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今話の時系列は、漏瑚が五条先生を襲撃したあとくらいです。
広く平坦な歩道を歩いていると、ガードレールを挟んだ隣の車道は車が減り始めていた。
都心部から離れているとはいえ、交通量は少なくないはずなのだが、今日はどういう訳か、信号機に足止めを食らうトラックすらいない。反対車線の黒いミニバン車はその光景を不審がったのか、少しの間徐行して、僕はそれを横目に辺りを見渡した。ちらほらと人を散見できるが、それでもいつもよりは少なく感じた。
梅雨時の重苦しい湿気は近頃薄れつつあり、高く眩しい陽光が夏の訪れを知らせている。僕らの同僚が活発化する時期が、近付いていた。
「本当に、呪霊使いが荒いな、漏瑚は。僕が真人の場所を知るわけないだろ」
不貞腐れるように言った。
隣を歩いていた陀艮はずっと無言だったので、てっきり聞いていないと思っていたのだが、意外にも僕に特徴的な丸い目を向けた。
咎められるのかと思いきや、陀艮は小さく「ぶふぅ」とだけ鳴いて、口元の触腕を揺らす。つぶらな瞳に僕が映っている。彼はまだ言語による意思疎通が難しく、人間の感覚でいえば赤ん坊に近い。
「陀艮もそう思う?」試しに訊ねてみる。
ぷ、と陀艮は小さな音だけ鳴らすが、生憎僕には理解できなかった。
普段は花御の傍や、自身の領域に篭っている彼は、観光をしに来た旅行客のように、物珍しそうに顔をあちこちに向けた。
「ぶーぶふぅー。ぶふぅ」
数時間前、夏油に紹介された拠点の一室で怠けていた僕は、漏瑚にソファーから叩き落とされた。
漏瑚は額に青筋を浮かべたまま、少々苛立った様子で、若干呆れながら、「おい、真人は」と僕を見下ろした。拠点を紹介されてからというもの、真人はその部屋を、「悪趣味だ」と称して、自分の肌に馴染む環境を探しに外出することが増えた。
僕自身も、あの部屋は馴染み難いが、わざわざ真人のように探しにほっつき歩くのも億劫で、一日中天井を見て過ごす日々が続いていた。「真人なら、放っておいても平気だろうに」と愚痴を零す。
漏瑚はそんな僕を長く深い溜息をもって咎めると、「真人がどこに行ったか、見つけてこい」と、明らかに嫌がらせとしか思えない無理難題を強いてきた。
「ぶふぅーぶー」きっと賛同の意だろうと解釈する。
「宛もないし、第一見つけてどうすんのさ。やっぱり嫌がらせだよ」と僕は陀艮に思いの丈を述べた。正直なところ、陀艮がどっちの味方か定かではないので、ここまで文句を垂れて良いのか不安なところはある。「やっぱりこの前、呪術師にやられたのが響いてるのかな」
一週間ほど前の話になるが、どういう思い立ちか、漏瑚は呪術師最強の五条悟を殺す、と宣言して単身で襲撃を図った。が、逆に返り討ちに遭い、花御が助けに行った頃には首から上だけになっていたらしい。気が短いやつではあるものの、漏瑚は頭が回る質だったため、非常に珍しく、また彼らしくないことだと感じた。
漏瑚は一時期は歩行もままならないほど衰弱し、化石のような静かさを備え、陀艮の領域で休息をとっていた。口を開けば何かと僕に突っかかる彼がそんな調子だから、若干珍しく、そして若干寂しく思った。
幸いと言うべきか、漸くと言うべきか、取り敢えずは先日、五体満足の肉体を取り戻すことに成功した。
「私は何もしていないよ」とは夏油の発言だが、僕は十中八九彼が漏瑚に何か言ったせいだと察している。付け加えるようにして、「そうだ、この前は、面白いものを見せてくれたね」とも言われた。
一体どれのことだ、と僕は有り過ぎる心当たりを探ったが、途中で物悲しくなり考えることを放棄した。
おかげで僕は、夏油が漏瑚に何と言ったのか、そして漏瑚が襲撃に思い至った理由は何なのか、全く分からず終いだ。
漏瑚に聞いたところで答えるとは思えないし、花御も同様の理由で断念した。真人なんかは以ての外だ。
僕が一方的に話し続け、陀艮が時折相槌の鳴き声をあげ、気付けば僕らは見知らぬ道に出ていた。
