死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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犬飼星の隣と呪霊

「本当に、ありがとうございました」

 

 髪が後ろに撫で付けられた年配の男は、今し方呪霊を討伐した男、七海に頭を下げた。男の腕の中では、黄色いシャツを着た小学生ほどの少年が、気を失っている。

 

 男は、この周辺地域を中心に、呪術師の情報提供者として協力する、所謂「窓」であるらしい。「突然息子が消えた」と悲痛な様子で呪術師に依頼したところ、偶然近辺で別の任務に当たっていた七海が、抜擢された。

 

 

 黒のセダンの近くにはひっくり返った蝉がまだ、暴れている。九月中旬になっても蝉の声は賑やかで、あの虫の寿命はどのくらいなのか、などと考えていた矢先の出来事だった。

 海外では、夏の時期であっても、生息地域が市街地から離れているから、蝉の声はしないんだ、と誰かが言っていたのを思い出す。

 

 あの蝉は死ぬのだろうな、と考える。そして蝉と紐付けして良いのか分からないが、七海もいつか死ぬのだろうな、と考える。

 

 

「……呪霊って、どう生きてても必ず、本能的に人間を害するよね。僕としても、多分それは、蝉がカワセミになれないのと同じなんだって諦めたよ。でもさ、呪術師って、人間なんだから他にも道はある筈だろ」

 

「それは……そうですけど。君みたいな呪霊と話すのは私も初めてでして……」

 

 車の脇でバインダーを抱え、居心地が悪そうな伊地知が何度も眼鏡を持ち上げながら、言う。

 

「多くの呪術師は何らかの目的、指針があり、呪術師を志しました。……一部、のっぴきならない理由で、ならざるを得なかった者もいますが」

 

 あれ、答えてくれた、と僕は意外に思う。

「のっぴきならない、って言葉、響きがいいね。虎杖も言ってたよ、『宿儺の指を食っちまったから』って。呪術師を続ける原動力は何って聞いたら、『生き様に後悔したくない』だってさ」と回想する。

 

「……虎杖君に、私は謝っても謝りきれません。まだ若い彼を、私は死地に送り出してしまった。それも一度ならず二度も。私は……戦えない呪術師です。でも、だからこそ私は、彼らを円滑にサポートすることを、絶対に怠りたくない」

 

 伊地知は何度も悔いた過去を忘れまいとするように、懺悔気味だった。実際、僕は虎杖の死地に二度とも携わっているから、こちらまで懺悔しそうになった。

 しかもその内一回は、僕が殺してるんだよ。二回目も同僚の仕業なんだ。とは言えない。

 

 

「伊地知は、それが()()なんだね。いいな、ちゃんとあるんだ。……ねぇ、じゃあさ、七海は何で呪術師してるのかな。多分七海って、()()真面目だけど、人間の中でも飛び抜けて良い奴でしょ」

 

 ありがとう、と何度もお礼を言われている七海を見遣る。

 僕も任務に協力したが、呪霊が人間の前に姿を見せるのは都合が悪いと言われ、離れた場所で待機していた。

 遠くから聞くことしかできないが、その、「ありがとう」は確かに僕の耳に届いた。

 

 じんわりと、胸に沁みる。暖かい空気が充ちていく。

 七海の任務に同行していると感謝されることが多く、当然その際僕は遠くに居るのだが、毎回、輝かしい星に手が届いたような感慨に耽けた。

 

 

「七海さんは私から見ても、大人オブ大人ですから……」

 

 伊地知が冷や汗を拭って、そういえば、と続ける。

 

「七海さんは一時期、呪術師を辞めて一般企業に勤めていた筈です。それから呪術師に再就職を──」

「え?」

 

 あっ、と伊地知が咄嗟に片手で口を覆った。

 

「はっ!? あ、いえっ、今のは私の口から聞いたとは、内緒でお願いします」

 

 流石にそれは無理がある、と僕は思う。だから、伊地知の後方を指差して、「七海来てるよ」と口にした。「終わったみたい」

 

「ハァっ……!?」

 

 伊地知が上擦った声を出し、その直後には、七海が車の脇に到着し、少し間を空け、「私が何か」と平坦に言った。

 先程の会話と今の態度で、伊地知と七海の関係性が少しだけ掴めたように思える。

 

「伊地知君、彼と何を話していたんですか」

 

 伊地知はロボットじみた動きを変えず、誤魔化す。「蝉について」

 

「……蝉と私に何か関係が?」七海は相変わらず淡々としている。「任務は完了です。午後の仕事に着手する前に、休息を挟みましょう」

 

 伊地知は扉に手を掛け、僕の方を一瞥し、「追求される前に、早く乗ってください」と言い聞かせるように念を送ってくる。

 

 結局、七海が何故呪術師に戻ってきたのかは聞けず、僕も慣れた動作で車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 車内に入るとすぐに、七海がどこからか本を取りだした。

 

「何それ」

 僕は何となく、訊ねた。

「何とは」

 七海は既に、紙面に視線を落としている。

 

「いや、急に本を読み出すからさ、何読んでるのかなって」

 

 僕は言いながらも、大して惹き付けられない疑問に、早くも飽き始めていた。

 

「短編集です」

「ん?」

「短編です。詩人であり童話作家である文豪の、短編を纏めた小説です」

「へえ」

 

