サブタイトルズレてるように見えますが一応前話の続きです。多機能フォームめっちゃ楽しい。
今回の時系列:京都百鬼夜行
分けなかったので長いです。
次回で原作までとびます。
【追記】
・2021/11/21
誤字報告ありがとうございます。遅くなりましたが訂正させていただきました。大変助かります。
(修正内容)×着いている→〇付いている
夜の冷たい空気が揺らいだ。
ふと空を見上げてみる。点々と星が散りばめられ、藍色から茜色の変遷が幻想的だ。僅かに浮かぶ雲が夕焼けに照らされ、白から灰色に焦がされている。静かな景色とは反対に、街中の喧騒が耳に煩い。世間ではクリスマスイブだと囃されているから、それなのかもしれないが、通常のクリスマスイブとは異なっている気がする。
僕は、道路脇から路上を眺めた。
日没と同時に、どこからともなく湧き出た同僚たちが、街中を行脚していた。呻き声や奇声が建造物の間を潜り抜け、好き勝手飛び交っている。
「あれ」その様子を数秒見つめて、違和感に気付いた。
彼らはただの呪霊ではなく、既に誰かの支配下にあるようで、最早
「嘘じゃん」僕は支柱のようなガードレールに腰かけ、愚痴を零した。
*
「お祭りやるみたいだよ」
そう数日前に言い出したのは、真人だった。僕はその甘言にひどく興味をそそられた。
「へぇ」と、相槌も兼ねて口を開いた後、「真人は行かないの?」と詩集に目を通す真人に訊ねた。僕を一瞥した相手は肩を竦めて、「興味無いもの」と再び詩集に視線を落とす。
特にしたいと思うことも無いし、何かをする予定も無かった僕は、大して重くもない腰を上げることにしたのだ。
まず僕は東京駅に向かった。
天井には、四方八方に向いた矢印の看板があった。改築工事の施された広い駅は、まるで娯楽施設の迷路のような構造をしている。道行く人々の波に乗り、新幹線に乗り込む。「ここからの所要時間は、およそ三時間らしい」と話す乗客の会話に耳を傾け、僕は空いていた座席に腰かけた。
こういう時に、一般の人々に認知されないという呪霊の性質は、真価を発揮すると思った。乗車賃も必要無いし、許可も要らない。例え座席間で踊り始めたとしても、僕を認識する人は雀の涙程で、何の支障もない。雀の涙も、実はすぐに蒸発すると言うし、僕に待ち受けるのは到着までの僅かな暇だけだった。
その後は、ただぼんやりと高速で過ぎ去る景色を眺め、何事もなく京都に辿り着いた。駅のホームに一歩踏み出した僕の内心は、地に足を着いた現実とは裏腹に、非常に浮き足立っていた。お祭りというのだから、綺麗な太鼓や笛の音で賑わい、さぞかし雅な催しなのだろうと期待していたのだ。元は都があった土地であるし、今尚寺院の類が多く残っている。どうせなら堪能しようと、その時は考えていた。
*
甲高い悲鳴によって、意識を現実に引き戻される。僕は再び、「嘘じゃん」と先程よりも語調を強めて呟いた。
実際には真人は、「お祭り」という単語しか放っていなかったし、詳しい説明も聞かずに飛びついた僕の落ち度でもあるのだが、あたかも理不尽を突きつけられたかのような心境で、苛立ちを零した。
「キミもそう思うよね」
いつの間にか隣に居た、ガチガチと顎を鳴らす呪霊に同意を求める。僕の望んでいた太鼓の音とは程遠い音色だ。むしろ不快ですらある。
非常に口の大きな呪霊だ。頭部の大半を口唇が占めている。
「縺薙s縺ォ縺。縺ッ────ガウッ」
「え」
突然。
機械音の如く、けたたましい鳴き声を上げた呪霊が、次の瞬間、ガバリと大きな穴のような口を広げた。
喰われる、と即座に理解した。そいつが僕の頭を食い千切る前に、足に力を込めて可能な限り強く、腰掛けていたガードレールを蹴り飛ばす。
