死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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『呪霊の半旬』編の『火曜日、呪霊と呪術師(4)(DAY2)』を流し見してからお読み頂くと、若干分かりやすいかもです。
 やっと七海視点書けた。

【追記】2022/01/20
 誤字報告ありがとうございます。遅くなりましたが訂正させていただきました。大変助かります。



呪霊と呪術師(5)[2/3]

 七海

 

 

 

 数週間前。

 ツギハギ呪霊と交戦した七海は、まず近場の公園に撤退し、その次に例の呪霊と会った。

 

 思えば、初めて遭遇した時も同じ公園で、「挽歌」という名前を聞いた。京都で再会すると今度は、「名前を教えてよ」という謎の執着心をみせる。

 三度目は殺しかけた。途中で別の特級呪霊が助けに来ていたから、あれが彼の言う「同僚」なのだと解釈した。

 

 

 九月の頭はまだ、夏が去ったと判断するには早すぎるようで、六時を越えた夕時の空気は、蒸し暑いままだった。堂々たる風物詩のような貫禄すらある。

 

 その公園に辿り着いたのは、偶然だ。

 

 地下水路で呪霊と闘い、傷を負いながらも瓦礫の下に封じ込め、隙をついて撤退を図り、そうこうしている内に日が落ちていた。

 

 平日の夕暮れの公園は、人影がなかった。

 それなりに血液を失っていたからか、七海の目には不快なほどちかちかと瞬いて見える。

 

 ベンチの向こうに丈の低い茂みがあり、その奥に古びた物置が放置されている。

 草木に紛れた物置周辺は、表通りから少し隠れた場所になっているので、暗い。涼しさも感じられるが、じめじめとした湿気の匂いもする。

 目の端に、見たこともない茸の群れが映るが、見なかったことにした。壁沿いにダンボールの床が敷かれているが、それも、見なかったことにした。

 

 七海は物置の壁に背を預けたまま、深く息を吐く。

 もし一般人が今の七海を見たとすれば、その第一印象から、恐らく荒波が待ち受けることとなる。

 

 挽歌に会ったのは、落ち着いてから数分経った頃、伊地知の回収を待ちつつ、とりあえず、止血をしなければと思い立った時だった。

 

 丁度、そこに彼が立っていた。

 はじめのうち七海は、その正体に気付かず、朦朧とし、ある光景を想像していた。

 

 もしかすると、と思った。

 もしかすると唯一の同級生が、死にかけている自分をどこか高台から観察していて、叱咤激励しに来たのかもしれない、と。

 そうでなかったら、実はもう自分は死んでいて、七海を迎えに来たのかもしれない。

 

「七海?」と彼は真っ先に質問してきたので、七海の口は自然と、「まさか」と動いた。

 

 

 ()()

 

 

 彼はとても難解な問題にぶち当たったかのような、神妙な顔で首を傾げた。

 

「──……誰? あと僕は挽歌だよ」

 

 七海は驚く他なかった。誰って、呪霊に殺された同期に決まっているじゃないか。すっかり冷静に戻る。

 

「何故、アナタがここに」

 挽歌はそこで困ったように小声で唸り、答えを探していた。しばし黙り込む。「血の匂いがしたから」

 

 もしかしたらこの呪霊にも本来、一般的な呪霊と同じ気質があるのではないか、と七海は、確固たる証拠や理由はないが、そんな憶測が生まれた。

 

 人間たちを貶めて楽しむ、だとか、新しい世界のために思想を押し付ける、だとか。

 凶悪な呪霊の姿を真似しようとする気持ちが、彼にはあるのかも。

 

 ふとそこで七海の端に、挽歌の姿が映った。息を呑む。

 

 目の前の彼は、顔を歪めていた。

 吐いた嘘を悔いるように、口を引き結んでいる。

 

 

 ────向いてない

 

 多分、経緯や理由は判然としないが、自己の土台となる部分が、根本から呪霊に不向きなのだ。呪霊である以上、人を害そうとする本能はあるはずだが、性格が伴っていない。

 

 それから挽歌が、必死に怒りの感情を浮かべようとしているのを見て、この呪霊は、普通の呪霊より「人間くさい(生きにくい)」性格をしているのだと気付く。

 

 七海は、「私を殺しに来たんですか」と意識して声のトーンを低くした。

 挽歌が不格好に頷く。

 

