死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 ※本誌で宿儺P現役時代が深堀される前に捏造入れます。
 ※この世界線ではあの呪物を早期に発見できてる設定。……ユルシテ……ユルシテ……。

【追記】2022/02/19
 誤字報告ありがとうございます。訂正させていただきました。大変助かります。


名体不二と■■[1/3]

 

 その日、僕は、気色の悪い匣の中に閉じ込められた。

 

 

 閉じ込められる、とはもしかすると誤表現かもしれない。

 一応、僕がこうなったのは自分が蒔いた種でもあるし、なにより、最後の決断に踏み切ったのは自分自身だ。

 

 

 僕を待ち受けていたのは、あまりに広く、あまりに恐ろしい、空間だった。その場にいる僕をあらゆる方向から監視するかのような、暗闇がある。

 カラカラと音を立てながら骸骨たちが這い寄って来ていた。

 

「源信」という僧侶の成れの果てが、この「獄門疆(ごくもんきょう)」という呪物らしい。その僧侶は、「死の恐怖」を取り払う教えを人々に授けたそうだ。

 彼のような人間が世界中に溢れていたら、そもそも僕は生まれていなかったかもしれないな、と思う。

 

「獄門疆」の名前から察するに、此処は、箱型に凝縮された地獄だった。見渡す限り、果てまで暗闇が拡がっている。

 

 

 

 

()()()()()()に見つけたのは、幸運だった」と縫い目の男は、匣を見て呟いていた。

 

 

 どうやら中々に価値のあるものらしい。が、そんなことはどうでもよかった。

 骨が擦れる音から、以前何度か訪れた市井で聴いた、人間が奏でる弦楽器の音を思い出させる。お世辞にも、骨の音と楽器の音を同価値に捉えることはできないけれど。

 

 

 

 

「オマエには趣を理解することなんぞ、出来ないだろうがな」と、少しの時を共に過ごした友人は嘲り、着物の袖から四本もある腕を揺らした。

 

 その時に、「みなまで言う必要は無いかと」と白髪の少女は咎めるように口を挟んだが、愉快さが隠しきれていなかったのは、考えずとも分かった。

 

「流石に分かる」

 

 そう異議を申し立てたのは、純粋に彼の価値観に反対してやりたかったからだ。認めてしまえば、僕は雅を欠片も知らない木偶だ、と名乗り上げるようなものだと思った。

 

 そんな本心を察してか、「どうだかな」と彼は歯を見せた。

 

 一歩後ろから、彼を見上げて白髪の少女も、肩を揺らす。まさかその時は、彼女まで僕の封印に加担するとは思ってもみなかった。

 

 

 

 

 浅く水が張られた地面を見下ろす。細かな振動が伝わった水面が、円かな波紋を描いた。

 天を見上げる。太陽が無いので、今の時刻が分からない。

 暇を持て余し、口の中に飴玉を放る。味はしないが、唯一拠り所になる物体だし、充足感のようなものがあった。

 

 

 

 

「百、いや千年だ。その先でまた会おう」

 

 額に縫い目のある男が、僕を封印する前に言っていた。隣には、白髪の少女がいた気がする。

 

 例の、赤褐色の飴玉を両手で包み込んだままだった。

 まだ食べていなかったのか、と拍子抜けしたが、食べないなら食べないで、それでも構わなかった。視線は足元に固定され、表情は読めない。

 

 彼らの傍に、人々の恐怖の象徴にまで上り詰めた彼は居なかった。簡単に呪術師に殺られるような男では無いことは分かっていた。

 しかし、此処にいないとなると邪推したくもなる。目の前の男の誘いに乗った可能性すらある。

 

 

 胸の内に複雑な気持ちが湧いたが、一先ず無視をして、取り敢えず、「千年後?」と訊ねることにした。「何がしたいんだ」

 

「これから、呪術は廃れていくだろう」

 

 男が確信めいた声を出す。

 

