バーが赤い……いろいろな人に見て貰えた…ってコト!?
感想、評価、お気に入り、しおり等、いつも本当にありがとうございます。遅れましたが三日目の後編投下です。
【追記】
・2021/11/20
サブタイトル変更しました。内容に変更はありません。
調子はどう、と少年の横に腰を下ろした僕は、壁にもたれかかって項垂れる少年に声をかけた。深い意図はない。
水路を挟んだ薄暗い休憩場所、息が詰まるような場所だ。
地面を見つめていた少年は、「どうして母さんだったんだろ。僕と母さんが、何をしたって言うんだ」とぼそぼそ言っている。それから漸く気付いたかのように、「どうって、何が?」と顔を上げる。
下を向いていたからか湿気のせいか、垂れ下がる長い前髪は暗幕のようでもある。どんよりと影が被る眼窩と亡霊じみた顔色は、人類を睥睨し、虚無感に打ち拉がれている少年の心境の表れに思え、声を掛けたのは失策だったか、と僕は怯む。
「調子……は、いや、大丈夫じゃないのは、察しがつく」
少年が何故ここまで暗澹たる思いをしているのか、その感覚について、完璧には理解していなかった。が、気持ちの良いものではないことは、僕も、重々承知しているつもりだ。
お母さん、どんな人だったの。
僕はなるべく重苦しくならないように、気を遣うわけでもなければ、無遠慮でもない、その中間あたりの声音で、訊ねた。
正解か否か。僕は内心で震えている。どんな言葉が彼から戻ってくるのか、「そんなこと聞いてどうすんだ」と怒鳴ってくるか、「思い出させないでくれ」と泣きじゃくるか、どちらのパターンも想像しながら、待つ。
「母さんは」
返ってきたのは、静かながらも、昔を懐かしむ暖かさを孕んだ声だった。
「優しい人だった、本当に」
ぐっ、と少年は再び、込み上げて目から溢れそうになる感情を、唇を強く引き結んで、堪える。
「優しい」僕は頷いて反芻し、「優しい?」と語尾を上げる。
すると少年は、小鼻を膨らませ、無理やり感情を押さえつけた表情になり、「うん、優しかった。僕が……色々あって、学校に行かないって言っても、良いんじゃないって、ただそれだけ返してきてさ」と答え、それを言いながらも、何度もゆっくりと瞼を閉じた。追懐と弔いを込めているかのようだ。
「それであの人、私めっちゃいいこと言うじゃん、って笑うんだよ」
抱えた膝の先で、両指を結ぶ。頭の中で彼の母親の生前を想像していた。僕が知っているのは、安らかな顔をした、上半身だけの姿だからだ。
「ずっと前から、そうだった」
「前から」
僕は再度言った。もしかすると彼には、適当に聞こえてしまったかもしれない。
「僕が、たとえば何かに躓いて挫折したときも、それでも良いんだよって、ただ支えてくれて、」
「支えてくれて」
「母さんも大変な筈なのに、僕が迷惑かけても、怒るってより、堂々として、その、理由聞いてから」
「堂々として」
「好きなように生きなよ、って、僕を、無条件に信じてくれて、」
好きなように生きるべきだ。
気付いた時には、僕は顔を上げて、目を瞬かせていた。全く別の戦場で、自分と同じ故郷の同志を見つけた兵士と、同じ感覚かもしれないな、と思いかけ、すぐに硬直する。
少年が、壊れた機械のように、とめどなく、顕になっている方の目から、大粒の水滴を零していたのだ。顔の表情はそれに気付いた様子はなく、寧ろ、自分の顎から滴った水で漸く何かがおかしいぞ、と自覚したようで、その瞬間から、くしゃりと歪めた。
「本当に良い人で、僕を、愛してくれていた……っ」
今度は僕が、身体の中に重みを覚えた。周りの景色が急に、白くぼんやりとし、頭の内側が凍りついたかのような感覚になる。
だって、その暖かい言葉を少年に掛けた人間は、既にこの世に居ない。
「同志だと? この原因を作ったのは誰だ」
そう糾弾する自分が、必死になって自責の念で身体を満たそうとしているのかもしれない。地面に座っている感覚すら失っている。
こちらの様子に反して、少年は次から次へと悲しみの涙を零す。映画のスクリーンよろしく、こちらとあちらでは絶対に相容れない壁が存在し、どちらかは誰かに作られたものなのではないか。
