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勝手な解釈と捏造続行中です。許してクレメンス(死語)
薤露
「どうすんだよ、この人間の山」
僕の声が、湖畔に響いた。空しい響きに感じたのは、境内でふんぞり返る宿儺の無言、無反応のせいだろう。
梅は以前、「宿儺様はよくお話して下さいますよ」と言っていたが、とんでもない、彼は口を一文字に固めていた。
視線をやるべきではないと分かっている。でも、気を抜くと自然と、怯える人間たちに目が行ってしまう。連れ去ってきた彼らは、血の気が失せて明らかに顔色がない。
宿儺は頬杖を着いて、上座に腰かけ、じっと見ている。
「この人たちどうするの」僕は痺れを切らし、宿儺を見上げた。「もしかして食べるとか?」
冗談半分に言ってみるのだが、宿儺の僅かな反応から、それが正解だと嫌でも分かってしまう。
嘘だろ、と口を引き攣らせる。「踊り食い?」
風がぶわっと僕を叩いた。鋭く、嫌な響きがしたことに、その時はまだ気付かなかった。僕はその場に倒れ込んでいる。
意識が遠退いていく。目を開く。
「冗談だって」
それから暫くした頃、桟橋の中腹で飴玉を咥え、一人で空を眺めていると、声が掛けられ、誰かと思えば梅だった。「ああ、人間を沢山
「──おい」宿儺が漸く口を開く。
「御意に」梅は頭を下げた。
「その人たちはどうするの?」
「調理します」彼女は場馴れした様子で続ける。「宿儺様はお食事を好みますから。人間だと、特に」
僕は、今自分が口に含んでいる無味の飴玉が急激に美味に感じ、「宿儺はどこまでも悪趣味なんだな」と思いながら、「簡単にできるものなんだ?」と首を捻った。
「技術は必要ですよ」梅は弾んだ声を出す。「美味しい食事を提供するのが、宿儺様の隣にいるための、私の存在価値です」
「存在価値」
僕はそう呟いた後で、手慣れすぎでしょ、と無意識に頭の中で指摘した。
痛い、助けて、頼む
じわじわと気分が高まるが、やはりそれを認めたくはなかった。
全く、活きがいいのは良いことですけど、と梅は言っている。宿儺の声は聞こえない。
ただ、ほどなく、「急用だ、直ぐに戻る」と突然空気を張り詰めさせた宿儺が、背を向けて伝えてくる。
「急用?」
僕はそのまま返す。誰か来たのだろうか。こんな突然、何の用事だよ。
「左様で」と梅は、完全に僕を置き去りにし、自分だけで受け止めている。
結局、宿儺が居なくなってから僕は、せめて、という思いで、「こんなことバレたら困るんじゃないの?」と訊いた。「呪術師の娘が、宿儺と一緒にいるなんて」と。
すると彼女はその時だけ、不満で物思わしげな声になり、「息がしづらいんですよ、あそこは」と言った。
「じゃあ、この解体技術はどこで習ったの?」
「さあ。生まれつき得意だったようで」
笑う彼女が急に不気味に感じられ、僕は真っ白な着物をしみじみと眺めてしまう。
解体作業が終わってからの会話は、普段通り、落ち着いていた。
「薤露は今まで、どんな生活を送ってきたのですか」と言った後で、「私は、あの家は居心地が悪い」と声を落とした。
彼女が宿儺を尊敬しているのは僕も察していたが、にも拘らずこの赤い社に居ないことが多いのは、自身の家に帰らざるを得ないからだろう。
息がし辛い環境に戻ることを強制されるのは、僕が、自身の起源を睥睨するのと、同じことのように思えた。
「……
生まれてきたせいで死ぬのが怖くなってしまったのだから、僕はこの酷い現実を呪いたくなったけれど、誰に怒りをぶつけたものか分からず、仕方がなく生きていた。
「でも最近は、前よりは充実してる」
「何故ですか」と彼女は怪訝そうな声で応える。
「名前も貰ったし、友人もできた」宿儺には頻繁に殺されるけど、とは言わない。
「…………友人?」
「思い切って、宿儺に着いて行く、って決めて良かったよ。今までの自分じゃ考え付かない選択だった」
「
彼女は刺すように言った。
そんな殺伐とした返しが来るとは思わず、僕はびくんと背筋を伸ばした。
なにも、宿儺だけを指したわけではないのに。とは言わない。
梅の術式で発生した氷が、木漏れ日を貯め込んで煌めいている。言葉を間違えれば、今度は僕がこの氷の餌食になるのだろう、とやすやすと想像できた。
「キミはなんで、そこまで宿儺を尊敬してるの?」
僕は冷静を装って訊ねた。
呪術師の家系、それも有名な血筋を引いた少女が、どういう展開になれば宿儺を尊敬するようなことになるのか。
