死にたくない呪霊は割とすぐ死ぬ   作:常時腹痛マン

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 渋谷事変、3話目です。
 残り4話です。


良夜、星走る

 

 五条悟の封印を実行する前のことを思い出していた。

 

 

 漏瑚たちは渋谷、僕と真人は明治神宮方面で作戦を決行する、その直前のことである。僕は折角なので脹相に話しかけに行った。

 

 壊相も血塗(弟たち)もいなくなってしまったからか、憤怒と意気消沈とした態度しか見せず、当時の彼は海面を漂う浮標のように思えたが、気にせず声をかけることにした。

 当然彼はものすごく嫌そうに顔を顰めていたけれど、真面目な顔を意識したのが功を奏したらしく、話だけは聞いてくれるようではあった。

 

 

「ずっと聞きたかったんだことがあるんだけど、脹相」

「なんだ」

 

 僕は一度伏せた顔を軽く持ち上げて、道を尋ねるみたいに、こう言った。

 

「どうして『呪い』として生きることにしたの?」

「────は?」

 

 脹相がその顔に、嫌悪と激情を滲ませるのを確認できたが構わず続けた。

 

「だってキミは、いや、キミたち兄弟は受肉体、つまるところ僕とは違って半分人間なんだろ。たとえ僕がいくら欲しがっても手に入らない、そんな素敵なものを半分、最初から持っているわけだろ」

 

 目の前のわなわなと打ち震える身体から、轟速の血礫が今にも発射されそうだった。憤慨、拒否、殺意、それらが綯い交ぜになって穿たれる。そんな予感がする。それでも僕は続けざるを得なかった。

 

「ああでも、脹相はともかくとして、血塗や壊相に選択させるのは酷か。二人の容姿は、僕の知る人間とはかけ離れていた」

「黙れ。それ以上、口を開くな」

 

 ようやく行動を起こした脹相から放たれたのは、殺意の礫でも、爆発する血液でもなく、脅迫の言葉だった。最後通牒ともいえる。しかし恐らく彼の胸の琴線に触れたのは、僕の不躾な質問や態度ではなく、弟の話題だ。

 痺れるような殺気が項をなぞるものだから、その気はなかったのに、思わず僕も雰囲気に流されてしまう。

 

「僕を殺すも蹴散らすも勝手だ。でも覚えておいて。その代償がどこへ向くのかってこと」

 

 脹相が大きく舌を打つ。苛烈な破裂音のようだった。

 もちろん今の僕は飴玉という名の他人の寿命を摂取したばかりだから、例えば脹相を身代わりにすることはないし、これはただの脹相を真似た脅しなのだけれど、どうやら想像以上の効果を発揮したようで、些か居心地が悪くなる。こんなつもりじゃなかった。

 

「違う、怒らせるつもりはなかったんだ。それは本当。ただ僕は」

 

 僕は。

 

 何と続けるべきなのだろうか。考えると喉がきゅ、と絞まった。本心を口にしてしまえば、僕の最後の芯ともいえる柱が崩れるのを、自覚してしまうのではないか。そうすれば、全てが終わりのように思えた。真っ暗になって、何も考えられなくなって、おしまい。

 

 急に黙り込んだ僕を不審に思ったのか、「おい」と脹相が訝しげにこちらを睨んでくる。無視して立ち去ることもできた筈なのに、こうして僕の様子を窺ってくるのは、彼の面倒見の良さの現れともいえる。

 いやもしかすると、僕の問いかけに、彼としても思うところがあったのかもしれない。

 

「分かってる。人間(ヒト)の道を選んでも、生きるのは、苦しいよね」

 

 やっとの思いで振り絞って出た声は震えており、自覚すると更に震えてしまう。

 これは僕自身が思い知ったことだ。七海の側に立ってみた時のことである。求めた生活はあったが、それでも明らかな異物感を拭い去ることはできなかった。

 明るく陽の当たる生活は、仄暗い恐怖から生まれた僕には相応しくないのだと、嫌でも思い知らされた。だって僕はひるの住民ではないのだから。

 

 脹相は何も言わなかった。

 しかし先程までの破裂しそうな殺意は掻き消えており、代わりに浮かんでいた空気に、おや、と目を瞠る。

 

「俺は」と言う脹相の声もまた震えていた。「俺は、“人”として苦しむ二人(弟たち)を、見たくなかった。苦しまない、楽な道を選んでしまった」

 

