前話、および前々話の続きです。
七海はここに現れた理由も、どうやって場所を知ったのかも、僕には説明しなかった。「虎杖君が最近、コソコソと何かしていると聞いてましたので」とは言った。
虎杖は尾行されていたのだろうか? まさか、とは思うが、そうでなければここで見つかる理由が分からない。
「えっと、今日の仕事は」どうでも良いことを訊ねてしまう。
七海は答える代わりに、近付いてきた。
右手を少し前に出すので、ここで時計を確認するのかと驚いたが、つまりそう感じてしまうくらいには僕も混乱していたのだが、よく見れば、差し出されたそれは
武器? まさか七海に限って殺すとは思えない。そう高を括っていた。が、予想に反し、彼は僕の首にそれを定め、「言い残すことはありますか」と冷たく言ってくる。
その途端、背筋の毛が逆立ち、寒気に襲われた。
本気?
術式を知っているのに?
僕を殺すの? 七海が?
周りの景色が急に、白くぼんやりとし、頭の中身が水に浮かんでいるような感覚になる。何かの間違いであってくれ。そう願う自分が、必死になって感覚を麻痺させようとしているのかもしれない。地面を踏みつけている感覚すら消えている。喉が引き攣り呼吸が浅くなるのが分かる。
虎杖が焦った様子で、七海を見た。「ナナミン、ちょっと待ってよ。コイツも反省してるし、何より殺しちゃまずいんだよ」
「知ってます。この呪霊は殺しても蘇る。それが、予め摂取していたエネルギーから賄われるか、周囲の人間からその場で回収されるか、の違いはありますが。今なら前者でしょう」
それを聞いた僕は、やはり七海は本気で僕を殺しに来たのだ、と確信した。
もう戻れないのか。呆然としながら、脱力する。この呪術師と知り合う前の状態に戻っただけだというのに、僕は暗い崖の下に叩き落とされた心地がした。
やがて視界が暗い影を被った。
それを機に、まるで意識を取り戻したかのようにはっとし、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
目の前に、虎杖の背中があった。庇われている。
は、は、と浅く呼吸を整え、視線を巡らせると、突きつけていたと思しき鉈の刃先を落とし、七海自身も数メートル奥で止まっている。背筋に冷たいものが走り、死にたくない、とまた思う。「言いたいことは、分かりますね」その言葉が頭に浮かぶ。
「僕を祓う方法、見つけたの……?」
僕は、七海に訊ねる。祓除を一任された、とかつて彼は言った。
「自分で言ってたじゃないか。殺しても、また蘇るよ」
七海は、虎杖を一瞥してから、僕を上から下まで眺めてきた。
「里桜高校で亡くなった生徒の数は、百人をゆうに超える」七海は息を吸い込み、僕を睨め付けるように言った。「それ以前の被害、千年前から換算するとなれば、まず数え切れませんか、今回の件が決定打になりました」
「無視しないでよ」
「千年前?」と虎杖が言う。
下瞼の傷跡が開き、宿儺の目が開いたが、彼はそれには構わなかった。僕は、頼むから余計なことは言うなよ、と念じる他ない。
「虎杖君。そこの呪霊は、従来の等級別の呪霊とは訳が違う。今すぐ離れてください」
「訳が違うって何だよ、ナナミン。分かんねえよ」
「その呪霊は普通の祓い方が通じない。にもかかわらず、居るだけで人を呪う」
したくてしてるわけじゃない。僕は内心で、そう抗議した。
「千年前から」反射的に虎杖が、興奮した声を出した。「祓われないで、ずっと人を呪い続けてるっていうのか」
「それは別の呪霊なんじゃないかな」と口にしそうになる。
とにかく現実から目を逸らしたかった。
同じに見えて違うもの。宇宙規模で考えてもあるのだから、呪霊にだってあるんじゃなかろうか。
ねえ、少年。と胸の内のしこりに問いかける。
「祓えない呪霊。それだけで脅威の対象になります。虎杖君、もう一度言います、離れてください」
「祓えないんだろ、どうするつもりなんだよ、ナナミンは」虎杖は流れる口調で言った。
僕も聞きたい、そう思った時だ。
「封印します」相手はそう言った。
その瞬間、なんだか胸の奥にどんよりと、黒い泥が急速に広がっていくのと同時に、今までに感じたことの無い強烈な感情を覚えた。
それはまるで、嫌な思い出を掘り起こされるような、窮迫感、不快感に近い。思い出そうとも指の間からすり抜けていた記憶の液体が、今は自然と掴むことができた。
暗くて狭い空間が、いとも容易く頭の中に再上映される。
周りには何がいた? 自分に訊ねた。確か、カラカラとうるさい骸骨がいた。定員は一名だって聞いていたのに、だ。
今、僕は何故そこに居ない?