「まあ色々ありまして」
梅は、そのあたりの説明はするつもりがないようだった。
「半ば出奔していたところ」と彼女は一瞬、言葉を詰まらせてから、「色々なことがあり、今に至ります」と言った。
「色々なこと」
目の前で、只今調理中という様子の赤黒い肉塊が、みるみる内に料理になっていく。
これは元人間だぞ、昨日まで息をしてたんだぞと、こちらを責め立てるのだが、少女の腕は確かなようで、以前の面影はない。
包丁で捌き、加熱し、並べていく。
彼女の言う色々なことも、捌き、調理し、片付けてきたのだろうか。
「薤露は人間を殺すのが嫌いなんですか」梅が言ってきた。
「殺すのが嫌いというか、責任を負うのが嫌だ。僕は死にたくないだけだから、余計な荷物を背負いたくない、というか」
少女がじっと見つめる。それはまるで、「本当にその答えが、本音なのか」と念を押すようでもあった。
「
「ミョウタイフニ?」
「
「はあ」
「名前と体は不離だ、などという仏教の概念ですが、私は、要するに生まれて名前をつけられた段階で、その人物の本質は決められている、という教えだと思っています」
「それ、今の話に関係ある?」
「さあ」
「えぇ……」
僕は答えた後で、これはもしかすると、もっと自分自身と向き合え、という助言なのかもしれない、と解釈した。
「薤露」と名付けられた僕の本質、なぜ「死」を悼む歌なのか、ということだ。
しばらく考えていると、器の中の水が限界を超えて溢れ出すように、呆気なく胸の内側に答えが溢れ出た。それは僕の呪霊としての本能に対する最大限の抗いだったのかもしれない。
「やっぱり、ちょっと変えるよ」と宣言した。「『死』は怖いって誰よりも知ってるから、わざわざ僕の手で連れて行くのが心苦しい、のかもしれない」
内心を慮れないが、梅はふっと口元を弛めた。それは馬鹿にしているようにも見えるし、自然と溢れ出た笑みにも見えた。
「呪霊らしくはありませんが、その方が、薤露らしいかと思います」
「……キミは酷い名前をつけたよ。僕は呪霊だから、
「ああ、──なら、どうぞ苦しんでください」
「一体何の恨みが」僕は眉を下げる。「まあでも、名前を貰えたのは嬉しい」
「……嬉しい? 嫌な名前なのに?」
「生きてる意味というか、資格というか、そういう些細な理由が無いと、全部が嫌になりそうだから」
少女は、宿儺以外の相手の話題や世間話、相談事に興味がある人種には全く見えず、むしろ、そういう類を一蹴する雰囲気を持っていたが、僕を追い払うことはしなかった。
話してください、と言われない代わりに、拒絶もされなかった。だから、僕は話を続けた。
生まれてきてからのことだ。中身のない生活のことを喋り、思いつくままに、過ごした時間を述べた。僕が特別
けれど結局、そのことも話した。
彼女は口を挟んでこなかった。
一度だけ、「興味を惹くものは無いんですか」と言ってきたのと、生まれてから嬉しかったことを訊ねてきたくらいだった。
「────ああ、成程」
聞き終えた彼女の第一声はそれだった。
「成程?」どこを指して、「成程」と納得したのかは不明だ。
「……貴方は、それで、死ねるなら死にたいんですか?」
「ああ、それか。死ぬのは怖いよ」僕は肌を摩る。「生きてても良いことない、とは考えてるけど」
はあ、と彼女は顎を引く。答えを考えている、というよりは、どこから解決すべきか悩んでくれているようでもあった。
「薤露は」と口を開いたのは、一つ目の料理が完成してからだ。「薤露は、生まれてきて良かった、と思える理由を探している」
うぎゃ、と僕は呻き声のようなものを上げそうになった。今まで、ずっと目を逸らしてきた事柄に、強制的に目を向けさせられた気分だ。
「呪霊らしくない性格は、その理由を見つけるのを、阻むための防御装置なのではありませんか」
「防御装置?」
「真っ暗な夜は、灯りがなければ何も見つけられないでしょう。それと同じように、沢山の嫌なことで目の前を塞がれて、答えに辿り着けないように、貴方には“縛り”が課されているのでしょうね」
「……課されているって、どういうこと?」
彼女は興味もなさそうに、軽く返事をした。「さあ。天与呪縛の類では」
完成した料理を並べるために、梅は社へと戻っていった。
ぽつんと残った僕は、桟橋の方向を目指して歩き始める。
じゃあ答えに辿り着いたら、僕はどうなるのだろうか?
