ヒャルルルッ! ミェッミェ、ミェミミェミェミミミ、コロロロロッ、ミェー。ル? コロロッ、ヒャル? ……ルルルッ、ミェール。ミェ、ミェーミミェーミ、キャルラララ! ミェ!

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溟龍の歌

 さらさらと降る雨が好きだ。

 傘を差さずとも、合羽を羽織らずとも大して気にならないくらいの霧雨が好きだ。

 生き物が活動を落ち着かせている静けさと、体を適度に潤わせる、僅かで小さな雨粒。

 じめじめとした湿度でありながらも、そんな形容は似合わない陸珊瑚の台地。何とも心地良い空間。

 ーー戦う気が起きなかった。

 そんな時と場所を崩したくなかったのもあるだろう。けれど、それ以上にソレはこの場所に適していた。

 支配している訳でもない。創り出している訳でもない。

 ただ、自らがここに居るのは日が昇って沈むように、雨が降って晴れるかのように、当たり前の事であると言うようだった。

 ネロミェールと後に呼ばれるようになる、水と雷を操るその古龍。

 ソレを目の前にして、俺は背負ったランスを構える事すら憚られていた。

 

 まるで軟体生物のような、鱗とも皮膚とも言えない表皮で覆われた四足と翼を併せ持つその古龍。

 それは、今まで見てきた古龍の中では酷く地味な色をしていた。

 ぬめりのある灰色の全身。黒みがかった、全身を覆える程に巨大な翼。

 ただ、ネルギガンテ、イヴェルカーナと時と場合によって自らの体を変貌させていく古龍と戦って来た身としては、その姿は仮初のものなのだろうと思えた。

 四足を畳んで腹を付けて座っているその古龍。俺と目を合わせても、敵意をすぐに見せて来る事はなかった。

 ただ、警戒はしている。俺と同じく。

 辺りに散らばっている水溜り。こんな霧雨では出来るはずもない量の不自然なそれは、足を踏み入れてはいけないと体のどこかが直感している。

 そんな中、糸のように細く長い髭が、一定のリズムで揺れていた。

 ……命じられた事は調査だ。討伐じゃない。

 さあ殺し合おう! と言わんばかりの楽しげで溌剌とした殺意を滾らせていたネルギガンテとも、自らを第一級に警戒すべき敵だと見做して正々堂々と迎え撃ってきたイヴェルカーナとも違う。

 陸珊瑚の台地に時折やってくるキリンと似たように、この古龍も落ち着いていた。

 見下すのでもなく、全く関係ない扱いでもなく、まるで隣人のように。

「……ここは、綺麗だよな」

 何とはなしに、俺は空を見上げて呟いていた。

 ムカシマンタゲラが空をふわふわと浮くように飛んでいる。曇り空の隙間から、太陽の光が薄らと届いて来ている。

 静かな時。

 暫くそれが続くと、その古龍が翼を広げた。

 ぐっと背を伸ばして、そのままふわりと言うように飛んでいく。

 俺の方を見直す事もなく、陸珊瑚の高台へとそのまま飛び去っていった。

「…………」

 程なくして太陽が顔を見せた。

 

 研究基地へと戻ると早速受付嬢が話しかけてきた。

「随分と早かったですね?」

「別に戦う必要のなかった相手だったからな」

「そうなんですか?」

「アレはこちらから手を出さなければ、あちらからも手を出してこないだろう。じっくり観察して、それで正体を暴いていけば良い」

「それもそうですね。それで、本当に幻覚ではなく、ちゃんと存在したんですか? それから地味な色合いだったんですか? それとも派手な色合いだったのですか?」

 過去にフィールドワークをしていた研究者達の目撃情報はそんな正反対なものばかりで、集団幻覚だったとまで疑われる程だ。

「ちゃんと居たが、地味な色合いだった。ただ、ネルギガンテやイヴェルカーナと似たように、形態变化するだろうとは思うな。

 結局、アレが古龍らしいところを見せるところは、俺は何も見ていないし」

「要調査、という事ですね!」

「そうだな。ただ、一人で突っ走るなよ」

「分かってますって」

 それに何度裏切られてきた事か。

 

*

 

 曇天、雷を抱く分厚い雲が訪れる時には決まってキリンが訪れる。

 コツ、コツと陸珊瑚に蹄を静かに響き鳴らしながら、気紛れに散策をしてどこかへと去っていく。何とも争う事もなく、とりわけ騒ぎを起こす事もなく、精々水を飲むくらいで。

 そんなキリンと、散策をしているとばったりと出くわした。

 一度足を止めるが、キリンも自分を見止めただけで、また歩き始める。

 その体表には当たり前のように雷を帯びている。もしジャグラスやシャムオスのように友好を結べて乗れたとしても、雷への耐性がある装備をしておかなければまともには乗れないだろうな。

