死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 また長くなってしまったので分割です。予定ではDay4から原作の描写に介入します。
 
 気付けばUAが10000を超えていました。本当にありがとうございます……ウレシイウレシイ……よければ感想も投げてくれるとモチベ爆上げします(強欲の壺)

【追記】
・2021/11/20
 サブタイトル変更しました。内容に変更はありません。




水曜日、桐一葉に暗れ惑う(Day3)[1/2]

 

 水曜日。少年の泣き腫らした目が痛々しかった。

 

 

「ねぇ挽歌。君、何か変わったよね」

 俯き、自分の体を爪先から見直す。「いや、僕は真人みたいに変形できない」

「そういうんじゃない」

 真人はうんざりとした様子で言う。

 

 早朝、最近なら既に地下水路にいる時間帯だが、僕たちはそこから少し離れた土手の道を歩いていた。途中、健康のためかランニングをする人や、ペットのチワワを散歩をさせている人とすれ違ったが、後者の飼い主はまだ眠気から覚めていないのか、逆に散歩させられているように見えた。

 言うまでもないが、通行人は、僕たちに一切の視線を寄越さない。

 強いて言うなら、動物というのは野性的勘が鋭いようで、唯一チワワだけは、「俺の縄張りで何をしているんだ」と言わんばかりに唸っていた。気弱そうな外見とは裏腹に獰猛な一面を持っているのだな、と思わず感心せざるを得なかった。

 

「これはどこに向かってるの?」僕は訊ねる。

「順平の家」と真人は間髪入れずに、答えた。

 

 その言葉に違わず、丁度視界に、住宅街から駆け出してくる少年の姿があった。示し合わせたようなタイミングだな、と思ったが何やら様子がおかしく、顔は蒼白で、とにかく慌ただしさを極めたような足取りだった。只事ではない。

 やはり危惧していたことが起きたんじゃないか、と僕は真人を責めるように右を向く。それを受けた真人は、どこか引っかかるように硬直してから、気を取り直すように、いつもの邪悪な笑みを浮かべた。

 

「挽歌、ちょっと見てろよ」

「あ、ちょっと」

 

 言うが早いか、真人は自然な足取りで少年の方向へ足を進めていた。その気配に気付いた少年が、首が千切れるのではないかと危惧するほどの勢いで、振り返る。「真人さん!!」と叫ぶ。

「順平、どうしたの? そんなに慌てて」

「っう、家に……起きたら、変なやつが……ぁ、か、母さんが、母さんがッ!!」

「っ、落ち着いて順平、一先ず君の家行こう」

 

 少年はそのままボロボロと涙を流して、口を開いてはいたが、言葉が出ないようだった。ただ真人の落ち着いた物言いに諭され、小刻みに数回頷く。

 傍から見ても、真人の声には何故か強い説得力があるように思えた。少年はひどく動揺していたが、一旦落ち着くことができたのは、真人に一定の声音と、真剣さが塗りたくられた表情が備わっていたからだろう。この件の諸悪の根源が、真人であることを思うと、何とも言えないが。

 

「挽歌、君も早く」真人が振り返る。

 声は一刻を争う鋭利さを孕んでいたが、それとは裏腹に、顔は喜色満面の笑みを浮かべていた。どうだ傑作だろう、とでも言いたげだ。

 またもや絶妙に、少年の角度からは見えていないらしい。

 

「……ああ、うん、急ごう」僕も歩みを速め、真人に近寄る。

 

 少年は震える手で己の肩を抱きしめ、挽歌くん、と助けを求めて弱々しい声を洩らした。今更どうにかなる状況なのか。ならないだろう。

 そんな状況で、こんな風に願われても、困る。

 

 

 少年を先頭に駆け出し、似た建物ばかりの住宅街を慌ただしく通り抜け、なだらかな坂道を降りたところに、彼の家はあった。簡単に開いた扉の鍵は掛けられておらず、惨劇に焦って飛び出してきた情景が、容易に想像できた。

 靴を蹴り飛ばすように脱ぎ散らかした少年は、まず玄関を入ってすぐ横にある扉を開け放つ。「母さん」と喉を引き攣らせ、涙声で居間に飛び込んだ。

 