気付くと、白っぽい月が夕空に浮かんでいた。ずっと前からそこにいるキミなら、その答えを知っているのではないか。そう思った後で僕は、ああそうか、と呟く。
そうか、それは道を照らす準備中か。
薤露
天与呪縛の件はまだしも、最早これ以上の問題は起こらないと高をくくっていた。裏切られた思いすらあった。
まさか、またもや不審な人物と関わる羽目になるとは思ってもいなかったのだ。
あれから数日経った日のことだ。
宿儺が人間を鏖殺するために降りた人里で、急に物陰から話し掛けられ、僕は振り向いた。
驚いた拍子に飴玉に歯を立てたせいで、砕ける感触がする。
「宿儺と一緒に行動してるっていう呪霊は、キミのことか」と彼は言った。「中々強力な術式を持ってる、って聞いたけど」
彼は辺りの惨状に目をやりながら、口に手を当て、驚いていた。「なんて恐ろしい」と一歩退くが、芝居がかっている。
僕はそこで、「近頃の宿儺の急用ってのは、キミのことか」と指摘しても良かった。だから、ここにいるんだろ。
ただ、それを話したところで何か得になるとも思えないため、僕は言い出さなかった。
「これは生き残りは居なそうだな」男は言った。
「ああ、それはいつも居ないよ」
「いつも?」
「呪術師が来ることもあった。最近は、人数も減ったけど」
「長い付き合いなんだ」
「そこまで長くないよ。今は宿儺を見て、色々学ばせて貰ってる」
「宿儺から、ね。じゃあ、あそこで人が死んでても何も思わないんだ」
男は宿儺の鏖殺現場を見やり、言った。
急な物言いに呆気に取られるが、すぐに気持ちが波立った。
「それよりも、キミは誰なんだよ」
彼は、「
「薤露」と僕が言うと、彼は、「大陸の歌の名前か」と感嘆するように頷いた。「葬送の時に歌われるらしいね」
さも常識である、と説明するかのような顔つきで言うため、ほうほう勉強になるなと受け入れそうになる。
背筋を伸ばすと、倒壊した家屋の脇に立つその男に向き合った。切り刻まれた惨殺死体の方を見て、驚く素振りをしていたが、僕の顔に視線を移すと柔和な目になった。
「聞いたよ。薤露は死なない呪霊なんだって?」
「別に死んでないわけじゃない。代わりに違う人が死んでるだけで」
「実質不死身なんだろ。呪術師が手を焼くわけだ」
「……何が目的? 話しに来たの?」
敵意のない歓談に、僕は自覚している以上に気を緩めつつあった。
羂索は無惨な死体に一瞥をくれ、じっと観察する。
「できれば、友達になりたいと思ったんだけど」
それは本当か、と食いつきたくなる衝動を堪える。「建前でしょ。宿儺に用事じゃないの?」
「本音なんだけどな。私も似たようなものだし、共通点があるから分かり合えると思ったんだけど」
「似たようなものって…………まさか死なないとか?」
冗談交じりに訊ねてみると、穏やかな笑みを返されるので唖然とする。
「────え、本当に?」
「厳密に言えば少し違うけどね。ちょっと中身を移動すれば、その肉体で生きていけるんだ」
彼は曖昧に濁しながら、
まさか僕と似た人間がいるとは思ったこともなかったから、胸の内側がぱちぱちと弾け、予期せぬ遭遇に目を瞬かせた。
死なない人間がいる未来を夢想する。
そうなのだ。人間は必ず死ぬから僕がいる。
胸に針が刺さるような違和感があった。死なない人間はいない。忘れていたが、それは常識だ。
改めて受け止めた拍子に、ふと思い浮かんだのは白い少女のことだ。
彼女も、いつか死ぬよな。かちり、と使ったことのない術式が動く気配があった。
「ほう」と後ろから宿儺の声がした。
はっと我に返る。
来ていたのかと思えば、新しい娯楽の種を見つけたような表情で、こちらを見ていた。今度は何だ、と訊ねたいほどだが、今はそういう空気ではない。