 そんな事を思いながらすれ違う。コツ、コツという音が遠ざかっていくのを聞くだけで、振り返る事もしない。

 ただそれだけの関係。

 それは、あの古龍が訪れてからも大して変わらないようだった。

 

 キリンが来る時も、あの古龍が来た時も、ただの竜達はその存在感をいち早く察知して逃げていく。

 普段縄張りを激しく主張しているレイギエナはその縄張りを投げ出してどこかへ避難するし、時折食べ物を求めて瘴気の谷から顔を出してくるオドガロンもその時だけはやって来ない。

 けれども、俺はキリンが目の前に来ても、未知の古龍と対峙してもそんな命の危険というものをもう覚えなくなっている。

 竜より第六感というようなものが乏しいから、というよりかは数多の古龍と渡りあってきてしまったからだろう。

 このキリンとも、そしてあの未知の古龍にも、絶対倒せるとまでは言わないでも、何をして来ようとも最悪生きて帰れる位の自信はあった。

 そんな青い星と呼ばれる事にも悪い気をしていない傲慢不遜な俺の事を、キリンという古龍は、そしてまだ名も決められていない古龍は、どのように思っているのだろうか?

 それは、少しばかり気になっていた。

 分かる事が無いにせよ、もし古龍と意思疎通出来るようになったとしてまず第一に聞くのはきっとそれだろう。

 

 ごろごろと雷が鳴る。古龍の中では一番下に見られるキリンではあるが、それでもその能力はただの竜とは一線を画している。

 肉弾戦においてはラージャンに遅れを取る事があるらしいが、それはラージャンに雷への強い耐性がある事が要因でもあるだろう。

 それに、ただの竜種では雷を発する事が出来る種が居ても、それはどんなに強烈でも自らの肉体から発電させたものばかりだ。キリンのように環境そのものを操って雷を落とすなど、キリン以外では聞いた事もない。

 ただ、この天気はあの古龍と比べれば不穏さを漂わせていた。

 単純に好みとしている環境が違うだけなのだろうが、人の都合からしてみればあの古龍との共存の方が楽だろう。

 ……やっぱり、どちらとも余り戦いたくはないな。

 青い星だと周りから持て囃されようとも、別に俺は狩人としての才能があっただけで、戦闘狂な訳じゃない。

 勿論、人に積極的に仇為すのならば討伐する事に躊躇いはない。ただ、古龍とも対等に戦えるようになってしまった今では、人の営みをより発展させる為にだとか、装備の増強やらの理由で竜を討伐しようと誘われても余りやる気が湧かなくなっていた。

 狩人でない人からすれば、クルルヤックどころか、ジャグラスやラフィノスであろうとも強い脅威であるのは最も承知であるが。

「相棒ー!!」

 キリンがやって来た方向から、隠れ身の装衣を外したばかりの受付嬢が走ってきた。

「何だー?」

 余裕の無いような声で、俺の元まで着くとぜい、ぜいと息を切らして膝に手を着く。

 それから。

「クシャルダオラですっ、ここにクシャルダオラがやってきていますっ!」

「……マジかー……」

 見れば、宙に浮かんでいた研究基地も気球を畳んで隠れている。遠い地平線の方の天気も、台風のように渦巻いていた。

「装備は……このままで良いか。秘薬やらも十分に持ってるし。

 あんたはベースキャンプで待っていてくれ」

「はい。あ、応援は要らないんですか?」

 少し考えて返す。

「多分、俺も大して手を出す事は無いんじゃないかな」

「へ?」

 怪訝な顔をする受付嬢に続けた。

「一期団の話、覚えているか? クシャルダオラと争った古龍の話」

「はい。アステラの座礁した船の事ですよね?」

 一期団はクシャルダオラを追跡してこの新大陸に辿り着いた。ただ、普通に辿り着いた訳ではなく、クシャルダオラと謎の古龍の争いに巻き込まれて、今のアステラの最上部に座礁するという形で、だ。

 その謎の古龍は、水を操る力を持っていたと言う。

「それがあの古龍じゃないかと俺は睨んでいる」

「確かに目撃情報からしても、それっぽいですしね」

 気性は穏やかだが、そのクシャルダオラが渡りを断念したという調査結果からも、少なくとも対等以上に戦える力は持っている。

 それに、同じ古龍でもキリンがここに居るという事は、その古龍とキリンは敵対していない可能性が高く、更にクシャルダオラは雷が苦手だ。

「……」

 面白いものが見れそうだ、という言葉が出そうになって、抑えた。

 口に出してしまえば、この受付嬢は自分の命も顧みずに調査をしたがるだろうから。

 一度口を噤んだ俺を不思議そうに見てくる受付嬢に、俺は言った。

「古龍同士の戦いなんて、壮絶なものになるに違いないからな。あんたはぜーーーったいにベースキャンプから出るんじゃないぞ。いや……研究基地にまで戻っていてくれ」

「……はい」

 若干不満げに受付嬢は答えて戻っていった。

 そういうとこだぞ。

 

