夜空に光る綺麗な星々。
素敵だなぁ。綺麗だなぁ、なんて呟きながらも。
自分もその星に辿り着きたくて、ずっと走り続けていた。
だけど。
だけど、その星は流星のようで。
アタシが、辿り着く前に。
また一つ遠くなっていく。
~~~~~~~~
走れ。走れと、アタシの脳が叫んでいた。
『残り200mで先頭メジロマックイーン! 外側からトウカイテイオー上がってきた! 差は半バ身か!』
京都レース場、第10R。3000m。G1レース──菊花賞。
やっと夢見たG1レース。死ぬ気で枠を勝ち取って、必死にトレーニングして挑んだレースだったのに。
『残り150m地点で並んだ! メジロ家か! 無敗の三冠か! どちらが前に行く!?』
「っつぅぅぅ!!!」
3000mの残り150mだ。距離だけ見れば、あっという間のはずなのにその先が遠い。
目の前を走るのは蒼白の流星と、黒い名優。
アタシになんか目もくれず、ただ自分たちの世界に入っているウマ娘が二人。
「勝つのはボクたちだぁぁぁぁぁ!!!」
『いや、並ばない! トウカイテイオー! トウカイテイオーここに来てメジロマックイーンを追い越した!』
あぁ、くそくらえなんて、すっごい汚い言葉を吐きたくなってしまう。
勝利への執念なら、アタシだって負けてない。
けれどこの空いた距離は、自力の差か。それとも──才能か。
「お待ち、なさい。先頭は、私の……場所ですわよ!」
『メジロマックイーンも来た! メジロマックイーンも伸びる! いったいどこまで二人の競り合いは続くのか!?』
あの領域に辿り着けないアタシが、やれることなんて限られている。
多分一着は無理。だけど御馴染み三着~なんて、おちゃらけたくも、今はない!
全力で足を回せ。あの領域に一歩でも近づけるように死ぬ気で足を回していけ!
「んあぁあああ!!!」
『残り100mをきりました! トウカイテイオーか! メジロマックイーンか! ……!? いや、ここでレグルスナムカ突っ込んできたぁぁぁ!!!』
嫌だ。嫌だと、諦めたくないアタシの心が悲鳴を上げる。
まだ終わりたくないと、必死に必死に食らいつくが、時間の針は止まってくれない。
『役者は揃いました! メジロ家の意地か!? 無敗の三冠の頂か! それとも獅子の末脚か!?』
その役者のアタシはいない。
決着は、一瞬だ。
~~~~~~~~
ふわふわ、もふもふ。
そんな暖かい感触に包まれながら、起き上がったアタシは両目を擦った。
ここどこだっけ……?
ぽけっとした頭で、壁についた時計の針を見ると長針は「12」を。短針は「6」を指していた。
うぇーっと、外は暗いし18時かな……。よく寝た……よく寝た!?
「うぇぇぇ!? アタシ、寝ちゃってた!?」
「おはようございます、ネイチャさん。よく眠れましたか?」
「おかげさまで~。じゃなくて!」
寝ぼけていた頭を振り払って、なんとかアタシの今の状況を把握しようとする。
ナイスネイチャ、中等部二年生! 有馬記念も終わった年末にトレーナー室に来たけど、暖かくてうとうとしたらそのままこたつでつい……
「穴があったら入りたい……」
「まだ寝てても大丈夫ですよ?」
「いやいや……年越しは起きて過ごすのがネイチャさん流ですよっ……と」
アタシにそう言って話しかけてきたのは、どこか掴みどころのないアタシのトレーナーさん。
今日はお仕事もお休みだからか。スーツではなく私服でメガネもかけている。
いつもはしっかりしているトレーナーさんが、オフだとこんな緩くなるのかぁなんて思ったり思わなかったり。
「年越しそば貰ってきましたよ。一緒に食べましょうか」
「うにゃ~。やっぱり年末はみかんにこたつにお蕎麦ですわ~」
ごろごろと喉を鳴らしながら、トレーナーさんが持ってきてくれたお蕎麦を食べるために体を起こした。
よっこいせなんておばあちゃんみたいな声を出して起き上がったアタシは、箸を手に取ってお蕎麦を啜る。