「でも、必ず再び呪術全盛期を戻してみせる。だから、その時にまた会おうじゃないか」

 

 彼は手中で何かを弄びながら、歯茎を見せ、口元を歪めた。それは、快活な笑顔とはかけ離れていた。

 

「それまで、この中に居てくれ」

「この中にいる必要、ある?」

「君にも待っていて欲しいんだよ」

 

 男の言葉を耳にして、てっきり僕は「新しい時代を作るから、待っていてくれ」という温和な誘いだと思った。

 が、「キミは弱いから」と彼が即座に付け足したので、思わず拍子抜けした。「勝手に死ぬのは止めて欲しい」の意味だった。

 

 

「……別に、本当に死んだりしないよ」

 

 彼は口元を右手で隠しながら、左の手のひらを前に広げ、「分からないだろう」と喉を震わせた。

 

 手のひらに乗っている匣には、沢山の目玉が付いていた。

 

「この中には、キミが求める(死なない)世界があると思うけど」

 

 ぎょろりと剥いた目がこちらを見る。

 耳を傾けながら僕は、彼の隣にいる少女に視線を向けた。何かを覚悟したかのような表情をしており、その様子をやけに不思議に感じる。

 

 そんな中、彼らと共に過した短い時間が、頭に蘇った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時だった。

 

 僕が山道を歩いていると、木々の奥に、人型の姿があった。郊外で、道に篝火はない。呪霊ともなれば、暗闇だからといって行動に支障はないが、生きた人間は別だろう。

 

 であれば、尚更何故、こんな時間の山奥に居るのか。

 

 首を傾げ、歩調を緩めずそこへ向かう。

 曙色の髪に、女性物の着物、そしてそこから垂れ下がる四本の腕、僕は目を瞠った。

 ただの人間にしては呪力が多過ぎた。かと言って、呪術師の類にしてもその呪力はあまりに穢れている。どちらかと言うと、僕らの側に近い。生きたまま、呪いとして確立しつつあるのだと思った。

 

 

 夏の終わり、物悲しげな寒蝉の声がよく通った。

 静まり返った湖に、一石投じるようだと感じた。人里離れた山中では、人の声の代わりに虫たちの声が花を咲かせている。それが一層、目の前の大男の異質さを際立てていた。

 

 二、三度瞬きを繰り返す。

 大男が顔をこちらに向けた。二対の目が、道端の小石を見るように、僕を睨んだ。

 

 そう言えば、音に聞いたことがあった。

 数々の呪術師が祓おうと立ち向かい、その都度手も足も出ず敗れる、幾多の術師たちの努力が水泡に帰すほど、強力な呪いを持つ男が居る、と。

 

 

 二対の眼球二対の腕、常軌を逸した呪力量、そして圧倒的な威圧感から、彼が噂のその人なのだと思った。

 

 

「どうも」

 

 僕は挨拶し、先を急ぐ。

 行先は決めていないが、僕を祓いに呪術師が来ているらしく、拠点を改めなければならなかった。

 男は微動だにしないが、まるで、一本の大樹のような存在感がある。

 何となく、気休め程度に更に一歩脇に退き、すれ違おうとした。

 

「おい」と、唐突に呼び止める声が響いた。

 

 最初は誰の声だという思考が巡ったが、すぐにこの男の声だと分かった。男が半身を、僕に向けていたからだ。

 

「……はい?」

 

 何と答えるべきか測りかね、取り敢えず返事をしてみる。不自然ではない筈だ。

 

 彼は顎を持ち上げると、「オマエ、一体何だ」と訊ねた。高圧的な仕草がやけに似合う男だというのが、正直な感想だった。

 

 

「……身分?」

「馬鹿言え、オマエの在り方だ」

 

「在り方?」疑問に感じ、首を傾げる。

 

「人間とも呪霊とも言い難い。一体何から生まれた?」

 