 真人のやつは幻想文学や経典を読んでいたな、と数週間前の記憶を思い起こすが、既に何年も前のことのように感じる。

 

「映画のチケットは持っていましたよね。本に、興味は無いんですか」七海がそこで、丸いサングラスの下から目を向けてきた。

 

 僕は自分の眉根が下がるのが分かった。「無いよ、読んだことも」

 

「一度読んでみるべきですよ。短い物語にも、意味が詰まってます」

 

「えぇ?」僕はたじろぐ。「そんな奨め方されたのは初めてだな」

 

「興味が無いもの、として外側だけを判断するのではなく、中身の物語に目を向けるべきです。没頭するのは気分が良い。なぜなら現実逃避ができる」

「キミ疲れてる?」

 

 晴れた昼間だというのに、どういうわけか車内は難しい空気が漂って見えた。信号待ちで日陰に入っているせいかもしれない。

 運転席に座る伊地知の、パリッとしたスーツが空間を更に凝り固めている。

 

「何でもいいんですよ。例えば、この話は良い例です。読み手によって解釈が変わります。主人公は周囲から、外見による不当な判断で虐げられ、いつしか自分の存在価値すら分からなくなる。しかし最後まで主人公は周りを恨まず、それどころか自分にできることを探し、『星』になろうと考えます」

 

「なにそれ」

「自分の醜い体が灼ける時の、小さな光に価値を見出したんです」

「死んじゃうじゃないか、怖すぎる」

「その話の最後の一文は、こうです。『今でもまだ燃えています』」

 

「怖っ、星になれちゃったわけだ。嫌な話だ」僕は顔を顰める。

 

「しかし、これは結果的に主人公の夢が成就した、と受け止めれば優しく綺麗な物語になる。そうでしょう」

 

 七海はいつの間にか顔を上げていた。ごねる子供を窘めるような表情だった。

 

「やっぱり本は遠慮するよ。意味を掴むのに時間がかかりそうだ」

「じゃあ聞かないでくださいと言いたいのですが……というか、さっきから何をしているんですか」

 

 僕は自分のポケットをがさごそとし、「その話を聞いて、一個収穫があったんだけど」と言った。

 

「その話……収穫? 小説の話ですか」

 

 僕は一本、適当な飴玉を取り出す。

 

「その主人公も『星』になったんだろ。で、人間もよく、『死んだ人はお星様になる』って言うでしょ」

「……アナタはまず人間的な倫理観を学ぶべきだ」

 

 何かを察したのか、七海の声はやや刺々しくなる。

 

 

 最近は術式のコントロールも上手くできるようになったし、今のように新鮮な発見をすることも多く、清々しい気分だった。

 

 取り出した飴玉の棒を指でくるくると回し、窓ガラス越しの青空に掲げた。

 

 

「なるほど、本当に『星』になってるじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここの呪術師たちは、最期に死を畏れただろうか。

 墓石を見て、真っ先にそう思った。

 

 車内での会話があったからだろう。

 

 先程の任務の手伝いをした帰りのことだ。

 派遣先から帰る途中の車に乗っていると、たまたま通りかかった場所で七海が、「寄りたいところがあります。停めてください」と運転席の伊地知に指示した。

 

「どこに行くの?」横に乗っていた僕は訊ねる。

 

 七海は一言、「同期のところへ」とだけ答えた。

 

 それから七海は車を降りると、迷わず花屋へ向かったのだ。出てきた彼は花束を持って、自動車が辛うじて一台通れる程度の狭い道を、慣れた通勤経路を歩むように進んだ。

 鮮やかな花の、同僚に似た親近感の湧く、甘く青々とした香りも一緒に思い出す。

 

 

 僕の目の前で、七海は手を合わせている。俯いて沈黙しているから、静かな僧侶のような雰囲気があった。

 

 

「ここは死んだ呪術師のお墓なの?」と僕は言った。

 

 七海が、顔を上げる。彼の着ている白いスーツの下には、鉈を固定するサスペンダーが着いているらしく、それが薄く浮き上がっていた。

 彼が、がさごそと手を動かす。小さく水が跳ねる音がした。花の向きを整えているのだろう。

 

 

 僕と出会うまでの人生で、七海がどんな体験をしたのか想像もつかないけれど、呪術師はクソであり労働も同じくクソである、と彼は豪語する。

 だから、労働時間外の残業をする時は、いつだって「残業は人生のデメリット」として呪力量を底上げしている。呪術師を辞めればいいのに。本当に呪術師らしくない呪術師だ。

 

「同期って言ってたよね。前に呟いてた“灰原”って名前、この人だったんだ」

 

「呟きましたっけ」と七海はそう誤魔化した。追求しようか、追求しないでおくか迷ったけれど、七海に悪いので、「呟いてなかったかも」と答えた。

 

 墓石は綺麗に清掃されていた。じっと眺める。彼も死にたくないと願っただろうか。

 

「仲良かったの?」と訊ねると七海は、感情を悟らせない息を混ぜて、「同期ですから。それ以上に、彼は人が良かった」と言った。「あとは」

 

「あとは?」

「呪術師らしくない男でした」

「キミもだね」

「呪霊らしくない呪霊に言われたところで、何も思いませんよ」

 

 

 

 