今日は年の瀬の12月31日。あと数時間で年が変わるというこの夜に、アタシはトレーナーさんと一緒にこうしてゆっくりと過ごしていた。
「にしても良かったんですか? 実家とかには帰らなくても」
「いいのいいの。両親にはこの前挨拶してきたしね。それともネイチャさんとは一緒に年末を過ごせないと言うのかぁ~?」
「いいえ? 私は年の瀬もネイチャさんと一緒にいられて嬉しいですよ?」
「んぐっ! も、もぉ~! トレーナーさんったら~!」
さらっとそんなアタシが照れるようなことを簡単に言ってきて、喉に啜っていた蕎麦が入って咳き込みそうになってしまう。
アタシの専属トレーナーになってくれてから、もう二年経とうとしてるのにこれには全く慣れない。
そっかぁ……もう二年かぁ……
「今年も、もう終わりですなぁ……」
「クラシック級もあっという間に過ぎていきましたね。今年はどうでしたか?」
「うーん……まぁ、悔しかった思い出もあるけど……。でもアタシ的には満足、かな」
「そうですか……。それは良かったです」
「終わりよければ全てよしってね。さて──」
そう言ってアタシは両肘を机に置くと、手を組んでその上に顎を乗せた。
そしてそっとトレーナーに目線を向けると、アタシは語り始める。
年末にぴったりな、きっと必要なお話。
「アタシたちの明日を語るために、今までの話をしましょうか」
~~~~~~~~
『トウカイテイオー! トウカイテイオー、堂々先頭! 追いかける子は一バ身後ろか!』
春。四月という新たなスタートを切る季節に、アタシはトレーナーさんと一緒に中山レース場に足を運んでいた。
この時期にこのレース場を訪れる理由なんて一つしかない。
そう、皐月賞への出走……だったら良かったんだけどね……
『トウカイテイオー抜かせない! トウカイテイオー強い! トウカイテイオー、今ゴールイーン!』
実際のところ、アタシは皐月賞に出走できていない。
テイオーと走った若駒ステークスがあった三月が少し過ぎてから、アタシは骨膜炎を発症して走ることさえ出来なくなっていた。
誰が悪いという訳でもない。本当に不運な事故のような産物。
不治の病って訳では全然ないし、休んでリハビリすればまた走れるようになるんだけど……
「はぁ……」
「ネイチャさん……?」
その頃のアタシはとにかく不貞腐れていた。
若駒ステークスでテイオーに勝ちたいと思ってから、OPのレースにすら出走できずに不完全な毎日。
だからかな。ぽつりとネガティブなことを呟きがちだった。ステータスで表すのならば、不調ってところだろか。
「いやね……。もし、アタシが皐月賞出られてたらって妄想しちゃって」
「……」
「これ見てたら、テイオーには勝てないんだろうなぁって」
「……そんなことないですよ」
「いやそもそも皐月賞の出走枠確保できてないか! あれからずっと勝ててないし、病気が無かったとしても──」
「──ネイチャさん」
心底冷え切った声だった。
いつもは優しくて柔らかい人なりのトレーナーさんからは想像も出来ないような声。
そんな冷えた雰囲気に、アタシの体はびくりと震えてしまう。
耳もきゅっと絞ってしまい、いつ怒られるのか不安になってトレーナーさんの顔を見ることが出来ない。
何も言えない空気が続いていると、トレーナーさんがゆっくりと口を開いて話始めた。
「ネイチャさん、明日から私が許可するまでトレーニング禁止です」
「えっ。嘘だよね……? アタシ、もうちょっとで足も完治して走れるように」
「ダメです。絶対に許しません」
そう断言されてしまい、アタシは何も言い返すことが出来ない。
これ以上話してもダメだと感じてしまったアタシがレースが終わったターフを見ると、そこには一本指を天に掲げるテイオーの姿が。
いいなぁ。キラキラウマ娘だなぁなんて思ってアタシは、重い溜息をついてしまう。
せっかく皐月賞に来たというのに、アタシたち二人はテイオーのウィニングライブを見ることもなく固まった雰囲気で帰ることになってしまったのだった。
