死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 一瞬間違えて投稿しちゃいました。

 前話の続きです。
 いよいよ映画公開っすね。ワイ猿は渋谷チケ戦争に敗北したので別の場所で百鬼夜行に参列して来ます。主題歌鬼リピ。

 今回主人公視点ないです。
 あとから描写する予定も今のところないので、主人公の感情や思考はご想像にお任せします。




鬼から呪霊へ

 虎杖

 

 

 街中から郊外へと国道沿いの歩道を歩いて行き、海里の家へと向かう。

 

 日は沈みかかっているが、さほど暗くなく、まだ車通りがあった。ゴミ出しや買い物、井戸端会議に赴く主婦の姿をちらほらと見かける。

 

 虎杖も用事がなければ、決してこの住宅地で立ち止まることはしなかった。

 背伸びをし、塀越しに紺色の屋根の家の様子を伺う。

 

 自分でもどうかと思うが虎杖は、「あの呪霊を祓って欲しいんだ」という挽歌の、信用ならないこと甚だしい、呪霊の発言とは思えない言葉を、心のどこかで信頼していた。

 

 

 目を凝らし、呪霊の気配を探る。残穢は僅かに視認できるが、姿は見当たらない。どこかに隠れているのではないか、目を細め、確かめる。

 

 もう暫くうろうろしていたら、近所の主婦に通報されるだろうな、と思い始めた矢先、扉が開いた。

 暫くすると紺色の屋根の家から、一人の女性が出てくる。足早で家の前に向かう。

 

 出てきたのは海里の母親だった。大きな袋を両手に持ち、慣れた動作でゴミ捨てに向かう。

 

 

「……あら、海里のお友達?」

「はい、そんな感じっす。歳は離れてますけど」

 

 海里の母親は、優しく朗らかな女性だった。見知らぬ高校生が現れたのだから、てっきり息子との不穏な関係性や、不審者である可能性を疑われるものかと心配していたのだが、良い方向に裏切られた。

「鬼」の存在を感知しているかも、と思ったがそれも宛が外れた。海里の話をすると、それだけで嬉しそうな顔をする。

 

 

 虎杖は、「海里は、帰ってないんですか」と口にし、すぐに少しだけ胸を痛ませた。海里の母親が悲しげに眉を寄せ、覚悟を決めたような表情をしていたからだ。

 

「家には、帰ってくるのよ」と彼女は言った。

 

 何か言葉を続けようとしたけれど、ゴミ袋を手に持っていたことに気付き、地面に置いたきり口を閉ざす。

 

「海里は良いやつだよ」

 

「あの子は、そうなの」意外にも彼女は、すぐに口を開いて認めた。「良い子なの、とっても」

 

「いつも何時頃帰ってきてんだ?」と訊ねた。

 追求するのは心は痛むが、どうせいつかは知らなければならない。

 

「恥ずかしい話、私たち夫婦はあの子がいつ帰ってきているのかを知らないの。……早く消灯するようにしてからは、十時頃には帰ってきてくれるのだけれど」

「でも危ねぇだろ。まだ中学生くらいだろ、あいつ」

 

「そうよね。えぇ……ほんと。無理にでも探しに行って連れ帰れば、なんて考えた時期もあったけれど」全く言い訳もせずに、悲痛な面持ちで彼女は言った。「……酷い話よね。とても母親なんて名乗れないわ、私」

 

「いや、そこまでは言ってねぇけどさ」

 

 海里の母親の表情は、見ている虎杖が辛くなるほど悲しげだった。

 そんなにも後悔するなら放置しなければいいのに、と思わないでもない。が、きっと虎杖が言うまでもなく、彼女は何度も自分を責めてきたのだろう。海里の母親からは、鬱々とした疲労感が滲み出ている。

 

 

 

「絶対、あの子供の感情が関係しているんだ。キミはその悩みの種を解決してきて欲しい。あと、おばあ……あの呪霊は僕に任せて。いい、絶対、あの呪霊を刺激するようなことはしないでね」

 

 昨日、挽歌に言われたことを思い出す。胡乱げで、不安そうではあるものの本気さは伺えた。

 人間の負の感情から呪霊が生まれるから、その、負の感情を取り払うきっかけを作りに、虎杖はわざわざ海里の母親を待ち伏せていたのだ。

 

 

 決して、この人を責めに来たのではない、と改めて目的を見つめ直す。

 

 