 この嘘が下手な呪霊は、人間であれば何歳なのだろうか、とも思った。大人の自分としては、この迷子じみた呪霊の話を今すぐに聞いて、修正の道筋を提示してやるべきではないだろうか、という謎の使命感がむくむくと浮かんだのだ。

 怪我のせいで、思考が正常ではなかったのだろう。

 

「────そうですか」

 

 呆気に取られた挽歌が、目を点にして七海を見る。

 

「……僕、一応、呪霊なんだけど」彼は視線をさ迷わせてから、「この前はキミたちに殺されかけて、えっと、一応、怒ってるんだけど」と試すように言った。

 

「でしょうね」七海は息を吐く。「あれで怒らない呪霊がいたら、それはそれで異常だ」

 

「今ならキミは怪我をしているし、僕でも殺せる」

 

 むすっとした顔で彼が言う。何だ、意外に強がりも言えるんじゃないか、と七海は息を溢した。

 壁から身体を離す。

 

 彼はこちらの行動が予想できなかったように、よろけた足をそのまま後退させ、つまり、「来るな」と逃げる仕草を見せた。

 そしてもう一方の足が、更に後ろへ下がる。

 

 人を進んで害する気がない、とかつて言っていただろう。

 七海は代わりに一歩前へ詰める。

 

「最初は何を言っているんだ、と思いましたが、今では、それを信じています」

 

 その瞬間。

 駄目と知りつつ、お菓子に手を伸ばしてしまう子供を幻視した。挽歌も、抵抗感を抱きながらも期待した顔をしていたからだ。

 

 ただ、それはお菓子などではない。理由だ。

 単純に変わった性格だとはじめは思ったが、内情は複雑だった。

 

 七海は指摘していた。笑っていただろう。手を握って、迷子を助けて、何かを感じたのだろう。

 

 

「────やっぱり、七海はすごいな」

 

 その言葉が聞こえた。いったい彼の中で七海の血迷った発言をどう調理し、どう解釈したのかは今も分からない。ただ、掠れた小さな声を零した後で、じんわりと微笑んでみせたのだ。

 

 拭い去ったはずの想像が再来する。

 

「自分にできることを精一杯するのは、気分が良いよ」と人好きのする笑顔を見せる、既に此岸にはいない、唯一の同期の顔が、数年ぶりに細かに思い出される。

 

 

 ね、七海。

 

 

 視界が揺れた。足元の感覚がない。気付けば、挽歌が七海を支えている。

 どういうつもりだ、と視線を向けると挽歌はぐっと言葉を詰まらせた。

 

「目の前で死なれたら、……気分が悪い」

 

 欺瞞ではなかった。こちらから顔を背ける。それから開き直って「あー、もういいや、僕のせいじゃなくてもだよ。目の前で倒れたり、死んだりするのは、やめて」と言った。

 

 

 それからは自分が何を口走ったのか、もしくは吐露されたのか、朧気な記憶としてしか思い出せない。

 ただ朦朧とする中、挽歌が青い鳥を追うような声を出すのが聞こえた。

 

「僕は死にたくないけど、だからと言って、特別生きていたいわけでもない」

 

 おや、とその時の七海は違和感を覚えた。

 挽歌は常套句を述べただけなのだが、何かが変だった。

 

 少しして、おかしさの正体に気付く。

 

 挽歌は、「死」を畏れる感情の集積のはずだった。であるのに、その時、彼は終わりを夢想するかのような発言をしなかったか。

 

 何を考えているんだ、と七海は言いたかったが、電話の相手があとどれくらいで到着するか自信がなく、つい逃亡を許してしまう。

 では、また。七海はそう言ったが、声として発せられたかどうかは自信がなかった。それにしても「死にたくない」がアナタの専売特許でしょう。

 

 

 

 □

 

 

 

 腕時計を見た。夜中の十二時を過ぎているから、定時を過ぎたのは五時間以上前になる。時間外労働だ。

 

 七海は例の公園から車に乗り込み、関東郊外の廃村にやってきた。国道を外れた峠道の途中、山中にしては幅広の坂道にいる。

 肝試しに訪れる若者が捨てた空き缶が、現代離れした廃村と現世を辛うじて結びつけている気がした。

 

 

 後部座席には依然として、呪霊が沈黙を貫いていた。

 

「着きました」七海は言った。「大口を叩いたのであれば、これから、何か功績を上げてください」

 