~~~~~~~~
それから本当に練習させてもらえないまま、約一か月が経過した。
ウマ娘は走らないと死ぬ生き物だ。いや、噓。それは言い過ぎかもしれない。
しかし一か月間もトレーニングも出来ず生殺しのような期間を味わっていたアタシは、ずっと体がソワソワしていた。
「んにゃ~~~」
骨膜炎はほぼ完治して、足に痛みは感じない。
今すぐにでもターフを駆けたい衝動にかられながら、アタシはずっとトレーナーさんからの指示を待っていた。
溜息をつきながらトレーナー室でレースの本を読んでいると、こんこんとドアのノック音が部屋に響いた。
「はいよ~」
だらりとソファで脱力していながらアタシがそう返事をすると、がらりと勢いよく扉が開く。
音がした方向へとそっと目を向けると、そこには葦毛のウマ娘がぴんと背筋を伸ばして立っていた。
ぴょんと伸びたアホ毛に、ひし形のティアラ。トレセン学園生徒なら──いや、一般人でも絶対に知ってるであろうウマ娘。ウマ娘を一人あげてと言われたら、真っ先に名前があがるであろう彼女は──
「オ、オグリキャップさん!?」
「む、君がナイスネイチャか。オグリキャップだ、よろしく頼む」
「あ、ご丁寧に……。じゃなくて! なんでここにキラキラスターウマ娘が……」
あまりの衝撃にソファから転がり落ちそうになるのを堪えて、なんとか姿勢を元に戻す。
オグリキャップ。あの永世三強の一人にして、G1タイトルを複数保持したスターホース。
笠松という地方から中央に実力で殴りこんで結果を残したというシンデレラストーリーは、ドラマにもなるほど有名な話だ。
そんな主人公のオグリキャップさんが、何でアタシのようなモブを知っているのかが分からない。
同じトレセン学園の生徒だけど、話したことも関わりを持った記憶も一切ない。
アタシの頭の中が疑問で埋め尽くされていると、後ろから一番関わっていそうな人がそっと顔を出した。
「驚きましたか? ネイチャさん」
「トレーナさん、これは一体どういうことなのかね?」
「驚いてくれたようで何よりです。さて、ネイチャさん移動の準備をしてください」
「へ? 今からどこかに行くの?」
「何言ってるんですか。今日が何の日か忘れてしまいましたか?」
「今日……? あっ」
そこまで言われてやっと思い出した。
トレセン学園生ならば絶対に見逃せない一大イベント。
オグリキャップさんの急な登場もあってか、すっかり頭からすっぽ抜けてた。
「今日は日本ダービーです。東京レース場に行きますよ」
こうして。アタシとトレーナさんと何故かオグリキャップさんまで。
あのテイオーが出走する日本ダービーを見にいくため、三人で移動することになった。
府中トレセン学園と東京レース場はそこまで離れていない。トレーナーさんが運転してくれている車の後部座席に座って揺られながら、アタシたちは東京レース場へと向かっていた。
「ところで……本当にどうしてオグリキャップさんがここに……?」
「あぁ、それは──」
「それは、私から説明しよう」
トレーナーさんが何か言いかけたところに、オグリキャップさんが割って入って来る。
そしてアタシの目をじっと見つめると、ゆっくりと口を開いて話始めた。
「それはな……私がナイスネイチャ、君の師匠になることになったからだ」
「ふぇ? 師匠?」
師匠。師匠……。ってことはアタシがオグリキャップさんの弟子?
あはは。無い無い。スーパースターアイドルウマ娘のオグリキャップさんが、なんでこのナイスネイチャさんの師匠になるのかって話ですよ。
「どういうことなのトレーナーさん……」
「私が先生に頼みました。今のネイチャさんに必要だと思いまして」
「先生……?」
「私のトレーナーのことだな。君のトレーナーは、私のサブトレーナーだったんだ」
「へぇ~。へぇ!?」
オグリキャップさんのトレーナーというと、アタシでも知ってるくらいのあのトレーナー!?
ってか、サブトレーナーって何!? アタシ聞いてない!
