黒髪のウマ娘は、どこぞの上流階級の貴婦人の如く威風堂々と、教室に足を踏み入れる。
その進む先は、まるで獲物を狙いをすましたかのように、まっすぐボーガンのところへ向かっていた。
(えー……と、誰だったけ……)
否が応でも目に引くあの来訪者……ボーガンには見覚えがあった。
それもそのはず、同じクラスの子で、学校行事がある時、司会進行役をやっていたクラスの学級委員長であった。
しかし思い出せたのは『学級委員長』というところまでで、案の定、彼女の名前というものを覚えていなかった。
なんとか記憶の糸を辿ろうと思考をフル回転していると、その”委員長”は、ボーガンの席の前で足を止める。
「御機嫌よう、キョウエイボーガンさんにハヤテさん。今お時間、よろしいかしら?」
ご自慢の縦ロールをふわっと撫でるような仕草を見せたあと、ボーガンの方をまっすぐ見ながら、どこか気品のある言葉遣いで話しかけてくる。
ボーガンは一度ハヤテの方へ目配せを送るが、ハヤテは相変わらずニコニコと笑顔を絶やさないでいるだけで、目の前にやってきた彼女に対して特に何も反応を示さない。
あわよくばハヤテが相手をしている間に、彼女の名前がぽろっと出てくれないかと期待したのだが……もろくも瓦解する。
「え――あ、うん……。何の用かな、え――と、委員長……?」
名前がまったく出てこなかったので、とりあえず”委員長呼び”で誤魔化す。
しかし一体、何の用事なのだろうか。
例えばクラスのこととか、それとも知らずに何か目をつけられるようなことをしていたのだろうか……ボーガンには皆目検討がつかず、恐る恐るそう訪ねる。
そう投げ返すも、一瞬の間が開く――。
先程のボーガンの声が聞こえなかったわけではない。
彼女にとって少し気に入らない出来事が眼前で起き、そのせいで反応が遅れただけである。
「……確かにわたくしはこのクラスの学級委員長ですが、あまりそのようなよそよそしい肩書きで呼ばれるのは好ましくありませんですわ。わたくしにはきちんした名前がありますので、そちらでお呼びくださいまし」
そう言って彼女は、どこか不服そうに腕を組むと、少しむくれた表情を見せた。
「あー……、うーーん、えっーと……」
ボーガンは困ったように唸る。
相手の言うことは、もっともだ。
しかしなんとかひねり出そうとするも、肝心の名前が出てこない。
こうなれば当てずっぽうで答えみる。
「ヒ、ヒカルゲンジだっけ……?」
「ヒダカベルベットですわ! どこぞのアイドルグループではありませんわっ!」
別にボケたつもりはなかったのだが、カンマ入れずそんなツッコミが入る。
「……まったく同じクラスの学級委員長の名前ぐらい、記憶しておいてくださいませ」
急に怒鳴るように怒ってみせたと思ったら、今度は呆れたように憂いを帯びた、ため息をつく。
切り替えが早いというべきか、それとも単に感情の起伏が大きいのか……少なくともずっとニコニコしているだけのハヤテと違って、表情が読めるのは幸いである。
「オホン――ッ」
ヒダカベルベットは一度わざとらしく咳払いをすると、本来の主旨に話の流れを戻す。
「お聞きになりましたわよ、キョウエイボーガンさん。一昨日の怪我明けの復帰レース、見事勝利されたそうですわね」
「え――あ、うん。そうだけど……」
何で知っているのか……ハヤテといい、こう立て続けに、教えてもいない自分の情報が知れ渡っているのがどこか不気味であった。
そんなボーガンの戸惑いを読み取ったのか、隣の席から声が上がる。
「あ、そうそうー。ベルベットちゃんがなんかボーガンちゃんのこと知りたがっていたから、僕が教えてあげたんだよー」
驚いたことに、ハヤテの仕業であった。
一つ謎のは解決したが、結局一番知りたかった『なんでハヤテが自分のことに詳しい』のかは、わからずじまいのまま。
ハヤテは相変わらず笑顔のままで、逆に表情から内心を読み取るのは難しい。
それはまるでその表情で凍りついているかのように、どこか見れた。
「――単刀直入にいいますわ。貴方をわたくしのチームにスカウトにしに来ましたわ!」
ヒダカベルベットは再度仕切り直しといわんばかりに、大きな身振りでビシッとボーガンの方を指さして、そう勢いよく告げた。
「……んん――?」
放たれたその言葉の意味の理解が追いつかず、目を点にしてしまう。
トレーナーからならいざしらず同じウマ娘からスカウトとは……前代未聞である。
ボーガンは状況をまるで飲み込めないで唖然としていると、それを肯定と受け取ったのか、ベルベットは矢継ぎ早に畳みかけてくる。
「そうですわ! まだお昼休みの時間もあることですし、早速わたくしのチームを紹介いたしますわ――」
と言うやいなや、強引気味にボーガンの左手をつかんで席から立ち上がらせると、そのまま手を引いて教室の外へと連れて行こうとする。