 すると別の思いも頭を過ぎる。呪霊が負の感情から生まれるのは当然として、「鬼」も海里の何らかの思考から発生したのは間違いない。

 

 問題は、「あの子を祓って」と頼み込んできたあの呪霊は、一体何から生まれたのか、だ。思考回路も、知識にある呪霊とは違ったものに感じられる。

 五条に訊ねてはみたものの、露骨に濁され、結局聞けずじまいだった。

 挽歌も必ず祓わなければならない。ただそうであったとしても、何の対話もなしに戦いたくはない。

 

 

「──あの、変なこと聞いちまうけど、“鬼”に心当たりとかありますか?」

 

「鬼?」きょとんとした顔を浮かべるが、意外なほどすんなり、彼女は核心へ繋げる。「ああ、もしかして、海里から聞いたのかしら」

 

「まあ、はい」

「鬼っていうのはね、あの子の祖母が聞かせていたらしい御伽噺というか、躾のようなものなの。『悪い子のところには鬼が来るぞ』って」

 

 

────僕のおばあちゃん、ツキノワグマとガチ喧嘩して勝ったらしいんです。

 

 海里の思い出話が、虎杖の推理に合いの手を入れるように突き刺さる。

 やっぱオマエの婆ちゃん、ダイナミックだな。キャラ濃いよ。

 

 

「海里はばあちゃんのこと、好きだったんスか?」

「ええ、……そうね。あの子からすれば、ほとんど()()()()だったもの」

「え」

 

 それは母親が身内話を口にするにしては、不自然過ぎた。

 跨げない線が引かれているようで、まるで他人事じゃないか、と虎杖は困惑した。

 

 

「……ちょっと待ってよ、親代わり?」

 

「ええ。あの子の親は、あの子が生まれてからすぐに事故でね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ」

「え、それだけ?」

 

 挽歌の反応は信じ難いことにあっさりとしたものだった。

 

 虎杖は難事件もいよいよ大詰めといった調子だったので、「そちらが頼んできたんですよね?」と念を押したかったくらいだ。

 

 

「あの子供と、あの家族が、義理の親子関係。『鬼』の話の出元は祖母の躾」彼はまたインプットを始めたのか、単語を復習するように呟き、頷く。「そっか。だから、『まだ聞いてない』んだ」

 

「何か言ったか?」虎杖は言ってしまう。「とにかく、あとは海里の気持ちの問題だ」

 

 すでに挽歌は、本格的に処理落ちを起こした機械へと変貌を遂げていたので、こちらの言葉などろくに聞こえていなかったように感じられた。

 

 

 そこで思い立ち、「あの鬼とオマエって仲悪いの?」と質問をぶつけた。「叶えてあげたい目的って何なんだよ」とは言えなかったので、婉曲に訊ねたのだ。

 

 挽歌の反応はいたって普通だった。「仲の良し悪しは分かんないよ。でも話を聞いてくれたから、僕は嫌いじゃない」

 

「嫌いじゃない?」

 照れ隠しで言っているなら、少しは笑えばいいのに、と虎杖は思う。というか、話を聞いてくれただけで基準を満たすのか。

 

 

 ハッとした様子で、けれど表情は変わらないから、恐らく彼はほとんど無意識的に呟いていた。

 

「────無関心では、ない」

「なんだそれ」

 

 

 人殺しの呪霊が嘘を口にするにしては、自然過ぎる。驚きや緊張のようなものがなかった。やはりこの呪霊が生徒を殺したなんて出鱈目だった、と虎杖は結論づけそうになる。

 

 

 

 

 

 

 

 公園に辿り着くと、小さな人影とブランコが目に入った。足の動きを反射的に急かす。

 右後ろには、立ち止まり、入口にあるイチョウの木に寄りかかる挽歌が見えた。

 

 

「よっ」

「虎杖さん……こんばんは」と海里は答えた。

 

 虎杖は海里の隣、傷んだ赤い板のブランコに腰を下ろす。

 

 

 海里がブランコを漕ぐペースを緩めたので、虎杖は真っ直ぐ前を見たまま、「鬼はまだ、あの家にいるんだろ」と言った。

 

「……たぶん、ずっと居るんだと思います、あの家に」

 

 海里は虎杖の方を見ないまま、僅かに顔を俯かせた。

 静かで、頑なな力強さがあった。変わることのない事実を確かめるようで、どこか諦念を含んだ低い声だ。

 

 虎杖はそれを聞きながら、ちらりと入口の方向を見やった。空を見上げる呪霊の姿がある。視線の方向には星が瞬いていた。

 