どうして恐れている? 死ぬわけではないし、僕の念願の平穏が待っているというのに、この拒否反応は何だ。
「宿儺の指みたいに、か?」当然、虎杖は訊ねる。「なあ、ナナミン、こいつは確かに沢山の人を殺したよ。でも償おうとしてんだ、だから、どうにかなんねえかな」
相手はそれを絶対に嫌がるだろう、と踏んだ上で即座に抵抗しようとしたのだが、予想通りの反応が返ってきた。
「無理です。“上”からの命令ですから、私がどうこうできる問題ではありません」
ちらりと彼の視線が横に動き、僕を見る。
「そういうわけです。一任されはしましたが、荷が勝ち過ぎた」
やめてくれ、と僕は断頭台に立たされた気分になる。耳鳴りがする。
「挽歌、オマエはそれでいいのかよ」虎杖の必死の声が、さらに僕の絶望を深くした。「何もしないまま終わっていいのかよ」
「わかんないよ」僕は半分怒鳴っていた。
「良いも何も、“上”はそう決定を下している。捕縛し次第、転法輪法*1使いに連絡します」
目の前が光った。
咄嗟に身体を逸らす。
右腕に何かが当たった衝撃があり、同時に感覚が消えた。神経が痺れる。体勢を戻すと、前方の七海は平然としていた。右手の鉈で斬りかかってきたに違いないが、彼が動いた形跡もない。
前に立つ虎杖も、何が起きたかのか分からないまま呆けている。
「……封印も、無駄だと思う」身体の芯は震えていた。
右腕を切断された痛みよりも、七海の迷いない攻撃に緊張と怯えが走った。ただ、その今にも折れそうな芯を無理矢理、しゃんとさせる。
ここで、黙っていたらおしまいだと分かってもいた。折れるな。
「またそれですか」
「挽歌、腕が……! ちょ、ナナミン、少し聞いてくれって」
「どこかに逃げたいと思って、嘘を吐いているのでは。もしくは、これから
「そうじゃない」僕は頭に昇った感情で飛び上がりそうになる。「よりにもよって、キミがそれを言うなよ」と七海に向かって叫んだ。
けれど、七海は淡々としていて、「それだけアナタは危険なんですよ」と説明するだけだった。
手詰まりだ。「どうしよう、虎杖」と僕は、虎杖に向かって解答を求めた。彼は声に気付くと、「ああ」と呟いた。
そして、ああ、そうか、だったら、とひとりでに相槌を打ってから、「もしかして」と何かに気付いた様子で、言った。
ふと彼の顔が前を向き、七海を窺う。
「……何が、もしかしてなの?」
そう言っても虎杖は答えなかった。頭の中を整理するように、二回三回頷いて、「そういうことか」と区切りをつけた。それから、「挽歌」と僕を見た。
「なに、七海を説得する算段でもついた?」
「オマエが、やりたいことを言え、思ったことをそのまま伝えろ」
「どういうこと」僕は本気で混乱していた。「やりたいことって。なんだよ、僕にそれを言えって言うの」
生まれてこの方やりたいことなんて、できたことがないのに?
「話は終わりましたか」七海の声は詰問口調ではなかった。「封印しても無駄だと言われても、他に手段がない」
「……七海、多分、僕は過去に封印されていた。記憶はないけど。でも今はこうして、外にいる」僕は往生際悪く、言い訳とも抗弁ともつかない言葉を返す。声が震える。「だから多分、封印したって、ただ祓うのを先延ばしにするだけだ」
「分かってます」
僕は肩を落とす。
七海は会う度に「
得た情報を披露した次の瞬間に、「それはもう知ってた」と同僚に指摘された呪霊の間抜けさに近いではないか。
「危険な呪霊は、存在しているだけで不安要素なんですよ。人間が対抗手段を持たない相手、それも行動原理が読めない相手なら尚更」
「僕は死にたくないだけなんだって」
「今、それを信じろと?」
僕が辛うじて出した言葉の矢を、すっと横に避けるような静けさで、七海は答えた。
「お願いだよ」未だに虎杖の下瞼の位置から僕を見る宿儺が、忌々しい。「ちゃんと術式はコントロールするから。それでもだめなら、どこか遠くへ行くから」
七海は一歩ずつ近寄りながら、虎杖に目を遣り、ゆっくりと歩みを進めるが、すぐには答えなかった。
虎杖が僅かに脇に退く。
僕は右腕の切断面に手をやり、これからの恐怖に悶え、活路を見出せない愚かさに諦念すら感じた。
「アナタに」七海がそこで口を開いた。
「……なに」
「『死にたくない』以外の理由はないんですか」
僕は柔いところを突かれた気分になる。肉体的なダメージを感じた。「理由、って」
「私が前言を撤回するための、理由です」
「ないよ」開き直るつもりはなかったが、僕は語調を強めた。「これだけは、理解してもらうしかないんだ。……封印だって、どうせ意味がない。だって、キミらの記録にも残っているんだろ。僕の動向が途絶えた期間のこと。封印されても、出てきてるんだ。こうして」
「封印の仕方が悪かった、という可能性はある」
七海はそう言って、目を細めた。
広い海を思わせる瞳をぼんやりと眺める。逃げ出したくて仕方がなかった。
