原作:Fate/Grand Order
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しかしそれからほどなくして、藤丸はパートナーであるマシュ・キリエライトを避けるようになった。
二人の心のすれ違いの行方は……。
男主盾カップリングで、ネタバレ有り、ソフトではありますが性描写あり(R-15)ですので、それらが苦手な方はご遠慮ください。
第2部6章のプレイ後、どうしてもモヤモヤしている部分があったので、それを昇華するために、約10年ぶりに二次創作活動に復帰しました。
読後、何かしら心に残ったり、刺さるものがあれば、是非ご感想をお願いします。
楽しんでいただければ幸いです。
※本作は、pixivに投稿したものと同内容です
「はあ……」
ノウム・カルデア内、食堂。
藤丸立香は、目の前のすっかりぬるくなったコーヒーをぼんやり眺めながら、深い溜め息をついた。
第6の異聞帯であるブリテンを攻略して10日。
50日以上に及ぶ長期ミッションーーといっても、異聞帯と外部では時間の流れが違うため、実際には丸一日、厳密には23時間58分の出来事だったのだがーーを完遂した藤丸たちは、ミッションの報告書を提出後、バイタルチェックを受けたのち、
「まったく貴様という奴は! いくら激戦に次ぐ激戦だったとはいえ、活性アンプルを乱用しおって……。そのせいで貴様が廃人にでもなったら、我々が汎人類史を取り戻す手立ては無くなるのだぞ! その辺、ちゃんと理解しなさいよ!」というゴルドルフ新所長の説教とともに、しばらくの間(半ば強制的に)休養を取るよう言い渡されたのである。
思いがけず与えられた休暇だが、急に何もしない時間が出来ると、つい色んな事を考えてしまうのが人の性である。
そして今、藤丸は一つのことで思い悩んでいた。
マシュ・キリエライト。
ブリテン異聞帯での彼女の辿った旅路、そしてクリプターの一人であるベリル・ガットとの過去についてである。
記憶を失い、たとえ形の上だけだったとはいえ、自分の知らない男に娶られたという事実。
「ボガードさんは立派な方でした」
そう誇らしげに話すマシュ。
もちろんそれが形だけの結婚であり、二人の間に何もなかった事は頭では理解しているが、藤丸は自分の心がざわつくのを抑えられなかった。
それに加え、過去にベリルがマシュに働いた蛮行。
マシュの病室に忍び込み、敵意も悪意も無く、彼女の足の指を折り、そのおぞましい所業を「愛」と呼んだ。
藤丸からすれば、他人を傷付ける行為は断じて「愛」などではないと思うし、認めるわけにはいかない。
しかしマシュは、その唾棄すべき行動について「あなたの愛は、私には分かりません」と答えた。
しかしそれは、裏を返すと「自分には理解できないが、確かに愛だったのだろう」とも受け取れる。
「人の行動や思想を頭ごなしに否定せず、いったん受け止める」。
それがマシュという少女の本質なのだと理解している一方、心のどこかで「ベリルの言う『愛』を否定してほしかった」と思う自分がいる事も事実で、そんな事を考える自分に、珍しく自己嫌悪に陥った。
ミッション中から完了直後はそんな事を考える余裕も無かったが、いざ時間が出来てしまうと、その事ばかり考えてしまう。
その結果、マシュの姿を見掛けるとその場を静かに離れ、声を掛けられると「ごめん、ちょっと用事があるから」といった具合に、いつしか距離を取るようになっていた。
「何やってんだろ、オレ」
そう呟くと、冷たくなったコーヒーを一気に喉に流し込む。
「……気分転換がてら、おっきーたちとゲームでもしよう」
そう言い、席から立ち上がろうとすると。
「先輩」
背後から聴き慣れた少女の声。
振り向くと、先程まで思い悩んでいた相手ーーマシュが不安げな眼差しを藤丸に向けて立っていた。
「マシュ……」
その視線に動揺しつつ、藤丸は「ごめん、これからやる事があるから」とその場を離れようとした。
すると。
「待ってください、先輩」
マシュが藤丸の袖をつかむ。
それでも振り向かない藤丸に向かって、マシュはおずおずと言葉を続ける。
「あの……先輩、ブリテン異聞帯から戻ってきて以来、ずっとわたしを避けていらっしゃいますよね? わたし、気付かないうちに何か先輩を怒らせるような事をしたのでしょうか」