 

「婆ちゃんが教えてくれたんだろ、鬼の話」

 

「……誰から聞いたんですか?」声は弱々しい。

 

「海里の()()()()」と虎杖は迷わず、「母ちゃん」というところを強調した。

 

 

 海里はそこで苦虫を噛み潰したように顔を顰め、答えを探していた。傷口を抉られたようとも言える。

 その呼称が嫌だったなら悪い、と話を続けると、海里は足元に目をやり、顔を上げ、言葉を濁した。

 

 

「聞いたんですね、本当の両親じゃないって」と海里は叱られた子供のように言った。「隠すつもりとかはなかったんです」

 

 

 ふいに、海里の家の前に行った時のことを思い出した。穏やかな女性から、「海里のお友達?」と訊ねられた時のことだ。家の表札の名前は「丘崎」と記されていたが、数日前に海里に聞いた苗字は、「湊」だった。

 

 慣れてなかったんだな、と思った。「そっか。そうだよな」

 

 

 ブランコを漕ぐ音が止まり、その振動も収まった。隣に座る海里から、弱りきった空気が伝わってくる。

 

 

「悪い子の所には鬼が出る。婆ちゃんの教えなんだろ?」

「はい」

 

「海里は、どうしてあの鬼が現れると思う?」

 

「それは」と海里は、答えに迷うというより、言う勇気を振り絞るかのように数秒の間を要した。「僕が、悪い子だから」

 

 

 まさに、虎杖の予想していた通りだった。

 

 海里は、海里を引き取った丘崎夫妻に負い目を感じているのだ。

 丘崎夫妻は亡き祖母と親交があり、近所だからと身寄りのない海里を迎え入れた。先程彼女と話した印象からは、海里に対しての愛情を感じたし、現状をどうにかすべきと考える焦りもあったように思える。

 でも、こちらはまだ準備ができていなかったらしい。

 

 

「迷惑なんじゃないかって、怖くて」

 

 海里の顔が、あからさまに歪んだ。

 

 口にしたことで、改めて疎外感を意識してしまったのだろうか。虎杖は想像してみる。それとも、一歩踏み出せない自分を責めているのだろうか、そうでなければ、それに悩んでいること自体が答えじゃないか、と矛盾に苛まれているのか。

 

 とにかく海里は叱られた子供のような顔をして、口を閉ざした。

 

 

「あの鬼は、オマエがかけた呪いだ」虎杖はそこで初めて、真っ直ぐに海里を見た。「だからオマエがかけた呪いは、オマエが解くしかねぇ」

 

「僕が?」と海里は、驚きと自嘲が綯い交ぜになった声を出す。「いや、無理ですよ。僕が呪いをかけたとかなんとか、全然意味分からないし」

 

 

 母ちゃんたちが危なくてもか、と虎杖が言いかけるのと同時に、海里は「それに」と呟いた。

 

 

「それに、もう一人、増えてるんです。人型なんですけど」

 

 

 

「え?」と虎杖は驚く。海里も同じだった。「えっ?」と虎杖と顔を見合わせている。「え?」「え?」

 

 

 虎杖はハッとして、ずかずかと公園の入口へ向かった。躊躇はなかった。海里は驚き、そんな虎杖の様子を困惑したまま眺めている。

 

 

「なあ、バレてるっぽいし、もう出て来いよ」

 虎杖はイチョウの木に隠れた呪霊の前に立つと、手の平を前に出して、半ば呆れつつも呼び掛けた。

 

「え?」

 

 挽歌も当然のように、困惑した。状況を把握できていない。

 

 虎杖はそんな状況を全く気にせず、挽歌の腕を引っ捕えると、悠然とした歩みで海里の元へ戻った。

 

「え?」「え?」

 

 海里と挽歌は動揺して首を捻り、突発的に生じた邂逅に混乱してしまったのか、顔を引き攣らせた。

 

「……え。どういう、何でいるんですか。あれ?」

「『鬼』のとこに増えてた奴って、コイツだろ」

 

 虎杖ははっきりとした声で言った後で、当惑する挽歌を見下ろすと、縦にした拳を軽く、すこんと頭に落とした。

 無防備だった挽歌は、勢いに従って下に頭を揺らし、たたらを踏んだ。すぐに両手を患部に当てている。

 

「痛っ、」

「何してたんだよ、挽歌。海里怖がってんじゃねぇか」

「知らないよ。というかこれで死んだらどうすんの」

 