「あぁ」納得か驚嘆か、自分でも分からないがとにかく反応を示して、「何だそんなことか」と内心で呟いた。

 

 

 

「────キミ、()()宿()()って呼ばれてるでしょ」

 

 断りもなく、砕けた口調で男を呼び捨てにしてみる。

 

 人によっては、これで心の距離というものを詰められるらしいが、彼はその理論に合致しないらしい。

 満足な返答を得られなかったからなのか、それとも不遜な態度が気に入らなかったのか、彼は目を細めた。

 

「俺を前にしてその態度か。良い、一度は許そう」口元を和らげ、「何者だ」と訊ねる。

 

 鋭利な刃物を喉元に突きつけられた気分だった。

 

「立派に、人の思いから生まれた呪霊だよ。キミより弱いけど」

 

 僕は本心から言ったのだが、それを聞いた彼は怪訝そうに顔を顰めて、「それは当然だ」と口を開いた。

 

「オマエは何故生きている」

「初対面でそこまで聞くの」

 

 生まれの次は、更に踏み入った内容を訊かれ、唖然とした。踏み入られたくない領域を、土足で荒らされているような、そんなざわめきがあった。

 

「三夜通ってからにし──」

 

 深い意味は無いが、彼が諦めるような言い回しを使ったつもりだ。

 

「──てよ」

 

 

 その瞬間。

 

 

「二度はないと、そう言った筈だが」

「ぐぇ」

 

 

 目前に、宿儺が迫っていた。目を見開くより先に、彼の手が僕の首を掴む。

 そこから、ゴキリという鈍い音と刺すような熱さが、脳に伝達されると同時に、全身の力が抜けて地面に崩れ落ちた。頬を土に着けて数秒後に漸く、首を手折られたのだと理解した。

 

 

「どうした、何故立たん」

 

 真上から落ちてくる宿儺の声に、はっとする。

 

「死んだわけではあるまい」

 

 気が付くと、視界がはっきりとしていた。

 

「いや、死んだよ今」両腕に力を入れて、僕は立ち上がる。

 

 彼が愉快そうに口を歪めた。

 

「こうして俺と話しているではないか」

「死んだもんは死んだんだよ」

「違うな」

「違くないよ」

「真に死んだのは、オマエじゃないだろう」

 

 歌うような声音で、宿儺が嗤った。

 

「……キミには関係ないでしょ」

 

 初対面の人物、ましてや呪いに近い存在に言い当てられるとは思わず、ムキになった。いや、両面宿儺が恐怖の象徴だったからこそ、僕の生態を初見で理解したのかもしれない。

 いつの間にか、此方に向き直っていた宿儺が一歩踏み出す。僕は一歩後退った。

 

 

「興が乗った、俺に着いて来い」

 

 副右腕を腰に当て、宿儺が持ちかけた。

 

 ただの提案なのに、それは何よりも重い言葉に思える。世界から音が消えたかのように、鼓膜を揺らしていた寒蝉の声すら、今は聴き取れなかった。

 沈む太陽を後押しする夕下風が、地面を這う。足元を縛りつけられた心地がして気分が悪い。

 

 僕は呪霊で、宿儺は生きた人間であるにも拘らず、力の差は歴然としていた。

 

 

「……断ったら?」有無を言わさぬ問いに、無理を覚悟で抗う。

 

「なに、殺すまでよ」

 

 ふんと鼻を鳴らす仕草は、僕を急かしているように見えた。

 

「無論。実際に死ぬのはオマエではなく、別の誰かだろうがな」

 

 内心の憂鬱をそのまま映し出した影が、夜の暗闇に伸びていく。

 自分の命に比べれば、他人の命なんて安い、と考える人もいた。僕だってそう思う。だのに、口は動かなかった。

 