「何でもないよ」
「嘘です。わたしは確かに未熟ですが、それでも先輩の正式サーヴァントです。
わたしに何か落ち度があったのなら教えてください。強くなれと言うのならもっと頑張りますから、どうかわたしを避けないでください」
「何でもないったら!」
やや強引にマシュの手を振り払い、藤丸は逃げるように食堂を飛び出した。
その背中を追いかける事もできないまま、マシュはその場に呆然と立ち尽くしていた。
しばらく後。
藤丸が座っていた席に、肩を落としたマシュが座っていた。
元々小柄なマシュであるが、しょんぼりとしたその背中は、さらに小さく見える。
と、そこへ。
「ふんふんふ~ん♪ ……あれ、マシュ。どうしたんだ?」
声がした方に顔を向けると、そこには人形と見紛うほどの小さな少女が不思議そうにマシュの方を見ていた。
「ハベトロットさん」
「浮かない顔してるけど、何かあった? 花嫁はどんな時でも笑顔でいなきゃダメだぜ?」
ハベトロットと呼ばれた少女ーーブリテン異聞帯直後に召喚された、れっきとしたサーヴァントであるーーは、怪訝そうな顔でマシュに言う。
「ハベトロット……さん……」そう呟くと、マシュの目から大粒の涙がこぼれ出す。
「わわっ、マシュ!? 大丈夫か!? ボクでよければ話聞くから、泣かないでー!!」
突然泣き出したマシュにうろたえながらも彼女の隣の席に座り、なだめるハベトロットであった。
「ふむふむ。 ここ最近、藤丸がマシュを避けてると」
「はい……」
うつむきながらポツリポツリと話すマシュの言葉に、腕組みしながら相槌を打つハベトロット。
「わたし、先輩に嫌われたのかもしれません」
「マシュ、心配するな! それはない! それは絶対にない!」
マシュの気弱な発言を、ハベトロットは力いっぱい否定した。
「そう、でしょうか」マシュは言葉を詰まらせる。
「もちろんだとも! なんたってボクは、花嫁に幸せを運ぶ妖精だぜ? そのボクが言うんだから間違いない!」
ハベトロットの力強い言葉に、マシュの揺れ動く心は少し落ち着いた。
「そうですか……そうですよね。 ありがとうございます、ハベトロットさん」眦に溜まった涙を拭い、マシュは少し微笑みながらハベトロットに感謝を伝える。
「うんうん、やっぱり花嫁には笑顔が一番だ! ……それはそれとして、マシュを泣かせた藤丸は許せない! 花婿としての心得を、ボクがガツンと叩き込んできてやる!」
「あ、ハベトロットさん」
ハベトロットは座ってた椅子からピョンと飛び降りると、マシュが制止するより先に食堂を飛び出していった。
どうしたものかとマシュがその場に立ち尽くしていると、マシュの背後からティーカップが差し出された。
「エミヤさん」
「食堂にいるのに何も出さないのはキッチン担当としてはどうかと思ったんでね。アッサムティーだ」
「あ、ありがとうございます」
マシュは礼を言い、ティーカップを受け取った。
ティーカップから芳しい薫りが立ちのぼる茜色の液体を一口すする。
芳醇な薫りが鼻腔を抜けると、心の中の澱もほんの少しだけ溶け出した気がした。
「ありがとうございます、エミヤさん」
「いやなに、ちょっとしたお節介だよ。……まあ、食堂で立ち話もなんだ。座りたまえ」
エミヤに促され、マシュは再び座る。
「では、私も失礼して」と呟き、エミヤもマシュの向かい側に座ると、自分用にも淹れてあった紅茶を一口。
しばしの沈黙の後。
「あの……。聞いてらっしゃいました、よね?」
「聞き耳を立てるつもりは無かったんだがね」
ばつの悪そうな表情をするマシュに、エミヤは事も無げに答える。
そして一言。
「まあ、マスターがなぜ君を避けているのか、大方の見当は付いているが」
「本当ですか、エミヤさん!? 教えてください!!」
普段からは想像もつかない勢いで、興奮気味でエミヤに詰め寄るマシュ。
「わ、わかった。わかったから、そんなに恐い顔をしないでくれ」
その剣幕に気圧されながらも、エミヤはなだめるように答える。
「すみません、わたしとした事が……」
マシュは我に返り、居ずまいを正す。
マシュが席に座ったタイミングで、エミヤはコホンと咳払いを一つし、口を開く。
「結論から言うと、マスターも年相応の普通の男子だという事だよ」