 彼の後ろにいた真人は、そのタイミングで一度振り返り、ひそひそ話をするみたいに顔の横に手を寄せ、もう片方の手で居間の方を指差す。

 悪戯っ子のような笑みを備えてから、口を開き、囁かれた声に僕は息を飲んだ。「ほら、()()見たかったんだろ」と。

 

 

「────は?」

 

 すぐに違う、と言いたかったけれど、どくん、と身体の内側が大きく鼓動した。

 真人は満足気にそれだけを言い残すと、少年の後を追って居間に入る。すぐさま、「なんてことだ」というわざとらしい困惑の声まで聞こえた。

 

 僕は玄関で立ち尽くしていた。冷や汗が止まらない。手が震えている。違う、僕は変わったんだ。確かに前は思ったかもしれない。でも今はそんなことに興味はない。と自分では思っていた。

 

 

見せてくれてありがとう真人!

 

 本当は、今にも顔が歪みそうだった。

 勘弁してくれよ、と呟く。昨日七海と話しただろう、って。「僕は変わるんだ」という内なる悲鳴に、霧がかかり、はっきり受け止められない。しっかりしろ、とは考えた。が、その、「しっかりしろ」という叱咤がまた、霧に覆われる始末だ。

 

 崩れそうな足を動かし、家に上がる。扉は空いており、その場から部屋の中の様子が伺えた。キッチンの奥に木製の食卓と椅子があり、空き缶が転がっている。夏場特有の篭った空気と血液の動物的な生臭さが結託し、僕の鼻腔を殴ってくるようだ。

 手前の「それ」から視線を逸らし、意図的に更に奥を見ると、部屋の壁際にはテレビがあって、その対面にソファーが置かれていた。

 

 

 深呼吸をする。

 そして、視線を少し手前に引き戻す。

 食卓付近の、一つだけ倒れた椅子の向こうに、赤い水溜まりが広がっていた。

 

 うっ、と思わず呻く。

 水溜まりに浸るように崩れ落ちた少年が、その中央に横たわる何かを、抱えていた。壊れたように「母さん」と叫び続ける彼と、それを後方から眺めて、口元を覆う真人を見て、確信に変わる。

 

 人間だった。

 元は少年の母親で、今は下半身がない。

 

「酷い」

 僕は声に出していた。それがこの惨劇に対してなのか、それとも宿儺の指に釣られて彼女を殺した呪霊に対してなのか、はたまた昨晩宿儺の指をここに置いた真人に対してなのかは、分からなかった。もしかすると、酷いことだと思い込むことで、自分を保とうとしたのかもしれない。

ただ漠然と、これは起こるべきでなかった、という虚しさを感じた。こんなつもりじゃなかった。それは本当だ。

 

「誰が、こんなっ……こんなことを……、」少年の声だ。

「間違いなく、呪霊と呪詛師の仕業だ」真人が悍ましい光景に悲鳴を堪える、という大袈裟な仕草をした。「こんな酷いことをするなんて、信じられない」

 

 卓上には食べかすの残った皿が並んでいた。床にはブランケットが落ちている。彼が掛けたものだったのかもしれない。少年といつも通り食事を取り、そのまま転寝して、片付けをする間もなく呪霊に襲われた光景が、目に浮かぶ。

 上半身と下半身が離別した経験は僕にもあるが、精神が凍りつくような恐怖があった。それを、この人も受けたというのか。

 

 普段少年が帰宅時間を頻りに気にしていたのは、母親のためだったのだとすると、少年にとって彼女は、一等大切な存在だったに違いない。

 そのようなことを僕は考えていたが、その間にも、真人は慰めるように少年の肩を抱いていた。落ちていた宿儺の指を持って、これは呪いを呼び寄せる呪物なんだと言い聞かせる。

 

 ぷつり、と皮膚が切れて痛い。噛み千切れるのではないかと思えるほど、僕は唇に歯を立てていた。

 

