「アナタ、呪霊ですよね」
僕の前に立ち塞がった男が、不思議な形のサングラスを指で持ち上げ、冷ややかな声を出した。
「市街地で、しかも真昼間から随分と堂々としているようですが」
決して友好的な態度ではないことは、考えずとも分かる。
僕は公園のベンチに腰かけて、向かいの道路で起きた交通事故を眺めていた。目の前の男が真昼間と称した通り、太陽はまだ真上に近い位置で、僕らを見下ろしている。
道路には、走行中の乗用車と接触したらしい子供が、横たわっていた。傍らにサッカーボールが転がっていることから、それを追いかけて飛び出したのだと予想できる。運転手は扉から転げ落ちるように出てくると、血の気の失せた顔で頭を抱えていた。
それが数分前のことだ。
カラン、と舌で飴玉を転がす。今回は橙色だった。
背もたれから身体を起こすと、男がすかさず片足を半歩後ろにずらす。
砂利を踏む音が、男の警戒を代弁するようだった。
男がどれだけ構えようと、僕には立ち上がる気は一切ない。膝に肘を乗せ、前屈みになって男を見上げる。金色に近い髪色に、白いスーツが印象的だ。あの髪色は何色と言うのだろうか、と思考を巡らせたところで、男が手を後ろにやった。
その様子を観察しつつ、味のしない飴玉を奥歯で砕くと、二つに割れた。その音に反応して男が微動する。
身のこなしから、恐らく男は呪術師だと予想できる。
僕らのような呪霊を祓って、非術師の営みを守っているのだ。
確か仕事をする時には、人目を避けるために帳という結界を下ろすのではなかったか、と薄い記憶を手繰り寄せる。男の背後に見える路上の惨劇には、多くの野次馬が参戦していた。
「帳、いいの?」
未だ僕を見下ろす男に知らせるように、道路に指を向けて言う。
「いっぱい居るけど」
男は一瞬眉を顰めると、「それアナタが気にします?」と幾分か呆れ返った声を漏らした。
二つに割れていた飴玉をもう一度噛み、バリバリと軽快な音を鳴らす。
僕が、呑気に飴玉を噛むことしかしないものだから男は、「アレはアナタの仕業ですか」と声を低くした。
「アレ?」
「あそこで起きた交通事故のことです」
そう言いながらも、男は目線を背後にやることはしなかった。片時も僕から離さないように、意識しているのだと思う。代わりに僕が男の背後を覗き込むように、上体を横に倒して路上に視線を送った。
そのまま「何もしてないよ」と声を出せば、男は「は?」と突き刺すように言った。
「見てただけだよ」男を見上げる。「ここで座ってた」
「そう言われて、信じろと言う方が無理があるかと」
いつの間に呼んだのか、救急車から迅速に救急隊員が降りてくると、破竹の勢いで道路から去っていった。おや、と思って目を瞠る。パトカーや、野次馬の姿が一切見当たらなかった。
数秒後、太陽を覆い隠すように影が広がった。いや、僕らを覆い隠すように帳が降りたのだ。目の前の男が何かした素振りはない。
つまり、この男
「何もしてないのに」
僕が不満を告げるように、眉を顰めると、男は更に深い溝を眉間に刻んだ。
「ここまで会話が成り立つ呪霊は、それだけで危険要素ですから」
「良い呪霊かもしれないだろ」僕は座ったまま反論する。
「生憎、良い呪霊というものに会ったことがないので」
そう言いながら、男は身体を捻り、僕の胴を目掛けて、右手に握った鉈を振ってきた。
男の動きは素早いものだったが、まだ迷いがあり、ベンチから転げ落ちることで避けることができた。
先程まで座っていたベンチは見事に大破し、ただの木片と化す。
己に隙があったことに自覚があるらしく、男は迷いを断ち切るように、一度鉈で空を切った。
「反撃しないんですか」
「それキミが気にする?」男の言葉を借りて、今度は僕が訊ねた。
男は鉈を振るうと、「流石に気にします」と正直に答える。律儀にこちらを気遣うような態度だった。
「アナタが攻撃せずとも、私はアナタを祓いますよ」
「そんなこと言われたって、僕は弱いから、攻撃するだけ無駄なんだ」
嘘ではなく真実だ。長い時間を生きている割には、僕には強さというものが伴っていなかった。
生物が進化する理由は、一般的には自然淘汰に抗うためだと言われている。移ろいゆく環境に適応するため、自分を作り替えていくのだと。その理論に言わせてみれば、僕は自然淘汰に抗わずに、のうのうと時間だけを浪費してきた存在になる。
地面に臀をつけたまま、「僕を殺す?」と男を見上げて言うと、男は暫しの無言を挟んだ。
「それが仕事ですから」
鉈を真上に振り上げ、重力に後押しされるように、振り下ろされる。