気付けば、少年は時折嗚咽を漏らすだけに留まっていた。ずっと傍らにいたというのに、どのタイミングで泣き止んだのか実感がなく、いつの間にか時間が経っている。
「ごめんね、挽歌くん、こんないきなり、泣いたりして」
僕は緩慢な動作で、少年の顔を覗く。「謝るのは僕の方だ」と観念して自白しようとするが、喉元で関所に止められ、声にならない。代わりに、「許せないね」と呟く。
「許せない?」
「そんな、良い人間を、殺したやつ」
僕らだろ、それ。
自己紹介かよ、と内心で声を出して笑う。
少年はかっと顔を赤くさせた。ように見えた。
「許す、許さないの問題じゃないんだ、もう」
「それは」
声に出してから、僕は、真人が僕を少年の付き添いに抜擢した理由が、瞬時に理解できた。何もしなくていいんだ。いつも通り、傍に居るだけでいい。飴玉がポケットの中で、重みを主張する。
なんだ、そういうことか。
「殺したいの?」
そこでひとつ、思う。「何かあったら連れて行きなよ」と真人が最初に口にしたのは月曜日で、つまりは二日前の、それも初対面の自己紹介時なのだが、一体彼は、いつからこの少年の行動を予想していた?
鼓動が早くなる、気がした。どくん、どくん、どくん、と脈打つ頻度が加速する。
「正確には、違うよ」少年が、重い口を開いた。
その瞬間、僕は、はっと意識を戻す。
水の中で限界まで呼吸を止めて、意識が白み始めた頃、命の危機を打開しようと、必死に水面を突き破るようにして顔を出す。そんな光景が頭に浮かんだ。
「殺したいわけじゃないの?」思わず僕は訊ねる。
「そんなんじゃ、足りないんだ」少年は極めて冷静な顔を湛えて、言う。
「死んだら終わりじゃないか。人間だけじゃなく、何もかも。皆、それが一番怖い筈だよ」
「だからだよ。死んだら終わりだから、殺したくない」彼は不自然なほど淡々とした語調で、言う。「たったの一度殺して終わり。なんて、それだけじゃ、足りないんだよ」
僕は、五条が来た時の絶望感を思い出した。
「拷問でもするの」
「考えなかったわけじゃない。僕の術式は、幸いにも毒らしいし。この力があれば、拷問だってできる」
「……幸いにも、ね」
確かに、キミが僕らと関わりを持ったから術式は芽生えて、力を得ることができた。が、そもそも関わりを持たなければ、母親は死ななかった。復讐の道具を整備する必要もなかった。
卵が先か鶏が先か。そんな言葉を彷彿とさせた。どの道食われるのだから、最初に卵があったって、鶏がいたって、変わらない。
少年はふっと息を洩らした後で、「挽歌くんは、人に、心ってあると思う?」と虚ろな表情で言った。
「急にどうしたの」
「ないんだよ、心は。人間はそんなの、持ち合わせて生まれなかったんだ」
「答え、出てるじゃないか」
と言った後で、そういえば真人も似たことを言っていた、と思い出す。
「挽歌も、覚えておいた方が良いよ。人間の感情、すなわち心ってのは、全て魂の代謝なんだ」
その時は、真人から散歩に行こうと誘われ、都会の中心を歩き回った後だった。陀艮の領域で一息ついた僕に、真人は得意げに、「この詩集はなかなかに面白いよ」と大袈裟な様子で感想を述べたが、その場にいた漏瑚や花御すらも反応せず、仕方がないからか、無理やり絡んできたのだ。
「面倒な考え方するね」僕は即座に吐き捨てた。「『魂と肉体はどっちが先か理論』の次は、『感情は魂の代謝理論』ね。真人は学者になりたいのか、それとも、考えを複雑化しないと発疹でも出るの?」
「そうじゃないよ。俺は人の魂に触れるだろ。触って分かったんだ」
「あ、魂が汗かいてるぞ! って?」
正直なことを言えば、僕は真人の一人語りに付き合わされるのに飽きていた。タオルでも差し出せば良い。
「人は、目に見えないモノを特別に考え過ぎているんだよ。見える俺にとっては、魂も肉体も同じ。ただそこに在るだけ」真人は無視をして続けた。「降った雨が、やがて雲になるみたいに、命も廻る。俺たちは無意味で無価値なんだ。だからこそ、何をしても良いし、どう生きようが自由。そうだろ?」