 頭の中では既に、演奏を終えたオーケストラに向けて、オーディエンスが大歓声と嬌声を上げているようで、思考が飲まれそうになる。かろうじて決意だけは残っていたが、それも背中を押されれば踏み出してしまいそうな脆さで、いつどんな拍子で、ブラボー! と叫び出すか分からない。

 

「心当たりはない? 君や母親を恨んでいる人間、もしくは、金と暇を持て余した薄暗い人間に」

 

 真人は白々しく眉間に皺を寄せ、そいつが犯人に違いないと言外に断言する。

 僕は一度目を閉じて、深く息をする。そして目を開き、少年の傍に歩み寄って、母親の亡骸の横に屈んだ。少年の荒い息と焦点の合わない瞳が、僕の方向へ向く。

 

「寝かせてあげよう。床じゃ、痛いだろ、多分背中とか」

「…………ひっく……ぁ、ううぅ」

「──……そうだね。挽歌、運んであげて」

 

 僕が提案すると、真人は、どういうつもりだ、とこちらを一瞥したが、気付かなかったフリをして、上半身だけの死体を持ち上げる。少年もよろめきながら立ち上がり、こっちへ、と掠れた声で言うと、居間を出て左の扉を開けた。運びながら下を向くと、乾き切っていない血液が滴り落ちて、赤黒い道ができている。帰り道を示すにしても趣味が悪い。

 僕は無言で薄暗い部屋のベッドへ運び、枕に死体の頭を乗せた。

 

「それ、腐っちゃうよ?」真人がこそりと耳元でささめく。

「確かに。じゃあ氷とか必よ、う……あー」

 死体の傍らから動く気のない少年を確認し、「取ってくるね」と後ろから伝え、僕はキッチンに戻り、冷凍庫を物色して保冷剤を両手いっぱいに抱えた。死体の千切れた断面に集中するように保冷剤を落とし、布団をかける。

 

「挽歌くん」ここまでして漸く、少年が弱々しく口を開いた。

「なに?」声が震えないように努めて言う。気を抜けば口角が緩みそうだった。

 

 

「──()()()()()、母さんのために」

 

「………………うん」唇を噛み締める。

 お願いだから、今は勘弁してくれ。

 少年の家に宿儺の指を置いてきた、と真人たちの話を聞いて、薄々こうなるのではないかと分かっていた。しかし僕は動かなかったのだ。それどころか、今となっては、少年のこの上ない悲しみに暮れた表情が、愉快で愉快で仕方がない。この顔が見たかったんだよ、と感動さえ抱きそうだ。────違う、駄目だ、この思考は相応しくない。

 

 忘れろ、忘れろ、と脳に直接刺激を与えるように、僕は額に握った手の甲をぶつける。

 

 そこで真人が一石を投じるかのように、口を開いた。「順平、心当たりがあるんだろう」

「! ……ッはい。多分、学校のヤツだ」

「このままでいいの?」

「え?」

 

 僕は、真人が何を言おうとしているのかが分かった。が、止める権利も余裕も持ち合わせていなかった。

 

「ソイツが、これからも今まで通り、のうのうと生きていても許せるの?」

「………………は?」

 

 少年は目を見開き、両手を震えさせる。まるでこの世で最も悍ましい現象を目の当たりにしたかのような顔で、「そんなことがあって堪るものか」という怒りを漲らせている。憤りを鎮めるためか、息を吐いた。

 母親の死体を見て、僕は小声で口を挟む。「彼を呪詛師に?」

「それは順平次第だよ」

 

 真人のその声をキッカケにしたのか、少年が幽鬼のように立ち上がる。「許せない」と口火を切った。「許せるわけがない。これまでも僕を、母さんを、滅茶苦茶にしたくせに、これからもずっと好き勝手生きるなんて」

 

 二日前の少年とは、まるで別人のように思えた。仄暗い衝動に突き動かされ、人が変わってしまったのだ。拠点で眺めた、テレビニュースを思い出す。殺人事件の犯人が逮捕され、その知己がメディアに話していた言葉だ。前はああじゃなかった。誰にでも優しくて穏やかな人だった。信じられないくらいだ、と。今なら気持ちが分かる。まるで別人じゃないか。

 