最初に訪れたのは、頭を叩き割られたという感覚だった。痛みよりも先に、その自覚があった。
恐らく一秒にも満たなかったが、頭の頂上から右肩にかけてを、冷たい刃が通り抜けた感覚が脳内を巡り、断面が急に熱くなってから、視界がぶつんと暗転した。
でも、きっとその暗闇も
気付けば、世界が横たわっていた。そう思ったが、すぐに自分が倒れているのだと気が付いて、身を起こそうとする。が、平衡感覚が消え失せたかのように、身体の自由が利かなかった。
仕方がなく視線だけで周囲を確認すると、ぼやけた視界の中で、男が砂利を踏み締めて後退するのが見えた。一人を叩き切ったのに、随分と後腐れのない人間だと感じた。
次の瞬間。
全身の血液が持ち場に帰るように、一斉に動き出す。ぼやけていた視界は鮮明になり、失った平衡感覚も戻ってくる。肝心の叩き割られていた頭や欠損した身体も、数秒後には再生されていた。
身を捩って、腹に力を入れて起き上がる。手を二、三度握って開いて、指先まで感覚が戻ったことを確認した後、地面から立ち上がった。
「どういうことですか」
いつの間にか、僕に意識を戻していた男が、先程よりも警戒を滲ませた声で言う。
「確実に、今アナタは祓われたはずですが」
まさか死なない存在なのか、とでも言いたげな表情だ。
僕は衣服に付着した、砂利やら落ち葉やらを払いながら「一回、確かに死んだよ」と、男の予想を訂正した。
男は言葉の真意を確かめるように、僕の顔を見て訝しんだ。真意も何も、ただ事実を述べただけなので、それは徒労に終わるだろう。
未だに祓うことを諦めていないのか、男が鉈を握り直して、身体をこちらに向ける。このまま突っ立っていれば、確実に男は再び僕を殺そうと、鉈を振り下ろすに決まっていた。
頭の中に、付近にいるであろう
「ま、待って待って」
身体の前に両手を突き出し、手のひらを相手に向ける。
「僕は何もしないから、キミも何もしないで」
男は沈めていた腰を硬直させると、「どういう意味ですか」と口を開いた。
「命乞いですか」
「違うよ、これ以上攻撃されると、キミにとって嫌な結果になる」男が眉を顰めたので、畳み掛けるように訴える。「僕にとっても」と。
「それだけ言われても、止まる理由にはなれません」
「さっき一回死んでやっただろ、もう諦めてよ」
「諦めるも何も、呪霊を祓うのが我々の仕事です」
そうは言いつつも、男は臨戦態勢を解いたように思えた。いつでも仕掛けられるように沈めていた腰は持ち上がり、構えられていた鉈の頭は地面を向いている。
決して油断しているわけではないのは、男の纏っている空気感のようなものから見て取れた。僕が再生した種を明かそうと、漸く聞く耳を持ったのだと解釈した。
帳の外にある太陽は、今どこにあるのだろうと薄ぼんやりと考える。暗幕に閉ざされたここからでは、見ることができない。僕の未来を暗示しているようで、少しだけ嫌だった。
「僕はキミらみたいに、戦いたい訳じゃないんだよ」
すると、男は心外だと言わんばかりに、「私もできることならしたくありません、労働時間外は特に」と吐き捨てる。その苛立ちが、砂利に混じって砂埃が起きたように見えた。
「え、珍しい、そんな呪術師いるんだ」
「流石に仕事と私情は分けますが」
「僕を祓おうとするのは仕事?」
男は無言を貫くので、それを肯定だと解釈する。
「じゃあ、今立ち止まってるのは私情?」
「どちらもです。アナタが一筋縄では死なないのには、理由があるんでしょう」
男が指でサングラスを持ち上げる。
「面白いね、キミ。一回僕を逃がしてみない?」
「故意的に逃がすのは規定違反です」
「やっぱ全然面白くないや」
「……貴方が戦闘を避ける理由を教えて下されば、考えます」
男が渋々といった様子で、妥協案を提示する。
僕が面白くない、と評価したことは一切関係ないだろうが、発言したタイミングを考慮すると、もしかしてその評価に不満があったのだろうかと、馬鹿な考えが過ぎった。息を深く吸ってから、気を取り直す。
「キミがこれ以上僕を殺そうとすると」一度言葉を区切って、男のサングラスの奥を見透かすように、言う。「キミの仲間の身の安全を、保証できない」
しんと静まり返った帳の内側は、まだ昼間の公園であるにも関わらず、特別な雰囲気があった。
「人質のつもりですか」男が吐き捨てた。「趣味が悪い」
「連れてきたのはキミだ、認識するなって言う方が難しいよ」