()()()()()()()ね」後部座席の挽歌は重苦しく言い捨てた後で、「なにか、あれば良いけど」と続けた。

 

 数時間前の問答の後、事情をある程度話せる補助監督であり、同校の後輩であり、頻繁に五条の命令を受けている伊地知は、「付近で待機しています」と冷静に言い、車を降りた挽歌を眺め、「怒られませんように」と、誰を思い浮かべたのか顔を青くさせていた。

 

 

 続けて車から降りた七海は、俯く挽歌を見下ろして、「先程の勢いはどうしたんですか」と指摘した。

 駆け引きや嘘は意味が無いから、回りくどい説明や偽りに言い訳は抜きで、率直な意見をぶつける。

 

「マザー・テレサがなんとか、言っていたでしょう。好きなんですか」

「別に……あれは共通の話題を作るためだったんだ」

 

 論点のずれた答えを呟く挽歌の声音からは、感情が読み取りにくい。どういった感情を載せるべきなのか、と彼自身が思い悩んでいるようだ。

 

 枯れ木を跨ぎ、奥へ向かう。

 薄暗いという次元を超え、一寸先は闇を体現したような空間だったが、呪術師として仕事に勤しむようになってからは、こんな悪環境も珍しくない。

 

 砂利道をざくざくと踏み進めながら、七海は自然と、一時間ほど前の会話を思い出している。

 

 

 

「ナナミン、挽歌のこと頼むよ」

 

 虎杖は、高専付近の路地に降ろされてから、見送りのために車外に出た七海にそう言った。

 出歩く人のいない夜間は、車通りもなく迅速に進められる。車の中で、先に降りた虎杖を恨めしく思ったわけでもないだろうが、覇気のない挽歌が、窓の外を見て、嘆息していた。

 

「頼むとは、何をですか」

 

「さっき」虎杖は、返答に迷った様子だった。「公園で話してた時。多分挽歌のやつ、言葉にはしてなかったけど、ナナミンのこと心配してたと思うんだよ」

 

 数週間前の、里桜高校での事件を思い出す。

 ツギハギ呪霊と対峙していた時、校舎の壁に空いた穴に手をかけて、今にもこちらに飛び出そうとする、あの呪霊を見つけた。

 

 何故ここに、という感想よりも、出てくるな、という感想が先に湧いたのは、記憶に新しい。

 

「……虎杖君」七海は気にかかる。「何を感じたかは追求しませんが、肩入れしすぎるのは、あまり良くない」

 

 そう口走ってから、内心で毒突きたくなる。何だその自分を棚に上げた発言は。おまえはもう少し冷静だったのではないか。と、自分が咎めるように言ってくる。

 

「『虎杖には、充分祓える(助ける)力があると思うけど』だってよ。呪霊が言うには可笑しいだろ」と言いながら、彼はくすりともしない。

 

「込み入った話でもされていたんですか」

 まるでカウンセラーにでもなったような気分だった。

「あんな平然と言われると、ちょっと励まされる」

 虎杖の悩ましげな表情は、鼓舞された気分の欠片も浮かんでいない。

 

「虎杖君、まさかあの呪霊のことを、悲劇の呪霊だとか思ったりしていませんよね」

「……なあ、アイツ何者なわけ」

「厄介な事情を抱えた呪霊ですよ。明確な等級はなく、特別指定呪霊だとか。まあ、ほとんど、対応は通常の呪霊と変わりませんよ。普通の呪霊と違って、無闇に攻撃してはならない以外」

 

「ナナミンさっき攻撃してなかった?」「あれは別です」

 

 上層部から再三注意されていたが、攻撃したところで死なない限りは、何の問題もない。と考えている。

 

「あんなに呪霊らしくない呪霊は、初めて見たけど」

「性格に騙されたら駄目ですよ。被害は多い」

 

 そこでふと、目が合った。

「……ナナミン、なんか()()()()()()()?」

 

 虎杖の口が動く。彼の豊かな表情は、弱い電灯の下であってもとても目立つ。

 

「────ムキになっているわけではなく、客観的に判断しているだけです」

「うーん、そうなのかなぁ」

 

 虎杖が、車の中の挽歌を見遣る。無抵抗な呪霊だ。乗せられるがまま、小柄な身体を更に縮こまらせている。

 その後で虎杖は、「そんじゃま、任せたぜ」と自分の親指を立てた。

 