「殺したって、気持ちは晴れない、母さんは戻ってこない。……ならせめて、それと同等の苦しみを与えてやりたいッッ!」と少年が荒れ狂った思いを告げる。

「そう……協力するよ、順平」真人が手を差し伸べる。「決行は明日だ、それまで彼女は待たせてしまうけど、今日一日で術式を仕上げよう」

 

 真人の思惑はさておき、少年は復讐を成功させるつもりだ。確実に母親の仇を、正確にいえば元凶は真人と僕だから、少年が成し遂げようとしているのは空想敵への復讐なのだが、人生をかけた逆襲劇を繰り広げようとしている。

 明確に期待した未来があるわけではないが、望んだ結末とは反対方向に出来事が進みそうで、焦りを抱く。

 

 お得意のマザー・テレサの言葉はどうした。好きの反対は嫌いだ、という持論があるくらいならそこも違うなよ、と僕は内心で詰った。神様とやらは、僕たちの成功を望んでいないんだろう。

 だからそんなのは駄目だ。あんなに楽しそうに笑っていたじゃないか。それから、思う。「本当に?」

 

 

 

「…………あ、挑戦だ」

 

 僕の呟きに反応した真人が顔を傾ける。「挽歌?」

 

 そうだった、と思い直せば途端に気分が軽くなった。言い訳を探す手間が省けたような、妙な爽快感があった。

 成功は望んでいないが、挑戦することは望んでいる。確か、言葉の続きはそういったニュアンスだった。

 

 立ち上がった少年の表情は、興奮していた。

「真人さん、お願いします、僕にも術式の使い方を」彼の声は大きくはないものの、喉を絞り、血を滲ませるような、びりびりとした調子だった。

 

「良」僕はどう返事するのが正しいのか、分からなくなった。けれど口は勝手に「いと思う」と動いていた。「良いと思う」

 

 脳内のオーディエンスがぽつぽつと立ち上がり始め、随所で小さな拍手が起こる。ブラボー! 最高だ!

 違うんだ、座っていてくれ。深く息を吸う。意識を逸らさなければ。

 真人は少年の様子にではなく、僕の言葉にぽかんと口を開けている。

 少年は零し続けていた言葉を一旦止ませると、天井から一本の糸で吊り下げられている人形のように、揺らついた足取りで、先に玄関へ向かって歩き出した。扉へ向かったのが見えてから、壁の裏側に消えていく。

 

「急にどうしたの。君、さっきまで乗り気じゃなかったろ」真人が小声で訊ねてきた。訝しむ様子ではあるが、そわそわとした気配も見て取れた。

「マザー・テレサ」

「は?」

 僕はぼうっとしながら答える。これはただの言い訳だった。本当は欲に負けただけだが、それを口にすれば公に負けを認めることになる気がして、誤魔化すことに意識を注いだ。

 

「神様は挑戦することを望んでる、って言葉。したいことをすべきだ、って思考に似てるんでしょ。真人、言ってたじゃん」

「あー……」

「映画館で、ほら」と急かす。

「ああ、うん。したいことはすべき、って後半の意見は言ったんだと思うよ」そして彼は笑って肩を上げた。「でも言ったっけ、挑戦とか(そんなこと)

 だと思ったよ。

 

 僕は答えず、今にも吐き出しそうな気分の悪さと、スキップを始めそうな愉快さを抱えて、少年の後を追った。

 

 

 

 *

 

 

 

 この地下水路は、どうして今日に限って居心地が悪いのか。僕は適当な段差に腰を下ろして、膝を抱えながら眉を寄せる。もちろん近頃は滞在する機会が多く、特別に不快な場所ではないのだが、どうしても気が腐った。

 いつもの場所は、真人が七海と戦闘を行なった場所から近かったため、僕らは別の地下水路に滞在していた。もちろん僕が、真人が戦った相手は七海だと気付いていることは伝えていないし、更にその後七海と会話していることも、当然伝えていない。

 

 七海に会った時は、あんなにもやる気に満ち溢れ、余裕というものを持ち合わせていたのに。どうして僕はこうなのか。情けなさが身体の表層を這いずるようで、腕を擦った。

 