 背中を押す風によろめきながら、僕は一度だけ首肯した。風は、森の更に奥へと足早に抜けていった。

 木々の葉が揺れる音に、男が満足そうに踵を返す。何処へ行くかは知らないが、僕もその後に続いた。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 宿儺の歩みが止まる。その背中に続き、僕も立ち止まった。

 

 

 森を抜けた先に、朝焼けの光が見えた。柔らかな風に揺れる葉の音が、頻りにささめいている。昨晩森の奥に逃げて行った風が、此処で踊っているようだった。

 

 結局、僕はあの後、宿儺に導かれるまま、無言で背中を追いかけた。宿儺にとっては、差し障りない帰路の時間だろうが、僕にとっては整理の時間だった。

 意図は読めないし、目的も不明な上、下手を踏めば殺される。島流しに遭って、いろは唄でも吟じる方が、まだ心の余裕があるのではないだろうか、と馬鹿な考えが過っていた。

 

 

「オマエは何を目指す」

 

 振り返らずに道中で口を開いた彼は、心做しか愉快げな声音をしていた。

 勿論、彼は背中を向けているため、詳しい様子は把握できないのだが、どこか楽しげな雰囲気はあった。

 何と答えたかは、覚えていないくらい朧気な返答をしたようで、思い出す価値もないだろう。

 

 

 おい、と宿儺が喉を震わせたところで、漸く目的地に辿り着いたことに気付く。

 

「此処は……?」

 

 僕は、宿儺の背後から顔を覗かせ、目の前の景色に目を瞠った。

 

 空を映す湖に、桟橋が掛かっている。その先に、鮮烈な赤があった。赤い社だ。屋根には豪勢な意匠が施されており、少なからず禍々しさを感じさせる。

 これ以上見るべきでない、と訴える本能に反して、眼球は食い入るように社を映していた。この場所だけが、空間から切り取られて別の世界に存在しているような、そんな印象を抱かせた。

 

 宿儺が桟橋に足をかけ、慣れた動作で渡っていく。当然だ、此処は彼の拠点なのだから。

 

 

「この場所に踏み入れられるような術師は居ない。オマエ、追われているだろう」

 

「まさか庇ってくれるの?」僕は後を追い、訊ねる。

 

「馬鹿が。オマエはただの暇潰しだ」質問を一蹴し、僕を見る。「来い」

 

「僕は愛玩動物じゃないよ」

「図に乗るな、不愉快だ。可愛がる気など毛頭無い」と彼は眉間に皺を寄せた。

 

 僕は、「訊いてもいい?」と言うことにした。

 

「許す、言ってみろ」

「僕はキミが思うより、キミを楽しませる存在じゃないよ。自慢じゃないけど、意味のある生を送ってきた訳じゃないからね。たくさん人は殺してきたけど」

 

 今後、やっぱり面白くないから、という理由で殺されることを防ぐ、前口上のようなものだ。

 

「何か面白い点ある?」と言う。

 

 僕より、キミの方が殺してるだろうけど、と思わず続けそうになった。

 

 

 宿儺は心底面倒臭いという顔つきだったが、それでも、主右腕を額に当てながら、「気にすることでもなかろう」と答えた。「いや、気にしない方が愉快だ。気にするな」

 

 それは気にしろという前振りだろうか、と僕は内心で解釈する。

 

「一つ言ってやるとすれば、オマエという存在の矛盾だ。ここまで歪な呪霊は、さしもの俺も見たことがない」

「歪な呪霊」

「ああ」

 

「普遍的な人型の自信があるんだけど」僕は首を傾げた。「歪んではない」

 

「ケヒッ」

 

 彼はそんな返事が来るとは思ってもいなかったらしく、身体をくの字に曲げ、直ぐ様仰け反らせるような、慌ただしい様子を見せた。

 

「ヒハハッ、本当にオマエは馬鹿を体現したような呪霊だな」

「失礼な」

 

「はー」と宿儺は気の抜けた声を出した。

 

 笑うのに使った筋肉に、空気と休息を行き渡らせるような、雁渡の音だ。

 