「やあ、宿儺」羂索は焦るでもなく、淡々と言った。「キミのところの呪霊、聞いていたよりも面白いじゃないか」
宿儺が最近、急用と言って拠点を離れていたのは、やはり羂索が訪れていたかららしい。
宿儺をちらりと確認すると、見る者に恐怖を抱かせる顔立ちに、薄ら笑いを浮かべていた。
「宿儺様、お邪魔して申し訳ありません」颯爽と登場した梅は羂索に対する敵意を微塵も見せず、礼儀正しく言い、「薤露、下がりますよ」と続けた。
僕はこれ幸いと頷く。「先に戻ってるね」
帰った後のことだ。
その頃、僕らが襲った村は呪術師たちが囲んでおり、梅と僕も対峙する羽目になった。梅は姿を隠していたものの、見られた時のことを考えれば安心できず、近くにいた呪術師は軒並み彼女に殺られていた。
見慣れた赤い社に戻ると彼女は淡々と、攫った人間の解体作業に戻った。
宿儺の傍に居たり、
気付けば目の前にいる彼女に、「キミは結局どっちがいいの?」と訊ねていた。
「……どっちとは?」
「家は息がし辛いから、今は半分呪詛師みたいなものでしょ」
僕はなるべく、自分が悪意なく相手の目に映ることを期待し、穏便に努めた。
「こっちの方が息がしやすい、って言ってたけど。今はどう?」
梅の表情は大きく変化しなかったものの、凍った水面にぴしぴしと亀裂が走るのと似た、力が入ったのは見て取れた。
羂索との会話で、人間はいつか必ず死ぬと気付いてしまったから、後に引けなかった。
「僕は呪霊だから選択肢も何も無いけど、キミは人間だ」
彼女はそこで、安易に憤ったりはしない。じっとこちらの真意を読み取ろうとしている。
「死んじゃうんだから、生きるなら危なくない方がいいと思う」僕の声は少し震えた。「高名な呪術師の家系に生まれて名を継いだなら、その本質も、名前の通り決まってる筈だよ」
遠回しに、呪術師の方が向いているだろうと指摘する。
少女は腕を少し広げる。「名体不二ですね」
「そう、名体不二」僕はそれが信仰すべき教えだとは思っていなかったが、今は同意する。「宿儺が負けるとは思えないけど、キミも見つかったら大変なことになる。表向きには呪術師なんだろ」
彼女はまた、こちらを見る。
「……死んだら、全部お終いですからね」と言ったところで、梅は僅かに目元を緩める。
「そうなんだよ。死んだら、終わりなんだ」
小馬鹿にするような面持ちを見せた。「『死』を畏れる感情から生まれた呪霊が言うと、重みが違いますね」
薤露
「で、そのまま口を利いてないと。何がしたいんだ?」僕の前に腰掛ける羂索が言う。
赤い社に掛る桟橋の上だ。月が真上に昇り、宿儺が珍しく寝ていて時間を持て余したため、境内を出て桟橋にやってきた。
橋の柵には既に羂索が座っていた。何でここに居るんだ、と訊ねるのはやめた。恐らく彼は「話に来た」のだろうし、僕はまた納得しないだろうから。
「一つは、態々危ない方を選んで欲しくないって思ったから。そもそも、僕からすれば『死』に近い方に来るのは、理解できない」
「薤露は、死ぬのが怖いから生きてるんだっけ」
「その通り。そもそも生まれてこない方が正解だと信じてるくらい」僕は答える。「二つ目は」
「二つ目は?」
「僕に厄介な名前を付けたんだ。単純に憂さ晴らしだよ。もっと悩め! って」
「面倒臭いやつだな」
「中身と正反対の名前を付けられてみろよ。ますます生きているのが苦しくなる」
羂索はそこで、じっと視線を向けてくる。
「なんだよ」
「じゃあ逆に、死にたいって思う?」
「いやそれはない」僕は自ら死を選ぶ光景を想像し、身震いする。「死ぬのは怖いからね。なら面倒でも、生きてた方がまだ良い」