「そりゃ言ってませんからね。わざわざ伝えるほどでもないかと思いまして」
「いやあのオグリキャップさんのトレーナーって、他にタマモクロスさん、イナリワンさん、スーパークリークさんを担当している伝説のトレーナーだよね!? それのサブトレーナーって……」
「まぁ過去のことです。まさか、このコネが生きる時が来るとは思いませんでしたが」
ここに来てトレーナーさんの新事実に、体の震えが止まらない。
というか、なんでそんな凄いことをアタシに伝えてなかったのだろうか。
「私、先生が苦手なんですよ。色々とアレで」
「アレ?」
「ま、まぁ。私のトレーナーは色々と何考えてるか分からないこともあるが、悪い人ではない。むしろ、とってもいい人だ」
はて……どういうこっちゃ。
オグリキャップさんの話を聞く限り、先生とやらは悪い人ではなさそう。
だけど、トレーナーさんは先生が苦手……。うーん、気になりますなぁ。
「そのことはまた機会があったら話しましょう。それより着きますよ、ダービーの東京レース場です」
「おぉ……」
「わぁ……」
窓の外を見てみると、圧倒的なヒトの数で東京レース場が近づいてきたということが分かる。
レース場に入ってない外でこれだ。入場したら、一体どれだけ賑わっているのだろうか。
その光景を見ながら、アタシたちは関係者専用の駐車場に車を止めて徒歩で東京レース場へと向かう。
耳を思わず絞ってしまいそうな大音声がそこかしこから響き渡り、今までに経験したことの無いくらい音で脳が揺れる。
東京レース場は十五万人収容可能と聞いたが、もしかしたら今はそれ以上のヒトがいるんじゃないだろうか。
そんな人混みの中でトレーナーさんを見失わないようになんとか後ろをついていくと、前が開けた観客席の最前列に出ることが出来た。
目の前には青いターフが広がっており、次のレースである日本ダービーを待ちわびているように見える。
「いやぁ……凄いですなぁ……」
「無敗の三冠がかかってるテイオーさんのレースの二冠目ですからね。流石にこの人数は、アイネスフウジンさんのダービーを思い出すくらいですが……」
トレーナーさん、アタシ、オグリキャップさんと横一列になってレースを見られるように並ぶ。
そうやって少し待っていると、大歓声の中に一つのアナウンスが流れてきた。
『さぁ、お待たせいたしました! 本日のメインレース、日本ダービーの開幕です!』
「むっ、始まるぞ」
そのアナウンスと同時に、何度も聞いて夢見たG1のファンファーレが鳴り響く。
ターフに設置されたゲートに目線を向けると、青と白を基調とした勝負服を着たテイオーが立っていた。
『本バ場入場です! クラシック級七千人の中から選ばれし二十人のウマ娘が、たった一つしかない優勝の枠を賭けて争います!』
中央のトレセン学園は凄まじい倍率を誇っている。
まずトレセン学園に入学する壁。デビュー戦を勝つ壁、OP、重賞レースを勝つ壁、そして、G1レースを勝つ壁。
こんなアタシでもデビュー戦に勝っているので、実は上澄みにいるんだと他の子から言われたこともある。
でもそれなら。アタシの目標はどこまで遠いところにいるの?
『各ウマ娘ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
G1レースの熱狂が一瞬でしんと落ち着き、会場が静まり返った。
全員が同じ個所に集中するかのような空気に包まれた瞬間、レースの火ぶたは切られる。
『東京レース場、芝、2400m、G1レース日本ダービー……今スタートしました!!!』
幾重もの積み重ねを瞬間にかける競技が、今始まる。
~~~~~~~~
『トウカイテイオー、圧勝です! 無敗のまま二冠を達成しました! この子に敵うウマ娘はいるのでしょうか!』
「終わっちゃったね……」
予想できたというか、なんというか。日本ダービーは特に大きな出来事が起こる事も無く、順当にテイオーの一着で幕を閉じた。
当たり前というかのようにG1をもぎとっていく彼女を見て、アタシはどこか遠い目をしてしまう。
だけどそんな現実を突き付けられても、心の中でくすぶる気持ちがあった。
「ダービー出たかったなぁ……」
出ても結果は変わらないかもしれない。テイオーに勝てるなんて、一ミリも思ってない。
だけど、人生で一度の舞台に出走してみたかった。
「ナイスネイチャ、私がダービーに出られてないことは知っているか?」
「……まぁ、はい。クラシック登録が出来てなくてって話ですよね。でも、オグリさんだったらダービーだって──」