 本来であれば、否定すべき場面であったのかもしれないが、七海は先程呪霊が啖呵をきった場面が頭から離れずに、嘆息するしかなかった。

 

 蠅頭が、七海の頭の上に乗って憂鬱にさせているような、そんな嫌気が走る。何もいない肩の辺りをさっと手刀で切る。

 

 

 

 意識を戻し、石の階段に足をかける。

 

 百段近くもある段差は、整地されていない頃からの名残か、一段ずつ高くなったり低くなったりと、太腿を上げる度に、億劫さがのしかかっていくように思えた。

 

「本来であればアナタは即刻祓除、もしくは封印処置です」七海は正直に話す。「()()()()()ともつるんでいたようですし」

 

「つるんでいた、って」

 

 七海は、ツギハギ呪霊の特徴を挙げた。術式についても説明を加えようとしたが、挽歌はすぐに反応した。「ああ、同僚の」

 

「仲間ではなく?」七海は訊ねた。

 

 が、挽歌の浮かない顔が既に答えを口にしているようなものだった。

 

「僕は、皆みたいにきちんとした思想や、意思がない」

 

 彼は左手で、自分の服の胸のところを掴む仕草を見せた。右腕は七海が切り落としてから、未だに再生していない。

 

「きちんとした思想とは何ですか」

 

 階段を上り終えたところで立ち止まり、振り返ると挽歌も足を止めた。身体を強張らせ、腰が引けた様子だが、自分との距離がある程度取られていることに七海は感心した。

 突然の攻撃から身を守る術が、自然とできあがっている。ぼんやりとし、戦闘に不向きに見えるものの、長年逃げ続けているだけはあった。

 

「たとえば七海は、何で呪術師をやっているのか、とか、どうして生きているのか、とか、答えられる?」挽歌が言う。

 

「何を突然」

「皆はそれがあったんだ。でも、僕は何も見つけられなかった。死にたくないだけだった」

 

 七海は背を向け、「それで逃げ出した、ということですか」と歩みを再開する。

 

 

 家主のいない家屋の影が見え始めた。重苦しい暗雲を被る廃村は、山奥であるにもかかわらず空気が淀んでいた。

 

 小走りで着いてくる足音は鼓動に似ている。

 置いていかれまいとする心音が、体外に溢れ出ているのではないか。そんな気持ちになった。

 

「これは、言い訳なんだけど」挽歌はそこで、弱々しく前置きをした。「あの時は……なんというか、術式の制御が効かなくなってた」

 

 疑わしくて仕方がなかったが、僅かに残った私情が疎ましさを堰き止めていた。

 

「ずっと抑えていた衝動を、消化しなかったのがいけなかったんだ」

「今までは抑え込めていたんでしょう」

 

 口を挟まれると思っていなかったのか、挽歌は一拍置いて「ああ、うん」と首肯すると、途方に暮れたような声音になり、「でも駄目だったんだ。駄目だったんだよ、七海」と慚愧の念を載せた。

 

「……駄目だった?」何のことだ。

 

 振り返って顔を見れば、どれを後悔しているのか、どの場面を思い出しているのかもはっきりしなかったのだが、「僕にはなれなかった」と続けた。

 ここではない幻の世界で、誰かに呼びかけているのではないか、と思える口調だった。

 

「はあ」

「キミみたいにはなれなかったんだよ、七海」

 

 七海は何と答えたら良いか分からず、「はあ」ともう一度、ぼんやりとした相槌を打ち、「そうですか」とだけ言った。

 

 

 

 □

 

 

 

 八月下旬の七海は仕事で、死者の蘇生を叶えるという嘘くさい呪詛師の対処、簡単に言えば隠滅を図るために北海道に出向いた。

 

 そこには何故か五条が同伴し、事件の解決後、虎杖を預かるという約束をすることになるのだが、それは今は置いておこうと思う。

 

 

「呪詛師……ここでは人形師としますが、その呪詛師の持っていた“反魂人形(はんこんにんぎょう)”が、どこから持ち出されたかが判明しました」

 

 今回は残りの“反魂人形”の回収です、と言いながら、七海は所々壁が崩れた家群を練り歩いた。

 少し後ろに、挽歌も続く。

 

「……“反魂人形”?」と彼が訊ねてくる。

 