「え? ……それは、どういう」
エミヤの言葉に、マシュは要領を得ないという表情を浮かべる。
「つまりだね……」余計に混乱している様子のマシュに、エミヤは優しく諭すように言葉を続ける。
「いぇーい! まーたマーちゃんの一人負けー!!」
対戦型FPSのリザルト画面を見ながら、刑部姫は嬉しそうに快哉を上げる。
「んなこと言って、おっきーもボクのヘッドショット食らってブービー賞だったじゃないっスか」
「ぐっ……い、いいの!姫(わたし)が最下位じゃなかっただけで、それは勝利したも同義なのよー」
ジナコのツッコミに一瞬ひるんだものの、刑部姫はドヤ顔で返した。
「まあまあ、お二方とも」二人をなだめる巴御前。
そして「マーちゃん」こと藤丸の方を向きなおり、彼に声を掛ける。
「藤丸殿、私たちとげぇむを始めてから、……いえ、このれくりえーしょんるぅむに入ってきた時から、何やらずっと心ここに在らずといったご様子。私たちで良ければ、ご相談に乗りますよ?」
「え?」
「それ、ボクたちも入ってるッスか?」
巴御前の言葉に、刑部姫とジナコは思わず顔を見合わせる。
「当然ではございませぬか」何を当たり前の事をとでも言いたげに、巴御前は答える。
「そもそも我らは『ますたぁ』あっての『さーゔぁんと』。『ますたぁ』である藤丸殿がこのような体たらくでは、いざ戦場に立った時、我らの死活問題にも関わりましょう」
「それは、確かにそうなんだけどぉ……」
「ボクら陰キャが人の相談に乗るのはちょっとハードル高いっていうか、むしろボクらが相談に乗ってほしいっていうか」
ゴネる刑部姫とジナコの言葉には構わず、巴御前は言葉を続ける。
「ともかく、藤丸殿。何か悩み事がおありなら、我々がお聞きしますよ。 これでも、あなた様より幾分年長なれば」
巴御前のその一言に、藤丸は少し戸惑いの表情を浮かべ、やがて意を決したように口を開く。
「実は……」
その時だった。
「やーっと見つけたぞ、藤丸ー!!」
藤丸の言葉を遮るようにレクリエーションルームのドアが開き、怒鳴り声と共に勢いよく転がり込んできた小さな人影。
「は、ハベトロット?」
いきなりの闖入者に、流石の藤丸も鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「やいやい藤丸! キミ、花嫁を泣かせるなんてどういうつもりだ! そんなんじゃ立派な花婿になれないぞ!」
「花嫁……?」
「花婿……?」
一気にまくし立てるハベトロットの言葉に、藤丸以外の3人は顔を見合わせ、首を傾げるばかりであった。
「ふむふむ。つまり」
「異聞帯でマシュちゃんと離ればなれになった時の事で」
「もにょってる訳っスか」
藤丸の口から事情を説明された巴御前たちは、一様にうなづく。
「でも、だからといってマシュを避けたりしたら、可哀想じゃないか! ……大体、藤丸はマシュの事、大事じゃないのかい?」
「そんな訳ない!……そんな訳ない、けど」
慌てて藤丸はハベトロットの言葉を否定するが、どんどん言葉の歯切れが悪くなり、やがて黙り込んでしまった。
燃え盛り、滅びゆく異聞帯でベリル・ガットと対峙した際、あの男がマシュにしたかつての所業を初めて知る事となった。
あまつさえ、そのおぞましい行為を「愛」とうそぶいた。
その時、藤丸は怒りのまま叫んだ。
「それは断じて愛なんかじゃない」と。
その気持ちに嘘は無く、今でもそれは間違いではないと思っている。
ところが今はどうだ。
自分と離れ離れになった間のマシュに起こった出来事、特にシェフィールドの領主、ボガードの妃になった事、記憶を失っていたとはいえ、まかり間違っていたら自らの貞操が奪われていたかもしれなかったにもかかわらず、それでもなおマシュはその男の事を「素晴らしい人物」だと評した。
それがどうしようもない程もどかしく、妬ましい。
そうして、どんな顔をしてマシュに向かい合えばいいのか分からなくなり、彼女の事を避け続けた結果、ついにはマシュの心を傷つけてしまった。
これでは自分が否定したベリルと同じではないか。
自分の中に巣食ったどうしようもなく醜悪な部分をまざまざと見せつけられた気がして、藤丸は再び深い自己嫌悪に陥り、黙り込む。
「ああもう! まだるっこしい!」
そんな藤丸の様子を見かねたハベトロットが、ビッと彼の鼻先に人差し指をつきつける。
