死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 前話の続きです。


蕩蘊のんびり平線

 

 波のさざめく音を受け止めるように、目を瞑る。

 

 照り付ける暖かな日差しと、夏の匂いを乗せた冷たい潮風の塩梅が心地良い。裸足の指の合間を、包んでは引いていく海水の、柔らかな感触が鮮明に感じ取れる。

 

 海面を揺蕩うものに波がぶつかり、不自然に水が跳ねる音で、僕は目を開いた。

 

 十数メートル離れた水面に、この領域の主が浮かんでいるのが見える。穏やかな憩いの場は、彼の生得領域だ。

 

 

「ぶふぅーぶぅー」

「泳ぐのは気持ち良い?」

「ぷす」「そ、そう」

「ぶーぶー」

「……ぷすは初めて聞いたな。何て言ってるんだろ」

 

 陀艮にぶつかって揺らめいた波が、小さく音を立てる。空が反射しているのか、青く染った海面に浮かぶ赤色は、一際目立った。僕は暫くそこに立ち尽くして、青空と海面の境界を眺めていた。

 

 爽やかな夏の世界は、いつまで居ても飽きない、と僕は思った。

 

 ぐつぐつと煮え滾る音と、「いつまでそこで呆けているつもりだ」という声が鼓膜を震わせたのは、ほぼ同時だった。

 

「貴様くらい、真面に話をして貰わねば困る‼」

 

 振り返ると漏瑚が、頭の頂きを噴火させながら僕と、その延長線上にいる陀艮を見やっていた。

 

「儂らと志を共にするならば、少しくらいその姿勢を見せんか!」

 

「僕はここでぼんやりするのが好きだよ」と僕は一度言葉を切り、「人間と戦争するとかよりも」と空に向けて両腕を突き上げ、伸びをした。

 

「腑抜けめ」漏瑚が吐き捨てる。「真人のやつも、どうして此奴を引き入れるだなんて言ったのか……儂に言わせれば、そこが間違いだったのだ」

 

「友達に向かって酷いこと言うね」

 その場に屈み込み、浅瀬に手を浸す。指の間を縫い合わせるように、水が張り付いた。

 

「誰が貴様と友達だ!!」

 

 僕は、自分の瞼が持ち上がるのが分かった。なんてことを言うんだコイツは、とも思った。

 漏瑚に人差し指を向けて、「君と」と言ってから、自分の胸元に人差し指を返す。「僕が」

 

「巫山戯るのも大概にせい!!」

 

 漏瑚が、喉から血が出るような高音を張り上げるので、そんなに嫌なのかと内心で落胆する。

 

 

 漏瑚との付き合いは、きっと長い方だ。初めて会ったのは、どこかの山の奥だったと思う。僕が、崖から滑落した人間の傍で飴玉を頬張っていたら、「何をしている」と、今のように後ろから声をかけてきたのだ。頭の頂上を噴火させている呪霊を見たのは初めてで、僕は何よりも()()が気になった。

 

「ほう、知性のある呪霊か」と彼は老獪のように落ち着いた声で言って、落ち葉を踏みしめながらも、慎重に近寄った。

 

その時に「()()()()()()()?」と僕は視線を固定させ、興味をそのまま口にしたのだが、恐らくそれが間違いだったのだと思う。

 

 一瞬時間が止まったように、漏瑚は硬直した。やがてじわじわと情報を飲み込み終わった後、「貴様、馬鹿にしておるのか」と彼は大きな単眼を血走らせ、僕に向けて手を突き出した。

 

 何をしているのか、と僕が訊く前に、背後の岸壁から突如として突出した火山が爆発し、僕は全身を文字通り燃え上がらせた。

 

 その後は、滑落した人間を心配した人間までもが、偶然崖を踏み外して目の前に落下してきたので、漏瑚の怒りも頓挫したのだが、今となっては、それすらも彼との出会いの一コマに過ぎない。

 二つ目の飴玉も、やはり味がしなかったのを覚えている。

 

 

 

 砂浜から立ち上がり、じっと僕を睨む漏瑚の更に後ろの、パラソルに視線を移す。

 

「真人は?」

「知らん。またどこかをほっつき歩いているのだろう」

 