ひしゃげる轟音と共に、数秒前までは地面に立っていたガードレールが大破した。まるでくしゃくしゃと紙を丸くするくらいの軽さだ。
勢いを殺すために、僕は前転の要領で道路に避難してから体勢を整える。
一応は同僚である筈なので、敵対する必要性を感じられず、僕は首を傾げた。
「僕、ただ観光しに来ただけなんだけど」
「鬟溘∋縺ヲ濶ッ縺?シ」
そいつが、再び歯を鳴らす。威嚇行動のように思えた。
「攻撃してこないでよ、何もしないって」
「莉イ髢灘、悶l、鬆ゅ″縺セ縺」
両手を上げて、無抵抗の意を示す。
しかし、その呪霊はぐっと頭部を前方に擡げると、闘牛と見紛う突進を仕掛けた。勿論、その先に赤い布はなく、待ち受けているのは僕である。
生憎僕には、その勢いを正面から相殺する術がない。右斜め前方に飛び込み、横を通り抜けた質量のある風から頭を守る。
距離を詰められては回避し、噛まれそうになれば地面に転がるといった、そんなやり取りを数回繰り返す。一応反撃手段としての術式はあるのだが、研磨しないという縛りの元、僕は威力を最小限に抑えていた。理論上は宇宙に届くという素晴らしい飛行船も、名だたるパイロットが運転しなければ、ただの鉄くずなのと同じだろう。
すると、不自然に、地面を覆う影が僕にまで掛かった。
爪で弾かれたように、ばっと顔を上げる。眼前に、大きな暗い穴が広がっていた。あいつの口だ。
「あ」
要は何が言いたいかと言うと、僕の術式は故意に発動しようとすると非常に弱かった。
不揃いな歯が迫る。
頭の中に鈍く光るものがあり、嫌な情景が浮かんだ。
どこか暗くて狭い空間に閉じ込められ、停滞を余儀なくされた光景を思い出しかけたのだ。いつの間にか忘れていた記憶だ。すぐにかき消し、引き攣った声を飲み込む。
何がお祭りだ。何もしていないのに虐げられる理由は何だ。嫌だ、死にたくない、という思いに駆られる。
殺される。死にたくない、死にたくない、いやだ、死にたくない。まだ何も見つけていないのに。
バツン、
と筋繊維が引き裂かれる無慈悲な音が響いた。視界が宙に揺れる。空を飛んでいるような実感を得て、空中から、僕の胴体が泣き別れてしているのを見つけた。首から先のない身体が、力なく膝を着く。続けて空から視界が急降下した。
ぶつんと意識が途切れる。
数秒後だ。
目を開けると、僕の目の前に
「一般人かと思えば」
鉈を持ったその白い男が、長い溜息を吐き、心底不思議そうな声で言った。「アナタ、いつしかの呪霊ですよね」
息が止まった。
まるでヒーローじゃないか。空気の波が広がり、ぱっと視界が開けた。
世界中の全ての事象が停止し、灰色に染まり、目の前の男だけが色付いて動いているような、そんな錯覚を抱いた。
男が、あの呪霊に鉈を向ける。一度目元のサングラスを押し上げ、位置を整えたのが見えた。
持ち上げられた鉈は勢いよく、大口を開けた呪霊をめがけ、振られる。刀身を隠した鉈が呪霊を、綺麗な切り口で裁断する、と男は思っただろう。呪霊に反撃の余地を与えず、滞りなく祓除を果たす。
「は……───?」
しかし未だに息はあるようで、幼虫のように稚拙な動作で這いずっている。
白い男は思わずといった声を発したが、即座に切り替えて鉈を振るう。ぶん、と空を切る音が呪霊を切り裂き、そいつが霧散する瞬間を見届けた。
僕は地面に頬を着けたまま、星を見上げるような心持ちで白い男を見上げた。まだ頭の中がふわふわとしていた。
「今のはアナタが?」男が胡乱げに訊ねる。
「結構遅効性だったね」僕は肯定をすっ飛ばして答えた。「呪霊だからかな」
「受けたダメージをそのまま相手に返すのが、アナタの術式の仕組みですか」
