【追記】
・2021/11/29
誤字報告ありがとうございます。遅くなりましたが訂正させていただきました。大変助かります。
(修正内容)×的を得ている→〇的を射ている
そして三階に辿り着いた今、地面にへたり込んだ僕の前で、少年だった生き物は廊下に伏していた。
聞こえてくる細切れの言葉と、目の前の光景から、事情を察する。
少年は数分前、虎杖と和解した。そして、様子を見るため上の階から下りてきた真人と、鉢合わせた。真人は難なく虎杖を押さえ付けたらしい。少年は慌てて振り返った。背後に近寄った真人がいて、計画通り、虎杖の目の前で、こうなった。真人は、少年を殺し、虎杖の恨みを買った。そういうことらしい。
立ち上がろうとしたところ、見上げた視線と真人の視線がぶつかった。目元に滲んだ水滴を人差し指の背で掬い取り、満足げに笑っている。
「あ」僕はその瞬間、たとえば絵を描いたり、テストの結果を見せびらかしたりしている子供の姿を想像し、衝撃を受けた。
思えば出会った時、人間の言動や生活に疎かった真人が、今や、恐るべき速さで成長し、人間を害することを楽しみとして、「呪霊なんだし、好きなように生きないとね」と無慈悲に笑うような呪霊となっているのだから、彼は元のポテンシャルが桁違いだったのだと解釈せざるを得ない。しかし、そんな凶悪な成長を遂げても、今の彼の表情は出会った頃と何一つ変わっていやしない。それは僕を大いに混乱させた。
「────やぁ、挽歌じゃないか。早いね。どうだった、術式の使い方は掴めたかな」
真人が言うので僕は辛うじて、「なんで」と答えた。
問いに対してではない。僕は、これは自分でも恐ろしいことなのだが、体育館の生徒たちを殺したことを忘れ、目の前の光景に釘付けになっていた。大きな衝撃を、さらに上回る特大の衝撃で、塗り替えられた。無意識の内に、命に優劣をつけている。
あと少しで、何か大切なものを見つけられそうだった最中に、どうして今、少年を殺す必要があったのだ。
虎杖が茫然自失といった様子で、変わり果てた遺体を見下ろしていた。
あれは、宿儺も一役買ったに違いない。虎杖の頬の辺りに、笑みを浮かべた口唇が浮かんでいて、それで何か言ったのだろう。真人もえらく満足そうだった。
僕の顔を見ると、真人は意表を突かれた表情になった。それから、「なんだよ、縛り解いたこと怒ってんの」と余裕をもって、小さな笑みを浮かべた。
「縛りって」
「体育館。奪ってきたんでしょ」
そこで、背筋に氷柱を当てられた感覚になる。
僕の内心など理解する気もないのか、真人はさらに、「でも、それが挽歌にとっては最善なんだよ」と続けた。
「最善?」最悪の間違いではないか。
「それがないと、きっと、君は勝手に死んじゃうし」嘲笑が含まれている。
「なんなんだよ。真人は」
「俺は俺だよ。挽歌」
僕は腰を上げ、虎杖を眺めた。どうやら彼は、真人の狙い通り、真人に殺意を抱いているようだ。「少年院にいたよな」という言葉を思い出す。彼自身を殺した僕より、彼の友人を殺した真人の方を、何倍も恨んでいるように見えた。虎杖は自分の身を顧みない。それは随分と、的を射ているのかもしれない。
いつの間にか虎杖が、視線の先から消えていた。一瞬で真人に接近し、右拳を振った。鼻面を殴りつける。
吹き飛んだ真人は飄々としていたが、すぐに、今まで自分に血が通っていることを知らなかったとでも言うように、驚いた顔をして、鼻の下を拭う。
虎杖が更に左拳を振るう。真人は鈍器じみた拳を、素早く避ける。
呪力を纏った拳が、床に叩きつけられた。
コンクリートを砕き、鉄の骨格を割り、足場を破壊するのが、轟音として伝わってくる。
虎杖は、真人を睨み、構えたまま動きを止めた。視線だけで殺せそうな勢いだが、真人はそれを受け止める。舌舐りをした。相手との距離、自分のリーチの長さ、行動範囲、そういったものを全て、恐らく真人は把握していた。
虎杖は、呪力を強固に纏った右腕を振り上げた。
その足元の奥を見て、僕は、「あ」と呟く。
それから、駆け寄ろうとした足の力が抜ける。勢いづいたままつんのめり、膝が折れ曲がる。手で地面を突くが、不格好に正面から腹を打った。
「────っ、
つい数分前に、死んだはずの彼が微動していた。丸太のようになった腕が、痙攣する。それを、僕は見逃さなかった。もしかすると、僕が望んだ光景と、現実の区別がつかなかっただけかもしれない。
視線を真人に向ける。予想外の事態で、目を丸くしている。
虎杖もすぐさま、件の方向を見た。
良かった、現実だ!
