※登場キャラを知っている人向け
ガシャーン!
大きな音とともに茶器が落ちた。
私は割れた茶器と共に床に倒れていた。
異変に気づいたのか、目の前に従者が現れた。
何か言っているようだが、薄らぐ意識の中で聞き取ることが出来ない。
この時、月は西に沈みかけていた──
──どれくらいの時間が経っただろう。
気づいたら見慣れたベッドの上で寝ていた。
「お嬢様! 私の事が分かりますか?!」
「ああ、咲夜」
「ここが何処か分かりますか? 自分の名前は言えますか?」
目を覚ましたことに気づいた従者、咲夜が私の意識を確認する。
「ここは紅魔館の私の部屋。そして私の名はレミリア・スカーレット。大丈夫よ。吸血鬼がそう簡単に自分を失うわけが無いわ」
「良かった……!」
ギュッ
寝たままの私を咲夜が強く抱き締める。
少し苦しいけど、そこまで私を想ってくれていることはすごく嬉しい。
「いい所で邪魔するようだけど、レミィ」
その声を聞いた咲夜はゆっくり私を放した。
上体を起こし、声のする方を見ると、親友の魔法使いのパチェが正面の椅子に座っていた。
「あら、パチェもいたのね」
「気絶している間に身体を調べさせてもらったわ」
「それで、どうだったの?」
「いい?覚悟して聞きなさい」
どこか堅く、それでいて動揺したような顔でパチェが話す。
「レミィ、あなたは人間になりつつあるわ」
その言葉に、私は直ぐに反応する事が出来なかった。
吸血鬼の私が、人間に……?
混乱している私の代わりに咲夜がパチェに聞く。
「人間になりつつあるって、どういう事ですか?」
「言葉の通りよ。レミィの身体が徐々に人間に近づいているの」
「元に……戻れますよね?」
「それは難しいわね。少なくとも私では治せなかったわ」
「そうですか……ですが、人間になってしまっても、身体が弱くなるだけで済むんですよね? それなら頑張って解決策を見い出せば……」
「……そうもいかないのよ」
「他にも何かあるんですか?」
「これは、体組織が人間になるというよりは、存在そのものが人間になるというのが正しいわ。レミィは吸血鬼として500年以上生きているわ。存在が人間に変わってしまうと、その500年が人間の身体にのしかかるの。普通の人間は500年も生きられないわ」
「そうなると……まさか!」
「500年分の時に耐えられず、身体はボロボロに崩れるでしょうね。勿論、人間だから再生はしないわ」
「お亡くなりになるという事ですか?! 先程お嬢様が目覚める前に『一命は取り留めた』と言っていたではないですか!」
「ええ。確かに "今日は" 一命を取り留めたわ。これは呪いのようなもので、解除を試みたけど、進行を遅らせるのが精一杯だったわ。恐らく、あと1ヶ月……いや、数週間しか持たないかもしれない」
突然突きつけられた余命宣告。
寿命など気にしなくてよかった吸血鬼に、その言葉は銀製のナイフより鋭く刺さった。
咲夜は質問を続ける。
「助かる方法はないんですか?」
「安直だけど、術者をどうにか出来ればなんとかなるかもしれない。心当たりはある?」
「あるわ」
やっと整理が着いた頭で、これまでの事を思い返した。
丁度この間、数日間外の世界へ旅行に行った。
咲夜と2人でだ。
そこで面倒事に巻き込まれ、成り行きでヴァンパイアハンターどもを皆殺しにした。
その戦いの中で、奇妙な武器から受けた傷が原因だろう。
傷自体は直ぐに治ったから気にも留めなかった。
誰一人逃がしていないから慢心していた。
まさか、こんなものを仕込んでいたとは。
その事をパチェに話すと、彼女は頭を抱えた。
「という事は、今は為す術が無いという訳ね……」
「うぅ……お嬢様ぁ」
咲夜が今度は私を抱き締めながら涙を流した。
窓の外を見ると、既に日が空高く昇っていた──
あの余命宣告の後、泣き疲れた咲夜と共に眠り、夜に目が覚めた。
最初に気づいた事は、翼が消えたまま出せなくなった事だった。
そこでやっと、身体が人間に、死に向かっていることを実感した。
机に残されたメモを読む限り、パチェは解決策を模索するために諦めず図書館に篭っているらしい。
咲夜はというと、私が起きる前に部屋から出たようだ。
いつもならこの時間は食事の準備をしている事だろう。
私は食卓に向かった。
席には既に妹のフランとパチェが座っていた。
私が席に座ると、丁度咲夜が料理を持ってきた。
そして、いつも通り食事をとる。
あの時のこともあって、私とパチェは喋らず黙々と料理を口に運ぶ。
別に、このような食事になることは珍しくない。
しかし、この沈黙はフランによって破られる。
「ねぇ、今日のお姉様、妙に人間臭くない? ちゃんと体洗ったの?」
