死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 渋谷事変、2話目です。

 話の都合上、伊地知が刺されるタイミングと、メカ丸の傀儡破壊のタイミングが前後しています。


戻り梅雨に呪霊

 

 獄門疆に五条悟を封印した後、羂索の隙をつくのだ、と僕はつらつらと考えていた。

 「夏油と手を切るならその辺りかな」と真人が言ったからというのもあった。

 

 けれどまさか、五条悟の封印された獄門疆を、その場から動かせないイレギュラーが発生するとは、思ってもいなかった。

 しかも、羂索が使っている今の身体が五条悟の知己とは、予想外も予想外、本当に狡獪な男だなとつくづく思った。

 

 

 

 獄門疆は、すり鉢状に凹んだ地面に沈んでいる。両膝を抱えた形でそれを眺めながら、僕は内心で困惑していた。

 恐らく僕の時は、()()はなっていなかっただろうな、と現実逃避で昔日に思いを馳せる。

 

「何コレ。どういうこと?」

 

 真人は、軽妙で弾んだ口調だった。

 予想外の出来事も重く受け止めず、あっけらかんと対応できるのは、真人の数少ない良いところだ。

 僕は、隣に屈み込んできた真人の横顔を窺った。楽観的な態度は僕を落ち着かせるには効果的だったが、それが本心からの態度であるかは怪しいところだった。

 

「封印は完了している」

 

 腕を組んだ羂索の言い方はどこか、満更でも無い様子だった。勝利の余韻に浸っているのかもしれない。

 

「だがまだ、獄門疆が五条悟という情報を処理しきれていないんだ」と肩を竦めた。

 

「そんなに重たいんだ、これ」

「ふん、気になるなら持ってみればいい」

 

 僕は自然な会話で背後を振り返り、面倒臭そうに言い捨てる漏瑚の様子を気にかけながら、この後はどうする、と視線で訴えた。動かせないのでは隙ができない。

 漏瑚の瞼がぴくりと痙攣する。

 

 何者かの視線を感じたのは、その時だ。

 次の瞬間にはその場の誰よりも早く真人が動き出している。

 

 大きく撓らせた腕が素早く、後方の天井を穿つ。爆砕する音と瓦礫の崩落音の他に、金属が拉げる音が混ざった。遅れてやってくる爆風が前髪を揺らす。

 

「やられたね」と夏油が舌を打った。

 

 僕は目をしばたたいて、落ちてきた金属片を観察した。視線を動かすと、近くにいた脹相と目が合った。

 不機嫌な様子ではあったが、僕の疑問に答えてくれるのは予想できた。

 

「……以前手を組んでいた呪術師の傀儡だ。本体は既に殺している」

 

 いつの間に、というか詳しいね。と僕は疎外感に苛まれる思いだった。

 

「いやー、バレたね。こっちの状況」と微塵も困った様子を出さず、真人がうんうんと唸る。

 

 

 

 

 

 七海

 

 

 地響きで道路は小刻みに震える。

 暗い帳の下にいると、その閉塞感のせいか、自分の精神がぴりぴりと鋭く尖る気分になる。

 ぼんやり明るい駅の地下通路まで辿り着いたところで、白い壁に囲まれた七海は反射的に、手渡した服の白色、薄暗い星灯(ほしあかり)、そして不思議な呪霊との会話を思い出した。

 

 

 

「呪術師以外に、やりたいことはないの?」

 

 挽歌が訊ねてきた際、七海はほんの僅かに当惑した。

 

「やりたいことですか?」と咄嗟に取り繕ったものだから、同僚と話すかのような言い方になってしまう。

 

「うん、やりたいこと」挽歌は少し前のめりに目を細めた。「呪術師はクソ、って言っていたくらいだし、他にやりたいことの一つや二つはあるんじゃないかな、と思って」

 

「ありますよ」

 

 そう言った七海が真っ先に思い付いたのが、部屋に残してきた積みっぱなしの本のことだ。呪術師に戻らなければ、もしかすると、あの本の山はなかったかもしれない。

 そう考えると、あの本の山は、七海が失った時間の累積のようにも感じられた。

 いつ死んだとしても後悔はない。と頭では思っている。しかし挽歌の言葉で、つい社会人として働いている架空の姿を反射的に想像してしまい、七海は出来の悪い映画を見た気分になった。

 