「……まさか今みたいな歓談が目当て? 鏖殺(おうさつ)が常套手段のキミが?」

 

「はー」と今度は呆れ果てた声を出した。

 

 空気の抜ける音には、空っ風のような虚しさがある。

 部屋の隅に塵を見つけた際の様子で、「馬鹿を曝け出すのも大概にしろ」と失態を責めるように吐き捨てた。

 

 僕は、桟橋の中腹で眉を下げる宿儺の様子を見ながら、絵になる男だなと思った。

 彼の態度は、まるで苛立ちを顕にするのも億劫で、むしろ苛立ってしまえば、己の方が愚かだと律しているようだった。

 

 僕からすれば、ここまで尊大で傲慢な人間は、未だかつて見たことが無い、と新発見をした気分にもなる。

 

 

「そんなに歪?」と自らの過去を振り返り、「何もしてないけど」と思い返す。

 

 宿儺は一瞬、全てを見透かしたように目を細めて、口角を上げた。

 

「何もしていない、か」

 

「本当だよ、僕は何もしてない」

「そこが歪だと……まぁ良い。どちらにせよ、馬鹿には分かるまい」

「何? 聞こえなかった。あと馬鹿じゃないよ」

 

 

 宿儺はそれに返事をせず、無言で社に戻って行く。

 

 空は見えるだろうか、と上を見上げると、生い茂る葉にぽっかりと穴が空いて、光が降り注いでいた。

 雲はなく、白に近い水色が滲んでいる。果てしなく広がる、穏やかな静謐があった。一頻り葉を揺らした風は、きっとこの穴から空に登るのだろう。

 空色の空に、頭が揺さぶられる心地がした。

 

 

 

 

 

 

「宿儺様、彼は?」

 

 訝しげに、少女が眉間に深い溝を作った。

 

 

 その日は、それ以降宿儺と会話をすることなく、境内を歩いた。特別広いわけではなく、迷うことは無かった。

 宿儺は此処に着いて早々、奥に籠っていた。僕は呪霊だから休眠を欲しないが、あれでも宿儺は一応生きた人間だ。

 

 やることが思いつかなかった僕は、今一度桟橋に足を踏み入れた。水上にあるというのに、木材に腐った様子は見られない。仕組みは分からないが、何かの術を施しているのだろう。

 

 太陽が昇っている。昼前の明るさと、森林の空気は非常に和やかだった。立ち尽くしたまま、何も考えず、虚空の一点を見つめてみる。

 思考が真っ新に染まり、木々のささめきと、小川のせせらぎの音だけが脳を占めた。目を閉じて、その僅かな音も意識の外に排斥してみる。

 

 このまま空気に溶け込めるような、そんな気がしたのだ。

 

 

 パチン、と。誰かが枝を踏み折る音がしたので、目を開く。

 気付けば、桟橋の先に白髪の子供が立っていた。社とは対岸だ。森の奥から抜けてきたのだろうか、と目を丸くする。更に驚くべきことに、彼女か彼か、その子供の視線は確かに僕を捉えていた。

 

 

「……もしかしてだけど」

 

 僕は桟橋の中腹から、静かに訊ねた。自然の音を消さないように、囁くような小声だ。

 

「見えてる?」

 

 子供は一切表情を動かさない。石の仮面を貼り付けたかのような、頑固さを感じさせた。

 

 

「────来たのか」

 

 いつの間にか、社から宿儺が姿を見せていた。

 

 その時に初めて、子供は少女らしい声で、「宿儺様、彼は?」と無表情を崩したのだ。

 不快さより、どちらかと言うと当惑が目立つ。

 

「御客人ですか?」

「いや、娯楽だ娯楽。拾い物の呪霊だ」

 

 僕はそこで、「その紹介はいくら何でも酷いのではないか」と抗議しようとしたが、したところで徒労に終わるのは目に見えていたため、宿儺を無言で睨むことにした。

 