「呪骸の一種です。少し前まで、死者……といっても赤子限定ですが、それを蘇らせることができると噂の人形が、裏通販サイトに出回っていました」

「そんなのがあったの?」

「まあ、実際はできる筈もなく、金儲けと、人形の代わりに貰い受けた赤子の死体が狙いだったわけですが」

 

 死人は蘇らない。蘇らないから、人は過去を諦められる。蘇らないから、人はせめて、正しい死を求める。のだと、七海は考える。

 もし蘇生や延長の類が可能であるとすれば、恐らくそれは世界にとってあまりに大きな呪いであり、癌である。

 

 

「────あ、できないんだ」

「普通に考えてできませんよ」

 

 七海は口にするのも馬鹿馬鹿しく感じたが、次の瞬間、はっとする。

 嫌な予感が胸を過ぎった。

 

「まさかとは思いますが」と前置き、「……自分ならできるとか、言いませんよね?」と確認する。

 

「分からない」挽歌が、ポケットから飴玉を取り出しつつ、否定するでも肯定するでもなく、言った。

 

「その飴玉でできる可能性はある、と?」

 

「僕は生き返れるからね。前に他人にやろうとしたけど、できなかった」と飴玉の柄の棒を指で回転させている。「でも」

 

「やろうとしたんですか」七海は頭痛がする心地がして、顔を顰める。「でも、何ですか」

 

「やり方次第では多分、って思ってる」

 

 平然と彼がそんな物騒なことを言い出すので、七海はすぐには反応できない。

 

「……もしそんな術を身に付けられでもしたら、いよいよ野放しにはされませんよ」

「うん」

 

 挽歌の洩らしたその小さな返事が、砂利道をころころと転がり、ゴミや落ち葉を付着させながら膨張し、些細な綻びとなって民家の中に消えていく。七海にはそう見えた。

 

 

 

 鍵の壊れた門を開き、誰もいない民家に入り込んだ七海は今、首をゆらゆらと伸ばしたまま、畳に座る異形の呪霊を叩き切っていた。

 

 首を長くして待つ、なんて言葉が頭に浮かんだ。

 

 部屋は雑然としている。

 押し入れ前に積み重なった廃材は、天井が腐り落ちたようにしか見えなかったし、畳の上も物で溢れていた。

 

 

 廃村全体が淀みに囲まれ、目的の“反魂人形”が何処にあるのか、すぐには特定できなかった。

 

 最初は、呪霊ならば場所が分かるのではないか、とほんの僅かな期待を挽歌に向けたのだ。

 が、静かにかぶりを振り、「そういう気配とか、気にしたこともない」と口を開いたかと思うと、「探してみるね」と家屋に立ち入ってしまった。

 

「ないね」

 部屋の奥から帰ってきた挽歌はふざけている様子もないようで、おずおずと言った。

 

「こんなに呪霊がいる村を、こんな夜中に、七海一人で探せって言われたの?」

「残業的な意味でいえば()()ですが、今回は少々案件が厄介なので仕方がなく」

 

「ク」と挽歌は口を尖らせた後で、縁側から外に出た。「その“反魂人形”って、どんな形なの?」

 

「本体は木製の人形です。が、人肉を食わせれば自己増殖するので、既に増えていても不思議じゃない」七海も続けて外に出る。

 

「食べる?」

「ええ。“反魂人形”は生死問わず人間を食べます」

「……栄養補給のためとか?」

「簡単に言うと“反魂人形”は、呪骸の生産工場を兼ねる、自己増殖する呪骸なんですよ。人肉を食み、人形を生み出す、悪質な人形です」

 

「それは」言葉に言い表せない感想を、挽歌はどう伝えようか迷い、その挙句、「ヤバい」と呟く。

 

「ヤバいで済みませんよ」

 

 七海はそのまま後ろ姿を眺める。ふと、思いついた疑問があった。

 

「いい加減、腕治さないんですか」

 

 足を進めながら、隣の民家に入る呪霊に声をかけた。

 

 ろくに気配の探れない空間に躊躇なく踏み入れるのは、呪霊ならではというべきか、不用心というべきか、恐らくはそのどちらも該当するだろう。

 

 今度の家屋は三和土がひび割れ、天井を這うようにして数体の呪霊が群れている。見上げた挽歌は、気配を探るようにして、辺りを見回している。

 

 それからやっと言葉が聞き届いたかのように、「腕がなに?」と振り返る。

 