 その結果がこれだ、と。

 これ、とは二人の死のことを指すのだとすぐに分かった。弟を第一に考えた()の苦渋の選択は過ちに、しかも愛に起因する類のものに、繋がってしまったのだろう。

 後悔、懺悔、自責、それらが脹相を覆い囲み、厚い雲となって彼の顔を湿らせているように見えた。

 

「だから、俺は虎杖悠仁を殺す。選択を誤ってしまった俺の、俺が、唯一できる贖罪だ」

 

 は、と息が漏れてしまい、それを皮切りに僕の口からは続け様に、はは、と息が溢れ出た。侮辱されたと感じたらしい脹相がすぐさま僕を睨みつけるが、瞬く間に一変する。

 次は脹相が目を瞠る番だったらしい。

 

「お前──」

「なんだよ」と笑うしかできなかった。「何なんだよ、キミ」

 

 思いを一言にすれば、こうなる。羨ましかった。

 

 はなから人間(ヒト)の道を選べた呪胎九相図も。(脹相)に思ってもらえる(二人)も。支え合える相手を持った脹相も。

 僕がここまで苦悩してようやく、辿り着いた答え(「生きる理由」)を既に持っていることも。全てが羨ましくて、もう、むしろ憎らしくもあり、八つ当たりしたくて仕方がない。

 

「脹相、キミの復讐に意見する差し出がましい口は、僕にはないけどさ」

 

 初めて、からりとした嫉妬をした気がする。僕は泣きたかった。泣きたい、と強く思った。けれどくすくすと笑いが込み上げてきて、抑えられない。

 

「多分キミ、こっち側に向いてないよ」

 

 

 

 そんな会話を、僕は白い通路に立ち尽くし、思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 七海

 

 

 いつの間にか手の中の若い呪詛師は、白目を向いていた。恐怖を顔に塗りたくったまま失神している。口の端には白く泡状になった唾液が付着していて、思わず眉間に皺を寄せた。

 拳の力を緩めれば、脱力した若者は糸が切れたかのように、顔面からうつ伏せに地面に倒れた。

 

 突然現れた例の呪霊は、珍しく不快そうに顔を顰めると頬の辺りに視線を遣った。「あげるよそれ」と言ってきた。そっちの味方ではないのか、と思う。

 

 

「思い出したんだよ、色々」

 

 やがて目の前の呪霊がそんなことを言うが、言葉の意味を理解するのに、七海は数秒の時間を要した。

 何のことだ、と言おうとしたが、呑み込んだ。数週間前、同期の墓前で呪霊と結んだ()()()()()()を思い出す。確かにその時に、過去の記憶が欠落した呪霊に対して、仮に何かを思い出したのなら私に伝えろ、と情報の開示を求めた。

 

「それを律儀に伝えに来たとでも? 今、この状況で」

「悪いとは思ってる。でも時間がなかったんだ」

「奇遇でも何でもありませんが、私にも時間はない。話なら手短に」

 

 すると挽歌は、何故かほっとしたような顔をして、形ばかりのなけなしの緊張感を霧散させた。

 

「よかった」と無防備に七海の近くのベンチに座った。「ちょっとでいい。話、聞いてくれる?」

 

 伊地知から伝えられた言葉を思い出していた。

 水音が混じった呼吸音を鳴らしながら、命からがらといった様子で頼み込んできた内容を、だ。

 救護班が、上の階にいる新田と釘崎の元へ辿り着くまではまだ少し時間があるだろうと見積もり、七海は無言で首肯し、先を促す。

 

「結論から言うと、七海の言った通り、僕は千年前にいた呪霊とほとんど同一体だったみたい」

 

 覚悟する間もなく言い渡された真実は、予想通りだったからこそ、本来であれば驚くことはなかった。

 しかしそれとは裏腹に、挽歌の発言の不発弾じみた危うさに警戒心を抱かずにはいられない。

 

 ここは呪術師と呪霊のいわば戦争の場、そしてフロントライン。

 挽歌が伝えに来た事実は敵戦力の増大を示唆している。負けるつもりは毛頭ないが、相手の術式は常識の範疇を超えている。

 七海の様子を見てか、途端に挽歌は眉を下げた。

 