 粘着性のある視線を、宿儺は副左腕の手のひらで払うと、「出るぞ」と一言だけ放つ。

 

 

 

 

 

 市井に繰り出すのだと、宿儺が謳った。

 そこからは、詳しく語るまでもない。

 

 宿儺は逃げ惑う人々を皆殺しにしたし、駆けつけた呪術師たちに、わざと善戦させているような素振りを見せて、一瞬で覆すような、戯れを楽しんでいた。

 家屋は燃え、夕暮れの空は炎と立ち上る灰色の煙で覆われた。赤色と橙色に焼き尽くされた空は重苦しく、まるで物語に出てくる地獄のような有様だった。

 

 悲鳴と特徴的な笑い声に、耳を傾ける。これは改めて思ったのだが、彼は呪霊よりも呪霊らしい性格をしている。

 

 

 喧騒の中心から離れ、岩場に腰かける。頬杖を着き、顎を落ち着かせて、隣を見やった。

 

「キミは人間だよね?宿儺側なんだ」

 

 少女は僕を一瞥してから、「ええ、まぁ」と曖昧に頷いた。

 

「聞いたことあるよ、呪詛師ってやつでしょ」

「……私は……」

「名前は?何ていうの?」

「今は()、と」

 

 そう言うと彼女は口を噤んだ。形の良い眉根を寄せて、何かを言い淀んでいる。

 その顔を数秒見つめ、はっとした。

 

「僕のことは好きに呼んでよ、覚えてないんだ」

「……覚えていない?」

「もしかすると、元から無かったのかも」

「そのことを宿儺様はご存知なのですか?」

「言ってないよ。宿儺の場合知ってても知らなくても、僕のことを、馬鹿だとかオマエだとか、勝手に呼ぶでしょ」

 

 宿儺とは出会って二日目だが、間違いなくそうだろうという、確信に近い予想があった。

 彼女は間を置かずして、数回頷く。そして静かに口を開いた。

 

「私にもそう呼べと?」

 

「あー」思考を整頓するように、取り敢えず音を発する。「どっちかと言うと、嫌」

 

 

「────では薤露(かいろ)と」

 

「え?」

「不便なので。勝手に呼びます」

「あ、そう」

 

 胸の奥に火をつけられたのかと錯覚する。

 指先まで熱が通い、ぼやけていた輪郭が明確になり、地に足が着いた心地さえする。

 

 薤露とは、韮の上におりた朝露の意味だ。

 

 確か大陸の方の、「弔いの歌(挽歌)」の一種の名前だと聞いたことがある。乾きやすく、落ちやすいことから、人の命の儚さを謳っているらしい。

 成程、宿儺の傍に居るだけあって、この少女も鋭い感性を持っていると納得した。

 

 

 

「────たっ、助けてくれ!」

 

 張り裂けるような悲痛な声がしたので、思わず意識を向ける。

 

 此処に住んでいた人間だろうか。火の粉が飛び交う惨状から、命からがら抜け出してきたようで、火傷で変色した肌が痛々しい。

 死に直面し、僕を認識できるようになった脳を必死に稼働させ、どうにか助かる方法を模索しているのだ。男が、まるで朝日を見つけたかのような安堵の表情を浮かべる。

 

 

 あ、と思った。

 僕の前に出てくることが、一番の不正解なのだと、伝えようとする。

 直後、ブンと空を切る音が通り過ぎた。耳の後ろを飛ぶ虫の羽音だろうか、と勘違いをするくらい、突然だった。

 

 てっきり空間波のようなそれが、男を切り裂くのだと当然のように考えていた。

 しかしそれは男の真横を通り抜けると、()()()()()()()両断した。

 

「え」

 

 崩れた肉体で思わず呟く。

 