「ここには、よくお墓参りに来るの?」

 

 首を動かし、周囲の景色や空気を受け止める。線香から漂う、渋い杉の香りや花の香りが、鼻に入ってきた。随分遠くで、鳥の声が聞こえる。

 九月中旬の風はまだ少し暑くて、首筋をやんわりと囲んだ。さっき歩いていた時の方が、全てが面倒になる陽射しを感じていたので、墓地の涼やかな雰囲気が気温を下げているのかもしれない。

 

「ええ、偶に」七海は立ち上がって、刻まれた名前を撫でる。「別に同僚が死ぬのは珍しいことじゃない。その全員に正しい死に方を求めるのは、苦しく険しい道だ」

 

「正しい死に方なんてあるの?」なら僕に殺された人は皆、正しくない死に方だな。

 

「アナタもいつか祓いますよ」七海が呆れる気配がある。

 

 彼はいつだったか、僕の祓除を買って出て以来、何らかの策を講じているらしい。

 ただ、近頃はその進捗が見られないから、計画は手詰まりしているのではないかと僕は睨んでいる。

 

「それは困るな」以外の言葉が思い付かず、自分の将来に対する無頓着さに悲しくなるくらいには、心配していない。

 

 

 胸の奥で、小さく灯っていただけの筈の蝋燭が、揺らいだ。七海が僕に関わる発言をする時、時折、こういうことがある。

 自分の命が脅かされることに対する忌避感だ、と本能的な側面の僕は断定する心地でいるが、本当は、これは少しずつ回ってきた幸運なのだろうな、と疑っている。

 

「人生山あり谷ありなんだから、そろそろ“山”が来てもいいでしょ」と与えられている気がしてならない。「折角の“山”なんだから堪能しときなよ。いつか帰らなきゃなんだし。これがずっと続くなんて思っちゃいけない。今が“山”なだけでさ」と、そう記憶を大切に灯しているのではないだろうか。

 

 だから僕は最近、この時間は貴重なのだ、と自分に言い聞かせている。今まで浪費してきた時間とは違うんだ、と。

 

 

「呪霊に殺された呪術師の墓地に来た気分は、どうですか。この下に眠っている私の同期も、土地神の一種に殺されました。その呪霊は、アナタもよく知る五条さんに祓われましたが」

「七海って時々、とんでもないことを言うよね」

 

 僕は、またかよ、という心地で言ってみる。凶悪な呪霊である僕に、七海が頻繁に口にするのは、責任と罪悪感についてだ。

 

「僕はこれでも、最近まではそんな頻繁に人里に降りてこなかったんだ。正直に言えば、僕が殺した訳でもない人たちには、何も思わないよ」

 

「だから特別指定なんて言われてるんですよ」七海の声は淡白だ。

 

 実際、その特別指定っていうのも、僕には心当たりがない。「初対面だなんて、よく言うよ」とほくそ笑むような言葉があったかと思うと、「この時代まで生きていたのか」と見直すような、驚きの言葉もあった。「先達も何してるんだか」と殺されかけた場面もある。

 

 それらの記憶を思い出していると、僕はまるで自分がとてつもなく重大な思い過ごしをしているような錯覚を受けた。

 

 

「古い記述は、確かに千年近く前です」訊ねると、意外にも七海はそう説明してくれた。

 

「……名前は?」

「残っていません。外見は似ているようでした」

「なるほど。じゃあ、封印された、とかは?」

「アナタは、封印されていた自覚はあるんでしたよね。記録にその旨の詳細はありません。突然姿を消したから、誰かが封印したんだろう、と判断されていただけです」

「結構適当じゃないか、それ。先達のせいにするのも違和感がある」

 

「祓い方が確立してないことが、それ程厄介だということです。居ないに越したことはないんですよ」七海がそう言った。

 

「あのさ実は、まだ誰にも言ってないんだけど」言わない方が良かったかな、と思いながらも続けた。「少年院で、宿儺……ああ、虎杖の中のだけど、宿儺に話し掛けられたんだ」

 

「何か指摘されたんですか」彼の口調には、僅かな緊張感が含まれている。

 もう少し驚いてもいいのに、と口の先まで出かかった。

 

「この時代まで生きてたのか、って。流石に千年間も生きていた自覚はないんだけど。その文献に残っている()()()呪霊は、宿儺の知り合いだったの?」

 

「一緒にいるのを見た、という記述はありましたよ」と七海は平坦に答える。「やはり、アナタのことなのでは? 封印から出てきた拍子に記憶がなくなった、と考えるのが自然ですかね」

 

「会ったことがある気はしたからなあ。封印から抜け出した方法も覚えてないし、僕としては、どうして抜け出そうとしたのかも気になるかな」

 

「単純に嫌なだけではないんですか」

「絶対に死なない空間なら、喜んで居続けてもおかしくないでしょ」

 

 生物は進化に時間を費やしたが、僕は停滞に時間を費やしているのだから、死なない空間が保証されるのならば、二つ返事で承諾してもおかしくない。にも関わらず、とてつもない嫌悪感に苛まれるのだから、きっと何が原因があった筈だと考えたのだ。

 

「確かに、性質的には理にかなってますね」

「でも封印するぞ、って言われたらすごく嫌だったから、トラウマになってるのかもしれない」

 