「……そんな怖い顔しないでよ。キミを殺したくない、って前にも言ったでしょ」

 

 挽歌は、以前の頼りなさげな印象はなりを潜め、相変わらず掴みどころは無くとも、油断ならない呪いの気配があった。

 一見不貞腐れているような言葉が、本当は脅し文句なのではと邪推してしまう。

 

 無意識に唾を飲んだ瞬間、七海は、挽歌の中性的な顔には、友人と密かに語らいに来た子供のような色があるのに気付く。

 

「……ほとんど同一体とは、どういうことですか」

 

 するりと言葉が、自然と溢れている。自分でも驚くほど平坦で、温く、友好的だ。

 挽歌は目をしばたたかせると、一瞬だけぱっと喜色を満面に広めてから、いつもの表情に戻し、過去を懺悔するように続けた。

 

「記述通り封印されたのは間違いない。その記憶もある。ただ僕の性質的に、封印ってのは肌に合わないみたいで」と言うと頬を掻いて目を逸らし、「出てきちゃった」と呟いた。

 

「出てくる? そう簡単にできる筈が」

「封印された中で僕の術式を、自分に使った。それなら想像できる?」

 

 七海はまさかと目を瞠った。

 

()()した、とでも?」

 

 挽歌はそこで大きく息を吐き出し、自分でもびっくりだよ、と言わんばかりに頭を左右に振る。

 

「あんなの、生きているって言えるか分からなかったから。ただ真っ暗で、話し相手はいなくて、先も終わりも見えなくて。()()()()()()()()()()()()、って思って、死んだ」

「死んだんですか」

 

 この辺りの発言に深入りすると、間違いなく価値観の違いで徒労に終わる、と七海は察していた。曖昧に答える。

 ただ、この呪霊にしたら考えられない選択だったのだろうことは、重く受け止めた。

 

「そのまま消えられたら、僕の苦しみも終わったんだろうけど、死ねなかった。まだ続けなきゃいけないみたいで」

「記憶を無くして、やがて復活した」と七海から答えを言った。「そういうことですね」

 

 頷いたまま俯いた挽歌の頭を見下ろす。

 一体どのようにしたら彼を祓除できるのか、その確信の一端に触れた気がする。

 持ち上がった顔の珊瑚色と視線が合った。

 

「うん。で、これを思い出したからか、僕は少しできることが増えたみたいで」

「できること? たとえば?」

「誰かを、こう、彼岸(向こう)に」

 

 挽歌は言い、それから手をずいと前に突き出し、それは傍目には()()()にしか見えぬのだが、七海に見せた。掌印だ、と認めるほかないほどの仕草ではあった。

 

「……できることが増えても、アナタの場合、使う機会はなさそうですね」

 

 性格的に、とは付け加えなかった。

 

「しかし、ここまで手の内を明かすということは、向こうとは手を切るということですか。まさかとは思いますが、ただの口約束を履行しに来たわけではないでしょう」

 

 挽歌が、「そのまさか」と即座に言った。

 

「は?」

 

 あっちを裏切るつもりも無いよ、と続けて伝えてくる。

 何か考えている様子も、そしてまるで嘘をついている様子もない。

 もしや、と気づいてしまえば、そこからは早かった。

 少しでも自分が「こっちの方が良い」って思った方に行動してる、と言っていたことを思い出す。

 

「それなのか」

 

 挽歌は照れ臭そうに頷いた。

 頷いてから、自分が如何に問題発言をかましたのかを気づいたらしく、すぐにハッとした様子で「ノーヒントってのも可哀想だからね。ほら、七海だって仕事の成果を報告しないと困るだろ」と中和するように言った。

 さも今、君のためにわざわざ塩を送ってやってるんだ、という素振りを装っていたが、自分の心の陣地を必死に守るような作為は見え見えだった。

 

 

 それからは気付けば敵同士の戦場とは思えない会話を、たとえば数週間前の、呪霊と呪術師で手を組んでいた不思議な期間のような、他愛なければ生産性もない談話を繰り広げていた。

 

 嵐の前の静けさのようでいて、穏やかに遺書に文字を(したた)めるようでもあった。

 

「僕は信念も何も無かったし、もっと言えば人を殺すのだって嫌だった。責任なんて背負いたくないしね。だから皆の仲間になんてなれない、ってずっと思ってた。そんな矢先、この間ついに目的を見つけて、やっと皆の仲間になれたって思った。呪霊らしく、好きなように生きようって」