虫の鳴く声と、木々の葉が擦れる音の輪唱だけがあって、それ以外は湖畔に音はなかった。
羂索が僅かに息を吹き溢したことに気付いた。風がぶつかる振動は確かにあるのに、静寂が漂っている。
「宿儺の言う、キミの矛盾が分かった気がするよ」
ほどなくして、羂索が言った。風がぴたりと止んだ。水面には波立つ星影が映っていた。
「僕がいなければ死ななかった人に同情する矛盾、のこと?」
曖昧に、けれど毅然とした態度で答える他ない。
「自分は平気で人間を殺すくせに、いざ自分が死ぬとなると怖くて嫌だ、って思う矛盾もだ」彼は僕から視線を逸らさず、続けた。「呪霊ならそれは正しい矛盾だ。でも、薤露は、その矛盾に違和感がある。違う?」
言葉に含まれた意図はきっと、壁の中を穿鑿するような探究心と、気味の悪い好奇心の抱き合わせだった。胸の中で、ぶわりと複雑な気分が広がった。肌が粟立つ。
眉間に皺が寄るのが分かった。指で解きほぐすように擦る。
相手が本当に危険人物かどうか分からない場合でも、発言に嫌悪感や危機感を抱くのなら、無視するに越したことはない。
それは、僕なりの処世術、処世術というよりも常識だ。
下手に疑うのも、争うのも好ましくない。なぜなら面倒だし、そもそも興味もないからだ。
「……似たようなこと、この前も言われたから止めてよ」
「掘り返して悪いね」
羂索はしらっとした表情で、肩を竦める。
「そうだ。それより梅のこと。どうなるかな」僕はそもそもの話の発端を思い出した。
「ああ、その話だったね。薤露が心配する必要なかったと思うよ。あの子、キミより強いだろうし」
「でもいつか死ぬだろ」
「当然」羂索は無表情に答える。
実際のところ、僕は自分の前に立つこの人間がどんな感覚でいるのか分からなかったが、それでも向かい合っている内に、相手に少しずつ親近感と
「呪術師から、わざわざ呪詛師になる必要あるかな」僕は水面を眺める。
「人それぞれだよ」
「へえ」水の月に手を伸ばしてみた。
羂索は、僕の適当な返事にわざとらしく不満がりながら、「落ちるよ」と注意した。
「なら、羂索は何が目的なの?」僕は水面の世界から、意識を戻す。
羂索はゆっくりと口角を歪ませ、組んでいた両腕を解きながら、そうだな、とぼやいた。
「今は薤露と仲良くなりたいかな」
なんだと! と目を瞠る。
やめだやめだ、とややこしい悩みが一瞬にして、僕の中から吹き飛ばされた。
「本当に、そう思ってる? 僕みたいな呪霊と仲良くなって、何か得する?」
「むしろキミだからだよ」
「人殺しの手法なら宿儺に、料理の腕ならあの子に弟子入りすべき」
彼は食い気味で言う。「それの師事は求めてない」
「ええ、でも、じゃあ!」
すると羂索は、「予想できないじゃないか」と子供が将来の夢を語るような口調で、僕を指差した。
「人間が克服できない類の
顔が引き攣る。「ああ、そう……貶してる?」
「まさか!」
そうは言うが、僕自身が予想していた答えとは斜め上方向に違ったものだから、素直に喜べる筈もない。
「誇るべきだよ。薤露の起源となった感情は強大だ。きっと術式も磨けば磨くほど強くなるだろう」
「人間を殺すために?」
「他のことでも良い。寿命の回収ができるなら、逆はできないのか? たとえば……
できない、と僕は強い口調で否定した。
いかにも物が分かったような態度に、ムキになっていた。
冷静になり、ふと自問自答してみるも、「そもそもやったことないし分からない」という結論が下される。
「実は、薤露のその術式が羨ましい、と言ったらびっくりする?」
そのまま羂索は軽快に言った。驚いた僕はただ口をぽかんと開く。
「え」
「嘘だよ」羂索が小さく笑う。「羨んだところで、どうにかなる問題でもない」