「そうね、そういえば間食で血を飲んでから洗ってない気がするわ」
私は嘘をついた。
少なくとも倒れる前に人間の臭いがベッタリ付くことはしていない。
咲夜の匂いは知っているから、フランがそんな言い方をすることは無い。
ということは、その臭いは私から発せられている。
臭いを誤魔化すための方法をパチェに聞いておこう。
「咲夜」
「はい、何でしょう?」
「片付けが終わったら私の部屋に来て」
「かしこまりました」
食事の後、私は自室で咲夜を待った。
そこまで長い時間を待つまでもなく、扉が開かれた。
「ただいま参りました」
「早速で悪いけど、紅茶を用意してちょうだい。お茶を飲みながら話しましょ」
「かしこまりました」
咲夜は時を止めて素早く紅茶を入れた。
私の手元には既にティーカップが置かれていた。
紅茶を少し飲んでから話を始める。
「食事の時、フランがあんな事言ってたでしょ?」
「はい。実の姉に失礼極まりないです」
「あの匂いは私の体から発せられていたわ。それに、翼も出せなくなってた」
「……!」
咲夜が驚く。
「いくらなんでも変化が大きすぎます! 今すぐパチュリー様に!」
「言わなくていいわ。パチェにこれ以上プレッシャーを与える訳にはいかないもの」
「では何で私に?!」
それもそうだ。パチェによれば、まだ数週間の猶予がある筈なのだ。
それにしては変化が大きすぎる。
黙っているという選択もできたが、咲夜にだけは全て話そうと思った。
「咲夜には話しておこうと思ってね。ねぇ咲夜、これから色んな変化があるかもしれないけど、皆には黙っていてちょうだい」
「かしこまりました……」
ふと、窓の外を見る。
まだ月は出てきたばかりであった──
それからというもの、特に特別な事はせず、いつも通りの日々を過ごしていた。
日に日に身体が弱っていくのを感じてはいたが、皆の前では気丈に振舞った。
例え人間に成り果てようと、私はレミリア・スカーレットとして生きていたい。
そのためにいつも以上に魔法を使ったり、咲夜の助けを借りたりして異変に気づかれないよう努力した。
そのせいか、常に咲夜が私の近くに居るようになった。
そして、気づけばあれから一週間が経っていた。
「もう一週間ね」
「そうですね。お身体の方は大丈夫ですか?」
「普通に生活するには問題ないわ」
今は最初の時ほどの急激な変化は無く安定している。
とはいえ、この一週間でいくつか変化はあった。
「そうだ、今まであった変化をまとめておこう。私が把握しているものだと……翼、匂い、五感が鈍ってきているのと……咲夜は何か気付いたことはある?」
「そうですね……ぼーっとしていることが増えた気がします」
「そうかしら? まあ、できなくなることばかりじゃなくて吸血鬼の弱点を克服できるから、悪い事ばかりじゃないわね」
「そういえば昨日、流水を克服できたとおっしゃってましたね」
「おかげでお風呂の楽しみが増えたわ。これを機に新しい浴槽を買うのもいいかもね。外の世界にある色々付いてるやつとか」
「今度、河童に頼んで作らせましょう」
「それなら、大きいものにしてもらおうかしら。咲夜と一緒に入りたいわね」
「……!」
咲夜は赤面した。
最近は忙しかったからか、不意を突かれたように表情が乱れている。
たまには弄ってあげないとね。
「冗談よ。ふふっ、久々にその顔を見たわ」
「お嬢様~、からかわないでください」
「ふふふ」
嗚呼、こんな日々がいつまでも続いてくれればいいのに。
今までより高く遠くに見える月に願った──
あの日から丁度10日目。
私はお昼頃に目が覚めた。
隣に目をやると、咲夜がメイド服のまま寝ていた。
これは、一昨日から私が頼んでいる。
寝ている間に何か異変があれば直ぐに対応できるように。
あと、最近寝ている時でも咲夜が側にいてくれないと何か落ち着かないのよね。
これは恥ずかしくて咲夜には言っていない。
「咲夜、起きなさい」
右手で体を揺すり、起床を促す。
「はっ、おはようございます。すみません、お嬢様より後に起きるなんて……」
確かに、私がこうなる前は私が起きる時には咲夜が仕事をしているのが当たり前だった。
でも、今はかなり忙しいし、これも私が頼んだことだし、あんまり気にしなくていいんだけどな……
「気にしなくていいわ。それより、着替えをお願……けほっけほっ」
「お嬢様!」
「大丈夫、喉が乾燥してるだけだから」
「ではお水を」
咲夜が水を私に飲ませる。
かなり人間化が進んでしまっている。
身体が前に比べて明らかに重い。
吸血鬼なら出来たことは殆ど魔法で補っている。
もう魔法使いと殆ど変わらない。