男は続けて僕に鉈の刃先を向けた。「現に、今アナタに傷は見受けられませんし」
僕は両手を使って上体を起こし、「ちょっと違う。そんなに強くないよ」と地面に胡座をかいたまま返す。「そんなに器用でもないし」
「では何ですか」
「……言うと思う?」
白い男は、きっとサングラスの奥の瞳を細めていた。眉間に大樹の木輪のような皺を寄せている。面倒だから祓おうか、とそんなことを考えているに違いない。
それが何故だか無性に可笑しくて、口から空気が漏れた。先程まで、おどろおどろしい感情がとぐろを巻いていたというのに、今は逆に清々しい気分だった。
ぷすっという間抜けな音に、男が更に顔を険しくさせる。
「馬鹿にしているんですか」鉈の刃先がゆらりと軌跡を描いた。
「ちが、違うって」それが僕に向けられる未来が見なくとも分かり、慌てて腰を持ち上げる。両手を広げ無抵抗の意を示すのも忘れない。
僕はそのまま、「ねぇ、名前教えてよ」と畳み掛けた。
これはこの男を見た瞬間から思い出していたことだが、僕は彼と以前会った時に、名前を訊く約束をしていた。男は面倒臭そうに、サングラス越しの視線を斜め上の虚空へ向けると、数秒停止した後、全身を振り絞ったかのような深い深い溜息を吐いた。
呪力を用いた縛りを課したわけではない。従って、約束を履行するもしないも、男の勝手だった。
相手が腕時計を確認してから、僕の方に顔を向けた。
恐らく言わないだろう。と、僕は自信満々に予想を張っていた。言ってくれないと後に不満を抱くのは僕自身だということは、深く考えていなかった。今にも、「言いませんが」と言うために、男が口を開く筈だ。そうだろう言うなら早く言え、と最早期待に沿わないことに、期待していた。
だが、彼は僕の予想を大きく覆した。
「──……七海です」
「………………えっ」
「一度しか言いませんよ」男、基七海が道路の奥に顔を逸らした。
「え、あっ、いや! 聞き取れたよ。七海でしょ」撒き餌に飛びつく魚のように、僕は声を大きくした。
まさか本当に教えてくれるとは、微塵も思っていなかったのだ。いや、少しは期待していたのかもしれないが、僕は思いもよらぬ方向に予想を裏切られたような心持ちで、恐らく心臓があったなら、その鼓動を大袈裟に早めていたに違いなかった。
もう少しだけ会話をしてみたくて、口を開くが、七海の様子に疑問を抱いた。
「来ます」
彼が僅かに腰を屈める。相変わらず視線は奥に向いたままだ。
「え?」
一体何が、と思い七海の視線先に顔を向ける。
ドタドタと慌ただしい音を立てて、猛スピードで何かが向かってきていた。
呪霊だ。しかも、また誰かの支配下にあるやつだ。
顔が無く、その代わりと言ってはなんだが、百足のように沢山の足が付いている。凡そ大きなダンプカーが迫ってきていると思っても、差し障りない風貌だ。
まず、七海が大きく横に飛び退く。進路に居ては轢かれるからだろう。
一拍遅れて、僕も念の為に七海とは反対方向に飛び退く。道路の中央のみが開けた状態で、大きな呪霊がそこのコンクリートを踏み破った。ドタドタと大きな足音を轟かせていたのは、その沢山ある足が起因しているのか、と僕は呑気な感想を抱いた。
「アレはお前の味方じゃないのか」と訊ねたそうに、七海が向こう側から視線だけで僕を一瞥する。
僕は「違うよ」の意を込めて、首を左右に振った。何ならさっきの呪霊には、殺されてすらいる。
獣の叫び声のような音を張り上げ、大きな呪霊が七海に沢山の足を振り下ろす。咄嗟の瞬発力で反応した七海は、その場で軽く跳ねた後、身を低くして駆け出し、大きな呪霊の横を潜り抜ける。大きな体躯ゆえに、小回りが利かないことを見越しての判断だろう。