僕は羂索の顔を見ながらも、応えることができない。
「あ、今の冗談を真に受けた?」
「冗談に聞こえないって」
おお、と何故か嬉しそうに相手が歓声を上げる。「言っただろ、薤露と仲良くなりたいだけなんだ」
確かに彼は僕を殺さないし、敵意も感じられないが、それは単なる気まぐれだった可能性もある。気まぐれで僕と話し、気まぐれで僕を殺す。
まるで宿儺じゃないか、とおえっと嘔吐きそうになる。
「信じて貰いたいから、って訳では無いけれど。言いたいことが二つある」
「良いこと?」と訊ねた。良いこと以外は聞きたくもなかったからだ。
「良いこと、かな。正確には、いい助言と面白い提案かも」と彼は楽しげな息を洩らす。
「助言? 何のだよ」
「キミの術式を更に強くする方法」
「どうやって」
「この前、宿儺に訊いたけれど、身代わり以外の方法でも人間を殺せたらしいじゃないか。遠距離で、死にかけてる人間を自発的に」
「できなかったわけじゃない」
「だろうね」
あまりに相手が簡単に言うので、僕は拍子抜けした。
「私もそうだろうな、と思っていたよ」と羂索は続けた。「術式の進化には、きっと動機が必要なんだろう。薤露が、相手が
僕には、なるほどね、という言葉を返す余力もなかった。
「薤露は、『死を畏れる』感情そのものだから、『死にたくない』という根底が揺るがない。その根底がある限りは不死身でいられるんだ、きっと。その代償が何であれ、ね」
「その通りかも」今度は声を出せた。
羂索は少し笑っている。「だから、新しいことをするなら、その仕組みが肝になる」
「新しいことって、たとえば?」僕は、羂索の言葉に惹かれ始めている自分に気付く。「さっき言っていた蘇生とか何とか?」
それは難しいと思うよ、と続けようとする。
しかしその際、羂索は食い気味に、薄ら冷徹さを感じさせる声を放った。
「そうだな、たとえば……あの子、梅は人間だよね」
「うん?」
「宿儺は別枠だから、まあ置いておくとして、私や薤露と違って、彼女は不死身ではない」
「まあ、いつか死ぬよね」
「そう」羂索は言う。「順当に行けば、キミ
「……僕がそれまで生きていられればね」
何が言いたいんだ。僕は自分でも意識しない内に、自嘲気味な口ぶりになっている。順当に行けば、彼女は呪術師に戻るだろうと勝手に思い込んでいた。
「珍しく悲観的じゃないか。いや、揶揄っているわけじゃない。死なない方法ならあるよ」羂索が声を潜めた。「そっちが、面白い提案だ」
一体何のことだ、と僕は首を捻るが、その時に、「あれ」と羂索が言った。
朝日とは反対側の、既に沈みゆく月の方向を見遣った。
「珍しい時間に来るじゃないか」
え、と僕は首を突き出して、じっと目を凝らした。羂索の向こう側で、木々がさざめいている。
「何が?」と訊ねようとした時に、その姿が見えた。
真っ白い少女が、しんしんと歩いて来たのだ。彼女の周りだけ冷気が漂っているのかもしれない。
「────梅だ」僕はぽかんとしたまま、呟いた。
「え……何で、こんな時間に?」
「やっぱり、心配いらなかった」
羂索が、僕の隣でくっくと喉を鳴らす。
突然、梅が噴き出した。それから、小さな声で笑い出し、肩を揺らした。
以前の僕の発言のせいで、精神的な動揺や、憤りの反動のようなものが起きたのか、と僕は心配になったが、どうやらそうではないようだった。
彼女は愉快げに、笑っているだけだった。「お揃いですよ」と言った。
「お揃い?」僕はそう言われても、ぴんとは来なかった。「何が? 宿儺の手下?」
朝ぼらけの空に浮かんでいた月が、沈んでいく。
「選んできたんですよ、どっちにするかを」梅が言う。彼女は首を傾けて、赤い社を見ていた。
嘘だろ。捨ててきたのか?