 前方には海月の式神が浮かんでいる。少年が指を動かした。対峙する真人に向けて、式神が触腕を突き出すが、ひらりと躱される。次だ、と少年が腕を振るう。式神が一気に肥大化し、真人を捕縛するように光る触腕が伸びた。

 後方に飛び退き、追いかけてきた一本の触手の上を駆け、真人は少年との距離を縮める。右足で思い切り踏み切り、身体を宙で半回転させ、海月の頂上に踵を振り下ろす。

 通路が大きく振動した。

 

「うん、いいんじゃないかな。攻撃も上手くなってる」真人は言った。「サイズの可変も、式神の操作も、見違えるほど上達してるね。やっぱり、術式の成長には動機と求道心が必要なのかな」

「ちょっと真人、」

 その発言に僕は、咎めるように口を挟んだ。同時に、どの口が、と自分の醜さと浅ましさに嫌気がさす。

 

「おっと」真人は滑った口を手で塞いだ後、傷心を労る優しい年長者を装い、少年に向き直る。「大丈夫だよ、順平。君なら成し遂げられる、霊長ぶって驕っている奴らに、鉄槌を下すんだ」

 

 少年は無言で両手を見下ろす。直感だが、まだ母親の死が瞼にこびり付き、現実を受け止めきれていないのだと思った。

 あと一歩だ、と振り返った真人が、僕に向けて声を出さずに言って、笑う。

 

「順平、一度休憩しよう。根詰めすぎても効率が落ちる」

「…………はい」

 

 彼が頷いて、近場に腰かけたのを見届けると、真人は片手を持ち上げ僕を手招いた。続けて、曲がり角の奥を指で指し示す。

 着いてこい、と言いたいのだろう。

 今断った場合の後に起こる面倒と、今立ち上がって話を聞く面倒の、どちらがマシなのかを天秤にかけて、僕はやむなく立ち上がる。片側の天秤が地に着いた光景が思い浮かんだ。

 

 少年を視界から遮るように曲がり角を進み、その先で、立ち止まっていた真人に向かい合う形で、立ち止まった。

 

「どうしたの」

 思ったよりも声が反響したことに、動揺する。それを悟られないように、「用件は?」と努めて冷静を装う。

 

 顔を上げた真人は薄っぺらな笑顔を浮かべて、「順平の準備は整う。明日、君も順平に着いて行ってあげなよ」と、弾んだ声で言った。音が飛び交う。壁にぶつかり、水路で跳ね、僕の耳に何度も届く。

 そこで、おい、少年に聞こえてしまうではないか! と真人にジェスチャーで伝えようとするも、すぐに止めた。彼の様子から、わざとだと察したからだ。「何か困ったことがあったら連れて行きなよ、きっと君を助けてくれる」真人が、僕を紹介する時に言った言葉を思い出した。

 断りたい。断れ切れない。じゃあどうする。

 

 僕は重い唇を開く。「…………何をすればいいの」今回だけ、一回コッキリだから、と無理やり納得する。

 

「いつも通り、何もしなくていい。居るだけでいいんだ」

「は?」と返そうとしたが、それは未遂に終わった。

 

 

 とん、

 と真人が前触れもなく、それは部屋の電気のスイッチを押すかのような自然な手つきで、僕の胸の辺りに触れた。

 ぎょっと目を剥く。術式を使う気か。全身の毛が逆立ち、未曾有の危機に瀕したような錯覚を起こした。

 世界から音が消え、時間が引き伸ばされる。大波と揺れによってマストがぐらぐらと揺れ、足場にしていた甲板が崩れていく情景が、目に浮かぶ。

 

 

 が、何も起きない。

 何がしたいんだよ、と真人を見るも一切の感情が読み取れず、まさか本当に僕を電源スイッチだと勘違いしているのではないか、と途方に暮れる。

 数秒経った。

「あれ」と真人が呟く。僕は今しかないと思い、考えるより先にすかさず真人の手を叩いた。

 ぱちんと弾かれた手は、衝撃を流すようにひらひらと空中で振るわれながら、真人の顔の横でぴったり停止する。

 