大きな呪霊は身を捩り、沢山の足をじたばたと動かして七海を追う。されど七海はそれをものともせずに、振り上げた勢いをそのままに鉈で、一気に複数の足を切除した。紫色の体液が灰色のコンクリートを彩る。
「七海って、やっぱり強いんだね」
痛みに悶える悲鳴が煩かったので、離れたところから鼓膜を庇うように耳を塞ぐ。
「外野は黙っていてください」聞こえていたのか、七海が答えた。
地獄耳だろうか、いや、耳を塞いでいるせいで、僕が声の音量を間違えたのかもしれない。
取り敢えず、することも無いので一旦観察してみることにした。
暴れ散らす大きな呪霊と、一進一退の攻防を繰り広げる七海は、怪我こそしていないものの、ほんの僅かに息が乱れているように見えた。
思えば、日没後とはいえ街中にこんなにも多くの呪霊が蔓延っているのは、おかしな話だ。真人が言っていた「お祭り」とは、このことだったのだと考えれば納得がいく。きっと七海は、街中の呪霊と戦闘を交えていたのだろう。
「大変そうだなぁ」
僕は視線を落として、独り言ちる。「全然お祭りじゃないじゃん、こんなの」
ズシン、と地面が揺れた。
最初は七海が大きな呪霊を倒したのだと思い、その方向を見たのだが、七海は未だに大きな呪霊と対峙していた。ということは、発生源は別にいる。
僕は耳から手を外し、辺りに視線を巡らせる。
交差点、違う。
老舗の中、違う。
歩道橋、違う。
脇道───、居た。
反対車線の脇道だ。
目視で新たに二体の呪霊が、ケタケタと転がるような笑い声を上げながら、此方に走って来ていた。先程の大きな呪霊の正面側、つまり七海を挟み込む形で接近している。彼は警戒を強めている様子だが、まだ気が付いていない。
二体の呪霊が、脇道から飛び出す。漸く七海が弾かれたように顔を上げた。
「バカ七海ッ、後ろ!!」
僕は無意識の内に叫んだ。遠距離から何をすべきか悩む。が、落ち着いて考えることはできず、とにかく七海に伏兵の存在を知らせるしかなかった。
すると彼は、不本意なことを指摘された驚きのようなものを滲ませ、「後ろッ!」と叫んだ。ケタケタと笑う呪霊を咄嗟に切り伏せつつも、意識がこちらに向いていた。
「──
「え」
それは僕の名前だ。と、俗に言うでこぴんをされた気分になる。何故今僕の名前を呼んだのか、そういった疑問が頭に浮かんだが、その答えは直ぐに分かった。
僕の背後から、ぬるりと影が下りる。
とてつもなく嫌な予感がして、ゆっくり振り向くと、やけに首の長い呪霊が立ち塞がっていた。またもや随分と大きな呪霊だ。
よく考えれば分かることだ、と振り下ろされた腕を呆然と見つめながら振り返る。あの二匹の呪霊の大きさでは、地響きなんて鳴らすことは到底できるはずなかった。
「しにたくないのに」
ごめんよ七海、バカは僕だった。なんて阿呆らしい感想を抱く。
来る衝撃に恐れ、腕を頭の前で交差させ、ぎゅっと目を瞑る。
「え、わっ!」
数秒後、予想外にも横からの衝撃が身を襲った。思いもよらぬ方向からの力に、形だけの心臓がひゅっと浮く。その勢いのまま、僕は横にごろごろと転がった。
隣の地面が割れる音と振動に、恐る恐る目を開くと、目の前に白い男が見えた。七海だ、なんだか既視感がある。
「……ハァ、ハァ、注意散漫過ぎるでしょう、アナタ」
「…………助けて、くれたの」目をしばたたく。わざわざ一車線分の距離を駆け出して、僕の胴を押し倒し、呪霊の攻撃から守ってくれたのか。呪霊である僕を。
そのまま呆けていると、再度降り注ぐ攻撃から避けるため、七海は僕の襟を掴んだまま後方に飛び退いた。首が詰まり、それがきっかけになったのか我に返る。「ぐぇ」という蛙に似た声が出るが、仕方がないことだろう。