その場所だけが明るく輝き、全てが上手くいく。これが形勢逆転の一手となる。そういった希望が、木漏れ日となって降り注いだ気がした。
虎杖がひゅっと喉を鳴らす。ほっとした顔をした。
「まだ息があるな」
低く地を這うような声が、彼の方向からするので、思わず目を剥く。
頭の中の木漏れ日が、空を覆う暗雲から逃げるように掻き消える。
頬に口唇が浮かんでいるのが見えたので、僕は気味悪がるようにして、「宿儺」と呟いた。口角を吊り上げ、彼は愉快さを湛えている。
「────ああそうだ、小僧」嗤う彼からは、悪意が発散されている。何を言い出すのか、身構えずにはいられない。「
それから、喉のない口から靴音のような、笑い声を溢す。「術式はもう、使えるのであろう?」
「…………え?」
僕は目をしばたたき、硬直する。
僕? どういうことだ? 宿儺は今なんと言った?
頭の中が必死に回転する。術式の説明書を、縛りの条件を、頭の中の箪笥をひっくり返し、漁っては、掘り起こす。
「あ…………なあ、オマエ、頼むよ、」虎杖の視線が僕へ向く。
何の確信もないはずなのに、その視線は、藁にもすがる思いが含まれていた。逆に、首筋に刃を突き付けられているような心地がして、微塵も動けなくなる。
僕は最早冷静を取り繕う余裕もなく、子供が理不尽な仕打ちに泣き言を洩らすように、弱音が溢れた。
もうやめてよ。こっちも何も分からないんだ。
この中で比較的仲間に近い存在は、真人だとは判断できた。今度は僕が藁にもすがる思いで、視線を送る。彼は、珍しく状況を呑み込めていない。数回瞬きをしてから、そこで漸く僕を見る。
悲壮感を背負った虎杖が唇を震わせた。
「順平を───っ」
その時。
真人は妙に切羽詰まった様子で、顔から一切の表情を抜き落とすと、地面を蹴り、目にも止まらぬ速さで、虎杖に向かって右足を振り抜いた。
虎杖は、咄嗟に、腕と膝を突き合わすことで腹部を防御したようだが、勢いを殺しきれず、壁を突き抜ける。そのまま落下していく。
轟音、衝撃。
視界から消えた。
**
僕は状況が把握できていなかった。気付いた時には、真人と虎杖は校庭に下りていて、殺し合っていたのだ。
取り残された僕は、数秒にわたり虚脱状態でいるほかなかった。
這いずるようにして、芋虫のような格好だったが、下半身を引き摺ってどうにか少年に近寄る。
身体を起こし、壊れた壁越しに校庭を見下ろす。
真人の姿が遠くに見えた。虎杖に殴り掛かられている。校舎の壁に吹き飛ばされ、殴打されている。
今の内に逃げるべきだ、と僕は腕に力を入れて、少年に身体を寄せた。
宿儺のことを考える。「術式はもう、使えるのであろう?」戸惑って、動けなくなる僕を嗤う彼が見える。
「いや待て………………術式?」
暗雲の隙間から、太陽とも蛍光灯ともつかない明るさが零れ落ちてくるのが、分かった。
僕にも、できるんじゃないか? と。
真人みたいに、少年の役に立つことが。寿命を奪うだけだった僕にも、もしかすると、できることがあるんじゃないか?