さっと血の気が引く心地がして、何か大きな過ちの後押しをしてしまったのではないか、と不安に駆られた。僕は眉を顰めてから、その気持ちを伝えるべきかどうか悩んだ。
視線が合う。
彼女が、「名体不二」と声を上げる。「とは逆ですね」
彼女が何を思ったのか、何をしたのかは分からない。
しかし同時に、彼女のさっぱりとした顔を眺めている内に、細かい疑問や下らない悩みは、どうでもいい気分になっていた。
逆か、そうか。
「そうだね」と力を抜く。「僕たちは
これは彼女と僕の共通点だ、と思った。何言ってんだ、と冷ややかな目を向けてくる羂索がいる。僕はそいつに気付かないフリをする。
桟橋から赤い社に出るところで、彼女が、「これからは、面倒が増えますね」と言った。
僕の方にはそれを咎める理由がなかった。ただ、「あのさ、名前のことだけど」と考えながらも言った。「別に、お揃いが嫌な訳じゃないけど」
「けど?」
「ひっくり返しちゃえよ」と提案する。「名前。その方が気分良いかもよ」
「良いですね」少女はすぐに答えた。
彼女の喋り方は、本当に、「良い」と思っているように聞こえたし、その場しのぎの軽薄なものにも思えなかった。
だから僕は、名前を口にしてみることにした。
「────
もう一度、良いですね、と声がする。
裏梅は軽快に言うと、口元を綻ばせた。微笑みつつも、雪解けの途中じみた肌寒さを感じさせる顔つきだった。
「薤露も変えたいんですか」
変えないよ、貰い物だもの。
羂索と裏梅は宿儺に用があるらしく、桟橋に佇む僕を残して歩いていった。
「あ……」
まるで、死なずに停滞する僕を取り残して、自分の望む世界に繋がる暗い道を、二人が歩いていくようだった。
薤露
この村に来るのは、二度目だ。
「近頃のオマエは、まあ、悪くはない」宿儺は言った。「が、些かつまらんな」
僕を一瞥するとその後に、副左腕を、軽く振るうようにして挙げた。斬撃が飛び、咄嗟に横に身体を逸らした格好で、取り残された右腕が切断される。
死なないとはいえ痛みは勿論あり、いつも宿儺の機嫌次第で攻撃され、その都度酷い目に遭う。
すぐに右腕を治し、辺りを見渡す。咎めるのは愚策だ。
人気がないのは分かった。腐臭や焦げ臭さが漂い、ゆっくりと鼻を刺激してくる。
「ここに何の用?」
僕らが居るのは、僕が宿儺と同行し始めて、初めて襲った村だ。
村の中央部まで歩いていった宿儺は立ち止まると、くるりと身体を反転させ、向かい合った。
「心配せずとも良い」と宿儺が嗤った。「構えろ。遊んでやる」
「は?」
宿儺が何を考えているのか分からないが、物騒な予感はあった。「嫌に決まってる、待って」と僕は両手を前に出す。
嫌だよ、ともう一度、声をかけようとした。
宿儺がだらんと半身の力を抜いた。
そして、躊躇いもなく僕を殴り飛ばした。厳密に言うと、接近したところも殴られたところも見えなかった。
まず、目の前が白くなり、自分の姿勢が崩れ、一瞬宙に浮かんだと感じた直後には、家屋に身体を衝突させていた。
何が起きたかすぐには分からない。そんなにも機嫌が悪かったのだろうか。
痛さよりも、殴られた腹部全体が熱い。
混乱と恐怖に襲われる。自分の身体が、指先から凍りつき、そのせいで震えて状況が呑み込めない感覚だった。
近頃の平穏な時間を思い出す。
突如として突き落とされた現状に、頭から水を浴びたような恐ろしさを感じた。
どうやって自分が立ったかも分からない。右側の脇腹に違和感がある。手で触れると、潰れた果実のようになっていて、崩れている。
「構えろ」と歩いて来る宿儺が言う。指を上へ、くいくいと動かす。
それに従い、僕は呆然と、片足を一歩前に出した。
このままでは死ぬ。どうしたら良い?
死にたくない。では。どうする?
器の中の水が、表面に張った膜の限界を超えて、一気に溢れ出すように、胸の内側から何かが溢れ、外側に流れる。急速に頭の中が晴れ渡る。
僕は地面を蹴った。
次の瞬間、後方の家屋が斬り裂かれた。臆している余裕はなく、僕は先程よりも勢いをつけ、転がるつもりで地面に飛び込む。
右手を前に伸ばし、視界に映る
自信はなかった。
ただ希望はそこにしか無かったのだ。
このままでは、死ぬまで殺されるという確信だけがあった。
遂に呪力の刃が、僕の身体に触れた時、その正体はすぐには分からず、切り刻まれる身体をぼうっと確認しながら、宿儺の位置を見る必要があった。
「どうした、終わりか」
そう言う宿儺に僕は頷く。「できることはした」
宿儺が一歩
精々人一人分程度の範囲の地面に、僕の術式を施した、
新しいことをするなら動機が重要になる。羂索の言うことは正しかった、ということか。こんな形で使うのは初めてだったが、不格好ながら術式は動いた。