 挽歌は七海の内情を露知らず、「大金で豪遊するとか?」と続けた。「冗談だよ、睨むことないだろ」

 

 やりたいことは何だろう、と七海は想像した。

 

「────海辺に家を建てて、本を読む」

 

「また本?」と挽歌が怪訝な表情をするものだから、七海は呆れた。「手を付けていない本が山ほどあるんです」

 

 そう言うと挽歌は少し穏やかな顔になり、「一応、応援しとくよ」と言う。

 

 

 

 

 

 そして七海は、今、歩道橋の上で立ち尽くしている。

 

 伊地知が腹を押え、首を前に出し、項垂れていた。

 歩道橋の柵にもたれかかり、か細い呼吸をしている。身体から流れ出た血液が、コンクリートの床に溢れている。

 

「ななみ、さん」

 

 伊地知が、精一杯の力を振り絞り、言った。生存報告であり、余命宣告だった。

 そこには安心させようとする意図が含まれていたのかもしれないが、七海は気にかけず、すぐさま家入の番号へ電話をかけていた。

 

 激情が頭を支配していた。血液が熱く沸騰し、身体全体を駆け巡るようではあったが、一方、頭は急速に冷えていく。

 

「なな、みさん」

「喋らないで。しっかり、意識を保ってください」

 

 屈んで、手早く応急処置を済ませる。患部のシャツには()()()()()()()()()()があったが、今は意識の外に追いやった。

 液体混じりの音が伊地知の声に重なり、不快だった。

 細切れの言葉から、伊地知は呪詛師の一人に刺されたのだと理解する。

 

 ほとんど七海の声など耳に入っていないのか、伊地知はさらに、「例の、呪霊がいました」と続けた。

 

「……まさか」

「呪詛師を、止めにきました。おかげさまで、傷は少ない」自嘲が含まれている。

「分かりました。もう無理に喋らないで下さい」

 

「はい」伊地知は分かっているのかいないのか、遠ざかる意識を引き戻すように言った。「ななみさん」

 

「何ですか」

「無理を承知で、()()()()が」

 

 七海は腰を上げ、伊地知を眺めた。どういう義理で、とも感じた。

 まさかそんなお願いをされるとは思ってもみなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕時計を見た。

 

 夜の十時近くであるから、目的の呪詛師を探し出すまでに掛かった時間は二十分ほどになる。

 二十代男性、長髪のサイドテールの若者だ。

 高専生の釘崎と補助監督の新田と交戦していたらしい。余裕綽々と七海の方を眺めてくる。

 

「いいんだっけ。黒じゃないスーツも殺して」

 

 愉快犯を気取って随分と甚振っていたようだ。自分の優勢を信じて疑わず、随分と無警戒に語り掛けてくる。要するに薄っぺらな人間なのだ、と七海は思った。

 隙をつき、新田が呪詛師の足元から這いずって逃亡している。不格好でも決死の覚悟に七海は内心で称え、感謝した。

 

 ようやく気付いたサイドテールの男が眉を下げ、振り返り、残念そうに呟く。「逃げちゃった」

 

 その瞬間、七海は男の背後に到達する。

 

「仲間の数と配置は?」と七海は訊ねる。

「知らない」と男が笑った。

 

 男は足を踏み出すと、妙な形の刀を下から振り上げた。七海は素早く、身体を動かす。最小限の動作のみで刀を避け、追撃の蹴りを、()()()くらって見せた。

 男が目を丸くする。何の手応えもないからだ。

 左手で、男の足を掴み、ぐっと握る。

 

「仲間の数と配置は?」

「知らな」

 

 身体が動いた。右の拳が飛ぶ。

 サイドテールの男は地面を二度、三度と蹴鞠のように勢いよくバウンドすると、デパートコスメ売り場の什器照明に突き刺さり、落下した。

 

「仲間の数と配置は?」

「だから、知ら、ッ!?」

 

 サイドテールの無い方を掴み上げ、壁に貼り付けたまま、腹部を勢いよく殴打した。

 大量の血液が吐き出される。それを一滴も被らず、七海は続けた。

 

「仲間の数と配置は?」

 

 男が蒼褪めた。まるで恐ろしい呪文を聞いたかのようで、七海は冷淡な目をもってそれを見下ろした。

 軽薄な笑みを浮かべていた面影は跡形もなく、恐怖に顔を歪めている。薄っぺらな男だ、と再度感じた。こんな呪詛師に、仲間は。

 鼻や口から、だらだらと蛇口のように血液を溢している。足は震えていた。

 