「何すんの」真人が目を丸くする。

 僕も目を丸くした。「こっちの台詞だよ、何すんの」

「手伝ってあげようと思ったんだ」そう言いながら、「でも」と何故か彼は言葉尻を小さくしていき、やがて聞き取れないくらいの声量で、言葉を濁し始めた。

「なんて言った? 聞こえないよ」真人が顎に手を当て、あたかも思考中ですと言わんばかりの仕草を止めないので、「なんだか変だよ」と僕は咎めた。「気味が悪い」

「君が悪い?」真人がすっと顔を上げる。

「キミじゃない、気味」言ってから、いややっぱり、キミでも合っていたかもしれない、と思う。

 真人は暫く、じっと亀のように静かな視線を僕に向けていた。やがて口を開く。

 

「挽歌、やっぱり君、変だよ」

「それ前も聞いた気がする。失礼なやつだな、って言って欲しいの?」

 

「違う、そういうんじゃなくて」真人がいつになく真剣な表情を向けてくるので、身構える。「この前までは口出ししなかったくせに、昨日からえらく否定的になってるだろ。かと思えば、今日は乗り気だったり、急に否定的になったり」ずい、と顔を覗き込まれる。「こういうの、双極的って言うの? やっぱり挽歌、変わったよね」何があったんだ、と視線だけで追求してくるようだった。

「別に」真人の穿鑿するような視線が疎ましくて、言葉尻を窄める。「何でもないよ、変わってもない」

 

「何に迷ってるの?」

 

 頭で光がかっと爆ぜた。背筋に冷たいものが走る。身体は強張っていないだろうか。

 たった数言で、確信に迫られた。隠し物の場所を一発で言い当てられたような気分だ。

 

「迷ってなんかない、気紛れだよ」

 

 僕はぼろを出さないように、と気を配りながら、できるだけ余裕のあるふりをした。

 

「呪術師の仕業?」

「え」

 

 真人は特別根拠があって、そう発言したわけではないだろうが、僕はその、「呪術師の()()?」の物言いに、動揺を覚えた。他に要因があってもおかしくないだろうに、彼は不愉快を露骨に顔に出していた。それも、不自然な程に。

 

「……僕が変なのかもしれないのは、認めるよ。まあ、そうかもしれない」視線を合わせる。「でも、今日の真人も変だ」僕は、急に焦燥の波が引いていく気がした。「何でそう思ったの?」

 

 今度は真人が動揺を示す番だった。珍しく、表情を歪めたかと思えば、外面向けの胡散臭い表情を取り繕って、言った。「君に死んでほしくないんだよ」

 僕は、呪術師に簡単に殺されるくらい弱いという自負がある。だから、意外と身内に優しい真人は、僕が呪術師に接近するのを、よく思わない。

 

 

 わけがないだろう。「本当に?」

 真人が少し、肩を跳ねさせた。

 

 形勢が逆転する。試合終了まであと数分。漸く手に入れたフリーキックでの得点のチャンスを逃した相手に対して、今度は僕が攻勢に出る。焦った相手は、何とかボールを取り戻そうと乱暴な守備をする筈だ。

 

「本当さ。君、戦えば簡単に殺されちゃうだろ。本当の意味で死なないにしても、身内がそんなんじゃ、気分が悪いし。だから、呪術師には不用意に近付かない方が良いと思って」

 

 焦った守備が、結果的に好転をもたらすなんて極稀なケースだ。

 えらく饒舌に喋るじゃないか。僕は一気に攻め入る。

「前はそんなこと、言わなかっただろ」

 

 お祭りがやっている、と京都に行く決断をした時も、真人は僕を止めず、むしろ促す程で、近頃でいえば、夏油の誘いに乗った時も、真人は止めることをしなかった。

 

 では、いつから?

 真人はいつから、こんな薄気味悪い気遣いのフリをし始めた?