「ではこうしますか」と七海は考えながらなのか、ゆっくりと喋った。「仮に、何か思い出したとしたら私に伝えてください。社会では、あれもヤダこれもヤダは通用しませんから、それと同じです。封印も嫌だ死ぬのも嫌だ、と言うのであれば、情報を提示しなさい」

 

「面倒くさい」僕は、自分の顔が渋々さで歪んだのが感じ取れた。七海を取り巻く空気が冷たくなる。「はいはい、努力するよ」

 

「はい、は一回で結構です」

「じゃあ一個引いといて」

「叩き切りますよ」

 

 

 ここまでふざけた態度を一貫しても、お墓に向き合う七海から、いつもよりも柔らかい雰囲気が漂ってくることに気付いた。

 ただの朗らかで暖かい空気ではなく、寂寥が何層にも重なっている。

 

「……どうして七海は呪術師を辞め、……ようと思わなかったの?」

 

 危うく伊地知の失言に続き、僕まで失言するところだった。受け取ったパスを取り零すわけにはいかない、そんな気張り方をした。

 

「どういう思考回路で、その質問に繋がったんですか」

「だって……そこに、キミの友人がいるわけだろ」

 

 言いながら、隣を歩く人間と笑い合う、七海の姿を思い浮かべてみる。もちろん僕は、笑っている七海の顔も、隣に歩く人の外見も知らない。

 漠然と想像する他ないが、七海が声を上げて笑う姿は一向に浮かばない。

 

「そんな相手が呪術師の道半ばで死んだら、辞めよう、って普通思うでしょ」僕だって、逃げようとしたわけだし。「僕は呪霊だから、別に辞めるも何もないんだけどさ。七海は呪霊じゃなくて人間なんだから、他にも選択肢あっただろ」

 

 彼は無言だった。空気で、僕の言葉の意図を探っているのだろう。少しの間を挟んで、彼は口を開いた。

 

「一度は呪術師を辞めたことがありますよ」

 

 教えてくれるのか、と瞠目する。

 

「何でわざわざ戻ってきたの?」

「戻ってきた理由は主に二つ」

 

 七海は振り返って指を二本立てた。

 それを見た瞬間に僕は、何でピースしてんだ、と思ったがすぐに切り替えた。

 

「一つは、呪術師は言わずもがな、しかし一般企業もそれと同等にクソだと気付いたからです」

「そんなに合わなかったんだ」

 

 多分これはちょっと違うな、と思った。

 

 確証はないが、なんとなく微妙に誤魔化されている気がした。

 正解から外れているような違和感はないが、恐らく呪術師という職種に抱いた感想と、一般企業の労働者として抱いた感想は、別物だろうな、と小さな引っ掛かりを覚える。

 

 

「出戻った理由なんて、そんなもんですよ。別に一般企業に務めたからといって、奇跡を起こせる訳でもない」

「……でも、呪術師だって奇跡を起こせる訳でもないでしょ。『死』に近いのもこっちだ」

 

 そこまで口にしてから僕は、でも七海は死んでも“悔いはない”んだもんな、と背筋が凍る思いをした。

 その結論はどんな過程を経て辿り着いたのか、知りたい気もするし、知りたくない気もする。

 

「呪術師を志す者なんて、大抵どこかのネジが外れてなければいけない」七海はそう言ってから、「二つ目の理由は」と指を折った。「アナタも共感できるかもしれません」

 

「呪霊が共感できる理由って何だろ」

「普通の呪霊なら共感できませんよ。もしかすれば、呪霊らしくない性格のアナタなら、と思っただけです」

 

 

 え、と顔を窺うと、七海は一切の偽りもない様子で、自分の意思でというよりは偶然その発見に至った、という自然な表情だった。

 

「きっかけは、行きつけのパン屋の店員に憑いた蠅頭を祓ったことです。その際、私は価値のある言葉を頂きました」

 

 七海の言葉はえらく順序的だった。そもそも、彼の話はいつも大体理屈っぽいのだが、それにしても、順を追っている。

 何が言いたい、と僕は声に出さず首を傾げた。

 

 価値のある言葉とは何だ。

 蠅頭を祓って、彼は何を貰ったのか。

 

 

「あっ」と声を上げてしまったのは、その直後だった。

 

 

「私はその言葉から得た感情、満足感を、『生き甲斐』だと解釈しました」

 

 

 七海はそう言って、僅かに雰囲気を綻ばせた。

 

「私は社会から外れた歯車の一員になるより、自分が必要とされ、誰かのためになることを望んでいた」

 

 

 これが七海が呪術師を続ける理由か、と漠然と受け止める。

 

 それと同時に、僕はいくつかのことを反射的に、頭で考えていた。

 

 

「アナタも共感できるかもしれません」と、七海は言った。

 

「手を貸してくれるんじゃないんですか」

 先日、恐ろしい特級呪霊から逃げようと提案した時、七海はそう答えた。

 

「オマエにしかできねぇことがあるかもしれない」

 数日前、虎杖は公園でそう言った。

 

「映画、楽しみにしていてよ。この監督は期待できるんだ」

 順平は、僕の知らないことを、そう笑って説明した。

 

「これだけは言えるけど、君は今まで通り、余計なことをせず呪霊として生きるべきだ。じゃないと、いつか本当に死ぬよ」とは真人が、数週間前に僕に発した台詞だ。

 

