※本誌で宿儺P現役時代が深堀される前に捏造入れます。
※この世界線ではあの呪物を早期に発見できてる設定。……ユルシテ……ユルシテ……。
【追記】2022/02/19
誤字報告ありがとうございます。訂正させていただきました。大変助かります。
その日、僕は、気色の悪い匣の中に閉じ込められた。
閉じ込められる、とはもしかすると誤表現かもしれない。
一応、僕がこうなったのは自分が蒔いた種でもあるし、なにより、最後の決断に踏み切ったのは自分自身だ。
僕を待ち受けていたのは、あまりに広く、あまりに恐ろしい、空間だった。その場にいる僕をあらゆる方向から監視するかのような、暗闇がある。
カラカラと音を立てながら骸骨たちが這い寄って来ていた。
「源信」という僧侶の成れの果てが、この「
彼のような人間が世界中に溢れていたら、そもそも僕は生まれていなかったかもしれないな、と思う。
「獄門疆」の名前から察するに、此処は、箱型に凝縮された地獄だった。見渡す限り、果てまで暗闇が拡がっている。
「
どうやら中々に価値のあるものらしい。が、そんなことはどうでもよかった。
骨が擦れる音から、以前何度か訪れた市井で聴いた、人間が奏でる弦楽器の音を思い出させる。お世辞にも、骨の音と楽器の音を同価値に捉えることはできないけれど。
「オマエには趣を理解することなんぞ、出来ないだろうがな」と、少しの時を共に過ごした友人は嘲り、着物の袖から四本もある腕を揺らした。
その時に、「みなまで言う必要は無いかと」と白髪の少女は咎めるように口を挟んだが、愉快さが隠しきれていなかったのは、考えずとも分かった。
「流石に分かる」
そう異議を申し立てたのは、純粋に彼の価値観に反対してやりたかったからだ。認めてしまえば、僕は雅を欠片も知らない木偶だ、と名乗り上げるようなものだと思った。
そんな本心を察してか、「どうだかな」と彼は歯を見せた。
一歩後ろから、彼を見上げて白髪の少女も、肩を揺らす。まさかその時は、彼女まで僕の封印に加担するとは思ってもみなかった。
浅く水が張られた地面を見下ろす。細かな振動が伝わった水面が、円かな波紋を描いた。
天を見上げる。太陽が無いので、今の時刻が分からない。
暇を持て余し、口の中に飴玉を放る。味はしないが、唯一拠り所になる物体だし、充足感のようなものがあった。
「百、いや千年だ。その先でまた会おう」
額に縫い目のある男が、僕を封印する前に言っていた。隣には、白髪の少女がいた気がする。
例の、赤褐色の飴玉を両手で包み込んだままだった。
まだ食べていなかったのか、と拍子抜けしたが、食べないなら食べないで、それでも構わなかった。視線は足元に固定され、表情は読めない。
彼らの傍に、人々の恐怖の象徴にまで上り詰めた彼は居なかった。簡単に呪術師に殺られるような男では無いことは分かっていた。
しかし、此処にいないとなると邪推したくもなる。目の前の男の誘いに乗った可能性すらある。
胸の内に複雑な気持ちが湧いたが、一先ず無視をして、取り敢えず、「千年後?」と訊ねることにした。「何がしたいんだ」
「これから、呪術は廃れていくだろう」
男が確信めいた声を出す。
「でも、必ず再び呪術全盛期を戻してみせる。だから、その時にまた会おうじゃないか」
彼は手中で何かを弄びながら、歯茎を見せ、口元を歪めた。それは、快活な笑顔とはかけ離れていた。
「それまで、この中に居てくれ」
「この中にいる必要、ある?」
「君にも待っていて欲しいんだよ」
男の言葉を耳にして、てっきり僕は「新しい時代を作るから、待っていてくれ」という温和な誘いだと思った。