左を見て、右を見て、もう一度左を見てから陀艮と顔を見合わせる。
「来たことある?」「ぶー」
多分、ないのだと思う。
でも帰り道は分かるし、陀艮に至っては自分の領域に帰ることができれば何とかなるだろうから、特に問題はなかった。むしろ新天地を開拓する感覚で、悪い気はしない。
「陀艮。折角だし、
「ぶふぅ」
僕は自分の右手の方向に指を向けて、「僕がこっちから回るから」と言ってから、続いて左手の方向を指さす。「陀艮はあっちから探して」
陀艮が無言で触腕を揺らす。何か言いたそうだと思ったが、数秒後には「ぷ」と、また一鳴きしてゆっくりと動き始めた。
「じゃ、またあとで。さっき通った橋で合流しようか」
ゆさゆさと丸い体を揺らして、陀艮が背を向けた。
そしてゆっくりと歩き出す。僕はそれを見送ってから、陀艮とは反対方向に歩き始めた。
何度でも言うが、真人がどこにいるかなんて、僕には知る由もないことだ。僕の知る真人は自由気ままで、横断歩道の信号機が青くなった方向に進み続けるような、予想できない奔放さを持ち合わせている。
だからきっと、今回の度重なる外出も、僕らの想像できない場所にいるのだと思う。
「山奥とか、もしかすると意外と河川敷とかに居るかな」
ぼやきながら、ポケットから白色の飴玉を一つ取り出して、咥える。何が真人の興味を唆るかは、その時の彼の気分で変わるが、最近は映画に興味を持っているらしいし、その撮影場所を見に行っていてもおかしくない。
ふいに、視界の端に動くものがあった。反射的に視線で追うと、それは曲がり角を右に曲がった。小さな気配だ。一瞬しか見えなかったから姿形は不明だが、間違いなく生物ではあった。
「そういえば、この辺本当に人少ないな」
呟き改めて周囲を見回すが、見渡す限り人はいない。過疎化の影響か、はたまた全員出払っているだけか、少なくとも後者はないなと独り言ちる。
気配を追いかけ、角を右に曲がる。
赤いポストがある以外、これといった特徴のない平らな道だ。さっきの気配はどこに行ったのか、と思ったところで、徐に袖がくん、と引かれた。反射的に視線を落とすと、背丈の小さな少女が俯きながら僕の袖を握っている。ポストの足元に居たから気が付かなかったのか。
「…………
少女が顔を上げる。
決壊寸前のダムのような顔をしていた。そして次にどうなるかが容易に想像できた僕は、ぎょっとしつつも慌てて屈み、視線を合わせる。
そこまでしてから、「僕の傍に居た方がむしろ危ないのでは?」という考えが過ぎり、袖を振り払おうとする。が、少女の手は想像以上に固く結ばれていて、振り払おうものなら少女が転んでしまう未来が見て取れた。
今更ながら、僕が見えていて、尚且つ触れられたことに衝撃を受ける。
一先ず息を吐いてから、「えっと、どうしたの?」と、僕は恐る恐る訊ねる。爆発物を取り扱うような心持ちで、だ。
少女は嗚咽を漏らしながら、
今にも泣き叫びそうな少女は、恐らくは迷子だ。他の人間に頼れば良い、と言いたくても、何故か今は周りに人気がない。丁度助けを求めようとしていたところ、偶然通りかかった僕に目を付けたのだろう。握り締められた袖口が全てを物語っていた。
「でもなあ」
僕にできることはない、と言える空気ではない。
かと言って、何をしてやれるかといえばここで共に立ち尽す程度だろう。「僕も迷子みたいなもんだし」と呟く。
耳聰い少女は顔を顰めて、目に涙を浮かべた。まずい、と思った頃にはもう遅かった。今にも決壊しそうなダムの堤防は、最早意味をなさない。溢れ出る涙は、大粒の雫となってまろい頬を伝う。びぃびぃと耳を塞ぎたくなるような泣き喚きを、どうしたものかと悩みつつも、僕は焦りが一周回ったことを自覚し、冷静に少女を傍観した。
そんな折、背後に影が伸びた気配を肌で感じ取る。少女に袖を握り締められたままの僕は、止むを得ず屈んだ状態で背後を見上げた。
すると、見覚えのある男がいた。
なんて偶然か、と驚き思わず「えっ」と声を洩らす。
「何でここに七海が?」
そう、七海だ。七海がいた。
まさかこんなところで会えるなんて、思わなかった!