 

 そして僕は、あの声を思い出した。

「悔いはない」

 

 

 

 七海が歩き出した。すぐ近くの道で散歩する親子を、墓を指差す子供とそれを宥める母親を、自然と見遣った。

 

 七海の言った「生き甲斐」の話が呪霊にも通用するのか、僕には分からないけれど、彼の言った通り、誰かに必要とされるのは、適用範囲を目一杯に拡張すれば、僕にも当て嵌るのかもしれない。

 

 振り返った七海は、その一端を掴ませるようなことを僕に言う。

 

「それで、感謝された気分はどうですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

帰らなければ、と思った。

 

 

 

 

 

 七海

 

 

 車に戻り、伊地知にひと声掛け、座席に置き去りにしていた本を拾い上げたところで、「七海さん」と呼ばれ、顔を上げた。

 前方の運転席に座る伊地知だった。

 

「そういえば、頼まれていたものを買っておきました。その紙袋に入ってます」

 

「ありがとうございます」

「別に買ってくるのは構わないんですけど、五条さんみたいな無茶振りではありませんし……、あの」

 

 頼まれた小さめのサイズの服、どうするんですか、と伊地知は言いたげだったが、七海は、「ご想像通りですよ。今後逃げられても、ある程度まで気配を辿れるようにするためです」と話す。

 

「まさか“縛り”を結ぶとかじゃありませんよね?」

 

 七海は肩を竦める。

 ふと思い立ち、紙袋を漁り、中身のパーカーのポケットの中に、手元のものを詰め込む。

 

「アレがそんなに警戒すると思いますか」とはもちろん、気抜けた様子で車に乗り込む挽歌を見て、軽口で言った。

 

 伊地知はほっと息を吐く。

 座席に着いた挽歌が、不思議そうな面持ちで伊地知に視線を向けた。

 

 

 七海が伊地知に頼んだものとは、自分の服に比べて、何サイズも小さめの()だった。色や形状の指定は何もしていなかったので、そこは伊地知の選択に任せていた。

 

 が、まさか白色を買ってくるとは思うまい。

 フード付きのパーカーは、普段から挽歌が着用しているものと同じだったので、まだ分かる。

 が、何故白色にしたのか、と七海は解せないでいた。

 

 

「あ、そういえば」挽歌が思わず、という具合に声を立てた。

 

「どうしました」

「これあげるよ」

 

 言葉を途切れさせた挽歌を訝しみ、「何を」と先を促す。表情を一瞥してから、視線を手先に向ける。

 

 一本の飴玉が握られていた。赤色で、数日前に挽歌自身が珍しいと騒いでいたものだ。

 

「……赤色の飴玉ですか?」

「あげる、これは食べないから」

 

 挽歌はまるで、部屋を掃除したら出てきた、由来不明のお守りを押し付けるように、七海に差し出した。

 気味悪がっていると言っても過言ではない。

 

「食べないって……これアナタの術式で作ったものでしょう」

「…………欲しがられてるんだよこれ、苦手なやつに。七海、キミにとっても悪い提案ではない筈でしょ。あ、でも、これは絶対にキミが持っててよね」

 

 

 確かに、仮に逃亡した際呪力を追うのに便利だとか、術式の解明が円滑に進むだとか、利点は思いつく限りでも沢山あった。

 しかし、それとこれとは別だ。

 

 七海の額に浮かんだ青筋に気付いていないのか、挽歌は、ジャケットのポケットの中に、赤色の飴玉を押し込んだ。

 

 そして伊地知に向かって、「今から()()に行くんだっけ? 姉妹コウ……忘れたけど、呪術師がたくさん集まるお祭り、やってるんでしょ」と平坦に言った。

 

 

 七海は数秒、言葉を失う。

 血が昇りかけた頭を冷やすために反射的に、身を乗り出す挽歌の頭を、縦にした拳で思い切り叩いた。呻き声と共に、がくんと頭が下に揺れる。

 

「ひぃ」伊地知が口の端から悲鳴を溢す。

 

 何すんだよ、と慄いて言ってくるのを無視し、隣に置いてある紙袋を押し付けた。

 

 

 中を覗いた挽歌が目を丸くする。喜びを隠そうともしない。

 キミがくれるだなんて、奇跡だよこれは、と興奮するかのように七海に目を向ける。

 

 

 

 

**

 

 

 

 彼女が近付いてきたことに、どうして気付かなかったのだろう。

 

 不思議で仕方がなかった。知り合いの呪力や気配には比較的敏感なつもりだった。

 誰かが歩いてくる気配は感じ取っていたのだけれど、それがあまりにも突然だったので、気に止める暇もなかったのだ。

 ここ最近で、気が緩んでいたのかもしれない。

 

 

「気は済みましたか」と隣から声が聞こえたので、はっとした。

 

 静かに隣に、立ち止まる草履の音がする。

 

「裏梅?」

 

「いかにも、裏梅です」彼女は満足気に名前を読み上げるようにした。「こんなところで、何をしているんですか」森林に面した川辺で、辺りを見回している。

 

「高専の中には入れないから、敷地外で待ってたんだ。中に入ったら、もしかすると結界が反応するかもって」

 