「それはわからない。レースに絶対は無いからな」
オグリキャップさんが今までになく真剣な表情をしながら、ターフを見て口を開く。
それはいつしか出られなかったダービーを見ているようで、どこか悲しそうだった。
「悔しかった。仕方のないことでも、君のようにもしを想像してしまうことはあった」
「オグリキャップさん……」
「だから沢山走った。その途中で夢を託してくれる人と出会った。競えるライバルと出会った」
オグリキャップ。トゥインクルシリーズの戦績は三十二戦二十二勝。
重賞レース十二勝、G1レースは四勝。
怪物とまで評された永世三強の一人は、アタシを正面から見つめて問いただしてきた。
「君が走る理由はなんだ? ナイスネイチャ」
「アタシは……」
最初は適当だった。重賞レースに勝てればいいかなぁなんて思ってた。
けど、星を見た。
一等星の輝きを放つ彼女に、アタシは不相応に憧れた。
届きたかった。掴みたかった。
けど、皐月賞を見て、ダービーを見て。
「走りたい……。走りたいよ、アタシ。走って勝って、テイオーに勝ちたい」
「そうか……」
「トレーナーさんが信じてくれた、アタシを証明したい……!」
トレーナーさんが言ってくれた。
三等星でも近くで見れば、一等星に負けない輝きを持っているかもしれないって。
アタシだって、星の一つなんだって。
「なら、自分を下げないほうがいい。後ろを見てる暇なんて無いぞ」
「そうですよ、ネイチャさん。私に見せてください、貴方の輝きを」
なんかここに来てやっと目が覚めた気がする。
きっとこの期間は、走れない自分を見つめるためだったんだ。
ウマ娘として走れない自分を、落ち着いて見直すために。
「絶対に勝つ! トレーナーさん、オグリキャップさんどうかアタシに指導お願いします!」
「あぁ、勿論だ!」
「びしばし行きますよ。ここから、菊花賞に向けてトレーニングです」
皐月賞は、星の輝きに折れかけて。
日本ダービーは、星になりたいと誓った。
菊花賞は──アタシもただの傍観者でいる気はない。
~~~~~~~~
それからアタシはオグリキャップさんと一緒にトレーニングをすることになった。
アタシが菊花賞に出るためには、かなり色々と無茶をこなさないといけない。
簡単に要約するなら、勝ったことの無い重賞のレースを最低でも二連勝する必要があった。
菊花賞は十一月。
そこに向けてのトレーニングは今まで以上に過酷を極めた。
特にオグリキャップさんとの併走トレーニングなんて地獄だった。トゥインクルシリーズを引退しても怪物の力は健在で、アタシは置いて行かれないようにするだけで精一杯。
しかしそのかいもあって、アタシは今まで以上に実力をつけられた。
七月、中京レース場。OP、なでしこ賞。二着。
七月、小倉レース場。OP、不知火特別。一着。
八月、小倉レース場。OP、はづき賞、一着。
八月、小倉レース場。G3、小倉記念、一着。
十月、京都レース場。G2、京都新聞杯、一着。
ヒトが変わったんじゃないかってくらいの、連勝を重ねたアタシは満を持して菊花賞へと挑んだ。
だけど。
「負けちゃった……か」
結果は御覧の通り。
あのメンバーで四着なら、確かに頑張った方なのかもしれない。
掲示板に入っただけで偉いなんて、今までのアタシなら言ってた。
だけど──
「あーもう悔しい! 負けたくなかった!」
菊花賞後の控室。
舞台の役者にすら上がれなかったアタシは、いつも以上なら絶対にやらないくらい大きな声で叫んでいた。
今ある全部をぶつけたはずなのに、まだまだ実力が足りないことを押し付けられたようで。
アタシが何とも言えない気持ちをぐるぐるとさせていると、こんこんとドアがノックされた音が聞こえた。
「お疲れ様です、ネイチャさん」
「トレーナーさん……それにオグリキャップさんまで……」
そっと気を使うように入って来た二人は、アタシに何かを話しかけるように口を動かしてそれを止める。
アタシが本気で菊花賞に挑んでいたことは、二人もよく知っているんだと思う。
だからここでアタシが悔しそうに足踏みしていたら、前には進めない。
もう菊花賞は終わってしまったけど、トゥインクルシリーズ自体が終わってしまったわけじゃないんだ。
アタシはぱんと顔を両手で挟む様に叩くと、前を向いてトレーナーさんに話しかけた。
「有マ記念……。トレーナーさん。アタシ、有マ記念に出たい」
「……ですが。いえ、出られないことはありませんが……」