「花婿がいつまでもウジウジウジウジと! そんなんじゃ、花嫁が可哀想だ! ……藤丸、この際だからハッキリ聞くよ。 キミ、マシュの事をどう思ってるんだい?」
「どうって……。オレにとってマシュは、頼りになる専属サーヴァントで、大事な後輩で」
「はぐらかすな! ボクが聞きたいのはそんな当たり前の事じゃない! 男として……花婿として、マシュという一人の女の子をどう思ってるのかだよ!」
ハベトロットのあまりにも強い剣幕に、さすがの藤丸もたじろぐ。
しばらくの沈黙。
長いような短いような、何とも言えない時間が流れる。
ハベトロットだけでなく、その場に居合わせた巴御前たちも事の成り行きを見守るように、藤丸の言葉を待つ。
うつむき加減に次の言葉を探す藤丸だったが、不意に顔を上げ、口を開く。
その眼には、覚悟を決めた者の強い意志が宿っていた。
「オレは、マシュの事がーー」
時は少しだけ遡る。
藤丸が刑部姫たちとゲームに興じるも上の空で、ハベトロットが藤丸を探してカルデアベース中を駆け回ってる頃。
エミヤと話をした後、食堂を出て自室に戻ったマシュは、ベッドに仰向けに身を投げ出し、真っ白な天井をぼんやりと眺めていた。
そうして、食堂での会話を思い返してみる。
「ブリテンでの君達の活動報告は、私も把握している。もちろん、君が記憶を失ってからの足取りや行動も」
「はあ……」さっぱり要領を得ないという表情を浮かべるマシュ。
そんな彼女の様子に、エミヤはやれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
「マスターが君を避けている原因は、おそらくシェフィールドでの君の動向だろう」
「シェフィールドでの出来事、ですか?」
シェフィールドでは、領主としてかの美しい街を治めるボガードに保護され、一時ではあるが、穏やかな安息の日々を過ごしていた。
その事と藤丸が自分を避ける理由が、マシュの頭の中でどうしても結び付かない。
「やれやれ……。君の無垢とも言える純粋さは確かに美点ではあるが、今回ばかりはマスターに同情するよ。……まさか、自分がどのような境遇だったのか、まるで理解していなかったとは」頭を抱えるエミヤ。
「あの、エミヤさん。シェフィールドでの私の待遇が、先輩を怒らせた原因なのでしょうか?」
マシュの言葉に、エミヤは溜め息を一つつくと、こう切り出した。
「率直に言おう。マスターは別に君に怒りを感じている訳でも、ましてや嫌っている訳でもない。……嫉妬しているんだよ、そのボガードという男に」
「先輩が、ボガードさんに、ですか?」彼女にとってはあまりにも意外だったのか、マシュは目を丸くした。
「そうとも、マシュ。……君はシェフィールドの領主であるボガードに『保護されていた』と言ったが、その時、君はどういう立場だったのかね?」
「『62番目の花嫁として迎える』、と言われました。多分、人間の女性を『花嫁』として保護されていたのだと思います。……その後、花嫁衣装を異聞帯でのハベトロットさんに仕立てて頂いたり、本当によくしていただきました……もっとも、城砦を抜け出しては市街地に出たりしていたので、ボガードさんからはよく『花嫁失格だ』と言われていましたが」
エミヤの問いに、ためらいもなく答えるマシュ。
あまりのためらいの無さに、さすがのエミヤも言葉を失う。
「……マシュ、一応聞くがね。例えば『花嫁にする』と言われた日、ボガードに何かされたりしなかったかね?」
どうにか気を取り直し、エミヤは改めてマシュに聞く。
「された事? された事、ですか……」マシュはしばし考えた後、ああ、そういえばと手を打つ。
「そう言えば『花嫁にする』と言われた夜、ボガードさんが私にあてがわれた部屋にやって来て『花を散らしてやろう』と言われました。……何の事だか分かりませんでしたが、『抵抗するならすればいい。優しくしてもらえるなどと思うな』と言われたので、夜間の戦闘訓練か何かだと思い、そのままボガードさんを壁ごと吹き飛ばしてしまいました。
……その後も私の部屋にいらっしゃいましたが、その夜以来『お前はお飾りだ』『領主の妃らしく振る舞え』と言われるばかりで、特に何もありませんでしたが、あれは一体何だったのでしょう?