「ここに来るまで、何人もの補助監督が殺されていました」

 

 相手の首を持ち上げ、右の拳を力強く握り締める。力んだ指は白み、爪が内側の柔らかい肌を突き破りそうでもあった。腕を振り上げる。

 七海にできることと言えば、この卑劣で愚かな呪詛師をなんとか殺さないように、激情を押し留めることだった。

 

「アナタですね?」

「ご、ごめん、なさ──ッ!? まって、っあ、あアぁ!!」

 

 拳を振り下ろす。その直前。

 そこで七海は、目の前の呪詛師の声が、先程以上に酷く震え、風声鶴唳とした態度であることに気付いた。

 

 背後のエスカレーターから降りてくる気配があった。

 寒気が走った。妙に、自分の胸の内がざわざわと波立つ。

 呪詛師の男に鉈を向けたまま身体を傾けると、そこに、白いパーカーを着た、小柄で細身の、珊瑚色の呪霊が歩いてきたところだった。細い眉に、垂れ目が瞬いていた。

 

 ひっ、と喉を引き攣らせた呪詛師が強かに身体を捻り、無理やりにでも逃げ出そうとするのを押さえつけた七海は、その呪霊を見る。

 

 悪寒が背を撫でた。

 静かで、緩やかで、風のない場所で青田波が立つかのような不気味さに覆われる。不思議と、心が落ち着く春の甘く温い匂いが漂ってきた。

 

 呪霊はゆっくりと口元を綻ばせた。「見っけ」と言った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 黄色い線の内側を覗き込むと、ぐっと引き込まれそうになり、慌てて顔を引っこめる。

 その時ふと思い出したのは、七海と訪れた廃村、一軒の家屋で体験した不愉快な線引き(境界線)だった。

 

 あれは不快だった、としみじみ思い出す。思い出しながら、確かこんな感じ、と真似てなぞってみる。自分なりのオリジナリティを混ぜるのも忘れない。

 

 

「なあ挽歌はどっち派?」

「なに。何が。何派だって?」

 

 僕は呆れを隠しもせず溜息を吐く漏瑚を見ながら、反省をする。いや反省と言うよりは、自分の置かれている状況を上から見つめ直している感覚だった。

 

 以前はよく見た光景だ。僕が話の腰を折ると、漏瑚が怒り、花御が窘め、真人が笑う。今ここに陀艮はいないけれど、合いの手のようにひと鳴きするのだ。きゅう、と喉が締め付けられる。

 

「虎杖悠仁を殺すか、反対派か」と羂索が言った。

 

「反対派の()()()の意見は」

 

 僕は首を傾げたまま、困惑を唇の端に浮かべながら、そう答えた。

 見回し全員を一瞥してから、佇まいを直して羂索の表情を観察した。顔色の微妙な変化も見逃すものか、と見つめる。

 

「夏油はどっち?」知っている癖に僕は訊ねてみせた。

 

 羂索は、僕のしゃあしゃあとした態度を鼻先で笑っている。分かっている癖に、と思っていたのかもしれなかった。

 

「儂の側だろう」漏瑚が軌道修正しようと、口を挟んだ。

 

「ねえ漏瑚、虎杖殺害反対の理由は、宿儺を復活させるため?」

 

 彼らの当初の目的について記憶している情報を、頭の中で整理する。

 

「分かっているなら話は早い。貴様はどちらに付く」

「正直、宿儺には会いたくないな」

 

 僕は、仮に旧知の存在でも料理上手な少女以外に宿儺は容赦しないだろうと高をくくっている。

 

 なら早い者勝ちゲームしようか、と真人はそう言った。

 

 僕はゆっくりと腕を組む。どちらでも良かった。というより、その問題について気にしている時間がなかった。そこは皆に任せよう。幸い、真人と漏瑚が敵対心を剥き出しにして対立(仲違い)するとも見えない。

 

「審判しようか」と提案してみる。

 

「何を言い出すんだ」脹相の声だ。

「仕方ないだろ。僕戦うのは苦手なんだよ」

 

 脹相が顔を顰めた。

 暫しの無言の間があった。羂索はそれをにんまりと楽しんでいる。

 