 断ち切った右腕は、上腕辺りから千切られたままで、断面は惨たらしくもある。二重瞼の目と不安そうな顔は、未知の恐怖に怯み、風向きによって方向を変える風見鶏じみた性格の表れに見え、あの時の威勢はどうした、と七海は思う。

 

 

「右腕、治したらどうです。その程度の損傷の再生、アナタなら無問題でしょう」と無くなった腕を指さす。

 

 挽歌の視線が先のない腕に向いた。「……キミに落とされたんだけど」

 

「それは当然です。呪霊を祓うのが我々の仕事ですから」

「……呪力がギリギリなんだよ、今。この前の暴発……いつぶりかに大掛かりな術式を使ったせいで、生やすのも面倒なくらい。そもそもスッカラカンだったんだけど、さっきも無理に使ったし」

 

 挽歌は、事実確認を行うように淡々と説明する。七海は、車中で虎杖や挽歌本人から、先の「鬼」にまつわる事件の一連の流れを聞いていた。

 

 

 呪霊が少年を襲う前に、虎杖に協力する形で挽歌がそれを祓った。

 

 虎杖はそう力説しながら挽歌に確認を求めるも、当の呪霊はポカンとしていた。

 そうなのかと話しかけた際も、「これからどうなるんだ」と気が気じゃない様子で、まともに会話などできていなかったな、と七海は思い出した。

 

 

「呪力がないんですか」

 

 天井から落ちてきた一体の呪霊を粉砕し、挽歌に視線を向ける。

 次はお前だ、と言外に伝えているとでも感じたのか、挽歌は大袈裟に肩を強張らせる。「こんな流れで祓いませんよ」

 

 

 二軒目の廃屋。

 挽歌は廊下を駆ける小さな呪霊をすれ違うようにして避け、居間に入った。入口からここまで、どす黒い呪いの気配はするのに、どういうわけか低級呪霊しか見えない。

 

 嫌な予感がじわじわと意識を蝕む。

 七海は挽歌がすれ違った呪霊を断つと、声をかけた。

 

「目星は着いてるんですか」

「いや」

 あからさまに打ちひしがれた顔で、彼は振り返った。

「手当り次第踏み入ってるだけですか」

「こんな風に探すの初めてなんだ」

「この辺りは淀みすぎている。非効率的ですが、虱潰しするしかありませんね」

「──ならここは()の様子からして、無さそうかも」

 

「……微妙に便利ですね。次に行きましょう」

 七海は、その呪霊()は軒並み自分が祓っているが、と彼の心情を配慮して、内心で付け足した。

 

 

 

 

「………………あ」

 

 玄関を出た途端、挽歌は耳をそばだてるようにして、左手を持ち上げた。

 

 すぐに左の道へ折れる。

 突き当たった十字路を右折する。そのまま早足で歩いていけば、一際大きな家屋が見える。

 

 何か感じとったのだろうか、七海は不審に思いつつも後に続いた。扉の前で立ち止まる。背中に掛けた鉈に手を伸ばす。右手で柄を握る。

 

 目の前の廃れた一軒家から、不快な呪いの気配が溢れている。視線を上げれば、窓から外を眺めている呪霊が見える。

 

 腐り気味の片引き戸だけがきちんと閉じられており、その両脇の壁は壊れ、小さな穴が空いている。

 家の大きさからして元は村長のものだな、と七海は思い、かつては綺麗だった住居で老夫婦が生活する図を想像した。

 

 

 挽歌が躊躇なく扉を開けて中に飛び込むものだから、呆れた気持ちで何気なく後に続いたのだが、そこにがあった。

 

 土間に踏み込んだ瞬間のことだ。空気が変わる。

 

 

 最初は、目の前から挽歌が消えた。視界からいなくなったからだ。

 何が起きた、と思うと同時に、七海の頭は突然“安心感”に包まれている。

 

 身体ごと朗らかな家の心地に呑み込まれ、ふわふわと浮かび、暖かい空気に微睡んでいく。朝日よりも柔らかな優しい感情が七海を囲み、口から入り込む。

 苦しくはない。異常だと訴える理性に反して、「ここに居る限り安全だ」と、何故か温かい確信を抱く。その温かさが、喉を通り、体内に沁み込むようだ。

 

 不自然な“安心感”が、七海の内側に充満する。これは、と七海は霞みがかった頭で考えていた。これは何だ。

 

 

 足元に挽歌が転がっている。七海のスーツの裾を掴んでいた。寝起きのように短く呻いている。

 

 七海は、掴まれた拍子に意識が正気に戻るのを感じた。“安心感”の霧が晴れる。次が来る前に、すぐさま全身を呪力で覆う。

 

 術式か。もしくは、感圧式の一種の結界か。

 

 

 土間には、相変わらず挽歌が倒れている。起き上がろうと身体を捩っている。こいつは何をしているんだ?