*

 

「さてと、と」

 携帯食料を取り出して、幾つか頬張る。

 一気に口内の水分を奪っていったそれを水で流し込んでから、体を再び入念に解した。

 激しい嵐は目を一度離した隙にもうかなり近付いて来ていた。

 どす黒く、渦を巻く分厚い雲は、キリンが呼び寄せていた雷雲も巻き込んで肥大化している。

 クシャルダオラもまた、天候を操る事が出来る古龍だ。その能力の強さは、キリンよりも強いらしい。

 ただ……雷が苦手なのに、雷雲も巻き込んでしまって大丈夫なのだろうか?

 余り良い結果になるとは思えなかった。

 

 キリンの痕跡を尾けていけば、最終的に軟質珊瑚が多く生えている場所へと続いていた。

 もうちょっと広い場所を戦場にすると思っていたが。

 そこじゃ、キリンが跳ね回るスペースも少ないし、あの古龍まで現れたとしたら、それだけで半ばすし詰めになるだろうし。

 そう考えながらその場所を覗けば、もう既にその古龍が居た。

「おぉ……」

 思わず口に出る。

 キリンと顔を合わせている事よりも何よりも、先日見た時とは全く違うその古龍に目が行ってしまう。

 まるでお伽噺の中で出てくるような海の中の王国を思わせる色合い。

 淡いようで、深くもあるような不思議な青。顔先や翼の端はまた、血とも色合いの違う鮮やかな……夕焼けのような赤。

 加えてその髭や体の線は、その青から紫、そして赤までに妖しく発光している。翼膜の外側が真っ黒である事も相まって、この世の生き物でないような、もしこの世に存在するとしても、未だ人が到達した事のない場所に生息しているような、はたまたこの世の裏側のような場所に生息しているような、そんな印象を抱いた。

 竜でも古龍でも何でも、こんな色合いをした生き物を俺は初めて見た。

 これは……集団幻覚と疑うのも無理はないな。

 また同時に、この摩訶不思議な色合いをした状態が臨戦形態である事も分かる。

 そしてきっと、この古龍が得意とするのは、水と雷の両方。

「ギャルルルルッ!」

「えっ?」

 後ろを振り向けば、もう近くまでクシャルダオラがやってきていた。

「やっべ」

 盾だけでも構えた時には、クシャルダオラが突進してきていた。

 暴風を纏いながら突っ込んでくるクシャルダオラ、如何に人が防御したところで受けきれるはずもなく。

 ただ、それを理解していた狩人はぶつかる直前に盾を傾け、バックステップ。

 ガヅゥッ!!

 狩人は弾かれ、高く飛んだ。その体勢は強く安定したまま突き出した腕、クラッチクローをクシャルダオラの頭に噛みつかせる。その鋼線は限界まで引き伸びた後、一気に巻き取られていく。

 ギャルギャルと機構がフル回転した時にはランスは宙にて構えられ、その切っ先は確と頭を貫かん!