ボーガンが小柄なのもあるが、体格に似合わず強靭な相手にパワーによって、ずるずると引きづられかける。
「ちょ、ちょっと待って――!」
激流に身を任せて同化してしまうすんでの所で、ボーガンはなんとか手を振り払い、呪縛から解き放たれる。
「せっかくだけど、あたしはもうチームに入ってるから……」
ボーガンにとって今のチームは、やっと見つけた『自分の居場所』だと思えるところ。
向こうに何の事情があるのかは分からないが、他所のチームに移る気など毛頭ない。
その意志の固さを示すように、ボーガンはベルベットに強い眼差しを向けた。
「……ええ、存じておりますわ」
そこで一旦、言葉を切る。
「ですから今のチームを抜けて、わたくしのチームに加入していただきたいのですわ!」
しかしひるまず、むしろ今まで以上に強く、まっすぐな瞳をぶつけてくる。
冗談や悪ふざけでいわゆる引き抜きをしようとしているのではないと、そう彼女の気持ちが伝わってくるようだった。
ここでベルベットの口から、なぜボーガンをチームに引き入れようとした目的が語られる。
「一昨日の阪神レース場で、貴方の走りを見てこう……ビビッときたのですわ。貴方となら、互いを高めあえる、よきライバルになれると!」
実のところ、ベルベットも同じ週の同じ阪神レースに出走のため遠征していたのだという。
その遠征先、下見を兼ねて立ち寄った会場で、ボーガンのレースを偶然にも観たそうだ。
いわく、まさに”運命”の出会いだった、と――。
「――貴方の力がわたくしに必要なのですわ。わたくしと共に、頂へと上り詰めましょう!」
両手を握りしめられながら、怒涛の勢いでまくし立てられる。
(うーん、困ったなあ……)
有無も言わず距離をぐいぐいつめてくるベルベットに、ボーガンは正直どう断ればばいいか悩んでいた。
こういう、どこぞの赤毛の先輩のように、強く押してくるタイプにはめっぽう弱いのが仇となる。
なにより自分を必要としてくれており、純粋な”好意”で申し出をしている相手を、中々無下には出来なかった。
(ライバル……か……)
熱心にスカウトしてくる彼女の気持ちも、何となく分からなくはなかった。
共に励み、切磋琢磨できる仲間がいるというのは、いい刺激をもたらし、お互いの成長を促進させる。
最近それを、ボーガンは今のチームに居て、確かに感じ取っていた。
しかし彼女の心境を理解できるといっても、相手の言うままチームを抜ける選択肢はない。
相手には悪いが、己の意思を曲げるつもりもない。
さてどう断ったものか……そうボーガンが攻めあぐねていると、思わぬところから助け舟が来た。
「――まあまあーベルベットちゃん。ちょっとぐいぐい攻め過ぎー。ほら、ボーガンちゃんが困ってるみたいだから、その辺にしてあげなよー」
予想外にも、隣の席のハヤテであった。
先程からベルベットは興奮を抑えきれず、その声は教室中に轟いており、近場で騒がれて迷惑だったのだろうか。
彼女の真意のほどは、いつもの細い目の笑顔のままで固定されているため、よくは分からない。
「……失礼いたしましたわ。わたくしとしたことが、つい強引になってしまいましたわ……」
ハヤテに横槍を入れられて少し冷静になったのか、ベルベットはしたなく詰め寄っていたことに気づきどこかシュンとし、反省の色を見せる。
(ふぅ……。もしかして、助けてくれたのかな……?)
ボーガンは内心ほっと胸をなでおろす。
何はともあれ、これでベルベットも引き下がってくれるだろう。
隣の席のクラスメイトに深く感謝を示す。
だが――事態は急変する。
正しく、ちゃぶ台をひっくり返されることとなった。
「まあでもー、ベルベットちゃんの気持ちもわからなくはないかなー。ボーガンちゃんみたく”強そうな子”は、きっと”戦力になる”だろうしねー」
ハヤテのその言葉で場の流れが変わる。
「ボーガンちゃんも今のチームは抜けたくない、けどベルベットちゃんもスカウトしたい……。やっぱこういう時はお互い禍根が残らないよう、
「へ…………?」
ハヤテの突然の提案に、脳がフリーズしてしまい反応が出遅れる。
その隙きをつかれ、ベルベットが先んじて見事に食らいつく。
「それはいい考えですわね! わたくしたちの実力を知ってもらえれば、キョウエイボーガンさんも、先程の考えを改めてくださいますわよねっ!?」
ベルベットはハヤテの放った言葉を瞬時に独自解釈する。
そして目をランランと輝かせながら、
「さっそくわたくしと、チーム対抗戦をしましょう!」
と、盛り上がってゆく――。
(――え、ええーーーっ??)
物事は上手くいかないものである。
時には本人の意志とは無関係に動き出してしまう……。
悲しきかな。キョウエイボーガンは、面倒事に巻き込まれてしまったのであった。
2023/5/28 構成変更のためタイトル修正、誤字修正