が、「キミは弱いから」と彼が即座に付け足したので、思わず拍子抜けした。「勝手に死ぬのは止めて欲しい」の意味だった。
「……別に、本当に死んだりしないよ」
彼は口元を右手で隠しながら、左の手のひらを前に広げ、「分からないだろう」と喉を震わせた。
手のひらに乗っている匣には、沢山の目玉が付いていた。
「この中には、
ぎょろりと剥いた目がこちらを見る。
耳を傾けながら僕は、彼の隣にいる少女に視線を向けた。何かを覚悟したかのような表情をしており、その様子をやけに不思議に感じる。
そんな中、彼らと共に過した短い時間が、頭に蘇った。
*
夕暮れ時だった。
僕が山道を歩いていると、木々の奥に、人型の姿があった。郊外で、道に篝火はない。呪霊ともなれば、暗闇だからといって行動に支障はないが、生きた人間は別だろう。
であれば、尚更何故、こんな時間の山奥に居るのか。
首を傾げ、歩調を緩めずそこへ向かう。
曙色の髪に、女性物の着物、そしてそこから垂れ下がる四本の腕、僕は目を瞠った。
ただの人間にしては呪力が多過ぎた。かと言って、呪術師の類にしてもその呪力はあまりに穢れている。どちらかと言うと、僕らの側に近い。生きたまま、呪いとして確立しつつあるのだと思った。
夏の終わり、物悲しげな寒蝉の声がよく通った。
静まり返った湖に、一石投じるようだと感じた。人里離れた山中では、人の声の代わりに虫たちの声が花を咲かせている。それが一層、目の前の大男の異質さを際立てていた。
二、三度瞬きを繰り返す。
大男が顔をこちらに向けた。二対の目が、道端の小石を見るように、僕を睨んだ。
そう言えば、音に聞いたことがあった。
数々の呪術師が祓おうと立ち向かい、その都度手も足も出ず敗れる、幾多の術師たちの努力が水泡に帰すほど、強力な呪いを持つ男が居る、と。
二対の眼球に二対の腕、常軌を逸した呪力量、そして圧倒的な威圧感から、彼が噂のその人なのだと思った。
「どうも」
僕は挨拶し、先を急ぐ。
行先は決めていないが、僕を祓いに呪術師が来ているらしく、拠点を改めなければならなかった。
男は微動だにしないが、まるで、一本の大樹のような存在感がある。
何となく、気休め程度に更に一歩脇に退き、すれ違おうとした。
「おい」と、唐突に呼び止める声が響いた。
最初は誰の声だという思考が巡ったが、すぐにこの男の声だと分かった。男が半身を、僕に向けていたからだ。
「……はい?」
何と答えるべきか測りかね、取り敢えず返事をしてみる。不自然ではない筈だ。
彼は顎を持ち上げると、「オマエ、一体何だ」と訊ねた。高圧的な仕草がやけに似合う男だというのが、正直な感想だった。
「……身分?」
「馬鹿言え、オマエの在り方だ」
「在り方?」疑問に感じ、首を傾げる。
「人間とも呪霊とも言い難い。一体何から生まれた?」
「あぁ」納得か驚嘆か、自分でも分からないがとにかく反応を示して、「何だそんなことか」と内心で呟いた。
「────キミ、
断りもなく、砕けた口調で男を呼び捨てにしてみる。
人によっては、これで心の距離というものを詰められるらしいが、彼はその理論に合致しないらしい。
満足な返答を得られなかったからなのか、それとも不遜な態度が気に入らなかったのか、彼は目を細めた。
「俺を前にしてその態度か。良い、一度は許そう」口元を和らげ、「何者だ」と訊ねる。
鋭利な刃物を喉元に突きつけられた気分だった。
「立派に、人の思いから生まれた呪霊だよ。キミより弱いけど」
僕は本心から言ったのだが、それを聞いた彼は怪訝そうに顔を顰めて、「それは当然だ」と口を開いた。
「オマエは何故生きている」
「初対面でそこまで聞くの」