間合いを取り、僕の首根っこから手を外した七海が、手首を回しながら「何しに来たんですか、アナタ」と、冷ややかな声を落とす。
「お祭りやってる、って騙されたんだよ」頭の中にイマジナリー真人を思い浮かべ、不満を晴らすべく頬を突く。にたにたと歪む顔がやけにリアルだ。
因みに、僕の早とちりだった可能性は、とっくの昔に排除している。
「誰に」
「誰にって、友だ……、いや同僚?」
「何でその二つで曖昧なんですか……」
七海は呆れた様子で溜息を吐くと、鉈を構えて呪霊たちを見据える。スイッチが切り替わる気配があった。もしかすると、僕が張り詰めていた緊張の糸を、弛ませてしまったのかもしれない。
「アナタは今回、敵ではないんですよね」七海がそこで、僕に半身だけ向けて訊ねた。答えは知っているが、今一度確認を取っただけだと解釈してもいい。
「うん。このお祭りには何の関与もしてないよ」
「そうですか」
「うん」
「では離れていてください」
「うん」僕は言葉通り反射的に後退り、「え?」と困惑する。「離れて良いの?」
総勢四体の呪霊たちが、ぞろぞろと僕らに向かって闊歩していた。真人や花御たちも群れているが、それとは全くの別物に見えて、羨ましいとは思わなかった。
「今は言葉通りにしてください」
七海が腰を落とし、自分から呪霊へ駆け寄る。
思わず僕は唸った。七海の動きが、あまりに身軽だったからだ。四体の呪霊に囲まれながらも、鉈や、時には長い手脚を用いて、呪霊の反撃を最低限に抑えている。
振り下ろされる呪霊の身体の部位すらも、自らの味方につけている戦い方だ。単身でよく多数を相手取れるな、と感動すら抱く。
「……ん?」七海が一瞬だけ、僕に視線を向けた。言葉通りに七海たちから距離を取っていたが、まだ足りなかったのだろうか。
やがて七海は、「仕方がない、か」と呟く。首を傾げて観戦していると、彼がすーっと息を吸ったのが分かった。
数秒後、サングラスを整えながら、「私の術式は、どんな相手にも強制的に弱点を作り出すことができます」と口にした。大して大きな声でもないのに、僕の鼓膜にまで届いたのは、偏にそれが呪力を用いた術式の開示だったからだろう。
七海の術式の内容を聞きながら僕は、彼が一瞬僕を確認した理由を理解する。
単純に躊躇していたのだ、僕が信用できないから。
「あれ」
そこまで考えて、胸の奥がぐんっと重くなった錯覚を抱いた。鎖骨より下、鳩尾よりも上の辺りに手を当てる。この辺りが、締め付けられた気がした。
顔を上げると、いつの間にか七海は術式の開示を終えていたらしく、再び駆け出していた。
素早く身を捻った彼が呪霊の足を切り裂き、紫色の体液が舞う。大きな悲鳴が上がるが、それを最後まで聞かずに七海は呪霊の頭部に蹴りを叩き込む。バランスを取れずに転倒した呪霊を踏み台に、続いて首の長い呪霊へ鉈を振り翳す。
一連の動作がひどく流麗だ。これは確かに、僕が居ては障害になるだけだと頷ける。
七海が薙いだ鉈が、二匹居た呪霊の内の一匹を劈く。間を置かずして、鉈の刃先はもう一体にも振るわれた。
一瞬、七海の顔が歪む。想像以上に呪霊たちの連携が取れていた。僕は知らないが、きっと七海はここに来るまでに何体もの呪霊を祓除している。その凄まじい疲労感が脳に伝わったのだろう。
七海の右足がずるりと滑る。そこを好機と、首の長い呪霊が大きな腕を振り下ろす。
防御すら危うい。一気に崖から突き落とされたような心持ちで、僕は叫びかけた。
が、七海は一瞬の判断で地面に左手を着くと、足から跳ね上がる。その勢いのまま空中で身体を半回転させると、呪霊の背後をとった。
呪霊の背が、振り上げられた右腕にある鉈で、切り裂かれる。
その瞬間、僕には打撃自体が黒く光ったように見えた。