 激しい悪寒に頭を振ったクシャルダオラ、更に纏っている暴風が狩人を激しく揺さぶり、切っ先は鋼を僅かに削るに留まった。

 着地、距離を取る。

「ふーっ」

 受付嬢の事を言ってられなくなってしまった、と思うも。

「ヒャロロロロッ!!」

 そのクシャルダオラに吼えた、その古龍。ヂヂッ、ヂヂッと全身に雷を帯びるその顔先はクシャルダオラだけを見ていた。

 クシャルダオラの注意がその古龍に向き、しかしその時には、キリンという第三の古龍がどこからも消えていた事への意識が掻き消されていた。

 その背中が明るくなり始めると同時に、その古龍はクシャルダオラへと突っ込んでいく。不得意なその雷とまともに付き合うのは悪手だと飛んだその直後。

 水平に走る雷がクシャルダオラを貫通していった。

「ギャアッ?!」

 墜落。その古龍はクシャルダオラの頭を踏みつけ、そしてそこでやっと、俺の方を睨んできた。

 ただそれは邪魔をするな、と言うだけで。

 決着はもう着いていた。

 軟質珊瑚から水が意志を持ったかのようにせり上がってきた。それは踏みつけられたクシャルダオラの頭を覆い、呼吸を奪う。

 更にその古龍の全身は強く放電し続けており、クシャルダオラは尾も翼も四肢もそのどれをも痙攣させるだけで、当然空気を肺の中に留める事すらも許されない。

 そのえげつなさに唖然としていると、ここら一帯の水がシュー、シュー、と白い煙を出し始めている事に気付いた。

「な、何だ!?」

 もの凄く嫌な予感がすると同時に思い出した。

 ーー水を電気分解したら、酸素と水素になる。

「やべぇっ!」

 走って逃げ始めたその直後、その古龍は黒色の翼を広げて跳躍するように飛び。

 俺が頭を抱えて口を開いてジャンプしたと同時に、物凄い衝撃が全身を襲った。

 

「…………あ゛ーっ……」

 全身が隈なく痺れて軋む。耳がキィンと鳴って何も聞こえない。それでもどうにかして立ち上がって振り向いたら、目の前に何かが落ちてきた。

「……えっ?」

 それは紛れもなく、クシャルダオラの下顎だった。下顎だけが千切れて落ちてきていた。

 前を向けば、一仕事終えたように背伸びをするその古龍を中心に、ぼとぼとと質量のある肉と血の雨が降っている。あった軟質珊瑚も爆発で抉れ果てていた。

 そして、その古龍の前にあったはずのクシャルダオラは、跡形もない。

 要するに……半ば信じられない事だが……クシャルダオラの全身は弾けて吹き飛んだのだろう。

 頭に何かべちゃ、と落ちてきて、思わず手に取ってしまう。

 潰れた青い目玉だった。

「うわっ」

 思わず投げ捨てる。

 戻ってきていたキリンも近寄る事を憚る程で、けれど気付けば、ただの雨が振り始めていた。

 それはその古龍の全身にこびりついた血肉を瞬く間に洗い流していき。

 その間に俺の方を一瞥したが、しかし特に何もして来る事もなくキリンの方へと向き直る。

 帰ろうかというようにキリンの方へと歩いていけば、キリンもそれに続いて小さくなっていく。

 そんな姿は、これだけの事をしておきながら、ただ日常の連綿とした事柄の一つだと言わんばかりだった。

「…………」

 もう、追いかける気にもならなかった。

 

*

 

*

 

 ぱつぱつと、雨らしい雨が降り注いでいる。

 こういう雨も嫌いじゃない。

 濡れる事を許してしまえば、この地の全てに降り注ぐ雨は静かながらに多種多様な音を聞かせてくれる。

 音楽に限らず芸術というものは、元を辿ればこんな自然を模そうとして始められたものだとか。それも頷ける。

 ーー戦う気が起きないのは相変わらず。

 久々の陸珊瑚の台地。

 異変を解決してからは初めてだった。

 

 ネロミェールと名付けられたその古龍は今もまた、この陸珊瑚の台地を時折訪れる。

 単純に散歩をするように、この地を縄張りとして見做している訳でもなさそうな素振り。

 ただ、俺がアン・イシュワルダを討伐してからと言うものの、ネロミェールはどこか変わったと言う。

 どこか硬さが消えたらしく、上機嫌な時は鼻歌のようなものまで聞こえてくるとか。

 アン・イシュワルダの存在を、イヴェルカーナやネルギガンテ、ネロミェールと言った古龍達はいつから知っていたのだろうか? そして実際、何を思っていたのだろうか?

 もしかすると、アン・イシュワルダを討伐された事をネロミェールは知っているのかもしれない。

 どのようにして、と言う部分は全く不明なのだが。

「ミー……」

 噂をすれば、そのネロミェールの鼻歌らしきものが聞こえてきた。

 ぺたり、ぺたり。

 ゆっくりと歩いてくる音が聞こえてくる。立ち止まって待って見ることにする。

「コロロロロッ、ル〜」

 陸珊瑚の先から呑気にやって来て。

「ミェ〜〜」

 目が合った。

「ミャッ!?」

 俺が居る事に気付いていなかったようで、驚いた声を出した。

 苦笑しながら俺は言った。

「久しぶり」

 ネロミェールは翼も髭も硬直させて、見るからに動揺していた。

 その顔が更に赤くなっているのは見間違いじゃないだろう。

 そして次第に体がぶるぶると震え始めたかと思えば、次の瞬間にはネロミェールの背後から鉄砲水のように波が押し寄せてきていた。

「ヒャ……ヒャロロロロッ!!!!」

 威厳など微塵もない怒りの咆哮に、必死に笑いを抑えながら俺は走り始めた。




受付嬢を好意的に書く事は私には出来ません。


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