「まだ呪術師と行動していたんですか……。雰囲気、変わりましたね。そろそろ曲がった臍も戻るんじゃないかと、頃合を見計らっていましたが」

「監視してたの?」

 

「一応」裏梅は事もなげに、そう答えた。「その内、どこかで死んでしまうのではないかと」

 

「夏油から言われてるんだろ。律儀だね」

「協力関係ですから。別に、それだけではありませんが」

「……なんだかんだ裏梅って、意外と優しいよね」

 

 するとそこで裏梅が一瞬、言葉を止めた。僕を見下ろしている。

 

「どうしたの?」と声をかけると、裏梅は小さく息を溢した。「貴方には、相変わらず変なところがあるんですね」とまるで、感心したかのような口振りだった。

 

「僕からすれば、今のキミの方が変だよ」

「そうでもないですよ」

 

 裏梅はそこで、花が綻ぶような声を溢した。彼女の声は元から澄み切っているので、大声でもないのに耳の奥まで届く。

 

「帰りましょう。私にも仕事がありますから、手間取ると何をするか分かりませんよ」

 

 彼女のその台詞は、随分と遠くを示すように話されたのかもしれない。

 空気の波に音が乗ったように、周囲の音が流れていく。それが漂って、高専の敷地に流れ込むように思えた。ひやり、と凍りつきそうな呪力が纒わり付く。

 

 

 ああ、そうか、と納得する。

 多分、僕がここ数週間好きなように生きていられたのは、彼女の動機不明の気遣いのおかげなのだな。僕の想像でしかないが、曖昧な確信があった。

 

「吉野順平と関わって、何か得られましたか」とは、裏梅と最後に会った時に訊ねられた言葉だ。

 

 きっと夏油は、僕がこうしていつ死ぬか分からない呪術師側にいることに反対だったに違いない。

 それでも僕が自分の選択肢に沿って過ごせたのは、彼女が夏油に何らかのアプローチを仕掛けたからだろう。胸の中に、複雑な苦味が広がる。

 裏梅の意図が読めず、警戒すべき事態なのかも判断ができなかった。

 

 

 視界の端で見覚えのあるエプロン姿の呪詛師が、斧を肩に担いでいた。視線を感じる。

 

「……もしかして、キミたち、襲撃しに来た?」

「まあ、間違いとは言えません。面倒なことをしますよね、()()()()()も湧くでしょうに」

 

 反発する輩とは誰だろうか、と考える。頻繁に頭の火山を燃え上がらせる同僚の顔が浮かんだ。

 

「きっと、漏瑚あたりは来てないんでしょ。何でわざわざ人間のところに、って」

 

「ああ、随分と詳しいですね」裏梅は曖昧に、淡々と言い放つ。「来てませんよ」

 

 

 右の方向から、小さな声が聞こえてきた。杭を刺す金属音の後に、石を蹴飛ばすような、ゴミをポイ捨てするような、適当な声だ。

 内容までは把握できないけれど、空に黒い影が降りていたから、帳を下ろしているのだろう。

 

 

「何をする気なの?」僕は複雑な感情がせめぎ合いながらも、訊ねた。

 

「作戦の一環ですよ。実験でもありますが」

「作戦って……っ待ってよ、中に──」七海が。

 

 死んで欲しくない人間がいる、なんて言えるわけない。

 

 

 口走るが、途中で胸に空いた穴に冷風が吹きすさび、喉元を塞ぐ。

 すかさず裏梅が目線を送ってくるので、言いかけた単語は霧散した。

 

 

「帳の完成度は充分ですね、あとは強度の確認ができれば上々」

「……あれキミが作ったの?」

「気になりますか」

 

 彼女が、どこかの誰かと似た言い回しを使うので、僕は反射的に首を振り、話題を転換する。

 

「高専の中に飛び込んだら、結界が反応するんでしょ。誰が来てるの?」

 

「植物の呪霊ですよ」裏梅がそう答えた。「花御、でしたっけ」

 

「ああ、花御には反応しないんだ」

「まあ」

 

 それほど適当な返答があると思わなかったので、僕はびっくりした。「そう」と頷き返す。

 いつの間にかエプロン姿の呪詛師はいなくなっていた。

 

 

 呪物の回収は上手く行きそうですね、と裏梅が目元を弛める。僕が居ぬ間に真人と夏油が様々な作戦を練っていたのかと思うと、焦りと不満が自ずと湧き上がった。

 

「呪物の回収って?」と訊ねると、裏梅はやんわりと表情を和らげながら、「高専保有分の、“指”の回収です」と答えた。

 

「っ、両面宿儺」

 

 思わず呟いた瞬間、ぱり、と薄氷に亀裂が走るように、呆気なくいつしかの夢を思い出す。あれは確か少年院で虎杖を殺した際に見た時のことだ。

 宿儺と目の前にいる彼女、裏梅が共に歩いている光景を、見た。

 

 

「────話は終わりです」

 

 裏梅の不可解なところは、そういう台詞を、冷淡ながらも気遣うように言うところだった。

 

「既に、撤退方法は複数準備してありますから、言う通りにしてください」

 

「……分かったよ。従えばいいんでしょ」僕は、降参するように、両の手の平を広げてみせた。「あんまり大事にしたら駄目だよ。キミも指名手配されるかもしれない」

 

 