「ま、家の前に『鬼』以外にも増えたら、ビビるよな」と虎杖は()()を聞き流して首を揺する。

 

 

「あの、その人……人? は一体誰なんですか?」

 

 

 虎杖が挽歌の無計画さに呆れ、その挽歌が海里を前に落ち着かない態度を示しだした頃、海里は訊ねてきた。

 

「人じゃない」

 挽歌にしては珍しく、はっきりとした冷淡な声を出した。

 

「『鬼』と同じ呪いではあるけど、こいつも、今回は海里の力になってくれる」

 

「こっちの力じゃないよ」挽歌の声は、芯があった。

 

 まともに話をしたのはつい最近だが、挽歌の言動はいつだって、どんな時にも曖昧模糊としていたので、てっきりその発言も、ただの気紛れから生じたのかと思ったけれど、表情からすると違うようだった。いつになく冷徹に努めた様子だ。「僕は、あの呪霊の目的を」

 

「襲う、とかですか、目的って」

「そういうのはしないよ。いや、違うんだ。呪霊としてはそれが正しくて、当然で、それなりに嗜むべきなのかもだけど」

 

「挽歌」まさかこんなに喋り出すと思わずに、虎杖は口を挟む。「急がねぇと」

 

 

「急がないと?」と訊ねたのは、海里だった。ブランコから身を乗り出してきた。茶化しているのではなく、心底不安そうな様子だった。

 

 

「あの鬼、家の傍にずっと居るんだろ? オマエ、あの家の人たちが襲われるとは思わなかったのか?」

「そんな! だって、あの鬼は僕を脅かすだけで────」

 

「いや、そろそろ本当に食べられちゃうよ、もう抑えられなくなる」

 虎杖の隣では、「鬼」と同じく呪霊である挽歌が、静かな声で答えていた。先程まで、叩かれた頭を抑えて困惑していた、呪霊だ。

 

 もしかしたら挽歌は隣で、「鬼」の暴走を抑えていたのではないか、と虎杖は、確固たる証拠や理由はないが、直感的に思った。

 どちらかと言えば、人を害するために待ち伏せているのではなく、隣人を気遣うような優しい存在に見えたのだ。今も意図して必要以上に関わるまいとする冷淡さが伺え、恐らく、この呪霊の本質的な性格はこうではないのだろう。

 

 

「あの家の人たちのこと、本当は好きなんだろ?」

 

 

 海里は「それは」と言ったきり、なかなか喋らない。続けたがっている様子は見受けられるのに、口から言葉を出そうとする直前で躊躇している。

 心の壁が、海里にとても大きな圧迫感を与えている、としか考えられなかった。気遣いと優しさ故の、「遠慮」が彼を縛り付けている。

 

 あと一歩だ、と思った。

 

「あれはオマエの恐れが産んだ呪いだ。俺の考えてること、全部お節介だったらそれでいいんだ。でも、……もし、もしオマエが本当はあの家に帰りたいんだったら、手を貸してくれ」

 

 ブランコに腰掛けたままの海里の正面に立ち、虎杖は手を差し出す。

 

「オマエの帰る場所が、なくなっちまう前に」

「ぁ……」

 

 海里はすぐには立ち上がらない。

 手を取るべきなのか、そもそも手を取って良いのか、と思い悩んでいるようだった。

 

 暫くして、「好きなように生きれば良いのに」とぼそりと誰かが言う。誰が言ったか、なんて考えるまでもない。その言葉に含まれる事情を虎杖は知らなかった。でも、やっぱり優しいじゃんか、とは思った。

 

 

 時計の針が、丁度夜の九時半を指す頃だった。

 差し出された虎杖の手を取って、海里が、ブランコから立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道は足早に、今回は、気付けば海里の方から駆け出していた。

 家族が襲われる可能性を、虎杖に指摘されるまで考えていなかったのか、言葉が胸の内を反響し、反射的に走り出したように見えた。

 

 空気は冷たく、頬に触れる風は不安を煽る。

 

 

「え、また走るの?」とでも言いたげな挽歌の腕を掴み、虎杖は海里の後を追っている。

 

 おかしなことに挽歌は、「時間がない」と言う割には急ぐ様子を見せなかった。何故か、と考える。その時ふいに虎杖は、祖父との別れを思い返した。

 

 答えは簡単に浮かんだ。が、こうも一般的な呪霊と違う思考回路を持っていては、生き辛くないのか、と戸惑う。

 

 

 