戦闘が過激化しているのか、校舎が揺れた。唸るように響く衝撃は、僕を急き立てる。さあ早く、さあ早く、と生き急ぐようだった。分かっているから、今からやるから、そんなに焦らせないでくれ。
少年の身体は頭部が大きく、全体の半分を占めている。突き出た口部は、鰐を彷彿とさせ、どこか爬虫類じみていた。
そんな少年の身体の上に、いつも通り手を翳す、のではなく、右腕で上顎を持ち上げた。
ポケットに左手を入れる。指に紙が触れた。
「映画、興味ない?」「興味ないけど」
映画自体に、興味がないのは変わらない。でも、キミと見に行くこと自体は、わくわくするんだ。だから、と念じる。
指で紙を退けて、体育館から持ち出した飴玉を、掴む。それを無理やり開かせた口の中に、押し込んだ。
頼む、戻ってきてくれ。頼む。
少年が微動する。「っ、じゅんぺい!」
歓喜で打ち震え、視界がぼやけるので、一度目を閉じてから、ゆっくりと瞼を上げる。目の前が、やけに眩しく見えた。
うう、と大きな口から洩れた声は、どこか聞き慣れた少年のものに感じられ、僕は数秒ではあったが、少年の姿形が元に戻り、片側だけ長い前髪を揺らした笑顔を、目撃した気分になった。
俯く。彼は動かない。幻覚だった。こっちが現実か。
きみの せいじゃない
「え」
爪で弾かれたように、僕は顔を上げた。変わらず醜い遺体があるだけだ。動く様子はない。
ここまで考えれば、聞き間違いに違いない筈なのに、僕は半ば無意識的に、精神の回路が切り替わったように、慣れた動作に移行していた。
身体の上に手を翳す。手のひらを広げ、空間を掴むように、指を畳む。
何も掴めない。
「…………なに、考えてんだよ。ぼくは」
目は強張り、口元が引き攣る。喉の奥が狭まり、一方通行になったかのように、胃のものがせり上がってくる。
なるほど僕はどうやら、どう足掻いても自分本位な、下衆な呪霊にしかなれないのだ。
「もういいや」
どこへ行けばいいのかも分からないまま、とにかく立ち上がることにした。
膝が折れ、地面に着くが、また立ち上がる。
最後に、校庭を見下ろすように振り返るとそこに、白い呪術師が加わっていた。真っ白のスーツに、青いシャツの組み合わせだ。視線を隠すサングラスをかけ、頬が縦に凹むように痩せている。
「最悪だ」
七海だった。
右手に鉈を持ち、身体を捻って、真人に斬りかかっている。虎杖も七海に続く。
真人は怪我の具合が酷いのかもしれない。姿勢が歪んでいた。
────ああ、これが「死」か。
真人の内なる声だ。また混乱する。これは現実なのか、それとも先程の幻覚の延長なのか、と悩む。
幻覚の割には、不明瞭さが伴わない。何よりも、あの真人が、死にかける姿を思い浮かべたことはない。想像もできない。「死ぬの?」
「領域展開」
真人は僕の内心を理解しているような、していないような行動を見せた。
「自閉円頓裹」
「────は?」
胸の中央にぽっかりと穴が空いたような、絶望感に駆られる。黒い結界に七海が取り込まれていた。
真人はとても手際が良かった。虎杖が、一歩七海の後ろにずれた瞬間に、口の中に生やした指を組み、「今ならできるよね」と思ってもいた。
弾き出された虎杖は、両拳を何度も叩きつけ、顔を近付けている。「ざけんな!!」と叫んでいる。
壁に手をかけながら、飛び出そうとしている自分に驚いた。
助けに行くつもりなのか?
もう間に合わないのに?
いや、たかだか僕程度に、真人の領域を破るなんて無理に決まっている。そういう気持ちがすぐに湧いた。
居竦まっている僕を置いて、真人の領域が駄目を押すように、「死」の気配を濃くした。「ああ、駄目だ。もう、七海まで死んじゃうのかな」
今にも七海から、「死」を畏れる感情が漂ってくる。
「死にたくない」と伝わってきた、とはじめは思った。
窮屈な黒い結界から、負の感情が溢れ出しそうに見える。虎杖が大きく腕を振りかぶった。
稲妻に似た亀裂が走り、光が破裂したかのように、風景が震え、視界が瞬き、そしてそれが、聞いたこともない感情であることに気付く。
────
世界から音が消えた。
一体彼は、何を思ったのだ、と唖然としてしまった。
「悔いはない?」
七海の声に、僕は目をしばたたいてしまう。
「…………うっそだろ、怖くないの」
存在しないと思っていた宇宙人が、目の前に降り立ったかのような驚きがあった。どうしてなのか。理解不能の存在が近くにいた事実に、僕は慄く。
知らず、後退っていた。それと同時に、校庭の真ん中に大きく膨らんだ真人の形が見えた。中身のないガワが、高く伸びている。それが破裂した。
今しかない、と思った。僕は一歩、二歩、と逃亡を開始する。
早くこの場から逃げなければならない。焦りだけがあった。見つかってはいけない。
ポケットに入れたままの飴玉を落とさないように、僕はそこを後にした。
【悲報】挽歌祓除レース首位争いをしていた吉野順平、客席からの妨害により脱落
【悲報】主人公くんちゃん、興奮のあまり飴玉を物理的に捻じ込む
(補足)
吉野順平視点で、最後に何か一言呟いたのが、今話のあそこです。また、真人視点と主人公視点の心理描写・解釈に乖離があるのは仕様です。この二人は、互いに対する解像度を低めにしてます。
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11/23の総合ランキングに、またまた暫しの間お邪魔していました。沢山の評価、しおり、お気に入り、ここすき等本当にありがとうございます。
一言評価もありがたく頂戴しました。本当に嬉しくて「初めて10点も貰えた!わーい!」と即刻DPリメイクから戻ってきた次第です。ここすきが増えていて滅茶苦茶動揺しました。ニッコニコで確認してます。
次回で「金曜日」の描写になるわけですが、「呪霊の半旬(=五日間)編」のエピローグとなります。
五日間と言いつつも話数は五じゃ収まり切りませんでした。次回以降はもっとサクサク進みたい所存です。