 

 正面にある二階に続く階段を観察していると、埃に塗れるようにして擬態していた段差から、僅かに残穢が見えた。

 

 

「ここは、変な感じがする」

 

 すぐ隣から萎れた声がした。先程まで這い蹲っていた挽歌が立ち上がり、「()()()()()()()」と七海に告げた。

 

 そこに至り、七海は、自分の抱いた感想と挽歌の抱いた感想が全く違うものだと、明確な確信を得た。

 

「不快でしたか」

「なんというか、こう、入って来るな! って言われているような」

 

 外から二階を眺めた時の光景を思い出す。数体の呪霊の姿があった。一瞬の目視だけだったが、恐らくは低級呪霊だ。

 あの呪霊たちと今の挽歌が、同じ状態にあるとは思えない。

 

「……七海は平気そうだね。やっぱり強いから?」

 

「私は、不快感なんて一切ありませんでした」と七海は言った。「むしろその逆の、家に帰ってきたような安心感に近い」

「家に帰ると安心するの?」

「今はそこでは…………こんな場所に居るよりはするでしょう」

 

 挽歌は何を思い浮かべたのか、恐らくはかつて自分が居た場所だろうが、思案するように目を細めると、「そっか」と頷く。「うん、確かに」

 

 

 正面の階段に目を戻す。続いた階層の先で、何者かが動く音がした。七海は真っ直ぐ足を進める。呪詛師か、と警戒を強めた。

 そして、「この結界らしきものは、濃い呪いを持つ呪霊を弾き、人間を庇護するものではないか」と予想を巡らせている。

 

 だからこそ人間である七海は気味の悪い“安心感”を抱いたし、一応、長い時間を生き延びた挽歌は“不快感”を抱いたのではないか。

 

 倦怠感を全身に纏った挽歌が、七海に向かって、「ねえ、多分、人間いるよ」と忠告してくる。七海の、泰然自若とした態度に気を揉んでいる風でもある。

 忠告の仕方に、呪霊節というべきか、謎の言い回しを感じたが。やがて、重い足取りで、後に続いた。

 

 

 

 □

 

 

 

 二階に上がりきると、蜘蛛の子を散らすように逃げる低級呪霊が何体もいたが、別段、攻撃してくるようなことはなく、土を求めて這いずるミミズのように、壁の隅を縫って、視界から遠ざかって行った。

 

 狭い廊下には細い呪力の流れができている。

 七海は覚えのある(反魂人形の)淀みの方向へと進んだ。

 

 廃墟特有の、カビ臭さを感じる廊下だった。呪力で全身は覆われているものの、どこか異質な安心感が蔓延している。

 突き当たりを右に曲がると、より一層淀んでいる空気の中に、はたして扉があった。

 

「その先からするね」

「……するとは何がですか。他人任せの抽象的な表現は、止めた方が良い」

 

「え? ああ。『死にたくない』って考える人間の感情が聞こえるんだよ、僕は」という彼の表情は固い。「────でも、なんだかなぁ」

 

 

 七海は片足をぶんと前に出し、扉を蹴破った。

 がたん、と誰かの取り乱す音があり、埃が舞う。

 

 部屋の壁際、破けた押し入れの傍に背中が見えた。細身の男が、頭を抱えるようにして背を向けている。残穢の原因の呪詛師だ。

 

 黒色のパーカーを着て、七海と、その隣を視認すると目を見開く。

 

 七海のすぐ横に、挽歌の姿があった。

 

 男は目を光らせ、さっと動いた。

 ぎらぎらと煌めいたものが手には見える。包丁ほどの刀身であるのか、ナイフほどの刀身であるのかは判然としないが、とにかく、何かしらの呪具が光っていた。

 