……あの、エミヤさん? どうかしましたか?」
「マシュ……。君ってやつは、どうしてそう……」もはやそれ以上言葉が出ず、エミヤはテーブルに突っ伏してしまった。
(……マスター。同じ男として、心から同情するよ)
エミヤは、心の中で藤丸に憐憫の言葉を掛けた。
しばらくして。
エミヤは改めて、その時のマシュが本当はどういう状況だったのかを懇切丁寧に説明する羽目になった。
『花嫁にする』というのは、その後のマシュへの待遇はともかく、当初ボガードは彼女に対し単なる欲望のはけ口の一人としか見ていなかったであろうと言うこと。
その証拠に『花を散らす』という事の意味を知ったマシュの顔は真っ赤になったかと思うと、すぐに青ざめた。
ここにきて、マシュは自らの純潔を意に沿わぬ形で失うところだったという事をようやく理解したのである。
「……というわけだ、 マシュ。先程も言ったが、純粋無垢である事は、他の者には持ち得ない君の類まれな美点ではある。しかし、いくら記憶を失っていたとはいえ、君は自分のことに関してあまりにも無防備すぎる。
結局、そのボガードとやらも君に手出しするのを諦めたようだが、それはあくまで結果論に過ぎない。
……それにだ。君の認識や結果はどうあれ、自分以外、それも見ず知らずの男に『花嫁』として迎えられた、などと臆面もなく言われては、いくらマスターでも心穏やかではいられないだろう。彼からすれば、自分の知らない間に、どこの誰かも分からない男と夫婦になりました、と言われたも同然なのだからね」
「……はい」ようやく事の重大さに気づいたマシュはうつむきながら、消え入りそうな声で返事する。
「それと、もう一つ。
……マシュ。君は、ボガードという男に恋慕や愛情といった、特別な感情をもっていたのかね?」
エミヤの問いにマシュはしばらく考えたのち、静かに頭を振る。
「……いいえ、いいえ。……確かにボガードさんはあの美しいシェフィールドを治めるにふさわしい素晴らしい領主で、尊敬に値する方でしたが、その気持ちが恋や愛情なのかと言われると、それは違います。……違うと、感じます」
ふむ、と唸るエミヤ。
「では、拒む余裕すらなく、成り行きに流されたというのが正確なところなのだろう」
「はい。……今思えば確かに、周囲に流されるがままだったと思います」
エミヤの言葉に、マシュは頷く。
「マシュ。マスターや他の者を護るという事において、このカルデアで君に敵うサーヴァントはいないだろう。……しかし、今までの旅でも記録を見る限り、その『護るべき対象』に自分を含めていないように見える。精神的にも、肉体的にもだ。
……まるで、かつての誰かを見ているようだよ」
「……エミヤさん? それは一体どういう」
「いや、何でもない。こちらの話だ」
マシュの問いにエミヤはそう答え、コホンと咳払いをし、とにかく、と言葉を続ける。
「大切なものを護る、という行為はとても尊いものだ。しかし、護るべき対象だけを護る事に固執するあまり、君自身が傷付いたり、もしもの事があっては、誰よりも悲しむ人がいる。
……それが誰なのかは、言うまでもないだろう?」
今度はマシュが言葉を失くす番だった。
正直なところ、戦いは今でも怖い。
人理焼却を阻止し、6つの異聞帯をも攻略した今でさえ、戦わずにすむならその方がいいと思う。
しかし、マスターである藤丸を護るためなら戦いの恐怖、伴う痛み、自らの生命の危機さえも耐えることができる。それこそが彼女が戦うための理由であり、力の源であった。
しかし、それでは藤丸は悲しむという。
それならば一体どうすればよいのだろう?
マシュはますます分からなくなった。
思い悩むマシュに、エミヤは穏やかに諭す。
「なに、そんなに難しく考える事はない。……ただ、護るべきものの中に『自分』を含める。それだけの事だ。それは君の為でもあり、マスターの為でもある」
「わたし自身をも護る対象にする事が、先輩の為にもなる、ですか……」
エミヤの言葉を反芻するマシュ。
「そうとも」短く言うと、エミヤは席を立つ。
「エミヤさん?」
「私がお節介を焼くのは、ここまでだ。
……あとは、これからどうしたいか、誰とどうなりたいのか、だよ。
よく考えて、その答えを出したまえ。……なに、君は確かに天然が過ぎるきらいはあるが、賢い娘だ。しっかり考えれば、自ずと答えは出るさ」
それだけ言うと、エミヤは再びキッチンへと戻っていく。
「あの、エミヤさん! ありがとうございましたっ! わたし、もう一度よく考えてみます!」
去りゆくエミヤの背中に深々とお辞儀をするマシュ。
エミヤは振り向きもせず、右手をヒラヒラと振り、無言でそれに答えた。
「先輩が、嫉妬を……」ベッドに身体をを横たえたまま、マシュは呟く。
嫉妬、ヤキモチ。
藤丸が自分のことでそんな感情を持つとは考えもしなかった。
そして、自分にとっての藤丸立香とはどんな存在なのか、改めて考えてみる。
「先輩はわたしにとって、サーヴァントとしてのマスターであり、生き方のお手本であり、私の生きる道しるべであり、そして……」
言いかけて、マシュはハッとする。
わたしにとって、この世で一番かけがえのない人。
マシュはそう言おうとした。
では、なぜそう思うのだろう。
自分の中ではあまりにも当たり前すぎて、これまで深く考えもしなかった事に、改めて思いを巡らす。
レイシフト実験の際、レフ教授の爆破工作で瀕死の重傷を負った時、燃え盛る炎の中で、自身も死の恐怖に恐れながらもそれを顔に出さず、手を握ってもらったことが嬉しかったから?
その後、色んな特異点を攻略し、共に人理を修復する事に喜びを感じたから?
終局特異点の攻略完了後、亜種特異点の修復時に戦えなくなった自分を、それでも頼りにしてくれるのが嬉しかったから?