目にも止まらぬ速さで、彼は周囲の呪霊を切り刻む。果てしない集中力の下、ほんの数秒の攻防に勝ち、的確な行動で確かなダメージを与えていた。
あの黒い打撃から、七海の雰囲気が変化した。以前から油断が見えていたわけではない。しかし、あの瞬間をきっかけに、七海は研ぎ澄まされた宝石のような完璧さを得たのだと思う。
二度目。
三度目。
そして、四度目。
自分の四方を囲む呪霊を、一匹たりとも残さず黒い斬撃で消し飛ばした。
「かっこいいな」
思わず僕は感嘆の声を漏らす。呪術師の中でも、きっと七海は精鋭に分類される術師だ。
近辺の呪霊が全て消えた気配を感じ取り、七海が片膝を着く。彼が先程四度連続で見せた攻撃は、「黒閃」というのだと聞いたことがあった。見たのは今回が初めてで、僕はなんだか、歴史的瞬間に立ち会えたような感傷を抱いた。
肩で息をする七海に駆け寄る。もう「離れていろ」の命令は時効だと思った。
「強いね、助かったよ」腰を屈め、右手の手のひらを七海に差し伸べる。
七海は懐疑的な視線を忘れずに、呼吸を整え、膝に着いた腕にぐっと力を込めた。が、肘を起点にかくんと折れる。
「疲れてるでしょ、手借すよって」
「……進んで呪霊に手を借りる呪術師が、居ると思いますか」
「うーん」僕は当然のことを指摘された不本意さに苛まれるが、取り敢えず「たしかに」と答える。「でも」と続けて、僕は七海の腕を強制的に取った。
「
地面に根付いた強情な作物を引っこ抜くかのように、七海を引っ張り上げた。彼から若干の抵抗があったのか、それとも筋力量の問題なのか分からないが、想定上に力が必要になり、思わず強く両足に力を入れる。無理やり立たせた直後、勢い余って思わずたたらを踏んだ。それを境に、腕から手を離す。
「何が目的ですか」七海が掴まれていた位置を確認し、「本来、私たちは敵同士の筈ですが」と、訝しんだ。
「何がって。七海が先に助けてくれたんじゃない」僕は言う。
「アナタの術式が、ダメージ後に周囲へ影響を及ぼす類だということは、分かってますから」
七海は腕時計を確認し、襟元のネクタイに人差し指を引っ掛けて、緩める。「とばっちりを受けたくなかっただけです」
「あ、そう」
なんだ、随分打算的だ。ただの自己防衛のための、打算的な理由だった。拍子抜けするというか、なんというか。僕自身、何を期待していたのかは知らないが、僕は無意識の内に肩を落としていた。七海が首を傾げる。
当然の話だろう、以前出会った際、僕は遠距離から人質を摂るような真似をして、戦闘を避けたのだから。
だが、同時に少しだけ嬉しくもあると言い聞かせる。ここまで冷静に物事を処理する呪術師ならば、僕を無碍に殺すような真似はしない。それは、何よりも安心できることだった。
無理矢理納得させた胸の内を自覚しながら、僕は辺りを見渡す。呪霊の影は無く、同時に呪術師の姿も見られない。
少なくとも、今この場には僕と七海しか居なかった。
僕は七海に向き直り、礼を言おうとするが、舌が震えた。いざ声に出そうとすると何故か言えず、「それでもいいよ、助かった」とだけ何とか振り絞る。
「感謝される筋合いは有りません」気にせずに七海が返す。まだ二回目の邂逅だが、僕はこの淡泊さが七海らしさだと認識しつつあった。
「そうだ。増援はいるの? 同僚は来てる? 来るまで、この辺見ててあげるよ」
「アナタ呪霊ですよね?」七海が眉間に皺を寄せる。ここで初めて、彼の感情が声音に乗せられた気がした。
言外に、「此方は呪術師なのだからお前を祓うぞ」と脅されているのだ。
「でも七海、今呪霊に襲われたら困らない?」
「私がアナタを祓う可能性も有りますが」
「祓わないでしょ」確信があった。
七海が押黙る。