 漏瑚は側頭部の突起を弄りながら、苛立ちを鎮めているようだった。

 漏瑚を苛立たせたのは僕で、もしかすると真人も一役買っているのかもしれないが、取り敢えずは「じゃあ四人だけか」と口を開く。

 

『陀艮は話せませんけどね』パラソルの影を被った花御が言う。『貴方も、私たちと同じ方針と考えてよろしいのですよね?』

 

 

 花御の声は、理解できる言語では無いのだが、脳内にはその意訳が流れてくるので、意思疎通を測るのに不便はない。

漏瑚は、時折「気色が悪い」と悪態をつくが、花御自体のことを嫌っている訳ではないのは、彼の性格から察することができる。

 

 

「それは、呪いと人間の立場を逆転させるってこと?」砂の感触を足の裏全体で楽しみながら、パラソルの影に入り込む。「僕はいいと思うよ、何でも。賛成賛成」

 

「そうでは無いと、何度言えば分かる。嘘偽りの無い負の感情から生まれた我々こそが、真の人間なのだ」

 

 海面に浮かぶ陀艮を一瞥した漏瑚が、花御の横に並んだ。

 

「それを何でもいいだと? 貴様は何も思わんのか!」

 

「思わないね。僕は、生きてさえいれば何でもいいんだよ。真人の考える世界で、僕は生きていられるなら、それで良いよ」

 

『無欲ですね』声を荒らげる漏瑚を抑えて、花御が口を挟む。『それ以外に、何も望むことは無いのですか?』

 

「そんなこと言われても……」

 

 花御は、地球には人間がいない時間が必要だという理念の元、絶滅を目指している。つまり環境という他者のために、こうして行動しているのだ。

 

 僕が「自分が生きていればそれで良い」という思想の元、行動していることを踏まえれば、花御と僕は対極的な思考回路をしていた。

 

「貴様の生への執着には、ほとほと呆れ返るわ」

「そう言われるとちょっと違うんだけど」

 

 彼らは、彼らの望む世界が到来するのなら、という前提はあるが、自らの命を惜しまないタイプだ。だが、僕は違った。

 

 僕が生まれる原因となった人間の思いが、少し特殊なせいで、比例するように僕の呪霊としての在り方も歪んでいた。

 もしかすると、僕は彼らの理念にそぐわない存在なのかもしれない。

 

 

「別に、特別生きていたいわけでもないんだよ」不満を告げるように呟く。

 

 

 怪訝そうに顔を顰めた漏瑚が、口を開こうとした時に、「ただいまー」と爽やかな声が遮った。花御と漏瑚と、勿論僕もその声の方向に、顔ごと意識を向ければ、常夏の空間に似合わない鉄製の扉から、真人が顔を出していた。

 

「何の話してたの?」

 

 漏瑚はそれに答える代わりに、懐からパイプを取り出すと、口に咥えて息を吐いた。吐き出された空気には、気化した苛立ちが含まれているように思えた。

 

『彼の望みについて少し』と、花御が代わりに答える。真人は全身を扉に潜らせてから、「何でまた」と純粋無垢な子供のような表情をした。

 彼の内面は純粋無垢の方向性が、禍々しさに全力で舵を切っているようなものなので、その例えは相応しいとは言えないだろうが。

 

「真人、何故此奴まで引き入れたのだ!」

「えー、面白いじゃない。強い思いから生まれたくせに、名前を忘れるくらい頭弱いんだよ?」

「びっくりした。すごい失礼なやつだな」

 

『そんな理由で勧誘したのですか?』花御が心做しか驚いた声を漏らした。

 

「ええい! 貴様は喋るな花御!」続いて痺れを切らした漏瑚が叫ぶ。

 

 真人は二人を宥めるように「いや」と一言置いてから、「挽歌の在り方は、呪霊らしいじゃない。俺は命に価値や重さがあるとは思わないけど、自己保存のために、周り巻き込んで自由に生きているわけでしょ?」と高らかに唱えた。「いいじゃん。生き様に一貫性は必要ないしね」真人と目が合う。

 

 僕を擁護するようでいて、実はその裏に「どうしてそこまで生に固執するのか」と訊ねているようにも思えるが、言葉の裏に意味を含める行為は、人間ならではの行動であって、呪霊として生まれてまだ日が浅い真人に、その技能は身に付いていないはずだ。

 よって、ただの本心と言えるだろう。

 

 