 

 挽歌は空をなぞるようにぼやくと、一度だけ息を震わせた。

 何事かと見下ろすと、いつものぼんやりとした顔に、意識的に無色透明であろうとする努力が乗っかっているのが見える。

 

 責任なんて背負いたくない、というのは嘘だろうな、と七海は漠然とそう感じていた。

 

 これはただの予想なのだが、七海は次のように考えていた。

 挽歌は「死を恐れる感情」から生まれた呪霊だからこそ、人間をこの世の何よりも恐ろしい場所に突き落とす行為を、心の底で嫌悪している。

 生まれた瞬間後悔から始まった呪霊だからこそ、突発的に訪れる死を何よりも悲観しているのだろう。

 

 この推論の証拠は、当の呪霊と過ごした、僅かで愉快とは言い難い時間でしかないが、並々ならぬ確信はあった。

 

「でも、どうやら、もっと簡単な話だったらしいね」

「アナタ面倒な性格をしていますからね」

 

 傍から見れば、最初から、この呪霊も立派に未登録特級呪霊集団の一員だ。

 

 じとっと斜め下から物言いたげな視線が送られてくるが、当然無視をした。無駄口を叩く時間はない。諦めて頭を降った挽歌は、「まあ否定できないんだけどさ」と目を細めた。

 

 

 挽歌が、「じゃあ、そろそろ」と立ち上がる。「七海、きっと僕の()()はすごく強いから、危ない目に遭うよ」と、恐らくそろそろ救護班が来るであろう方向を見ながら言った。「逃げるなら今だ」

 

「どの口で……。というより、もとより、呪術師とはそういう職業(もの)だ」承知の上です、と七海は言う。

 

「キミには死んで欲しくないんだけど」

「私はアナタを一刻でも早く祓おうと考えていますが」

「しまったそうだった、こういうやつだった」

 

 そういえば、渡した物はどうしただろうか、と七海は思い出す。

 

「あの本は、読みましたか?」

 

 挽歌が落とした肩を戻したところで、七海は確認した。

 

「……本?」挽歌は口を一文字に引き締め、顎を引く。「なんのことか、さっぱり」

 

「渡したでしょう。短編集の、それほど分厚くない本です。忘れたとは言わせませんよ」

「あー、ああ、あれか。そんなまさか。読んでなんかないよ。だって僕は、映画にも本にも興味が無いって言っただろ」

 

 興味ない、という言葉に七海は一瞬、たじろぎ、取りこぼしそうな違和感を覚えた。テストの悪い点数を隠す子供のような、幼稚な反抗心を見た気がしたのだ。

 

 やがて挽歌は目を伏せた。

 目の前の呪霊の身体を地面に括り付けていた糸が解けかけているかのようだ。風でふよふよと漂っていて、今にも外れそうである。肌が空気溶けて、透けていく。そんな錯覚に襲われる。

 

「アナタも戦いに参加するんですか」

 

 気付けば七海はそう口にしていた。

 それに対して七海がとるべき選択肢は、考えるまでもなく一つしかなく、「死にますよ」と伝える。

 

「少しだけ」と挽歌は続けた。「僕にも、やれることがあるからね」

 

「呪術師の殺害ですか」

「違う違う。それは僕の仕事じゃない。本当だよ。だから、今回も祓わないで、見逃してくれると嬉しい」

 

 七海は眉間に皺を寄せた。

 

 正確に言えば、というよりもこれは正確に言わなければならない部分だが、「見逃した」のではない。有効な対処法がなかった、だ。

 容易に殺せるくせに、誰かを犠牲に、何度も蘇る。軽率に手を出せないため厄介極まりない。逃亡を許したのは間違いないが、もし訂正するとしたらそこだ。見逃したのではない。

 

「素直じゃないなあ」

 

 挽歌の顔色が変わらぬものだからあまり分からなかったが、明らかに声が嬉しそうだった。

 咎めようとするも、そうする前に、挽歌は力が抜けたような顔つきになった。息を長く吐く。

 

「……前にツギハギのさ、一番強い呪霊が居たでしょ」

「あの胸糞悪い呪霊ですか」

「まあ、否定はしないよ。呪霊の中の呪霊みたいな奴だけど、僕を仲間に入れてくれた張本人なんだ。そいつにもさっきの話をしたんだ。つい数十分前にね。ようやく僕も仲間になれたって思って、自信を持てたって伝えたんだよ。そうしたら」