 七海は距離を詰め、左拳を振るった。顎を殴り付ける。

 目の前で爆発が起きた、とでも言うように、驚いた顔をして、男は壁に叩きつけられる。煌めく刃物が飛ぶ。

 予想通り、攻撃の意志を持って武器を握っていたらしく、呪具が床に転がった。

 

 男は、ごほ、と何かを吐き出すと、七海の目を睨み、口を開けたまま動きを止めた。泡となった血が零れ落ちた。

 

 

 七海は顔を顰めた。

 呪骸と同じ呪力が、目の前の男から漏れている。

 

 

 男は、声とも呼吸ともつかない音を吐き出した。「何なんだよ」涎と血液を飛ばし、必死に声を出す。「ぁ、アンタ、あれか、呪術師ってやつか」

 

「それは今はどうでもいい。人形に覚えがありますね」七海は、男の右半身に目を向けた。「()()()()喰われてますか」

 

「あのさ七海、捕まえるにしても、今のは下手すれば死ぬよ。顎を殴った。壁に叩きつけた。頭をぶつけた。僕だったら、これで死ぬ」指を使って数えるようにして、挽歌が言う。「ああ、でも、人間を食べるって、本当にそうやって食べるんだ」

 

()()()生かして捕えろとのことですから、侵食具合によっては困ります」

 

「え、ああ! う、腕なんだ、腕がっ!!」男はパーカーを右半身だけ脱ぎ捨て、懇願していた。「頼む、た、助けてくれっ。あった場所に返そうと、これ、お、置きに来ただけなんだって」

 

「呪骸を、一般人を騙して金儲けに利用したでしょう。死者を蘇らせると、そう言いふらして」

 

 

 男の右腕は、丁度肘の内側辺りが不自然に隆起していた。竹槍のように尖った木製の人形の骨格が、肌に突き刺さり、肉が崩れている。周辺の赤く爛れた皮膚も痛々しい。

 

 恐らくは、右腕はもう使い物にならないだろう。

 

 しかしそれは、右腕を適切かつ迅速に切り落とした場合であって、もしこのまま放置すれば、いずれかは身体の全てが人形にとって替わられ、成長の温床となるに違いない。

 

「以前も会いましたよ、アナタの仲間でしょうが。その時は侵食具合が酷く、自己責任という形で処理しました」

 

「謝る、謝るから!」男が右腕を庇いながら、七海の方へにじり寄った。「たのむよ、死にたくねぇんだよっ!」

 

「お」

「お、じゃない。何しに来たと思ってるんです」

 

「えっ!? あ、ああ、あああ!! アンタ、呪術師じゃねえのかよ、なんで、何でそこにそんな、呪霊がいるんだよッ」

 

 男はそう言った途端、辺りの空気が一変した。ぶわりと全身の毛を逆立ちさせるように、「ちゃんと、作ってたのに」と来た。異常なまでに恐怖している。

 

 彼は尻を引きずって後退り、床に手を着いて呪力を巡らせた。術式の起動のための予備動作に見えた。

 

 やはりこの呪詛師の術式か、以前対峙した呪詛師よりは強いな、と七海は小さく嘆息する。

 

 男が一度、二度、と呪力を消費した。ふっ、と息を乱すのが把握できた。あの異質な“安心感”が纏わりつく。隣の挽歌が「うえ」と呻いた。

 

 男は勝ち誇った顔でこちらを見て、立ち上がる。

 

 男の術式の使用は、遅くはなかったが、早くもなかった。それはもう対策済みだ。七海は、力加減をする億劫さに顔を顰める余裕があった。

 一歩後ろへ下がり、瞬時に前へ踏み込み、腹へ左手を打ち込む。手の平を、衝突の瞬間に拳へと変え、腰の回転に合わせて振るった。

 

 ごん、と固いもの同士がぶつかる音がした。

 壁がその男の身体を受け止め、乱雑に落とすように騒がしく、どさりばたり、と倒れ伏す。

 

 挽歌が、意識を失った男を見下ろしたまま、絶句している。

 

 

 七海は自分の左腕を曲げ、時計を確認した。舌打ちをする。

 

 

 




 まだ続きます。長くなります。
 評価、お気に入り、ここすき、しおり等いつも本当にありがとうございます。執筆の糧になります。
 今後ともお付き合い頂ければ幸いです。いつでも感想等待ってます(乞食定期)

 ◆
 
 今話は小説版に出てきた反魂人形を題材にしてます。この呪骸について、今後少し独自解釈入る予定です。
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