生まれの次は、更に踏み入った内容を訊かれ、唖然とした。踏み入られたくない領域を、土足で荒らされているような、そんなざわめきがあった。
「三夜通ってからにし──」
深い意味は無いが、彼が諦めるような言い回しを使ったつもりだ。
「──てよ」
その瞬間。
「二度はないと、そう言った筈だが」
「ぐぇ」
目前に、宿儺が迫っていた。目を見開くより先に、彼の手が僕の首を掴む。
そこから、ゴキリという鈍い音と刺すような熱さが、脳に伝達されると同時に、全身の力が抜けて地面に崩れ落ちた。頬を土に着けて数秒後に漸く、首を手折られたのだと理解した。
「どうした、何故立たん」
真上から落ちてくる宿儺の声に、はっとする。
「死んだわけではあるまい」
気が付くと、視界がはっきりとしていた。
「いや、死んだよ今」両腕に力を入れて、僕は立ち上がる。
彼が愉快そうに口を歪めた。
「こうして俺と話しているではないか」
「死んだもんは死んだんだよ」
「違うな」
「違くないよ」
「真に死んだのは、オマエじゃないだろう」
歌うような声音で、宿儺が嗤った。
「……キミには関係ないでしょ」
初対面の人物、ましてや呪いに近い存在に言い当てられるとは思わず、ムキになった。いや、両面宿儺が恐怖の象徴だったからこそ、僕の生態を初見で理解したのかもしれない。
いつの間にか、此方に向き直っていた宿儺が一歩踏み出す。僕は一歩後退った。
「興が乗った、俺に着いて来い」
副右腕を腰に当て、宿儺が持ちかけた。
ただの提案なのに、それは何よりも重い言葉に思える。世界から音が消えたかのように、鼓膜を揺らしていた寒蝉の声すら、今は聴き取れなかった。
沈む太陽を後押しする夕下風が、地面を這う。足元を縛りつけられた心地がして気分が悪い。
僕は呪霊で、宿儺は生きた人間であるにも拘らず、力の差は歴然としていた。
「……断ったら?」有無を言わさぬ問いに、無理を覚悟で抗う。
「なに、殺すまでよ」
ふんと鼻を鳴らす仕草は、僕を急かしているように見えた。
「無論。実際に死ぬのはオマエではなく、別の誰かだろうがな」
内心の憂鬱をそのまま映し出した影が、夜の暗闇に伸びていく。
自分の命に比べれば、他人の命なんて安い、と考える人もいた。僕だってそう思う。だのに、口は動かなかった。
背中を押す風によろめきながら、僕は一度だけ首肯した。風は、森の更に奥へと足早に抜けていった。
木々の葉が揺れる音に、男が満足そうに踵を返す。何処へ行くかは知らないが、僕もその後に続いた。
**
宿儺の歩みが止まる。その背中に続き、僕も立ち止まった。
森を抜けた先に、朝焼けの光が見えた。柔らかな風に揺れる葉の音が、頻りにささめいている。昨晩森の奥に逃げて行った風が、此処で踊っているようだった。
結局、僕はあの後、宿儺に導かれるまま、無言で背中を追いかけた。宿儺にとっては、差し障りない帰路の時間だろうが、僕にとっては整理の時間だった。
意図は読めないし、目的も不明な上、下手を踏めば殺される。島流しに遭って、いろは唄でも吟じる方が、まだ心の余裕があるのではないだろうか、と馬鹿な考えが過っていた。
「オマエは何を目指す」
振り返らずに道中で口を開いた彼は、心做しか愉快げな声音をしていた。
勿論、彼は背中を向けているため、詳しい様子は把握できないのだが、どこか楽しげな雰囲気はあった。
何と答えたかは、覚えていないくらい朧気な返答をしたようで、思い出す価値もないだろう。
おい、と宿儺が喉を震わせたところで、漸く目的地に辿り着いたことに気付く。
「此処は……?」
僕は、宿儺の背後から顔を覗かせ、目の前の景色に目を瞠った。
空を映す湖に、桟橋が掛かっている。その先に、鮮烈な赤があった。赤い社だ。屋根には豪勢な意匠が施されており、少なからず禍々しさを感じさせる。