「そうしたら?」

 

 今さら仲間のためにとか、何言ってんの、とその呪霊は言ったらしい。

 

「そんな魂の代謝(感情)なんかのために、今から俺たちは動くわけじゃないでしょ」

「じゃ、じゃあ、何で、さっき真人は僕を気遣ってくれたわけ? それとも、もしかして、足でまといだったから退けようとしたの?」

「まさか。挽歌ならもう大丈夫だろ。呪詛師の方がよっぽど足でまといだ」

「それなら、僕の独りよがりだったの。ここに来て、やっと、仲間になれたのに」

 

 そこで相手の呪霊は顔を顰め、「ええ、マジで言ってるのかよ。嘘だろ」と挽歌を矯めつ眇めつ眺めるようにし、「()()()()仲間の一員だっただろ」と言った。

 

「信じられない言葉だったから、ずっと有耶無耶にしてたけど、真人のやつ、真顔で言うんだよ」

 

 むしろ、今まで俺たちのこと何だと思ってたの。

 真人はそう言った。薄情者め、って。

 

「そんなの、ただの同僚だと思っていたに決まってるよね」

 

 七海にそう言う挽歌は、いつもの何事にも関心を持たない顔をしていたが、少し経つと、何かを我慢するように唇を噛み締めたのが分かった。

 

「僕はいつも、気付くのが遅いみたい」と言う声は僅かに震えていた。

 

 少しして、目尻を下げたままの挽歌は、七海の前を通り過ぎ去ると、「さよなら。もう会わないよ。さよなら」と独り言のように洩らした。それが心情の吐露なのか、それとも小説の台詞を無意識の内に口ずさんでいたのかは判別がつかなかった。

 

 夜空はまだ暗く、全くもって明けそうにもない。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 呪術師とはそういう職業(もの)だ。

 

 そうだよな、と外に出て僕は気付いた。

 呪術師たちも決死の覚悟で命を賭しているのだ。そりゃそうか、と僕も意志を固めたわけだし、と星のない夜空を見上げて納得し、さらに当然のことに気付く。

 てことは、七海も数時間後には死んでいるかもしれないんだよな、ということをだ。

 

 そりゃそうだ、と思った。思うが、実感はわかない。

 

 坂を下り、真っ直ぐ道を進み、交差点を横切った。誰もいない横断歩道を渡る途中で、来た道を振り返った。頭を占めてくるのはやはり、真人たちのことであり、羂索のことであり、これから訪れうる、皆や七海の死の可能性のことだった。

 地響きの音、ハロウィン仕様の電飾、汚れた地面、それらを前にぼんやりする他ない。

 胸に穴が空き、そこをぎゅうぎゅうとさらに凹ませようとするかのような痛みに、膝をつきたくもなった。一歩進む度に足が重くなる。

 

「それでも、挽歌、夏油(アイツ)をやれるか」と漏瑚は言っていた。

 

 実際、僕がどんなに頑張ったところで敵を完膚無きまでに一掃できる自信はなかったが、漏瑚たちに羂索を出し抜く勝算があるのかと言えば、きっとない。なら僕にできることを、と目を閉じて念じる。

 皆の顔を順番に繰り返し思い浮かべれば、幾分か呼吸が楽になった。

 

 

 ガラス張りで綺麗な高層施設の正面に、地下へ降りる道があった。

 停止した下りエスカレーターの手前に到達し、何故か宿儺のことが頭を過り、彼の、「精々足掻くんだな」という台詞を思い出し、その後で、七海に同輩の墓場で諭された時の記憶が甦った。

 

「一度は呪術師を辞めたことがありますよ」

 

 彼が呪術師に出戻った理由は二つあると言っていたのを思い出した。しかもその時、二つの内一つの理由に関しては、「アナタも共感できるかもしれません」と微笑んで諭してきた。

 

 その結論(「生きる理由」)も、足掻いた彼がようやくと言うべきか偶然と言うべきか、見つけた答えなのではないか。

 