やはり僕の予想通りだ。手の内を明かさない限り、七海は僕を殺さない。というより、殺せない。彼の根の真面目さと、呪術師らしからぬ人間性にも感謝を述べたい気分だ。
「借りを作りっぱなしじゃ、僕も居心地が悪い」
言わずもがな、これは建前である。死にたくないという僕の第一理念を遵守するのに、彼の傍は適切だと思ったのだ、が。
「む?」
この事実に、僕はなんとも名状し難い感情を覚えた。
七海は無言のまま鉈の刀身と僕を見比べる。やがて僕に向き直ると、品定めするかのように、僕の頭の上からつま先まで視線を巡らせた。
「人間に協力する呪霊、というのはあまり前例がない」
そう言う七海の態度は、根比べに負けて妥協する年長者じみている。鉈の刃先を地面に向けると、彼は破壊されていないガードレールに腰を落ち着かせ、息を吐いた。
それを提案の了承だと受け取り、僕は足取り軽く、七海の隣の地面に腰掛ける。七海が何か言いたげな視線を寄越して、溜息を吐く。
「誰彼構わず、手を貸したりなんかしないよ」思わず僕はぼやく。
「では何故私に」静かな空間だからか、七海が耳聡く聞き取ったらしい。
僕は地面の小石を眺めて、「僕を殺さないから」と言う。
「アナタ簡単に死なないでしょう」
「ああ見えて、実際は本当に死んでるんだって」
「どういう仕組みなんです?」
「他の人の寿命を」と、口走って僕はハッとする。いくら何でも口が軽くなり過ぎだ、馬鹿!
慌てて両の手のひらを口に叩き付けてから、恐る恐る七海を見上げた。
そして、間に合わなかったことを悟る。
「他の人の寿命を、何です?」
七海の言葉を皮切りに、周囲の気温がぐっと下がった気がした。きっとただの錯覚だし、呪霊である僕が気温の変化に敏い筈がないのだが、そう認識せざるを得なかった。
無いはずの汗腺が開き、冷や汗が止まらない。僕は口をパクパクと動かす。
「あー、いや、えっと」
視線を直ぐに七海から外し、どこかに良い言い訳が落ちていないものかと、地面や建物の壁面に目線を転がした。恐らく相当挙動不審になっていると思う。不安の波が押し寄せてきて、思考が落ち着かない。
七海がガードレールから腰を持ち上げ、僕に向き直ったことを、薄らと落ちた影から判断する。僕は膝を抱えて座り込んでいた状態から、更に縮こまるように膝を抱き寄せた。
すぐに追いつかれるという理由から、立ち上がって逃げる気は、毛頭無かった。
「僕は、根本的には、死なない体質だから、周囲にいる他の人の寿命が、代わりに減る」
一言一言区切って、結局のところあながち間違いでは無い、寧ろ真実に近いことを打ち明けてしまい、内心落ち込む。
凍てつく視線が、頭上から降り注いでいる。それが僕の全身を突き刺し、今にも凍りついてしまいそうだった。何秒の沈黙があったのかは分からない。もしかすると、何時間も沈黙があって、その間に僕が本当に冷凍されていたのかもしれない。
「ますます意味が分かりません」
怪訝そうで、ほんの僅かに狼狽が混じった声が落ちてきた。視線が途切れたことで、身体に自由が戻った。
「え?」僕も思いもよらぬ言葉に狼狽し、顔を上げる。
「他人の寿命を犠牲にして、蘇ることができる呪霊なのに、死ぬことが嫌いなんですか?」真実味のない冗談を言われたかのように、七海は顔を歪ませる。「効率的に、人間に害を与えられるでしょうに」
弁解のチャンスが訪れた、と思った。恐らく最後のチャンスだ。僕は人間に進んで害を与えたいだとか、漏瑚たちみたいに人間主流の世界を転覆させたいだとかは、考えていない。
純粋に僕自身が死にたくないから、という理由のみが原動力なのだと、僕は誠心誠意説明する。「信じてくれ」と。