ざぶんと波立つ音がした。
我ながら凶悪な、自発的に使うことは殆どない、相手を彼岸に引きずり込む術式の応用だ。
宿儺の足元に黒い池ができ、彼は直立不動の体勢から一歩足をふらつかせた。
それを見届けた僕は呼吸を止める。
再生した時はどうなっているだろうか、と思う。殺せてないだろうな。
強敵と交戦した時のことを考え、何らかの防衛手段を事前に磨いておくのは、生き物が命を守るための基本だ。
武器や切り札を隠しておくだけで、形勢逆転が狙えることもある。
僕は別に魅力的に感じないから分かり合えないが、その一手のために、戦いを楽しむことだってあるかもしれない。
だから、「つまらない」と宿儺は僕を評価したのだろう。何も無いから。
起きた時に、怒ってないといいな。
僕は、こんなことになっても、やっぱり術式を鍛えるなんて嫌だと思った。
だって僕は「薤露」だし、人間を蹴落とす時の、あの邪悪な高揚感を認める方が癪だ、と。
時間を稼ぎたい時に限って素早く蘇る。そんな気分になる。
今この瞬間に願いがひとつだけ叶うのだとしたら、まず間違いなく、僕の腹を踏むこの大男を退かせてもらうだろう。
うごうごと手を伸ばし、草履を押す。また殺されるかもしれない、と覚悟をしていたが、違った。
「特定の場所を踏むことを条件に、限定的に彼岸を展開するか。思い付きにしてはまずまずだな」
宿儺の機嫌が戻ったことは、呆れ切った、淡々とした喋り方ですぐに分かった。
「こんなに、死に物狂いで戦うのは初めてだったよ」呪力が枯渇気味なので、強がることも気取ることもできず、朦朧と答えた。「暫く動きたくない」
大きな岩を無理やり動かすような気持ちで、宿儺の草履に触れ、真上の二対の目を見遣る。不愉快さはない。そう言えば、攻撃された時も、この表情だった。
「戦いの何たるかは、理解したか」
「うん」僕は、相手には通用しないにも拘らず、抗議するつもりで言った。「ばっちり分かった。何度も殺されて、ええと」
「術式」
「ああ、そう。術式」息を吐く。「キミを殺そうと使ってみた術式も、全然歯が立たなかった」
これではこれから処刑される囚人の告白だ、と思った。足が退かされる。少しだけ呼吸がしやすくなった。もしかすると、これは彼なりの指導の形だったのかもしれない。
「オマエはどう思う」
何のこと、と言いかけて気が付く。羂索と最近、不思議な交友関係を築いていることを、宿儺には話してあった。「羂索のこと?」
「……呪霊にとっては、己以外は殆ど関係ないか」
「まあ大体そうかも」最近は少し違うけれど。
「オマエがどこで死のうと、俺はどうでも良いが」宿儺は淡々と言った。「精々足掻くんだな」
足掻け、という彼の遠回しな助言はしっくりこなかった。「よく分からないけど、うん」と僕は答える。
宿儺はそれだけ言うと、背を向けて歩き出してしまう。
僕はぼうっとしていた。どのように立ち上がったのか、どちら側の腹が痛むのか、まるで把握できなかった。
はっとして宿儺を見る。遠ざかっていた。
「これもよく分からないけど」僕は本心を洩らす。「キミに着いていって、よかったと思うよ」
「は?」
振り返った宿儺は低い声を発する。
何故こんなことを口走るのか、僕は自分自身でも理解に苦しんだ。けれど、宿儺が急にらしくないことを言うから、まるでこの先、彼がどこかへ行ってしまうような錯覚に襲われた。胸が痛んだ。
持っていた飴玉を握り締め、気持ちを落ち着かせる。
「できることなら、キミと友人になりたいくらい、
宿儺が歪んだ顔を見せた。「はっ」
そのひと笑いがあまりに愉悦に満ちているもので、僕が愛想笑いの出来損ないのようなものを浮かべていると、更にこう言われた。「気色が悪い」
「言わなきゃ良かった……」
宿儺が消え去るまで呆然と立ち尽くしていたが、そう言えば拒否も殺されもしなかったな、と思ったところで、即座に辺りを警戒した。
思考が読まれでもしたら、あと何回殺されるか、想像したくもない。
「……それにしても」
この先何が起こるのだろう、と思う。
僕は崩壊した村の跡地を進んで、周囲を見渡す。先日に突如、羂索から話しかけられ、奇妙な関係が続いていることを思い浮かべる。
あの辺から、事態は複雑になっているのかもしれない。
宿儺はいち早くそれを察していた、ということか。
・薤露
できること→残機(寿命)回復。遠距離攻撃。即死トラップ。
・裏梅
家紋あてがって勝手に捏造。女の子だよね?(震え声)
・宿儺
どういう経緯で呪物になったんだろうか。ファンブック曰く暇つぶしの達人らしい。千年以上ぼーっとしてられんのは才能だと思う。
・メロンパン
J( 'ー`)し カーチャン
・みんな大好き獄門疆
定員一名。封印されたやつが自死しない限り再使用不可。