ぱっと胸中に花が開くような感傷に浸る。真人を探すことへの憂鬱や、目の前の少女への困惑は、この瞬間に払拭され、爽快感に見舞われた。
しかし当の七海は、「その少女に何をしたんですか」と、冷ややかな声をぴしゃりと注いだ。そして僕に鉈の刃先が向けられる。「今すぐに、離れろ」
何か誤解をしているとすぐに察した。「離れたいよ、できることなら」僕は慌てて取り繕う。「でも」と、視線を袖に向ける。相変わらず拳は引き結ばれていた。
七海も鉈を僕に向けたまま、その視線を袖に移動させる。そして口をぽかんと小さく開けた。怪訝そうに僕と少女を交互に見比べる。
「どういうことです」
「迷子らしい」と言って、えぐえぐと嗚咽を漏らす少女を覗き込む。「離してくれない」
端的過ぎる説明だったが、概ね理解したらしい七海は眉間に皺を寄せる。それが戸惑いからなのか、はたまた辟易からなのかは分からないが、どこか曖昧な様子は窺えた。
「……こちらで保護します」七海が呆れを隠さずに言う。
「そうしてくれると、僕も助かる」
「むしろ離れて頂けると、私も助かります」
「じゃあこの拳解いてよ」
僕は立ち上がって袖を軽く持ち上げるが、未だ下に引かれる感触がある。「こら、袖が伸びる」
七海は鉈を少女から見えない位置に隠し、警戒したように口を開いた。「どうして振りほどかないんですか」
言われてみればどうしてだろうか。
僕はすかさず、「泣かれると」と口走ってしまい、数秒悩んでから、「面倒くさいから」と付け加える。「僕は、お母さんじゃないし」
「言われなくても分かってますよ」怒気のせいか若干語調が強い。「離せないんですか、その子」
「できることならしてるよ」僕は握られたままの袖を揺らす。少女の腕も一緒になって揺れる様子は、公園のブランコを彷彿とさせた。
「あ、
何故か、少女が初めて泣き顔以外を見せたのだ。意図せず些細な拾い物をした気分になる。「こんなのが楽しい?」
僕はゆらゆらと続けて袖を揺らした。少女がもう片方の手で口元を覆って、ふふ、と笑う。
随分と上品な笑いをするものだと感心して、ふと七海を見遣れば、意外な表情を浮かべていた。
「──七海……? どうしたの?」
目を瞠り、歯は噛み締められている。まるで、気付きたくなかった事情を知ってしまったかのような、どこか痛々しい感情が見て取れた。
声をかけると、はっとした様子ですぐに普段の無表情に戻るが、苦々しく刻まれた眉間の皺は残っていた。
「……何でも、ありません」
絶対嘘だ、と言いたくなるのを堪える。訊ねても多分答えないだろうから、僕は気付かなかったフリをした。
「保護しますので、着いて来てください」と言って、七海は歩き始めた。
「まあ、いいけども」僕もそれに続くと、袖に繋がれた少女も足を動かした。
七海が振り返る。「毎度のことながら、騙されてるとは思わないのですか」
「思わなくはないけど」
「ないけど、何ですか」
「いや、やっぱただの気紛れ」
「そうですか」
七海は僕の話を聞いてくれた唯一の呪術師だから信じている、だなんて口にすればどうなるか予想できた。きっと不快そうに顔を顰めて、否定の言葉を吐き出す。そして勘違いするなと言わんばかりに、鉈と敵意を僕に向けるのだ。
「うん、理由はないよ」だから僕は真意を隠す。
影が伸び始めた。斜陽のせいか、気持ちのせいか、景色の色は沈んで見えた。七海の歩調に合わせていると、少女の足が縺れた。探偵が、些細な違和感を指摘するかのように、七海が視線を少し動かした。
「ねえ、疲れた?」僕は膝を折って、少女の傍らに屈む。
小さな頭が頷くのを見てから、七海に視線を送る。「だってよ」
目を瞬かせた七海が屈んで、少女に声をかける。僕に抱き上げられるより、七海に抱えられた方が、安全的にも、七海の精神衛生上的にも好ましいだろう。
と立ち上がろうとする。
「……っと、あれ」
しかし少女はあろうことか、僕の腕を引っ張った。
「どうしてそんなに懐かれてるんだ……」と顰め面の七海は、僕に一瞥をくれた。「何をしたんですか」
「失礼な、何もしてない」
「お嬢さん、その呪……人は危険です」
間違いではないのかもしれないが、僕は眉根を寄せる。
「その手を離して頂けませんか」
「それは、僕からもお願いしたい」僕にも、呪術師としての七海の複雑な心境は理解できる。「七海の方に行ってよ」
少女はぶんぶんと首を横に振り、また感情の天秤が傾いた。じわじわと涙が目を潤ませている。
今にも泣き出しそうだ。自分の思い通りにならないと分かった途端これだ。人間の子供はこれだから、「面倒くさいな」と、思わずぼやく。
「何を──」七海が僕の小声に警戒心を募らせ、気配を尖らせる。「…………って、は?」