 あいつ、やりやがったなと力の入らない身体で、目一杯歯を食いしばった。

 すぐに、頭から足にかけて、縦に割れたのだと実感する。薄れる視界に、呆然と僕を眺める男を捉えた。

 何故か目をかっ開いて、崩れ落ちる僕を見続けている。目の前の光景を読み込むのに労力を使ってるから、他の何にも意識を割けなかったのだろう。

 

 僕は、どこか冷静に「最近飴玉を食べてなかったな」とか思ったり、「悪いことしたな」と、ままならない感情を飲み込んだりした。

 

 

 

 次に目を開いた時には、男が死んでいた。当然と言えば当然だ。

 

 爆風に乗じた屋根瓦が、偶然にも頭部を打ち抜いたらしい。ぱっくりと割れた頭部からは濁流のように、赤い血液がとめどなく溢れている。

 じわじわと地面を侵食するどす黒い血は、半紙に染み込む墨汁に似ていた。

 

 普通では考えられない確率だ。

 

 どのくらいかと言うと、囲炉裏の栗が破竹の勢いで弾け飛び、慌てて患部を冷やそうと近寄った水瓶に居た蜂に刺され、逃げた扉の先で臼に潰されるくらいの確率だ。

 最早奇跡と言っても過言ではない。

 

 

「薤露の術式ですか」静かに少女が言う。

「あー、そうかなぁ」僕は曖昧に答える。

 

 

 転がるような、奇怪な笑い声が耳に飛び込んだ。

 文字にするならば、「ケヒヒ」と例えるに相応しい笑いだ。

 

 少女が口を開く。「宿儺様」と彼を呼んだ。

 

 心做しか、少しだけ声が上擦っていた。僕と話す時には平坦なのに、と不思議に感じる。

 砂利を踏む草履の音がした。一定の間隔で近寄る足音は、その禍々しさから、凶兆の訪れにも思えた。

 

 

「やはりオマエの在り方は退屈せんな」

「余興で僕に攻撃しないでくれる?」

 

 返り血一つ袖に付けず、宿儺が肩を揺らした。虐殺をして来た帰りには見えないくらい、余裕綽々といった様子だ。

 

 目の前の男の死体に目をやる。

 僕の目の前に現れなければ、こんな非常識的な確率の死を迎えることは無かった。比較的という枕詞は残るが、僕は宿儺に為す術なく殺された人間たちより、いっとう彼の死を悼んでいた。

 

 

「呪霊でありながら、生者の死を悼むか」宿儺が意地悪く口角を上げる。

 

「少なくとも、この人には申し訳なく思うよ」

 

 僕は屈んで死体の傍らに寄る。きっとこの男の寿命は、もっと長かった。

 

 

「────誰かさんが余計なことしなければ、()()()()()をできたのに、って」

 

 そのまま、宿儺の顔をじっと睨みつけた。

 

 

「……どういうことですか?」少女が宿儺に訊ねる。

 

 炎と煙を背負う真っ白い彼女は、この空間で最も清らかに見えた。その実、宿儺と結託している謎の人間という肩書きがあるのは、忘れてはいけないが。

 宿儺が、薄くではあるが唇に笑みを浮かべた。堪えきれない愉悦が、表情筋を介して表に出てきたのだ。その対価のように、僕の内心は一気に重量を増していく。

 

 

「オマエ、自分の死を他人に肩代わりさせているだろう」

 

 遂に、ぶはっと泡が弾けるように笑い、「しかも、その相手に身勝手な同情心を抱くときた」と声の調子を高くした。

 

「オマエさえ居なければ、死なずに済んだ存在に対して、だ。これを矛盾と言わずして何と言おうか!」

 

 

 仕方がないだろ。

 僕の感情は、言葉にするとそうなった。

 黙りこくった僕を見て、不審に思ったのか、はたまた早く愉快な回答を口にさせたかったのか、きっと後者だろうが、宿儺が顎を持ち上げ、「どうした、何故黙る」と演技がかった声で言葉を急かす。

 

 