 目の前が、かっと光ったかと思うと、空気の塊がぶつかった。

 地下から吹き上げた風が夜空を目指して、もっと遠くへと飛び立つかのように逞しく、きしきし、と羽ばたいていく。錯覚かもしれないが、僕にはそう見えた。

 内側の蝋燭の灯火が風に煽られたかのような、そんな大気の流れが胸を突き動かし、実際、立ったままではあったが足元が覚束なかった。

 

「私は社会から外れた歯車の一員になるより、自分が必要とされ、誰かのためになることを望んでいた」

 

 その声が頭の内側に蘇る。

 誰かのためにと言えば、と自分の内側で、もう一人の自分が手を挙げている。

 

「はい、僕。誰かのために、と言えばまさに、貰った例の短編集の主人公と同じではないでしょうか」

 

 誰かのために自分の命を犠牲にするなんて、そんな馬鹿な、と僕は自分で声を上げたくなる。小説の真似事をするなんて、と苦笑した。

 けれど自分の中の別の自分が嘆息しながら言うのも分かった。

 

「その馬鹿げてるのが、僕たちが焦がれる人間なんだ」

 

「そうか」と僕は納得する。

「そうなんだよ」と(薤露)はさらに答える。

 

 ずっと下の方、今、風が飛び出してきたばかりのエスカレーターの奥から、声が聞こえた。生き残った人間なのか、戦っている呪術師なのか、彼らの内の誰かがこう考えているのかもしれない。

 

「死にたくない」馴染み深い声が頭の中で響く。

 

「まあ、だよね」と息を溢した。「心の底から同意するよ」と一歩踏み出す。足が軽い。

 

 

 

 

 

 

 七海

 

 

「何だったんスか、アレ」

 

 私も分かりません、と答えかけたがやめた。

 

「呪霊です。特例中の特例ですが」

 

 

 家入の元から戻ってきた新田は、表情を固くして開口一番そう言った。釘崎に至っては、戻って来るとまず、現在進行形で気絶している呪詛師の側頭部を力いっぱい踏もうとするので、流石の七海も軽くではあるが咎めた。

 

 二人を椅子に座らせ、「あれに遭遇しても、決して戦おうとはしないで下さい」と七海は言った。「まず祓えません」

 

 釘崎は無言ながら顔を引き攣らせ、歪めた。「何よ、それ」

 

「私の知る頃とは強さも変わっているようでした。一応倒せるには倒せますが、根本的解決には至らない」

「倒せるんでしょ、祓えないって何よ」

「祓ったところで蘇ります。雑草を引き抜いた時、根が残っていたらまた生えるでしょう。同じように考えてください。あの呪霊の場合、結果(「死」)だけが跳ね返ってきて最悪こちらが死にます」

「そ、そんなのと話してたんスか?」

「あの呪霊の数少ない良いところは、敵意がないところでした。今はどうか分かりませんが」

 

「じゃあ何で七海さんは無事だったんですか」と釘崎が当然首を傾げる。不信感はなく、純粋に疑問に思ったらしい。「今は完全に敵側ってことでしょ」

 

 私も分かりません、とまた、言いかける。

 

「でも、口ぶり的に、何度か遭遇したことがあるんスよね?」新田が言った。

 

「なら、前は敵じゃなかったってわけ?」

「いいえ。確かに敵ではありましたし、祓おうとしたこともあります。しかし殺せばこちら(私たち)に被害が出る。あの呪霊は自らそう言った」

 

 これ以上攻撃されると、キミにとって嫌な結果になる。僕にとっても。

 

「そして()()()()が周囲に出た瞬間を、私は目撃したことがあります」脳裏に浮かぶのは去年の百鬼夜行、京都で二度目の邂逅を果たした時のことだ。「あれは単純な力技で祓える呪霊じゃない」

 

 釘崎は理解か及ばないあまり、肩を落とす。「面倒なやつもいるのね」

 

「その時って、七海さんはどうやって退けたんスか?」と下からおずおずと新田が訊ねてきた。

 

「何も」七海はそう発音する。しっくりこない。そして、一から当時のことを思い出す。「強いて言うならば、会話をしました。戦う意思を感じなかったので。情報を引き出すために、ですが」

 

 釘崎の表情はぽかんとしていた。拍子抜けした顔で、戦禍の渋谷にいるにも関わらず、陰鬱とした空気に苛まれる様子はない。その雰囲気はそのまま、釘崎の意志の強さと生き方の表れにも思える。

 