 

「俺はさ」はっと、瞬時に意識が真人に向く。

 いつもより力なく聞こえる。しおらしいといっても良い。「君の術式とその仕組みを、君よりも知っている」

「またそうやって話を逸らす」

「逸らしてない」真人はハッキリとした物言いで言う。

「じゃあ、キミが変なことと何か関連性があるわけ?」僕は言う。「さっきだって、僕に術式を使おうとしたんだろ。キミも、僕を殺すの?」

 出会った当初、「一緒においでよ。君、なんだか俺と似ているし、気が合うかもしれない」と言ったのは真人だ。

 

「ああ、挽歌。勘違いしているみたいだけど、その逆だよ」

「逆?」

「俺は君が死なないように、こうして気遣ってるんだよ」

 本当に気遣っているつもりだったのか、とは声に出さなかった。代わりに、「それが、僕に術式を使おうとした理由?」と口にする。

 

「うん」真人は首肯した。「君がこれからを生き抜くには、術式をコントロールしないなんて腐った縛り、解くべきだ。それは呪霊らしく悪意を振りまく為の、そういう術式なんだよ」

「それこそ要らない気遣いだ」僕は心底そう感じた。

 

 術式を使い熟し、例えば呪術師との戦闘で自由に使うことができれば、確かに形勢を有利に進めることができる。だけど僕は、術式をコントロールする気がない。今まで、必要だと感じなかったからだ。

 

「これだけは言えるけど、君は今まで通り、余計なことをせず呪霊として生きるべきだ。じゃないと、いつか本当に死ぬよ」

 真人は本気で案じているようでもあったが、普段の言動を鑑みると、冗談を言うようでもあった。

 

「死なないし死ねないよ。まあ、仮に本当に死ぬことがあったら、キミに一泡吹かせてやりたいね」僕も、若干ヤケになって言う。

「すぐムキになるなあ……あーあ。折角、縛りを外す手伝いをしてやろうと思ったのに」

「いいよ別に。いや、それにしても、いきなりやらないでよ、頼んでもないし。そんなに手伝いがしたいなら、漏瑚の手伝いでもしたらいいんじゃない」

「漏瑚、拠点はあんな悪趣味な部屋じゃない所にしよう。センスないよ」真人が拝むように手を合わせる。

 

 張り詰めた空気が、ふんわりと綻ぶ。

 試合は引き分けで手を打ってやろう。優勢だった僕はそう思った。

 

「冗談はさておき、挽歌、とりあえず明日は順平の手伝いね」

「それ、今更僕が嫌なんて言えると思ってるの?」

 彼は、首を横に振る。「最後まで手伝ってあげるんだよ」

「居るだけでいいんでしょ? 任せてよ、得意分野だ」皮肉も込めて返せば、真人は息を零す。

「そういえば」とその調子で相手は口を開いた。

「今度は何? そろそろあっちに戻ろうよ」「挽歌はアレルギーに詳しい?」

 

「……は? 何、いきなり。アレルギーの冗談、まだ続いてたの?」

 

 先日の会話を思い出す。今度は何を言い出すんだ、と訝しみ、真人を眺めずにはいられない。「花粉とかなら分かるよ。あれに対する日本人の恨みは計り知れないからね。探せば、花粉の呪霊とか居るんじゃないかな」

 僕が冗談で返すと、真人がきょとんと目を丸くする。盲点だった、とでも言いたげだ。

「花御の親戚かもしれない」

「それ、花御に言ってみなよ、真人。多分軽蔑されるよ」

「しないよ、花御は」彼は笑いながら、「蜂とか、蕎麦とか、薬もそうなんだけど、アレルギー反応ってあるだろ」と得意気に話し始めた。

「それ、今話さなきゃダメなやつ?」僕は呆れながらも、「また新しいことに興味を持ったのか」と内心で苦笑した。

 

 真人は目を細めて笑う。「一回目よりも、二回目の方が危ないんだってさ」

 

 本に書いてあった、らしい。だから一体なんだというのか。

 

 

 




 変なところでぶちぎりました。次回は少し短めです。

 いつもながらしおり、お気に入り等、本当にありがとうございます。重ねてお礼申し上げます!
 全然進まねぇなこのストーリーと自分でも書きながら思ってますが、その内加速させるつもりです。(加速するとは言っていない)
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