そのどれもが正解で、しかしどこか間違っている気がした。
「そうではなく、もっと根本的な……」
そう言いかけた時、マシュの部屋をノックする音が聞こえた。
そこでマシュはハッとなり、慌ててベッドから起き上がると、居住まいを正す。
「は、はい、どうぞ!」
少し声を上ずらせながらドアの向こうに声をかける。
ややあって。
スライド式のドアがシュッと言う音を立て、開く。
そこには。
「先輩……」
藤丸が、思い詰めた面持ちで立っていた。
「ビックリしました……」
マシュは言いながら、コーヒーを淹れたマグカップをテーブルに座る藤丸の前に置くと、自らも藤丸の向かいに座る。
「ほんとにごめん。 ……オレのせいで、マシュを泣かせてしまったって聞いて」
申し訳無さそうな表情で、藤丸は言う。
「いえ、わたしの方こそごめんなさい。……わたし、先輩の気も知らないでシェフィールドでの出来事を」
マシュもうつむき加減で言う。
ドアが開くやいなや、藤丸は部屋の前で直立不動の姿勢で、腰から90度に曲げる勢いで頭を下げ、
「マシュ、ごめん! 本当にごめん!」
と、ほとんど絶叫に近い形で平謝りしたのである。
突然の事に動揺したマシュは驚きながらも、自らの部屋に招き入れ、テーブルに座らせたところで、現在に至る。
「本当に、自分が情けないよ。……マシュが他の男の花嫁になってたって聞かされた時、マシュを取られたような気持ちになって、たまらなく嫌な気分になったんだ。マシュだって記憶を失ったり、色んな事情だってあったんだろうって、頭で分かってはいても、その話をマシュが嬉しそうに話すのが、たまらなく嫌だった」
「先輩……」
マシュはいたたまれない気持ちになった。
懺悔する罪人のように、藤丸はさらに続ける。
「その話になるのが嫌で、逃げ続けた挙げ句、結局、マシュを傷つけてしまった。……これじゃオレ、ベリルと一緒だ」
「それは違います!」
藤丸の自嘲を、マシュは即座に否定する。
「マシュ……?」彼女にしては珍しく強い語調で言われ、驚く藤丸。
アメジストを思わせるすみれ色の瞳は、まっすぐに彼を見つめる。
「先輩はベリル・ガットとは違います! ……先輩はいつだって、私の心に優しさを、温もりを、力を与えてくださいます! 私に痛みと苦悶しか与えなかった彼とは、断じて違います!」
ーーああ、そうだったのか。
普段、様々な物事を尊重し、例え相手が歳下であろうと敬称を付け、敬語で喋るマシュが、ベリルを呼び捨てにする。
それは、彼女にとって精一杯の「否定しているモノ」のアピール。
「あなたの『愛』は、わたしには分かりません」。
あの時の言葉はなんの事はない、そのままの意味だったのだ。
理解できない「愛」を受け入れ、痛みと苦悶を味わうつもりはない。
マシュはあの時、初めて自分の意志で他人を「否定」したのだと、ようやく藤丸にも理解できた。
「……それにわたし、本当は少し嬉しいのです」
マシュは、意外なことを言った。
「嬉しい? ……オレ、マシュを傷つけたのに」
「確かに、先輩に避けられてたのは悲しかったですし、寂しかったです。……でも、先輩がそうした理由を知ったら、少し嬉しいと思ってしまう自分がいるのです」
不思議そうに自分を見る藤丸に、マシュは言葉を続ける。
「だって、先輩はわたしの事を大切に思っていてくれていたからこそ、他の男性との話を聞きたくなかったんですよね?」
「それは、……うん、もちろん」頷く藤丸。
「わたしも、同じなのです。……先輩が他の女性サーヴァントの方々と仲良くお話されていたり、必要以上にスキンシップを受けているのを見ると、なぜだか胸の辺りがキュッと締め付けられるような感覚になったりしていましたから」
「それは、その……ごめん」マシュの言葉に、返す言葉もない藤丸。
「先輩。ノリッジで記憶を失くしたわたしと再会した時の事、覚えてらっしゃいますか?」
「うん、もちろん覚えてるよ。マシュがもう一人の『予言の子』として現れた時だね」
マシュの問いかけに、藤丸は頷く。
「わたし、あの時は本当に先輩の事を忘れていたのです。……そのはずなのに」
そこで一旦言葉を戸切り、ひと呼吸おいて再び語りだした。
「わたし、先輩の姿を見て、なぜだか涙が止まらなかったのです。……先輩の事は全く記憶になかったはずなのに、先輩の顔を見ただけで、なぜだか胸に熱いものが込み上げてきて、涙が溢れるのを止められなかったのです」
