それを振り払ったのは、やっぱり笑顔。
ある朝の光景を、もう一つの視点から。
あの花束にどんな意味があったのか、無かったのか。
それは、誰も知らない事です。
夢を、見ていた気がする。どこか不吉な夢を。
でもその内容は、スマホのアラームに掻き消され跡形もなくなってしまった。覚えているのは不吉さと、手にしていた花束の形だけ。
私は誰に、あの花束を渡そうとしていたのか。或いは、誰かに渡されたのだろうか。
何にせよ、目覚めの頭には良くないものだ。普段はアラームを止めて暫く微睡んでいるけれど、そんな気分にはなれない。
――起きよう。今日は、戦う日だ。
県予選は、もう明日で終わる。今日負けてしまえば、そこでなにもかも終わってしまう。
また来年、なんて思えない。思ったとしても、私にそんな時間はない。
ミニバスの頃は、自分が成長し続けてる実感があった。今日の私は昨日の私より上手くなっていて、明日の私はきっと今日より上手くなっている。そう考えていたし、実際そうだった。
でも、中学に上がる頃。自分が、思った速度で成長していけなくなった事に気付いた。気づいてしまった。
中性的だった身体は、少しずつ「女」になっていく。シンプルだった心は、どんどん澱みを溜め込むようになっていく。
そんなことを意に介さず、伸び続ける天才も世の中には存在する。
でも、私は天才じゃない。
私にはそもそも、才能と呼べるものは無かったのだ。それでも努力を重ね、なんとか一歩一歩地道に上へと登ってきた。
でも、もう。それはもうじき、破綻する。伸び代は使い果たされ、衰退が始まる。そしてそれは、今日明日の事かも知れない。
今、この瞬間しかない。私が私でいられる、この短い間にすべてを決めなければならない。
ああ、――苦しい。バスケが好きで、それで続けてきて。それが、苦しい。
子供の頃に戻りたい。自分を疑うことさえなかった、あの頃に。
下へ降りておばさんに挨拶していると、不意に聞き馴染みのある旋律が耳に入った。
懐かしい、ラジオ体操の曲。昔は練習前にやったりもしたけど、すっかりご無沙汰だ。
音を追って行くと、そこは猪股家の庭で。大喜くんが、朝日を浴びて真剣にラジオ体操をしていた。
随分と健康的な……。
「千夏先輩、おはようございます! なんか、じっとしてられなくて!」
私に気付いた大喜くんは、爽やかに笑っている。確か大喜くんも、これから県予選だ。今日は針生くんと組んでダブルス、明日はシングルス。どっちにしても、大舞台には変わらないだろうに。
――去年の私は、こんな顔が出来ていただろうか。一応これまでの経験もあって、一年生ながらレギュラーとして県予選には出たけれど。出たけれど、私は――。
「私もやるっ」
大喜くんの隣に立ち、曲に会わせて体操に途中参加。
試合前にこんなに沈んでいてどうする、気持ちで負けたら勝てるものも勝てない。そんな簡単な事を後輩から教わるような、見下げ果てた先輩のままじゃ格好つかない。
身体を動かしながら、二人。
これから戦いの場に出る御互いを、鼓舞しあうように。
短く、言葉をかわしあう。
「明日、ですね」
「もう、明日だよ」
勝っても負けても、明日。明日、色んな事が決まる。
それはきっと、思い通りにはいかないだろう。でも、それは終わりじゃない。明後日も、その先も、ちゃんと「ある」。それが続く限り、私は終わらない。
「千夏先輩。明日勝っ、……明日が終わったら、一つ質問して良いですか」
大喜くんが一瞬言い淀みながら、真剣な顔をする。勝っても負けても、聞きたいことがある、というのだろうか。
「今じゃなくて?」
「あ、……はい」
さて、なんだろう。大喜くんから私に。……まさか「俺の事どう思ってますか」みたいな、告白的なアレだろうか。だとしたら、それはまぁ――素敵だな。
でも、大喜くんには蝶野さんがいるしね。二人はお似合いだから応援したいけど、大喜くんがもし――。いやいや。さすがにそれは。
まったく、試合前なのに。こんな浮わついてて良いのやら。
ま、良いか。明日のオタノシミだ。試合が終わってからの予定、考えておいてもいいだろう。後輩くんが何をする気なのか、じっくり期待しておこうかな。
いつの間にか膿んでいた心は、すっかり軽くなっている。ラジオ体操の効果か、それとも。……それとも、の方だな。
全部、楽しもう。私はずっと、私だから。
「大喜くん、バドって応援の掛け声とかある?」
「へ? んー……一本、とかですかね」
なるほど、なるほど。
六月の朝は青く、澄み渡っている。
どこまでも広く青い、この空に届くように。
気合いを入れて、――腕を振り上げて。
「大喜、一本!!」
彼の行く先が、幸せなものであるように。
そこに笑顔がありますように。
願いを込めた私の声は、青空に吸い込まれていった。
#22は大喜くん祭りでしたね。
大喜くん、ずーっと可愛かったです。
でも兵藤さんが高校生なのはおかしいと思います、アイシルの峨王力哉でもあそこまでじゃなかったですよ。