 何度目かの角を曲がると、見慣れた路地へと走り出た。真っ直ぐ傾らかな坂を駆けていけば、目的の家へ辿り着く。

 

「い、虎杖さんっ……」

「マジかよ、デカくなってやがる」

 

 海里が震えた指で示す方向に、「鬼」が居る。

 

 虎杖は咄嗟に、これは危険だと判断していた。単純に以前より大きくなっているからではない。海里の姿を見て、反応したからだ。見慣れた有害な呪霊の動きに違いなかった。

 

 いつ攻撃を仕掛けてくるのか。虎杖は身体を強張らせる。が、一方で、海里の勇気を見届ける必要が出てきていた。

 普通の呪霊であればまだしも、「鬼」であれば、ここで先走って祓ったとしても、恐らく蘇るだけだ。虎杖は気持ちが逸るのを抑える。まだ動くな。

 少なくとも「鬼」が飛び出した瞬間には、対応できるように、とその注意だけは緩めないようにした。

 

 

『もぉおおぉぉぉいいぃぃいぃぃがあああぁぁああい』

 

 太く大きな両腕は、道を塞ぐように広げられ、瞳のないその顔は、二つある口をギリギリと噛み締めて、威嚇するように歯を剥いている。

 

 

「っや、やっぱり無理だよ! 僕にはできない!」

 

 海里は最早、冷静さを欠き、恐怖を頭から被っている。膝を震わせ、それは今にも逃げ出そうとする前兆のようだった。溜まりに溜まった、泥のような不安感が膨らみ、全身を覆い、今にも破裂しそうにも見える。

 

「それでいいのかよ」と虎杖は言うが、その直後に、「だって、だって!」と海里が声を張り上げた。

 

 

「怯えて、逃げて、そうしている内に本当に帰る場所が無くなっちまっても、それでいいのかよ!」

 

 

「あ」と海里が声を上げたのは、その後だった。

 

 どうしたのかと思うと、視線の先、「鬼」の両腕が遮る向こう側に、あの女性がいた。

 

 

「────海里!」

 

 

 女性は何が起きているのか知る由もないが、それでも何か異変を感じている様子だった。顔面蒼白の海里を見つけた驚愕に、困惑した様子で、大きな声を張って呼び掛けた。探しに出かけていたのだろうか。

 

「鬼」が振り返る。

 女性を、見た。

 

 

「────……母さんっ!」

 

 

 海里が、正しく意識するより先に、道路を駆け、母親の元に勢いよく飛び出している。

 

 女性に向いていた意識が、再び海里を捉えた。

 ぐっと足に力を込めた。地面を踏み切る予備動作だ。

 

 

『もぉぉぉおぉぉおおいぃいいぃいかぁぁあぁあいぁああああぁぁい』

 

 

 思い通りにはさせない、と虎杖が飛び出そうとした時、まさにそれが起きた。

 

 

 いつの間にか、挽歌が「鬼」の前に居たのだ。

 

 気付かぬ間に接近し、海里を追い越して「鬼」と向かい合っていた。先程まで後ろで、消極的な様子を見せていた彼が、誰よりも先に動いている。

 果たして、その行動原理は何だったのか。

 

 挽歌が「鬼」の前に腕を掲げて、手の平を広げ、宙を掴む。

 

 直後に「鬼」の動きが止まった。

 ガスが抜けた風船のように萎んでいく。

 

 虎杖は自分の身体が冷たく、ぞわりと反応するのが分かった。

 

 

 海里が母親に激突するかのように、抱き着く。それまでの時間を取り戻すため、何度も、縋り付くかのような、「母さん」を呼び続けていた。

 

 

 ただ、虎杖は母子ではなくて、道の真ん中に立ち尽くす挽歌をじっと見つめていた。

 

 

 ふと、挽歌が顔を母子の方へ向ける。

 そして、空気が抜けるように、小さく微笑んだ。

 

 

「──ああ、うん。良かったな」

 

 虎杖は、挽歌と同様に母子を穏やかに眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、この時の内心は、慌てふためき目を剥くほどだった。

 

 一体どっちの味方なんだ、と問い詰めたいところを必死に堪え、せめてもの思いで挽歌にだけ見えるように親指を突き出し、「ナイス!」の印を見せたが、挽歌は興味もなさそうに一瞥をくれると、無表情に戻った顔を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました、虎杖さん」

 

 海里は何か言いたげに、未だ道路に立ち尽くしている呪霊の姿を見るが、虎杖は首を振った。

 