「話しただけ、ですか?」

「はい。ですが今はそれより──」

「今までに何度も会ったんですよね?」

「……ええ、まあ」

「しかもさっきは戦いもしなかったのよね?」

「それより今後の話ですが」

 

 釘崎の敬語が外れていることに関して目くじらを立てるような性格はしていないが、彼女の発言が、徐々に詰問口調になっていたことに、思うところはあった。

 

「あ」と破裂するような声がした。「まさか」

「何ですか」

 

 新田が答えを窺うように顔を傾け、「あの、足止めするわけでもないのに、()()()()今このタイミングで()()()()()んスかね?」と問いかけてくる。

 

「私もわかりません」と遂に、七海は口にした。

 

 すると誠に遺憾なことに、もちろんこれは予想なのだが、恐らく釘崎は何か陳腐で無粋なことを想像した。

 そしてそのまま信じられないものでも見るかのような目つきで七海を見てくるものだから、心做しか、胸の下の方がどんよりと重くなった。渋柿を食べた時の気持ちと似ている。女子高校生という生物の口より物を言う視線に、思わず気後れしてしまうのは、大人という生物の性だろう。

 

 しかし、と引っかかるところもあった。

 出会った当初は人間の真似事をしているだけだった、海を漂う浮標のような呪霊が、今となっては驚くくらい人間らしく、感情的に成長していたことだ。

 

 その成長が何に起因した変化なのかくらいは、七海にも分かる。

 

 律儀に会いに来た呪霊の姿が瞼の裏に浮かんだ。「さよなら。もう会わないよ。さよなら」あれは本当に、別れを告げに来たのではないか? それならば、死にたくないが口癖だった呪霊は、もうじき消えるのではないか?

 

 一度、そうだと思うと、頭の中でばらばらだった糸が編み合わさる心地がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 南国の浜辺のような領域から抜け出すと、灰色で寒々しい駅の構内に安心感すら抱ける。

 

 陀艮という呪霊を見つけたかと思えば、領域に引きずり込まれ、合流した伏黒の助力により領域から脱出を図ろうとすると、次は力の権化のような亡霊()が現れた。

 領域の中では、陀艮によって放たれた攻撃が()()()真希や直毘人よりも()()()()()()()、我先にと銃弾のような速度で迫ってくるので、捌くのに代償として片目を潰された。

 

 

 息が落ち着くのを待つ余裕もなかった。陀艮を倒した亡霊()は次の矛先を伏黒へと定め、外へと蹴り飛ばす。

 

「恵!!」

 

 真希の叫びが反響する。

 振り返り、そして、そこでようやく七海は、その空間にもう一体別の、火山頭の特級呪霊が居ることに気付く。

 

 灰と化した陀艮の亡骸の傍だ。膝をつき、遺灰を手のひらで掬い、念じるように握りしめた後、立ち上がった。広げられた指の間から落ちた灰が空気に混ざっていく。

 

「──逝ったか、陀艮」

 

 何だ、こいつは。

 口を歪め、腰を落とし、痛みを思考の外に追いやってから、七海は鉈を構えた。七海が会った中で最も古く、気の抜けた、呪霊らしくない呪霊とは大違いだ。

 苦しい。ゆったりとした絶望感に、胸が前後から圧迫されてくるのが分かる。

 

「百年後の荒野でまた会おう」呪霊の口が動く。

 

 不気味な輝きを帯びた単眼のレンズの焦点を合わせ、こちらを睨んでいる。

 

 瞬きをした。ただその一瞬の出来事だ。敵は、七海の胸に手をやっていた。

 ああ、これはもうまずいな、とようやくそこで、気付けた。正確には、映画館で、スクリーンに映る悲劇を眺めるような、他人事に近かった。

 

「七海、きっと僕の仲間はすごく強いから、危ない目に遭うよ」

 

 どうして呪術師を辞めようと思わなかったの? 挽歌の台詞がなぜか突如として、頭に鳴り響いた。七海たちとは反対方向を歩いて行った呪霊は今、どんな顔で渋谷を歩いているのだろうか。私は危ない目に遭ってますよ、と思わず言い返したくなる。そっちはどうですか?

 

 





 感想、お気に入り等本当にありがとうございます。おかげさまで最終話まで書き溜めできました。もう少しだけお付き合いください!
 次話は19時に投稿します。
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