であれ馳せ参じる。この舞台も我が忠義を示したに過ぎん。

 だが、貴様にとってはどうだキルヒアイゼン。この幕引きに無念はあるか?」

 

「ありませんよ。あるわけがありません」

 

 強がりじゃない。確信がある。

 ここで生まれた想いは無駄にはならない。必ずや未来に繋がるものと。

 具体的に、それがどんな未来なのかは分からない。善しも悪しきも、凡愚の身では判断することは難しい。

 しかし、ここで得られた新たな出会いが、ベアトリスに信じる力を与えていた。本来ならばあり得なかった、異なる世界の志を同じくした朋友が。

 

「だから気にすることはないですよ、クインさん」

 

 そして終わりが訪れる。

 最期に許された優しい虚構(じかん)。どんな理屈なのかは分からずとも、疑いよりも感謝を優先したい。

 

「たとえ今の私が消えてしまっても、あなたに託すこの想いは消えない。あなたたちがしているのはそういうことでしょう?」

 

 はっきりした答えなんてなくてもいい。

 お互いに不器用で、あまり要領がよくないことも承知している。

 あるいは失敗してしまうこともあるだろう。だがそれでも構わなかった。

 託された想いを胸に、あなたもまた一生懸命に足掻き抜く。その行動だけは何も憂いることなく信じられるから。

 

 だって、自分たちはよく似ているから。

 お互いに正しい道を歩きたがり、そのせいで融通が効かず、時には手痛い失敗を味わっている。

 折れそうになったのも一度や二度じゃない。それでもこの道を変えられない。何度だって立ち上がってみせる。

 だからこそ、あなたという存在が頼もしい。肩を並べて、同じ方を向いている。追い掛けるべき背中とはまた違う。

 人は、独りきりでは生きられない。道を共にする仲間がいるから、弱い人は立ち上がることが出来るのだから。

 

 そんな朋友が、これからも戦っていくという。

 ならば挫けている場合じゃないだろう。信じて背中を押してあげることが、私に出来る唯一のこと。

 私が想いを託すあなたに、頑張ってとエールを贈りたい。それこそ最期に託すべき真心からの祈りだ。

 

「さようなら、とは言いませんよ。いつか何処かでまた会えると信じてます。

 その時には、願わくば、同じ戦線に立つ戦友として。また一緒に戦いましょう」

 

 

 

 

「わ、わたしも、ベアトリス。あなたと一緒に……ッ!」

 

 クインは泣いていた。

 逝ってしまった戦友に、受け取ったその遺志に、溢れ出てくる涙が止められない。

 

 こうなることは分かっていた。

 マグサリオンの前に立つならば。ナダレに指摘された通り、この結果は覚悟して然るべき。

 嘆き崩れる資格など無い。死出の戦場へと誘った業を背負い、俯かずに前だけを向くべきだ。

 遺志を無駄にしないとはそういうことで、きっとこの世界でも正しい行い。迷いは侮辱に他ならず、報いるためにも毅然としなくては。

 

 ああ、だけど、それでも辛くて、泣かずにはいられないのが心だろう。

 この身は人ならざる剣だけど、何もかも割り切れる鋼の心をしていない。

 武器としてはあるまじき無様、だとしても私はこの心の弱さを捨てない。不変の大義に身を委ねる道は選ばない。

 私はマグサリオンの鞘なのだから。誰よりも剣として完成された彼に、剣というにはあやふやな私が侍る意味。

 善意で取り繕い破滅へ導く、見当外れの狂言回しだった過去の自分。もうそれとは違うのだと証明してみせる。

 

 善なる祈りを蒐集し、未来に繋げる力とする。

 それが私の使命。まだ見ぬ果ての結末を。いつか夢見た大団円へと導くために。

 私は愚かで、きっとこれからもやらかしてしまうのだろう。けれどこの信念だけは、殺してきた同胞たちにも誓って貫こう。

 

 だからどうか、あとすこし、悲嘆に暮れる私の弱さを許してほしい。

 とても短い時間だったけど、あなたという掛け替えの無い友人に出逢えた奇跡に感謝している。

 もしも許されるのなら、この別れを悼ませて。決して忘れることがないように、あなたの閃光(ヒカリ)をこの魂に刻み付けよう――――

 

「五月蠅い」

 

 そんな、神剣(クイン)の切なる願いを聞きながら。

 歯牙にもかけぬ物言いで、マグサリオンはその柄に手を掛けた。

 

 瞬間、激しい抵抗の力が返ってくる。

 軽く突き立っているだけなのに異様な頑なさで動かず、触れた箇所からは灼熱の如き波動が迸っていた。

 元鞘に収まったはずだというのに、これではベアトリスに携えられていた時の方がよほど不和もなかっただろう。

 良縁とは断じて言えまい。正反対の属性同士で反発しながら、無理矢理に振りかざす様は正道の担い手とは程遠い。

 