 真人は穏やかな顔になって、羂索をじっと見つめた。「夏油は漏瑚側だろ、どうする? 参加しとく?」

 

「いや、私は獄門疆を見ていないといけない。遠慮させてもらうよ」羂索が言う。

 

 僕には二人がそのまま、無言で何十分も睨み合っているように思えた。一触即発で、触れようものなら爆発する繊細な琴線だ。

 実際は一瞬の出来事だったのだが、空気は凍え、脇にも冷たい風が走り抜けるように思えて、頭に昇った余計な熱を冷ましていく。

 

 が、ぱっと一瞬で緊張感で霧散した。

 

 

「よし」真人は人差し指を立てて、僕らを正面から見渡した。「よーいドン!」

 

 そうして次の瞬間、彼は階段の上へ向かって走り出し、漏瑚が咄嗟のことに唖然としている間に、後に続いた脹相共々、上階に姿を消した。

 漏瑚も同じだった。真人たちの裏切りを叱咤しつつ、後を追って走り出した。

 

 予想の斜め上の展開に、僕はそのままの姿勢で立ち尽す。「出遅れた!」ようやく根を張っていた足を引き剥がす。

 

 試合を行う会場への移動に、一人取り残されたようだ。

 殺しの予定は無いが、階段に向かって駆けていく。追いついて、早く作戦会議をしなければ。

 

 

 

 

 ところがそう上手くは進まなかった。

 羂索が声をかけてきたからだ。

 

 袖手(しゅうしゅ)して傍観していた彼は、僕たちの雰囲気の微かな違和が目に付いていたのか、「意外だな。君も宿儺を探しに行くんだ」と訊ねた。

 どきんと嫌に鼓動が跳ねた、気がした。

 

「……ここにいてもつまらないしね」

「参ったよ。予想外のアクシデントだった」羂索が笑いながら言った。

「いいよ、仕方がないことだ」

 

 疾く会話を打ち切ろうとしていた。てっきり僕は、羂索は、「怪しげな動きをする手駒候補」を牽制しているのだと思った。

 

 ところが羂索は、「本当に予想外だった」と続けてから、さらにこう言った。

 

「前使った時はこうじゃなかったんだ」

 

「……そう」僕はなるべく、自分が落ち着いて相手の目に映ることを期待し、動揺を押し殺す。「残念だね」

 

 羂索の表情は大きくは変化しなかったものの、薄氷にぴりぴりと細い亀裂が走るのと似た、罅が入ったのは見て取れた。

 かと言って今深追いするわけにはいかない。

 

「とにかく、僕たちは先に行くよ。キミと顔を突合せてひたすら喋るのも、悪くはないけどね」

 

 羂索はそこで、軽率に言葉を吐いたりしない。口角だけを持ち上げるように笑う。

 

「じゃあまた後で」

 

 それだけ言ってから僕はゆっくりと階段を上り始めた。足取りの重さを補うような鼓動がやけに早くて、思わず嘔吐きかける。

 これほど、希望のない約束はない。

 

 

 

 *

 

 

 

 真人は階段を上がりきったところで、腕を組んでいる。船を出帆させるため、風の弱くなるのを見計らっている、そんな様子だった。

 さらに離れた所に、脹相と漏瑚の姿も見えた。

 

「置いていかれたかと思った」と胸を撫で下ろす。

 

「置いて行っても良かったんだけど」

「なんて薄情なんだ、仲間に対してもこれか」

 

 僕は呆れてしまった。聞かなくても本心なのは分かった。抗議したにしろ、この男はのらりくらりと躱すに違いない。

 

 漏瑚が少ししてから口を開いた。「花御は役目を全うし先に逝った。状況が変わった。儂らがどうなるやも分からん。それでも、挽歌、アイツをやれるか」

 

「やるよ」構わず僕は言い放つ。「僕は僕ができることをする。やりたいと思ったようにやる。任しておいて」

 

 脹相がまばたきを多くしていた。「オマエ、本当に今までと同じ呪霊か」と困惑を半分見せながらも言う。

 

「同じ呪霊で、頼もしい仲間さ」真人が白々しい演技調で喋る。「呪霊らしくなっただけ。そうだろ?」

 

「うん。そうだよ」僕は大きく頷いた。

 