「いいって。んじゃ、父ちゃんとも仲良くな」

 

 何度も何度も頭を下げ、数分か、もしかすると数十分もした頃、ようやく家の中に入った。今回は母親と共に、だ。

 その後ろ姿に、虎杖は自分の胸の奥がぐっと重くなるような、何かがこみ上げるような気持ちを抱いたが、今はただ、救えた人間の姿を見送った。

 

 

 

 未だに棒立ちの彼のところに近寄ったところで、足元を見た。その物体に挽歌が、「聞けたよ、良かったね」と語り掛けている。

 ビーチボール大の大きさの、何かが転がっていた。

 

「こいつまだ…………」

 

 

 この時、挽歌はやり切れない顔をした。んだと思う。

 見えたわけではないけれど、彼の周囲の空気が、不満や寂寥をかき消すように、曖昧に取り繕われたのが感じ取れた。

 

 

「安心しなよ。もう帰ったから、これでおしまい。そうだろ?」と隣の挽歌が声を洩らすのが聞こえた。

 

「安心?」

 虎杖は、どうしてそんな表現をするのか、という疑問を抱いた。

 

 

()()()()()、ゆっくり休んで。大丈夫、僕が送ってあげるから」

 

 既に瀕死の「鬼」は、目のない顔で挽歌と、虎杖を見上げる。縫い合わされた唇が、解れ、綻び、開いていく。

 

 

「……海里は帰ったよ、ちゃんと」

 

 今度は虎杖が教えるように伝えて、もう見えていないかもしれないが、右手で家を指し示した。明日も談笑の声が聞こえてくるはずだ。

 

「鬼」はぴくり、と欠けた肩を震わせると口しかない顔で、にぃ、と満面の笑みを浮かべた。

 続けて「鬼」の顔が挽歌へ向く。

 

 

 そこからは虎杖の聞き間違いかもしれない。

 ほどなく、「ありがとうね」と女性の声が聞こえた気がした。

 

 軽い謝罪と、名残惜しさ、心配事が解消された安心感、が混ざりあった口調で、柔らかい春の便りを送ってくるような声だった。

 

 ひゅっ、と風がなるような音もした。隣からだ。

 

 

 瞬きをする間の、一瞬で「鬼」は消えた。

 在るべき場所へ還ったのだろう。

 

 挽歌は目を見開き、胸が潰されたと言わんばかりの顔つきだった。唇がかすかに動いてはいたが、もはやそれは痙攣に近いものでしかないのは明らかだった。

 

 

「なぁもしかして、あの呪霊って……」

 

 虎杖はそう言ったものの言葉が続かない。

 もしかして、海里の婆ちゃんだったんじゃないか?

 

 

「おばあちゃん?」挽歌は簡単に答えを口にする。

 

「あ、やっぱり?」最早それが嘘でも構わなかった。

 

 

 まあ、だとしたら、本当にダイナミックな婆ちゃんだったんだな、と思う。死後も孫の未来を案じ、最後まで愛していたのだな。

 

 そして隣の呪霊が、叶えてやりたいと唱えていた目的を、ここで理解する。

「鬼」が待ち続けていたのは、海里があの家族と、真の意味で家族になる瞬間だ。

 

────母さん。

 

 その一言を「鬼」は聞きたかったわけだ。

 

 

 解せないのは、「鬼」の目的を叶えたところで挽歌に何の得があったのか、ということ。人間が人間を思うことはあるだろう。

 

 では、呪霊が呪霊を思うことも有り得るのか?

 

 

 

 挽歌は胸に手を当てていた。

「……なんか変な感じだな。もしや穴とか空いて────」

 

「いや空いてないから」

 

 

 

 

 




 またまた遅くなりました。色違いディアルガ出たのでのんびり再開します。

 いつもながら感想、お気に入り、しおり、ここすき等本当にありがとうございます。大変励みになります。


 強欲の壺なので、もし少しでも面白いと思って頂けたら感想投げて行ってくれると這い蹲って喜びます(感想乞食) もしあれでしたら、ここすき機能だと完全匿名性なので是非……。
 もちろん評価は超絶嬉しいです(土下座定期)





 今更ですが本章では呪霊側よりも、どちらかというと呪術師側に焦点を当てていく予定です。

 そろそろ挽歌くんちゃん祓除RTAの方法も予想できる頃合いかな~~と思ってます。
 次回分まだ書き終わってませんが、多分久しぶりにあの人出します。


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