「へえ」と僕は頷いた。「好きなように生きろ、ってそこが由来なんだ」
なるほどね、と呟く。
その語調が比較的友好的だったからか、真人は反射的に前のめりに身体を曲げて、肩に力を入れる。「そうなんだよ、やっと分かってくれた」
「いや別に、分かってない」
僕は後ろに身体を反らし、身構える。
「とにかく、人に心なんて代物はない。妄想、嘘、空ごと、」
「トマト」
「は?」
「しりとりかと」
「は?」
隣のパラソルの下の漏瑚が、馬鹿馬鹿しい、と苦虫を噛み潰していた。
好きなように生きるべき、その言葉は今も僕に残っている。
少年の様子を伺う。相変わらず悶絶躄地といった調子で、覇気がなく、全身から憎しみが滲み出ている。
「命に価値はない。僕は自分が好きなように、生きることにした」眼差しが、鈍く光った。「だから、明日、アイツらを」
「…………うん」
少年の母親が言った「好きに生きなよ」と、真人の言った「好きに生きなよ」の意味合いには、恐らく鯨と鰯くらいの差がある。真人の方なんかは、逆さにして叩けば「邪悪」と「不善」しか出てこないだろう。
それよりも。
命に価値はない、という言葉は、少年に言われるまで忘れていたが、胸の深いところに突き刺さって抜けない。
なら人の寿命を奪ったところで、何も悪いことはしていない筈だ。が、その結論には違和感がある。
「終わったら、キミも呪詛師なのかな」気付けば声にしていた。
「え?」
「人を殺すんだろ、呪術で。なら普通の生活にも戻れない。そうでしょ?」
指摘から将来を想像したようで、一瞬狼狽えたが、少年はすぐに顔を曇らせて答える。
「どちらにしろ、普通の生活はもうないから」
「『もし過ちを犯すなら』ってやつか」
「なに? それ」
「マザー・テレサ。好きなんじゃないの?」
誤謬を引用するくらいには、と内心で付け足す。
「別に、そういうわけじゃないよ」
「そんな」
わざわざ調べた自分の苦労が、泡となって儚く消えていく気がした。
僕の顔色を見た少年が困ったように、小さく息を吐き出す。
「その後は、なんて続くの?」
確かこうだった。「『愛が原因で間違った方が、素敵だ』」
少年は、きょとんと目をしばたたいてから、幸も不幸も思わせない声で、「それさ、この状況の僕に言うの、結構アレだよ」と言う。やがて、膨らんだ風船から空気が抜けるように、息を溢す。
「アレだった」タイミングが悪かったのだろうか。
「アレだった」少年が続けて言った。
「……思い残しはない?」
「うん、ないよ」
「だったら、いいけれど」
少年が、真人の立ち上げた集団の一員となり、同僚として、これから共に仕事をする未来を想像する。すると、虎杖と少年が河川敷で話していた、いつかの光景を思い出す。あれは、とても眩しかったな。
「────あの、さ」
呼びかけると少年が僕を見る。
「僕たちも」
と音を発そうとした、その時。
足音が響く。手のひらで紫色の塊を転がした真人が、滑らかに奥から歩いてくる。あの大きくて邪魔だった紫色の人間を、今度は小型化したのかもしれない。もう声は聞こえない。僕らの目の前に、ゆっくり現れ、速度を落とし、立ち止まる。
「さ、そろそろ再開しよっか」
タイミングが悪いやつ、と思う。
少年が立ち上がると、真人が「挽歌はこの後どうする?」と言った。
────任せるよ。
────そう。
そのやり取りは、真人の
マザー・テレサはこうも言ったらしい。「言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるのだから」
そしてその結果、ここで意地でも少年に声をかけておくべきだった。と僕は、僕が近い未来、真の意味で死ぬその日まで後悔する。
自分でも何でか分かりませんが、この作品の最終回にあたる話を先走って書いてしまったので、一応方針は決まりました。
のんびりですがお付き合い頂ければ幸いです。
あと賞味期限の切れた牛乳ってヨーグルトみたいな味がするんですね。腹痛に苛まれています。