けれど僕はそれから、じっくりと記憶を探るようにした。「『ありがとう』って言葉、好きなんだろ」
僕の頭に、暖かい情景が流れ出す。つい数時間前にも見た、あの情景だ。
僕の手を掴んだ迷子の少女、母親の遺体を前にした少年、孫の帰りを待ち続けた呪霊、そしてもう一つの場面、彼らが共通の言葉を口にした瞬間。
どうして思い出すのがその言葉だったのかは分からなかったが、僕は急に胸がつかえ、もどかしくなる。
喉元までこみ上げてくる熱を抑えながら、「これは何なんだ」と言葉にしようとする。
「着いたようです」ほどなくして、七海が言った。
スマートフォンを片手に持っている。公園の外に黒いセダンが停車した。辺りはすっかり夜に染っている。
七海がネクタイを解き腕に巻きつけようとし始め、僕は目を丸くした。
「待ってよ、僕はまだ────」
「『死にたくない』、だけなんでしょう」とつまらない再放送の早送りを望むかのように、言う。
「っ、今まで僕にはそれしかなかった。でも今は、少し変われた気がするんだって」
スマートフォンをポケットに入れてから七海は、首を動かし、僕を見た。
「では他にどんな理由が? 凶悪な呪霊をみすみす逃す理由は何です。アナタが変わったという理由、逃げ出そうとする理由、私がアナタを庇わないといけない理由だ。無いでしょう」
残った手で自らの髪をくしゃくしゃと触り、深呼吸を一度だけすると、そこで僕は腹を括った。
はっきりとした口調で、言う。
「──……理由だなんて形式的なこと、よく言うよ」
生まれてこの方出したことのない声だ。
「じゃあキミはなんで呪術師をしてんだ。僕は、
公園がしんと静まり返った。
いったい僕は何を口走ったのだ、と唖然としてしまったが、七海は息を洩らして、笑った。「いいでしょう」
「え?」
「悪くない」
「え?」
「一度だけチャンスを与えます」
七海の言葉に、僕は目をしばたたいてしまう。
「本気で言ってるの」
永遠に隔たりを作り続ける壁が、瞬時に取り払われたような驚きがあった。
「不治の病だとしても、何もしなければ悪化する。改善しようと努力しなければならない」
「なにそれ」
「国際関係論における一種の例えです」
「つまり?」
「有用性を示せ」
隣で、虎杖が
どうやらキミの言う通りだった、らしい。
**
七海は鉈をしまっても、即座に撤退する様子はなかった。「チャンスを与えます」と言ってくれたにもかかわらず、だ。
暫くして、着いてこいと誘導されたところで、「七海さん」と黒のセダンから迎え出た別の呪術師に、「予定通りお願いします」と挨拶をし、それから虎杖と僕に手を向け、「行きますよ」と伝えた。
「行く、って……高専に?」虎杖が上機嫌を隠そうともせず、別の呪術師に言った。「あ、伊地知さんじゃん、来てくれたんだ」
唐突に行くと言われても困る、と思いながら、「封印の……転法ナントカ使いを呼んでるんじゃないの」と訊ねた。
「元から呼んでませんよ。第一、私が顎で使えるような身分の呪術師じゃありませんし」
七海はサングラスのレンズを拭いながら、答えた。安っぽいドッキリ番組に対して、「こんなもんか」とネタばらしをするのと似ていた。
僕は、虎杖に引っ張られて、後部座席に詰め込まれる。待ての声も出す前に、運転席の呪術師がアクセルを踏む。前に進む勢いに負けて、後頭部を座席にぶつける。
それから、隣と正面を見た。
「……え、なにこれ、どういう状況なの」
「残業です」と七海は言った。「結構、身体にくるんですよ」
「いや、そうじゃなくて、僕はどうなるの」
「さっきの会話でも言ったけど」と虎杖は朗らかに、僕からすれば憎らしいほど落ち着いた様子で、言った。「高専に行くんだろ。呪霊が呪霊を祓うって、どうなんだろうな」
「────いえ、違います」
助手席から七海の声がして、僕の焦りはさらに増す。じゃあどこなんだ、と眉を顰める。
虎杖が驚愕を露にするのを、七海はバックミラー越しに確認するようにして、「正確に言えば、虎杖君は高専付近で降りてもらいます。が、その呪霊は高専には行きません。このまま、任務に連れていきます」とサングラスをくいっと押し上げた。
「え、俺降ろされんの?」
「ここからは私の管轄ですから」
僕は唖然としながらも、この車内の平穏な雰囲気に、慌てる。「七海」と呼んだ。小刻みに車体が揺れる。
「なんです」
「僕を、殺さないの」
「ああ」と七海は息を吐く。「いずれ祓いますよ」
すると視界に、助手席と運転席に手をかけ身を乗り出した虎杖が入り込んだ。「きちんと座っていてください」と注意の声が飛ぶ。
「なあ、ナナミンはさ」虎杖が小声で、先程よりも真剣な声を出した。「最初から、挽歌がこう言う、って信じて任務入れてたのか?」
「そんなわけないでしょう。五条さんから頼まれたんですよ」七海は答える。
悪くはないけれど、良い気もしない。何故五条が?