 細かく瞬きをした彼女は、「心配は無用ですよ」と息を溢した。「長生きしてますから」

 

 

 夢で見た景色を、再度思い浮かべる。あれが生前の宿儺であれば千年は昔のことであるし、何より、彼女の見た目と年齢が釣り合わない。

 人間って、そこまで長生きできたっけ、と呆然としてしまう。

 

 

「そういえば、服、変えました?」彼女があっさりと言うので、僕は少しだけ拍子抜けをした。「ええ、いきなり? 変えたけど」

 

「白色の服なんて、目立ちますよ。貴方はただでさえ、目をつけられているのでしょう」

 

「まあね、でもこれは良いんだよ」貰い物だし。「何か言われても、裏梅も白色じゃないか、って主張しようかな」

 

「本当に貴方は……」

 

 呆れた様子の裏梅は僕に背を向けた。その後、僕に複数の逃げの算段を伝えると、「先に戻っていてくださいね」と周囲を凍てつかせた。

 それはお願いする態度ではないよ、と思いながらも僕は、何度も頷いた。

 

 高専に背を向けて、言われた通りの場所へ向かう。

 裏梅がどこかへ行こうとするのが、遠ざかっていく足音で分かった。冷たい空気が、後を追う。

 

 

 彼女がいなくなるなり、僕は白い服のポケットの中に()()()差し込まれていた、「短編集」を手に取る。

 七海はもしかすると、僕がいつか逃亡することに気付いていたのかもしれないな、とページをパラパラと捲りながら歩いた。

 

「……それにしても文字が多いなぁ」

 

 脳裏に関連項目として浮かび上がったのは、真人と共に見た映画のエンドロールだ。

 

 

 僕は妥協するような心持ちで、ポケットから例の紙きれを取り出すと、件の短編に挟み入れておくことにした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 洞窟の奥から、愚痴に似た小声が聞こえてきた。

 

 岩肌で反響して、結局俺何もしてないよ、怒られちゃうかな、と残念がる様子が伝わった。

 聞き覚えのある声だ。言葉とは裏腹に不安が一切ないのが、分かった。音の出所を確認して、足を急かす。

 

 その直後、がらがらと落石の音と重量感のある物体が落ちてくる音が、同時に響いた。

 

 

「それに比べて」男が、明らかに誰かに話し掛けている。「君は働きすぎ」

 

 

「……あ、模様の人か」

 

 特別印象深かった訳ではなかったけれど、不思議な特徴がある分、覚えやすかった気がする。

 数回しか会ったことはないが、目元にある模様が増減するのだ。金色のサイドテールがやけに長くて、人間の中でも目立つ外見だと言える。

 僕と会って暫くすると時々、目元の模様が()()()()()()()ことがあるので、気分によって変化するのだろうか、と疑問を抱いたことは少なくない。

 

 

 あーあ、と彼は言った。誰かが倒れる音がした。

 暫く会っていなかったから、懐かしくも思える同僚が倒れる音だ。

 

 花御、と唇が勝手に動く。

 僕は意識するより先に駆け出していた。

 

 模様男の靴が地面を叩く音と、「かわいそ」と呟く声が、正面方向、岩壁を曲がった先へと近付いてくる。それに合わせて、血の臭いも濃くなっていく。

 

 

 

 飛び出してまず最初に目に入ったのは、左半身が大きく損傷した花御が、倒れて微動もしていない姿だ。

 続けて、おかしな刀を携えて花御に近寄る模様男が、遅れて僕の視界に入る。

 

「────花御っ!」

 

 覆い被さるように、僕は倒れた花御に身を寄せた。傷だらけだが、呪力の流れは感じる。まだ死んでない。よかった、と安堵する自分に驚く。

 

 え、と彼が立ち止まり、訝しさの混じった声を出す。「あれ、いなくなったって聞いてたけど」

 

「いや……というか、何する気だったの」

「えー、そんな怖い顔しないでよ。苦しそうだったから、助けてあげようとしただけじゃん」

 

 彼は本心から案じていたのか、それとも嘘を吐いているのか、この時点では判然としなかった。

 

「優しさなのになあ────呪いにこの機微は分かんないか」

 

 そこで、僕はむっとする。「怒るよ」

 

 その、怒る、という行為自体の方法が僕には分からないけど、とは付け加えなかった。気化した感情が、肌から浮き上がって空気に溶けていく。

 

 

「ま」彼はそこで一旦言葉を止めてから、「待ってよ」と続けた。「俺たち、今は仲間でしょ。戻ってきたなら合流したいんじゃないの?」

 

「え」仲間?