これ以上見るべきでない、と訴える本能に反して、眼球は食い入るように社を映していた。この場所だけが、空間から切り取られて別の世界に存在しているような、そんな印象を抱かせた。
宿儺が桟橋に足をかけ、慣れた動作で渡っていく。当然だ、此処は彼の拠点なのだから。
「この場所に踏み入れられるような術師は居ない。オマエ、追われているだろう」
「まさか庇ってくれるの?」僕は後を追い、訊ねる。
「馬鹿が。オマエはただの暇潰しだ」質問を一蹴し、僕を見る。「来い」
「僕は愛玩動物じゃないよ」
「図に乗るな、不愉快だ。可愛がる気など毛頭無い」と彼は眉間に皺を寄せた。
僕は、「訊いてもいい?」と言うことにした。
「許す、言ってみろ」
「僕はキミが思うより、キミを楽しませる存在じゃないよ。自慢じゃないけど、意味のある生を送ってきた訳じゃないからね。たくさん人は殺してきたけど」
今後、やっぱり面白くないから、という理由で殺されることを防ぐ、前口上のようなものだ。
「何か面白い点ある?」と言う。
僕より、キミの方が殺してるだろうけど、と思わず続けそうになった。
宿儺は心底面倒臭いという顔つきだったが、それでも、主右腕を額に当てながら、「気にすることでもなかろう」と答えた。「いや、気にしない方が愉快だ。気にするな」
それは気にしろという前振りだろうか、と僕は内心で解釈する。
「一つ言ってやるとすれば、オマエという存在の矛盾だ。ここまで歪な呪霊は、さしもの俺も見たことがない」
「歪な呪霊」
「ああ」
「普遍的な人型の自信があるんだけど」僕は首を傾げた。「歪んではない」
「ケヒッ」
彼はそんな返事が来るとは思ってもいなかったらしく、身体をくの字に曲げ、直ぐ様仰け反らせるような、慌ただしい様子を見せた。
「ヒハハッ、本当にオマエは馬鹿を体現したような呪霊だな」
「失礼な」
「はー」と宿儺は気の抜けた声を出した。
笑うのに使った筋肉に、空気と休息を行き渡らせるような、雁渡の音だ。
「……まさか今みたいな歓談が目当て?
「はー」と今度は呆れ果てた声を出した。
空気の抜ける音には、空っ風のような虚しさがある。
部屋の隅に塵を見つけた際の様子で、「馬鹿を曝け出すのも大概にしろ」と失態を責めるように吐き捨てた。
僕は、桟橋の中腹で眉を下げる宿儺の様子を見ながら、絵になる男だなと思った。
彼の態度は、まるで苛立ちを顕にするのも億劫で、むしろ苛立ってしまえば、己の方が愚かだと律しているようだった。
僕からすれば、ここまで尊大で傲慢な人間は、未だかつて見たことが無い、と新発見をした気分にもなる。
「そんなに歪?」と自らの過去を振り返り、「何もしてないけど」と思い返す。
宿儺は一瞬、全てを見透かしたように目を細めて、口角を上げた。
「何もしていない、か」
「本当だよ、僕は何もしてない」
「そこが歪だと……まぁ良い。どちらにせよ、馬鹿には分かるまい」
「何? 聞こえなかった。あと馬鹿じゃないよ」
宿儺はそれに返事をせず、無言で社に戻って行く。
空は見えるだろうか、と上を見上げると、生い茂る葉にぽっかりと穴が空いて、光が降り注いでいた。
雲はなく、白に近い水色が滲んでいる。果てしなく広がる、穏やかな静謐があった。一頻り葉を揺らした風は、きっとこの穴から空に登るのだろう。
空色の空に、頭が揺さぶられる心地がした。
「宿儺様、彼は?」
訝しげに、少女が眉間に深い溝を作った。
その日は、それ以降宿儺と会話をすることなく、境内を歩いた。特別広いわけではなく、迷うことは無かった。
宿儺は此処に着いて早々、奥に籠っていた。僕は呪霊だから休眠を欲しないが、あれでも宿儺は一応生きた人間だ。