「分かってる。有マ記念はシニア級だし、もっと強いウマ娘だっている。だけど──出たい」
「……分かりました。ネイチャさんが望むなら、それを叶えるのが私の仕事です」
「私もネイチャが勝てるように協力するぞ! 知ってるか? 私はこれでも有マ記念で勝ったことがあるから、アドバイス出来ると思うぞ!」
「あはは、知ってますよっ。よしっ……!」
あっさりしすぎ? そうかも。
でも実際に悔しいし、泣きたい気持ちだってある。
けどこんなところで立ち止まってる暇があるんだったら、もっとトレーニングしたい。
名実ともに最強になったテイオーに勝つために、ここで足踏みしてる暇なんてないって思えたから。
思い返せばアタシは菊花賞に今までの全てをぶつけられたから、こうして引きずらなかったんだと思う。
だからその後にあった有マ記念は、アタシの奥に深いしこりを残していったんだ。
~~~~~~~~
有マ記念はなんか嫌な天気の日だった。
雨は降らないけど、なんかどんよりと濃い雲が空にかかっている。そんな空。
それを吹き飛ばすような声援の中、パドックを歩いて気合を入れる。
アタシはみんなの応援もあってか六番人気。
因みにテイオーはシニア級のウマ娘がいるのに、一番人気を誇っていた。流石無敗の三冠ウマ娘といったところかな。
けど、アタシも簡単に負けてあげるつもりは無かった。
まぁ、結果はうん……語るまでも無く一着は無理だったけど。
でも四着だった。このメンバーでこの順位は、確実にアタシも成長してると思えたんだ。
「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」
しかしそれを素直に享受することは出来なかった。
理由は分かってる。目の前にいる彼女が、あまりにも辛そうな顔をしていたから。
「うあっ……。あっ……あははっ……」
トウカイテイオー──六着。
レースに出たら常勝無敗の最強の三冠ウマ娘が、有マ記念で掲示板に入ることすら出来ていなかった。
ゴール板をくぐり抜けたアタシの後にゴールしたテイオーは、目を大きく見開いて絶望した表情をしながら呼吸をしていた。
いつもの余裕が消え失せて、口から荒い息を吐きながらうっすらと目尻も上がっている。
もう自分がどうしたらいいのか分からなくて、笑うしかないみたいなそんな顔。
勝った。確かにテイオーには勝った。
なのに──なんで嬉しくもなんともないの?
それからはどうやってターフを去ったのか、あんまり記憶がない。
そんなとぼとぼと一人で地下バ道を歩いていたアタシに、声をかけてくる少女がいた.
「おい」
「……」
「おい! ナイスネイチャ!」
「ふぇっ! アタシ!?」
しんと静まり返った地下バ道に響き渡るのは、透き通った快活な声。
鹿毛のセミロングヘアに和服をモチーフにした勝負服を着た、小柄な彼女の名前はレグルスナムカ。菊花賞で三着を取った、主人公のキラキラウマ娘ちゃん。
さっきまで一緒に有マ記念を走っていた子なんだけど……そういえばあんまり話したことは無かった気がするな。
「むっ、すまないな。急に」
「びっくりしたじゃんも~。何かアタシに用事があるの?」
レグルスは小柄の体の上に乗った耳をぴょこぴょこと震わせながら、アタシの目をじっと見つめる。
そして尻尾を大きく揺らすと、まるでアタシの中の「何か」に話しかけるようにゆっくりと口を開いた。
「ナイスネイチャ、貴様はテイオーに勝ちたいんだよな?」
「ま、まぁ。今回で勝っちゃった~かも、だけど」
「納得してないんじゃないか?」
「……」
レグルスはアタシが思っていたことをピンポイントで言ってきて、何とも言えなくなってしまう。
確かにレースに絶対なんて無いし、テイオーだって負けることだってあるかもしれないけど。
なんか、今日のテイオーは全力を出せてない気がした。最後の方なんか苦しそうに走って、彼女らしくない。
今日のテイオーについて考えていると、レグルスがふっと微笑んでアタシの肩を叩いてきた。
「今日お前に言いたかったのは、託すためだ」
「託す……?」
「我も、テイオーの奴に勝ちたかったのだがな。宣戦布告までした」
「アンタも……そうなんだ」
「だが、それも一旦今日で終わりだ」
一旦……? どういうことなのだろうか。
アタシが分からなくて首を傾げていると、レグルスがまだ誰にも言って無いだろう衝撃的なことを言ってきた。
「我はもう国内レースにでない。次の舞台は海外だ」
「へ? それって……」
「逃げたわけじゃない。奴なら絶対にくるレースが、一つある。それに向けて我は準備するというわけだ」