 

 真人と出会ったのは、漏瑚よりも後だ。ビルから投身自殺を図ろうとする人間を、野次馬に紛れて見上げていたところ、横から声をかけられたのだ。

 

 最初は僕に話しかけているとは気付かず、肩を叩かれたことで漸く真人を認識したのだが、僕が驚くと同時に()()()何故だか驚いているように見えた。そのまま、成り行きで彼の一派に同行することになったのだ。案内されたこの領域で漏瑚と再会した際に、彼の頭で噴火が起きたのは、言うまでもない。

 

 

 

「フン……貴様のその術式が無ければ、とっくにこの領域から追い出しておるわ」

 漏瑚が鼻を鳴らし、僕を睨んだ。

 

「真人、漏瑚が虐めるんだ」

 肩を竦めて、真人に縋るように言う。勿論これは冗談であるし、真人が真面に受け止めるとも思わないが、この話に収拾をつけるには丁度良い気がした。

 

 案の定、漏瑚は頭から小規模の噴火を起こし、真人に窘められ、その場には静かな空気が漂った。

 

 

「それより、そろそろ拠点をどうにかしたいよね」ビーチチェアに腰掛けた、真人の台詞だ。「今は廃墟の一部を使ってるけど、呪術師にバレても面倒だし」

 

「なら、複数用意しても良いんじゃない?」

 

 僕としては、人間で言う別荘の感覚で述べたのだが、何を勘違いしたのか漏瑚は「たまには良いことを言うではないか」と、珍しく目を細めて賞賛を送った。取り敢えず、合わせて頷くことにしておく。

 

「複数あれば足が付きにくい。仮に特定されたとて、場所を分散していれば被害は最小限で済む」漏瑚が考察する。

 

「んー、それでも良いけど、どこかに本命を用意して、他は各々落ち着く拠点用意しようよ」頭の後ろに手を回した真人が、これは名案だと一人顔を明るくさせて言う。

 

『いずれは市街地でことを起こすのなら、本命を郊外に置くのは非現実的ですね』

「黙っとれと言っとろうが!」

「漏瑚、話が進まないよ」真人が異論を唱える。

 

「過ごしやすさで考えるなら、いわく付きの家とかが無難だよ」

 

 これは僕の経験談だ。当然樹海や山奥の方が呪霊としては過ごしやすいのだが、市街地に赴く可能性を考慮すれば、自ずと選択肢は絞られる。

 

「人はたまにしか来ないし、登記も残ってるなら、取り壊しもそうそう無い」

 

「貴様、本当に挽歌か?」遂に漏瑚が僕の存在を疑い始める。確かに、今日の僕はえらく主体的だったように思えた。

 

「キミも大概失礼だな」

「それでいこう。俺も散歩ついでに探しておくよ」

 

 漏瑚が口を歪め、「現代の転覆に必要な基盤は、揃いつつあるな」と待ちに待った瞬間が訪れることを心待ちにするような、そんな表情で嗤う。

 

「まだ家決めただけでしょ、気が早いなぁ漏瑚は。挽歌はどうする?」真人が言った。

「何が?」

「何がって。拠点だよ、どこに置く?」

()()()()()()()()以外かなあ」

 

 口を衝いて出た言葉に、真人が目を丸くする。僕も自分で何故その言葉が出たのか分からず、首を傾げた。

 

 頭の片隅で、一瞬だけどこかの映像がフラッシュバックした。共にカラカラと何かが鳴る音が聞こえた気がする。砂嵐と共に瞬いて消えた映像は、何ごとも無かったかのように鳴りを潜めた。

 

「暗くて狭いところが苦手なの?」真人が興味を示し、疑問を口にする。

 

「そうなのかも、分かんないけど」

「真人、挽歌と真面に会話をしようとしても無駄だ」漏瑚が口を挟む。「どうせ何も考えておらん」

 

 それだけ言うと、漏瑚は僕らに背を向け、花御と陀艮の方に歩いていった。あの三人は、人々が自然を畏れる気持ちから生まれた呪霊という、互いが近い存在だから、きっと波長が合いやすいのだ。三人の性格を踏まえると、非常にバランスの取れた関係性であると思う。

 

 

 では、と僕は真人に視線を向けた。

 何を考えているのか分からない瞳が、三人を見つめていた。

 