やることが思いつかなかった僕は、今一度桟橋に足を踏み入れた。水上にあるというのに、木材に腐った様子は見られない。仕組みは分からないが、何かの術を施しているのだろう。
太陽が昇っている。昼前の明るさと、森林の空気は非常に和やかだった。立ち尽くしたまま、何も考えず、虚空の一点を見つめてみる。
思考が真っ新に染まり、木々のささめきと、小川のせせらぎの音だけが脳を占めた。目を閉じて、その僅かな音も意識の外に排斥してみる。
このまま空気に溶け込めるような、そんな気がしたのだ。
パチン、と。誰かが枝を踏み折る音がしたので、目を開く。
気付けば、桟橋の先に白髪の子供が立っていた。社とは対岸だ。森の奥から抜けてきたのだろうか、と目を丸くする。更に驚くべきことに、彼女か彼か、その子供の視線は確かに僕を捉えていた。
「……もしかしてだけど」
僕は桟橋の中腹から、静かに訊ねた。自然の音を消さないように、囁くような小声だ。
「見えてる?」
子供は一切表情を動かさない。石の仮面を貼り付けたかのような、頑固さを感じさせた。
「────来たのか」
いつの間にか、社から宿儺が姿を見せていた。
その時に初めて、子供は少女らしい声で、「宿儺様、彼は?」と無表情を崩したのだ。
不快さより、どちらかと言うと当惑が目立つ。
「御客人ですか?」
「いや、娯楽だ娯楽。拾い物の呪霊だ」
僕はそこで、「その紹介はいくら何でも酷いのではないか」と抗議しようとしたが、したところで徒労に終わるのは目に見えていたため、宿儺を無言で睨むことにした。
粘着性のある視線を、宿儺は副左腕の手のひらで払うと、「出るぞ」と一言だけ放つ。
市井に繰り出すのだと、宿儺が謳った。
そこからは、詳しく語るまでもない。
宿儺は逃げ惑う人々を皆殺しにしたし、駆けつけた呪術師たちに、わざと善戦させているような素振りを見せて、一瞬で覆すような、戯れを楽しんでいた。
家屋は燃え、夕暮れの空は炎と立ち上る灰色の煙で覆われた。赤色と橙色に焼き尽くされた空は重苦しく、まるで物語に出てくる地獄のような有様だった。
悲鳴と特徴的な笑い声に、耳を傾ける。これは改めて思ったのだが、彼は呪霊よりも呪霊らしい性格をしている。
喧騒の中心から離れ、岩場に腰かける。頬杖を着き、顎を落ち着かせて、隣を見やった。
「キミは人間だよね?宿儺側なんだ」
少女は僕を一瞥してから、「ええ、まぁ」と曖昧に頷いた。
「聞いたことあるよ、呪詛師ってやつでしょ」
「……私は……」
「名前は?何ていうの?」
「今は
そう言うと彼女は口を噤んだ。形の良い眉根を寄せて、何かを言い淀んでいる。
その顔を数秒見つめ、はっとした。
「僕のことは好きに呼んでよ、覚えてないんだ」
「……覚えていない?」
「もしかすると、元から無かったのかも」
「そのことを宿儺様はご存知なのですか?」
「言ってないよ。宿儺の場合知ってても知らなくても、僕のことを、馬鹿だとかオマエだとか、勝手に呼ぶでしょ」
宿儺とは出会って二日目だが、間違いなくそうだろうという、確信に近い予想があった。
彼女は間を置かずして、数回頷く。そして静かに口を開いた。
「私にもそう呼べと?」
「あー」思考を整頓するように、取り敢えず音を発する。「どっちかと言うと、嫌」
「────では
「え?」
「不便なので。勝手に呼びます」
「あ、そう」
胸の奥に火をつけられたのかと錯覚する。
指先まで熱が通い、ぼやけていた輪郭が明確になり、地に足が着いた心地さえする。
薤露とは、韮の上におりた朝露の意味だ。
確か大陸の方の、「
成程、宿儺の傍に居るだけあって、この少女も鋭い感性を持っていると納得した。