適性が海外芝向けということもあるがなと彼女は付け足す。
テイオーが絶対に来るレース……。
もしかしてそれって、凱──
「おっと、そこまでだ。だから──」
レグルはそっとくるりと体を反対方向に向けると、とんと一歩を踏み出して尻尾を揺らした。
「国内にいる間、テイオーを頼むぞ。腑抜けたまま来られてもつまらん」
その後ろ姿は──アタシより先を見据えているようでちょっと羨ましかった。
そんな彼女にアタシは、そっと声をかける。
「そっち……控室と逆方向ですよ?」
「うぇっ?」
~~~~~~~~
「……ネイチャさん? ネイチャさん、ネイチャさん!」
「……ふあっ?」
有マ記念が終わった次の日。
昨日の反省をということで、早速アタシとトレーナーさんは二人でトレーナー室で昨日のレースを見ながら話し合いをしていた。
特に眠いとかそういうわけでもないのに、アタシはほうけていたみたいでトレーナーさんから心配されてしまう。
自分的には集中していたつもりだったけど、トレーナーさんから見たら焦点すらあってなかったみたいで。
「ネイチャさん、今日はお休みしましょう」
「えっ、でも。まだアタシ」
「ダメです。やりたいなら明日しましょう。それまでしっかり体調を整えておくように」
「……はい」
アタシ以上にアタシの体のことを知っているトレーナーさんがそう言うのだったら、本当にダメなのだろう。
そう言われてしまっては、自分も引き下がるしかない。
アタシは座っていたソファから立ち上がり、んっと体を伸ばすとトレーナー室から自室に戻ることにする。
体調不良ではないこの胸に抱える「もやもや」をどうしたものかと悩んでいると、こつんと軽く体がぶつかったような感触がした。
「あっ、すみません。前向いてなくて……」
考え事をしていたせいで誰かにぶつかってしまったアタシは、咄嗟に頭を下げて謝る。
おそるおそるゆっくりと視線を上に持っていくと、可愛らしくぷんぷんと頬を膨らませた栗毛のウマ娘が立っていた。
「も~、ネイチャちゃん! しっかり前見てよね!」
「って、マヤノか。ごめんごめん、ちょっと考え事しててさ」
耳をぴこぴことさせながら、アタシにぷんすか言ってきている少女の名前はマヤノトップガン。
アタシの同期で、本当に仲が良くて気の置けない友人。
同期……っていう割には、出るレース被らないけど。あれ? マヤノってレース出てるんだっけ?
うんうんと唸っていると、マヤノがにこりと微笑みながらアタシにぐっと顔を近づけてきた。
あまりにも唐突な出来事だったのでアタシもびっくりして身動きが取れない中、彼女はゆっくりと口を開く。
「ねぇ、ネイチャちゃん! テイオーちゃん見なかった?」
「へ? いや、見てないけど……」
「だよね。うん、分かってたよ」
まるで頭の中を直接覗くみたいなじっと見つめてくる深い色の瞳に、アタシは思わず後ずさりしてしまう。
そんなお構いなくマヤノはアタシにじっと近づいてきて、妖しい笑みを浮かべてきた。
「ねぇ、ネイチャちゃんはテイオーちゃんのこと好き?」
「ふぇっ? す、好きって……。ま、まぁ友達として、ライバルとしては好きかな? うん」
「素直じゃないね~」
「で、でナニさ! 急にそんなこと聞いて」
マヤノが言ってくる言葉と、纏っている空気が全然ちぐはぐで何とも言えない違和感に襲われる。
話してる子はマヤノだけど、まるで中身が違うかのような。なんだか……怖い。
「テイオーちゃん、どっか行っちゃったよ?」
「どっかって、どういうこと……?」
「朝からいなくなりそうだから。このままだと、本当にフェードアウトしちゃうかもね?」
「はぁ!?」
急にそんなことを言われてしまい、アタシは驚いたような声を出してしまう。
あんまりにも衝撃的な内容過ぎて脳が一瞬理解を拒んだけど、じわじわと何かが染み込んでくる。
テイオーが行方不明ってことでしょ!? そんな。
「テイオーはどこにいるの!?」
「さぁ? 何となく分かるけど、マヤが教えたらフェアじゃないかなぁ~」
「もう! 訳の分かんないこと言って!」
「ほらほら~。テイオーちゃんがレース走れなくなっちゃうかもよ? 探した方がいいんじゃない? ネイチャちゃんなら見つけられるかもね」
「あぁ、もう!」
マヤノがわけわかんないこと言い始めるのは、今に始まった事じゃないけど。
けど今言ってることはなんとなく分かる。
絶対これをこのままにしておいたら、後悔するし取り返しの付かないことになる気がする……!