 真人は、人が人を畏れる思いから生まれた呪霊だ。漏瑚の理論を適用するのであれば、真人は真の意味で人間なのかもしれない。僕も、どちらかというと漏瑚たちよりも、真人に近い呪霊だろう。

 じっと真人を見続けていると、流石に反応を示した彼が、あそこを見ろと言わんばかりに顎を持ち上げた。

 

 潮風が頬を擽り、目を細める。

 陀艮が浮かぶ海面に、花御が向かい合っている。青い海に漂う赤と、それを見る白い背中が視界によく映えた。隣に立った漏瑚が何かを言い、それに花御が受け答えをしているらしい。

 

 

 僕は呆けていた。

 仲がいいな、少し羨ましい気もする。

 ここまで立派で友好的な、仲間意識が芽生えるものなのだろうか。

 

 

「自慢の仲間だよ」

 真人の声が聞こえた。僕の隣にいた真人が静かなのにどこか響く声で、口を開き、喉を震わせ、僕の内心に言い聞かせたのだ。反響しているわけでもないのに、「自慢の仲間だよ」という言葉が、頭の中に繰り返し再生された。昔日、天啓を授かった聖人に似た感傷に浸る。

 

 

 呪霊もここまで群れることができるのか。

 どうして真人はこんなに嬉しそうなのだろう。

 彼は僕をこのコミュニティに引き入れた。何故か? 自分たちの理想を叶えるためだって。

 

 きっといつか、僕もそんな目標を、この仲間たちと見据えることができる。

 と頭では思っていた。

 

 呪霊として、ぼんやりとした生活を送っていたこれまでとは反対に、理想を抱き、信念を押し付けあって、革命を起こすことができる。今が行動を起こすときなのかもしれない。道に迷い、停滞を選んでいた今までとは違い、行くべき道を示す仲間がいる。と彼らを自分の選択肢に入れられるほどまでに、僕は呪霊としての思考を取り戻したのだ。

 と頭では思っていた。

 

 実際には、本能がそれら全てを否定していた。身体の内側にもう一人の自分が生まれて、「本当にそれで正しいのか」と頭を鷲掴みにされ、揺さぶられている錯覚を抱いた。視界が揺れる。

 

 

 僕が生きたいと思う世界は、真人たちが作る世界なのか。そのために人間を殺したところで、その後はどうするのか。それでどんな感情が芽生えるのか。

 それ以上に、生きていられるならばそれでいい、とは本当にそうなのだろうか。そもそも、僕は呪霊でありながら、何故こんな思想を抱くのか。

 

 そういったことが、ふつふつと気泡となって、浮かんでは消えた。

 

 頭痛がする。足元の感覚も覚束無い。

 

 気付けば、扉に向かい合っている。

 

 鉄製の扉の、無機質なドアノブに手をかける。渚には似つかわしくない外見だ。

 

 この先が、領域と外部の境界というよりも、未解明の宇宙に繋がっているように見え、果たしてこれから自分はどうするべきなのか、途方も無い謎に挑むのではないかと思えた。

 

 

「挽歌? もう探しに行くの?」

 

 真人がまた訊ねた。薄い唇を浅く開き、眉毛を柔らかく上げている。

 更に真人は、手をひらりと振ると、「()()()()()()()()」と口を横に広げた。

 

 僕は「え」と声を上げそうになる。

 

 

 まるで僕を、一派の一員として捉えたかのような言い回しだ。いや、事実そうなのだが。つるりとドアノブにかけた手が滑る。

 真人はぱちぱちと数回瞬くと、「何驚いてんの」と語尾を高くして言った。

 

「いや、何でも」僕は咄嗟に真人から目を逸らし、気を取り直してドアノブを強く握った。「何でもないよ」

 

 指先が力む。無意識の内に、息が詰まった。

 手首を捻って半回転させてから、恐る恐る扉を引く。扉の先には、当然宇宙ではなく、煤けた灰色のコンクリートが見えた。埃やかび臭さが鼻をつんと刺激するが、それに安堵を抱くくらい、僕は得体の知れない不安に苛まれていた。

 

 

「俺はどうしようかなぁ」なんていう真人のぼやきを背後に、渚と廃墟の境界線を踏み越えた。

 

 

 

 




 ちなみに今は原作開始1年前くらいです。
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