 

 急にそんな調子になるので、今度はどうしたんだよ、と僕は呆気に取られた。

 

 

 彼は何に焦っているのか分からないが、顔色をなくし、持ち手が“手”の形をした刀の刃先を僕らに向けた。よく見れば小刻みに震えているが、正直僕も急に刃物を向けられれば、怖い。

 

 どうにかしてくれ、と視線を下ろす。

 足元には、花御が身動き取れずに横たわっている。

 

 

「挽歌は、強い術式があるのに使わないから、宝の持ち腐れだ」と頭の中で声がする。真人の声だ。

 地下水路で実験を繰り返しながら、ぼんやりとしていた僕に向けて、「気付けば欺き、誑かし、殺し、いつの間にか満たされる。それが呪霊の本能なんだよ。魂は本能と理性のブレンドだし、俺たちは理性を獲得したけど、それは本能に逆らう理由にはならないんだ」と偉そうに力説していた時の言葉だ。

 

 

 数日前、廃村で、攻撃から七海を庇おうとした際とまったく同じで、無意識に手が持ち上がる。冷静さを欠いて僕を睨む相手に、自分の手のひらを見せる。

 

「やっぱり、術式の成長には動機と求道心が必要なんだよ」と真人の声が後頭部で響く。

 

 刀が振り下ろされると同時に、空間を握る。

 

 

 

 ぎゃあ、とゴツゴツした洞窟の地面に、模様男が尻もちを着いた。 反響した声が僕の脳にも遅れて伝達された。

 

 僕は我に返る。

 手の中には何も無い。代わりに男の目元の模様が、三つ欠けている。その仕組みに、大凡の予測がついたところで、冷や汗が背中を伝った。

 

 花御の下に潜るように持ち上げ、たたらを踏み、よろつき、立ち上がった。重いが、それどころではなかった。

 

 やったよ真人、と思う。いや、やっちゃったよ、七海。

 

 

 

「お疲れ」

 

 模様男の後方から急に声がして、僕は驚いた。脚がびくっと動き、危うく花御を落としかけてしまう。三歩程後ろで躓いた。

 

「なに驚いてんの」語調は呆れるようでいて、どこか朗らだ。

 

 いつの間にか僕と替わるように花御の肩を支えた彼が誰なのか、すぐに分かった。継ぎ接ぎ顔で、常に余裕綽々とした空気を持つ、真人だった。

 

 

 彼は目を細め、起き上がろうとする模様男を、見下ろしている。冷たい視線だった。

 

「人間のくせに勝手すんなよ、殺すぞ」

 

「わ、わかってるよ」模様男は尻込みつつも、「で、ブツは?」と質問を投げかける。

 

 その瞬間、ぱっと張り詰めた空気が綻び、真人は目配せをした。「バッチリさ」

 

「ブツ?」宿儺の指か。

 

 

「特級呪物“両面宿儺”の高専保有分、六本」戦果を確かめる狩人の如く、真人は続けた。「そして同じく特級呪物“呪胎九相図”、一番から三番」

 

 それは聞いていない。

 

 

 

 

 花御と真人の後ろを歩き、出口へと向かう間、僕はどういうタイミングで切り出そうかと悩んでいた。

 すると真人が、「それで、挽歌はどうしたの」と訊ねてくるものだから慌てて、「どうしたのって、そりゃ」と口走るが喉が詰まる。「気が変わっただけだし」と花御の影に隠れた。「好きなように生きるべきって言ったろ」

 

『…………真人』

 

 花御が意識を取り戻し、口を挟むので、てっきり僕を責めるのかと焦ったが、よく聞けばそれは真人を咎めていた。

 

「花御は優しいね。分かったよ」真人にはぞんざいさはなく、相手との距離感に悩み、何から話すべきかと迷っている様子だった。

 彼はおもむろに肩にかけた荷物を、僕に渡した。

 

「持っててよそれ」

 

「あ、うん」と僕は両手で抱えた荷物を見つめた。「九相図って、受肉するの?」

 

「受肉させて、協力してもらうんだ」

「え」

「夏油が提案したんだけど、俺も賛成だったよ。手数が増えるのは悪いことじゃない、漏瑚や花御、陀艮の負担も減るだろ」

 

「僕は解雇?」

「は?」

 

 新しい働き手が増えたのなら、と僕は居場所がなくなることを恐れたのだが、それは言わなかった。

 

 真人は数秒間硬直し、花御と顔を突合せる。

 やがて彼は僕の思考を想像したのか、ぷっ、と頬を膨らませると、馬鹿だなあ、と吹き出した。

 

()()でしょ。──おかえり挽歌」

 

 僕に仕出かしたことの件については許していないし、仲間、と断言できるかは別として、僕は数日前に出会って別れた「鬼」の呪霊を彷彿とさせる言葉に、胸の中の蝋燭が灯る気配がした。

 

 ただいま、と拙く、小声で返す。

 

 

 

「花御はどうだった?」真人は飄々とし、異様な陽気さを漂わせて投げかけた。それから、早く戻らなきゃね、と言い、模様男を先導させて、どんどんと歩いて行った。

 

 花御はやがて、ともすれば消えてしまいそうな声で、答えた。『……殺意にブレーキをかけるのは、ストレスが貯まりますね』

 

 真人と花御の間にどんなやり取りがあったのかは知らないが、花御の声には気恥しさや情けなさを通り越して、狂喜や興奮が感じられた。花御も漏瑚みたいになるのだろうか。

 

 

 真人は言う。「花御も呪霊らしくなったね」

 僕は言う。「僕の我慢強さ、褒めてくれてもいいんだよ」

 

 

 

 

帰路に呪霊(了)

 

 

 




 次章からまた呪霊サイドです。あと今まで描写していませんでしたが、以前までの挽歌の服は黒っぽい服でした。

 評価、お気に入り、しおり、誤字報告等本当にありがとうございます。次章は話の都合上、書き溜めが済み次第投下する予定です。
 今後ともお付き合い頂ければ幸いです。
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