「────たっ、助けてくれ!」
張り裂けるような悲痛な声がしたので、思わず意識を向ける。
此処に住んでいた人間だろうか。火の粉が飛び交う惨状から、命からがら抜け出してきたようで、火傷で変色した肌が痛々しい。
死に直面し、僕を認識できるようになった脳を必死に稼働させ、どうにか助かる方法を模索しているのだ。男が、まるで朝日を見つけたかのような安堵の表情を浮かべる。
あ、と思った。
僕の前に出てくることが、一番の不正解なのだと、伝えようとする。
直後、ブンと空を切る音が通り過ぎた。耳の後ろを飛ぶ虫の羽音だろうか、と勘違いをするくらい、突然だった。
てっきり空間波のようなそれが、男を切り裂くのだと当然のように考えていた。
しかしそれは男の真横を通り抜けると、
「え」
崩れた肉体で思わず呟く。
あいつ、やりやがったなと力の入らない身体で、目一杯歯を食いしばった。
すぐに、頭から足にかけて、縦に割れたのだと実感する。薄れる視界に、呆然と僕を眺める男を捉えた。
何故か目をかっ開いて、崩れ落ちる僕を見続けている。目の前の光景を読み込むのに労力を使ってるから、他の何にも意識を割けなかったのだろう。
僕は、どこか冷静に「最近飴玉を食べてなかったな」とか思ったり、「悪いことしたな」と、ままならない感情を飲み込んだりした。
次に目を開いた時には、男が死んでいた。当然と言えば当然だ。
爆風に乗じた屋根瓦が、偶然にも頭部を打ち抜いたらしい。ぱっくりと割れた頭部からは濁流のように、赤い血液がとめどなく溢れている。
じわじわと地面を侵食するどす黒い血は、半紙に染み込む墨汁に似ていた。
普通では考えられない確率だ。
どのくらいかと言うと、囲炉裏の栗が破竹の勢いで弾け飛び、慌てて患部を冷やそうと近寄った水瓶に居た蜂に刺され、逃げた扉の先で臼に潰されるくらいの確率だ。
最早奇跡と言っても過言ではない。
「薤露の術式ですか」静かに少女が言う。
「あー、そうかなぁ」僕は曖昧に答える。
転がるような、奇怪な笑い声が耳に飛び込んだ。
文字にするならば、「ケヒヒ」と例えるに相応しい笑いだ。
少女が口を開く。「宿儺様」と彼を呼んだ。
心做しか、少しだけ声が上擦っていた。僕と話す時には平坦なのに、と不思議に感じる。
砂利を踏む草履の音がした。一定の間隔で近寄る足音は、その禍々しさから、凶兆の訪れにも思えた。
「やはりオマエの在り方は退屈せんな」
「余興で僕に攻撃しないでくれる?」
返り血一つ袖に付けず、宿儺が肩を揺らした。虐殺をして来た帰りには見えないくらい、余裕綽々といった様子だ。
目の前の男の死体に目をやる。
僕の目の前に現れなければ、こんな非常識的な確率の死を迎えることは無かった。比較的という枕詞は残るが、僕は宿儺に為す術なく殺された人間たちより、いっとう彼の死を悼んでいた。
「呪霊でありながら、生者の死を悼むか」宿儺が意地悪く口角を上げる。
「少なくとも、この人には申し訳なく思うよ」
僕は屈んで死体の傍らに寄る。きっとこの男の寿命は、もっと長かった。
「────誰かさんが余計なことしなければ、
そのまま、宿儺の顔をじっと睨みつけた。
「……どういうことですか?」少女が宿儺に訊ねる。
炎と煙を背負う真っ白い彼女は、この空間で最も清らかに見えた。その実、宿儺と結託している謎の人間という肩書きがあるのは、忘れてはいけないが。
宿儺が、薄くではあるが唇に笑みを浮かべた。堪えきれない愉悦が、表情筋を介して表に出てきたのだ。その対価のように、僕の内心は一気に重量を増していく。
「オマエ、自分の死を他人に肩代わりさせているだろう」