暫く沈黙が続いた。判決待ちの被告のように、僕はずっと俯いている。耳に痛い沈黙を割いたのは、七海の声だ。
「挽歌、でしたっけ」
「! うん」名前に反応して声を上げる。
「情報をどうも。そのまま上に報告させていただきます」
「……うん?」顔を上げる。無表情ながらも、どこかしたり顔に見える七海と目が合った。冷ややかな空気がふんわりと解ける。
「騙した?」
「いいえ」
「いや騙したでしょ」
「騙すも何も、私たちは敵同士ですから」
「っでも、でもそんなの、なんかセコいよ」
「無警戒なのが悪いんでしょう……」
「うーん。ねぇ」焦燥感に駆られ訊ねる。「報告ってことは、僕も正式に登録されるってこと?」
危惧していることがこれだ。もし呪術師が僕を排除すべく追手を放つなら、僕は隠れ逃げざるを得ない。恐らく前回の邂逅で外見等は記録されているだろうが、術式についてまで記録されれば、登録されるのは時間の問題だ。
「まあ、されるでしょうね」七海が言う。「私を止めますか?」
「……止めたいけど、僕じゃ七海を止められないよ」
「因みに、止められる気も毛頭ありません」
「…………僕は早速、キミが嫌いになりそうだけど」
「どうぞご勝手に」
僕は溜息を吐いた。調子に乗って口を滑らせたばかりに、結果的に最悪の種を蒔いてしまった。呪術師なのだから、呪霊である僕を排斥するのは道理だ。
僕が真に死ぬ可能性は低いが、狙われ続けるのもストレスになる。
「はーあ」なんとも世知辛い社会だ。
膝を抱えて座り込む僕を横目に、七海がスマートフォンを取り出す。続けて腕時計を確認すると、七海は「そろそろ増援が来ますが」と言う。「アナタはどうしますか」
「え」
「残るんですか、残らないんですか」
「あ、いや逃げるけどさ! それ言っていいの?」
「元よりそういう約束だったでしょう」
「でも」縛りも結んでいないのに、と続けようとして、口を噤む。追求したら、七海の面目が立たないのではないか、と僕らしからぬ気が回った。
七海はどういうわけか、不幸にも僕を逃してしまった、という体にしたいのだ。
縛りを取り付けた訳でもないのに、わざわざ伝えてくれるということは、つまりはそういうことだろう。
「素直じゃないね」緩む頬を抑えて、立ち上がる。
「余計なことを言うと捕らえますよ」七海の白い額に、青筋が浮かんでいるのが見えた。
「分かった帰るよ、帰る」
ズボンの尻に付いた砂埃を払って、七海に向き合う。疲弊しているものの、未だ余力はありそうだが、僕を追いかける素振りはない。不器用な優しさというか、最早規範に抵触するレベルな気もする。しかし、僕が黙っていれば七海にこれ以上の不利益は生まれない。
「またね、七海」
「祓われたいんですか」
「それは嫌だ」
「早く行ってください」
七海が背を向けたので、僕も背を向けて反対方向に駆け出す。
取り敢えずは東京に帰ろう。そして真人を、「嘘を吐くな」と詰るのだ。きっと真人は、「俺にとってはお祭りだよ」とか何とか言うだろうが、その価値観は僕には通用しない。
交通機関が機能しているのか定かではない。しかし、僕の足は真っ直ぐ駅に向かっていた。今行けば、最終便に間に合う筈だ。
いつの間にか、月と星が夜空で輝いている。日没と共に始まった祭りは、きっともうすぐ暖簾を下ろすだろう。
死にかけたし、面倒にも巻き込まれた。しかし七海と会話を交えさせることが出来たのは、僥倖だ。
僕を殺さないでいてくれた。僕を庇ってくれた。ただそれだけのことで十分だと、僕は星空を眺めて目を細めた。
しおり、お気に入り等本当にありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。楽しんで頂ければ幸いです。