「それに──」呟かれた七海の声に、僕は顔を上げた。「──……いえ。ただ、今回に関しては、“上”のやり方が気に食わない」
「気に食わない」何を言いかけたのか。僕は混乱のあまり、舌がもつれる。「ってなんで」
「どうせ先送りにした
「先送り、ね」
問題と明言された僕は、得も言われぬ顔をする。
その直後暫く、言葉が出なかった。唇を、もごもごと動かしてみるものの、言うべきことが見つからない。
「あ」と視線をずらすと、バックミラー越しに運転席の呪術師と目が合った気がした。
呪霊だから僕の姿は映らないのだが、彼はどうやら鏡越しに、空席にいる同乗人を確認していたらしい。
彼はぎょっと肩を揺らし、遠慮がちに視線を逸らす。肩が上がりっぱなしだ。
「伊地知、って名前なんだっけ」と訊ねると、運転席の彼は、肩を強張らせる。
繁々とバックミラーに映る彼を眺めていると、なにやら既視感を抱き、僕は、「会ったことあるよね」と口走った。「多分、結構前に」
すると七海はとても真面目な顔で、横を見る。「そうなんですか」
伊地知はなぜか絶望の色を濃くしながらも、目を大きく見開いた。余計なことを、と言うようでもあった。眼鏡の下に隈があり、頬は痩けて見える。
「……ああ、思い出した。やっぱり見たことある」
「どこで?」虎杖が訊ねてきた。
「交差点」と僕は頭をひねった。「去年だったかな、それくらい前だけど」
未だにくたびれた影を被ってるね。内心で僕は労っている。「キミも結構大変なんだ」と。
どうなるんだろう、僕は、何か見つけられるんだろうか。
ここから長くなるのでキリの良いところで一旦区切ります。
今話は呪霊と呪術師(3)[2/2]のオマージュです。ここでやっと問答は一区切り。参考にしている作品(青空文庫収録済み)の流れに添いたかったので、色々と話させました。
改めて書きたいところのプロットを作り直したら、短いのも含めあと2~3つ分くらい新章できて草でした。ペースは不定期ですがなんとか着地させたい所存。
たくさんの評価、お気に入り、感想、しおり等本当にありがとうございます!!!執筆の糧になります!!なんだか恐れ多くなりますが滅茶苦茶嬉しいです。本当にありがとうございます。
前話はふざけ倒しましたが、怒られなくて内心ほっとしました。読み上げ機能使ったら楽しかったです。
もしよければ今後も応援、お付き合いのほどよろしくお願いいたします!
◆
以下蛇足。
挽歌の祓い方
現時点で知っているのは「真人」のみです。勘づき始めたのは「七海」「虎杖」の両名です。メロンパンは気付かないと思います。
「五条」は知っててもいいし知らなくてもいいです、どちらであっても「七海」に全て任せてます。
挽歌の祓い方について→タイトル通り。割とすぐ死にます。最終話近くで明文化します。
虎杖から見た挽歌
原作では姉妹校交流戦にて、真人の仲間である「花御」に怒りをぶつけてましたが、拙作の虎杖は「挽歌」に対して、[真人の仲間]というより[順平の友人かつ変わった呪霊]として見てます。
それゆえ、虎杖から見た「挽歌」の印象は「花御」に比べてマイナスに振り切ってはいません。それなりに人を殺してるが、同情してるのでプラマイゼロ。
七海から見た挽歌
もしかして、と祓い方の片鱗に気付きつつあります。そのため「さっさと封印しろ」と命じられても、元から若干の抵抗感がありました。
そろそろ祓い方を特定する頃合い。
伊地知
物騒な呪霊運ばされて(物理)可哀想。
実は拙作第1話「晴れのち呪霊」に出てますし、「挽歌」の姿を目撃しています。好きなキャラなので「いつか出したろ」と思ってました。
良かったら探しに行ってみてください。