 皆の目的の邪魔となり、僕の命を狙う羂索を殺すのだ、と僕は強く思った。

 拳を握っていた。今から引き返してすぐさま戦うこともできそうだった。

 

 

 

 するとそこで、「ほんっとに、分からないなあ」と落ち着いた声で、吐き捨てるように真人が言った。「この感情も魂の代謝に過ぎないんだろうけど」

 

 その時、ようやく彼の顔が目に入る。

 目の前の真人は、表情がなかった。抜け落ちていた。気分を害したわけではないのは間違いなかったが、普段の無邪気で明るい様子とは違っていた。

 

 怒ってるのか、と青くなるが、それにしても相手が敵意を全く見せず平然としているので、訳が分からない。

 

 恐ろしいほどの透徹が、真人には漂っていた。相手の内心が分からないにも関わらず、何でそんなに()()()()()()()()、とまず真っ先に感じた。

 

 

「あのさ挽歌。仲間仲間、って今更固執して連呼してるけど」と真人がそこで不思議そうな顔をして、まるで常識を説くように続けた言葉に、僕は目を丸くする。

 

 人間と同じ尺度で考えるのは癪なんだけどな、なんて言われても。

 僕はどう消化したらいいか分からず、乾いた笑いを溢してから、とりあえず頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 呆然とした心地で地上に出てきたところで、裏梅と、重面とかいう呪詛師と鉢合わせた。重面の方は、僕が以前やらかしてしまったことがトラウマとなったのか、酷く脅えた表情で、怯むままに距離をとってくる。

 

 僕の頭の中は完全に混乱していた。様々なことが一気に脳の中で氾濫し、それを何一つ処理できていない状態だった。

 

 見知った黒スーツの男の後ろ姿があった。いつの間にか自分が地上の歩道橋の足元にいることに気が付いた。スーツの男が携帯端末を操作し、電話をしている。

 ああ、と声をかけそうになった。なんだ伊地知じゃないか。駄目と分かっていても、おおい、と口を開こうとする。

 

「えいっ」

 

 次の瞬間に、「あ」と遂に声を出していた。僕は頭の中が真っ白になり、目の前が真っ暗になった。

 

 伊地知の腹から、刀が生えた。ぶすりと豆腐でも切り分けるみたいに、柔らかく肉を突き破っている。

 重面がその特徴的な刀で、伊地知の背中を刺したのだ。

 頭がすっと冷えていく。血の気が引くとは、まさにこの状態のことだろうと他人事のように考えた。考えて、()()()

 

 刀が引き抜かれる。再度刺そうと肘が曲がる。

 僕は伊地知の傍にいた。

 重面が目を丸くする。

 

「な、何するんだよ」と重面が上げた声など耳に入らなかった。

 

「やめて」

 

 刀を持つ腕にそっと触れると、筋肉が強張った。「やめて」と、しっかり目を見てもう一度言う。目元の模様がひとつ消えたのが、視界の左下の方に映った。

 

 よく見れば重面の額には汗が滲んでいた。前髪がないせいか、薄い皮膚の下の血管まで見えなくもない。

 何となく手を伸ばせば、彼は大きく肩を跳ねさせ、五メートルほど後退された。

 

「挽歌」と裏梅が静かな声をぴしゃりと浴びせた。

 

「分かってる。でも、この人だけ僕に頂戴よ」

 

 努めて冷徹さを装ったが、気を抜くと口から余計な言葉が次々と溢れ出てしまう気がした。

 本来の目的を阻害する行動であったから反省していたし、何より、僕自身が命の取捨選択をしている事実に辟易としていた。

 

 裏梅は眉根を寄せ、伊地知を見下ろし、恨めしそうな顔をした。

 突拍子もないお願いだったから、彼女はきっと暫く思案してから回答してくるのだろうと思っていたが、案に相違して、即答してきた。

 

「貴方はそのまま、“帳”の外でスーツの人間を狩り続けて下さい」と、少し離れた位置にいる重面に伝える。

 

 重面も重面で、これ以上僕の近くに居たくなかったのか二つ返事で、「終わったら中に行くからね」と後ろ手を振って去った。

 

 

 

 裏梅が何と言うのか怖くもあったが、彼女は引き摺る様子も見せずにすぐに、「どうして来たんですか」と言った。「言った筈です。この場にいたら間違いなく死ぬと」

 