「マシュ……」その言葉に、その時の彼女と同じく、藤丸の胸にも熱いものが込み上げてくる。
「そして、ノリッジの災厄の時、わたしは自分の死を覚悟しました。……そんな時、なりふり構わずわたしの元に走ってくる人ーー先輩が助けに来てくださったのです。……そして、わたしに『予言の子とかどうでもいいから、マシュの凄いところ、見せてやれ』と言ってくださった時、わたしは全てを思い出したのです……先輩との旅で、先輩からいただいた、たくさんの、本当にたくさんの大切な記憶、思い出を。……そして、それがわたしの力になって、あの災厄を打ち払うことが出来たのです」
そう言うマシュの瞳は、少し潤んでいた。
「わたしの力ーーいえ、わたしの心を形作ったのは、紛れもなく先輩からいただいた、たくさんのかけがえのない宝物なのです」
ーーいつだったか、清姫に言われた事がある。
藤丸と、恋や愛で繋がりたくはないのかと。
その時のマシュには、まるで理解できなかったが、数々の出会いと別れ、様々な感情を知った今なら、とてもよく理解できる。
「先輩。……わたしは、マシュ・キリエライトは」
「待った、マシュ」
マシュの言葉を、藤丸は遮る。
「……先輩?」
「そこから先は、オレに言わせてほしい」
そして、穏やかにアメジストの瞳を見つめると、藤丸は告げた。
「マシュ。 ……君が好きだ。マスターとサーヴァントとしてじゃなく、一人の女の子として」
「せん……ぱい?」
「どうか、オレの恋人になってほしい。ーーかなうなら、オレのこの先の人生も、ずっと一緒にいてほしいんだ」
藤丸はマシュを見つめ、その白く美しい手を優しく取る。
「先輩……せんぱい……」マシュはそれ以上何も言えず、その目からは大粒の涙をこぼす。
今度は悲しみの涙ではなく、嬉し涙だと藤丸も確信し、穏やかに微笑んだ。
その夜、藤丸とマシュは初めて結ばれた。
「先輩。……わたし、本当に幸せです」
破瓜を迎えた後、藤丸の腕に優しく抱かれたマシュは藤丸の耳元でささやく。
藤丸はそんなマシュの絹糸のような髪をかきあげ、
薄紅色の愛らしい形の唇に自分の唇を重ねると、
「オレもだよ、マシュ。……オレ、この世で一番幸せだ」
藤丸はそう言うと、再びマシュを抱きしめる。
生まれたままの姿のマシュの身体は、日だまりのように暖かく、普段、雪華のように白い肌は柔らかく、うっすらと桜色に染まっている。
「わたし、先輩に一つだけお願いがあるのです」
マシュは不意に、そう呟く。
「お願い?」
藤丸の問いに、マシュははい、と小さく答えると、紫水晶の瞳で彼を見つめる。
「わたしと、その……こういう関係になった事を、どうか気に病んだり、負い目に感じないでほしいのです」
「マシュ……」藤丸には、マシュの言わんとしていることが理解できた。
合意の上での事とはいえ、藤丸はマシュの「花を散らした」のである。
その事を悔いたり、罪悪感を持ったりしないでほしい、とマシュは言っている。
「さっきもお話したとおり、わたしは本当にたくさんの宝物を、先輩からいただきました。……何も持たなかったわたしに、人間として大切な『心』や『感情』、……そして『恋心』も」
そう話すマシュの顔は、桜色からいくぶん紅く熱をもって上気し、藤丸を見つめる瞳も、恋慕の色を湛えて潤んでいる。
「だから、少しでもいただいたものをお返ししたくて、わたし自身が望んで、先輩に純潔を捧げたのです。……決して、決して奪われたのではないのです」
マシュはそれだけ言うと、藤丸の胸に顔をうずめる。
「マシュ、ありがとう。……マシュがそんな風に思ってくれてるのが、本当に嬉しいよ。でも」
マシュの柔らかな髪を撫でながら、藤丸は言う。
「それはちょっと、違うかな」
「え?」
藤丸の言葉に、マシュは目をぱちくりさせる。
「マシュは自分の事を『何も持たなかった』っていうけど、そんな事は無いよ。……むしろオレの方こそ、マシュに助けられてばっかりだ」
「先輩……」
「オレ、『人理を修復した汎人類史のマスター』なんて言われてるけど、それは全部、マシュがずっと側にいてくれたからなんだ。……マシュがいなかったら、オレの心なんて、いつ折れてたか分かったもんじゃない」
そして藤丸は、再びマシュを抱きしめる。
大事な宝物を壊れないように、そっと慈しむように。
「いつだってオレは、マシュにもらってきたんだ。どれだけ絶望的な状況でも、決して諦めない心を。……どうしようもなく凡庸なオレが、ここまで頑張ってこれたのは、いつだってマシュがオレの心を支え続けてくれてるからなんだよ」