血を飲む事と、太陽に弱い所で吸血鬼としての自己を保っている状態だ。
パチェも頑張ってはいるものの、解決策が見出せないでいる。
目に水が溜まるのを感じる。
私は咲夜から顔を逸らした。
「どうかいたしましたか?」
咲夜が不思議そうな顔で聞いてきた。
私は涙を堪えようとしたが、既に瞼で掬いきれぬ量であった。
「えっ……」
咲夜がそれに気付いた時、私は咲夜の胸に顔を埋めていた。
「……!」
そして声にならぬ声で咽び泣いた。
死に程遠い存在だった筈なのに、今ではそれを近くに感じる。
寿命が近付くとこんな気持ちになるのか。
「お嬢様、私はいつまでもお側にいますよ」
咲夜はそう言ってしばらくそのままでいてくれた。
その後、血で腹ごしらえをして、部屋から出ずに紅茶を飲んだ。
落ち着いた私は夕方にもう一度血を頂くことにした。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「今日は乾きやすくてね……」
グラスに入った血に口付ける。
舌に触れると異様な感覚がして、直ぐにグラスを置いた。
……不味い。
味はさっきと変わらない、けど不味い。
その時、私は悟った。
恐らく、次の朝を迎えることすら出来ないだろう。
あの巫女程ではないが私の勘は結構当たる。
「咲夜、出掛ける準備をなさい」
「はい。どちらに向かわれますか?」
「ちょっと長めの散歩よ」
「……かしこまりました」
「私は図書館に行ってから出るわ」
外出する前にパチェの元に行った。
散歩する事を伝えると、パチェは全て理解した様で、何も言及しなかった。
私は咲夜と館から出た。
「あの、日傘は?」
「要らないわ」
日向に生身で入る。
特に焼ける感覚や怠さは感じない。
やはり太陽も克服しているようだった。
門を開けると、門番がこちらを見た。
私を一目見て察したのか「いってらっしゃいませ」とだけ言って送り出してくれた。
森に真っ直ぐ入ってしばらく無言で歩いた。
何故歩くのか聞かれたが、特に意味など無かった。
何時間も歩いた。
宛もなく歩いているうちに開けた場所に来た。
夜はもう更けていた。
「ここに座って」
「はい」
咲夜を草の上に座らせる。
私は咲夜の膝の上に横向きで座った。
「あ、あの、お嬢様?!」
「綺麗な満月ね」
「は、はい」
咲夜が自然に私の体を支えてくれる。
支えてくれる手の中で話し始める。
「あれから、私の我儘にずっと付き合ってくれてありがとうね」
「……それが私の仕事ですから」
「はぁ、まさか存在自体が書き換えられるなんてね。とにかく不便だったわ。今じゃもう歩くのさえ辛い。でも、弱点を克服出来たのは良かったわね。そのおかげで咲夜と色んな感覚を共有できたわ。この間のお風呂だって──」
私が思い出話をしている間、咲夜は静かに頷いていた。
この10日間、思っていたことも全て打ち明けた。
自分が変わってしまうことの恐怖や寂しさも含めて。
咲夜の鼓動が早くなっているのを感じる。
いくつもの感情が渦巻いているのだろう。
ここら辺でいいかしら。
「咲夜」
「はい?」
私は咲夜の肩に手を回し、耳元で
「好きよ」
と囁いて頬に口付けをする。
「お、おおお嬢様何を?!」
「『お嬢様』じゃなくて、名前で呼んで欲しいわ」
「あ、はい……レミリア様」
「うーん、まあいいわ。咲夜も私の事好き?」
「……好きです。愛しています」
咲夜と目が合った。
そのまま目を合わせ続けた後、唇と唇を合わせた。
しばらくそうして愛を確かめ合った。
唇を離し、手も解いてまた話し始める。
もう時間が迫っている。
「最後にこうすることができて良かったわ」
「……!」
流石にこの言葉で咲夜も完全に理解したであろう。
しかし、それを信じない様子で私に言葉を返す。
「最後ではありません! これからも、何度でもしましょう!」
「ふふっ、ありがとうね」
咲夜の目から涙が溢れ、私の胸に流れ落ちる。
私は声に力が入らなくなってきていた。
それでも話し続ける。
「紅魔館の次の主はフランになるわ。主としての威厳を損なわないようにとフランに伝えてちょうだい……」
「嫌です! レミリア様がご自分の口で伝えてあげてください!」
「久々に私に刃向かったわね。でも、今の私には咲夜の頬を叩く力も残ってないわ。だから、後はよろしくね……」
「待って! 私を置いてい──!」
咲夜の声が聞こえなくなった。
視界も増々暗くなる。
私は絞るような声で言った。
「咲夜、あなたに会えて本当に良かったわ。あと、忘れないようにもう一度言うわね。好きよ……咲夜……」
空を見ると、さっきまで見えていた月がもう木で見えなくなっていた。
そして、私の意識は途絶えた──