男は迷っているように見えた。呪霊の言葉を信じるか、信じまいか、苦渋の決断を迫られているのだ。僕としては何かの間違いであっても信じて欲しいが、信じて貰えないのなら、後味の悪い結末になるだけだと諦めてもいた。これに似た状況を、今まで幾度となく体験してきたからだ。「止めた方がいい」「止めてくれ」と懇願しようとも、呪霊の言葉に耳を貸す酔狂な呪術師はそう居ない。砂漠に落ちた一粒の砂を探すようなものだ。実際は砂漠の砂の数ほど呪術師が居る訳では無いので、ただの例えではあるのだが、とにかくそれくらいの可能性だと思っている。
だから、男の言葉に耳を疑った。「分かりました」と、男はそう言うと、帳を上げたのだ。
「え」
「無為に戦力を減らすのは、得策とは言えませんから」
まるで、男自身は納得していないが、もう一人の自分に説得されているから、仕方がなくそうしたというような物言いだった。
「一先ず撤退します」
「は?」
僕は白昼夢を見ているのだと思い、現実を懐疑的に捉えることにした。
「嘘なんですか?」
「い、いや! 嘘じゃない!」
思わず柄にもなく、声を張り上げる。
男の方針が変わってしまうことを、何とか阻止しなければならないと、一種の防衛本能のようなものが働いた。
帳の上がった晴天は、突き抜けるような青だった。雲の欠片もなく、延々と広がっていた。真上から少し下に傾いた太陽が、僕を指さして笑っているように見えるくらい、呆気に取られていた。吹き抜けた一迅の風が頬を撫でて、漸く我に返る。
弾かれるように男の姿を探すと、公園の出口に向かって歩きながら、どこかへ電話している最中だった。呪霊は電波を妨害する、という話を聞いたことがあるが、男は電話をかけながら、その有効範囲を探っているように思えた。
何故か胸の内が、じりじりとした焦燥感に襲われた。
「待ってよ」と声をかけたのは、その情動に突き動かされたからだ。
「何か?」
至って淡白な反応に、虚を衝かれた。少なくとも、先程まで殺すつもりで対峙していた相手に向ける態度ではない。
呼び止めたはいいものの、何て声をかけるべきか決めていなかった。恐らく数秒にも満たない時間だが、急がなければならないと、全身の血液が忙しなく駆け回わる。
「……な、名前は?」何を言っているんだ。
ここまで考えあぐねて、辿り着いた答えが「名前を訊く」という、意味の分からない行動で、我ながら呆れて声も出なかった。
男が振り返って、首を傾げる。顔は歪められていて、それが訝しんでいるからなのか、不快に思ったからなのか、定かではない。しかし、もし後者だったら嫌だなと、漠然と感じた。
「名前を訊くなら、まずは自分からどうぞ」
予想外にも、男は前向きな返答をした。
舌が縺れる。
「え。えっと、挽歌」
何とか言葉にして男に伝えると、男は数秒硬直してから顔を顰めた。
「本当に言うとは思いませんでした」
「だって、キミが言ったんじゃないか」
「随分と素直ですね」男は皮肉を言うようではなく、純粋に驚いていた。
衣服のポケットに入っている、未開封の飴玉を掻き混ぜる。手持ち無沙汰だった。「そっちが言い始めたんだろ」だとか、「素直で何が悪い」だとか、口を開けば言いたいことは沢山あった。しかし何を言っても無駄な気がして、内心の蟠りを散らすように、飴玉を手の中で転がした。
「アナタは私が責任を持って祓います」
男がふっと息を吐いて、踵を返す。祓われるのは嫌だが、その言葉にどこか喜んでいる自分がいるのも、また事実だった。
「なんて、熱血的なことは言いませんが」
男が無慈悲に打ち崩す。
僕は高所から突き落とされたような、そんな感情を抱いた。
「そこは言ってよ」
「ですが、まあ、もしまた会うことがありましたら」男は、公園の出口につま先を踏み入れて、「名前くらいは教えます」と言った。
「言ったね、絶対だよ」意地になって、男の背中を睨む。
「隠し通せるものでも無いので、構いません」
変わらず淡白な反応を貫いた男は、誰かに電話をしながら公園を去って行った。
今までに感じたことのない類の不満を撫で付け、消費したエネルギーを取り戻すように、一本の飴玉を口に咥える。水色のそれは、やはり味はしないが、いつもよりも美味しく感じた。
一体何サラ呪術師なんだ……
(追記)
●主人公/挽歌
・死なない
・大体飴玉食ってる
・そのほかの特徴は追々登場
●サングラスの呪術師
・仕事帰りだった。補助監督の運転する車に乗っていた際、偶然にも主人公のいた公園前を通過。
・事故現場を見て、その痕跡から呪霊の仕業だと判断し、車を降りて調査を開始しようとしたが、その主犯であろう呪霊が、向かいの公園で呑気にベンチに座っていた。
・接触を試みると、ありえないほど意思疎通が図れるので警戒するも、相手の調子が全く好戦的でないため、困惑。
・死なないし、遠隔で人質を取られたので撤退。