藤丸の言葉に、マシュは胸がいっぱいになる。
「それに、オレが汎人類史を取り戻したいのは、オレ自身の我欲を満たすためだから」
「……我欲、ですか?」
思いもよらない藤丸の一言に、マシュは驚く。
「そう、我欲。……オレが取り戻したいのは『マシュとずっと一緒に生きていける世界』なんだ」
ーーそれは、『我欲』と呼ぶには、あまりにも平凡で。
だからこそ、その願いは、あまりにも尊い。
マシュはそう感じた。
「だから、マシュ。オレと一つだけ、約束してほしいんだ」
「約束、ですか? 何でしょう?」
「この先どんな事があっても、絶対にオレと一緒に生き延びるって」
藤丸の一言で、マシュはエミヤの言葉を思い出す。
ーー護るべきものの中に「自分」を含める。
その言葉がただの言葉としてではなく、実感を伴ってマシュの心に響いた。
藤丸はさらに言葉を続ける。
「オレも何があってもーーたとえ、卑怯者と罵られようと、泥水をすする事になろうと、絶対に生き延びる。 生きて、生きて、生き抜いて、マシュと一緒の未来を取り戻してみせる。……だからマシュも、何があっても生きていてほしい。……マシュがいない未来なんて考えられないし、欲しくないから」
マシュは藤丸の目を見つめる。
優しさの中に、強い決意を感じ取ったマシュは頷くと、静かに、しかしハッキリと答えた。
「ーーはい、先輩。マシュ・キリエライト、英霊ギャラハッドの盾に誓って、何があっても、どんな災厄に見舞われようと、必ずあなたと共に生き延びる事を誓います」
「ありがとう、マシュ。……愛してる。この世の誰よりも」
「はい。……私も、先輩を愛しています」
それ以上の言葉は、二人には不要だった。
重ね合う唇。
その後、夜が深くなるまで、魂ごと一つになれとばかりに、二人は互いを求めあった。
翌日。
「おーい、マシュー! 藤丸ー!」
二人仲良く食堂でランチを摂っていると、小さな人影がトテトテと走ってきた。
「ハベトロットさん」マシュは声を掛ける。
「おおーっ!二人とも仲直りしたんだな! よかったよかった!」
「うん、心配かけてごめん。ハベトロット」
ハベトロットに謝罪の言葉を述べる藤丸。
「ホントだよ! ……藤丸、もう二度とマシュを泣かせるんじゃないぜ? 今度泣かせたら、このボクが許さないからな!」
「大丈夫ですよ、ハベトロットさん。 わたし、もう泣いたりしませんから」
鼻息荒く息巻いているハベトロットに、優しい口調で答えるマシュ。
「そうかい? それならいいけど……。そういえばさ」ハベトロットはそこで一旦言葉を切り、ひと呼吸置いて続ける。
「なんか二人とも、今までと雰囲気違わない? ……何ていうか、ラブラブオーラがマックス!っていう感じなんだけど」
ハベトロットの言葉に、昨夜の出来事を思い出し、思わず赤面する藤丸とマシュ。
「はっはーん? ……さては二人とも、とうとう結婚の約束をしたんだな?」
「えっと、あの……」しどろもどろになる藤丸。
しかしマシュは。
「ーーはい。わたし、先輩のお嫁さんになります」
顔を赤らめながら、しかしハッキリと言い切る。
その途端、食堂に居合わせたスタッフやサーヴァントたちがざわつく。
特に清姫などは、口からチラチラと小さな炎を吐き出している。
「そっかー! マシュが花嫁になるのかー! ……じゃあ、ボクの出番だな! 忙しくなるぞー!」
「あの、ハベトロットさん」
気を吐くハベトロットに、マシュは言う。
「確かにわたしは、先輩のお嫁さんになります。……でも、それは今ではありません」
「今じゃ、ない? それは、どういう」
要領を得ないといった表情のハベトロットに、今度は強い意志を目に宿し、マシュは答える。
「いつか、わたしたちの汎人類史ーー未来を取り戻したとき、わたしは先輩のお嫁さんになります。……ですからその時、私のために、最高の花嫁衣装を仕立ててほしいのです。……お願い、できますか?」
マシュの言葉に面食らった表情のハベトロットだったが、すぐに満面の笑みを浮かべ、元気よく答える。
「もっちろんさ! ボクは花嫁の味方、ハベトロット! 最高の花嫁であるマシュのために、とびっきりの花嫁衣装を仕立ててみせるぜ!」
その言葉に、マシュもまぶしい笑顔で答える。
「よかった! その日が来るのを、楽しみにしていますね!」
藤丸はそんなマシュの笑顔を、何よりも尊く感じた。
完