「不可抗力だよ」と僕は言った。「僕は絶対に死にたくない。この術式で死んだ人間は、僕の代わりに負債を持って行ってくれたんだし、少しくらい感情移入するよ」

 

 宿儺は期待を下回る回答に、心底つまらなそうに深々と溜息を吐いた。

 

「下らんな」

 

 一声吐き捨て、彼は燃えた村などなかったかのように、来た道を戻って行く。

 

 

「……なんだよアイツ」

 

 このままこの男に付いて行く必要はあるのか。

 

 呪術師から逃げる目的があるのは確かだが、宿儺の災害に紛れて僕は逃げられるのではないか。

 追手かどうか定かではないが、今回は偶然数人の呪術師の殺害にも成功しているのだから、ここで逃げれば、「僕の安全」「身代わり」といった観点からは万事解決だ。

 

 が、逃げようとする自分の手を引き止める自分もいた。

 このまま何も得ず立ち去る気持ちになれなかった。

 

 

 ────オマエは何故生きている。

 

 その声が頭の内側で響く。

 

 宿儺に着いて行けば、呪霊として成長出来るかもしれない。

 自分を叱咤し、足を踏み出したところで、腕を掴まれた。

 

「薤露、行きますよ」

 

 見れば、梅という名の少女だった。彼女は有無を言わせぬ勢いで僕を引っ張った。

 

「宿儺様のお手を煩わせるつもりですか」

 

 

 答えたつもりが声が掠れた。「分かった」と声を強めた。「着いてくよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

薤露

 

 

 

 何度も市井を破壊する宿儺を見ながら僕は、どうしてこんな男に梅という少女は着いて行くのだ、と疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 口の中の飴玉を噛み砕く。

 梅がその音に反応を示し、視線を向けてきた。

 災害に近い存在の宿儺に比べ、彼女はあまりに人間的過ぎる。

 

 思わず、「キミって良家の出?」と梅に訊ねていた。

 

「……ええ。私の名前(『梅』)も家紋を(なぞら)えてますし」

 

「…………は? いや、え、格式高そうとは思ってたけど」と僕は青ざめて、「尚更なんで宿儺の傍にいるんだ」とまた疑問を抱く。

 

 

 宿儺から悪辣さを学びたいだけなのだが、機嫌次第で捌かれたり、見学しようにも術式に巻き込まれたり、おまけに仮の共犯者とはいえ、僕の世界の中に、呪霊よりも呪霊らしい男と真っ白な少女を入れることになった。

 

 

「そういえば、オマエは身代わり以外の用途で術式を使えないのか」

 

 たった今思い付いたかのように宿儺が声を上げた。

 村人の首を掴んだまま、「見せてみろ」と声を強くして命令する。

 

「使えるけど────」

 

 後頭部の割れた死体が頭に浮かんだ。あの死体の表情を僕は想像しようともしなかった。

 

 

 そこで僕が、瀕死の村人に術式を使ったのは、「何故生きている」を模索するためではなかった。

 せめて気味の悪い(辛そうな)死に顔は見たくない、という思いからだった。

 

 面識も感情移入も無かったけれど、あの時の、僕の「代わりに死んだ」人間と、もっと言えば今までの僕の身代わり全員と重なって見えた。

 久しぶりに使ったため、呪力が拡散する。水が跳ねるような勢いがあったが、そのまま瀕死の人間を呑み込む。

 

 

 その直後、宿儺が瞬時に人間をほっぽり投げ、愉快そうに嗤った。

 地面に倒れ伏した人間の顔は、まるで眠っているみたいに穏やかで、思わず拳を握り締めると、手の中に飴玉の固い感触が伝わった。

 

 気付けば僕も口角が持ち上がっていて、慌てて口を覆う。

 ほんの一瞬だけ、誰かの命を摘み取った高揚感が僕を包み込んでいたが、不思議と認めたくはなかった。

 

 

 

 

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