が、その警戒も、僕の行動で徒労に終わった。
「よいしょっと」
僕は思考を紛らわすために敢えて煩雑な動作で、少女を掬い上げ、肘の内側に座らせた。本当は呪霊が抱えて大丈夫なのか、とか、僕の術式のせいで死んでしまわないか、とか悶々と頭を巡っていたのだが、ここで足を止められることに苛立ち、ほぼ無意識的に行動してしまった。
「行こう」
「危害を加えたら」
「分かってるって。そうならないためにも、早く」
渋々といった様子で七海が歩みを再開する。「こちらです」
「そうだそうだ、そういえば、こんな所で会うなんて、すごい偶然だったね」
「はあ、まぁ、そうですね」顔だけで少し振り返った七海が、仕方がないと言わんばかりに、口を開いた。
「驚いたよ、まさかこんな辺鄙な場所で会うとは」
「アナタは一体何をしていたんですか」
同僚を探していた、と口走りかけて、「さがしもの」と方向を転換する。「頼まれてて」
「なんですか、それ」七海がそこではじめて、気を抜いた様子を見せた。「誰かを襲う算段ではなく?」と声音を和らげる。「以前から思っていましたが、本当に、呪霊らしくないですね。術式は最悪ですが」
「……あんまり嬉しくないね」
僕は、腕に抱えた少女がズレ落ちかけたので、全身でジャンプするように、少女の体勢を直した。少女は僕の肩の後ろに、腕を回している。「七海は何をしていたの?」
彼は、今度は僕を見ず、むしろ視線を逸らして前だけを見つめるようにした。「……仕事です」
「この辺で? ああ、だから人が居ないんだ。避難済みってことか」
「普通の呪霊は、こうして呪術師に着いて来ませんよ」
「普通の呪霊って何だよ。強くて頭が良い呪霊は、ってこと? これでも、僕は結構長生きしてるんだよ」
「知りませんし違います。一般的な人を害する呪霊は、ということです」
七海は曲がり角を手前に、足を止めた。続いた僕もすぐに足を止める。すると彼は何かを言ってしまおうか、それとも隠していようか、と逡巡しているような態度で溜息を吐き出した。面倒な事に巻き込まれた、と後悔しているのかもしれない。
「七海?」思わず声をかける。
「……この曲がり角の先に、補助監督が居ますので、私がその少女を預かります」七海は、相変わらずこちらを見ていない。
「あ、そう」
わざわざ仲間の存在を事前に伝えてくれるとは、やはり七海は優しい人間だ、と改めて感じる。僕は膝を折って、少女を地面に下ろす。
「ほら、あっちにお母さん居るってよ」そう言って七海の前にある道を指した。「あの白い人に着いてって」
少女は僕と七海を交互に見遣り、最後に僕を数秒見つめてから、七海の方へ走り出した。それで良い、むしろもっと早くからそうしていて欲しかった、とも思う。七海が少女と手を繋ぎ、日向へ歩き出す。僕は塀の日陰に寄りかかり、それを見送る。
「──……ッ!?……っ、ア」掠れた声が洩れた。
少女が小さな声で、恐らくではあるが、僕に向けて「ありがとう」と口にして、手を振ったのだ。ガツンと大きな衝撃を受けた気がして、目をしばたたく。慌てて、不格好に手を振り返そうとする前に、少女は曲がり角の向こうに、七海と共に消えて行った。
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口をはくはくと動かす。息が上がって仕方がない。震える手で両頬を押え、背中で塀をずるずると滑る。座り込んだ体勢で、僕は懸命に今起きた出来事を噛み砕いた。
あの少女は、僕になんと言った。ありがとう、と確かにそう言わなかったか。
人を殺す呪霊に? その情報を知らないとはいえ、呪霊であるこの僕に礼を? まさか、そんなことはありえない。
頭の中で、いくつもの人格が議論を交わしているような気分だ。
「は、はは」
処理ができなくなった脳が伝達ミスを起こしたのか、口からは空っぽの笑いが飛び出た。きっとまだ少女は幼稚で、負の感情をろくに理解もしていないから、そんなことができたのだろう。愚かだ、なんて愚かなことだ、と僕は思う。
しかし同時に、先程から何故か表情が弛緩してしまう僕も、愚かに違いなかった。
顔に忙しなく血液が集まって、熱い。
なんだかとても気分が良い。頭がふわふわとして、僕を取り巻く暗雲から晴れ間が覗く。ああ、こんな感情も抱けるのか。幕が開けていよいよ開演だ、と演劇を待ち侘びる期待と清々しさに似ていた。
七海が帰ってきたら、この気持ちを伝えてみよう、と僕は内心で決意して立ち上がる。どんな顔をするだろうか、予想できない。僕自身もこんな気分が良くなるのは初めてで、どうやって言葉に顕そうか、浮き足立っていた。
──だから、気付くのが遅れた。
「おっ、みぃつけた」
「……え?」
設定そのうち纏めた方が良いですかね。