 だがこれでいい。これこそが凶戦士と勇者の剣の関係性だ。

 運命に結ばれた唯一無二。例えばラインハルトと神槍のような間柄とは異なる。

 むしろ真逆。絆を集めて力に変える勇者と、絶滅させる凶戦士とは本来ならば不俱戴天。

 反発するのは当然の帰結であり、それは今でも変わっていない。得物とて己の敵であると、言外に豪語しているとも見えた。

 何処までも使い辛い。唯々諾々と冥府魔道に従いはしない。彼が恥も悔いも無い無慙無愧なら、自分がその暴走の歯止めとなる。

 人であるはずのマグサリオンは剣であり、神剣であるクインが人としての迷いを担っている。協調など微塵もなく、それでも共に在り続けるのが彼らだから。

 

 そして無慙に刻まれた祈りには、もはや善も悪も無い。

 彼らは死して不変となり、己はこうだと答えを得る。まぎれもない凶行でありながら、それは救済でもあった。

 殺戮の果ての荒野でただ独り、遍く万象を乗せて剣を振るう。そこに哀悼の意味が含まれているのか否か、誰にも窺い知ることは出来なかった。

 

 抵抗を捻じ伏せ、神剣を携えたマグサリオンに変化が起こる。

 無形の闇であった身に輪郭が生じた。それはやがて実在の姿へと変じていき、一つの貌を浮かび上がらせた。

 端正であり美男、しかして迸らせる禍々しさがそんな評価に落ち着かせない。

 その貌の意味を知る者は既にいない。もはや誰かの生き写しではなく、真に彼自身を象徴する凶貌となった。

 

 その名を“無慙”。

 第二天の原罪の姿となって、マグサリオンは舞台に降り立つ。

 ここに至るまでの道のり全てが回り道だった。如何に熾烈で華々しい闘争でも、本筋と異なる以上は前座ですらない。

 舞台の主題と、中心に立つべき主役は別にいる。端役の間引きが済んだのならば激突は必定だ。

 

 天を仰いだ。

 常人の眼では、ただ空が広がっているようにしか見えない。

 だが冥府魔道の先で絶域へと至った凶眼は、その先にいる“敵”の存在を捉えている。

 空間を超越した異界。宇宙の中に創られたもう一つの宇宙。今もこちらを見下ろしている黄金の居城。

 

 見下されるような視線に殺意の眼光を返して、真に斬るべき存在をマグサリオンは睨み付けていた。

 

 

 

 

 グラズヘイムの玉座にて、ラインハルトは昂揚と共に殺意(それ)を受け入れた。

 

 黄金より向けられる眼力には、人を傅かせる王気(オーラ)がある。

 これは自分たちとは別種の生命。根本から存在の格が違うのだと。畏怖によって心を折られて黄金の色に染められる。

 黒円卓の魔人たちを始め、これまで多くの人がその眼によって屈伏してきた。後には従うか逃げるかの二択のみ。特に意識してのことではなく、超越存在としての必然。

 黄金の獣にとっては、人など総じて儚いもの。撫でただけで容易に砕け散ってしまう脆いものであり、故に全力を出せない。

 

 彼は総てを愛しているのに。抱き締めたいと願っているのに。

 そのジレンマ。痴愚の衣は既に破られ、自身の渇望から逃れられない。

 ならばこその死を愛でる祈り。壊した先で愛するために、破壊されては甦る永遠の地獄が顕現した。

 

 だが、此度のはまるで違う。

 返されるのは黄金の眼にも劣らない凶の眼光。

 その眼力の凄絶さ、総身を貫く破滅の予感にラインハルトをして背筋に寒気を禁じ得ない。

 万象総てに飽いていた、そう謳っていた男が視線を交わすだけで戦慄している。至高の天たる彼にとってはあり得ないこと。

 

 だからこそ堪らなく喜ばしい。心の底から寿ぎたいと、敵手に対して歓迎を顕わとしている。

 

 興奮が抑えられない。まるで童のような稚気の拙さ。

 覇王などと、その様子を見て誰が思おう。ここにいるのはただ己の欲に従おうとする男に過ぎない。

 元より、この舞台はそのために。今の混沌模様もまた歓迎していたが、やはり本命を疎かには出来まい。

 言葉を飾る必要はない。その欲求、至極単純なもの。優雅なれども慎みなく、漲る覇気は城そのものを揺らしている。

 

 迫る開戦の刻。逸る闘争心を抑えきれずに、黄金はその刻を今か今かと待ち侘びていた。

 

 




 今回の話で描写した話は、まんま私自身の考えでもあります。
 マグサリオンって、未だに答えが出ていないキャラだと思うんです。無とか剣とか、あえて抽象的な表現で明確にはしていないのような。
 違った見方の人もいるとは思いますが、ご意見いただけたら嬉しいです。

 そして次回ですが、少し書きためてから投稿しようと思います。
 ご覧の通り、だいぶ更新速度が停滞していまして。特に次回からの話はあまり間隔をあけたくないのです。
 ここからのラインハルト戦のために今まであったようなものですから。多分、あと2、3話で終わると思います。
 その目処を立ててから投稿しようと思いますので、気長にお待ちいただけたら幸いです。
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