遂に、ぶはっと泡が弾けるように笑い、「しかも、その相手に身勝手な同情心を抱くときた」と声の調子を高くした。
「オマエさえ居なければ、死なずに済んだ存在に対して、だ。これを矛盾と言わずして何と言おうか!」
仕方がないだろ。
僕の感情は、言葉にするとそうなった。
黙りこくった僕を見て、不審に思ったのか、はたまた早く愉快な回答を口にさせたかったのか、きっと後者だろうが、宿儺が顎を持ち上げ、「どうした、何故黙る」と演技がかった声で言葉を急かす。
「不可抗力だよ」と僕は言った。「僕は絶対に死にたくない。この術式で死んだ人間は、僕の代わりに負債を持って行ってくれたんだし、少しくらい感情移入するよ」
宿儺は期待を下回る回答に、心底つまらなそうに深々と溜息を吐いた。
「下らんな」
一声吐き捨て、彼は燃えた村などなかったかのように、来た道を戻って行く。
「……なんだよアイツ」
このままこの男に付いて行く必要はあるのか。
呪術師から逃げる目的があるのは確かだが、宿儺の災害に紛れて僕は逃げられるのではないか。
追手かどうか定かではないが、今回は偶然数人の呪術師の殺害にも成功しているのだから、ここで逃げれば、「僕の安全」「身代わり」といった観点からは万事解決だ。
が、逃げようとする自分の手を引き止める自分もいた。
このまま何も得ず立ち去る気持ちになれなかった。
────オマエは何故生きている。
その声が頭の内側で響く。
宿儺に着いて行けば、呪霊として成長出来るかもしれない。
自分を叱咤し、足を踏み出したところで、腕を掴まれた。
「薤露、行きますよ」
見れば、梅という名の少女だった。彼女は有無を言わせぬ勢いで僕を引っ張った。
「宿儺様のお手を煩わせるつもりですか」
答えたつもりが声が掠れた。「分かった」と声を強めた。「着いてくよ」
何度も市井を破壊する宿儺を見ながら僕は、どうしてこんな男に梅という少女は着いて行くのだ、と疑問を抱かずにはいられなかった。
口の中の飴玉を噛み砕く。
梅がその音に反応を示し、視線を向けてきた。
災害に近い存在の宿儺に比べ、彼女はあまりに人間的過ぎる。
思わず、「キミって良家の出?」と梅に訊ねていた。
「……ええ。私の
「…………は? いや、え、格式高そうとは思ってたけど」と僕は青ざめて、「尚更なんで宿儺の傍にいるんだ」とまた疑問を抱く。
宿儺から悪辣さを学びたいだけなのだが、機嫌次第で捌かれたり、見学しようにも術式に巻き込まれたり、おまけに仮の共犯者とはいえ、僕の世界の中に、呪霊よりも呪霊らしい男と真っ白な少女を入れることになった。
「そういえば、オマエは身代わり以外の用途で術式を使えないのか」
たった今思い付いたかのように宿儺が声を上げた。
村人の首を掴んだまま、「見せてみろ」と声を強くして命令する。
「使えるけど────」
後頭部の割れた死体が頭に浮かんだ。あの死体の表情を僕は想像しようともしなかった。
そこで僕が、瀕死の村人に術式を使ったのは、「何故生きている」を模索するためではなかった。
せめて
面識も感情移入も無かったけれど、あの時の、僕の「代わりに死んだ」人間と、もっと言えば今までの僕の身代わり全員と重なって見えた。
久しぶりに使ったため、呪力が拡散する。水が跳ねるような勢いがあったが、そのまま瀕死の人間を呑み込む。
その直後、宿儺が瞬時に人間をほっぽり投げ、愉快そうに嗤った。
地面に倒れ伏した人間の顔は、まるで眠っているみたいに穏やかで、思わず拳を握り締めると、手の中に飴玉の固い感触が伝わった。
気付けば僕も口角が持ち上がっていて、慌てて口を覆う。
ほんの一瞬だけ、誰かの命を摘み取った高揚感が僕を包み込んでいたが、不思議と認めたくはなかった。