「アタシ、テイオーを探してくる!」
「いってらっしゃ~い。マヤはスターちゃんに教えてくるからね~」
「そうして!」
マヤがひらひらと手を振ってくるのを視界の端っこに収めながら、アタシは廊下を思いっきり蹴りだす。
さっき思ってたもやもやは逆にすっきりして、テイオーに対しての想いが募り始めてくる。
分かった気がする。
アタシはテイオーが好きなんだ。
本当に最前線のファンで、一番に憧れて。
だから、有マで順位では勝った時にスッキリしなかった。
「テイオーは、一番強くて圧倒的じゃないとダメなの……!」
厄介ファン? そうかもしれない。
だけど、アタシが勝ちたいテイオーは最強で、ずっと一番で、あの背中すらも見えない姿が理想だから。
それに勝たないと本当に「勝った」って言えない。言いたくない。
「勝ちにげなんて許さないから……ねっ!」
それからアタシは色々なところを走り回った。
トレセン学園で聞き込みをしながら探したけど、どこにもいなさそうだったから捜索範囲を外にまで拡大。
必死で探し回っていたせいか途中で雨が降っていたことも気付かずに、外を駆け抜けたせいで髪はびしょ濡れ。
いつももふもふにセットしているツインテールは、水分のせいでべちゃっと垂れてきてしまっている。
雨が止んで、すっかり雲が無くなった頃。
アタシはやっと同じようにびしょ濡れになったテイオーを見つけることが出来た。
その隣には白いウマ娘で彼女のトレーナーである、スターさんの姿もあった。
テイオーの顔はもうすっかり蒼空のように澄み渡っていて、一切の曇りもない。
「テイオー!」
「ネイチャ? うぇ、なんでそんなびしょ濡れなの!?」
「テイオーもでしょ……。今日はアンタに言いたいことあって探してたんだから!」
アタシはすぅと大きく息を吸うと、テイオーとスターさんにびしっと指を突き出して宣言した。
「いつかテイオーに勝つから! それまでアタシ以外に負けないでよね!」
「……!」
それを受けたテイオーとスターさんはぽかんとした顔を浮かべたかと思うと、二人で顔を見合わせる。
そしてテイオーがにやりと笑みを浮かべたかと思うと、アタシに対して宣戦布告を返してくれた。
「いいよ。いつでもかかってきなよ。ボクたちに勝てるならさ」
「あぁ、俺たちは負けないからな」
あぁ、これを待ってた。
絶対に勝てないって思えちゃうような、最強の一等星。
だからこそ、超えたい。勝ちたい。負けたくない。
──死ぬ気で、超えてみせる。
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「今年も色々ありましたな~」
「本当ですね。去年よりあっという間な気がします」
こたつでぬくぬくと温まりながら、トレーナーさんとお話しているともういつの間にか年が変わろうとしていた。
テイオーにはああやって宣言しちゃったけど、なんかあの時は変なテンションになっていた気がする。
言いたかったことはあれでいいけど、もっと言い方があったんじゃないかって思ってしまう。
んにゃ~と口をもごもごとしていると、トレーナーさんがアタシに優しい口調で話しかけてきた。
「ところで……ネイチャさんはどこでテイオーさんと戦いたいですか?」
「え? うーん……やっぱり、中距離で国内のG1レース……?」
「その条件に当てはまる、ぴったりのレースがありますよ」
「ほうほう、それは?」
アタシが目をきらんと輝かせて訊ねると、トレーナーさんは息を吐きながらゆっくりと答えてくれた。
「──宝塚記念。ファン投票で決まる、特別なG1レースです。そこでテイオーさんに勝てたら……」
「夢が、叶う」
「そういうことです」
宝塚記念。
2200mのテイオーの得意な中距離で、ファン投票で決まる上位のウマ娘が出てくるG1レース。
そこで最強のテイオーに勝てたら、さぞかし。
「うっし……! 次の目標は宝塚! アタシのG1初勝利はそこで、取る!」
アタシの中に闘志がぼっと宿った気がする。
紅色に燃え上がるその炎は、決して消えることは無いだろう。
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夜空に光る綺麗な星々。
蒼い星。白い星。みんな、色んなキラキラ一番星。
その星に辿り着きたくて、必死に走っていた紅の三等星は。
今、燃えるような紅の彗星に。
一歩、歩みを進めていた。