「言ってたね」

「言ってたね、ではありません。まさか、自分の力だけで羂索(あれ)から逃れられるなんて思ってませんよね」

「酷い言い草だ。でもどこかへ逃げるより、ここにいる方が()()()()()()んだから仕方がない」

 

「死んだら息もできませんが」裏梅は笑いもせず、眉をひそめた。

 

「キミが宿儺(こっち)を選んだように、僕も(こっち)を選んだんだよ」

 

 ぴくり、と彼女の瞼が痙攣した。それは不快感を体現したようでもあるし、溢れる感情を抑えようとしているようにも見えた。見限られたのだろうか。

 

「そうですか」裏梅の顔が、少し温度を下げる。「どうしようもなく、救いようのない馬鹿ですね」

 

 その言葉はキミにも跳ね返るんじゃないか、とぶつけたくもなったが、あとが怖いのでやめた。踵を返した裏梅が階段を下り始める。

 これで最後になるのかな、と気になった。気になったが最後、僕は次のように口を開いていた。それはきっと、「前の僕」が意地でも伝えたかった言葉だった。「裏梅」と大きな声を出す。

 

 「僕の術式を縛ってくれていて、ありがとう」

 

 彼女が、ふん、とつまらない映画を見たかのように鼻を鳴らした時には、歩みは止まっていた。

 僕は思い浮かんだ言葉を忘れぬように、頭に並べる。

 手放した途端に、溶けてなくなってしまう、そんな危機感があった。必死の思いで、素早く、感情を言語化し、並べる。

 

「僕はともかく」と断りを入れてから、「薤露はきっと、キミが好きだった」と伝えきった。

 

 裏梅は、何事もないかのように歩き始めた。

 ただ、小さく吹き出した後に「そうですか」と言った彼女は、間違いなく、かつてを共にした少女だった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「さて。ひさしぶり、伊地知。こんな状況で悪いけど、一個頼まれ事をしてくれないかな」

 

 顔を上げるのも辛いのだろう、伊地知は歯を食い縛って顎を無理やり上に向け、僕と目を合わせようとする。とてつもなく苦しそうだ。

 屈んだついでに応急手当でもしてやろうと思ったが、経験どころか心得もないため、不格好に終わる。いたたまれない空気が漂っていた。

 

 彼に対する申し訳なさは勿論ある。が、それ以上に僕と彼の立場が相反するものなのだと改めて見せつけられてしまい、頭の奥が重たくなってくる。

 

「なんの、つもりですか」と震える声で訊ねてきた。

 

 声音には激痛や恐怖を押し殺さんとする気概と、敵対者に対する憤怒、それと同時に知己に対する情に似た感情が内包されている。

 憤怒に関しては、マッチポンプじみているが、殺されそうなところを重症で留めた功績でなんとか清算されないだろうか。

 

「難しいことじゃないよ。ただ、伝言をお願いしたくて」

 

 は、と疑問と苦しさが綯い交ぜになった吐息が聞こえた。

 伊地知は僕の要求を呑むつもりなのか、はたまた聞くだけ聞いておこうの精神なのか、唾を飲んでから緩慢な動作で首を傾けた。

 

 すると無言の時間が生まれる。

 

 その途端、僕は自分の中で、居心地の悪さと気恥しさの水位がどんどんと上がってくるのが分かり、むずむずとした気分になった。「できれば、できればでいいからね」と謎の前置きをしてしまうが、それさえも恥の上塗りのように思えてしまい、なおさら恥ずかしくなる。

 

「……な、七海が来たら、こう伝えてほしいんだ」

 

 息継ぎのタイミングを逃していたから、その一言の後に呼吸をして、絡まる舌を落ち着かせる。長く息を吐いてから、立ち上がった。

 

「別に、変に頼まなくてもいいから。ほんとに、強制する必要もないから、これだけ、言うだけ言って欲しいかなって」

 

 

──できれば、この渋谷で会えたのなら。最後にまた話がしたい。

 

 





 評価、感想、お気に入り、しおり等、いつも本当にありがとうございます!!!ほんとにうれしいです!おかげさまで書ききれそうです!!

 最終話までの繋ぎが書ききれればエピローグまで連投できそうなくらいには書いてます。今のところ繋ぎがスカスカですが。

 七海目線挽歌の登場シーンで甘い匂いのする描写がありますが、死の間際には花みたいなにおいがするってどこかで見た気がしたのでそれです。
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